融界ドラゴネット −あさおんからはじまる世界融合− 作:桐型枠
「離れろオオオォォッ!!」
衝撃と恐慌の中、ディセットは半ば本能的に周囲に向かって叫んでいた。
イーバが襲来した時のために、彼は機械の世界で幾度となく避難訓練を積んでいた。パイロットである彼にとってはあまり有益と感じられない訓練ではあったが、しかしいざ目の前でことが起きればそうした訓練にも意味があったのだと実感が生じる。
固定されたテーブルの上を走り、椅子をイーバに向けて蹴り倒しながら呆然とするナルミのもとへ向かう。衝撃の度合いはディセットの比ではないことは明らかだが、何としてでも正気に戻ってもらわなければならなかった。
「何――これ」
「くっ!」
だが、不可能だ。ディセット自身、何ひとつ納得しきれていない中で体だけが半自動的に動いているようなものなのだ。実の子供であるナルミに今すぐ行動しろと言って納得できる状況ではない。
エーテルによる体重の調整が上手くいくことを祈りながら、その体を抱え上げ走り出す。幸いにして重みはほとんど感じない。周囲の一般人が異変を感じて動き始めたのは、そこから数拍遅れてのことだった。
(――クソ、クソッ!! 何でこんなことも想定してなかったんだ!! ありえないことじゃなかったんだぞ!?)
ディセットは本気で己を殴りつけたかった。
融合現象は現在、そうなっていない人間であれば――あるいは生物であれば、何にでも起こり得る現象だ。ナルミとカナタが真っ先にこの現象に遭って変異したことから考えが抜けていたが――神足は依然としてただの人間としての姿を保ち続けていた。つまり、いつ何と融合することがあってもおかしくはなかったのだ。
ディセット自身がそうなる兆候が無かったから安心していたのか、あるいは。
(
渦中にありながらも、自分たちは大丈夫だと高をくくっていたのもあろう。
機械の世界における最上級のパイロットと、恐らく今の世界で最高峰の能力を持つドラゴンの融合体がいるのだ。自分たちに敵う者などそうはおらず、憂慮すべきは他の被害だけだと――その予測は浅はかだった。
「何で、これ、何なの、どういう、ねえ、ディセット!? 父さん……父さん!!」
「…………ッ!!」
落ち着け、などと言えるわけがない。他でもないディセット自身が混乱の真っ只中にあるからだ。
かけられる言葉もあろうはずがない。今、ここで何を言っても心を抉るだけになってしまうからだ。
ただ、本能的に
――そこに、神足の意思は無い。我が子に向けてこのような攻撃など、彼がするはずが無い。
「ぐあっ!!」
「ディセット!?」
大人の腕ほどもある触腕が、ナルミを庇ったディセットの肩に叩きつけられる。チタンを内蔵した骨格を軋ませるほどの威力に歯噛みすると共に、この程度で済んだことに内心安堵した。
最下級のイーバ、タイプ・ジェリーフィッシュ。先日大発生した際には戦力を総動員したが、これはあまりにも数が多すぎたせいだ。一匹だけなら、本来は歩兵だけでも対処は可能で、同僚が駆除に向かうのを見送った経験も彼にはある。
しかし。
(――対処? 駆除? 俺が? おじさんを?)
つい先程まで、穏やかな笑顔を向けてくれていた神足の顔が頭をよぎる。
融合現象のことを、その本質まで理解できている割合はほぼ無い。コントロールなど当然できないし、自発的に起こすこともできない。しかしそれは、元に戻す可能性もゼロと断言できないことを意味する。
そんな状況で――殺す。
ディセットを気にかけてくれて、守るべき人だと感じた、友人の父親を殺す。
想像するだけで、腰元の拳銃に伸びた手が震え、酸っぱいものが胃からこみ上げていた。
「ダメだ!!」
「う、おっ!?」
視界が揺れ、考えることそのものを拒否しかけたディセットの脳を引き戻したのはナルミだった。
引きずられるように一気に後ろへ飛び退き、再びの攻撃を躱す。鼻先を触腕がかすめ、床に傷が刻まれるのが見えた。
明らかに威力が高まっている。原因があるとすれば、ナルミが常時放出している
このまま放置していれば、ただそこにいるだけで確実にこのまま増殖、巨大化していく。そうなれば被害はこの一帯という程度では済まないことだろう。
「すまん……!」
今告げたことが、助けてくれた感謝なのか、何も選択できずにいることの謝罪なのか、心がぐちゃぐちゃになったディセット自身判断がつかなかった。
殺したくない。だが、イーバの危険性を考慮すると殺す以外の手を取れない。一方で、小口径の拳銃しか持っていないディセットにはそれも難しい。だからと言ってナルミに手を下させるような真似だけは避けなければならない。
ぐるぐると、思考が廻り続ける。
