告白の日に泣きながらラーメンをすする早瀬ユウカ 作:シャコはカニ味
◇◇◇
泣き疲れて、歩き疲れた。
私は一体何をやっているんだろう。何を勝手に一方的に好意をいだいて、「もしかしたら向こうも私のことを?」なんて、勝手に妄想して舞い上がって、勝手に約束を取り付けて、勝手に裏切られた気分になって……。
私って、こんなに自分勝手だったんだ。
気づいたら、辺りは暗くなって、それにずいぶん遠くまで来ていた。今、知り合いには誰にも会いたくなかった。文字通り、合わせる顔がないというぐらい、きっと今の私は酷い顔をしている。だから生徒がいない方へ、泣きながら歩き続けた。
そして、人間というものは、あてもなく歩いているつもりでも、見知った所にたどり着いてしまうものなのかもしれない、と思った。
私が今いる場所は、以前に一度、訪れた事がある場所だった。
ラーメン屋『らぁめん 千寿菊』。
「いらっしゃい!」
額の汗を拭うふりをして顔を隠しながら扉を開けると、気さくそうな店員さんがカウンター越しに声をかけてくる。店の中に客は1人もいなかった。
食券機で注文を選ぶ。「家系ラーメン 大盛り」のボタンを迷いなく押す。今はそういう気分なの。更にトッピングで「背脂ちゃっちゃ」「チャーシュー追加」「バター」のボタンも押す。今日は、今は、とにかく、自分を癒やしたい。頑張った自分へのご褒美……いや、慰み、というところか。
値段なんて気にしない。普段からあの人――今は思い出したくもない、あの人――に、口うるさく、支出について説教をしてきたが、もうそんなのは関係ない。
4枚の食券をつかみ、念のため、入り口から見えない奥の席に座る。
食券を店員さんに渡す。
「お好みはありますか?」
「お好み」、という言葉を言われた瞬間、私の心臓がドキッと跳ねた。駄目だ、今、心が敏感になっている。店員さんが怪訝そうにこちらを見たが、私はなんでもないかのように、そして震えそうな声をなんとか抑えながら、その呪文を唱える。
「濃いめ、油多め、麺固め、で」
セルフサービスのお冷を注ぎ、こういう待ち時間に普段だったら見るはずのスマートフォンを取り出さず、私はただじっと、カウンターテーブルの上を見つめていた。
このラーメン屋『らぁめん 千寿菊』は、あの人がおすすめしていたお店だった。以前、他愛もない雑談をしていた時、「得意なこと」の話題になった。私は計算が、私の親友は記憶と記録が。生徒たち――特にミレニアムの生徒たちは、それぞれユニークな特技を持っている。あの人はどうやら、それが羨ましいようだった。
「私も何か、そういうのがあれば、カッコいいんだけどな……」
いや、カッコつけたいだけですか、と突っ込んだことも覚えている。
「あ、でも、最近思ったんだけど……」
あの人のことは何でも知りたかった私はその時、手元の書類の弾薬数の計算をするふりをしながら、全神経を耳に集中させていた。
「私、隠れ名店ってやつに詳しいんだ」
まさかの答えだった。それ、得意なことというのだろうか……?と頭をひねりながら、続く話を聞いた。
仕事柄、キヴォトスの様々な場所へ駆け回るから、出先での外食が多いわけだ。……え?いや、確かに出費は多くなるけどさ、仕方ないっていうか……。ゆ、許してくれない?わ、分かってるよ。それでね?最初はレビュー評価の高い、いわゆる「名店」でご飯を食べていたんだけど、最近はね、それじゃあつまらないなと思って。あえてレビュー数の少ないお店に行ってるんだ。どんなご飯が出てくるかも分からない店に特攻するドキドキ感、これがたまらなくてね!で、「隠れ名店」をいくつか発掘したんだ。「美食研究会」って知ってるよね?……そ、そう、だね、まあ、ちょっと過激なところもある子たちだけど……。でも、私の「隠れ名店」情報を教えたら、その日の内に皆で食べに行ったみたいでさ。美味しいって言ってくれてたよ。あはは、あれは嬉しかったなあ、あの美食研究会に認められたみたいで……、って、ど、どうしたの? 私、何か怒らせちゃうこと言ったかな……?
