融界ドラゴネット −あさおんからはじまる世界融合− 作:桐型枠
「わあああああぁっ!!」
――凛々しく口上を述べたものの、そもそも鬼鞍ルイは戦闘について専門に学んだ人間ではない。
霊術についてもかじったばかりで、そもそも戦闘経験やケンカの経験すらないド素人である。
その初撃は、およそまともな軌道を描くわけもない、殴りつけるような水流の一発だった。
「え……」
それは、ざっと放っただけの闇の衝撃によって、1mLたりとも少女の体を濡らすことがなかった。
驚きの声を上げたのは、むしろ少女の方である。
(あれだけ私たちの手を煩わせている方々の仲間なのに、随分と……)
弱い、とまでは思わない。ただ、強くない。
ザリザリとアスファルトを削る音を聞いて視線を向ければ、ルイは凄まじい勢いで転倒していた。
「……!?」
「えっ……」
この時、初めてルイは自分の体が
ドラゴンと融合している以上、その身体能力は以前までの比ではない。訓練も受けていない人間が上手く動けないというのも道理だった。
怪我がないことだけは幸いだが、だからと言って状況は楽観視できない。敵はそんなドラゴンを殺すための手段を携えて襲撃しているのだから。
「お姉さん、お名前を教えてくださいな」
「人に聞く前に自分で名乗るべきじゃないっすか!?」
「あら失礼。『結社』のシグネ・エクルースと申します」
「ひょえっ!?」
自己紹介と共に放たれる杭状の「闇」がルイの体を掠める。その場で転がって直撃は避けたものの、流れる血を目にするとゾッと恐怖で身がすくんだ。
「もちろん、あなたも名前を教えていただけるのですよね?」
「お、鬼鞍ルイっす……」
「ルイ様。素敵です」
「ギャアアー!?」
闇が渦を巻き、ルイを包囲しその体を削り取らんとする。悲鳴を上げながら全力で飛び上がり、身を捩って回避する彼女の姿を目にして、シグネは愉快そうに笑った。
「ころころと色が変わっていい表情です。素晴らしい。殺してしまうのが惜しいくらいです」
「じゃあ見逃してくんないっすか!?」
「それは致しかねます」
「でしょうね!」
苦し紛れに放った水は、道路を濡らすだけに終わった。
単純に素の運動神経が良くないことに加え、初めての戦いで体が震え、狙いが定まらないのだ。
(せめてナルミちゃんみたく雷とかだったら~!!)
流体よりは、単純なエネルギーの方がよりコントロールするイメージを持ちやすいというのがルイの考えだ。
漫画家になって10年、液体の表現にいまだ苦手意識があることも原因の一つだろう。
あまり大規模にやらかしてしまえばそれだけ大きな水害になってしまうという点も、制御が狂う要因として確かにある。その場で消える程度のものならともかく、水は広く影響を及ぼし時に大規模な被害を生む。軽々に攻撃に使えるようなものではない。
「ええいっ!」
ならば、とわかりやすく直線に、ウォーターカッターを発して攻撃を行う。
しかし、シグネが無造作に振るった腕に追随する闇が、難なくそれを受け止めてのけた。
(火力全然足りないっすけどコレ!!)
