折れた翼のアーカイブ   作:キヨ@ハーメルン

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第2話 シャーレの先生

 アビドス高等学校、二年生。不知火シズク。

 あるいはアビドス廃校対策委員会、外部アドバイザー、不知火シズク。それが私の、このアビドスにおける表向きの肩書だ。

 名も知れぬ弱小校から留学してきた、か弱く非力で金もコネもない凡庸な高校二年生。些か怪しいところはあれど、逆に言えばそれ以上の事は何も無く、また戦闘能力が明らかに低い為に警戒にも値しない……言ってしまえばキヴォトスによく居る不良やテロリストのご同類であり、どこにでも居る大衆の一人。それが私の個人情報の全てであり、話せる事柄の全てでもある。不知火シズクはアビドスに取って取るに足りない存在であり、いつ死んでも構わないどころか、覚える価値もないモブである、と。

 

 ──そのはず、なんだが……

 

 よく晴れた空の下。湿気が無いせいか涼しさすら感じられる風が吹く中、私は屋上のフェンスに身体を預けながら、今朝方再び巻き直された左足の包帯へと意識を傾けていた。血が滲んでいた……ただそれだけなのに、随分と丁寧に処置され、心配の表情すら与えられたそれへと。

 

「病院に行った方が良い、か。……暗語や暗喩の類いなら、気が楽だったんだが」

 

 難しいな、と。そう思わず呟きながら、私は念の為にともう一度暗語や暗喩の可能性を考え、けれど、直ぐにそれを否定する事になる。彼女達にその気はまるでないだろう、と。

 勿論、それは私の感覚でしかない。実際には医者を送ろう、に代表される様な暗殺や粛清を意味する言葉である可能性もある。だが……昨日はホシノ先輩が、そして今日は同級生であるノノミという子に掛けられたその言葉が、そういう意味である様にはやはり思えないのだ。

 彼女達の言葉を無理矢理に分解解析したとしても、それで出てくる言葉なんて、例え敵であっても怪我をしているのを見過ごせないと。そう言わんばかり甘く優しい物でしかないのは目に見えていて、だが、それは、私の想定よりも関心の値が高過ぎており……それが指し示す現実は、やはり残酷なのだ。どうしようもなく、忌々しい事に。

 

「ただの部外者。そう割り切れない優しさは……あぁ、美しいな。好ましくもある。だが、それをこの状況で発揮されても……」

 

 苦しいだけだ。そうポツリと口にした言葉が落ちていくのは、砂に埋もれたアビドスの街並み、あるいは校舎そのものだ。

 つまりは砂まみれ借金まみれで、マトモに授業すら出来ていない、青春を奪われた子供達が、そんな子供達が、部外者に対して甘さや優しさを発揮するなど……本来ならあり得ない事なのに。それでも彼女達はそれを発揮してみせて、それが何を意味するかなんて、考えるまでもない。あぁ、考えるまでもない! なのに、なのに! 

 

「ッ……いや、いや。考えるなよ、私」

 

 考えるんじゃない。なぜ私がまだここに居るのかなんて、絶対に考えるな。余計な事をするな。死にたくはないだろう? 出来る事なんて何もない。そう思い込め。

 そう握り締めた拳をゆっくりと解きながら、砂に沈んだ市街地を校舎の屋上から眺めて……数分、あるいは数秒だっただろうか? ふと、背後から声がかかる。やぁやぁと軽く、しかし少しだけ警戒心がにじむゆるやかな声が。

 

「……ホシノ先輩。すみません。起こしてしまったようですね」

「んー? 気にしなくていいよー。屋上は皆の物だしねぇ。それよりシズクちゃん。今日はちゃんと登校してくれたみたいで、おじさん嬉しいよー?」

「……先日怒られましたからね。流石に残りますよ」

 

 そっかぁ、良かった良かったと。そう言ってにへらと笑って見せる小柄な先輩に、私は翼を縮こませながら曖昧な頷きを返すしかない。まさか明日にでも出て行こうとしている、なんて言える空気では無かったから。

 ついでに言えば、起こす気の無かった人──ホシノ先輩はあちこちで昼寝をするのが趣味らしい──を起こしてしまった、というのも無いではない。だが、しかし、十メートルは離れていたのに声を掛けにきた辺り、恐らく……

 

