第1話 アビドスへようこそ!
アビドス高等学校。
そこは砂漠の中に取り残された……あるいは、アビドス地域の砂漠化に唯一抗う廃校寸前の学校だ。かつてはキヴォトス最大の生徒数を誇る巨大校だったらしいのだが……その栄光は既に砂の下へと沈み、浮上する事は決してなく。今や残る生徒数は僅かに五名。予定外の留学生である私を含めても六名しかおらず、その限界集落ぶりは見ている方が辛くなる程だ。
「本当に、砂しかないな。ここは……」
砂、砂、砂。前後左右どこを見ても砂しかない一面の砂漠地帯……空を舞うのは砂漠特有のきめ細かい砂で、踏み締められた足の下でサラサラと流れていくのもやはり砂。何もかもが砂だらけだが、しかし、これがアビドスであり、アビドスの全てでもある。
あぁ、人は言うだろう。砂が全てなんてそんなはずはない。言い過ぎだ。取り消せよ今の言葉、と。だが、私が前言を撤回する事は……恐らくないだろう。何せ、本来アビドスの影響下にあるはずのオフィス街や商店街、採掘施設に工場地帯、果てには住宅地や高速道路すらもが、既に砂の下へと消え去ってしまっているのだ。そして、それらを掘り出そうにも住人は殆んどアビドス外へと逃げ出してしまった後であり、残っている市民もまだ砂に埋もれていない市街地を維持するだけで手一杯。キヴォトスにおいて行政や軍事の本拠地である校舎ですら砂だらけで、屋内にある教室や廊下すら子供が砂遊びをした後よりも酷い状況なのだから……あぁ、砂しかなく、砂だけが見どころで、砂が全てであると、そう言ってしまっても過言でも何でもないのは、なんとも泣けてくる話だ。
──キヴォトス三大校の栄光も砂の下、か。
かつてはキヴォトス最大の生徒数を誇り、あのマンモス校であるゲヘナ学園や、お嬢様校であるトリニティ総合学園と並ぶキヴォトス三大校の一つ……アビドスがそう呼ばれていたのは、もうずっと前の、昔々のお話。
ある時から定期的に発生する様になったという、天変地異クラスの砂嵐によってアビドスの栄光は砂の下に沈み……その結果、今では三大校の座は先進技術のメッカであるミレニアムに譲る事になり、当のアビドスの地位は右肩下がりの果てに地表スレスレの低空飛行中。今頑張っている五人の生徒が諦めれば、そのまま流砂に飲まれる様に消えてしまう様な、限界集落の弱小校と化してしまっているのだ。それこそ、廃校寸前と笑われてもおかしくなく、しかもそれをジョークだと言い張れない程に。あぁ、テレビもなければラジオもなく、車もそれほど走ってねぇ、ここは砂漠のド真ん中……そう言ってしまうのは、少し皮肉が過ぎるだろうか? いや、過ぎないだろうな。何せ殆んど事実だ。
──外部からの助けも無く、孤立無援のまま滅びるのみ……か。寂しいものだな。ここも。
一応、このキヴォトスにも全行政を統括し、かつ学園間の相互補助……いや、理解、違うな。調停? それも違う気がするが、まぁ、ともかく、そういう事を可能とする連邦生徒会という組織が存在する。存在するが……まぁ、この議会か国連か判断が難しい組織から応援が来た事は一度も、ただの一度すらも無いのが現状だそうだ。
事あるごとに救援の手紙──電子メールではなく、手書きの手紙だ!──を送っているのだが……いつまで経ってもナシのつぶてであるらしい。いや、あるいは、杓子定規な定型文の電子メールではないのが良くないのかも知れないが、しかし、だとしても怠慢を疑いたくなる惨状に変わりはなく、そうでないなら能力不足だと言い放ちたくなる状況だ。まさか単なる人手不足という事でもあるまいし……あぁ、つまり、連邦生徒会でのアビドスの扱いなんて考えたくもないという事だな。
──まぁ、考えなくても想像できるけど。
中央におけるアビドスの扱いなんて、良くてヨーロッパの小国扱い。悪ければ第三世界の弱小国扱いだろう。いや、下手するともっと悪いかも知れない。
何せ、昔の偉人も言っていたからな。好きの反対は嫌いではなく、無関心。だとするとアビドスは覚えて貰ってすらいないという事になり、そんな状況では救援なんぞ……と、そう良くない想像を掻き立てながらアビドス校のグラウンド──即席のバリケードや遮蔽物が点在する最終防衛線──へと足を踏み入れた私は、ふと、行き脚を止める。
なぜ? なんとなく。いや、違う。この感覚は……
──見られている……上か?