……あの時のことを、私の親友ほどではないにしても、鮮明に思い出せる。あの人の一挙手一投足、声、子供っぽくコロコロ変わる表情、その全てを……。そして私自身の、ドキドキやワクワク、あの人に対する感情、そして、他の生徒への嫉妬心……それらも鮮明に思い起こしてしまった。
私も当然、話を聞いた日に、おすすめの中の1つに行った。それが、この『らぁめん 千寿菊』だった。
そこは、生徒たちがほとんど来ないような、中心街から離れた辺鄙な場所にぽつんとあるお店だった。初めて行った時は、よくこんなお店を見つけたな、そして、よく入ったなあの人は……、と感じたのを覚えている。緊張しながら扉を開けて、とりあえず普通のラーメンを注文した。その時は健康に気を使って、お好みは「薄め、少なめ、普通」。そうして出てきたラーメンを食べて、びっくりした。本当に美味しい……。もちろんあの人を疑っていたわけじゃないけど、正直言うと、評価数の少ないお店の中では美味しい方、という思考バイアスが掛かった上での評価だと思っていた。けれど、このお店がもしミレニアムの近くにあったら、毎日行列ができていると確信できるほどには、私の舌は喜んでいた。
だけど、おすすめのお店に行ったことを、あの人に伝えてはいない。だってそんなことをしたら、あの人のことだからきっと喜ぶだろうけど、でも、こんな辺鄙な場所にその日中にわざわざ行くなんて、なんか重い女みたいだし、ていうか暇な人みたいに思われるし、それに、まるであの美食研究会に対抗してるみたいに見えちゃうし、それに、なんていうのかしら、その、食いしん坊って勘違いされたくもないし……。
そんなことをぐるぐる考えていたら、私のラーメンが来た。
「はいよ、家系ラーメン大盛り、背脂、チャーシュー、バター、濃いめ多め硬めね!」
……注文の内容を、わざわざ言わなくてもいいのに。店内に他に人がいなくて良かった。
目の前に置かれた、脂ぎった料理から立ち昇る湯気を、まず一吸い。お腹のすく匂いだ。本格的なコース料理では食欲増進のために
今日だけは、今だけは、いつもの「早瀬ユウカ」ではいられない。はしたなく、必死で、欲望に忠実な汚い1人の子でありたかった。
だからまずは、卓上のにんにく容器の蓋を開ける。にんにく特有の、ツンとした匂いが鼻腔をくすぐり、食欲が100%超えて120%になる。スプーンにこんもりと盛り、まずはチャーシューの上に、ドバッ!ベチャ!とかける。更にもう1回、今度はスープに溶かすように、ドバッ!
にんにくは一日の推奨摂取量(1日2片、10グラム程度)があるが、それは体臭がキツくなるからではなく、腸内の有益な細菌も滅してしまうためだ。私がかけたにんにくは、グラム計算はしてないけど、多分、というか絶対、推奨摂取量を超えている。
さて……、と、私は手を合わせてから、箸で麺をつかむ。誰かと一緒だったら、少ない量を、ちゅるちゅると食すのだが、今日は違う。周りには、厨房の奥に引っ込んだ店主しか居ない。
だから私は、大量の麺を、フーフーと冷ましてから……。
ズゾゾゾゾーーーーッ!!!!
「んーっ!!!!」
思わず、呻き声を上げてしまった。濃いスープと、濃い油と、絡まった背脂が、暴力的に口の中を支配する。ああーー!!な、なんて、美味しい……。感じていた絶望や失望や情けなさが、今だけは美味しいという感情に上書きされる。
私は口に入れた麺を大して噛まずに、ごくんと飲み込む。次、次、次!
麺の次は、スープだ。いや最初にスープを食すべきだったか……、とにかくこの濃厚なスープを、飲まなければ。レンゲを沈めると、油の浮いた濃い茶色の液体に、背脂の白い塊が次々入っていく。フーフーと、少し冷ましてから……。
ジュズズズーーーッ!!!!
