注意事項自体は読まなくても結構です。
女性に連れられた三人は村の外れ、森の入り口に立つ家へ向かった。多少大きさのあるそれは独身の狩人とその見習いが生活するとのことで、横には革の鞣し作業でも行うのか、小さな作業小屋が併設されている。
三人が着くと、丁度戸口から一人の少女が出てくる所だった。歳の頃はノーラの半分くらいだろうか。黒い髪に何処か大人しい印象を与える顔立ちをしている。来訪者に気付いていないのか、後ろ手に戸を閉めた彼女は、両手で重そうに持ち直した桶に視線を落として俯いていた。
「ネル、シンディの容態は?」
少女は女性の声にはたと顔を上げた。ネルという名前らしい。
「マリーおばちゃ……!?」
顔を上げた彼女は見知った顔と一緒にいた知らない顔──というかアイビス──を視界に入れ、その青い目を見開くと持っていた桶を取り落とした。ばしゃりと桶が落ち、中に入っていた水と血で汚れた包帯をぶち撒ける。落ち込んでいた所に突然自分の倍位の身長がある無愛想な知らない大男*1が現れればそうもなろうというものだ。それが武器を持って自分を見下ろしていれば尚更である。震え始めていた膝が崩れ掛けたのを察知したノーラが飛び出し、素早く抱き留めた。
「危ないですね?」
「……以前より、子供から避けられている気はしていたが……俺の容姿はそれ程恐ろしいものだろうか?」
「えっと……」
ノーラに介抱される少女を見てそう呟くアイビスに、キャサリンは返答に窮して曖昧な笑みを浮かべた。肯定以外ではあり得ない態度に、そうか……、とアイビスは僅かに肩を落とす。その様を見たノーラが左手で口元を隠しながらうぷぷと
「アイビスさんは案外繊細なんですね? そんなことを気にするなんて、全く似合いませんよ?」
「余程奇特な者でもない限り、好き好んで子供に恐れられたがる者はおらんだろうに」
「
「確かにそうかも知れんが。しかしだな……」
下らない言い合いを始めた二人を置いてキャサリンは少女に近づくと、少し屈んで目線の高さを合わせ、安心させるように微笑んだ。
「アイビスさんは身体が大きくてあまり表情が動かないだけで、とても親切な人なんですよ」
ノーラに抱えられたままの彼女は、きょとん、とした顔でキャサリンの顔を見詰め、それから自分の頭上で口論を続ける二人に視線を移した。相手を煽りながら相手に侮られることの不利益を熱弁するノーラを相手に、マイペースに淡々と、行く先々で様々な種族の子供達に逃げられた時の気分の沈み様を語るアイビス。議論をしているようで全く噛み合っていないその不毛な言い争いを見ていると、何だか先程まで感じていた威圧感や恐怖が薄れていく気がした。
くすりと微笑った少女に、キャサリンは柔らかい笑みを浮かべたまま改めて声を掛ける。
「自己紹介がまだでしたね。私はキャサリン。冒険者をしています。シンディさんと言う方を治療しに来ました」
「お姉ちゃん、治るの!?」
「はい、治します」
目を輝かせる彼女に、キャサリンはその目を見詰めてしっかりと頷くと、ちらりと仲間の様子を盗み見た。気付けば少女から離れてアイビスを揶揄うノーラを見るに、まだ終わる気配は無さそうである。一瞬目が合ったアイビスが、微かに顎をしゃくったのが見えた。キャサリンは少女に目を戻してその頭を軽く撫でる。
「それでは、シンディさんの所に案内してくれますか?」
◇◆◇ ◇◆◇
「──そろそろ入っても構わないだろうか」
「はい、もう大丈夫ですよ」
