その始まりの日が、あまりにも現実感が無かった。
二正面作戦。二つの方向にある敵を同時に叩く作戦の発動―――北方及び東方の敵根拠地を叩き、艦隊を殲滅。作戦はどちらも成功し、二つの作戦に参加した艦艇は半ば凱旋するような形で、自らの家へ、鎮守府へと戻った。
その時に戻ってきた彼女達が見たものは、壊滅した鎮守府と、徹底的に叩かれた僅かな生き残り達の姿だった。
主力艦艇が出払っている間に、敵の一大艦隊が鎮守府近海まで侵攻。
非力な軽巡や駆逐艦達の文字通りの奮戦も焼け石に水。多くの艦娘達が犠牲となってしまった。
傷だらけの彼女達を抱え、壊滅した鎮守府に戻った艦娘達は、文字通り意見が真っ二つに割れた。
片方は撤退する敵艦艇を直ちに追撃し、弔い合戦をする主戦派。
もう片方は壊滅的打撃を受けた以上、守りに入り戦力が充実するまで待つ防戦派。
しかし、指揮官たる提督を失ってしまった彼女達の口論を遮るものはおらず、夜明けまで続いた激論の果てに少女達は真っ二つに別れた。
人数、分配…結果的に僅かな艦娘達を残し、多くの艦娘は出撃した。
そして出撃していった艦娘達は二度と戻る事は無かった。
ぱち、ぱち、と音を立てる焚き火にかけられた薬缶から、白い湯気が出始めた。
ああ、お湯が沸いたのかと気付き、のろのろと薬缶を掴もうとして――――その熱さに手を引っ込める。
手に赤く痕がついていた。
「とてもじゃないが、手ぬぐい無しでは火傷するぞ」
背後からそんな声と共に、手ぬぐいを挟んだ手が薬缶を持ち上げた。
「…日向さん」
「お湯が沸いたのなら有り難い事だ。隼鷹から分けてもらった焼酎がある。少しは温まるだろう」
既に液体の入ったステンレスマグへ薬缶からお湯が注がれ、余ったお湯は別の水筒へと入れられた。子供っぽいシールの貼られたものだが、保温機能が高い新しい奴だ。
この水筒の持ち主は確か、駆逐艦の子。
いつしか彼女に大人の女性の振る舞いについて聞かれた事を思い出した。
背伸びしたがりだけど、お姉さんであろうとして、いつも精一杯頑張っていて、まだ小さい子。
「榛名」
焼酎のお湯割を一口飲んだ日向が再び口を開いた。
「今後の事について、翔鶴たちと今話してきた」
「今後の、事…」
「ああ、そうだ。お前がそんな状況なのでな。勝手に決めさせてもらった」
そんな状況、と言われる。確かにそうだ。
一月前のあの夜。
榛名は姉達や長門といった戦艦、赤城に代表される多くの空母たち同様、直ちに仲間の仇を討とうと叫んでいた。
なによりも彼女達を厳しくも優しく管理していた提督を喪ってしまった事が、多くの仲間達を無惨にも沈められた事が、榛名を完全に逆上させてしまっていた。
誰よりも提督を慕っていた姉の金剛がそんな榛名の出撃を許さなかった理由は、今でもわからない。
そして帰らぬ姉達の事を、今も待っている。
待ち続けている。
「一月が経ったが、他の鎮守府からこちらの様子を見に来る気配も無ければ、連絡も無い。このまま待ち続けても資材は減るばかりだ」
「……それは、外に出る、という事ですか?」
「備蓄がまだあるうちに、どこかで戦力と資材を手に入れないとジリ貧になる。大淀もそう言っている」
「…………」
「情報も足りない。戦況全体がどうなっているかも解らないんだ。大井に少し様子を探ってきてもらおうかと考えているが…」
「そう、ですね」
「特に異論は無いか? では、大井たちには頼んでおく。それと、そろそろ夕食の時間だ」
日向に促される形で、庭の焚き火から離れて食堂へと向かった。
敵の攻撃で半分ほど崩れてはいるが、それでも今いる艦娘たちを収容するスペースはある。
かつて厨房で腕を振るっていた間宮や鳳翔の姿はもう無い。
代わりに、龍鳳と、先の作戦で新たに戦列に加わった春雨の二人が料理をしており、それを何人かの駆逐艦たちが配膳していた。
