融界ドラゴネット −あさおんからはじまる世界融合− 作:桐型枠
三人称視点があります。
僕たちの住居だけど、今は基本的に横浜のALV社工場予定地を便宜的に使わせてもらっている。これは元のマンションだと襲撃を受けた場合に想定される人的被害が洒落にならないためだ。
まあ、こっちはこっちで襲撃を受けたら物的被害がエラいことになるが、人が死ぬよりマシだという話になった。
そんなわけで、一応の生活が送れるように、キッチンなども備え付けられているのでそれなりに料理もできる。今日はディセットと姉さんの要望で「ちょっと凝ったカレー」ということになった。
でも冷静に考えてほしいんだけど、夕食までの短時間でそんな簡単に凝ったカレーなんて作れないんだよね。
というわけで、別方向に凝ることにした。
以前聞いた「肉に電気を通すと旨味が増す」という理論を実践するため、牛すじ肉に高圧電流を通した上で圧力鍋で煮込むという方法だ。結果、評価は概ね悪くなかった。
そんな食卓でふと、鬼鞍さんがそっと指を立てて僕に向かって口を開いた。
「リベンジいいっすか?」
「何の?」
僕はその言葉にキョトンとするしかなく、そんな僕の様子を見て鬼鞍さんはまたしても断末魔めいた声を上げて膝をついた。
そもそもリベンジだ何だと言われる理由が無い。そもそも何のリベンジなのだろう。
「これでも漫画家の端くれとして」
「連載持ってない今漫画家か?」
「ちょっと出版社に繋がりがある実質無職では~?」
「ダメージ重ねてくるのやめてくださいっす……」
「えっと、それで……」
「こ、これでも漫画家の端くれとしては『なんでもいい』はマジでなけなしのプライドが傷つくんっす!」
「それはごめんなさい」
「あ、はい……じゃなくて!」
芸術家や漫画家のことはよく分からないけど、こうまで言うからには大変自尊心が傷ついていたのだろう。
そうなると、悪いことをした――とは思うが。
「というわけでナルミちゃんが『おっ』と言うようなデザインを出してリベンジしたいんっす」
困ったことになった。
一度何でもいいと言ってしまった以上、下手にお世辞を言っても鬼鞍さんは納得しないだろう。
かと言って僕の感性と合致するかと言うと……うーん……しかしこう、フンスと息を荒げるこの人を見ると止めるのもはばかられるし……。
「期待してないっすね!?」
「そんなことは」
「そういう目をしたっす……!」
そして思ったよりも頑なで面倒臭い。
変なところで変なプライド持ってる人だな……モラルは投げ捨ててるのに。
「まあやる気出す分にはいいんじゃねーか? 見た目だって大事だし」
「ディセットがそういうこと言うの珍しいね? 実用性重視じゃないんだ」
「俺は別に見た目が棒と板だけでも気にしないけど、一般論としてな」
ディセットの場合はそんな気の抜けそうな見た目でも、普通に巨獣を一方的に倒すくらいはやりかねないから怖い。
……やりかねないってレベルで済むかな。やるんじゃないかな本当に。
「敵に威圧感を与えるとか、味方を鼓舞するって意味でも外見を整えることは大事だ。俺のワーカーだってある程度はそういう意図で外見を気にして造られてるらしい」
「まあ……たとえ味方でも……変な見た目の相手に助けられたら複雑でしょうね……」
「ワーカーは災害支援でも使われることがあるからな。各企業の特色を出しつつ、被災者に威圧感を与えすぎず、かつ頼りになるような見た目なんて要件が求められるくらいだ」
「面倒臭いよね~」
「正体を隠すにしても、ある程度そのような意識は必要であるということだな」
めんどくっさ。
「というわけで、本人からの意見も吸い上げたいっす、はい」
「……そういうことなら」
自分は良くても他の人への影響があると言われると、流石に首を縦に振るしかない。
内心小さくため息をついた。大したこだわりも無いのに、琴線に触れるデザインだなんてあるものだろうか?
