この放送があなたの元に届いていると信じて、今日も世界の中心から放送しています。 作:パンダ2世
──2030年8月6日8時00分
「ちょっとまずいな……」
窓の外を見て女は顔を顰めた。
室内にいるというのに、雨風がゴウゴウと低音を響かせている。
女には知る由もないが、台風の本格的な到来だった。
女が気になるのはバリケードのことだ。
机や椅子、棚などを寄せ集めて、頑丈そうなロープで括り付けたもので、今日までは上手く機能してきた。
二重にも三重にもして補強しているが、こうも天候が荒れると絶対安心だとは思えない。
感染者が暴風雨から逃れようとして、大量に押し寄せてくる可能性があった。
そうなると、もつかどうかわからない。
感染者に知性は微塵も感じられないが、本能というべきか、ある程度理に適った行動をすることがある。
生存者を地上に見つけても屋上からは飛び降りなかったり、いきなり噛み付きにいかずに手で捕まえようとしてきたりするのだ。
不安は積もる。
さらに女はここ数日、バリケードの見回りの回数をかなり減らしていた。
ロープが緩んでいないか、崩れかけていないか。
不安はより大きくなる。
地面に足をつけると、足首がずきりと痛んだ。
服から引きちぎった布を使って応急処置的に固定はしているが、すぐに治る気配はない。
捻挫ではない。どう見ても折れている。
認めたくなかったが、目を逸らすのも限界だ。
女はため息をついた。
食料はあと一週間分も残っていない。
調達に行くには安全圏から出て、感染者たちの領域に踏み込む必要がある。
こんな終わった世界で自分は一体どれほど残酷な結末を迎えるのかと、女は常々考えていた。
それがまさか、たかだかエアコンの修理で詰みかけるなんて思わなかった。
ちょっとした不注意が彼女の運命を過酷なものにした。
部屋が一瞬光る。数秒もせずに轟音。
窓から外を見てみれば、横殴りの雨粒にうたれ、風に煽られて転倒する腐った肉塊の姿が見えた。
近づけばきっと、あ"ー、と呻き声をあげているに違いない。
木々が見たことない角度で風に耐え忍んでいた。
いよいよ地獄じみてきたな、と女は1人で笑った。
何も可笑しくはないのに、そんな中で笑っている自分が可笑しくてたまらなかった。
ひとしきり笑ったあと、再びゴウゴウという低音が響き始める。
静寂は訪れない。
真夏の朝だというのに、空はどうしようもなく暗かった。
ラジオ体操にはげむ子供の声も、意味もなくチリンチリンと鳴らす自転車の音も、暑いなとだるそうに言うサラリーマンの声も、何も聞こえない。
ザーザーザー、ゴウゴウゴウ、ガタガタガタ、ザーザーザー、ゴウゴウゴウ。
ただ雨風の音が響き続ける。女は耳をすませた。
ザーザーザー、ゴウゴウゴウ、ザーザーザー、ゴウゴウゴウ。
ザーザーザー、ゴウゴウゴウ、ザーザーザー、ゴウゴウゴウ。
ザーザーザー、ゴウゴウゴウ、ザーザーザー、ゴウゴウゴウ、ガタガタガタ。
「…………」
女は無言で立ち上がり、そばに置いてある物干し竿を手に取った。
先端が尖った槍のような物干し竿だ。
立ち上がったことで足首に鋭い痛みが走るが、奥歯を噛んでぐっと我慢する。
物干し竿を杖代わりにしてゆっくりと一歩ずつ前進する。
「…………」
ザーザーザー、ガタガタガタ、ゴウゴウゴウ、ザーザーザー、ゴウゴウゴウ。
女の足はバリケードへと向かっていた。
一歩踏み出すごとに声が漏れそうになる。
なんで自分がこんな目にあっているんだ。
楽しく生きていたいだけなのに。
ザーザーザー、ゴウゴウゴウ、ガタガタガタ、ザーザーザー、ガタガタガタ。
雨音に混じって、何か物を揺らすような音が聞こえてくる。
初めは小さな違和感程度だったが、音が少しずつ明瞭になってくる。
ガタガタガタ、ゴウゴウゴウ、ガタガタガタガタ、ガタガタガタ。
女はバリケードを視界にとらえた。
これまで己の安全を守ってくれた頼もしい砦だ。
2メートルに迫るほど高く積み上げられた不動の要塞。
その砦が不自然に揺れていた。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。
『あ"ー……あ"ー……』
『う"ー、う"ー……』
「…………やっぱりか」
聞くだけで不快になる声。
バリケードの隙間から土色の肌が見えた。
おそらくは10匹ほど。いや、もっとだろうか。
この調子だと、いずれ突破されそうだ。
放っておいたら1時間も持たないだろう。
「…………やるか」
女は覚悟を決めた。
無造作にバリケードに近づく。
『あ"ー! あ"ー!』
女に気づいた感染者たちがバリケードを強く叩いた。
女は気にした様子もなく、物干し竿をバリケードに立て掛けた。
「ぐっ……痛」
手前の机に足をかけ、バリケードをよじ登っていく。
いつも外に出る時にやってることだ。痛みを無視すれば造作もない。
バリケードの向こう側の感染者たちが騒がしい。
