告白の日に泣きながらラーメンをすする早瀬ユウカ 作:シャコはカニ味
突然、お店の扉が開く音がした。
私は咄嗟に顔を伏せた。泣き腫らして、鼻水でベトベトで、きっとひどい顔をしている。今は、知り合いじゃなくても、誰も私を見て欲しくない。けれど幸い、というか僅かに残っていた合理性のお陰で、私は店内の奥の、入口からは見えない席に居た。
店主が厨房の奥から出てくる。
「いらっしゃい! ……ってあれ、久しぶりだねー!」
「あ、大将久しぶりです!」
その瞬間、私の思考と身体が凍った。
……心臓が口から飛び出るかと思った。あとラーメンも。なぜなら、すごく、聞き覚えのある声が急に聞こえたからだ。
でもこんな辺鄙な場所に、私の知っている人が、来るわけない。
だがそんな私の仮説は、店主の言葉で棄却される。
「シャーレの先生って、忙しいって聞くしねー。今日もお仕事でこちらに?」
うそ、でしょ?
「いや、今日は……。ここのラーメンが食べたい気分になって」
「へえ、嬉しいこと言ってくれるねえ!」
まって、え、どういうこと?
シャーレの先生……?「あの人」が、今、このお店に、来たの?これは現実?それとも、夢?
「あ、じゃあこれでお願いします」
「はいよ。お好みは?」
「濃いめ多め麺硬めで」
先生の「好み」は、私と同じものだった。その事実は、普段だったら、頬がとろけてにやつく顔を親友に指摘されて、からかわれる場面だ。
「へえ、いつもと真逆だね。油少なめ味薄め麺普通、じゃなかった?」
「ははっ……いつも生徒に、私の体調を気にされてて……」
「へえ、でも今日は違うんだな」
私が、いつも言っていることだった。食事をコッペパン1つで済まそうとしたり、コンビニ弁当やカップラーメンばかり食べている先生を見る度、私は、嬉しくなっていた。だって、それを指摘して、先生とおしゃべりできる時間が増えるから。先生を叱っている時は、私と先生の2人だけの時間だった。そしてそれをきっかけに、一緒に買い物に行ったり食事に行ったりできる。
でも健康でいて欲しいのもまた事実だったから、毎回複雑な気分だった。
「生徒さんから好かれてるみたいでいいじゃないの」
「いやあ……。1人でいても、なんていうか、どこかで見られてるんじゃないか?って思っちゃって」
店主が笑う。
「俺もねえ、カミさんに口うるさく言われてるよ。酒もタバコもやめなさいって。わかっちゃいるけどさ」
「ええ」
「なんつーか、注意されるほど、やりたくなっちゃうんだよなあ!」
「あはは、わかります!」
2人はワハハと笑う。
「また、口うるさく、言ってくれるんじゃないか、ってね」
”言ってくれる”?
「それが男ってもんだよな、カミさんには言えねえけど」
2人は再度、ワハハと笑う。
待って、本当にどういうことか分からない。私のボロボロになった脳が、緊急事態により、急遽、修復され始める。冷静になりなさい、早瀬ユウカ。私が今、やるべきことは……。
カウンターから、そろりそろりと顔を出す。入口近くのカウンターにいた人物は、確かに先生だった。うつむいてスマートフォンを操作しているようだった。
今が好機。
私は、いつもはごちそうさまと言って退店するところを、無言で、そして音を立てないように、けれど素早く、店の出口まで駆ける。バレるな、バレるな、どうか私に気づかないで……!
閉まっている扉を、勢いよくガラリとあけ、ヌッと素早く外へ出る。
「あ……、ありがとうございましたー!」という声を背にする。店主の反応からも、おそらく、先生に気づかれてはいないはず。私の計算通り、完璧な隠密退店だった。
たぷたぷのお腹を抱えながら、走って路地裏に来た。どうしよう……、とつぶやく。
しかし修復されていった脳は、瞬時に、新たな演算結果を弾き出した。
私がやるべきこと。この、運命とも言える好機を、早瀬ユウカは絶対に逃さない。なぜなら、もうチャンスを手放したくないから。それに、急いで退店したからラーメンのスープだって飲みきっていない。だから私の恋も、まだ終わっていない。
そして私は、演算結果に従い、コンビニに走る。私の計算ならあの量を先生が食べ切るには早くても5分、スープも飲むなら8分はかかるはず。急げ、私!間に合って、間に合って……!
