小学校に入学して数カ月経ち、夏の訪れを間近に控えたこの日。
昼休みということに加えて、この後に行われる”あるイベント”のせいで教室内はいつも以上に騒々しい。
松下加奈子は、居心地が悪そうに窺うように周囲を観察する。
……はぁ、皆して何が楽しいんだか。
…………早く放課後にならないかな。
騒々しい理由は、今日これからこの学校の1年生は授業参観が実施される為。
後10分もすれば授業が始まるという事もあり、生徒の親が教室の後ろに続々とやって来ていた。
ある生徒は自分の親と楽しそうに会話し、ある生徒達はお互いの親について話し合い、緊張するね、なんてこれまた楽しそうに話し合っている。
しかし、そんな楽しい雰囲気に包まれた教室内で加奈子の周囲は隔絶されたように静かな空気が満ちていた。そしてそんな加奈子に生徒達も近づかず避けていた。
加奈子を見た時まず目に入るのは金色の髪。腰に届くほど長いそれを無造作にゴムで束ねていた。
加奈子はクオーターであり、髪色については正真正銘の地毛で決して加奈子が髪色を染めているわけでは無い。
しかし瞳の色は日本人特有の黒目ということもあり、周囲は加奈子の髪色が地毛とは思っておらず、加奈子自身が染めているのだと思っている。
そのような状況になっている最たる理由は、加奈子自身が周りにそう説明していないからである。……そう、
松下加奈子はコミュ障だった。
口下手で人見知りな少女は人と話すことが苦手だった。
そしてその容姿も原因だった。整った顔立ちであるものの、やや吊り目であることから目つきが鋭いのだ。以上のことから周囲から加奈子は不良だと思われてしまい、誰も近づかなくなったのだ。
入学当初こそ、周囲と打ち解けようと努力していた加奈子であったが、コミュ障とその容姿のせいでクラスメイトと打ち解けなかったのだ。
孤立した加奈子は時間の経過と共に性格までずるずると暗いものになっていった。
そして今日の授業参観。
加奈子の父親は医者であり母親は外資系企業で働いている。激務ゆえに加奈子が起きている時間には滅多に家にいない。今日の授業参観のことを伝えれば無理にでも予定を合わせてくれたかもしれないが、少し前に久しぶりに会えた時にこれからさらに忙しくなると聞いたばかりで今日の事を伝えるのが憚れた。結局加奈子は今日のことは両親に伝えないことを選んでしまった。
……パパ、ママ。
親と会えないことには慣れているとはいえ、所詮は小学一年生。加えて周囲に幸せいっぱいの同級生がいるとどうしても寂しい気持ちが膨れ上がってしまう。
加奈子が孤独に押しつぶされそうになっている時だった。
ある生徒と目が合ってしまう。
その生徒は驚いたようにこちらを見つめる。
加奈子は慌てて視線を逸らす。
……よりによって”あいつ”と目が合うなんて。
加奈子が心の中で毒づく。
目が合ったのは、立川かいと。
ここ最近クラスの中心人物になりつつある生徒。
入学当初は自分と同じ暗い生徒であり親近感を覚えていたが、ある時を皮切りに男女問わず誰にでも明るく優しく振る舞うようになりたちまちクラスに溶け込んでいったのだ。
さらに別クラスの立川舞香という学年一可愛く勉強も運動もできる完璧な双子の妹もいるという。
自分とは住む世界が違う立花かいとに対して加奈子はよく思っていなかった。
あいつもきっと今日の授業参観も楽しみにしてるんだろうな。
そんなことを思っていた時、ふと加奈子の中に疑問が生まれる。
……あれ? でも今日のあいつ、珍しく一人で静かだったような気が。
それになんだか、本当に気のせいだと思うけど、
寂しそうにしていたような……?
そんな疑問を解消するべく加奈子が恐る恐る視線を再度かいとに向ける。
「松下さん、ちょっといいかな?」
目の前に満面の笑みを浮かべた立川かいとがいた。
それもまあまあな至近距離で。
「ひゃあっ!?」
教室内に加奈子の悲鳴が響く。クラスメイト達は何事かと加奈子の方に視線を移すと、悲鳴の発生源が加奈子だと分かるとすぐに皆視線を逸らす。
目立つことに耐性の無い加奈子は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして伏せる。
「ご、ごめんね! 驚かすつもりはなかったんだ!」
そこに慌てたようにかいとの謝罪が加奈子の耳に届く。
ゆっくりと加奈子が顔を上げると、そこには加奈子の想像以上にパニックになりながら、「ほ、本当にごめん!」と謝り倒すかいとがいた。
そのあまりに切迫した様子に加奈子は思わず「い、いいよもう……」と消え入りそうな小さな声でそう答えた。
かいとが慌てることでこれ以上注目されることを嫌っての加奈子の言葉だったが、かいとはその顔に再び笑顔を取り戻す。
「本当!? ありがとう、松下さんは優しいね!」
かいとから流れた言葉に加奈子は一瞬、思考が停止する。
……優しい? ……私が?