そんな風に不安に思っていると、ひと足早くカレーを食べ終えたディセットが立ち上がった。
「ごちそうさま。ちょっとコンビニ行ってくる」
「何か足りなかった?」
「いや、ここナルミんちじゃないの忘れてた。ちょっとアイス買ってくる」
「ついでに皆の分の買い出しもお願いね~」
「了解」
姉さんから千円を受け取ると、ディセットはそそくさと外出していった。
鬼鞍さんは見るからに安心している。まあ、190cmオーバーでスカーフェイスの細マッチョに散々怒られたら苦手意識くらい感じるか……。
「あの~、鬼鞍先生? 別に基準が甘くなったりはしませんからね~」
「も……もちろん分かってるっすよ、あは、あはは……」
さては期待してたなこの人。
ともかくデザインの話を詰めていくことにする。グリムさんは姫様捜索についてCEOと話しに行ったので部屋に残ったのは僕ら四人だ。
まず鬼鞍さんは傾向を掴むためにということでネットで検索していくつかの種類の仮面をこちらに示した。
「そのまま使うようならわたしは分かりますからね~」
「それは大丈夫っす! ……いや大丈夫かな……どうだろ……」
「ど……どうして自分の行動に自信が持てないのですか……」
「記憶のすり替えっす」
「どういうことです?」
「以前見ただけのものを、自分が考えついたことだと思いこんで記憶を作り変えることがあるんす」
かなり重症だ。
いや、自己正当化というのは誰でもすることではある。ストレスを緩和するためにはある程度の思い込みで気持ちの切り替えを必要とするからだ。記憶をすり替えるというのもその一環として存在はしてる。
ただどうやら鬼鞍さんはそこが微妙に行き過ぎている。多分週刊誌の連載で、締め切りのストレスに長い事さらされていたせいだろう。切羽詰まれば詰まるほど人間の判断力は落ちていくし……。
「そんな作り方してるんで、そのうちストーリーが自己崩壊を始めるんっすよね……」
「編集さんは何をされてるんです?」
「へへぇ」
この笑い方は何かやましいことがある時のやつだ。
「詳しく話していただけますね?」
「や、あー……いや……ボツとか修正食らわないようにギリギリに提出して……っす……」
「そういう問題を解決するために編集者がいるのに自分から仕事させないようにしてどうするんです?」
「ごえっふド正論……!」
それを正論だと思うなら最初からやってください。
……っていうのは難しいんだろうなぁ。人は正論だけで動くわけでもないし、もしそうなら僕は不正会計殺しなんて言われるほど変な会計を処理してない。
「せっかく作ったものを否定されるの嫌じゃないっすか?」
「否定してるんじゃなくて……内容をブラッシュアップしようとしているのだと思うのですが……」
「自分はただ……好きなように描いて褒められてチヤホヤされてあとついでにお金が欲しいだけなんっす!」
「俗物……!」
「承認欲求に狂わされてるねぇ……」
SNS中毒の原因これか。
それで批判受けちゃ本末転倒だと思うんだけど、不特定多数からいいねを貰うのはそれほどまでに魅力的なことなのだろうか……。
そういうのも原動力になることは否定しないけど、何事も過ぎると毒だということがよく分かる。僕も気をつけよう。それ以前にスマホ壊れてSNSどころじゃないけど。
「ナルミちゃん、メカニカル系好きっすか?」
「え?」
無駄話してる最中にも、仮面の画像はどんどん流れていく。そんな中で鬼鞍さんは突然そんなことを見抜いてきた。
今、確かに画面に映ってるのはサイバーパンク風というかちょっとメカニカルな雰囲気をしたものだ。見ててぼんやり、あっこれちょっといいなーと思っていたのは確かではある。
「何で分かったんですか?」
「視線っすかねー。他と比べたら若干興味ある風だったんで」
なるほど、観察眼に優れているらしい。あの短時間でイーバを模写してたくらいなんだから当然といえば当然かもしれない。
「方向性は見えたっすけど、ナルミちゃんのイメージにもある程度合わせなきゃっすね」