生きた人間に噛み付くという本能が、バリケードを叩く力を強めていた。
なんとか頂上まで登り、立て掛けた物干し竿を回収する。
真下には大量の感染者たちが蠢いている。
恐怖で足がすくみそうになるが、女は無理矢理に笑顔を作ってみせた。
「……えー、どうもみなさんこんにちは。そんな体調の悪さレベル100みたいな顔をしてどうしたんですか。一応聞いておきますけど、私のラジオを聞いてここまで来たってわけじゃないですよね」
『あ"ー! あ"ー!』
「ですよねー。知ってました。ちょっとここを破られると困っちゃうので帰ってほしいんですけど。あとあんまり叩かないでください。揺れてるから」
『あ"ー! あ"ー!』
物干し竿を構える。
女はいちばん近くにいた感染者の頭目掛けて物干し竿を突き刺した。
ぐじゅっ、と嫌な音がなる。
『あ"ー……』
腐ったカボチャを潰したような、絶妙に気持ち悪い手応えが手に伝わる。
貫かれた感染者が動かなくなったのを確認してすぐに引き抜く。
「あ、こら、引っ張らないでください。ってやめろ! まじで」
一匹の感染者が物干し竿を掴んで、女を引き摺り落とそうとする。
それをなんとか振り払って、すかさず掴んできた感染者の頭を物干し竿でえぐった。
しかし、まだ動いている。女は再び狙いをつけて今度こそ脳天を突き刺した。
『あ"ー! あ"ー!』
感染者たちは相変わらず意味もない言葉を叫んでいる。
女は上から物差し竿を突き刺し続けた。
「あー、もう面倒くさいな! なんでゾンビサバイバルものなのに、スナイパーやショットガンどころか、ハンドガンすらないんだよ! そりゃここが法治国家日本だからだよ! ……っていたた。体重乗せちゃった」
『あ"ー! あ"ー!』
「うわあぶな……仲間の死体よじ登ってくんなよ。あと1体か。なんとかなるか……? いや、なんとかなってくれないと困る」
『あ"ー! あ"ー!』
少しだけ余裕が出来て、感染者を刺し殺しながら女は視線を奥にやった。
手に嫌な感触が伝わるが、いい加減慣れてきた。
手負の身でありながら、最後の一体を倒した安堵に浸ろうと……
「…………嘘でしょ」
奥からは大量の感染者が押し寄せてきていた。
「…………は、ははは」
女の口から乾いた笑いが漏れる。
「は、はは、はははははは」
『あ"ー! あ"ー! 』
遅いスピードで、しかし確実に感染者の群れがこちらにやって来ていた。
物干し竿を持つ手が震える。
限界の状況下で和らいでいた足の痛みがズキリズキリと主張を始めた。
「なんで……」
『あ"ー! あ"ー! 』
「なんで私がこんな目に合わないといけないの! 何か悪いことをしたって言うんですか! ふざけないでください!」
『あ"ー! あ"ー!』
「今日は……せっかく今日はスペシャル回の予定だったのにっ……」
『あ"ー! あ"ー!』
「黙れッ! 黙れよ!」
『あ"ー! あ"ー!』
言葉の強さとは裏腹に、女は物干し竿を弱々しく構えた。
先端からは緑がかった黒い液体がびちゃりと落ちた。
そして────
──2030年8月6日19時20分
『…………どうもみなさんこんにちは。『終末ラジオ』の時間です。Aちゃんです。この放送があなたの元に届いていると信じて、今日も世界の中心から放送しています』
『………………………………』
『……あ、今日はスペシャル回の予定でしたが、やっぱりなしでお願いします』
『……みなさんは、天国ってあると思いますか。私は……よくわかりません。天才のはずなんですけどね……わからないことだってありますよ』
『そして本当に唐突で申し訳ないんですが、『終末ラジオ』は今回を持ちまして…………いや、そうですね、今回を最後に暫く休ませていただきます。終わりっていうのはあまりにも悲しいので。この前一生続けるって言ったばっかりなのにごめんなさい』
『理由はちょっと、うん、察して欲しいです。…………いや、やっぱり言います。……私、噛まれちゃいました』
『やらかしちゃいました……へへへ……まぁ、そういうわけです。最初はバリケードの上で応戦してたんですけど、足の痛みに一瞬気を取られて落っこちちゃって……ドジっ子属性はなかったはずなんだけどなぁ……』
『……あーやめやめ! このラジオは明るくいくって決めたのに、何回忘れるんだ私は! 暗くなってどうする! 噛まれたものはもう仕方ないでしょ!』
『運動神経抜群天才美少女の私も人間だったってことですかね。小さな油断と不運が重なれば、どうしようもないです。いやでも、たぶん私以外だったら今こうして放送してるのは不可能でしたよ! 私だから噛まれたとはいえ、生還して放送できてるんですからね! やっぱりすごいわ私』
『うん、すごいんですよ私って。だってずっと1人で今日まで生きてきたんですから! この時代あんまり言うのはあれですけど、女ですよ女! しかも美少女! 1人で生き残ってるのどう考えてもすごいでしょ』
