「くっ!……っあぶねえ」
すぐ目の前を巨大なヒヒの腕が通り過ぎる。もう少し後ろに下がるのが遅ければ、直撃していただろう。俺はそのまま敵から距離を取る。ヒヒは俺を追いかけてこず、その場でこちらの様子をうかがっている。リィン達も引いているため、一時的な休憩タイムだ。とはいってもすぐに崩れ去るだろう。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。1つ1つの行動に集中して、着々と巨大なヒヒにダメージをあたえていく。それをずっと続けているため、すでにどれくらい戦っているかが分からなくなっている。俺の武器である《符》もすでに底が見え始めていた。
「こ、このままだとジリ貧だよ」
「そうね……《ARCUS》のエネルギーも尽きかけてるわ」
「我らの体力も限界が近いだろう」
「俺の符もあと5枚くらいだ」
これは本当に厳しい状況だ。敵もある程度は消耗しているだろうが、先に倒れるのはこちらであることは見ればわかる。勝つためにはこのまま戦っていてはだめだ。サラさんが言っていた通り、封印を開放するしかないようだ。
「テオ。少しの間、引き付けを頼めるか?次で決める」
「リィン?……判った」
封印を開放しようとしたとき、リィンに声をかけられる。リィンを見ると、真剣な顔で集中をし始めていた。なにやら緊張をしているようにも見えるが、勝つための一手を持っているようだった。ここまで粘ったんだ。俺が力を開放して勝利を一人でもらっていくより、A班で勝利をおさめたほうがいい。だから、俺はリィンの案にのることにした。
「リィン。あまり気負うなよ。失敗しても、また違う方法を探せばいい」
「!」
リィンのリアクションからしっかりと伝わったことがわかり、俺はその場を走り出した。符は使わない。リィンが失敗した時のために残しておく。それに敵は先ほどから執着に俺を狙ってきている。ならば、回避だけで引き付けはできるだろう。
「よっと」
敵が振り上げた手を振り下ろしてきたので、右にジャンプして避ける。それを確認した敵はそのまま右手をこちらに振り回してくる。今度は上にジャンプし振り回された敵の腕に手を当てて、回転をして着地をする。敵の腕を利用して、敵の右腕を飛び越えたのだ。もちろん敵も暇にしている左手で攻撃を試みるが、近づいてきていたラウラの攻撃により動きが阻害されてしまう。
「ナイス、ラウラ!」
「そなたも気を付けるがよい!」
「わかってるよ」
俺はそのまま敵の懐へもぐりこみ、敵の背後に飛び出る。ラウラもこちらに抜けてきたようだ。まあ、行動を阻害したラウラは狙われやすいので、こちらに来てもらったのは良い判断だ。これで敵がこちらを向けば、背後からリィンが一気に攻めることができるのだ。いくら巨大なヒヒだといっても、思考は単純なようだ。俺たちを見つけて、こちらに向かってくる。
その時、視界に刀を構え集中しているリィンの姿が見えた。そのリィンが持っている刀が少しずつ赤い炎を纏っていることも見て取れる。リィンはそれを振るうためにかけだすと敵も気付いたようだが、遅かった。敵が防御の体勢を取る前にリィンの炎を纏った刀で三連撃が放たれる。最後の一撃でリィンはこちら側に抜けてきて、刀に纏っていた炎は敵を焼き尽くそうとしていた。炎がおさまってくると、今の攻撃がどれだけの威力があったのかうかがえる。あれでは敵もこれ以上の戦闘は無理だろう。
「焔の太刀」
リィンがそうつぶやくころには、敵は退散していた。俺たちはなんとか敵を撃退したのであった。
「……もう大丈夫だな」
敵が見えなくなると、俺はその場に座り込んだ。《ARCUS》で確認すると10分ほど戦っていたようだ。もっと長い間戦っているように感じた。できればこのような戦闘は2度としたくない。
「リィン。今しがた見せたのは?」
「ああ……修行の賜物さ」
リィンが最後に見せた技は何だったのか。気になっていたのはラウラだけではない。俺も含めその場にいるものが皆気になっていた。今まで実戦で使えなかったようだが、つい先ほどコツを掴んだようだ。さすがはリィンと言ったところか。できればぶっつけ本番はやめてほしかったが。
「この勝利ーー俺たちA班全員の“成果”だ」
(“全員”……か。悪くない)
今まで1人で活動をすることの多かった俺には新鮮に思えた。全員で何かを成し遂げたときの一体感。昔に感じられなかったこの感覚は思っていた以上に心地よかった。今は学院へ入学させてくれたサラさんに感謝すべきかもしれない。