キャサリンの返事を受けて、アイビスは戸口を開けて家の中に足を踏み入れた。途端、僅かに籠る血と膿の臭気が鼻に付く。換気が不十分なのだろう。六畳間程度のこの板の間は狩人達が共同で使うスペースだと聞いており、大したものは置かれていない。今はその中央に敷物が敷かれており、一人の女性が身体を起こしていた。淡い色の長い髪を頸で一つにした浅黒い肌のその女性は、落ち着いた顔で入って来たアイビスを見上げている。釣り目がちで気の強そうな顔の美人だったが、その濡れたヘイゼルの瞳の下は赤く腫れているように見えた。
「治療は、上手くいったのか?」
アイビスはそのことには触れずに視線を外すと、敷物の横に座ってMPポーションを飲むキャサリンに問い掛ける。実の所、アイビスが女性の姿をまともに見たのは今が初めてだった。最初に家に入ったキャサリンが、治療で服を脱がせるからとアイビスの入室を禁じたのである。故に、彼女の傷の具合もよく分からなかったのだが、この部屋に残る臭気と敷物に染み付いた血の痕から、凡そのことは察せられた。そこから考えると、右腕を覆うように包帯を巻いてはいるものの、他は目立つ外傷もなく洗い晒しの服を着た彼女はすっかり良くなったように見える。
先程中から漏れ聞こえてきた騒ぎのことを考えれば、そんな筈もないのだが。
アイビスの予想通り、キャサリンは暗澹とした表情で飲みかけのポーション瓶から口を離した。
「……傷を負ってから時間が経ち過ぎました。《レイズ》*2で命の危機を脱することは出来ましたが……」
「何を言ってるんだ。こっちはもうダメかと諦めてたところだったんだぞ。それを、こうして救ってもらったんだ。アンタには感謝してるよ」
狩人の女性、シンディが俯いたキャサリンを励ますように言って苦笑する。すると、部屋の隅で退屈そうにナイフを弄っていたノーラが皮肉げに口を開いた。
「調子のいいことですね? 先程まで情け無く泣き喚いていた人と同一人物とは思えませんよ?」
「ノーラさん! そんな言い方!」
キャサリンが非難の声を上げる。ノーラは頬を膨らませてそっぽを向いた。彼女はキャサリンの手伝いとして中にいたのだ。先程も渦中にいて、思うことがあるのだろう。
「だって。キャサリンさんは、最善を尽くしたじゃないですか。あの大きな背中の傷も塞ぎました。その右腕だって、何とか普通に見える形に戻したじゃないですか。わたしは、斬り落とした方が早くて楽だと言ったのに」
納得のいかない顔で、ノーラはじとりとシンディを
「不具になったからなんだと言うんです? ましてや、貴女のそれはまだ多少は動くじゃないですか?」
「ノーラさん!」
キャサリンの声は半ば悲鳴に近いものだった。流石に我慢出来なくなったのか立ち上がろうとする彼女を、シンディが押し留める。
「良いんだ。その子の言うことももっともだと思う。私は恩人のアンタに酷いことを言ったんだ」
「そんなことは……」
「そんなことあるさ。確かに目が覚めたばかりで動転していたのはあるが……冷静になって自分の負ってた怪我を思い出したら理解出来た」
シンディは重力に引かれるままだらりとぶら下がった己の右腕に視線を遣る。
「私の怪我がどれだけ酷いもので、それを何とかするためにアンタが尽力してくれて……アンタが来てくれていなければ、この腕も、私の命すらも無かった。今生きて、こうして右腕が付いていること自体が奇跡なんだって……この手でアイツらの仇を討てないことが、悔しくてならないが、な」
そう言う彼女の腕が震え、小指が少しばかり動いた。恐らく握ろうとしたのだろうが、その手のひらは僅かに痙攣するばかりで彼女の思い通りにはなってくれない。口許を引き結んだシンディを見て、ノーラは鼻を鳴らした。
「ふん。そんなことを言う時点で、不満があると言っているようなものですよ?」
棘のあるノーラの言葉に、シンディははっ、と彼女を見た。ノーラが横目で向けてくる厳しい視線を受けて、シンディは微かに肩を落として再び右手を見やる。
