あれも。
これも。
どれも。
見覚えのある、艤装ばかり。破壊された、艤装。
その主の運命は、問わなくても答えは出ている。それでも一抹の希望を求めて、中を探す。
「長門さんッ! 霧島ッ! 赤城さん!」
返事は何も返ってこない。
そして、見えるのは破壊の傷跡。
「嘘……嘘だ…」
信じたくない、見たくない、信じられない、見せたくない。
だがそこにあるのは、現実。
「どうすれば…ッ…!」
提督を失い、そして仲間達を失ったという現実。
「榛名は…どうすれば…いいの…? 姉様…」
呆然と立ち尽くす榛名。海面を見下ろしても、あるのは破壊された艤装と、やつれきった自身の姿。
ああ、私はこんな姿をしていたんだと榛名は思った。
その顔の奥に見えるのは、何だろう。海面に写る榛名の他に、失われた姉や仲間達がいるのだろうか。
この深海のどこかに沈んでしまったの?
それなら、どうして私も連れていってくれなかったの?
どうして私だけ、置いていったの?
手を伸ばしても、届くはずなどないのに。
「榛名さん! 榛名さん!」
たとえすぐ近くで吹雪が何度も叫んでも、その呼びかけに答えない。
手を伸ばして。手を伸ばして。
手を伸ばしたって、届かない。
「榛名さん!」
目の前に現れたのは、吹雪の顔。
「ね、姉さ」
「たぶん、これじゃ……」
何を言わんとしたか理解したのか、吹雪は視線を一瞬だけ伏せた。
強烈な平手。
普段の彼女ならまずしないような行為、そして、戦艦の平手は吹雪の小さい体を吹っ飛ばすのに充分だった。
盛大に水しぶきが上がる中、榛名は歩を進める。
姉さまはどこ?
「金剛姉様…比叡姉様…霧島…」
そうだ、どこにいる。認めない。認めるものか。認めてなるものか。
その名前を呼ぶ。返事はどこにある。
どれが現実?
本当は待っているの? それとも…。
「榛名さん!!!」
平手のお返しだった。
「………落ち着いて聞いてください」
榛名の両肩を掴んだ、吹雪の真っ直ぐな瞳。
「榛名さん。こうやってただ、いつまでも幻を待ち続けるつもりですか」
「でも」
「どれだけ認めたくなくたって! 現実なんです! 今、ここにあるのが!」
今、ここにあるのが現実。幻じゃない。
嘘じゃない。これが本当。
「私だって信じたくないんです。皆、皆沈んで…それで、あの時見送った皆も帰ってこないなんて! だけど!」
悲痛な叫びが、届く。溢れる涙の雫が、届く。
「もう…私たちしかいないんです…!」
震える手が、榛名を掴んだまま。
「榛名さんは戦艦です…私よりも、ずっと…強い…だから、生きなきゃいけないんです…戦わなきゃ、皆を守らなきゃ…」
「だって! あなたは、皆の! 希望の火なんですから!」
必死に叫ぶ吹雪の姿。
榛名の頭の中で、血の気が引いて行く音がした。
希望の火。
暖かなその言葉が、今の榛名には似合わないように思えた。だけど。
だけど、今、彼女達しかいないならば。
戦艦と名のつくものは榛名と日向だけ。榛名がいなければ、日向しかいない。
希望の火。
なんと重い、言葉だろうか。だけど。
目の前にいる小さな少女は、吹雪は、榛名よりも火力も装甲も劣る、駆逐艦。
それなのに、その心の強さは彼女を遥かに上回る。
それは導のような言葉。
「なんで……わたしには…」
重すぎるその言葉を、拒否しようとしても―――――その重みが、彼女がそれを手放すことを許さない。
必死な吹雪の思いが。今、目の前にある現実が、それを拒否させない。
「榛名さん!」
もう一度、吹雪が叫んだ。
「辛いのは……失った事が辛いのは…みんな同じです…」
「皆と同じように! 司令官も! もう、いないんです!」
ハンマーで殴られるよりも重たいその言葉がのしかかる。
しかし、それでもそれは認めなければならない。そう、皆同じその重みが、抜けてしまっているのを。
「……ごめんなさい、私……」
頭の中が、少しずつ冷静になっていく。そうだ、考え直せ。自分の役割を思い出せ。
榛名が搾り出したその言葉に、吹雪は無言で微笑み、その手を取った。
「戻りましょう。皆が心配してます」
「ええ」
先ほどよりもしっかりとした歩みで、二人は仲間達の下へ戻っていった。
「遅いぞー」
隼鷹はさも何事もなかったかのように、明るい声を出した。
「ごめんなさい」
「…大丈夫です」
大井がそれに答え、榛名は「ありがとう」と返答。
「吹雪、どうしたんだ?」
「なんでもないよ」
磯風がしっかりと痣のついた吹雪を指差すが、吹雪は笑って首を左右に振った。
大井と隼鷹はそれが解っていたが、何も言わずに、それぞれ視線を戻した。
「どうする? このあたりには……」
「敵の姿は無さそうですし」
「ええ……」
引き返そう、と榛名は言葉を続けようとした、その時だった。
