キャサリン・ロザフォードの朝は早い。
朝日がログレスの街を照らす前。キャサリンはしょぼしょぼとした目を擦ると、断腸の思いで愛用の枕から後頭部を引き剥がし、もそもそと寝台から這い出した。
かくり、かくりと不規則に頭を揺らしながら、昨晩用意しておいた水がめの水で顔を洗い、質素な服に袖を通して身支度を整える。目が開かないまま自室の隅に設えた簡素な祭壇を掃除すると、跪いて手を組み、神に祈りを捧げた。
……今日は、5分程意識が飛んだ。
ふるふると頭を振って身体を起こすと、キャサリンは竹箒を手に自室を出た。彼女の部屋は玄関に近い。素朴だがよく磨かれた樫の扉を押して外に出ると、まだ日が当たってない所為で冷たい風が彼女の頬を撫でた。
「~っ。……よしっ」
小さく身震いして息を吐くと、頬を軽く叩いて眠気を追い出す。玄関の掃除に薪割、鍛錬に朝食の用意と、朝の内に終えておきたい仕事はまだまだ残っているのだ。ぼんやりしてはいられない。
キャサリンは気合を入れ直すと、玄関と、そこから通りまでの短い通路の掃き掃除を始めた。
◇◆◇ ◇◆◇
「ふぅ……」
朝の日課を終えたキャサリンは、庭の隅にある古ぼけたテーブルセットに座り、顔を出したばかりの太陽の光を浴びる騎兵通りを眺めながら、のんびりと一人で朝食前のお茶を楽しんでいた。2回、抽出と乾燥を繰り返した出涸らしであるそれは、最早ただの白湯のような見た目だが、ほんのりと味だけはしていて、彼女はそれで十分満足している。
今日も忙しない朝だったが、最早慣れたものだ。朝の日課を終えた後の
彼女がこうして毎朝忙しくしている理由。それは、彼女がこの家の本当の娘ではないからだ。
彼女は元々、下級兵士の一人娘であった。だが、ある戦いで兵卒として参加した父は、とある騎士を庇って半身不随となった。
命こそ助かったが、戦うどころか満足な生活も送れなくなってしまった彼の雀の涙程の傷痍年金では、妻の稼ぎを合わせたとしても、娘を養うことなど到底不可能。そこに手を差し伸べたのが、庇われた騎士──つまり義父だったのである。
もちろん、今の家族と仲が悪いということも、ましてや虐げられているということも決してない。むしろ義両親や義兄との仲はとても良好だとキャサリンは思っている。半端に爵位のある所為で余裕がないにも関わらず、実の娘の様に育ててもらったことには感謝しかない。
時折本当の両親を訪ねることもある。生活は苦しいだろうに、それでも両親はいつも彼女を温かく迎えてくれる。
だからこそ受けた恩と愛情に、報いたいと彼女は思う。そのために彼女は僧侶となったし、朝の日課を出来る限りこなすようになった。今はそれに加えて、冒険者としての一歩を歩み出している。
「不器用で頭の悪い私には、こんなことくらいしかできませんし……」
はぁ、とカップに溜め息を落とす。先日の冒険で得たお金は、結局自分が持ったままだ。壊れた装備を直したり、武器を買い替えたりしたら大した額が残らなかったのだ。
残った分だけでも、と思ったのだが、義父は頭を撫でてくれるだけで受け取ってはくれなかった。父は気怠そうな口振りで受け取りを拒否すると、逆に昔愛用していたカイトシールドを押し付けてきた。
どうやら彼女が思っていた以上に、恩返しは難しいらしい。しかし他に方法が思いつかない以上、恩を返すためにも、もっと冒険に出て、沢山稼いでこないと……と思うのだが。
「……アルミナさんだったら、もっと色々なことを思いつくんでしょうか」
脳裏に、ギルドマスターの深い青の瞳を思い出す。意志の強さがそのまま輝きになったような、
「──私がどうかしたかしら?」
「うひゃぅわっ!?」
「危なっ!」
驚いてひっくり返ったキャサリンが放り出してしまったカップを、咄嗟に跳び退って回避するアルミナ。
「ふう、危うく落ちて割れる所でしたよ? 気を付けてくださいね?」
カップを空中でキャッチしてくれたらしいノーラがテーブルの上に戻してくれる。
「あ、あれ? お二人とも? どうしてここに……合流はお昼の筈では?」
椅子を立て直しながら問うキャサリンに、アルミナは不敵な笑みを返す。
「ノーラが面白そうな噂を拾ってきたの。善は急げ。早速情報収集に行くわよ」
すっ、と気負いなく差し出されたアルミナの手。その真っすぐで、自身に溢れ、どこまでも自分を引っ張っていってくれるような面差しに、キャサリンは先ほどまで感じていた悩みが晴れるのを感じた。
──この人についていこう。全力でこの人たちを支えよう。そしたら、きっと、上手くいく。
根拠は無い。無いが、アルミナの強い瞳を見ていたら、自然とそう信じられた。
気持ちの定まったキャサリンは、リーダーの手を躊躇なく取る。
「分かりました! 行きましょう!」
「その意気よ」
勢い込んで頷いたキャサリンの手をしっかりと握り返し、アルミナは強く頷き返す。だからキャサリンは、応じる様に、全力で動く為に必要な行動を自ら宣言した。
「ではまず、朝食をいただいてきますね!」
「朝食!? このままついてくる流れじゃないの!? 何で私の手を握ったのよ!?」
「え、あ、その……つい……」
しどろもどろになるキャサリンを、いいから早く食べてきなさい、と押しやりながらむくれた様子で椅子を強奪するアルミナ。その様子を見ていたノーラの漏らす忍び笑いが、人の出始めた騎兵通りに染みていった。