「ではやっぱり……ドラゴンでしょうね……」
「ドラゴン風で、りょーかいっす……けど、正体隠すまではともかく、ナルミちゃんメチャ強だしなんか光の輪っかみたいなの背負ってるし、相当目立つっすよね? すぐ特定されません?」
「バレバレでも隠してるって事実が大事なんですよ~。確証が無い限り、別人かもしれないって可能性は常についてくるので断定できなくなりますしねぇ」
「先輩も……能力の特性を考えると……色んなところから狙われて当然、ですし」
何せ僕は火力がどうとか原子力がどうとかいう以前に電気を直に発生させられるので、エーテルの放出と合わせれば脅威の発電効率100%オーバーである。オマケに発電量も異次元そのもの。我ながらとんだナマモノになってしまったものだ。
普通はこんなスーパーエコ発電生物、各国が放っておくわけがない。けど、顔を隠してイーバを倒した何者かと神足ナルミは無関係です、とすることで多少の時間は稼げる。あくまで多少だが。
「変に火種を広げないためにも、顔は隠したいんですよね」
「はーっ。色々考えてるんっすねえ」
「まあ、よっぽどでもないとなっちゃんに喧嘩売る人はいないと思うんですけどね~」
「そりゃまたどうして。魅力的な能力なんっすよね?」
「三分もあれば小国くらいなら丸ごと更地にできる人、怒らせて敵にしたいと思いますか~?」
鬼鞍さんは閉口して体を震わせ、首をぶんぶんと横に振った。
……そりゃ能力的にやってやれないことはないけど、心理的にやれるかは別だ。無関係な人を傷つけるなんて考えるだけでも辛い。
と、言っても近しい人はともかくそれ以外の人たちはまず信じてくれないだろうな。
苦笑いの中、僕は小さくため息をついた。
コンビニの明かりが夜道を照らす。その中で、ディセットは殺意を剥き出しにして禿頭の男を睨みつけていた。
彼の態度はおよそアイスを買いに来たというそれとはかけ離れており、手に買い物袋も握られていない。
「わざわざ俺に殺されに来たのか?」
銃こそ握っていないが、今にも殴り殺さんばかりの激情が漏れ出る。
対して、彼を呼び出した男――マクシーム・ストロエフは涼しげな笑みを浮かべてそれに応じた。
「そうツンケンすんなよ。今日はやり合いに来たわけじゃあねえ。お前さんだってただ殺しに来ただけじゃあるまい。情報が欲しいんだろ?」
「…………」
ディセットは舌打ちをして視線を逸らした。そもそも、彼がコンビニに行くと言って外出したのは方便である。
食事中、彼のもとに唐突にストロエフからメッセージが送られてきたのだ。思わぬ人物からの唐突な呼び出しはこれで二度目である。慣れたとは言えないものの、動揺を表に出さずにいられたのは以前の経験があってのものだろう。
ただの呼び出しであればディセットも応じることは無かっただろう。しかし、自分は先日戦ったルクバトのパイロットであるという旨を明かされ、「自分たちのことを教えてやる」とまで言われれば話は変わってくる。次は確実に殺すと宣言はしたが、今は情報の方が重要だ。
「まあ何か軽く食いながら話そうぜ」
「ここで話せ」
「分かってねえな。テメェは情報が欲しい。だがその情報を持ってるのは俺だ。選択権はこっちにある」
不快感をにじませながらも、あまりに貴重な情報源を前に、ディセットはこれに承諾するほか無かった。
とはいえ、何も彼はバカ正直に一人でこの場に来たわけではない。先に通信で知らせていたグリムもまた、フォーグラーCEOとの話という名目を使って遠方からこの場を監視しており、いざとなれば即座に攻撃に移る算段は立てていた。
彼らが入店したのは、すぐ近くのファミレスだ。
「俺この季節のフルーツパフェ」
「チョコバナナのパフェをくれ」
「かしこまりましたー」
「――あの時散々やられたくせに随分いいもの注文するじゃないか。腹はいいのかよ」
「生憎と頑丈でね、確かに生死の境を彷徨ったがこの通りよ」
多少無理を押しちゃいるが、とストロエフは喉を鳴らした。