直感。そうとしか言い様のない感覚に背を押された私は、何の気なしに視線を上へと、校舎の屋上へと向けて……あぁ、居た。
一人の少女。屋上からこちらを見下ろす、アンバーとサファイアのオッドアイ。宝石みたいな綺麗な目が、けれど、鷹のそれにも似た鋭く、強い、殺気混じりの、重苦しいプレッシャーをまとわせたその瞳が、私を睨みつけている。なぜお前がそこに居る? と、そう言わんばかりに。
──小鳥遊、ホシノ……
腰元までゆるく伸ばされた桃色の髪と、それと同じ色の穏やかな印象のヘイロー。中学生並みかそれ以下の低身長の、しかし、アビドス高等学校で唯一の三年生にして、同校唯一の生徒会メンバー……つまり、アビドスの頂点捕食者たるボスがその特徴的なオッドアイを光らせてこちらを睨んで、あぁいや、既に移動を開始したらしい。恐らくここ数日姿を見せなかった私を怪しんでいるのだろう。ついに獅子身中の虫が尻尾を出したぞ、と。
──全く、リーダーとして頼り甲斐があり過ぎて泣けてくるな……
私ではホシノ先輩に手も足も出ないし、大人しく真実を、雇われバイトをしてたと吐くしかないのだが。しかし、それで彼女は納得してくれるだろうか? くれないだろうな。あの人は抜けている様で、その実、凄まじく鋭い。こちらの言葉の裏を掴まないまでも、察してしまう可能性は充分にあるだろう。
まぁ、場を荒立てる人でもないからこの場はどうとでもなるだろうが……それでも、いや、だからこそ、後が怖い。
そう内心で嘆息して、数秒。校舎の玄関口からゆるりゆるりと、ホシノ先輩が近づいてくる。桃色の髪を風になびかせながら、武器すら持たずに、なんとも気の抜ける笑顔をこちらに向けながら。
「やぁやぁ、シズクちゃん。久しぶりだねー? 三日ぶりぐらい?」
「……正確には、四日ぶりかと。お久しぶりです。小鳥遊ホシノ先輩。不知火シズク、ただいま帰還しました」
「んむ。おかえりー」
いやー、シズクちゃんは相変わらず硬いなぁ。なんて、敵意の欠片も無い気の抜けた声を投げ掛けながら、にへらとゆるい笑みを見せるホシノ先輩に、私は内心でホッと安堵の息を吐いて……けれど、その感情を決して外に漏らす事なく、むしろ鉄面皮を作り、その上で当たり前でしょうと嘯いてみせる。何もおかしな事はないと、そう言わんばかりに。
「私は留学生ですから。他の人達の様には、いきません」
「んー……そりゃそうかもだけどぉ。うーん、そう言われちゃうとおじさんちょっと悲しいなぁ」
うへぇー、と。独特な鳴き声を上げる少女に、けれど、私は無表情を貫くしかなかった。
先程の殺気が嘘だと思える程のゆるさ。ついでにこの低身長で、一人称は何故かおじさんという、中々エキセントリックな先輩だが……しかし、それでも彼女は。
──キヴォトス最高の神秘の持ち主、か。
私の後援者曰く、彼女はこのキヴォトスで最高の神秘の持ち主らしいのだ。
そう、神秘。この世界独特の不思議で不可思議なパワーを、私は完全には理解していない。理解していないが……それでも、分かる事はある。それは例えば、神秘が強い奴はだいたい強く、ある一定のレベルを超えると信じられない能力を持つ様になる事。そしてそういう連中には基本的に何をしても無駄であり、重戦車や戦闘ヘリをぶつけたところで容易く返り討ちにされる事。加えて、いや、何より重要なのは……ホシノ先輩は間違いなく、そちら側であるという事だろう。
「──皆心配してたんだよー? せっかくアビドスに来てくれたのに、嫌になっちゃたのかーって。特にセリカちゃんなんて回遊魚みたいにずーーーっとうろうろしてたし、シロコちゃんもマグロみたいに当てもなくどっかに行こうとするし、もう大変だったんだから」
「それは、申し訳ありません。しかし、失礼ながら私が嫌になるのはあり得えないかと。皆さんには恩こそあれど、嫌いになる理由など一つもありませんから」
「……恩。それって、入学を許可した事? それとも「行き場の無い私を追い出さずにいてくれた事、ですよ。ホシノ先輩」……そっか」
そうだよねぇ、と。そう力なく笑ってみせる彼女に、私が掛けられる言葉なんて……どこにもない。出来るのはただ、頭を下げる事だけだ。本来であれば生徒の転入や留学というのはあり得ない事なのに、そこを無理矢理捻じ曲げて入り込んでしまったのだから……この件に関しては、私は負い目しかない。
