「……はぁ」
立ち並ぶ木々で出来た超自然的な隘路を通り、十番に戻ってきたキャサリンは大きく肩を落とした。
「ネルさんに何て説明したらいいんでしょうか……」
「ありのままを伝えるしかあるまい」
彼女の後ろを歩いていたアイビスがぶっきらぼうにそう言う。まるで突き放すような言い方だったが、彼が不器用なだけなのはこれまでの短い冒険で理解できていた。
「元より叶わぬ願いなのだ。それが叶わぬからといって、お前が気に病む話ではなかろう」
「そうですよ?」
先行していたノーラが、
「あの子供はもう少し、現実というものを知った方がいいと思いますよ? これを機に、きっちりと教育するのが年長者の務めというものではないですか?」
「現実と言うが、何を教育するのだ?」
「もちろん、世の中には理不尽なこと、思い通りにならないことであふれている、ということですよ? ましてや、本人が人に頼むばかりでは尚更ですね?」
落とし穴を避けつつ、一理ある、と思ったのか、アイビスはふむ、と頷いた。
「であれば、お前がそう説いてやるのがよかろう」
「そういうのは
「……言っていることが違うではないか。人に頼むばかりでは思い通りにならんのだろう?」
「わたしは別に、あの子供が変わろうが変わるまいがどっちでもいいですし?」
だからわたしの言っていることは何も間違ってませんよ? とキャサリンに
「……だ、そうだが」
アイビスが僅かに呆れと同情の色が見える視線をキャサリンに投げると、彼女は毅然と顔を上げた。
「いえ、確かにしようのないことですし、誰かが伝えねばならないことでもあります。今回は私がその役を負うことにしましょう」
そう言ったキャサリンは、気が重いですけど、と表情を萎ませる。決断しようと気が進まないものは進まないということだろう。リーダー然とした顔は十数秒しか保たなかった。
「それにしても、腹立たしいのはあの妖精の態度ですね? キャサリンさんがあんなに困っているというのに、すげなくあしらうとは……血も涙もないとしか思えませんよ? ゴーレムの間違いじゃないですかね?」
「今まさに、お前がそのゴーレムのようなことをしているように見えるが」
「違いますよ? わたしはキャサリンさんならできると信じてお任せしているんですからね?」
「物は言いようだな」
緩く頭を振ったアイビスは、キャサリンに地図を出すように言った。彼女が懐から地図を取り出すのを見て、落とし穴を過ぎて少し調子づいたのかやや離れ気味になっていたノーラが戻ってくる。
「ここに来るまでに花はあったか?」
「確か、二番に小さな花が沢山生えていた筈です。よく見てはいませんでしたが、全部同じ品種だったと思います」
「ふむ……こうなると分かっていれば確保していたのだがな」
仕方あるまい、と零したアイビスは地図上を指でなぞる。
「八から七番に抜けた後、五番、四番、一番を通って村に戻るルートはどうだ」
「二番は通らないんですか?」
「そちらへ行っても一種類しかないからな。ならば、まだ訪れていない場所を回って花を探した方が良かろう。どうせもう一度ここには戻って来なければならんのだ。必要ならばその時に二番に寄れば良い」
分かりましたと頷いたキャサリンに代わり、ノーラが質問する。
「六番はどうします?」
「そちらは後回しでいいと思います。七番から四番までで全く収穫がなくて、余裕があったら確認する形で。まずは村まで戻ることを優先しましょう」
「分かりました。確かに、水浴びもしたいですしね?」
ノーラは先程の魔獣の一撃を受けた左脇腹を撫でながら頷いた。爪撃によって大きく裂かれた革鎧の下から覗く褐色の肌に傷は無いが、周辺はこびりついた血と砂埃で酷く汚れている。落とし穴に落ちた際に付いた落としきれない薬剤も、まだそこかしこに残っていた。妖精達は気にしていないようだったのでノーラも騒がなかったが、気持ち悪いものは気持ち悪い。
「では、行きましょう」
キャサリンが畳んだ地図を懐に仕舞うとそう号令を掛ける。方針の定まった三人は、再びノーラを先頭にして森の中を歩き始めたのだった……のだが。
◇◆◇ ◇◆◇
八番を通過した三人は、祠の場所程ではないものの、鬱蒼と茂った木々に囲まれた七番に到着した。二番同様日当たりのいい草地で、暗い周囲との対比でより明るく見える。
「花があるな」
先頭に立っていたアイビスが草地に点在して咲く二種類の花を目敏く見つけ、後ろを振り返った。
「ここで花を確保するとしよう。キャサリン、ノーラはどうだ?」
「治療の方は粗方終わりました」