自分の能力すらろくに把握できていないルイには、これでも制御できる範囲では精一杯だ。
強気の啖呵を切った手前、もう少し粘りたいものだが――そう考えたところで、ある閃きが頭によぎった。
イメージが霊術において重要だというなら、その補助となるものを用いれば、あるいは? 決断するが早いか、ルイはお守り代わりに持ち歩いているミリペンを取り出し、空間に走らせた。
「あら」
水は、先程よりも遥かに正確に、そしてスムーズにシグネに襲いかかった。
「漫画家の方なのですか? 興味深いですね。術に指向性を与えるために動作で補助する……人の成長を眼の前で感じられる。感激です」
「このっ!」
空間に線を描くようにエーテルが先行し、水弾がシグネの口元に向かう。窒息を狙い、呼吸器を潰す算段だ。これも訓練の折に示された使い方の一つである。
――しかし、根本的なところでやはり、威力が足りない。そして規則性を得たことで更に読みやすい攻撃となってしまっている。その全てが空中で散らされ、ルイは冷や汗を流した。
「きっつ……」
「次は何を見せていただけるのでしょう。楽しみです」
遠方では、ちかちかと光線が瞬き、幾度も黒い物質と交錯している。グリムもまた激戦に身を投じていることは明白だ。
趨勢はこの場所からでは不明だが、「闇」よりも多い手数で攻めているのがうかがえる。しかし、逆説的にそれだけ攻め立てなければ勝てないとグリムが判断しているということだ。
意地を張った手前時間こそ稼ぎたいが、早くナルミに加勢に来てほしいとルイは心底から願った。
17年分の涙を一気に流し終えたような心地の中、ナルミは静かに立ち上がった。
すっきりしたわけではないし、泣き終えたわけでもない。むしろ未だ、父の死の悲しみは彼女の心の深いところにのしかかっている。
(――僕が殺したことに変わりはない)
ルイの言葉は、結局のところ、考えそのものを変えるには至らなかった。
手を下したのは、他でもないナルミなのだ。自らの手で雷を発し、数十の命を奪った。気が動転して、イーバの組織片をかき集めようとしたその感触も、未だに手の中にある。故にその考えは変えようがない。この罪悪感とは一生をかけて向き合っていく必要があるのだろうと、ナルミは考えていた。
同時に、その責任を問うべき矛先は変わった。今は「敵」とだけ称している者たちだ。
(けど、そんなことをしないといけなくなったのは、あの人たちのせいだ)
そう考えると、自責の念よりも遥かに大きくなるのは、怒りだ。
なぜこんな思いをしなければならないのか。なぜこんな目に遭わなければならないのか――それも自分たちだけではない。三つの世界を巻き込み、そこに住まう多くの人間を巻き込み、命を奪うことにも躊躇がない。融合によって事実上、存在が消えたも同然の人間も大勢いる。現状でも、犠牲者は万の単位では済まないことだろう。
(これ以上、好きにさせちゃいけない。あの人たちも大事な目的があるんだろうけど……そのために、これだけの犠牲を許容していい理由は無い)
まだ、ぼろぼろと涙がこぼれていた。それでも、一つの思いが胸にあった。
(――これ以上、僕と同じ思いを味わう人を、増やしたくない)
故に、涙を流すことにも一つの区切りをつける。
願っているだけでは状況は変わらない。行動をしなければ、暴虐は止められない。どれだけ暴力を嫌おうとも、その手段をもってしか抗いようの無いことはあるのだ。
そして今、暴力によって不当に失われようとする命がある。
どれだけ暴力を嫌厭しようとも、力によってしかそれは食い止められない。
――他方、ルイは既に満身創痍だった。
戦闘の「せ」の地も知らないインドア派、それも十数年運動から離れていた漫画家としては上出来だろう。全身の至る所に生じた傷と流れる血が、ここまでの苦戦をそのまま物語る。
(いや自分にしちゃよく頑張ったっすけど……)
それはそれとして、まだそこそこ余裕はあるな? とルイは小さな疑問を感じた。
血は、それこそジャージと道路を汚してなお足りないほどに流れている。ペンと利き腕を守るために幾度も盾にした左手は既に感覚が無いが、動かすことそのものに支障はない。
(……もしかして自分、結構強いドラゴンと融合してるとかそういうパターンっすか?)
考えうる要因の一つは、それだけ大質量のドラゴンと融合していることだ。ナルミの例からも分かるように、ドラゴンと融合した人間はその質量をそのまま受け継ぐことになる。これは体内も同様だ。多少血が流れようとも、血の量そのものが多すぎるため少々の傷では行動不能に陥らない。
そしてもう一点。
「良い表情です。まだまだ見せていただけますか?」
肝心のシグネが、「遊ぶ」つもりでいることだ。
痛みを与え、相手の反応を引き出し、表情を観察する――そこに至上の喜びを見出す。短いやり取りの中かから、彼女の持つ性質、あるいは性癖とも呼ぶべきものの輪郭が見えつつあった。
「っ!」
「他のものを見せてくださいな」
そして、単に観察を喜びとするだけでなく、一度目にした攻撃は二度通用しない。