──本当に、ゴリ押しだったからな……
中央行政を担う連邦生徒会がその機能を半ば停止しているというのもあるが……そもそも、キヴォトスにおける学区というのは地球における国家の領土とほぼイコールなのだ。
となるとツテの怪しい転入生というのはほぼスパイと同義であり、そうでなくても不法移民に等しく……安全保障や治安維持を考慮すれば、転入や留学が基本的にあり得ないのは、誰にでも分かる事だろう。当然、どこも転入生なんて受け入れないし、提案もしない。のだが……残念な事にアビドスに余裕は全く、欠片も、ミジンコのツノ程も無く。各種手続きを主導したのが生徒ではなく汚い大人というのもあって、私は何食わぬ顔でアビドスに転入出来てしまったのだ。
──とはいえ、追い出されないのはホシノ先輩の優しさか……あるいは。
背負う物が大き過ぎて、今更羽虫の一匹二匹まで気にしてられないのかも知れない。そう内心で嘆息すると同時に、私はゆっくりとした動きで肩にかけていたカバンから薄っぺらい茶封筒を取り出し、それをそのままホシノ先輩に手渡す。
そちらで管理して下さい、と。
「……シズクちゃん。一応、聞くけどさ。これは?」
「三日分のバイト代です。食費や弾薬費等の諸経費は頂きましたが、それ以外の全てがそこにあります。ざっと百万といったところですが……どうか、受け取ってはくれませんか?」
借金返済の足しにはなるでしょう。そう口にした私の声は、思ったより冷たい物になってしまった。
あるいは、それも仕方がないのかも知れない。アビドスが背負う──間違ってもホシノ先輩のではない!──現在の借金は、確か九億円程だったか? その辺のサラリーマンの生涯年収が三億円に届かない程度である事を考えると、これがいかに面倒な額の借金か分かるだろう。
あぁ、そう、面倒。面倒だ。不可能ではない。勿論、本来なら子供に払える額ではないのは十二分に承知している。ケチな傭兵稼業ではどうしようもない額であることも。だが……我々はキヴォトスの学園に所属する生徒。言い換えれば、国家に所属する官僚であり、軍人であり、市民でもある。それを踏まえて考えれば、九億円程度、本来ならどうという事はないのだ。ホシノ先輩が茶封筒片手に暗い顔をする必要性だってない。だが……
──現在のアビドスのパワーでは、な……
生徒数が多かったという昔ならともかく、僅か五名しかいない今のアビドスでは利息を払うのがやっとというのが現実だろう。今の利息のレートが幾らか知らないが、ここ最近は一ヶ月辺り五百万円以上一千万円以下で推移しているのは把握している。
……暴利、だとは思う。だが幾ら暴利だとしても結ばれた契約は正当かつ強力な物。であれば、もし利息を払えなかった時は……その時は、校舎や土地は勿論、空薬莢から冷蔵庫の製氷皿に至るまで、何もかもが借金のカタとして持って行かれるだろう。それこそ離婚成立前夜の嫁さんの様に、根こそぎに、容赦なく、断固として。
だからこそホシノ先輩を筆頭としたアビドス生は皆頑張っているし、私も獅子身中の虫なりにささやかながら手助けをしている訳だが……
「ごめん。シズクちゃん。……受け取れない」
「…………そうですか。いえ、分かっていましたから、お気になさらず」
「うん、ごめんね」
ごめん、と。そう暗い顔で謝るホシノ先輩の脳裏に浮かんだのは……果たして、どんな可能性だったのだろう? 大人に騙され、怪しい契約を結び、暴利の金貸しに搾取され続ける母校……それはホシノ先輩が入学する前より続いている攻撃で、たまたま、いや、アビドスを見捨てられなかったホシノ先輩に落ち度など欠片も無い。
でも、いや、だからこそ、ホシノ先輩は外部の人間や大人に対して強い警戒心と不信感を持っている。持たざるを、得なかった。例え疑心暗鬼と笑われようと、頭の硬いパラノイアとバカにされようと、絶対に騙される訳にはいかないから。
子供が、まだ二十歳にも届かない子供が。幾ら強い神秘を持っていて、他者よりも強くてタフだとしても、たかが十七の子供が……ッ!