ノーラの肩を支えていたキャサリンがそう答える。彼女達は八番で、まるで待ち構えていたかのように襲い掛かって来た獣の襲撃を受けたのだ。襲撃自体は直前に察知し、身構えて備えることこそできたものの、人の知覚を容易く振り切る速度で振るわれる一撃を回避するには足りない。再度標的になったノーラは致命傷こそ避けられたが、右の胸下から腰に掛けて一撃を受けてしまい重症。特に腰に深い傷を負いながらも反撃しようとしたノーラの短剣と、その回避に合わせて振るわれたアイビスの槍は、前回の経験からか軽々と魔獣に躱されてしまい、そのまま森へ消えていった魔獣への追撃を諦めた三人は、立てなくなったノーラを動けるようになるまで回復させた後、治療を継続しながら七番まで移動してきたのだった。
「ノーラ、動きに支障はあるか?」
「身体は問題ないですけどね?」
キャサリンに一言礼を言って離れたノーラは、右腰を手で抑えながら自分の格好を見せ付けるように薄い胸を張る。元々腹部から左脇腹付近に掛けて大きく破けていた革鎧だったが、今回の襲撃によって更に破損。背面は原型を残しているものの、前は辛うじて胸元が残っているだけのような有様で、彼女がもう少し育っていたらかなり際どいことになっていただろう。下に至ってはスカートの横が完全に裂けて一枚の布になっており、素肌の上から持っていたロープで無理矢理腰に縛って留めている様な惨状である。全身の汚れも酷くなっており、比較的綺麗なキャサリンが並ぶとその悲惨さが一層際立つ状況だった。
アイビスはその様を一瞥して小さく頷く。
「防具は壊れてしまったが……大きな問題はなさそうだな」
「問題しかありませんよ!?」
叫んだノーラに、アイビスは眉を顰めた。
「見たところ、奴の爪には魔力が篭っている。お前の着ていた鎧ではあろうが無かろうが大差はない*1ぞ」
「そうではなく!」
「む……では、残った背中の部分が動いて邪魔だ、ということだろうか? であれば切除するが」
「これ以上脱がす気なんですか!?」
顔色を沸騰させて一瞬仰け反ったノーラは、直ぐに身体を戻すと、スカートの裂け目を掴んでバサバサと振った。その下にある筈の最終防衛線は既に犠牲になっている。見えてはいけないところまで露わになりそうな暴挙に、ノーラとは別の理由で顔を赤くしたキャサリンが慌てて裾を抑えたが、そんなのお構い無しにノーラはがなり立てる。
「服が服としての役割を果たせていません! 動くと色々見えそうですし、そもそもこんな格好では人前に出れませんよ!?」
「ここは戦場だ。そんなことを気にするような場ではない。服なら村で調達してやる。今は我慢しろ」
「そういうことではなく……!」
ノーラは地団駄を踏んだ。
「レディがこんなあられもない格好をしているのに何とも思わないんですか!?」
今にも湯気を吐きそうなノーラに、しかしアイビスは小さく溜め息を吐く。そして言った。
「淑女を気取るならば、先程のような行いは止めるのだな。稚気が過ぎる」
「〜〜〜〜〜──ッ!」
全く興味無さそうにそう言い捨てて花の採取に向かうアイビスの背中を、目一杯頬を膨らませたノーラが睨み付ける。その視界を、眉を立てたキャサリンが遮った。
「アイビスさんの言う通りですよ、ノーラさん。さっきみたいなはしたない行動はしてはダメです!」
「う〜……っ! でも……でも、悔しくて!」
「どんな理由があろうとダメなものはダメです! ノーラさんも女の子なんですから!」
士爵家で育ち、騎士の娘として並の庶民よりもしっかりと教育された貞操観念を持つキャサリンにはノーラの行動が受け入れがたいようであった。ノーラ自身もよろしい行動ではないという感覚はあるようだが、暴れる自分の感情との折り合いがつかないらしく、恨めしげな涙目でキャサリンとアイビスを交互に睨め上げながら唸るばかりである。そのやり取りを背中で聞きながら花を採取していたアイビスが溜め息を吐く。そして徐に上着を脱ぐと、手早く丸めてノーラへ向かって投げ付けた。
「わぷっ」
それなりに重さのあるアイビスの上着は、彼の膂力も相まって広がる前に宙を飛び、反射的に首を竦めたキャサリンの横を抜けてそれなりの勢いを保ったままノーラの顔面を捉えた。
「もう! 何をするんですかアイビスさん!」
すぐさまノーラは怒りに任せて顔に張り付いた上着を剥ぎ取る。その反応は流石に早く、彼女は一瞬で視界を取り戻した。
そう、一瞬だった、筈なのだ。
「……えっ」
なのに。先程までは無かった筈の。彼の首から噴き出す赤は──何だ?