『でもそうですね……家族じゃなくてもいいから、友達じゃなくてもいいから、最後までには"人"に会いたかったですね。いやー残念…………ほんとに…………』
『……………………………………』
『………………すみません、明るくいくって言ったばかりなのはわかってるんですけど、ちょっと言わせて欲しいことがあります。私からの……Aちゃんからの最後のお願いだと思って許してください。……へへへ、ありがとうございます。勝手に許されたことにします』
『私は、ずっと怖かったんです。もちろん今もずっと怖いです。ゾンビになったら意識はあるのかなとか、痛みはあるのかなとか、考えただけで震えが止まりません。でもそういうことじゃなくて……もっともっと、大事なことを私は怖がっているんです。それこそもうずっと前から……』
『私は、この放送があなたの元に届いていると信じて、ずっと放送してきました。だから聞きたいんです……『あなた』は本当にいますか? いてくれてますか?』
『考えたことは何十回……いや何百回もありました。世界中の人間はすでにもうみんなゾンビになってて、私以外に生き残りはいないんじゃないかって……。だってもう何ヶ月ですか……この放送を始めてから丸3ヶ月、それより前も含めたらもう半年近くも私は人に会っていません』
『この世界に私はたった1人で取り残されたんじゃ……いや逆か……私だけ地獄に連れて行かれたんじゃないかって、ずっと、ずっと考えてるんです』
『……このラジオを始めた時は、どうせもうみんないなくなったんだと思ってました。みんなゾンビになっちゃったんだって……諦めに近い感情でした。でも、最後の希望に縋りたくて、私は1人じゃないんだって……どこかでそれを捨てきれなくて始めたんだと思います。口では暗い世の中に明るい話題を提供するためだなんだと言ってみたりしましたけど、結局は1人が怖かったんです』
『続けていれば誰かに届くかもしれない……実は終わっているのは私の周りだけで、外の人が聞きつけて助けてくれるかもしれない……そんな希望を見てたんです。流石に1ヶ月も経てば幻想だって気づいてましたけどね。どこもかしこも終わってるって。でも……不思議とこのラジオを続けていくうちに、私は本当に人気者になったんだって錯覚し始めたんですよ。なんでですかね……』
『一種の逃避的な行動なのかもしれません……ストレスに耐えかねて脳が事実を都合よく捻じ曲げたみたいな……あ、ちなみにこれ私の大学の研究分野だったんですよ。自分の身に起こるとは思わなかったですけど……ふふっ……全然笑えないですね……』
『……だから矛盾した行動を始めるわけです。人に会いたいって言ってるくせに、場所を世界の中心だとか言って誤魔化して……正確な住所を言ったときに誰も来なかったら耐えられないって本当はわかってたんですよ。だってそうじゃないですか……私は1人でいることにはなんとか耐えられました……いやまぁここ最近の言動を思い出せばかなり怪しいんですけど…………でも、……でも場所を言って誰も来なくて、世界から『お前は本当に1人だけだ』って言われたら、もう無理ですよ……』
『それを確定させるのが怖いから、曖昧にぼかしたりして……。『あなた』はいるけれど、私が場所を言ってないから来れないだけだって自分に言い聞かせて……。足が完治したって嘘ついたのだって、本当は治ってないってわかったら足手纏いはいらないと思われて……誰も来てくれなくなるって思ったからです』
『……何やってるんですかね私。場所を言ってないからそもそも誰も来るはずないのに……。矛盾だらけです』
『でも、人間ってそんなもんじゃないんですか? 私は普通ですよね? 私は! ……私は間違ってないですよね……』
『実はあれだけ痛かった足も、もう全く痛くないんです。痛くないっていうか、触ってもあんまり感触がなくて……そういうことですよね』
『私、あいつらみたいに一生生存者を探して彷徨うのなんて嫌です。だから…………だから今からここの住所を言います』
『ここには電気があります。水もあります。食糧は……ちょっとしかないけど、近くにスーパーがあります。1人だったらあと一年は生きられるはずです。私が頑張ったので、バリケードも突破されていません。ほぼ完全な安全地帯です。なんたって、か弱い私が半年も1人で生きてこられたんですから』
『なので、お願いです。ここにあるものは好きに使ってもいいので、私を
『では、住所を言います。世界の中心は────────です。もう一度言います。世界の中心は────────です。よろしくお願いします』
『…………ちょっとだけ意識がぼんやりしてきましたので、もう終わりにしましょう。このラジオは『私』のまま終わりたい』
『それではみなさんさようなら。では、またあ…………ふふっ、いつもの癖で間違いました』
『それではみなさんさようなら! 以上、謎の美少女Aちゃんでした!』
──終末ラジオ 第93回放送 聴取人数1人