──どうかしてる……!
何でこんな事が許される!? そう吠えたくなる気持ちを抑え込みながら、突き返された茶封筒をカバンにしまう私に……出来る事なんて何もない。
何も、無いんだ。
ホシノの件もそうだが……借金の事さえ、私にはどうしようも出来ない。
いや、借金だけならどうとでもなるだろう。例えそれが十億だろうと百億だろうと同じ事。金なんざあるところから引っ張ってくれば良いのだから……表裏問わずやり方なんて腐る程ある。だから、金額は大した問題じゃないのだ。問題なのは、たかだか十億程度の借金すら返せない脆弱な経済基盤。学園として、キヴォトスにおける国家とイコールの存在としてあまりに脆弱なソレ。重戦車中隊を平然と繰り出すゲヘナや、砲兵大隊を簡単に動かすトリニティ程ではないにしろ……本来ならあるはずの鉄と血が、軍事力や政治力等の影響力、何より経済力が致命的に不足しているのが根本的な問題なのだ。
その原因は、言うまでもなく人手不足にある。それは誰にでも分かる事だ。しかし……
──その果てが私ではな。……どうしようもない。
ホシノ先輩だってそれぐらいの事は分かっているのだろう。人手不足を痛感するが故に、悪い大人の気配がする怪しい生徒の頼みを断り切れず、結果として信用し切れない獅子身中の虫を抱えるくらいには……
詰み、とは思いたくない。
だが、これは、子供が背負うにはあまりにも……
「……難しいですね。お互い」
「そう、だね。うん、ホントにそうだぁー……」
何でこんなに難しいんだろうね? そうにへらと、いつも通りの笑みを取り戻してくれた先輩に、私は咄嗟に声を返せず……代わりに曖昧な笑みを浮かべて、誤魔化しに掛かる。本当にその通りだと。
「銃を撃って、手榴弾を放り投げて……そうやって暴れて解決する話なら簡単なんですが、そうもいきませんからね。勿論、誰かがアッサリ助けてくれるというのも……現状、期待出来そうにありませんし」
「そうだねぇ、それは、おじさんも一緒さぁ……そうなったら良いけど、そうはならないから。うん、頑張るしかないよ」
「……手伝いますよ。出来る限り、付き合えるところまで」
「うん……よろしくね。シズクちゃん」
よし。じゃあ、続きは保健室でしよっか? と。そうこちらの左足――いつの間にか、巻いた包帯から血が滲んでいた――を睨みつけながら、ぐいぐいと手を引いてくる先輩に私が出来る事は何もなく。私はあえなくアビドス校舎の中へと引き込まれてしまう。
久方ぶりの、けれど私に取っては過ぎ去った場所でもある建物……それを見上げてしまえば、あぁ、私は思わずにはいられない。
こんな日々がいつまでも続くなら、良かったのに、と。
アビドス高等学校。
アビドス砂漠に隣接する歴史ある学校。かつては近隣エリアにあるゲヘナ学園、トリニティ総合学園と並んで、キヴォトス三大校の一つに数えられた巨大名門校でもある。
実際その最盛期には中小学校は勿論、同格であったゲヘナやトリニティに対しても強い影響力を保持するに至っており……特にその武力と資金力は並ぶ者無しと恐れられ、羨ましがられていた程だったという。
だが、その輝かしい栄光も既に砂の下へと消え去って久しく……アビドスの象徴たる黄金の太陽を体現する者は、たった一人になってしまった。
だが、それでも、彼の鳥は地に落ちてなお羽ばたいている。全ては自分を焼いた黄金の太陽の光を絶やさない為に。あるいは──あの輝かしい日々に、焼かれる為に。