「ホシノ先輩」

「んー? 何ー? シズクちゃん」

「……いえ、私の事は気にせず、寝てても良いんですよ? 趣味、なのでしょう?」

「んー……そうだねー」

 

 どうしよっかなぁ。などと、曖昧な声を上げるホシノ先輩に……二度寝をする気は、どうにも無い様で。私はやはりと内心で嘆息するしかなかった。

 何せ、私の勘違いでなければホシノ先輩は決して私の前ではヘイローを消さない……つまりは深く寝入って意識を落としたりしないのだ。それは部外者に隙を見せない為であり、間違ってもやられない様にする為でもあり、全ては慎重に、心を張り詰めて、警戒心を落とさない様にする為の行動で……だからこそ、私に出来る事は何もない。今更行方をくらましても、それはそれで──裏で何かをしているのではという──不安を煽るだろうし、かといって逆に仲良くなるというのも難しい。ホシノ先輩がどうこうというより、私の問題がある為に。いや、秘密がどうこうという話ではなく……

 

 ──私、友達とか居た事ないからな。

 

 さもありなん。こんなコミュ症マンに友達なんて出来るはずもないのだ。それはキヴォトスでもそうだし、前世でもそうだっただろう。記憶が消し飛んでいるから一抹の希望はあるにはあるが、まぁ、その、なんだ。無いだろう。ほぼ、間違いなく。

 というか友達が居る様なコミュ強なら、ホシノはこんな警戒MAXのハリネズミと化したりしなかっただろうし、そもそもアビドスまで飛ばされる事も無かったはずだ。

 つまり全ては私の責任であり、同時に、先輩に出来る事はやはり何一つとして存在せず。私はそうですかと曖昧な頷きを返しつつ、そっとホシノ先輩から目をそらすしかなかった。再度市街地の方へと目をやって、さてここからどうしたものかと思案を…………ん? 

 

「……んん?」

「どったの? シズクちゃん」

 

 何かあった? そう小首を傾げて長い桃髪を揺らしながら聞いてくるホシノ先輩に……私が返せる言葉は、やはり何も無かった。

 いや、今度は私が悪いのではない。現実が悪い。だって、正門の方から自転車に乗った白髪の少女……アビドス高等学校二年生、砂狼シロコ──口数の少ない子で、趣味はサイクリングだったはず──が、背中に誰かを載せた状態で校舎に近づいていたのだ。軽快に、意気揚々と、しかし悪い予感しかしない空気を伴って。

 

 ──背中に載せてるのは、人間の女性に見えるが……

 

 犬猫でもロボットでもなく、かといってヘイローも持っていない……一見すれば“大人”に見える人間の女性。

 日本なら珍しくもない、けれどキヴォトスに来てから初めて見るその存在は、私の意識をかき乱すに充分で、にも関わらず、その存在は意識を失っているのか、そうでなくともぐったりしている様に見え……あぁ、砂狼シロコよ。君はいったい何をどうして来たというのだ? 私にどうしろというのだ? まさか、まさか──いや、そんなはずはない。そんなはずはないが、しかし、言葉は出てこない。出て来てはいけない。出て来たら間違いなくその単語を口走ってしまう……

 そうたかが大人一人と同級生一人を見て何も言えなくなった私が硬直する事、数秒。あるいは数十秒。流石に何かがおかしいと察したのだろう。ホシノ先輩も私の視線の先を追って、やはり、言葉を失う。誘拐。恐らくは、いや、間違いなく、私が考えた二文字と同じ物が頭に浮かんでしまったがばかりに。

 

「おー…………シロコちゃん、ついにやっちゃったかな?」

「…………否定出来ないのが、彼女らしいですね」

 

 まぁ、被害者が生きてるなら何とでもなるでしょう。駄目なら……埋めるまでです。自首は私がします。なんて、ブラックジョークにブラックジョークを重ねて返しつつ、本当に誘拐してきたとは全く考えていないらしいホシノ先輩と共に、さてどうしたものかと視線を交わし合う。こういう時は思考が似通うが故に、それだけで足りるだろうと。

 気絶してる大人……これは、厄介事かな? 

 先ず間違いないでしょう。どうします? 

 うーん。シロコちゃんに任せる……のは、マズイかな? 

