告白の日に泣きながらラーメンをすする早瀬ユウカ 作:シャコはカニ味
5月9日。告白の日。「5(こ)9(く)」が「告白」と読む語呂合わせに由来していて、本来は男性が女性に告白する日……らしいのだが、そんなものはどこかの企業が考えたPR戦略だろう。
だけどこれがバレンタインデーなどと違って、「数字に由来する日」というのは、惹きつけられるものがあった。3月14日という、数学の運命の下に産まれたかのような私にとって、「告白」という文字列を「5989」という数字の並びに置き換えられることに、特別な意味を感じた。
計算が取り柄の私。それは「あの人」も知っての通り。
5月(コ)9日(ク)、8時(ハ)、9分(ク)。
だからこそ、
もちろん、愛の告白……、「私と付き合ってください」、と。
決行日時を決めたのは、数字に由来する日だから、だけではない。
私の中には、日に日に増していく、焦りがあった。「あの人」は、その仕事柄、毎日多くの生徒と接している。生徒たちの抱える問題を、寄り添って解決へ導き、たとえ問題や悩みがなくとも、大人として、そして時に対等な目線で、優しいまなざしと言葉をかける。
「あの人」を慕う生徒は多い。それは大人としてだけでなく、魅力的な男性として。これからもずっと側にいて欲しい、そして2人で添い遂げて欲しいという、乙女な感情を持つ生徒たちも、多いと聞く。私も、そんな「あの人」にやられた内の、1人だった。
けど、どうしても、ただの2文字を言うことが、今までずっとできなかった。たったの2文字の発話のはずなのに、それが持つ意味と、言ってしまった後のifの未来分岐を計算すればするほど、口が重くなっていった。
だけど、たとえ気持ちが伝えられなくとも、できるだけそばにいたい。
気づけば私は、なぜか毎日シャーレに押しかけ、「あの人」の家計簿を管理するという、まるで小姑のような厄介な生徒になってしまっていた。本当は、もっと可愛く見られたいのに。
そんな後悔を抱えながらも、私は、他の生徒たちよりも有利である自覚はあった。週に最低でも2回は「あの人」の仕事を手伝いにシャーレに行っている。たとえ当番でなくても、何かと理由をつけて会いに行っている。
特にここ最近は毎日顔を合わせていた。もちろん、セミナーの仕事も忙しいのだが、親友のノアの助力もあって、私は足繁くシャーレに向かうことに成功しているのだった。
負けたくない。
早くしないと、他の子にとられちゃう。
だから私は、一世一代の覚悟を決めた。この単なる語呂合わせの日時に、私の全てを賭けることにした。このままでは、きっとずっと伝えられない、私の想いを伝えるために。
締め切り効果。
5月9日の、8時9分に、伝えるのだ。
告白の日、告白の時間、に、「あの人」に。
「好きです。付き合ってください」と。
準備は抜かりなく行った。1ヶ月以上前から、「あの人」の予定を抑えておいた。「5月9日だけは空けておいてください、何があっても!!」と、面と向かって言ったし、その後も語気強めのモモトークを送った。もちろん「あの人」は私の要求をいつも通り快諾してくれた上、「絶対に空けておくよ。……ところで、何の用件かは秘密なの?」と、「絶対」という確約もしてくれた。もちろん用件は当日まで秘密なのだから、そこは適当に誤魔化しておいた。……好奇心が強く、からかうのが好きな「あの人」は、その「用件」が何なのかをずっと考えて、その日の業務が滞ってしまったのは申し訳なかったが……。
少しでも良く見られたいと思って、様々な化粧品やコロンを試し、それとなく「あの人」の反応を伺った。鏡の前で、笑顔の練習をしすぎて、頬が筋肉痛になった。自分の茹でダコのような顔を見るのも、いい加減慣れてきた。
当日の待ち合わせ場所は、34個の候補の中から絞って、有力な場所へ下見に行き、最終的にはトリニティのバラ園に決定した。5月はちょうど愛の象徴である、バラが咲き始める時期だ。バラ園にはその後も仕事の合間に何度も訪れて、絶好のスポットを探し回った。更に、午前8時9分に、人がほとんどいないことも確認できて、嬉しくなった。
準備は完璧。そのはずなのだけど。
1ヶ月間、私の中を支配していたのは、不安だった。今更で、ずっと抱えていた不安が、2倍3倍、いや2乗を超えた質量を持って、私の身体にギュウッとのしかかった。