◇◇◇
「……ええっ!?」
「うわどうしたの。そんなにびっくりすることかい?」
突然の事実報告に、心臓が口から飛び出るかと思った。半分ほど食べたラーメンも一緒に。
「今、生徒が来てたんですか!?……それも、青い髪の!!?」
「ああそうだよ。急いで出て行っちゃったけどね」
私がこの店を訪れているのは、本当に偶然だった。絶対にしてはいけないことをしてしまった絶望感と、どうにか取り戻したい焦燥感に突き動かされて、キヴォトス中を、1人の少女を探し駆け回った。だが誰も彼女の居場所を知らなかった。
時刻は、もう20時前。今日中に直接の謝罪をするのは、もう諦めていた。おそらく彼女も、今は1人にして欲しいだろうし、私自身も、この重すぎる十字架を、もうしばらく背負うべきだと思っている。
クタクタに疲れ切ってしまった私の身体は、本能的に、濃くてドロドロした、健康に悪い物を欲していた。どの店にしようかと迷って、ふと、本当にたまたま、『らぁめん 千寿菊』を思い出した。この店の味は確かだし、「お好み」もあるから、今日は思いっきり、この身体の欲する通りの味とトッピングをつけてやろう、と思った。
それに、私の子供っぽいところでもあるが……。不健康なものを食べていたら、彼女が、叱りにきてくれるんじゃないかと、淡い淡い希望を、妄想していたのもある。
そして出てきたラーメンは、本当に美味で、食べる手が止まらなかった。そうして、あっという間に半分は食べたか、という時に、急に大将が言ったのだった。
さっきまで生徒が来ていたよ、と。
しかも……多分、泣いていた、とのことだった。
間違いなく、ユウカだ。
そう気づいた瞬間、私はすっとんきょうな声をあげ、全ての思考がフリーズした。大将の顔を呆けた顔で見続けながら、今、私が何をすべきかを考え始めるため、大きく息を吸う。
私はユウカと違って、計算は得意ではない。だけど、一緒に過ごした多くの時間で、彼女のことを、他の人よりも知っているつもりだ。
彼女なら、どうするか。早瀬ユウカ、君なら……。
私は確信に近い仮説を立て、実行することにした。
まずはラーメンを、やや急いで平らげることにした。今すぐに店を飛び出したい気持ちを必死で抑えながら。今すぐでは駄目なんだ。彼女のことだから、きっと……。
食べながら、まさか店主との話、聞かれてたかな、だとしたらすごい恥ずかしいな……、などとどうでもいいことを思った。どうやら冷静さを少し取り戻しているようだ。
濃くて脂ぎったラーメンを平らげた。では、次にすべきことは?しかも時間は限られている。
きっと普通の人なら、ここで失敗する。
だけどこの私も、いつ何が起きてもおかしくないキヴォトスに、順応してきたらしい。準備は万端であった。
カバンから、エンジェル24であらかじめ買ってあった、タブレット錠を3つほど取り出し、ガリっと噛み砕く。
「ごちそうさま!」
「おう、ありがとな!」
急いで追いかけなよ、という言葉を背に退店する。本当はもっとじっくり味わいたい最高のラーメンだったが、今はそれよりも、やるべきことがある。
向き合おう、この絶望に。
そして伝えよう、私の気持ちを。既に半分は伝わってしまっているのだ。彼女には決して言えなかった私の本音――ユウカ、君が叱ってくれる時間が、私はとても楽しみなんだ、と。
◇◇◇
におい対策、ひとまずかんぺき〜……だろうか?コンビニで買ったタブレットには、3錠だけ飲めと書いてあるが、念の為もう3錠を噛みしだく。これで胃の中も口の中も、無臭に……なってくれるかしら。
ドキドキする胸を落ち着けるために、スーッ、ハーッと深呼吸をする。
偶然、店から出てきた先生が、私を発見する。そして先生が私に声をかける。これが、私の作戦だった。
駄目だ、緊張しすぎて、呼吸が浅い。辺りはもうすっかり暗くなっている。先生は私のこと、ちゃんと、見つけてくれるかしらと、心配になってきた。こんな時、私の親友みたいに明るい髪色だったら……と、どうしようもないことを考える。
違うでしょ、と。他の誰でもない、この私、「早瀬ユウカ」が、向き合わなきゃいけないの。あの人と、そしてこの膨れ上がった恋心と。この苦しさも切なさも、誰にも渡さない。
決着を、つけよう。
あの人の、本心を……聞くんだ。
私は落ち着くために、もう一度深呼吸をする。
スーッ…………、ハ
「ユウカ!!!!」
「……うえぇっ!!!?」
飛び跳ねた。咄嗟に後ろを振り向く。その存在を確認するために、瞼が、これでもかというぐらいに開く。
「せ、せんせい……」
「ユウカ!!」
「は、はひぃ!?」
「ごめん、色々言いたいことがあるけど、時間がない」
「……やっぱりお忙しいんですね」