 悪くは無いでしょうが、後が怖いです。少なくとも責任者が必要かと。

 うへぇー、じゃあおじさんも行かなきゃ駄目かぁ。

 私が行って始末するのもありですが。

 そーゆーのは無しだよ。それにこれはシロコちゃんが拾ってきた問題で、アビドスの問題だから。

 なるほど。では……

 そんな瞬間的なアイコンタクトとボディランゲージの果てに導き出された結論は、まぁ、ありきたりなものだった。取り敢えず、私が突っ込みましょうと。

 

「一先ず私が様子を見てきます。いきなりトップが出張るのは……ケースバイケースとはいえ、少なくともこの場合は良くないでしょう。ホシノ先輩は別の誰かが一通り応対した後で、ゆるりと到着して頂ければ」

「おー、うん、それもそうだねぇ。じゃあ、任せたよーシズクちゃん」

 

 おじさんはもうちょと二度寝してるよぉ。最近は寝ても疲れが取れなくてさーなんて。そう冗談にしては些か真に迫った物言いを背中に、私はのんびりとした足取りで屋上を後にする。

 誘拐されたにせよ、アポ無し突撃をかましてきたにせよ、ホシノ先輩が出張るにはまだ早いのだからと。それに……

 

 ──ホシノ先輩。今日も朝方まで起きてたからな……

 

 別にホシノ先輩をストーキングしていた訳ではない。ただ、朝方遠目から校舎を見た時に、ホシノ先輩が愛銃たるショットガン──良好な性能を持つ優等生系セミオートショットガン、ベレッタ1301のカスタム品だ! ──を片手に、警備活動をこなしていたのを見てしまっただけだ。

 恐らく、夜間の襲撃を警戒し、寝ずの番をしていたのだろう。一睡もせず、たった一人で、誰も居なくなった砂まみれの校舎を。

 

 ──私を警戒して、という訳でもないのがな。

 

 最初見た時はそこまで警戒されていたのかと肝が冷えたのだが……どうやら、そういう訳でもなさそうなのが実に救えない。

 勿論、先輩は私に対して全く警戒を解いていない。同級生である他の四人の分までと言わんばかりに、私に対して不信の目を向けて来ている。それはリーダーとして極めて正しい。むしろ好ましい動きだろう。だが……それが彼女の日常となると風向きがだいぶ変わってくる。流石に毎日ではなさそうだが、しかし、明らかに手慣れた動きと巡回経路。近場の市街地に出現した所属不明の他生徒。それに対する反応の早さとポジション取り。何より、私に気づきながらも数秒で無視する事に決めたあの判断。あれは、あれが意味する現実は……

 

「……救えないな。私も、ホシノも」

 

 救えない。全くもって救えない。嫌になる話だ。そう湧き上がる怒りを虚しさへと転換し、内心を嘆きで埋め尽くしながらゆっくりと階段を降りて行く私の耳に、ふと、階段を駆け上がる音が響く。見れば、長い黒髪をツインテールにしたネコミミ少女が、その健脚を活かして中々のスピードでこちらへと駆け上がって来ていた。

 あれは、あの少女は……

 

「セリカ」

「っ……!? って、シズク先輩? こんなところに……あ、でも丁度良かった。先輩も探しに行こうと思ってたんです」

「? 私を?」

 

 ホシノではなく? そう脊髄反射で疑問符を浮かべる私に、可愛らしくも気の強そうな──実際かなり気が強く、喧嘩っ早い──猫耳少女、もといアビドス高等学校一年生、黒見セリカは……何とも言いづらそうな顔をしながら、実はホシノ先輩を呼びに行こうとしてて、などと、何とも馬鹿正直に真実を語ってくれる。ルビーの様な赤い瞳をさまよわせながら、居心地悪そうに頬をかきつつも。それでも、嘘だけは言わずに。

 

「……セリカは良い子だな。ホシノも鼻が高いだろう」

「う、うえぇ……!? い、いきなり何言ってるんですか!? シズク先輩!」

「いや、うん。すまないな。確かに唐突だった」

 

 すまない。そう重ねて謝罪を口にして頭を下げる私に、今度は別にそんな謝って欲しい訳じゃ、とあわあわしだす後輩に……思わず苦笑を返しつつ、いい後輩じゃないかと。そう届きもしない声を私はホシノに送らざるを得なかった。

 誠実、正直。そうした物は尊く、また容易く踏み躙られ、捨てられ、失われて。最後には良いように使い分けて利用される物なのだと。知っているから。だからこそ、私の口は再び褒めの言葉を形にしてしまう。だが、本心なんだと、言い訳の前置きまでして。

