釣り糸は、昼を過ぎても殆ど動かず、バケツには小さめの魚が10匹ばかりうろうろしているだけだ。
ポイントが悪いのか時間が悪いのか、もしくは餌が悪いのか。それは解らないが、時雨の言が正しいとすればポイントや時間の方かも知れない。
「またダメですね…」
雲龍が再び竿を上げるが、その先に魚はなく、餌はぶら下がったままだ。
「ええ。もう少し粘りましょうか」
「うー……」
翔鶴がそう返事をした時、脇であまりの釣れなさに退屈になったであろう時津風が不満げな声を出した。
「少し位置を変えようか。もう少し、日陰になるところとか……」
時雨がそんな時津風に声をかけた時、海の見張りをしていた鳥海がこちらを振り向いた。
「帰ってきましたよ! 誰か、他の皆さんも呼んできてください!」
「本当ですか?」
偵察隊が帰ってきた。どんな情報を持ち帰ってくるかは解らないが、無駄ではない筈だ。
「行って来るね!」
退屈してたであろう時津風がすぐに走り出し、声を張り上げて「みんなー! かえってきたってー!」と皆に報せている。
翔鶴と雲龍は海岸へと急いだ。
そこには七隻揃っている、筈だった。
先頭を走るのは隼鷹、その次に誰かをおんぶする榛名の姿が見え、その次に大井。
そして最後に、雪風を支えるように進む磯風。
「おんぶされているのは…睦月さん、でしょうか」
「吹雪さんがいない……」
鳥海が呟き、龍鳳も言葉を続ける。翔鶴も目を凝らす。
そのどこにも、吹雪がいない。
「戻ってきたか?」
声が響き、日向と最上、次いで阿賀野と龍田に駆逐艦達、そして遅れて阿武隈と大淀も姿を現した。
こちらに気付いた隼鷹が速度をあげ、榛名に手を差し伸べた。
「悪い、誰か睦月を寝かせてやってくれるか? 出来れば、そばにもいてやって欲しい」
睦月は眠っているのか、或いは気絶しているのかは解らないが、阿武隈が「うん、いいよ」と答えて榛名の背中から睦月を受け取った。
そして榛名と大井が海から上がり、最後に雪風と磯風。
「吹雪さんが…吹雪さんが……!」
「吹雪が、どうしたの?」
涙を流す雪風に清霜がそう問いかけると、大井が答えた。
「殿になって……後は……」
大井の言葉に、全員が言葉を失った。
「南方海域に敵はまだかなりいました。それと…………」
「艤装の残骸と、撃墜された艦載機がありました。艤装は長門型のものです」
榛名が告げたそれは、大淀を卒倒させるのに充分な威力を持っていた。
「春雨、大淀を頼む。榛名、詳しく頼もう。食堂に移動して、善後策を――――」
「待って欲しい」
日向は春雨にそう声をかけた直後、磯風がそれを防いだ。
「榛名。聞かせてくれ」
「…なんですか」
「…あなたは、吹雪を見殺しにするだけの価値がある人か?」
「見殺し!?」
龍田だった。彼女がこれほど取り乱すのも珍しいが、他の面々もその言葉に動揺が走った。
「あの時、あなたがあんな風に独断で進まなければ。敵を刺激しなかったんじゃないか?」
「……否定できません」
「あの時あなたと吹雪が何を話していたのか解らない。でも、最後の言葉は聞いていた…あれには何の意味があるんだ? 幻を追いかけていたとはなんなんだ?」
磯風の言葉に、榛名は少しだけ目を伏せた。
そして。
「もう、皆はいない。吹雪さんは、私にそう言った。姉様の、皆の、生存を信じようとしていた私に。もう頼れないことを」
艤装の残骸と撃墜された航空機が、その証明。
頼りになるものがいないという事を示すだけ。
「でも、それを私に気付かせた吹雪さんが。それを信じたかった」
「どういう事なんだ」
「わかりません。でも…吹雪さんも、皆の事を…」
「当たり前だろう。答えになって」
「やめなさい」
なおも言葉を続ける磯風を制したのは、雲龍だった。
「しかし」
「磯風。今はそれを話し合うべきではありません」
雲龍の気迫に、まだ何か言いたげだった磯風はとうとう黙った。
「確かに。それを話し合う時ではありません。食堂に移りましょう…龍田さんは休んだほうが…」
「大丈夫」
翔鶴が皆を促すと、龍田も立ち上がり、後に続いた。
食堂に移った。
日向、榛名を筆頭に、翔鶴、隼鷹、雲龍、龍鳳、鳥海、最上。
そして大井、阿賀野、龍田が続き、雪風、時雨と、磯風、時津風、早霜、清霜。
後は自室にいる大淀・睦月と春雨、阿武隈。人数的には吹雪が欠けたというのに、まるで何人も消えてしまったようにも見える。
「南方まで進出したのかい?」
沈黙を破ったのは最上だった。隼鷹がそれに頷き、大井が言葉を紡いだ。
「ええ。そこで……南方海域に入って少しのところで、飛行機の残骸を見ました。艦戦、艦攻、艦爆…ひととおりは」
「航空機の残骸、というと撃墜されたあと? 廃棄されたものではなくて、ですか」
「はい」
鳥海の疑問に大井は頷き、雲龍と翔鶴、そして龍鳳が自然と顔を合わせてしまった。
撃墜された飛行機の残骸、そこで戦った艦娘がいるという事。