「あの人」は私のことを、どう思っているのか……。以前、ヒマリ先輩の設計図をもとに作った未来予測装置があったが、誰にもいない時に装置にそのことを聞こうと思っていた。だが結局はただの星座占いの装置だった。あれは本当にがっかりした。
人の気持ちを完璧に理解することはできない。たとえどれだけ長い時間、一緒にいたとしても。
だから、怖い。私の計算結果……「向こうも、私に好意を抱いている」という仮説が、棄却されてしまうことも、ありえるから。
そんな不安に押しつぶされそうになる度に、「大丈夫、何度だってシミュレーションしたんだ。私ならできる」と自分を奮い立たせて紛らわせていたら、あっという間に当日――5月9日になっていた。
怖くて不安で、震えながら、メイクを整え、鏡の前で最後の練習をした。現在は早朝、まだ夢の中の生徒がほとんどだろう。私は緊張して、昨晩は夢を見ることができなかった。
さて、と、深呼吸をして、身支度を済ませる。目的の場所へ、目的の時間の遥か前に到着するために、早めの出発。私は「あの人」にモモトークを送ってから、部屋を後にした。
行ってきます。帰る時には、最高に幸せな私がいますように。
◇◇◇
今日は大事な約束があるというのに、緊急事態だ。
まさかあの子が、こんなことをするなんて……。いつも合理と理性を尊ぶ彼女に、まさか、監禁されるとは思わなかった。理由は全く分からなかったし、要求もなければ、ましてや暴力を振るわれたりすることも、何もなかった(まあそんなことをする子でないことは分かっているのだが)。それに監禁と言っても、シャーレ執務室のソファーに縄で縛られているだけだ。
監禁されている数時間、彼女はずっと私の側にいたが、話し合いには何も応じてくれなかった。ただ黙って、申し訳無さそうに、そしてとても辛そうな表情をしていた。何か大きな事情があるのは明白だった。そしてそれについて聞かないでくれ、と暗に私に言っていた。
だから縄を、彼女自身の手でほどかれている今も、彼女のことを責めることはしなかった。
「私は……子供ですが」
彼女は続ける。
「全て、背負います。抑えきれなかった気持ちとこの行動、そして、大事な人を2人、失う可能性も。だから私のことを、どうか恨んでください」
「恨むわけないよ」
私は目の前の彼女を助けたかった。しかし、どうやら手を差し伸べられたくはなさそうだった。それに、今の私には、一刻も早くやらねばならぬことがある。
「でも、なんでも私に相談してね。そのために私はいるんだからさ」
と、言葉をかけて、シャーレを出た。
今日――5月9日は、先月からずっと言われていた、「絶対に空けておいてください」という日だった。約束の時間は、午前8時。それなのに、今の時刻はもう12時前となってしまっていた。
私は急いでユウカにメッセージを送ろうと、モモトークを開く。当然、1番上に、ユウカからのメッセージが表示されていた。
『先生、そろそろ寝てくださいよ?仕事は私と一緒に片付けたはずですから、もう寝れるはずです』 22:05 既読
”ユウカのお陰でね”
『うえっ!?ま、まあそうですけど!』 22:06 既読
『変なこと言ってないでもう寝ますよ!おやすみなさい』 22:07 既読
”うん、おやすみ”
『先生、起きてますか?』 05:35
『約束おぼえていますよね?』 05:35
『今日の8時ぴったりに』 05:35
『トリニティのバラ園の入口に来てください』 05:36
『一応、8時って夜のほうじゃないですからね!?』 05:37
『それでは、待ってますね』 05:37
『もしかしてまだ寝ていますか?寝癖ぐらいは直してくださいよ』 06:11
『まあ一応、ヘアスティック持ってるので直してあげますけど』 06:12
『先生、既読がつかないので心配ですが、まさかまだ寝てたりしませんよね!?』 06:15
『いや……朝早いですし、既読がつかないからって確認する重い女に思われたくはないですが』 06:17
『ただ少し心配なだけです。それでは8時にバラ園で』 06:19
『少し早いですが私はつきました。先生は今どこでしょうか?』 07:30
『あ、ゆっくりで大丈夫ですので。ただ時間は厳守しましょう、大人なんですから』 07:32
『まさかサプライズのつもりですか?既読くらいはつけてください!』 07:41
『もしかしてまた事件に巻き込まれていますか!?無事なら返事をください!』 08:00