他人から煙たがられることはあれど、こんな風にプラスの言葉を言われたことは無い。しかし加奈子はすぐに納得する。
……ううん、どうせ皆に言っているんだよね。
最近、寂しさを紛らわす為に見たドラマにこんなシーンがあった。そのドラマに出ていた男の人は色々な女の人に甘い言葉を無差別に囁き女性は男の人に夢中になるシーンがあった。
今の加奈子にはそのドラマを理解するのは難しかったが、そのシーンについてはあり得ないだろうと卑屈な加奈子は馬鹿にしていた。そんなことで騙される馬鹿な人はいないだろうと。
そんなことを思いだしながら加奈子は「……そう」と肯定でも否定でも無い言葉を小さな声でぶっきらぼうに呟く。
「うん!」
加奈子は驚く。
こちらが素っ気ない態度をとっているというのに目の前の男の子は、気にした風も無く、寧ろ嬉しそうににこにこと笑顔を浮かべながらこちらを見つめていた。まるでこうして私と会話することが楽しくて仕方がないというように。
「今まで松下さんと喋った事無かったよね? 僕一度喋ってみたいと思ってたんだ! よかったら僕とお喋りしてくれないかな?」
そして極めつけのこの言葉。これには加奈子も驚愕せざるを得なかった。
先ほどのように嘘だ、と思ったがかいとの顔を見て息を吞む。
かいとは穢れを知らない子犬のようなきらきらした目で加奈子の方を見ていたのだから。これまで自分に向けられてきた、恐怖や侮蔑といった感情が一切混じっていない純粋な好奇心と期待に満ちた目。本当に自分とお喋りしたいと心から思っている目。
「う、うん……」
思わずそう答えてしまう加奈子。
しかしそれが加奈子にとっての苦難の始まりだった。
親以外とまともに喋ったことが無い加奈子。そんな加奈子がかいととまともに喋れるわけが無かった。
緊張でガチガチになった加奈子は、かいとの簡単な質問にも、「え、えっと……」「そ、それはあの……」などとうまく答えることができなかった。
これまでもそんな加奈子の受け答えに他の人達は加奈子から離れていった。
……うぅ、早く授業始まらないかな。
最初こそそう思っていた加奈子。
しかし、徐々にその考えも変わっていく。
どれだけ加奈子が答えに躓こうとも。どれだけ答えるのに時間がかかろうとも。どれだけ的外れな回答としても、立川かいとは終始楽しそうに笑ってくれた。
本当に加奈子と会話をすることが楽しくて仕方がないというように。
徐々に緊張がほぐれていった加奈子は自分でも驚くほどの喋れるようになっていく。そして加奈子はいつの間にかかいととの会話を楽しいと感じていた。
会話の内容は本当に他愛の無い事だった。
どんな食べ物が好きなのか、最近見たテレビは何か、好きな教科は? など。
心が躍り、もっと喋りたい、この僅かな時間に加奈子はそう思っていた。
しかし、その時だった。
無情にもリミットが来てしまった。
周囲がもう授業が始まる為、ざわざわし始めたのだ。
……え、嘘。もうそんな時間!?
驚愕しながら加奈子が壁に掛けられた時計を見ると確かにもう間もなく授業の開始時間になろうとしていた。これまで学校では時間が進むのが遅いと感じたことはあっても早いと思ったことは無かった。
「わっ!? もうこんな時間? 楽しくて時間が経つのを忘れていたよ! じゃあまたね」
かいとは慌てたようにそう言うと最後に笑顔を浮かべて自分の席に戻っていこうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
しかし、加奈子は思わずかいとを止める。
「え、どうしたの?」
きょとんとした表情を浮かべこちらを見つめるかいと。
そんなかいとに加奈子は緊張しながら問う。
「た、立川君は私が怖くないの?」
震える口調での質問。
答えを聞くのが怖い。
しかし、どうしても聞かずにはいられなかった。
「え、どうして? 全然怖くないよ」
不安で押しつぶされそうになっている加奈子に対し、間を置かずしてかいとはそう答える。あまりにもあっさりとした答えに加奈子すらも呆気にとられる。
「……え、あ、でも、私不良とか言われてて……」
「不良なの?」
「……え、ち、違うけど」
「そうだよね! 松下さんは話していても凄く楽しいし、優しい人なんだなって思ったよ! ……ってもう本当にまずいや、じゃあまたね!」
授業開始のチャイムが鳴り響き慌てたかいとは、そう言いながらも最後には笑顔を浮かべて自分の席に戻っていった。
その後も加奈子は夢心地だった。
授業参観に親が来ない寂しさなんてどこかにいっていた。
初めての感覚だった。
今も心臓がドクンドクンッと高鳴っている。
ほんの十数分と言う時間。それでも学校で初めて楽しいと思える時間だった。
授業に集中などできるわけも無く、三つ離れた横の席にいるかいとのことを自然と視線で追っていた。
授業中のかいとはさきほどまでの笑顔はなく、代わりに授業を真面目に受けていた。そのきりっとした表情がギャップを産み、加奈子の頬を染める。
しかし、一点疑問が残る。
……どうしてあの時、かいと君は寂しそうだったんだろう?
