ミクトランの市街地で、冥魔王の部下エエカトルと勇者一行のキマイラが戦っていた。
エエカトルに埋め込まれたケツァルコアトルの心臓は、彼女に莫大な風の魔力を与えた。
…だがその全力をもってしても、神話の怪物キマイラには通用せず、一方的に戦闘不能にされる。
しかし、その瞬間。
キマイラの心臓を貫いたのは、天から降った槍。
「…遅いぞ、ババア!」
「ほほッ、あの下っ端がずいぶんな口を利くようになったのう」
槍の上に乗る小柄な老婆。
顔面は痩せこけ、頭蓋が浮き出ている。
その不気味な顔を歪め、ゲタゲタと笑う。
「それにしちゃ無様を晒してるじゃないか。
神の力を貰ったんじゃねえのかい」
「こいつは…バケモノだ。
アタシの風も、ほとんど通じなかった。
それより、さっさとソイツの首を刎ねな!」
「何を慌ててるんだい、チンピラ気質が抜けてないねぇ」
「そ…そうじゃないっての!この戦いには審判が…」
しなやかな着地音。
視線が、黒スーツの青年に集まる。
「天秤倶楽部、第4席のフォルセティと申します。
ルール違反を確認いたしましたので、決闘は敗北扱いとし、排除します」
「おや、可愛い坊ちゃんじゃないかえ!
ヒヒヒ、こっちへ来てお婆ちゃんと遊ぼうかァ!!」
キマイラの背中を足場にして、槍を引き抜きながら飛び上がった。
身体の支えを失ったキマイラが、その場にくずおれる。
「どうしてこうも、ルールを守ろうとしない連中ばかりなのか…!」
フォルセティは天に手をかざす。
「ひゃひゃひゃ!!いくぞいぃいいいい!!」
爆速で落下してくる槍と老婆を、片手で受け止める。
「おほっ、やるのう!」
「無駄な抵抗はやめてください」
無造作に槍もろとも投げ飛ばし、ダッシュで追いついて、空中の老婆を蹴り墜とす。
老婆は既に受け身を取っており、ダメージは皆無。
それどころか、反動を利用して青年の首に組み付いた。
「ひょひょっ!キツいの1発いくぞい!!」
シワテテオは両手で勢いよく側頭部を叩いた。
本来なら鼓膜が破れ脳が砕ける威力だが、フォルセティは意識を一瞬飛ばす程度で済んだ。
「ぐがッ…この!」
「おや、しぶとい坊主だこと!
アンタ神の血でも引いてるのかい?」
「これでも女神と英雄の子供なんですよ、僕だってね!」
頭突きで老婆を引きはがす。
「少々ふざけすぎですよ、ご老人。
これでは私も本気を出さざるを得ませんね…!」
フォルセティがネクタイに手を掛け、一息にほどく。
「ええのうええのう!若い男の血は美味いからのう!!」
「いい加減にしなさい、今ならまだ…あっ」
ほどいたネクタイを結び直す。
「…?」
青年の視線を追い、老婆が振り向く。
「お、や…こりゃあ…!」
そこには、人の姿をしているだけの魔獣がいた。
血塗れの歯をむき出しにし、眼球は白く裏返り血走っている。
「お、落ち着いてください…あなたの勝ちですよ!
相手が他者の協力を借りた時点で、判定勝ちになったんです!
ですから…」
「GOHHHHHHHH!!!」
キマイラが咆哮と共に疾駆する。
狙いは老婆。
「全く…心臓を貫かれたんだから、大人しく死んでいてもらいたいもんだね!」
シワテテオは高く飛び上がって、突進をかわす。
「GUAAA!!」
手を伸ばし、老婆の細い脚を捕らえようとする。
「当たらないよ小娘ェ!」
「GOORRR…!」
その瞬間、キマイラの尻から尾が生えて、老婆の足首に巻き付いた。
「なッ!?なんだいこりゃ…ッ」
その尾は、柱のように太い大蛇だった。
その毒牙が皺だらけの肌に突き刺さる。
「チィ…ッ!!」
シワテテオも、零落したとはいえ女神の端くれである。
その矮躯のどこから出るのか、怪力で蛇の尾を引きちぎろうとするが…
「く、そ…しくじった、ね…」
その足掻きもやがて緩慢になり、動かなくなっていった。
ぐったりとなった老婆の身体を地面に横たえ、見下ろす。
「……」
生じた静寂は、一瞬のものだった。
「…余所見してる場合かァアアア!!」
その叫び声が空気を揺らした時、既に攻撃は完了していた。
エエカトルは寝転んだ姿勢のまま、指先から最速の風刃を放ったのだ。
「おやめなさい、見苦しい」
が、割り込んだフォルセティが、埃でも払うかのように防御した。
あっけなく、決死の一撃は潰えた。
「ク、ソがァ…ッ!!
余計な真似しやがって…アンタらなんかに…ッ!!」
眼前の半神と魔獣を前に、超人となった女が吐き捨てた。
自分が全てを捨ててまで得た力を、この怪物たちは平然と行使している。
その無情な現実への怒りさえ、今は表す事ができない。
四肢に感覚はなく、視界は半分以上暗い。
覗き込んでくる獣の顔は、エエカトルを食料としてしか見ていなかった。
「…ッテメ」
怒りの声は途切れた。
胸の中央に、キマイラの手が突き刺さっていた。
そのまま引き抜くと、翠色の神々しい光を放つ心臓が、主を失ってなお手の中で脈打っている。
「あ、あがっ…」
「SHIIIII…」
キマイラはその心臓を、穴の開いた自分の胸の中に埋め込んだ。
彼女は心臓が無くても数分は暴れる事ができるが、さすがにそろそろ代わりの心臓が欲しくなったようだ。
そして残った死体を貪り食い始める。
「UUUGA!GUUUA!」
「…やれやれ、なんという…」
フォルセティはそのおぞましい光景に頭を抱えつつ、とりあえず上司のアストライアに報告した。
騒がしい街を眼下に収めながら、屋根の上を飛び回る2つの影。
逃げるは艶めかしい黒いドレスの女、追うは褐色の肌にスーツの女。
イツパパロトルとマアトである。
「まーちーなーさーいー!」
「あーもう、なんなのよアイツ…!」
イツパパロトルは、何度か黒い蝶を操ってマアトを攻撃していたが、傷一つ付いていなかった。
(攻撃が通ってないって訳じゃない。
無限の体力を削らされてる感じ、これもう苦行でしょ!)