『ヴェリタスに聞きました。まだシャーレにいるって』 08:05
『もういいです!!先生は普段からだらしないけどまさかここまでだとは思いませんでした!!!』 08:12
『ごめんなさい』 09:30
『今までずっと、ご迷惑をおかけして。いつも口うるさくて嫌でしたよね。家計簿や領収書の管理とか、出しゃばってしまって、本当にごめんなさい』 09:40
『もうシャーレには行きませんし、先生にも会いません。今までずっと、先生の貴重な時間をいただいてしまって、本当に申し訳ありません。今までありがとうございました』 10:11
全身から血の気が引いた。大事な生徒を、私のことを大事に思ってくれる生徒を、裏切り、今この瞬間も悲しませている。取り返しのつかないことをしたと思い知らされる。絶対に手放したくないものを、手放すどころか壊してしまい、もう二度と戻らない絶望。
約束を無断で破る大人など、私の理想とする大人ではない。
それに、約束と言っても、ランチの約束というレベルのものでないことは明白だった。彼女にとって、非常に大切で、重い決心が込められた約束であろうことは、私に伝わっている。
だからこそ、それを破ってしまった事実は、十字架となり私の背中に重くのしかかった。
だが、たとえ何があっても諦めないというのも、私のポリシーであり、性格だった。
「今行くからな!!」
叫び、絶望している全身に活を入れる。引いた血の気が一瞬で戻り、胸をピンと張り、すぐに行動に移る。
今すぐ、彼女を探しに行く。そしてすべきことをする。今の私にはそれが全てにおいて優先されることだった。
だが、彼女と仲が良く、居場所を知っている可能性が高い人物に心当たりがあるが、今回は聞けそうにない。
そこで、コユキに連絡を取ってみたが……。
「知りません!それが朝からずっといないんですよ。仕事も全部終わってるから問題ないんですけど」
「連絡もとれなくて!もーー!!私の仕事手伝ってほしいのにーー!!」
……とのことで、何の情報を得られなかった。少なくとも、セミナーには戻っていないようだ。
他の生徒達にも聞き回ったが、誰も、彼女の居場所を知らなかった。何か事件に巻き込まれた可能性は……なくはないが、流石に今回は、そうとも思えなかった。
やがて、こういう人探しにおいて、最強とも言える組織の人物から、モモトークの連絡来る。ヴェリタスの各務チヒロからだ。
『先生、セミナー会計の居場所は分かったよ』 15:35
『でも、ごめん』 15:35
『先生が居場所を探していること、向こうにも伝えたんだ。私達ヴェリタスは、ホワイトハッカー集団だからね。事情が分からない以上、相手への確認は必要』 15:36
『結論を言うと』 15:36
『セミナー会計の居場所は分かった。けれどそれを先生に伝えることは、事前に止められているんだ』 15:36
『あ、危ない事に巻き込まれてるわけじゃないよ。そこだけは安心して』 15:36
私はチヒロに、ありがとう、とだけ伝え、ユウカが事件の最中にいるわけではないことに安堵した。そして同時に、「事件に巻き込まれていたから、既読も返信もなかった」という可能性が消え、再び罪悪感と申し訳無さで胸がいっぱいになり、身体が震え、顔から血がサーッと引いていくのを感じた。目から涙が出そうだった。
早瀬ユウカは、私の中で1番大事な生徒だった。先生という立場上、生徒に優劣はつけられない。しかし一緒に過ごした時間に差ができるのは、これは仕方のないことだ。
ある生徒とは一緒に昼から夜までゲームを遊び、またある生徒とは一緒に海ではしゃぎ、またある生徒とは一緒に祭りを楽しみ……。
様々な関わりのあるキヴォトスの生徒の中で、ユウカは――全ての面において、特別だった。人間離れした計算能力で私の仕事をサポートしてくれて、いつも不甲斐ない私を叱ってくれて、それでいて見放さずにいつも隣にいてくれて。私の子どものようないたずらにいつもリアクションをしてくれて、その可愛い反応に、つい、次はどんなことを言って困らせちゃおうかな、なんて、気持ち悪いことを私はいつも考えていた。
ユウカがシャーレに来るのが、楽しみだった。彼女が当番の日の前日は、まるで遠足前の園児みたいに、ワクワクしていた。その上最近は、当番じゃない日に彼女が来ることも増えてきて、これがどんなサプライズよりも嬉しかったのだ。
そんな彼女――早瀬ユウカとの、約束を、破ってしまった。
◇◇◇