「……そうだな。不満はあるし、全く納得出来ていない。だがそれは奴にぶつけるべき感情であって、私を治療してくれた神官様にぶつけていいものじゃない。なかったんだ」
そう自分に言い聞かせるような声で応えたシンディは、多少ぎこちなさが垣間見えるものの、はっきりとした笑みを浮かべてキャサリンを見た。
「だから神官様。どうかそんな暗い顔をしないで欲しい。私は、アンタが今出来る最大限のことをしてくれたと思っているし、そのことにとても感謝をしているんだ」
「シンディさん……」
「それでももし、アンタが負い目を感じると言うのなら……どうか、私とこの腕の代わりに、奴を討ち果たしてくれないだろうか」
シンディは、キャサリンの揺れる
「……分かりました。必ず」
「ありがとう」
小さく頷いたキャサリンにもう一度笑みを返して、シンディは改めて三人の冒険者を見回した。
「さて、すっかり待たせてしまったが、奴の話をしよう」
「あぁ。お願いしよう」
「ようやくですね? すっかり待ちくたびれましたよ?」
シンディの言葉に、アイビスとノーラが彼女の元に集まって腰を下ろす。ノーラは憎まれ口を叩きながらだったが。
「ダメですよノーラさん! そういうことを言っては!」
「はは、いいんだ。実際、大分アンタには骨を折って貰っただろうからなな」
苦笑いしたシンディはアイビスに目を向けた。
「兄さん、アンタも悪いな。態々外で私が落ち着くのを待っててくれたんだろう?」
「構わん。中々良い精神修行になった」
「そうか」
アイビスの返しにシンディは一瞬苦笑いを浮かべると、居住まいを正した。
「よし、何が訊きたい?」
「全てだ」
「アイビスさん? それだと結局、何から話していいか分からないと思いますよ?」
間髪入れずに答えたアイビスに、ノーラがしたり顔で待ったを掛ける。
「こう言う時は、訊きたいことにある程度優先順位を付けて、順番に訊く方がスムーズというものですよ?」
「……そうだな」
当たり前のことでふふん、と胸を張るノーラに言い返す時間の無駄を感じたアイビスは、素直に頷いてシンディの方を向いた。
「まず確認だが、奴の姿は見たのか?」
「見た」
シンディは真剣な顔で頷きを返す。
「奴は、四つ脚の獣だった。全身真っ黒い毛で覆われていて、目の周りだけが血のように紅かった」
「大きさは?」
「あくまで目測だが、体高で二m。体長は尻尾まで合わせれば六mはあるんじゃないか」
「そ、そんなに大きいんですか?」
予想を超える魔獣の大きさに、キャサリンが目を見開く。一方でノーラは首を傾げた。
「そんなに大きな生き物なのに、襲われるまで誰も気付かなかったんですか?」
「奴は全く音を立てないんだ。気付いた時には後ろにいて、一足跳びに爪で襲い掛かってくる」
「猫みたいですね?」
「猫か……言われてみれば確かにそんな雰囲気はあったな」
魔物の姿を思い出そうとしているのか、シンディは左手で喉元を撫でながら視線を上向かせた。
「姿から似た獣は分からないか?」
「いや……奴は全身から黒い
「靄……それは、吸い込むと危ない的な?」
「分からない。少なくとも吸ってすぐどうこうなる、ということは無さそうだが……吸い込まないに越したことはないだろうな」
「だったらなんとかなりますかね?」
ノーラが口元を取り出したフェイスベールで覆う。
「そんな薄い布で何とかなるわけがなかろうに……というか、そんなものを持っていたのか?」
「ミステリアスさは淑女の嗜みですね?」
「……対策は考えるとして、だ。次に、奴の脅威となる点について教えてくれ。お前の主観でいい」
意味が分からんとばかりに首を振ったアイビスは、ノーラを捨て置いて話を進めた。心得たシンディも頷いて答える。
「奴の奇襲能力と攻撃力は脅威だが……一番は何と言っても瞬発力だと思う」