その時、笛の音があたりに響き渡った。
「っち。最悪だな」
笛の鳴らした方向には《領邦軍》の数名がいた。俺たちが動いていることに気付いて、追いかけてきたのだろう。
「手をあげろ!」
《領邦軍》が警告したのは俺たちA班。どうやら俺たちの邪魔するつもりらしい。結局、《領邦軍》も黒だったわけだ。こんな犯罪に手を貸す軍なんて、存在自体に意味ないだろうが。
「俺たちを迷わずに囲むってことは証拠があるんですか?領邦軍隊長殿」
「ふん。盗品がここにあり、その現場にお前たちがいる。ならば疑うのは当然であろう?」
「……そこまで我らを愚弄するか」
「本気でそんなことがまかり通るとでも?」
俺がした質問に領邦軍の隊長はすぐに答える。その答え返しはもっともだが、士官学院の制服を着ている者を一番最初に囲む理由にはなっていない。どちらかというと“味方”と判断するのが普通だ。さすが犯罪者の肩を持つだけはある。
隊長の答えに反応を示したのはラウラとリィンだった。だが、《領邦軍》はそんなこと気にしない。こいつらは事実を捻じ曲げることを普通にする。本当に性質の悪い連中だ。
その時、この付近にこちらへ近づいてくる集団の気配を感じた。その中の1人の気配は知っているもので、彼女ならばこの場を任せても大丈夫だろう。ならば、俺のすることが決まった。
「弁えろと言っている。ここは侯爵家が治めるクロイーー」
「さてさて、弁えるのはどっちだか。おっとすみません。話の途中で遮ってしまって。続きをどうぞ~」
「……貴様ぁ」
話を遮って言い返したことに腹を立てたのか、今にも捕まえろという指示を出しそうだった。ちょっとやりすぎたかもしれない。でも、俺の溜まりに溜まったストレスは発散しておきたい。彼女が来てしまってはそれもできないのだから。
「だから謝ったじゃないですか。それに話の続きを聞きたいのですが?それとも何話していたのか忘れました?」
「お、おい。テオ。さすがにそれ以上は……」
リィンが止めに入る。といっても、俺はただ聞きたいと主張しているだけなのだが。まあ、少し毒を含んでいるが。
「貴様、私を愚弄する気か」
「いやいや。そんなつもりはありませんって。続きを聞きたいだけですし。忘れてなければ話せますよね?ね?」
「……」
いやぁ、イラついてるね。まあ、俺の感じている苛立ちよりははるかに軽いだろうが。まあ、一時期俺も領邦軍と同じようなことをしていたので、こんなことする権利はないのだが。
さて、もうタイムリミットのようだな。
「もういい。連行するぞ」
「ーーその必要はありません」
視線の先からやってくるのは《鉄道憲兵隊》。帝国正規軍の中でも最精鋭ともいわれる集団だ。声を発したのはその中の水色の髪をした女性。クレア・リーヴェルト大尉だ。
クレア大尉の手腕でこの場は鉄道憲兵隊が処理を行うことになった。領邦軍は撤退を始め、俺たちは調書をつくるために同行を求められた。それ自体に問題はなく、リィン達も同意した。
「とりあえず、ケルディックまで戻りましょうか。そこで調書を取りましょう」
このままここにいるわけにもいかないので、俺たちは各々好きなように歩き始める。といっても、ある程度は固まって歩いている。公園のヌシは撃退させたとはいえ、魔獣はいるので警戒は怠れない。
「そういえば、テオは大市の事件の後からどこに行ってたんだ?」
「んー。どうせ調書の時に言うと思うから、その時で」
二度手間になるのは正直面倒だ。一度にまとめられるのならそうしたい。聞いてきたリィンも納得はしてくれたようだ。気になってはいるようだが。
「それより、あなたクレア大尉に何かしたの?さっきからずっとあなたのことを見てるけど」
「さぁ、さっぱりわからないんだよな」
「そう。でも、何か悪いことしたのなら謝っときなさい」
「わからないからどうしようもないよ。アリサ」
「それもそうね」
そう、先程からクレア大尉がじっと俺を見てくるのだ。アリサにはわからないと言ったが、実は視線の理由は判る。昔、彼女とはいろいろあったからなあ。警戒される理由もわかるし、立場上仕方がないだろう。だが、リィン達の前でその視線はやめてほしい。
「テオさん、少しいいですか?」
「……少し離れて話をしましょうか」
「ええ」
突然、クレア大尉がこちらに近づいてきて、話を持ち掛けてきた。彼女が聞きたいこともわかるので、リィン達の傍から離れるように促す。彼女も意図を察してくれたようで、互いにリィン達から少し離れたところを歩くようにする。リィン達は気になるようで、こちらに視線を送ってきている。それでも、会話の内容は聞き取れないだろう。