赤城に加賀、蒼龍、飛龍を皮切りに、千歳・千代田に飛鷹もいた筈だ。
それだけの航空部隊がいたにも関わらず、誰も戻らなかった。
それに、長門型の破壊された艤装。
「なあ、榛名」
「なんですか、日向さん」
「お前はどうするべきだと思う?」
意外な問いかけだ、と榛名は思った。今までずっと、榛名は海だけを見ていたから、日向が大淀たちと相談して決めた事を後から告げてくることが多かった。
でも、今、初めて日向が榛名に意見の提示を求めた。
「それって……」
「その現場を、見てきたお前だから、聞きたいんだ。それに……吹雪が言った、それが今だとお前は知ったんだろう?」
ああ、そうか。そうだった。
吹雪が残した言葉。それは、現実へと引き戻した。そして、引き戻すだけで終わりじゃない。そこから何をするかだ。
吹雪は榛名に言った。
希望の灯、と。
日向に頼り切ってはいけない。翔鶴や鳥海だって、大淀にだって出来ることの限界はある。
「必要な事は」
だから、口を開く。
「他の鎮守府と連絡が取れるかどうかが最優先です」
これ以上の戦力の低下は避けたい。それに、ここの鎮守府は弔い合戦に出撃したが、他の鎮守府はどうだろうか。
鎮守府周辺の町も壊滅状態故に、人間がどこまで生きているかは解らないが、それでも健在な鎮守府はどこかにある筈だ。
「まだ資材の余裕はあります。敵が再度こちらに侵攻してこない限りは持つでしょう」
「だが、南方海域の現状から…南洋の基地はほぼ壊滅してると思うぞ」
榛名の言葉に、日向はそう返す。
「けど、北とか…大陸側の方は無事かも知れないぜ。今回やつらは南から来たんだ」
隼鷹がそう発言し、他の皆も頷く。
「そうだね。それなら誰か見つかるかも知れないし」
「確かに。戦力を増やすのが大事ですし」
阿賀野が同意し、早霜がそれに頷く。
だが、この期に及んで…まだ沈黙を保つ者がいた。
磯風である。
雪風の方は泣き止んで、皆の話し合いを見てどうしようという顔をしているが磯風は黙ったまま、視線を。
龍田に向けていた。
榛名ではなく、龍田だった。
話し合いに加わっている振りをしてただ相槌を打つだけの龍田を見ていた。
「磯風」
「…ん?」
「ずっと龍田さん見てるけど、どうしたの」
他の皆が気付かない、龍田だけを見ている磯風に声をかけたのは清霜だった。
「なんでもないさ」
「嘘だよ」
「嘘をついてどうするんだ、清霜」
「龍田さんが変なのは、大淀さんが倒れる前からだってのは気付いてる」
「いや、お前も気付いているなら心配ない」
声の調子を落として、磯風はそう答える。
「危ないぞ」
磯風は話は終わりだ、とばかりに首を左右に振った。
清霜にはその意味が解らなかった。だが、その会話を聞いていた、聞こえていた榛名にはその意味が解りかけていた。
誰もが限界に近いのだ。吹雪がそれを迎えてしまったように。
龍田に視線を向ける。
いつも浮かべているのは微笑だった彼女は、空虚な微笑を浮かべていた。
「通信機さえ使えればなんとかなるのだが」
日向が忌々しそうに口を開いた。通信機も破壊されている以上、通信は出来ない。
「かと言って、足も無い。歩いて誰かを探すしかないでしょうね」
「歩くって…鎮守府周辺も壊滅してるのに? どこまで行けば…」
雲龍の言葉に、阿賀野が不安げに答えると、雲龍はさらりと言葉を続ける。
「海軍だけが軍じゃないでしょう」
「あ…」
今はもういないが、あきつ丸やまるゆが所属していた陸軍がまだある筈だ。深海棲艦と相対するのはせいぜい砲撃ぐらいとはいえ、それでもいないわけではないのだ。
陸軍へどうやって連絡を取るか、と続きの議論をする、その時。
激しい足音と、食堂が開かれる音。
「大変です!」
「春雨? どうしたの?」
「偵察機から…て、敵艦見ゆ! 鎮守府正面海域です!」
慌てて全員が外に飛び出す。遠くの方に小さな点がぽつぽつ。
外には既に阿武隈がいた。
「念のために偵察機を飛ばしてたけど…まさか、ここまで来るなんて」
「敵の編成は?」
「水雷戦隊だと思う…軽巡と雷巡、駆逐艦ってところ」
偵察隊を追いかけてきたか、或いはこちらまでやってきたか。だが、どっちにしろ。
「…まあいいさ。久しぶりの実戦だ」
幸いにも、まだ資材はあるのだ。日向がいつものように笑った。
「実戦経験を積むにはいいかも知れませんね」
雲龍が一歩前に出た。先ほど艦載機を載せたばかりなのだ。
「大物を狙っていきたいところだけど」
大井が魚雷発射管を確認する。その雷撃力はゆるがない。
「うん…やろう!」
阿武隈が次いで前に出る。やるときはやる子なのだ。
「…そうですね、やりましょう」
「準備はいいですか?」
榛名と翔鶴が進み出たのは、ほぼ同時。
六隻がいる。それはもう、立派な艦隊。しかも戦艦も空母もいる。
「暁の水平線に…」「…勝利を!」
六隻の艦娘は、一斉に海域へと飛び出した。
あの時から。
久しぶりの海戦が始まろうとしていた。