まずい。
まずいまずい。
まずいまずいまずいまずいまずい。
ホエイルの額を伝う汗は今までにないほど冷たかった。
十分もせずに竜母が全滅した。それが意味するところは、エアカバーの消失。砲より遥かに遠くまで届く投槍であり、また装甲よりはるかに頼りになる盾が失われたのだ。
「……今、上がっている竜騎士は何騎?」
「33騎です」
「
そう聞くと、報告してきた士官はきょとんとした。
「竜騎士、ですが」
違う、そうじゃない。
「内訳は?それとも全て
「あぁ!えぇと…………
「風竜が2騎?他に
「全て、母艦と共に沈んだと思われます」
0ではないが、あまり心強い数ではなかった。
風竜の速さは
こんな陣容では、攻撃に回してもニホンに打撃を与えられる気はしなかった。風竜ならいけるかもしれないが、それで彼らを失ったら艦隊の防空は対空火器のみである。それもデリアとティフォンの艦隊しか装備していないが、先ほどの攻撃でティフォンの巡洋艦が全て浮いているだけの鉄屑になったせいで、それこそデリア以外の艦隊の防空は丸裸になる。
目で見えず耳で聞き取れないほど遠くから撃たれるのでは、形勢は不利どころではなかった。
だが、流石にこの段階で撤退などすればさらに面子がなくなるだけであり、せめて一当てしないといけない。少しやり合ってすぐ退けば大丈夫だろう。幸い
「とりあえず、艦隊を三つに分けて、それぞれ先ほどの攻撃が来た方向へ進めさせましょう」
先ほどの超遠距離攻撃は、艦隊の進行方向の前方と左右から来ていた。
流石にあれが大きく蛇行などしていたらお手上げだが、普通は攻撃の来た方向には敵がいるものだ。
おそらく砲戦距離でも圧倒しているだろう相手に対して、それは自ら死地に赴くようなものだが、そうでもしないと撃ち合いにすらならないのだから仕方ない。
三艦隊は、それぞれ先ほどまでの矢印陣形の、左翼、中軸、右翼をそのまま当てる。
命令は直ちに伝えられ、各艦隊はその練度に支えられた素早い速度で陣形を変え始めた。上から見ると、矢印の斜線部分が花が開くように軸から離れ、それぞれの進行方向に平行な縦陣を形作っていくのが分かっただろう。
こうなるともう接敵するまではホエイルのやることは特に何もないので、甲板に上がり前方を見据えていると、士官が慌ただしく登ってきて、遅れて砲声が聞こえた。
「提督!ヒッ、ヒゼキヤ艦隊が乱心しました!」
「はあっ⁉︎何があった⁉︎」
「ヒゼキヤ艦隊が、変針命令に従わず、立ち塞がったティフォンの巡洋艦を沈めてこちらへ向かってきています!クラ、イニェル、ツツルの艦隊もヒゼキヤ艦隊に続いて、こちらへ転針を」
当たってほしくない想定が当たってしまった。
ホエイルはやはり我が国の情報部は優秀かと思いながら、階段を下り、マスト直下にある司令室に入る。先ほどまで入っていた時は気にならなかったが、一度比較的静かな甲板上に出てみると、動力伝達軸から発せられる騒音は、壁一枚隔ててあるとはいえうるさく感じた。
「提督、ヒゼキヤに対しては、現在すぐそばにいたレミジャンティア第四艦隊が応戦中です」
参謀の言葉に違和感を覚えるが、すぐに
それはさておき、応戦中ということはもう反乱なのは疑いようがない。1発だけなら、誤射かもしれない、という淡い希望は打ち砕かれた。
ならばせめて今のうちに思いとどまらせようと、ホエイルは何度か魔信で呼びかけるが、いずれも「バカめ」と言う罵倒一語のみが返された。
「罵倒苺か?バカバカ言いおって」
参謀の一人がそうこぼしたのを聞き流し、ホエイルは士官に問いかける。