 

「セリカの誠実さが、私にはどうも眩しくてな。まして年下となると、際限なく甘やかしたくなってしまう。……ホシノの後輩で良かったよ。私の後輩だったら、殺しに掛かるところだった」

「……? …………うん??」

 

 あれ? 聞き間違いかな? と。そう言わんばかりの顔で疑問符を浮かべるセリカに、私から訂正を送る気は全くない。

 実際、その通りだからだ。黒見セリカという少女が、もし何かの間違いで私の後輩となって居たら……私は彼女を守る為に、徹底的に虐め抜いただろうから。

 とはいえ、そんなIFは存在し得ない。である以上、今の言葉は距離感を保つ以外の価値はなく。けれどそれこそを欲していた私は顔を無表情に戻しつつ、話を強制的に本筋へと戻しに掛かる。呼びに来た理由は察している、と。

 

「シロコが担いでいた人の事で、責任者が必要なのだろう? 屋上からホシノと見ていたから知っている。皆まで言わなくていい。直ぐに手伝おう。埋めるのは裏庭で良いか?」

「ぇ、いや、埋め……!? ち、違いますよ!? 別に誘拐して来た訳じゃなくて、いえ、そりゃ私も最初はそうかなーって思いましたけど! とにかく違うんです!」

「……ふむ?」

 

 そうじゃなくて! と。そう手のひらを見せてこちらを静止してくるセリカの話を聞いてみると……どうやら、件の大人は別にシロコが誘拐して来た訳でもやってしまった訳でもなく、このアビドスに用事があるらしい。

 何でも連邦生徒会所属のシャーレの“先生”らしいが……

 

「連邦生徒会所属の、しゃーれの、せんせい? ……いや、しゃーれ? しゃーれ。シャーレ。そうか。連邦生徒会長の置き土産。連邦捜査部、S.C.H.A.L.Eか。噂なら聞いた事がある。確か、超法規的組織だったな? それが、このアビドスに?」

「えっと、たぶんそのシャーレだと思うんですけど……ああ! とにかく! その先生は対策委員会の部屋に居るので、シズク先輩も顔を出してくれますか? 私はこのままホシノ先輩を呼びに行かないといけないので、詳しい話は」

「本人から、だな? 了解した。直ぐに向かおう」

 

 あぁ、ホシノ先輩なら屋上で二度寝しているはずだよ、と。そんな言葉を再び階段ダッシュに挑むセリカの背中に投げ掛けた私は、お礼の言葉を背にしながら、その足先を部室へと向ける。

 今更になって連邦生徒会の人間が、それも先生を名乗る変人が来るとは、と。そう嘲笑混じりの声を、つい漏らしながら。

 

「精鋭化された教材やハイテクBDの活躍と影響により、教員という教員が軒並み駆逐されたこのキヴォトスで、今更先生を名乗るとは……」

 

 余程の物好きか、常識知らずか、あるいは古い契約にでも基づいているのだろうか? そう先生に関する考えが回るのは、ホンの一巡。

 それが終わった時、私の脳裏をグルグルと駆け回るのは、むしろその先生とやらが所属する組織の方だった。つまり……

 

 ──あの連邦生徒会長の置き土産……シャーレ。

 

 噂は聞いている。と言っても、本当に名前と概要を知っているだけだ。連邦捜査部、S.C.H.A.L.E。正式名称をIndependent Federal Investigation Club……つまり独立連邦捜査部を名乗る超法規的機関が新たに出来たという話だけ。その目的も意図も、与えられた権限の詳しい内容や、構成員すら一切不明。何もかもが謎のベールに包まれた怪しい組織……それが私の知るS.C.H.A.L.E、シャーレの全てなのだ。

 

「私が知らされていない……訳でもないのが不気味だな。どこの情報部もこの組織に関してはノーマークだったはずだ。それだけ連邦生徒会がギリギリまで、それこそ公表するタイミングがあと少しでもズレれば大事になるか、初動すら出来なくなるかの二択を迫られる直前まで、全く話にも出さなかった。潰れた計画、お役所主義の隙間、処理する必要もないゴミ部所。そう思わせていた……という事か? これは。なるほど、出来るな」

 