あの日から一週間ほどが経った。
私の毎日の学校生活は大きく変わった。
灰色だった世界が色を持ったようだった。
楽しい、そうはっきり言えるようになった。
その理由は、勿論、かいと君の存在だった。
人気者のかいと君はいつもクラスメイトに囲まれていたが、それでもかいと君は私と一緒にいる時間を必ず作ってくれた。
かいと君はどんな時でも私に優しくしてくれた。
パパやママ以外に私にこれほど優しくしれくれる人と出会ったのは初めてだった。優しいかいと君は密かに私が不良で無い事をクラスメイトに広めようとまでしてくれた。
しかし、それは私が断った。
かいと君は不思議そうにしていたが私がお願いし続けると笑顔でこれを了承してくれた。
だって不良だと思ってくれた方が……
私がかいと君と話をしている時に皆怖がって近づいてこないもの。
私だけがかいと君を独り占めにできる。
見た目で人を判断するような人たちからどんな風に思われていようとどうでもいい。
……たった一人邪魔な人はいるけど。
その日の放課後。
加奈子が下校の準備をしていると、クラスメイトの女子生徒二人がすぐ近くで気になる会話をしていた。
「……ねえねえ、先週の授業参観なんだけど。その時、かいと君のお母さんが舞香ちゃんの方の授業には行ったけどこっちには来なかったんだって」
「あ、そう言えばかいと君のお母さんいなかったね。でもどうして?」
「分かんない」
「……そうなんだ、かいと君可哀想」
「……ね」
「でもかいと君、いつも明るいし、楽しそうだからいいんじゃない?」
「そうだよね、かいと君だもんね! きっと大丈夫だよね!」
……立川君の親がこっちには来なかった?
どうして?
かいとの方を見つめる加奈子。
そこにはクラスメイトと楽しそうに話をしているかいとがいた。
……きっと何か理由があったんだよね。
そう考えるもその考えはこちらに来た三人目の女子生徒からの発言によって打ち崩される。
「かいと君の親は舞香ちゃんにだけ構ってかいと君のことは見捨ててるって聞いたことあるよ」
――がたっ!
突然の音にびくんっと驚く三人。
そして音を立てたのが加奈子と分かると三人とも顔を青ざめさせる。
「……ねえ、今のどいうこと? 本当のことなの? 立川君の親が立川君のことを見捨てているって」
普段人と関わるのが苦手な加奈子だったがそれどころでは無かった。
元々顔が怖い為避けられていた加奈子。その加奈子が険しい表情を浮かべ明らかな怒りを見せるとどうなってしまうか。
当然、三人の女子生徒は怖がってしまい、恐怖のあまり震え出している。
しかし加奈子はそんな三人にお構いなく早く答えろとばかりに返事を催促するように無言で三人を見つめる。
親と中々会えない寂しさを知っている加奈子が、かいとの境遇を知って黙っていられるわけが無かった。
「……う、うん。でも私も噂でそう聞いただけだから……」
「誰から?」
「……わ、忘れちゃった」
「……そう、教えてくれてありがとう」
そう言って加奈子は考え込む。既に半泣きになっていた三人の女子生徒はそのまま逃げるように教室から出て行ってしまう。
その時、ふとかいとの方を見るとちょうどクラスメイトとの会話が終わり、解散しているところだった。
そんなクラスメイト達をかいとは笑顔を浮かべて送り出している。いつものように”あいつ”を待つのだろう。
……かいと君みたいに優しい子が親から見放される?
どうして……?
でも、もし本当なら……。
その時、一週間前に寂しそうにしていたかいとの姿が加奈子の脳裏によぎる。
全てがつながった。
――ドクンッ。
加奈子の心臓が一際大きく跳ね上がる。
それは言いようのない怒りによって。
その怒りに身を任せるように加奈子はかいとの元へと早足で向かって行く。
「あの、立川君!」
思ったより大きな声が出てしまい、かいとは「え!?」と驚きながら加奈子の方を見つめる。そして、怒りで顔を真っ赤にした加奈子はまとまらない頭を働かせ、その結果。
「あ、あの! 今から私の家に来ないっ? 一緒にお喋りしたりしない?」
加奈子の突然のお誘いに、かいとは一瞬ぽかんとした表情を浮かべるも。
「えっ! いいの!? 行くっ! 行きたいっ!!」
と、今日一の笑顔を見せてそう答えてくれた。