「先ほどの攻撃で狙い撃ちされたのは竜母とのみだったわね?ああ、あとティフォン艦隊も」
「はい、提督」
「では、第27と第29戦列分艦隊を彼らの背後に回しなさい。同時にドスカータ第二艦隊にも、彼らの針路上を横切るように転針するよう要請しましょう」
言いながら、彼女は机上の連合艦隊を表す駒の群れの中から第27及び第29戦列分艦隊を示す駒を取り、中央列の後方から4カ国艦隊の真後ろを取るように左前方へ動かし、ドスカータ第二艦隊の駒も4カ国艦隊の駒の列の延長線上へスッと動かした。ちょうど4カ国艦隊を前後から挟む形になる。
「それと」
「はっ」
「『ビルフェッツ』に、後ろにつけたら曲がり撃ちをするようと伝えなさい」
第27戦列分艦隊旗艦へのこの命を聞き、参謀は感服した。
曲がり撃ちとは、艦隊が目標に対しジグザグに接近しながら砲撃する撃ち方である。当然、誤射を避けるために射線上に友軍のないごく一部の船しか撃てないが、今回のように船の数が少ないならばそこまで大きな問題とはならない。また、頻繁に回頭する為両舷の砲が均等に使え、常に進行方向へ方が向けられているため船首・船尾を狙いやすかった。
およそ戦列艦にとって、真後ろを取られることは敗北したも同然と言って過言ではない。基本的に追い風が前提である帆船において、常に船長などの高級船員の居室は新鮮な空気の入る船尾に置かれてきた。特に開明国の大型帆船では船尾楼後方は派手に装飾され、煌びやかなガラス窓がはまっていることが多く、しばしば舷側や船首などより極端に脆かった。隔壁などもないため、後ろから撃たれると弾が軸線に並行に近い弾道で前へ突き抜けていき、弾薬に誘爆するなりで簡単に沈んでしまう。船尾は、戦列艦の弱点なのだ。
そこへ安定して砲撃を浴びせられるため、曲がり撃ちは追撃に向いていると思われがちだが、流石に直進に速度は劣るため、実際追撃戦で使われた例は少なく、大体は——最初に使われた時と同じように——固定目標に対する砲撃において使われた。
しかし、今回はドスカータ艦隊が前に立ち塞がることで、逃げ場を無くしたのである。さながら追う分艦隊が金槌で、待ち構えるドスカータが金床、4カ国艦隊は哀れな熱した鉄である。
この状況は、1313年7月2日、スピリダテスの主力艦隊を滅し、彼らの敗戦を決定づけたカランド海峡海戦と酷似していた。スピリダテス艦隊約300隻は、前方にて戦闘を繰り広げるデリア艦隊に気を取られて後方から接近する別働隊に気付かず、狭く長い海峡の中に閉じ込められそのまま磨り潰され一隻残らずその身を魚礁となしたのだ。ホエイル提督はその時の司令官だった。
それに、今回はカランド海峡の時と違い、4カ国艦隊は三方を敵に囲まれていた。転針していた左列の艦隊が戻ってくれば全周を包囲されることになり、まさしく逃げ場はない。
このような常人には思いつけない*1戦術を考えついた提督には本当に叶う気がしない。そう思いながら、参謀は仏頂面のままホエイルにあらためて尊敬の眼差しを注いだ。
故に、次の報告はホエイルと彼を驚かせるに十分すぎるものだった。
「追いつかれた4カ国艦隊が散開したァ⁉︎」
「馬鹿かあいつらは。曲がり撃ちなんて
部下からの報告にそう返しながらヒゼキヤ第一艦隊司令官エヒエル・ギホンは、座乗艦である80門級戦列艦「ラキシュ」船尾楼より戦列を解いて敵艦隊へ突貫する自軍の戦列艦と、突然のことに慌てたかあらぬ方向に砲撃している敵艦を眺めていた。
現在、彼の指揮する第一艦隊は、相手であるレミジャンティア第四艦隊を圧倒しつつあった。