 恐らく、これを強行したのは連邦生徒会長の代理人だろう。噂では大した事のない人物と聞いていたが……ふん、やはりカイザーPMCの情報部は使えんな。何が超巨大暗黒メガコーポの精鋭だ。連邦生徒会とて一枚岩ではないだろうに、ここまで情報を統制出来たその手腕は決して侮れるものではないぞ。確かに、件の代理は混乱を収拾する事は出来なかった。だが被害を最小限に抑えつつ、事態解決の為の起死回生の手は打てたのだ。王様より宰相が向いているタイプであり……それを警戒に値しないとは。あそこの情報部から資料を抜くのは、もうやめた方が身の為かも知れない。主に情報が役に立たないどころが有害ですらあるという意味で。

 そうクソボケカイザーの評価を更に一段引き下げながら、同時に、私はしかしと思考を継続する。もしシャーレが本当に稼働しているなら、それは大きな炎になりかねないと。

 

「噂通りならシャーレは超法規的機関。既存の法律や枠組みに縛られず好き勝手にやれる、とんでもない存在だ。だとすると……」

 

 やはり、燃えるな。どこかは、必ず。そう内心でとはいえ断言出来たのは、シャーレの持たされている権限があまりに大きいからだろう。

 詳しくどこまで権限を持たされているかは不明だが、名目の通り機能するならゲヘナやトリニティ等の巨大校の中枢から、誰もが知る大企業のトップに至るまで、すべからず強制監査を執行出来るはずなのだ。地球で言えばEUの議員やロッキードの幹部の不正を暴いて、問答無用で豚箱にぶち込む事が出来るとでも言おうか。……ふむ、さてはインターポールより権限デカいな? ここ。

 まぁ、インターポールはアニメや漫画で言われる程の権力は所持していないし、何なら警察の寄り合い所としての性格が強い場所。

 となると……権力としては合衆国大統領の方が近いのか? 大統領や米軍の罪は無かった事になる、なんて、ブラックジョークにもならないただの現実だからな。

 

 ──対抗馬になりそうなSRT特殊学園もその機能を停止していると聞く……だとすると。

 

 これは、ひょっとするとひょっとするかも知れない。件の先生がなぜアビドスに来たのかは分からないが……少なくとも書類に埋もれているフリをし、尻で椅子を磨く事に熱心な質ではないのは確定。後は現場主義か、それともただの間抜けかと言ったところだが、しかし、いずれにせよ、これはチャンスだ。

 もしシャーレが噂通りの組織なら、ここに何かしに来たにせよ、ただの視察にせよ、ゴマをするだけの価値はあるだろう。後は上手い流れを作ってやれば……私はともかく、アビドスの子達は。このどうしようもない現実から、少しは。

 

「……やってみせろよ、私」

 

 なんとでもしてみせろ。死に損ない。そう吐き捨てた言葉は……誰に聞かれるでもなく、砂が散らばる廊下に溶けて消えていく。

 それが私の、運命だと言わんばかりに。




 連邦捜査部、S.C.H.A.L.E。
 連邦生徒会長が失踪する以前に設立したとされる超法規的組織。通称名はシャーレ。その設立目的や理由が一切不明の謎の組織であり、想定される権限の大きさに反するかの様に、設立当時は構成員がゼロであったという不可解な過去も持つ。

 現在はキヴォトスの外部から“先生”と呼ばれる素性、経歴、正体……これまた何もかもが一切不明の謎の大人を招き、この人物を顧問に据える事で稼働条件をクリア。ようやく本格稼働する運びとなった。
 ……しかし、その動きは多くの生徒に取っては覚える気にもならない雑音でしかなく。また少数の生徒に取っては酷く危機感を煽る物であったという。何せシャーレはただでさえ絶大な権限と権力を持っているにも関わらず、その稼働初日に三大校の統治機構並びに治安維持組織のナンバー2や有力者を続々と入部させており、更にその流れで七囚人と呼ばれる凶悪犯の一人と交戦、撃退させたらしく……一部ではこれを武力による恫喝や政治力を駆使した内政干渉の準備であると見ており、シャーレに対する不信の目は日に日に強まっているのが現実である。

 なお、大半の知的生命体に取って真実はさして重要ではなく、大げさな嘘の方が遥かに強大かつ利用しやすい事をここに明記する。
 何せ真実が靴を履いている間に、嘘は世界を半周してしまうのだから。
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