どうせ、他の生徒との約束があるのだろう。やっぱり私よりも他の生徒を気に掛ける先生に、膨らんだ気持ちがしぼんでいく。
「私なんかのことは、良いですから……」
「ユウカ!!!」
「は、はひぃ!!?」
「……大声あげちゃってごめん、ユウカ。でも、もう手放したくないから」
「こんな、約束も守れない大人だけど……」
「……なんですか、急に。謝っても許しませんからね」
「ずっと、許してくれない?」
「はい、ずっとですよ!当たり前じゃないですか!!」
私は、また泣きそうになる。せっかくコンビニのトイレでメイクも直したから、今は涙を流したくなかった。でも、申し訳無さでいっぱいで、言いたいことがいっぱいあるのに、私の口から出る言葉はいつも通りで、そんな自分の駄目なところが嫌で、悔しくて、涙が……。
「それは、嬉しいな」
「……は?」
「ずっと、覚えてくれるって、ことでしょ?」
「はっ?」
「ユウカ」
「君と一緒にいる時間が、私は好きなんだ」
「叱ってくれて、笑ってくれて、困ってくれる君のことが」
「だから……これからも、私と一緒にいてくれないか?」
ぽかん、という音がするかと思うほど、私は間抜けに口を開けながら固まった。
「……そ、そんなこと言うのは、先生として、どうかと思いますけど」
全ての生徒に平等であるべき。先生がそう言ったかどうかは記憶してないが、行動はいつもそうだ。不良にも、七囚人にも、学園を巻き込んだ大規模な争いを引き起こした生徒にも、先生、あなたはいつも、優しく寄り添って、彼女たちの心の扉を開いてきましたね。
あなたは、平等であるべきなんです。
だからその事実が、ずっと、ずっと、辛かった。
私は、先生、あなただけの、特別になりたいんです。
でもそんなの、最初から、駄目だって、分かってはいたけど、ふくらむ気持ちが抑えきれなくて、ついにあふれちゃって。だから、今日の、
「ユウカも、数字に弱い時があるんだ」
「……え?」
「今はもう、勤務時間外だよ。定時はとっくに過ぎてる。今の私は、先生だけど先生じゃないんだよ」
「ユウカ。1人の人間として、言うよ」
「これからも、ずっと、私と一緒にいてくれないか?」
……私は、先生を勘違いしていたのかもしれない。朴念仁で鈍感な人だと思っていたけど、もしかしたら、私の今日の思惑も、この人は全て、察していたのかもしれない。
時計を見なくても分かる。今の時刻は、
「……先生!」
「何かな?」
「私、先生に見せてないところ、たくさんありますよ?」
「うん、そうだろうね。私もだよ」
「……引いちゃうかもしれませんよ?」
「私をなめてもらっては困る」
「……ラーメンとか、すごい汚い食べ方するかもしれませんよ?」
「1人の時でしょ?私もそうだよ。その方が美味しく感じるのはなぜだろうね」
「……他にも、たくさん。汚い内面とか……」
「良いね。全部知りたい」
「言いましたね?」
「うん、言った」
「これから長い時間をかけて、少しずつでも、知っていきたい」
「ユウカ」
「私は、ユウカのことが……」
先生のまさかの意趣返しに、私は満面の笑みを浮かべてしまい、泣いてしまった。今日の先生との勝負は、私の負けかもしれない。いや、約束を破った先生のことを考えると、引き分けでいいかしら。
先生の、私に似た、ロマンチックな部分を目の当たりにして、好きの気持ちが更に加算された。いや乗算、べき算かも。もっともっと、先生のことを知りたい。一緒にたくさんのことをして、色んな場所へ行って、色んなあなたを見たい。
先生、こんな私を許してくれて、受け入れてくれて、ありがとうございます。私は、素直になりたいけどなれなくて、可愛いところを見て欲しいけどあなたにはいつも可愛くないところばかり見られて。でもあなたと一緒にいる時間は、すごくドキドキして、楽しくて、寮に帰ってからは先生との会話をいつも思い出して、次は何を話そうか考えて……。だから諦められなかったんです。絶対に失敗するって分かっていた。あなたに受け入れられない事実なんか、受け入れたくなかった。
だけど先生は、私を、受け入れるどころか……。
まさか、同じ気持ちだった、なんて。
さて、私があの人の前で、ラーメンを汚い食べ方で味わえるのは、いつになるのかしら。そして先生の、叱られるのが好きという秘密も、いつあなたの口から言ってくれるのかしら。いや、近い内に絶対、白状させてやるんだから。そして私も、素直になれるように努力しなきゃ。
これから、ちょっとでは済まない、たーくさんの時間をかけて。
「せんせぇ……!私も、ずっとずっと、先生のことが……!」
《告白の日に泣きながらラーメンをすする早瀬ユウカ 完》