一通の手紙を受け取る季節は桜の雨が降る季節だった。
着古されたブレザーの少女は声にできずにただ両手を僕に差し出している。握られた封筒を優しく引き抜いた。
「ありがとう」
僕の声に彼女は顔を赤くして、お別れの時に似合わないような大きな声で返礼をする。すぐに口を塞いだ彼女は、一礼をして僕の元から去っていった。
もう二度と会う機会のないだろう彼女とは個人が経営する個別塾での長い付き合いだ。
今日は彼女が最後にやってくる日だったが、律儀に一アルバイトにすぎない僕にまで挨拶をしてくれる。
僕としても、今月で退職するために最後の教え子となった彼女には深い思い入れがあった。
もらった手紙に何かを返すことはできないけれど、紡がれた言葉を大切にする。
きっと一生、忘れないだろう。
少しだけそんな思いに浸ってから誰もいない玄関の電灯を消して、鍵を預けに塾長の部屋を訪ねる。
「お疲れ様です」
あと何度とない挨拶に塾長は会った時と変わらず穏やかな声で返してくれた。
「お疲れ様。もうあの子は帰ったかい」
「はい。ありがたいことに手紙を受け取りました」
「だいぶ慕っていたようだからね。きっと君はよい先生だったということだろう」
「なら、先生のおかげです」
気恥ずかしそうに頬をかく先生は、言葉を探しているようだった。
続ける言葉は見つからなかったようで、話を逸らしてくる。
「もうすぐ会社の研修があるのかい?」
「そうですね。なので、後は片付けに何回か来れるくらいかなと」
「毎日のように来ていた君が来なくなるのは寂しいね」
「先生とはもう八年の付き合いですから、これからも個人的にお付き合いさせてもらえたら」
「いつでも来てくれていいよ」
先生の八年前と変わらない言葉に、頭を下げてお礼を伝える。少し間を置いてポンポンと感じる塾長の暖かい手で頭を上げる。
笑いかけてくれる塾長に挨拶を残して、塾を出た。
すでに真っ黒になっている空の下を電灯が照らしている。着地していた桜の花びらが風に吹かれていく。
追い風に押されて、桜の花びらと共に僕は前を歩く。
もう数えるほどしかない機会に、感傷を抱いて考えていた。
一区切りとなる今、感謝の気持ちを伝えたい。そのための方法をどうしようと。
お菓子を贈るでもいいかもしれない。でも、もっと直接的に気持ちを伝えるのなら、言葉が必要だった。
あの子と同じように手紙を送ることに決めた。
決めたら少しだけ足を速くする。今のこの気持ちをすぐにでも文字にしたかった。
今を抑えてしまうなんてできなかった。