ナルミもまた、ディセット以上の混迷のさなかにあった。
敬愛する父が突然怪物になったなど、誰が信じられようか。今すぐにでもこんなの嘘だ、何かの間違いなのだと叫びだしてしまいたい。
しかし今、現実逃避などしてしまえば大切な友人を死なせてしまうかもしれない。それを防ぐには戦うしかないが、それはそのまま最愛の家族を傷つけ、殺すことを意味する。
「あの人……!」
「人!?」
ジレンマの渦の中、ナルミは騒動の中で逃げ遅れたらしい男の姿を認めた。
体調を崩しているのか、その場にへたり込む姿はまるで頼りなく、生気を感じさせない。
「おい、あんた!」
「…………」
ナルミに抱えられて触腕を躱すと共に、一気にその人物に接近したディセットは、まずは助け起こすべく肩を強く叩いた。
万が一、億が一にも元に戻る可能性があるのなら、神足に人を殺したという負い目を与えるわけにはいかない。
「――オ、ボ」
「!!」
その気遣いは、丸ごと無に帰した。
先程の焼き直しのように男の体が崩れ、融解し、二体目のイーバが現れたからだ。
「ちょっと我慢して!」
「!? ぐあっ!!」
振り上げられる触腕。避けきれないと一瞬死を覚悟したその時、ディセットの体は磁力によって引き寄せられた列整理用パーテーションのベルトによって押し返された。
急激に腹部を圧迫され息が全て吐き出されるが、死ぬよりはマシ、とうめきながらもその場で立ち直る。
「げほっ、悪い!」
「いい、けど……」
次の言葉を告げるよりも先に、イーバの触腕が再び振るわれる。回避した勢いのままディセットのジーンズのベルトを掴むと、ナルミは一気にフードコートの外に飛び出した。
態勢を立て直す、と言えば聞こえは良いが単なる逃避だ。状況が好転することはまず無い。
――そして、そこに広がっているのは、また地獄のような光景だった。
「いや、いやっ、何これ! 嫌あああぁぁ!!」
「おじいちゃん、どこおおお!!」
「助けっ……助けてぇ!」
「押さないでください! 押さない――――グボ」
「化け物が……うわああああああ!!」
老若男女の区別無く、同時多発的に人々が融解し、
ほんの一瞬前まで隣人だったものが理性なき怪物と化し襲いかかる有り様は、数多の戦場を経験したディセットをして吐き気を催すほどのものだった。
「な……何で、どうして、こんな……!」
「数……か……?」
「え……?」
「D粒子を取り込むだけで増殖する生物なんだから、イーバの総数は正直、把握しきれるもんじゃない」
「だとして何でこんな同時に!?」
「多分だけど、俺とお前の時と同じだ。近い場所にいる複数の個体が、同時に融合に巻き込まれて……」
「それが今ここで……!?」
まだ推測できることはあったが、ディセットは続く言葉を告げなかった。
この状況は、自分たちにとってあまりにもタイミングが悪すぎる。何かしら敵が意図してこうした状況を引き起こしたと考える方が、まだ辻褄が合う、と。
厄介なのは、イーバは脳を持たない生物であるということだ。脳さえ残っていれば、アリサのように二重人格のような状態で共存することも可能だし、場合によってはナルミとヴァルトルーデのように一方が主体となり、片一方の記憶が時折表出するようなこともありうる。しかし、脳という器官が無ければ人格も記憶も浮かびようが無い。
血が滲むほどに、ディセットの拳が強く握られる。
打開策も、解決策も、今この場で彼に思いつくことなど、一つしか無かった。
「降ろしてくれ」
「えっ……な……ど、どうするの?」
「この件は……俺が始末をつける」
「そんな!?」
ガルデニアを呼び寄せる。速力を重視し、もはや光学迷彩の維持すら考慮しない。身元がバレることはもはや彼の頭には無かった。
「殺すの!?」
「ああ、もうそうするしか無い……!」
「そん……な……こと……」
少しでも、抵抗の言葉を発しようと動いたナルミの口は、二の句を告げられなかった。
ディセットの強く握りしめた手から血が滴り、極限の不安に苛まれた瞳孔が開ききっている。決然とした言葉に反して声は震え、涙すら流れ始めていた。
「どうにもならないんだ今の俺たちには! でも、だからって殺される人を見て見ぬふりできねえだろ……!」
「ディセット……」
「何より、あんな姿にされたおじさんたちに……せめて、人を殺させたくない……!!」
そうなる前に、殺す。
それこそが唯一、この件の被害者にしてやれることなのだと、ディセットは血を吐くように訴えた。
呆然と顔を青くさせたまま、ナルミは徐々にその高度を落とす。床についたところでディセットは彼女の肩を掴み、真正面から更に告げた。
「先に謝っておく、ごめん。今から酷いことを言う」
「え……」
