偵察隊を見送った後、残った艦娘達は自然と物資の整理や艤装の整備を始めていた。
何が起こるかわからない。偵察隊が敵を刺激し、彼女達が逃げ戻ってきたら敵もくっついてきた、も有り得るのだ。
救援を求められる可能性だってあるのだ。
「艦載機はどんな割合で積みましょうか?」
もちろん、それは艦載機の編成だってそうだ。工廠に山積みされた艦載機を前に、雲龍が翔鶴にそう問いかけてくるのは決して変な事ではない。
どんな割合で積むか、翔鶴は少し考える。
あるだけ積み込む、とは言いたいが、鎮守府が一度半壊した故か、リスト上はあっても実際は破壊されてしまっているのも少なくない。
「なるべく戦闘機を多く積みましょう」
少なくとも、制空権を取れるぐらいの戦闘機があればよい。制空権を奪われてしまえば、戦艦クラスの砲撃も当たりづらくなるし、駆逐艦達がすぐに沈められる。
翔鶴のような空母でも敵の航空攻撃は弱点のようなものだ。
戦艦、と言えば。
榛名は大丈夫だろうか、と思う。昨日は眠っていたとはいえ、疲れもまだあるだろうし。偵察に行きたがっていたのも姉妹や仲間を探したかったのではないか、と思う。
でも、実際に動いた方がまだ楽なのかも知れない。磯風だってそう言っていた。
「翔鶴さん?」
「え? ああ、すみません。考え事してしまって」
雲龍にそう謝罪すると、雲龍も仕方ない、とばかりに声の調子を落とした。
「無理も無いでしょう」
そう言ってから、近くの箱から戦闘機を掴み取り始める。
「辛い事は、解ってます。でも」
「?」
「どんなに辛いことでも、受け入れなければ引き摺りこまれる。……私だから言える事かも知れないですけど」
壊滅する前の鎮守府を知らない、雲龍だから言える事。
「それって…」
「言った通りの意味です。だから」
「私でよければ、いつでも力になります」
ああ、そうか。翔鶴は安心する。
無神経に逆なでするようなことを言う訳ではないようだ。立ち上がらなければいけないのだ。その為に、手はあるのだから。
ただ、既に引きずり込まれているものがいる事に、まだ気付いていなかったけれど。
「瑞雲も意外にあるものだな」
「そうだね」
まだ水上機を漁る日向と最上を倉庫に残し、外に出ると太陽はだいぶ南に近くなっていた。
あまりにもいい天気で、海は穏やかだ。こんな天気の日は、鍛錬したくなる、と前に加賀が話しているのを聞いた事がある。
「……」
ああ、さっきの話からどうも思い出してしまうな、と翔鶴は首を左右に振って思考を中断する。
「とにかく、内訳を大淀さんにまとめてもらいます」
「はい。じゃあ、私と鳥海さんは見張りに…」
龍鳳の言葉には手で答え、大淀の姿を探す。
はて、どこに行ったか。部屋を幾らか探すが、部屋の方にはいないようだ。
しかし彼女が食堂の方に行くのも考えにくい。
「大淀さん? いますか?」
そう声をかけても、返事は無い。
そんな事を考えながら、進んで行く。
嫌な場所に来てしまった。提督の執務室だった場所。
彼女達が戻ってきた時点で既に部屋の窓枠に砲撃が当たった痕があり、中の執務室はもう…。
幾らかの壊れた家具だけが残った部屋。
その光景が辛くて、誰も近寄らなかった。
だけど、その中から微かに聞こえる嗚咽は、彼女のもの。
「……提督…提督…っ…」
「大淀さん」
「!?」
かつて提督の執務室の中心だった机の残骸。未だに放置されたそれを抱く大淀の姿は、痛々しさしか感じなかった。
「翔鶴、さん」
「………」
何を言おうか、と翔鶴は頭と喉が、どこかぐるぐると回りだす。何を言えばいいのか解らない。
提督の残滓にしがみつきたいのか、それとも全てが夢でここに提督が本当はいるんじゃないか、とか。もしくはいつまでもそれにしがみつく彼女をひっぱたきたいのか。
「……偵察隊からの連絡はまだないです」
やっと搾り出せた言葉が、それだけ。
「そう、ですか」
眼鏡を外し、涙を拭う。彼女は戦列に加わる前より、この鎮守府が小さかったときより、ずっと提督の側にいた。
提督を支えていた。秘書艦とは違うかたちで。
だからこそ、本当は彼女もまた提督に頼りきっていたのだ。そう、提督に。
それに気付いてしまった翔鶴の頭が、妙に冷静になってきた。さっきの言葉を、思い出せ。そうだ、今は泣いている場合ではない。
「ごめんなさい…そうだ、資材の…」
涙を拭った大淀に、翔鶴は冷たく返した。
「受け入れなければ、引きずり込まれる」
「え」
「雲龍さんからの伝言です」
そう告げて、資材について続ける。
「まだしばらくはあります。この前より少し減ったぐらいですね」
「ああ、はい……」
どこか上の空な大淀はそう答えた。
「……」
「………本当に、どうしてこんなことに……」