「瞬発力ですか……」
動きの鈍い自覚のあるキャサリンが眉尻を下げた。
「ああ。デカいから余計にそう感じたかも知れないが、相対していると、突然目の前から消えるんだ」
「消える?」
「多分、横に跳んだんだと思うが……速すぎて目が付いていかないんだ。咄嗟に前に身を投げたんだが、背負ってた矢筒を持っていかれてしまったよ。そういう意味では、飛び掛かるから低い位置への攻撃は苦手かも知れないな」
「それは、厄介ですね?」
「だが、今聞けて良かった」
攻撃に対しては回避に重きを置くノーラとアイビスは互いに頷きを交わした。これを知っているのと知らないのとでは対処に大きな違いが出る。
「その、攻撃力の方は?」
一方で、回避を望むべくもない、下手をすると盾を向けることも出来ないかもしれないキャサリンが恐々と訊いた。それに、シンディはゆるゆると首を横に振る。
「少なくとも、私達が使うような皮鎧だと無いも同然だったな。神官様みたいな金属鎧だと分からないが……多分、気休めくらいじゃないか」
「そうですか……」
キャサリンはへにょ、と眉尻を落としたまま視線を下げる。
「キャサリン、お前はあまり前に出ない方がいいだろう。回復魔法が使えるお前は俺達の生命線になる」
「……いえ」
様子を見て声を掛けたアイビスの言葉に、キャサリンは覚悟を決め直したように拳を握り締めて前を向いた。
「きっとそうしたら、私は無意識に気が緩むと思うんです。話を聞く限り、今回の相手はどこにいても危険度は変わらないと思います。だったら、一緒に前に出た方が集中できると思うんです」
「……そうか。お前がその方がいいというなら、それがいいのだろうな」
「はい。気にしていただいてありがとうございます」
軽く頭を下げたキャサリンに同じく軽く手を振って応えると、話を戻そう、と再びシンディに水を向ける。
「そういえば、村長が森にお前達が仕掛けた罠があると言っていたが。利用できそうなのか?」
「あぁ、罠か。あるにはあるぞ。しかし、私達も引っ掛けようとはしたんだが、あっさり奴に見破られてしまった。落とし穴だから効果自体はあると思うんだが」
「落とし穴か……何処にある?」
「地図はあるか?」
シンディはキャサリンが差し出した地図の番号を順に指差していく。二、六、九、十の四箇所だった。
「案外多いですね?」
「元々は大型の獲物を仕留める為のものなんだ。村人が森に出る時は私達がついて行っていたから問題なかったんだが……落とし穴の中には痺れ薬が撒いてある。効果が長続きするものじゃないが、落ちないように注意してくれ」
「あい分かった。他に利用出来そうなものはあるか?」
「他、か……そうだ、クルミと石の話は聞いているか?」
「これですかね?」
ノーラが取り出した爆裂クルミと閃光石を見て、それだ、と頷く。
「奴は普通、一度襲撃した後は、反撃を受ける前に去って行くんだが……これで目か耳を潰せば、効いている間は逃げ出さなくなった」
まぁ、暴れ出して手が付けられなくなるんだが、と頭を掻く。
「逃げなくなるなら有用でしょうかね?」
「暴れ方の程度にもよるだろうが……その辺りはどうなのだ?」
「そうだな……目を潰した場合は、正確な居場所が掴めなくなるみたいで、飛び跳ねながら闇雲に爪を振るっていたな。だが、奴は耳も良いんだろう。近づいたら即座に振り返って攻撃してきた。流石に目が見えないからか、何とか躱すことが出来たがな」
「では、耳を潰した場合は?」
「怒り狂った。普段の奴は何というか、慎重で狡猾な印象なんだが……あの時はそういうのを全部かなぐり捨てて全力で殴り掛かって来ているようだったよ。狙いは多少雑になったんだが、その分動きが更に速くなってな。私達は逃げるのに必死にならざるを得なかったよ……あの赫い瞳は、暫く夢に出るだろうな」