「ぉーっ!!!!」
通常より多めの油が投入されたどろどろのスープが、頬の内側をくすぐる!久しぶりに食べるラーメン、そして今まで食べたことのない、旨味の暴力に、私の身体中の細胞が喜んでる!私って、え、そ、そういう、性……じゃ、じゃなくて、その、そういう……癖だったのかしら!?
そこからは、まるであの人に指揮されて戦ったデカグラマトン戦のようだった。次々に指示が下り、忙しなく、そして考える余裕もなく、思考を全て指揮者に託す、あのフロー体験。「バリア張って!」「前進!」「私が合図したら、一斉攻撃!」あの時のことが脳裏に浮かぶ。
今回違うのは、指揮者が、私の本能だということ。「麺!」「次はスープだ!」「チャーシューにかぶりついて!」「そこでめんま!」「麺すすって!」「スープ!」「ほうれん草行こう!」「チャーシューとにんにくを絡めて、ほうれん草も一緒に口の中へ!!」
ズルジュルッ!ズズズズー!ハムっ!クシャクシャ!チュルッ!コリコリ。フーフー、ズゾゾゾゾゾーー!!ジュルーッ!はむっ!はーはー……あむっ!
全てに、噛むごと溢れ出てくる濃厚な旨味がある。私は食事戦のフロー効果もあり、多幸感に包まれる。きっとトリニティ生ならば、頭上で天使がラッパを吹いている。ミレニアム生の私の頭上では、原子核の周りを電子が輪っかを描いている。高速で。
半分ほど食べたところで、透明なコップに注がれたお冷を、ゴキュッ!と飲み、喉奥を冷やす。あ、これレモン水だ。口の中を支配していた旨味が薄まっていく。そう、薄まったのだ。幸せが、減っちゃった。
なら、また、欲しい。今の私は貪欲でいてもいいんだ。
どんぶりを両手で持つ。
ジュ、ジュチュズズズジュズズーーーッ!!!!!
ゴックゴク……ゴクッ……ゴク……
「プッハーーー!!!!!」
大人の人は、仕事で疲れて帰った後、アルコールの一種であるエタノールを接種したくなるらしい。いわゆるお酒。未成年の私は当然飲んだことなどないけど、その効用は知っている。脳の大脳新皮質の働きを鈍くし、感情や衝動などの本能的な部分の働きが活発化する。飲みすぎると眠くなったり、思考が散漫になったり、更に過ぎると、記憶がなくなったり倒れたりする。
なんでそんな物を、疲れた時に欲しくなるの?と、私はずっと疑問だった。だって疲れているなら、それを癒やす物を接種すべきじゃない。エタノール接種の効用は、癒やすどころか、むしろその逆で、より自分を疲れさせる物にしか思えなかった。脳を疲れさせ、胃腸と肝臓を疲れさせ、睡眠を浅くする。
だけど、もしかしたら……、と私は思う。どうしようもなく疲れた時、単なる休憩や癒やしが何の意味もならないほどクタクタになった時、疲れを軽減する物なんかよりも、むしろ、自分の頭を殴ってくれるような――自分を駄目にしてくれる何かが、欲しくなるのかもしれない。
まさに、今の私だった。大切で、特別な感情を持っている人を、自分勝手に振り回して、勝手に裏切られて、傷ついて、ボロボロになっている。そんな私に、慰めの言葉や、休憩の紅茶なんかは、何にもならない。理性なんて捨ててしまえ、と、普段なら絶対に考えないことが思考にのぼる。思い切り不健康に、思い切り怠惰に、思い切り女の子らしくないことを。
それはもしかしたら、ただの自暴自棄なのかもしれない。だけど誰にだってきっと、そういう時がある……はず。これは人間として当たり前のことなんだ、私の今していることは、大人の自棄酒と同じなんだと、そう思い込んだ。
さあ、まだまだ幸せの食事は残っている。では戦闘再開と行きますか……、と思った、瞬間。
私の目から液体が垂れた。