「
「と……特定の場所におびき寄せられる……」
「そうだ。それなら討ち漏らすことも無く……俺のワーカーで……」
やる、と言葉にすることはできなかった。心底から、このようなことを望んでいないからだ。
それを見ていて理解できないナルミではない。応えるように、歯を食いしばりながらディセットの手を解いた。
「行って。急いで」
「ごめん」
彼女も、もはや一刻を争う状態だと理解していた。このままではイーバは先日のようなワーム型と呼ばれる大きさかそれ以上にまで成長、合体してもおかしくない。そうなれば事態はショッピングモールの中だけで収まらない。
拘束手段も無い。元に戻す手段も無い。一刻も早く終わらせてやることが、もはや唯一の慈悲だ。
同時に、ディセットはナルミに手を下させないために、自分が全ての泥を被ろうとしている。何もできない彼女にそれを止めることはできなかった。
「本当に酷い奴」
せめて、一緒に泥を被ってくれと言われた方が、心が楽だったかもしれない。
ナルミはその優しさに、小さな恨み言をひとつこぼした。
「――俺が、やらないと」
繰り返し呟きながら、ディセットは死ぬ気で外に向かってひた走る。
心は半ば限界だった。吐き気で喉が痺れ、心臓が脈打ち痛みすら訴える。
「俺が……やらないと……!」
この状況で人混みをかき分けるのは時間の無駄だ。そのため、彼が向かうのはむしろ上。イーバの集団を避けて階段を駆け上がり立体駐車場に到着すると、外縁部から勢いよく外に向かって跳んだ。
「来いッ!!」
――その体を、飛来したガルデニアが腕を用いて受け止めた。
開いたハッチからコックピットに滑り込み、神経を接続。一気に視界が開けるような感覚と共にナビゲーションとモニタが起動する。
モニタに表示された複数の反応は、デフォルトで表示されるように設定したイーバのものだ。これらを全て倒さなければ、この騒動は終息しない。
「ナルミは……動いてくれてるか」
その反応も、既に一定の方向に向かって動き出していた。合体して肥大化くらいはするだろうが、考えられるのはその程度だ。
息を大きく吐く。コックピットに乗り込めば、ディセットの頭は戦闘時のそれにすぐさま切り替わる。
その一瞬、空間が大きく歪んだ。
「なっ!?」
周囲の風景が混ざるように渦を巻く。明らかに敵が現れる時のそれと似た異常――しかしストロエフがワーカーと共に現れた時とまた異なる反応に、ディセットの警戒心が一気に高まった。
ブレードを引き抜き構える。そうして空間を引き裂いて現れるのは、ブラギ社ともカナール社とも、あるいはレクタングル社の製品ともつかぬ異様な外見の黒い手だ。
(骨――?)
そのワーカーの外見は、あえて形容すれば骨に似ていた。内部フレームをそのまま用いたかのような異質な姿に一瞬怯むも、このタイミングで敵が来たということは、即ち先の惨劇は彼らが引き起こしたというこれ以上無い証明である。
絶望を上回るほどの怒りが、ディセットの内に燃え上がった。
「お前がッ!!」
ワーカーの全身が空間から這い出してくるよりも先に、ディセットはブレードを振り抜いていた。
以前のように防御される可能性を考慮しなかったわけではない。しかし、躱すのではなく防御するのであれば、どうあっても衝撃は発生する。そのまま押し込んで追い返すことも不可能ではないだろう。
しかし、ディセットの考えに反し、ワーカーは攻撃を受け止めなかった。ほぼ骨組みそのままのような外見は、通常のワーカーよりも遥かに「細い」ことを意味する。体勢を変え、更に空間の歪みを「ずらす」ことで回避してのけたのだ。
「――こいつ」
『久しぶりだな。いや、はじめましてか――ディセット・ラングラン』
「あ?」
直後、通信が割り込む。そこから発せられるのは何かしら被り物をしていると思しきくぐもった声だ。
しかし、現在のディセットに通信を送るということは、即ちそれそのものが挑発を意味する。続く言葉を待つことなく、ガルデニアはその全身を現したワーカーに二撃目を見舞った。
「喋んな! どけェッ!!」
『なんだ、つれないじゃないか。せめて自己紹介くらいさせてくれないか?』
「知ったことか! 邪魔だっつってんだよテメェ!!」
対するワーカーは、真正面からこれに応じる形で脚部にマウントされたブレードを引き抜いた。骨のような意匠の異形の剣だ。
通常のブレードと異なり赤熱化するようなことは無いのは、イーバとの戦闘を想定していないからか、もっと別の理由があるか――いずれにせよ、打ち合った両者の武器は火花を散らして弾き合う。
――それは、少なくとも「竜狩り」ディセット・ラングランとの打ち合いができる技量を有することを示していた。