そう言ってシンディは身震いしてみせた。
「ふむ……では、両方潰した場合は、どうなる?」
「すまない。試そうとはしたんだが……何回か石を使った時に学習されてしまったんだと思う。石を投げた後にクルミを準備していたんだが……奴は石を投げた瞬間、目を瞑ったんだ」
「じゃあ、この石はもう効かないということですか?」
口をへの字に曲げたノーラが、不要とばかりに石を放り投げようとする。そこに待ったを掛けたのはキャサリンだった。
「待ってください。確かに学習してしまったかも知れないですが……クルミを受けて暴れている間ならどうでしょうか? 怒りで我を忘れているなら、そういう覚えたばかりのものには咄嗟に対処出来ないんじゃないでしょうか」
「たしかに?」
「それに、さっきの罠も……」
「冷静さを欠いていれば掛かるかも知らぬ、と。成る程、試してみても良さそうだな」
「そうですね? そうすると、時間差をつけて両方共使う方がいいでしょうし、いくつかは分散した方が良さそうですね?」
言いながら、ノーラは三つずつ持っていたクルミと石の内、クルミ二つをアイビスに、石一つをキャサリンに渡した。二人も異論は無いようで、それ等を受け取って取り出しやすい所へ仕舞い込む。
その後も魔獣の細かい行動についてアイビスが訊き、時折ノーラが疑問に思ったことや余計な茶々を入れるために口を挟んで、キャサリンがそれ等を元に対処を考える時間が続いた。ある程度話し終えた段階で、ノーラが思い出したように口を開く。
「そういえば、妖精さんについて、何か知っていますか?」
「妖精だと?」
シンディは意表を突かれた風な顔をした。
「この辺りに妖精はいないぞ」
「何でも、その妖精とやらの力が失われたことで、魔物が活性化した、という法螺話を耳にしたのだが……」
何でそんなことを訊く、とばかりに首を傾げるシンディに、アイビスはやれやれと頭を振った。
「本当に法螺話だったというわけか」
「私はずっと狩人としてこの森で生きてきたが、妖精は見たことがない」
「そうですか……」
「だが言われてみれば、確かに森の奥に古い祠があったな」
自分の記憶を辿るように中空を見上げた後、シンディは地図の一箇所を指差す。十一と書かれた、行き止まりになっているエリアだった。
「ここだ。長年放置されているのか、何を祀っていたのか全く分からない祠なんだが……」
そもそもそういうことには興味が無くてな、と頭を掻くシンディ。
「いや、構わん。こちらとしても噂半分も信じていないような話でしかない。多少怪しい場所がある、と分かっただけで充分だ」
「そうか。それならいいが……他に訊きたいことはあるか?」
「俺はないが」
アイビスの目線での問いに、二人は頷いて答える。アイビスも頷きを返すと立ち上がった。
「もういいのか?」
「ああ。後は実際に見て埋めることにしよう。情報提供、感謝する」
軽く頭を下げて踵を返したアイビスに、ノーラが続く。キャサリンは立ち上がった後、少し腰を落としてシンディの手を取った。
「お話、ありがとうございました。まだ体力も戻っていないでしょうに」
「私は必要なことをしているだけさ。礼は要らない。だから……」
「はい。必ず」
頷くキャサリンに、頼んだよ、とシンディは念を押す。それと同時に戸口を開く音がして、む、と戸口を開けたのだろうアイビスの声が漏れ聞こえてきた。
「──おはなし、終わった?」
キャサリンがそちらを振り返ると、そこには幼い少女がいた。先程ネル、と呼ばれていた少女である。治療が始まってから何処かへ行っていたのだが、戻ってきて話が終わるのを外で待っていたのだろう。彼女はアイビスの陰から中を覗き込むと、身体を起こしているシンディを認めてパッと笑顔を浮かべた。するりとアイビスの脇を抜けて中に入り込んでくる。