「あ、榛名さん、日向さん! もうご飯出来てますよ!」
二人の姿を見て声を張り上げたのは、東方の作戦で戦列に加わった駆逐艦、清霜だった。
戦艦に憧れていて、なにかと話題にする彼女から見れば、二人は身近な戦艦だ。もっとも榛名は彼女の問いかけにロクに返せないが、それでも彼女は榛名のことも慕っている。
「ああ、ありがとう。最上の奴はどうしている?」
「最上さんなら、阿武隈さんと一緒に網を引いてましたよ? なにか獲れるといいわね!」
日向が席に座り、榛名はその隣りに座る。
今夜の献立はホワイトシチューのようだ。身体が温まるものは嬉しい、と日向が呟くと、対岸の席に人影が姿を現した。
「榛名さん…もしかして、今夜も徹夜ですか?」
「榛名は大丈夫です」
今の艦隊に残った数少ない正規空母である翔鶴は榛名の返答に「でも…」と小声で続けたが、何も言えずに席に座った。
彼女は妹の瑞鶴と同様、主戦派ではなかったが、主戦派が出撃を決めた時、金剛が榛名に残るように告げると、代わりに行くと言い出し、了承した。
しかし、その背中が辛そうだったのは、榛名も知っている。
そう、残された艦隊の、なんと寂しいことか。
今回の両作戦で戦列に加わったものもいるが、殆どが駆逐艦だ。
戦艦は榛名と日向、空母は翔鶴の他に元は主戦派だった隼鷹と、龍鳳、戦列に加わった雲龍。ただし、艦載機はナシ。
重巡は最上と鳥海、軽巡が大井、龍田を筆頭に阿武隈、阿賀野、そして大淀。
駆逐艦は吹雪、睦月、時雨、雪風に戦列に加わった春雨、早霜、清霜、時津風、そして磯風。
たったそれだけしか残らなかった。
出撃していった艦娘たちがいつ戻ってきても迎えられるように、榛名は毎日のように海の近くで待ち続けていた。それだけで一日が終わる。
「……龍鳳、これも頼めないかな?」
遠くの方で何かを引き摺る音が聞こえる。最上と阿武隈が戻ってきたのだろう。引き摺ってきた網には幾らかの魚がかかっていた。
「こっちは焼いて…残りは干物にしましょう。春雨さん、手伝ってくれますか?」
「後にしましょう。ご飯、冷めちゃいますよ」
龍鳳が魚を仕分けている所へ吹雪が声をかける。
せめて焼く分だけ、と焼く魚だけは串に刺して焚き火の側へ。
「じゃ、頂きましょう」
いつの間にか榛名のもう片方の隣りへと座っていた鳥海が皆を確認する。
数少ない艦娘達が、揃っていて、大きな声ではないが「いただきます」の声が響いた。
榛名だけではない。相方の天龍を失った龍田は駆逐艦達の前では元気な顔をしているが、無理をしているのが見えていたし、大井も北上を失くしたためか、同様。
それでも、食べなければ体は持たない。無理に食べている姿が、あちこちに見られる。
「…あの、吹雪さん?」
「なに、雪風ちゃん」
「…シチューってご飯にかけるものなんですか?」
この空気を少しでも明るくしようと、雪風と時津風はよく他愛も無い話題を勝手に振ってくる。そして皆もそれに答えて、小さな笑いを出そうとしている。
「え? しないの? 小学校の給食で出たよ? ホワイトソースがけって感じの名前で」
「そういえば学校の食堂にありましたね」
鳥海がそれに続いた。意外である。少なくとも榛名は聞いた事は無い。
「私は…聞いた事無いですね」
「どうです、試しに」
翔鶴の返事に吹雪が差し出す、が翔鶴は「うーん」と返答。そこへ龍田が口を開く。
「でもあまりお行儀良くないわよぉ? おかずをご飯に載せるのって」
「トンカツとかチキンカツの時に載せてる人いたから、それと同じようなものじゃない?」
大井がそれに反論、すると阿武隈がシチューの皿を手に取り。
「正直わかる。人前で食べると、恥ずかしいかも」
「だけど美味しいからやりたくなる。私も食べたことある」
阿武隈の行動に、阿賀野が可笑しそうに笑った後で「どれ一口」とつまみ食い。