そのため早い段階で倒すのを諦め、逃げに徹していた。
(まぁいいや、やる事はやったし。
後は婆さまが上手くやってくれるといいんだけど…)
そこまで思って、空を見た。
女神である彼女は、人間では知覚さえできない情報を天空から読み取ってみせるのだ。
(あ。この感じ…婆さま逝ったか?
いや、こりゃ確実に死んだわ)
シワテテオの死を察知し、舌打ちをする。
(仕事くらい完遂させなさいっての。
しっかし、あの殺しても死ななそうな婆さまがねぇ……んん?)
天で、何かが光った。
「…ヤバッ!!」
イツパパロトルがとっさに自分の身体を蝶の群れに変えると、そこに天空から一筋の光が降り注いだ。
かろうじて回避し、そのまま飛び去る。
「な、なになに!?なんなんですかぁ!?」
マアトはその場に留まり、天を仰いだ。
「あ…!」
天の光は、もう1本降ってきていた。
着弾地点は、シントリとルシフェロが戦っていた裏路地。
マアトが追跡を中断し、慌てて向かう。
「え…ッ」
天から降った光の柱は、肥えた男の全身を包み込んで焼いていた。
「ぐあああああッ!!」
そして空中に、黄金色の生首が宙に浮いている。
「な、ぜ…だ…!!
お前は、黄金化させたハズ…!!」
金の生首にヒビが入り、殻が剥けるように表面が崩れた。
そして、素肌が露わになる。
「黄金になっていたのは表面だけだ。
こんなチンケな呪い、対抗術式で防ぎ続ければどうという事はない!」
首だけの姿で高笑うルシフェロ。
「バ、バカな…対抗術式を使いながら、この規模の魔術を…!?」
「だったらどうした。怖気づいたか?
ほら、早くしないと死ぬぞ?
アンデッドは神聖魔法に弱いんだからさぁ!」
降り注ぐ光は、教会秘伝の奥義。
悪しき者、歪んだ生命を浄滅させる。
「…言われずともな!」
シントリは手を振り回し、天よりの光を払い除けた。
軽々しくやってのけたが、呼吸は荒い。
「ッが、ぁあ…首だけの状態で、杖も持たずに…これだけの術を…」
杖は照準器と砲身を兼ねた装置である。
これが無ければ、魔法の狙いをつける事も、狙った場所に飛ばす事もできない。
「まあ、アレだ。
コウモリを何匹か飛ばして、その視界から立体的な位置情報を確認できる。
そこまで来れば、後はなんとなくで当てられるワケよ」
「なるほど、驚異的な能力だ…人間だった頃の私では、顔を仰ぎ見る事すら出来ないだろうね。
だが…今の私ならばどうかな」
周囲の地面が黄金となり、触手のように宙へと伸びてゆく。
「もはやルールなど形骸化した。
この街もろとも!民と共に!空気すらも!まとめて黄金化させてくれる!!」
萎びた皮膚の上からも分かるほど、神の心臓が激しい光を放った。
「ぐうぉおおおおおおッ!!」
ルシフェロがため息をつく。
「だからさぁ…今コウモリの話したばっかじゃん」
「な」
何を、と問おうとして、肩に痛みを覚えた。
コウモリが噛みついている。
「こういうところですぐにヤケクソになっから負けるんだよ。
なにより…」
2匹、3匹と群がり始め、シントリの四肢がやせ細っていく。
「が、ぁ…!!」
「この俺に。魔導王ルシフェロに。
お前ごとき下等な魔術師が勝てると思ったのか?」
「魔導王、だと…!?
ありえない…15代目で途絶えたはず…!」
「…あ、いやまぁ、別に魔法で勝った訳じゃないから今の名乗りは変か。
ゴメンね、今の忘れてOKで~す」
「が…ッ」
シントリの血を吸い尽くしたコウモリたちが飛び立ち、ルシフェロの首に集まる。
そして胴体を形成していく。
「名乗り直すそう。
俺は『真紅の城主』ルシフェロ…」
「ッ!!そ、その…名は…!」
「まだ死ぬなよ、ちゃんと名乗るから!
いや、やっぱ『夜の牙』ルシフェロ…あ、待って!
もっとカッコいい二つ名があった気がする!」
「…ッ!?」
シントリが一言も発しないのは、瀕死というだけではない。
ルシフェロが口にした異名は、全て伝説に語られるものばかりだったからだ。
「同一人物…だったのか…!」
「うん。ていうか全部俺だよ!殺す前に自慢しときたくてさ。
満足したのでもういいです」
枯れ木のように成り果てたシントリを、ルシフェロは一息で踏み殺した。
「さて。エンキの野郎もそろそろ終わった頃だろ。
応援しに行ってやるか~!」
『…どうした。顔色が冴えぬな?勇者よ』
嘲る黒い巨獣の前に立つ、強靭な肉体の男。
その右腕は、二の腕から先が切断されていた。
「……」
〈つづく〉