「シンディお姉ちゃん、元気になったんだね!」
「ネルか……どうやら心配を掛けたみたいだな」
そう応えるシンディは穏やかな笑みで応える。嬉しそうに頷いたネルはその笑顔をキャサリンに向けた。
「冒険者のお姉ちゃん、シンディお姉ちゃんを治してくれてありがとう!」
「それは……」
言葉を詰まらせたキャサリンの表情が翳る。ネルとはシンディを治す、と約束をしていたのに、彼女の身体には障害が残ってしまったのだ。約束を守れなかったと感じるキャサリンの心は忸怩たる思いで一杯だった。そんな沈む彼女の表情を隠そうとするように、シンディは左手でネルの頭を豪快に撫で回す。
「本調子にはまだ少し休まないといけないみたいだけどな」
「そうなの?」
「ああ。だが、そんなに時間は掛からないさ」
そう言いながら、シンディはキャサリンに片目を瞑ってみせた。そこに、この子には暗い表情を見せないでやって欲しい、との意図を察したキャサリンは無理矢理笑顔を作り直して頷く。一連のやり取りに気付かなかったネルは屈託なく笑った。
「そっか。早く良くなるといいね!」
「ああ、そうだな。……ん? ネル、その手に持っている花はなんだ?」
シンディがネルが手にしているものに気付いて首を傾げる。それは桃色の小さな花弁を持つ一輪の花だった。ネルはそうだった、とキャサリンに向けてそれを突き出しながら言う。
「あのね、あのね! このお花を持っていってほしいの!」
「ええと……この花は?」
「妖精さんが好きな花だよ!」
花を受け取ったキャサリンは、ネルの言葉に目を丸くする。
「妖精さん、ですか?」
「うん! 妖精さんは森を守ってくれるんだって。森のほこらに住んでるの!」
「……シンディ殿は、妖精などいない、と言っていたな?」
成り行きを見ていたアイビスが口を挟む。シンディも困惑するように首を振った。
「いや、私も初耳だ。ネル、お前はその妖精とやらを見たことがあるのか?」
「ううん。でも、ひいおばあちゃんがむかし言ってたの! 森のほこらには妖精さんがいて、悪いのが出ないように守ってくれているんだって」
「……あのオジサマの情報と合致しますね?」
「そうだな……娘よ。その方と話は出来るか?」
「そのかた? ひいおばあちゃんのこと?」
首を傾げるネルに、アイビスは頷く。しかしネルは少し不満そうに唇を尖らせると首を横に振った。
「ひいおばあちゃんは森から帰ってきてからずっとぶつぶつ何かを呟いてばっかりで、ぜんぜんお話してくれないの」
「森から? まさか……」
「……ネルの家は、最初に奴に襲われた家族なんだ」
顔を青くしたキャサリンの問いに、視線を落としたシンディが答える。村長の話では、その時森に出かけた家族は狩人の妻の祖母以外は全員亡くなり、その祖母も気が触れてしまったということだった。ネルはその狩人の娘ということなのだろう。まだ幼かったために森にはついて行かなかったのか。
一気に重くなった空気に気付かないまま、ネルは頬を膨らませる。
「お父さんとお母さんは森から帰ってこないし、おばさんたちとおばあちゃんはどこか遠いとこに出かけちゃったんだって。だから、ほこらに花をお供えして、妖精さんにお願いして欲しいの! みんなが早く帰ってきますようにって!」
そう両手を大きく広げながらそう願い出る幼子を、誰が無碍にできようか。
「……あい分かった。伝えよう」
「よろしくね!」
固い表情で請け負ったアイビスに、ネルは無邪気な笑顔を見せたのだった。
これから久しぶりにTRPGのシナリオ作成するので、次回投稿が少し開くかも知れません。申し訳ありませんがご了承ください。