先日の戦闘で彼が内臓をいくつか潰したのは事実だ。普通に考えれば死ぬか、数カ月はベッドから起き上がれはしないし、一生流動食ということもありうる。それが数日でこのような、胃に負担をかけるものを食べられるようになるのだから脅威の一言であった。
無論、ディセットは「頑丈だ」というストロエフの言葉を真に受けることは無いが。
「くだらん冗談を聞きに来たわけじゃない。本題から話せ」
「ユーモアを持てよ。余裕の無い男はモテんぞ?」
「余計なお世話だ」
「で……本題ね。さて、どこから話すか……」
ストロエフは水をあおった。長話になるというアピールよりも、むしろそれほどまでに回復しているというアピールだとディセットは解釈した。
「そもそもだ。俺たちがドラゴンを殺してるのは、それによって願いが叶うからだ」
「はぁ?」
「いや、ちと違うか……望んだ世界に作り変える……だな」
「お前……与太話をしに来たのか?」
「ハッ、与太話だと思うなら勝手にしろ。だが、そうじゃねえってのは……分かるだろ?」
これによって思い出させられるのは、これまでに何度も起きた異常事態だ。
単にひとつの世界の中で起きた出来事ならまだ否定もしきれるが、三つの世界に跨っておよそ既存の法則にとらわれない異常事態が頻発しており、ストロエフたちが世界の法則から外れた異常な力を行使できることは目に見えて理解できる。
あるいはそういうこともありうるか、という考えが頭をよぎったところで、ディセットの考えを見透かしたようにストロエフは唇の端を持ち上げた。
「一定の信憑性はあるだろ?」
「だから俺に仲間を差し出せと?」
「そうしてくれりゃあベストなんだがなぁ」
「殺すぞ」
「怖い怖い」
刺すような殺意を受けてなお、両手を挙げてストロエフはおどけてみせる。
彼が余裕を保てているのは、現状が比較的有利であるためだ。横浜市街地近くの飲食店ともなれば、21時近い時間になろうとも客足はそう簡単に途絶えない。今、ここで「闇」を開放すればそれだけで大きな人的被害が生じるだろう。事実上、視界に入る全ての人間がディセットに対する人質となっているようなものだ。
とはいえ、あまり楽観できることでもない。人質を盾として使えるのは、あくまで彼らが生きているからこそなのだ。全員が死ねばディセットは容赦なくあらゆる手をもって殺しに来るだろう。
「お前さん、神は信じるか?」
「……いや?」
「今どこ見て言った?」
「髪っつったから……」
「ゴッドの方だクソガキ」
「信じる奴を否定はしねえ」
同時に、興味も無い。言外にそう告げるのをストロエフは咎めなかった。
「普通はそうだろうよ。だが――」
「季節のフルーツパフェとチョコバナナパフェ、お待たせしましたー」
「…………」
「チョコバナナはこっちだ」
「ごゆっくりどうぞー」
「なあ、おい」
「言うな。場所ミスったとは思ってる」
「いや、それ以上に何で俺はゴリゴリのタコオヤジと二人で何でパフェつついてんだって……」
「言うな」
これ以上冷静になると何やら嫌なことに気付いてしまいそうになり、ディセットはとりあえず話の方に集中することにした。
今の彼らの姿は、間違いなく異様である。カシャリというスマホのシャッター音には努めて気付かないフリをした。
「……まあいい」
いいとするにはノイズが大きすぎるが、ディセットはそこで口を開くべきじゃないと己に言い聞かせる。
「俺たちのいるこの世界は、このパフェみたいなもんだ」
「どういう意味だ?」
「グラスが世界全体の大枠。この中は層構造になってるだろ。だいたい三層ってところか……こいつを、こうすると」
ストロエフはパフェを軽くスプーンでかき混ぜた。同時に内部の三つの層が混ぜ合わせられ、複雑な色味を示す。
「混ざり合う。世界という大枠の中で層が一つに融合する。三つの世界に散逸していたドラゴン共を一つの世界に集め――」
それを、ストロエフは思い切り掬い上げて口に放り込んだ。
「全て始末する。これが俺達の"融界"計画の簡単な概略だ」
「……神の話はどうした?」