「それで?何か聞きたいことが?」
「あなたの家業についてです」
「家業?なんのことだかわからないですね」
「《幻》といった方がいいですか?」
「……」
やはり隠し通すのは無理らしい。まあ、もとより隠すつもりはない。俺たちが使う符は独特ですぐにばれるからだ。俺の親も自分の正体をばらしている。でも、それは依頼者と被害者、公共機関に限りだ。一般人には家業のことはほ広がっていても、素性ははあまり広がっていない。素性を知ったもの、広げようとしたものは殺される。そういった噂が流れているからだ。
依頼さえ受理されればなんでもしてくれる便利屋。簡単なものから暗殺まで、なんでもこなす。それが昔の俺で、《幻》と名乗っていた。俺たちの家はその仕事を家業としてやってきた。
「それで《幻》について聞きたいこととは?」
「あなたは何をするために士官学院へ入学したのですか?何の仕事ですか?」
「……仕事ならあなたに言うことはできませんよ。たとえプライベートでも」
「……」
やはりと言った顔になる。最初から聞き出せると思っていなかったのだろう。それでも諦めないようだ。すぐに表情を戻した。
「でしたら、今回の事件に関わったのは依頼があったからですか?」
「はぁ……何か勘違いしているようですね」
「勘違いですか?」
クレア大尉が勘違いする理由もわかる。昔の自分を知っている者にとって、今の自分はそれほどにまで意外なのだ。人間は変わろうと思えば変われるのだ。
「俺は何かの仕事を請け負って士官学院に入学したわけではありません。自分自身で決めて入学しました。今回の事件に関わったのは、解決する人がいなさそうだったから。リィン達と鉄道憲兵隊が動いていたのは予想外でしたが」
リィン達が動くなら一緒に捜査をすればよかった。鉄道憲兵隊が動くなら、捜査すらする必要はなかった。結局、俺のしたことは無益だったようだ。
「本当に《幻》は、家業は辞めたんですね。意外でした」
「お前はまたこの世界に戻ってくる。なんて親父には言われましたが」
「ふふ、そうならないことを祈っておきますね」
そういって彼女は笑った。今日2度目の笑顔だった。1度目はリィン達に自己紹介するときに。これはリィン達を安心させる目的で。2度目は今の会話だ。これは目的もない、駆け引きもない笑いだった。
(この人も笑えるんだな……)
彼女の笑った顔を初めてみた俺はそんなことを思ってしまった。何度か彼女とは仕事で話したことはあったが、そこに笑う余地なんてなかった。敵同士として出会っていたのだから仕方ない気もするが。
「私の顔になにかついていますか?」
「い、いえ。何も」
どうやら長い間、見つめていたようだ。俺は急いで彼女から視線を外し、前を向く。すると、視線の先にはリィン達が微笑ましそうにこちらを見ていた。何か勘違いされていそうだ。誤解を解くのにどれくらいかかるだろうか。少しばかり骨が折れそうだ。でも、クレア大尉の笑顔を見た俺は別にいいかと思ってしまった。思っていたよりも俺は単純なのかもしれない。
(まあ、単純でもいいか)
俺はケルディックに戻るまでクレア大尉と楽しく話し合っていたのであった。
当初の予定よりかなり早く明かされたテオの過去。そして、クレアとテオの仲が思っていたより良くなった。なんか、その場のノリって怖いですね。
さて、零、碧の軌跡をプレイしたことのある人はわかるでしょうが、テオのイメージとしては帝国版《銀》です。まあ、《銀》とは少し違うのですが。
さて、今回で思ったことがあります。一回の投稿が短いでしょうか。個人的にはベストなんで、これからもこれぐらいの量で登校する予定なのですが。短いと思う方には申し訳ないです。
次回で一章を終わる予定です。たぶん。メイビー。下手したら今回で終わってるかも……。個人的には三章以降まで早くいきたい。というかやりたいことを早く書き終えたい。今は我慢ですね。一章特別実習リア視点、もとい今後のもう片方の特別実習については……要望があって、やれることがあればやりたいと思います。活動報告にアンケートをつくります。そちらへのこコメントやメッセージに要望があるまで一切考えないと思います。特別な場合を除きますが。すみません。
最後で申し訳ないですが、読んでくださっている方ありがとうございます。それではまた次回。