「な〜んか歯応えがないな。他の艦隊も戻って来んし、さてはバグダールの野郎俺が怖くなったな」
昔はよく突っかかって来てたのによ、相手してくんねえとつまんないじゃん。
そうこぼす上官の姿を見て、先ほど報告をした士官は寒気を覚えた。はて、今は2月だろうか。コートこそ着ていないが、長袖ではあるのだぞ。
その時、ギホンの上機嫌な声が聞こえてきた。
「お?新手だな、右舷前方、真ん中よりやや右寄り。あの旗は……ドスカータか?ミスフォティアの国はどこも似たような旗だから見分けが付きにくいんだ、全く」
士官も近くで何もない方向を見ていた船員から望遠鏡をひったくると、ギホンが顔を向けている方の水平線を見る。初めはよくわからなかったが、しばらく水平線から少し手前に並んでいる本隊の戦列艦の列を行きつ戻りつしてやっと、こちらへ舳先をむけ本隊の列から離れていくばかりと思しき戦列艦の姿を見つけた。しかし、流石に距離が遠くどのような旗かはわからなかった。
そんな士官の様子には目もくれず、ギホンは足場にしていたとっくに空になっている林檎の木箱を蹴飛ばすと、船尾楼の縁に寄って叫んだ。
「新たなお客だ!ドスカータの
それを聞いた船員は威勢の良い返事を返しつつ、士官の指示のもと、小艦隊旗艦へ魔信をかけ、旗旒信号をマストへ掲揚するなどして命令を伝えていく。
彼らの立ち向かうドスカータの艦隊は自軍のおよそ倍であり、80門級の数においても劣っていることは海軍年鑑でも見ればすぐにわかることだが、彼らに不安の色はない。
「にしても、演習でわかっていたことだが、これは本当にすごいな」
ギホンはすぐ近くにあった砲に手を置く。その手の下には、流麗な紋様が刻まれていた。
これこそが彼らの自信の源だ。
射撃自動修正術式、王都ヘフツィ・バの地下で見つかった古代の機兵からそっくりそのまま写し取った古き叡智。砲手が目視で確認した標的に対し、いかなる原理かは不明だが、驚くほど正確な砲撃をしてみせる夢のような魔法。紋様部分に体を直接もしくは魔石を握った状態で触れさせるかしなければ効果を発揮しないため、火傷をするか魔石が削れるかの二択を迫られるのが玉に瑕であるが、これにより効力射までの時間と消費弾数は大幅に減り、戦力は向上した。
それだけではない。
「失礼します」
割り込んできた観測手が握った魔石を紋様に触れさせると同時、装填手が薬包と共に腔底に押し込んだ弾は、椎の実形をしていた。
そう、ニホンから指摘を受け、ヒゼキヤは球形砲弾から脱したのだ。
しかし工作精度の問題から砲は滑腔砲のままであり、また砲の口径を厳密に揃えられないため、どうしても砲の内径より弾の直径を小さくせざるを得ず、逃げるガス圧を補うために未だに
装填が済むと砲長は撃鉄を引き起こして針口から撃針を差し入れ、観測手と共に屈んである程度狙いをつけると、後ろに下がり引き金綱を勢いよく引いた。
途端撃鉄が平たくなっている撃針尾部に叩きつけられ、叩かれた激震は薬包嚢に押し付けられ、衝撃を与える。嚢内の魔石火薬は突如与えられた強い衝撃に反応して爆発し、発生した急激な熱膨張と魔力奔流は弾丸を
撃ち出された弾が布製の
手早い作業で準備がすみ、二射目を放とうといったところで、目標のマストに降伏旗が上がるのが見えた。
ギホンはつまんねえなと思いつつ、こう呟く。
「にしても、奴ら遅くねぇか?あんまり遅いとこちらも間を持たせられなくなってくるから遅刻なんてやめてほしいが」
ギホンの呟きに遅れること数十分、午前6時をややも過ぎた頃、連盟艦隊の側方わずか3kmほどの距離に、ネイヴィスト第一艦隊がいた。