「ッ!? アイビスさん!」
膝から頽れるアイビスに、顔色を変えたキャサリンが駆け出す。呆然と、凍った表情でそれを見送ったノーラの視界に、瘴気を纏った魔獣が木々の間へ消えていこうとしているのが映った。
「ッ……、アイツ……ッ!」
一瞬でノーラの視界が真っ赤に染まる。自分の血が沸騰したかのようだった。瞬時に四刀を引き抜き、普段は抑えている妖魔としての自分を解放する。足に力を込めて姿勢を前に倒し、全力で地面を蹴ろうとして、
「ノーラさんッ!」
キャサリンが鋭い声をノーラに向けた。ノーラは僅かに煩わしさを感じながら吼える。
「分かっていますッ! 今すぐ追撃して奴を八つ裂きに──」
「違いますッッ!!!」
聞いたことの無いようなキャサリンの怒声に、思わずノーラの足が止まった。目を見開いたノーラが振り返る先、慎重にアイビスの身体を横たえたキャサリンが、絶えず血を噴く傷口に手を翳しながら言う。
「ノーラさんはこの場で警戒! 私は暫く動けません。奴を絶対に近づけないでください!」
いつに無く厳しい声で指示を飛ばし、キャサリンは手を組んで瞳を閉じ、魔法の詠唱を始めた。
「──陽光と裁きを司りし我が神よ。我が願いを聞き届け給え。溢れ逝く彼の命、掬い留める御手を賜らん」
その詠唱に、ノーラは自身の血が急激に吸い取られていくかの様な感覚を覚えた。怒りに焦げていた心が、血気に逸った四肢が、急に冷えた鉛のように重く感じる。襲い掛かってきた眩暈に、一瞬視界どころか世界さえ歪んだ気がした。
──だってそれは、蘇生魔法だ。つまり、彼は──
「──『レイズ』!」
キャサリンの力強い発声と共に、眩い光がアイビスを包む。四刀をだらりと下げ、瞳孔の開き切った瞳を揺らすノーラ。険しい目で眼下の光を見下ろしていたキャサリンは、その様子に気付いて一つ息を吐くと、視線はアイビスに固定したまま無理矢理に口角を引き上げた。
「大丈夫です。こっちは何とかします。ノーラさんは周囲の警戒を」
「あ……」
キャサリンが口許に浮かべてみせた笑顔は明らかにぎこちないものだったが、それでも崩れ掛けていたノーラの膝を支える力があった。ノーラは定まった視線をキャサリンに向けると、辿々しく頷いて四刀を持ち上げなおす。キャサリンはこちらに背を向ける彼女の気配に僅かに表情を緩めると、神々しい光が覆い、血が滲む程度の出血に抑えられた傷口に手を翳した。
「陽光と裁きを司りし我が神よ。我が願いを聞き届け給え──」
背中を向けながら、ノーラはぐっ、と剣の束を握り締める。ぐるぐると思考が回り、ともすれば悪い方へ沈み込もうとする意識を必死に抑えて唇を噛んだ。こんな有様ではいけないのに。警戒に集中出来ていないのが自分でも分かる。こんなザマでは、音もなく忍び寄るあの獣の襲撃を察知できないではないか。
先程と同じように。
「癒しの御手を、この者に──『ヒール』」
キャサリンの回復魔法の詠唱が聞こえる、蘇生魔法ではないということは、最悪の状態は脱することができたということだ。落ち着け、と自分に言い聞かせながら、ノーラは周囲へ血走った視線を忙しなく走らせる。
「──わたしは、やくたたずでは、ないんです」
意識せず口の中で漏らしたその呟きは、誰の耳にも届かない。荒れ狂う心を抱えたまま、その警戒行動はアイビスが身体を起こせるようになるまで続けられたのだった。