「今、それを話しても」
「でも! あの時、無理に二つの作戦をしなかったら…誰かが残っていれば…」
今更後悔しても遅い事だった。でも大淀は、涙を流して後悔だけを呟く。
だが。
「でもその命令を持ってきたの、誰ですか」
自分でも恐ろしくなるぐらいに、冷たい声だった。
「二つの作戦は厳しいけれどなんとかやりましょうと、その作戦を持ってきて、承認させたのは。司令部に反対意見や無理も言わずに、戦力を分割した」
「……!」
「その結果、小さい子達が何人も何人も」
それは無意味な怒りだった。八つ当たりだった。自分でも解っていた、そんな事をしても既に意味が無い事を。
彼女を責めても、何も変わらないし何の意味も無い事を。
「そして皆は! 誰も帰ってこない! 瑞鶴も、加賀さんも陸奥さんも金剛さんも!」
「……ひっ…」
嫌な音と共に、一歩近づく。腰の抜けた大淀が、ぺたりと座り込む。
「それを認めたのは、その切っ掛けは、誰だったんでしょうね!」
「あ……」
見下ろすように近づき、そしてその胸倉を掴む。
「提督を殺したのは―――――――」
直後、肩を力強く掴まれた。
「そこまでです」
雲龍だった。
「雲龍さん…」
翔鶴が手を離した直後、二人の影が雲龍の後ろから出てきて、大淀をゆっくりと起こした。
阿賀野と阿武隈だった。
「阿武隈さんが、心配して呼んできてくれて」
「ああ……」
あれだけ声を荒げれば、流石に聞こえてしまうか。また迷惑をかけてしまった。
「大淀さん、少し休もう。ね?」
阿武隈が大淀を支えるようにして連れて行き、阿賀野はタメ息をついた。
「翔鶴さん。あんな言い方はダメです」
「ええ……」
「誰だって信じたくないし、認めたくないです…私も。でも…」
「わかってます、わかってます」
頭じゃわかりきっている事だ。それを拒むのは自分の弱い心なのだろうか。後悔しても、後悔しても。
過ぎてしまった事は戻らない。
起こってしまったことは、どうにもならない。
「今は力を合わせて、乗り切りましょう。頑張ろう、ね?」
阿賀野は無理に笑っていた。その姿が、どこか龍田や大井にも似ていて、無理をしているようにしか見えなかった。
力を合わせて、乗り切ろうにもそれに終わりがあるのなら乗り切ろうとは思えるけれど。
でも、今では…。
「……」
何も答えない翔鶴に、雲龍が息を吐く。
「釣りでもしましょうか。お昼ご飯代わりに」
それは唐突な提案だった。
「釣り、ですか?」
「ええ。時雨が時津風に釣りを教えていたので。釣竿はまだある筈ですし」
気分転換のつもりなのだろうか。まあ、気を紛らわすぐらいにはなるかも知れない。
雲龍に半ば手を引かれる形で、再び外に出た。
風が強くなっていて、潮の香りが目にしみた。
「時雨、どうですか?」
「あんまり、かな」
艦娘の海への出入り口だった桟橋の近くで釣り糸を垂れる時雨は翔鶴と雲龍に気付くと、近くのバケツを振ってみせる。
水の音は聞こえるが、魚の跳ねる音は微かにしか聞こえない。
「私たちも釣りをします」
「雲龍さんたちも? わかった、釣竿を取ってくるね。時津風、竿を見ててくれないか?」
時雨が釣竿をそこにおいてから立ち上がり、倉庫の方へと走って行く。
提督が釣り好きだったが、釣りと聞いて思い出すのは若葉の事だ。
彼女は自由時間になればすぐに釣り糸を垂れていて、そのコツを他の艦にも話しているのを見た事が何度もあった。
確かおかずが足りない事に悩んでいた赤城さんが若葉に師事していた事もあったが、若葉の言葉がアバウト過ぎて解らないと嘆いたこともあった。
若葉もまた、この海のどこかに消えてしまったのだけれど。
「翔鶴さん、雲龍さん、お待たせ」
「ありがとう、時雨」
戻ってきた時雨から釣竿を受け取り、差し出された餌は…。
「これは?」
黒と灰色の欠片だった。
「若葉が、これが一番よく釣れるって言ってて……でもこれ、僕も知らないというか…」
「なんでしょう? 疑似餌ではないですし…」
「それ、たぶん」
雲龍が首を傾げる中、時津風が口を開いた。
「深海棲艦、だと思う」
「え?」
「だって、乾燥はしてるけど色合いはそうだし、匂いもあんまりないし。なんかそれっぽい」
時津風はさも当たり前のように言うが、翔鶴はともかく雲龍も頭がくらくらしているようだ。
「時雨、これどこで手に入れたの?」
「寮の裏で、若葉がよく日干しにしてた奴の残りで…」
もしかして今までそれで釣りをしていたのだろうか?
だが、実際のこれの正体は若葉しか知らないのだ。
「できれば深海棲艦だとは思いたくないですね…」
今はそんな事は思い出したくない、今だけは。
二人は餌を針につけて、思い切り遠くまで竿を振った。