「あ、美味しい」
ホワイトシチューも意外とご飯のおかずとして成り立つようである。一つ、勉強。
「おかわりありますよ。私も試そうかな……」
春雨の言葉に、駆逐艦達が一斉に「おかわり!」と叫んだ。
「元気はいいねぇ」
焚き火の近くで魚の様子を見つつ、焼酎を煽っていた隼鷹がそう答えた。
「隼鷹。もう一杯」
「あいよー。あ、もう無いわ」
瓶を渡そうとした隼鷹が慌てると、龍田が思い出したように口を挟んだ。
「お酒なら、倉庫に響ちゃんが持ってたウォッカが――――」
一瞬で、空気が凍った。
龍田も自らの発言に気付き、顔が青へと変わる。
主戦派として出撃していった艦娘の事はまだ話す事が出来る。
だが、駆逐艦や軽巡の多くの事は話題に出せなかった。何故なら、彼女達の多くが轟沈してしまった。
「あ、あ、あー………そ、そう言えば阿武隈さん! 今日の網の中に、エビとか、入ってませんでしたか!?」
「え? ご、ごめん吹雪ちゃん! まだ確認してない!」
吹雪と阿武隈がわざとらしい会話を繰り広げたが、多くの者が箸を止めていた。
すると、磯風が席を立ち、春雨の前に立った。
「春雨。お代わりを頼む。大盛りだ。ご飯もシチューも、な」
春雨が戸惑いながらも、すぐにご飯をよそい、その上にシチューをかけると、磯風は箸を取って食べ始める。
いつもより数倍早い。
「うむ、美味い。吹雪はさすが、いい料理を知っている」
ここで空気が腑抜けたのか、再び皆箸を動かし始めた。龍田はまだ遅いままだったが。
夕食後、龍鳳と春雨を駆逐艦たちが手伝って食事の後始末と干物作りを始め、阿賀野と阿武隈は海岸近くまで向かい、目視で周辺の警戒を始めた。
そして残りの艦娘は大淀を中心に焚き火の近くへ集まった。
「とにかく、さっきも決めたように、大井さんを旗艦に、偵察隊を出そうと考えています」
「…緊急時を考えると、火力はいるが足は早いに越したことは無いからなあ」
隼鷹がそれに頷く。それを決めた話し合いに榛名は参加していなかったが、特に反対する理由も無い。
「…どの辺りまで進出するか、ですが…南西諸島海域でどうでしょう?」
「ボクは賛成。ただ」
最上が一度言葉を区切る。
「鎮守府近海に、まだ敵がいないとも限らない。偵察隊の後に、ある程度の戦力を備えた後発が欲しいと思うんだけど、どうかな?」
「だが、あまり戦力を割くわけには……」
「近くに敵がいないかどうかを判断するんだ。いざという時に決戦戦力があるにこした事は無い」
大淀の言葉に隼鷹がそう告げる。
「大井、誰を連れてく?」
「……吹雪と雪風を借りようと思うの。後発隊は?」
「アタシは行く」
隼鷹の手がある。次の手が、上がらない。
「……行きましょう」
榛名の声が漏れて、全員の視線が集中した。
「私が後発で行きましょう。大丈夫、戦力としてなら、充分です」
沈黙が、異論は無いという証拠だった。
「隼鷹の護衛を、二人ほど連れて行きましょう」
大淀がそう言葉を続け、総勢七隻が偵察へと向かう事になった。
決定の後、それぞれ工廠へ向かったり、寮へと戻って行く中、榛名が再び海岸に向かおうとすると翔鶴が近寄ってきた。
「榛名さん。今夜は寝たほうがいいです」
「大丈夫です」
「偵察に向かうにしても、きちんと休まないと。今夜は阿賀野さんと阿武隈さんが見張ってますし」
「………」
「大丈夫、起こしてくれますよ」
真面目で穏やかな人柄の翔鶴さんは、誰にでも取っ付き易い。
駆逐艦の子たちにも慕われているし、提督からの信頼も厚かった。金剛も度々お茶会に誘っていたようで、たまに見かけることもあった。
だけど、二人きりになると、意外と話す事は無い。
「そう、ですか」
「はい。だから、休みましょう…」
翔鶴に背中を押される形で、榛名は久しぶりに自分のベッドに向かっていた。