最初は、湯気が水滴になったのかと思った。けど、どうして目だけに。すぐに気づいた。私は……泣いているんだ。え、泣くほど美味しかったのかしら?、と、脳内にとぼけてみる。ぐちゃぐちゃになった脳でも、それは違う、と分かってはいる。
こんなに美味しい物なら、あの人と一緒に食べたい。
無意識にそう感じてしまったのだろう。ラーメンの美味しさで誤魔化せていた絶望と後悔が、再び現れた。
それだけじゃない。現在交戦中の新デカグラマトン「RAMEN」では、指揮者こそ私の本能だが、その声は……あの人で再生されていた。私は今、こんなに傷ついて、恥ずかしくて、今はとにかく何もかもを忘れたいのに、どうやら知らない間に、頭の中にあの人が住んでいたらしい。
涙が、ダバダバと止まらない。恥ずかしい。店主は厨房の奥に引っ込んでいるから見られてはいないとは言え、流石に声をあげては泣けなかった。本当は大声で泣きたい。
私は必死に嗚咽を抑えて、意志と無関係に上下する肩をなんとか抑えようとした。
あの人と、一緒に、幸せを共有したかった。そんな、私がいつも持っている感情が、ついに爆発してしまった。私の壊れかけていた理性の堤防が、ラーメンの旨味の暴力によって、殴られて、ついに壊されてしまった。決壊した堤防の穴はどんどんと広がって、私の顔に洪水を起こしている。
ここがラーメン屋で、本当に良かった。だって卓上にティッシュがあるから。何度も何度も鼻をかんでも、別に普通のことだから。それでも、10を超えたちり紙の塊を見られたら、流石に言い訳はできないか。
私は泣きながら、再びラーメンをすする。美味しい、とても。悲しい、すごく。もう嫌だ、なんてことをしちゃったんだろう、私は。バカ、バカ、バカ!チャーシューすごく美味しい。背脂、2倍あってもいいわね。今度こそ、絶対に嫌われた。取り返しのつかないことをしちゃった。あの人と、もう二度と会えない。
もっとたくさん食べたいのに、吐きそうにもなる。もう情緒も内臓もぐちゃぐちゃだ。
夢中で食べると泣くを繰り返し、どんぶりの中身が少なくなってきて、そろそろ食べ終えちゃうな……という量になってきたところで、また涙が鉄砲水のように吹き出した。ついに嗚咽が抑えられなくなった。
だって、これを食べ終えたら、私はどうすればいいの? 向き合わなきゃいけない。電源を切ったスマートフォンを開いて、あの人のモモトークを確認しないといけない。嫌だ。なんて返信が来たのか想像もしたくない。いやもしかしたら、未だに返信すらないかも。ブロック、された?もしかしたら、そうかもしれない。もしかしたら今までずっとウザがられていたけど、大人の対応をされていただけなのかも……。
告白の日に告白を失敗した事実から、目をそらしたい。もうこれ以上、辱められたくない。あの人に迷惑をかけたくない。あの人に、嫌われたくない!……でも、嫌われちゃった。今までずっと迷惑がられていたんだ、だから、今日、来なかったんだ。メッセージに既読もつけないで。ずっとこの日の、あの時間のために、準備していたのに。バラ園でずっとドキドキして待っていたのに。いや、そうじゃない、そんな自分勝手なことを考えたいわけじゃなくて……。
思考がまとまらない。後悔と、罪悪感と、少しの怒りと、絶望が、順番に目の前に現れては消えていく。
私はもう、ラーメンに手を付けられなくなった。食べ終えた時が、きっと、私の恋の終わりだから。……もう終わっているけれど、それを目の当たりにするのが、このどんぶりが空になった時。そう思ったら、もう永遠に、食べ切らなくていいかな、とも思った。このままラップをかけて冷凍保存して、一生、そのままにしておけばいい。私の恋心と一緒に凍って、最後は私の墓の中に入れてくれればいい。
そんな、合理も理性もない、子どものような逡巡をしていた時。
突然、お店の扉が開く音がした。