磯風が、ふと雪風に「双眼鏡を」と双眼鏡を借りた。
「どうしたんですか?」
雪風が不思議そうに聞くが、磯風は答えずにただ双眼鏡で南の海を見ている。
「隼鷹さん、偵察機で見たのは……」
「周辺だけだぜ。南の方は…」
ふと、その意味に気付いた榛名がそう問いかけると、隼鷹もようやく気付き、慌てて偵察機を飛ばした。
そしてその偵察機は、二分もしないうちに炎に包まれるのが彼女達からでも見えた。
「敵艦隊、発見!」
周辺しか見ていなかったがゆえに、南から少しずつ近寄るそれを見過ごしていた。
「おまけに、数も多い! 来るぞ!」
「何がいますか?」
「空母と戦艦、ついでに軽母もいるし、水雷戦隊もいる!」
六隻編成の艦隊が、何個もある。とてもじゃないが、七隻では間に合わない。
「全艦、とにかく後退! 後退です!」
大井の叫びに、七人は慌てて鎮守府への道へと引き返そうとする、が。
「クソ、艦載機だ! 攻撃隊!」
向こうには空母に軽母が数隻。こっちは軽空母が一人だ。制空権が取られるのは解っている。
「ボーキサイトを無駄遣いする訳には行きません、隼鷹さん止めて!」
それでも艦載機を飛ばそうとした隼鷹を遮ったのは、吹雪だった。
「けど、どうする! やられちまう!」
「時間さえ稼げれば、なんとかなります」
吹雪が淡々と告げる。その言葉の意味を―――理解したのは睦月だった。
「ダメだよ吹雪ちゃん! それならわた――――」
そんな睦月の腹に、吹雪の鉄拳が刺さった。
装甲や性能に劣る睦月型の睦月にとっては、その鉄拳で充分だった。
崩れ落ちかける睦月を榛名に渡す。
「…ごめんね、睦月ちゃん。幻を追いかけてるのは、私もなんだよ」
後半を榛名に言い聞かせるように、吹雪は呟く。
「撤退を。殿は引き受けます」
「吹雪さん!? 一人じゃ無理―――」
「雪風と磯風は隼鷹さんを守って」
「吹雪さん!」
雪風の言葉に背を向け、迫る敵目掛けて吹雪は向かう。
艦載機に機銃を放ち、徐々に敵の方へ。
幻を追いかけている榛名を、現実へと解き放った吹雪は。自身はまだ、幻に囚われていたまま。
「……撤退です!」
「しかし!」
「クソ! 行くぞ!」
隼鷹が真っ先に叫び、動き出す。気を失った睦月を抱えたままの榛名もまた続く。
「吹雪を見殺しに…」
「このまま残って犬死したいんなら残りなさいな! そうなれば吹雪も犬死よ!」
磯風に大井はそう怒号を飛ばし、雪風も含めて三人が動き出す。
大井の目に光る涙は、彼女もまたこの展開が許せなかったのだろう。
幻を追いかけている。
何度の夜を過ぎても、何度雪風の冗談に付き合い、何度も時雨とお互いをからかいあい。
そして唯一生き残った親友の睦月の顔を見ても、それでもその幻は消えない。
どこかで生きている筈だ、と叫んで願い続ける。
叢雲。同じ吹雪型の、一人だけどこか違う雰囲気を纏った少女を。
誇り高くて、何度も訓練を共にした戦友。肩を
あの日、鎮守府が壊滅したあの日に、その血塗れの背中を見送ったのが最後の記憶。
だけどきっと彼女はいる。どこかで生きている。生き延びている。
そう信じて、彷徨っていた。
きっとこの先で――待っている。
「うおおおおおおっ!!!!」
連装砲が火を噴いた。戦艦の装甲は貫けなくても、注意を引き、目くらましには充分だった。
「当たれ!」
一撃必殺の魚雷を放ち、少しでも敵の侵攻を食い止める。
十数隻もの敵を一人で相手にするには困難だ。機銃で撃つより多い艦載機が次々と爆弾を落とし、それは吹雪の身体に大きなダメージを与える。
火傷が身体を焼き、飛び散った艤装が突き刺さって血が溢れた。
「まだまだぁ!」
それでも連装砲と機銃の手を止めない。譲れない。
戦艦の主砲が直撃した。
強烈な一撃だった。内臓が幾つか潰れたような音、骨の砕ける音。
「があああああっ!!!」
連装砲ごと、腕が焼き付いた。使い物にならなくなった連装砲を捨て、生き残った機銃で反撃するが敵の足は止められない。
「はぁっ…はぁっ……」
艤装ももう殆ど動いてないだろう。だが。
唯一残された武器の魚雷を手に取る。
「深海棲艦達へ」
「この怒りは、深いよ」
魚雷を抱えた吹雪は前へと進む。
砲撃や機銃が飛んでくる中、全身の力を込めて、最後の一発を放り投げた。
そしてその一発が海に沈む前に、艤装が炎上し――――彼女は、火柱に変わった。
沈む、沈む、沈む。
冷たい海に抱かれた彼女の視界に映るもの。
「……叢雲?」
海の中で手を振る彼女は、導かれるように深海へ沈む。
身体を壊し、その血肉を海の中に溶け合いながら、仲間へ手を伸ばす。
再会した戦友は、共に行く。
長い長い、旅路へ。
永遠に終わらぬ航海へ、抜錨する。