「簡単に言やドラゴンを殺せばこの世界を作った神が現れるってこった。これを殺し、『神』をすげ替えることで世界が作り変えられる」
枝葉末節を省いて本筋だけ語られているため、ディセットから見て不明瞭な内容が多すぎる。
世界という大枠が存在し、それが観測できるということは、この三つの世界とは別の世界が存在するということだ。更に、別の世界には異なる「神」が存在し、この世界を狙っている。
馬鹿げた話だと斬って捨てることも可能だし、ディセット自身そろそろ頭のキャパシティが限界に達しそうなので聞き流してしまいたいところだったが、今この場にいるのは彼一人だ。熟慮して、言葉を告げなければならない。
「お前はこっち側に来られる素質がある。あるだろう? お前にだって変えたい過去や、取り戻したいものが」
「…………」
ディセットの脳裏に一瞬、過去の記憶がよぎった。
金星事変における一連の騒動において失われた一般人たちの命、そして自分を支えて命を救ってくれた戦友たちの顔。
怨嗟、決意、慈愛、様々な種類の声が響いて消える。永遠に忘れることはできないであろうそれを、しかし彼は心の奥底に仕舞い込んだ。
「お前の話にはいくつかの問題点がある」
「何?」
「1つ目。望んだ世界に作り変えると言ったな。だがお前らは複数人からなる集団だ。じゃあその望みがそれぞれで矛盾する内容だったらどうなる?」
「妥協して、対話する必要はあるだろうな。あるいは、その願いによって再度世界が層構造になることもありうる」
「2つ目。仮に世界を作り変えることで犠牲になった人が蘇るとして――ドラゴンと融合した人はどうなる?」
「……断言はできん」
「分かった。もういい」
「いくつか聞きたいことがあるんじゃなかったのか?」
「ああ。けどもうだいたい分かった――俺がお前らに手を貸すことは絶対に無い」
ディセットは吐き捨てるようにそう告げた。
元から彼は敵に手を貸すつもりは微塵も無い。場合によっては懐に入り込むことも必要ではないかと考えていたが、同時にその可能性もこのやり取りの中で消えた。ストロエフの話には、およそ無視できない問題があるからだ。
「一人でも『犠牲者を蘇らせない』ことを望む奴がいるなら、お前らはそれを考慮して世界を作り変えなければならない。ドラゴンが蘇るか断言できないというのも論外だ。俺にとって許容できる問題じゃない」
「善処する、と言ってもか?」
「その言葉、お前自身が信じられるのか?」
しばし、沈黙が続いた。
ディセットもストロエフも回答を示すことなく、手と口だけが動いてグラスの中身が消えていく。数分ほど経って先にパフェを完食したストロエフが立ち上がり、ディセットを一瞥もせずに出口に向かった。
「この話はここまでだ。次会う時は容赦はしない」
「こっちのセリフだ、虐殺者共」
カランと小さくスプーンが音を立てる。去っていったストロエフを見送り、ディセットは小さく息を吐いた。
この場所は立地的に工場からそう遠くない。いくら何も言わずに出てきたと言っても、ナルミの感知能力ならストロエフの存在を感知できていなければおかしいのだ。
それでも察知できないということは、彼はナルミの感知範囲内に来るまでにダークマターを一度も使用していないということだ。場合によっては、電車を乗り継いでこの場に現れたということもありえる。それなら、以前の黒騎士戦のように銃が通じないということは無かったかもしれない――と、その背が見えなくなってからディセットは思い至って後悔した。
(……情報は得られた、が……ったく、俺のアタマの許容量じゃギリギリだぞ……)
糖分を補給できたのはある意味では幸いだったかもしれない、と思いつつ、後を追うようにディセットも店を出ようとする。
そこで彼は、思わぬものを目にした。
「お会計1480円です」
「……あの野郎会計してねえのかよ!!?」
彼の手持ち金は、仮拠点から出てくる前に借りた1000円だけである。
自分の分だけを支払うつもりでいたディセットは、インプラントによる通信を用いて誰かが迎えに来るのを待つ他なかった。