彼らは甲板から帆布まで徹底的に海色に塗ったことによる低視認性を活かして連盟艦隊に接近し、並走していた。すでに準備は整い、号令さえあれば一斉に射撃を始める。
どうやら自分の艦隊が最も最初に連盟艦隊を射程内に収めたようだと気づき、ネストリウスは何やらぼさっとしている提督の前に出、高価な金属製の拡声筒を構えた。
「諸君、我々は今大きな物事をやってのけようとしている。東方連盟の連合艦隊の撃破だ。彼らは金属を身にまとい、凪だろうと動くことができ、その数は千をも超える。一方我々は剥き出しの木であり、風がなければ櫂を漕ぐしかなく、数に至ってはたったの15、友邦を含めても二百に満たない。堅さ、速さ、数、劣っている。圧倒的なまでに劣っている!だが、船は良くとも、乗り組む人はどうなのか?彼らは楽に溺れて鍛錬を怠り、自慢の大船で悠々と酒盛りをしている。力仕事など魔法任せだ。何もしなくとも船は進むし、清く保たれ、快適だ。海を行く宮といっても良いだろう。確かにそのような船は魅力的だが、そんなものに乗っていては海の男ではないッ!荒れ狂う海、叩きつけてくる雨、帆を裂く強風、襲いかかる海魔。それらと比べて哀れなほどに小さい船に我らは乗って、それらを乗り越えてきた。奴らは4月のオエヒーヴの時化を知らない。9月の
それだけではない!見ろ、あれを!今、我らと彼奴等の間はざっと3knもある!3knだ!3knとは何かわかるか?そうだ、彼らの使う砲の射程の外であり、この度友邦が誂えてくれた素晴らしき砲の射程の中だ!人の質で優っていて、砲でも優っているならば、いったい何が我々の勝利を妨げる?数の不利など、ひっくり返してみせようではないか。
では、我々の勝利へと至る一撃を、今ここに放とう。
かくして旗艦より放たれた砲弾16発は山なりに飛翔して右翼の連盟艦隊の端に着弾し、そのうち1発が命中して一隻のマストを砕き、水兵たちの士気を上げた。
ホエイルは、「しまった!」と声を上げた。
次週は定期試験のため更新なし
魔石火薬悩んで3時間くらい潰れた
Q:何でネストリウス王の小鳥に嫌われてるの?
A:王の小鳥的に必須なもの(自己犠牲の精神など)がないから
ちょっと日付変わりそうなので小ネタ解説は投稿した直後に追加するし次回予告も修正するからので待って
小ネタ解説
・
・罵倒苺
「罵倒一語」の変換ミスから生まれた謎の植物。多分近くでなんか罵倒を言ったらその一言だけ食べられるまで繰り返す苺
・曲がり撃ち
正気じゃない
・ギホンとバグダール
連盟の士官育成プログラムで送り込まれた留学先が一緒だった
・ミスフォティア
メテリアス大陸北東部のやたらくねった細長いところ
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氷 ( \ →
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| ————
| __ \
/ \ \ \
/ ̄ ̄ ̄ \ \ \←ドスカータ
/ | \_|V
・海戦の現状
↑日本艦隊
\クラッセルブリア
/グルタミア
ドス2
残 |
\ り | /
\ ↓ | /
・ | / |ネイヴィスト
四カ国√ | (
/ | \
/ |
|
第27く |
第29\ | \ファンポック
|
|
|
|
ー次回予告ー
————「そんな……!そんなまさか!」
主力と主力がぶつかり、いよいよ海戦は盛り上がっていく。
生き残るのは、どちらなのか————
次回、「ネイヴィスト西方大海戦④」