ルイが拙いというだけではなく、その性質によって戦闘の趨勢は完全にシグネに握られていた。
「私は相対する人物の『全て』を余さず見たいのです。せめて不完全なこの世界で僅かな彩りを感じたい」
「……完全って何なんすか」
「死の存在しない世界」
「は?」
思いがけず、呆けた声が発せられる。同時にその表情も不可解なものを目にした時のそれに変じた。
「多くの悲劇は死というものが存在するから生じるものです。死こそが悲劇の温床。それを除きたいと考えるのはごく自然なことでしょう?」
「何言ってんすか……?」
「あの惑星級ドラゴンが精神を衰弱させているのも、身近な者の死が原因です。違いますか?」
「……っ」
否定の言葉を告げることはできなかった。他でもない、身内の死という話はルイ自身にもかかってくる。
何より、シグネは言葉を放ちながらも追撃の手を止めない。それだけの器用さも強さも持ち合わせていないルイに止めようがないのだ。
「終わりが、無いと……!」
「必要ですか? 皆様、自分が限られた命しか無いからと、酸っぱい葡萄を眺めるような心地でおりませんか? 不死とは苦しいものだと、心のどこかで決めつけてはおりませんか? そんなことはありません。緩やかで、穏やかな道も『不死』ではありませんか?」
陶酔しきったその様子は、シグネの外見の美しさをもってしてもなお異様である。ルイは、まるで人間でないものが人間の姿を借りて何か言葉を発しているような錯覚さえ覚えた。
言葉の意味そのものは理解できる。しかし、あまりに思考が飛躍しすぎていて考え方が理解できない。
直後、思考の空白を突くように、ルイの胸元に闇が突き刺さる。
「げはっ!?」
小さく、何かがへし折れる音がして、ルイはアスファルトの上を跳ね飛んだ。
痛みにうめきながら立ち上がるのと共に、彼女の胸元から金属片が滑り落ちる。ナルミのために作っていた仮面だったものだ。
わずかにそちらに気を取られながらも、距離を取って追撃がやんだことでルイは問いを投げる。
「こ、この世界の人っ……犠牲にして、たくさんの悲劇を生み出しておいて!?」
「素晴らしい色を、表情を感じさせていただきました。絶望の顔。死に顔。生き残れた希望、虚脱。全部素敵です」
(話ッ、通じねえ~~~~!!)
言葉は通じる。しかし、話が通じない。会話にならない。
根本的な部分で、価値観が違うのだ。命の危険に晒された時とは別種の恐怖がルイを襲った。
「ですが残念ながら、それらは有限です。だから死の無い世界が欲しいんです。そこでは悲劇は悲劇とならない。きっと私もありのまま受け容れられ――」
「あなたが受け容れられる世界なんて、どこにも存在しません」
「は?」
――直後、雷撃が空間を引き裂いた。
空気が丸ごと入れ替わるような錯覚を覚えた。ルイの攻撃の威力とは比にならない、次元の異なる一撃。その先の存在を目にした時、彼女は安堵の息を吐き、シグネは息を呑んだ。
全身から威嚇するように電気を発する、月色の竜族。涙を落としながらも決然として突き進むその姿からは、以前までのどこか躊躇しがちな面は一切見られない。
「あなたは……!」
「ナルミちゃん!? もういいんっすか!?」
「……まだです。でも」
割れて落ちた仮面がナルミの元に集まり、磁力で接着されることで元の形に成形される。小さく息を吐くと、彼女はそのまま装着した。
「今は、戦う時です」
神足ナルミにとって、人生はその大半が「演じる」ことに費やされてきた。他人の望む自分をペルソナの一種として演じ分け、微笑みの仮面を被ることで本心を常に覆い隠している。
要領はそれと同じだ。ナルミは、戦いを嫌悪する自分を、冷酷さと無慈悲の仮面で覆い隠すことにした。
本物の仮面を被るというのは、そのためのスイッチの一つと言えよう。
ただ眼の前の敵を倒すために、全力を注ぐためのスイッチだ。
「受け容れられない――とは?」
「色々な人の全ての表情が見たいと言いましたよね。結局のところ、そのためにはたとえ死が存在しなくとも、絶望や死に値する何かを人に与えなければならない」
「…………」
「あなたは、ただ自分が否定されない世界が欲しいだけだ。死の無い世界だなんて言ってるのは、お為ごかしでしかない」
あれほど他人に気を使って言葉を選んでいた人間の言葉かと、ルイは驚きをあらわにした。
ナルミの言葉はどこまでも辛辣だ。そうするだけの理由があるとはいえ、これまでの彼女からはまるで考えられないほどの口撃である。
同時に、先程までの陶酔に満ちていたシグネの表情が不快に変じた。
「あなたは自分が満足するために他人を害することを厭わない。そんな人間の居場所は、どこにも無い」
「いつになく……饒舌なようですわね?」
「
怖い。
ルイは心胆から震え上がった。
「最終警告です。もう二度と、こんなことには関わらず真っ当に生きてください」
「お断り致します。それでは失われた命に」
――言葉を最後まで聞き届けるよりも早く、高密度の雷の塊がシグネの右半身を消し飛ばした。