ジョセフが花京院と交代してから、宣言通り約1時間56分ほどでシンガポール海峡に到着。老眼で見にくくなったものの、遠くに海以外に色のついたもの──船があるのが見えてジョセフはほっと一息をついた。隠者の紫(ハーミットパープル)を軽く引き、リヴィンに合図をする。交代前と変わらないスピードで進んでいたボートは止まり、浮き上がってきた潜水服は朝焼けできらりと光った。
「ここまででいいぞ、リヴィン」
「陸地まで持って行かなくていいのかい?」
「このボートだけでそこまで行くのは『おかしい』んじゃよ。後は色々手続きとかあるからのう」
「ああ……。そうか、おかしいのか」
両手を頭に当てて唸りをあげている。分かっていなかったのがバレバレな様子に、笑いながら声をかけた。
「ゆっくりでいいんじゃよ、ゆっくりで」
「ジョセフの言うゆっくりは短すぎるよ」
潜水服の中で渋い顔をしているのが簡単に想像できる。まだまだ初心者じゃのうと思いながら、そんな初心者に優しくしてやらねばと、次にやることを明確に伝えてあげることにした。
「わしらは一度シンガポールでホテルをとる予定じゃ。そこでエジプトまでの進路を相談する。決まったら迎えに行くから、見られないように上陸した後、着替えて待機しておいてくれ」
「分かった。ジョセフ、怪我しないでね」
「大丈夫じゃ、心配いらん。わしはあの究極生物と戦って生き残った男じゃぞ?」
昔から変わることのないジョセフのおどけた様子に、リヴィンは返事代わりに肩をすくめることだけをして、再び海中へと潜り一人で陸地へと向かって行った。
★
承太郎達がホテルをとって各々休もうとした矢先に、ポルナレフが悪魔(エボニーデビル)をスタンドとする呪いのデーボに襲われて撃退するという一幕があった。その騒動の関係でポルナレフが捕まってしまったが、スピードワゴン財団のとりなしでなんとかしてもらっている最中だ。その間に承太郎、花京院、家出少女の三人でインドへ向かう列車のチケットを購入しに向かっていた。
途中に浜辺にある売店で、アイスクリームが食べたいと思い立った少女が店員と話をしている最中、背面にある海から何かが上がってくる音がした。少女は気にせずそのまま会話を続けていたが、承太郎は目線をすぐに向ける。海から上がってきた不審な人影──潜水服を着たままのリヴィンが、水を滴らせながら一行に近づいてきているだけだった。
「やあ承太郎」
「……てめー、なんでその格好のまま来やがった」
祖父たるジョセフからは着替えてから合流すると聞いていたのだが、耄碌した老人の記憶違いだったのだろうか。僅かに苦虫を噛み締めていると、あっけらかんとした口調で回答がもたらされる。
「荷物をオマーンに忘れてて着替えられなかったんだ」
「……イカれてんのか?」
「今回は荷物に大したものが入ってないし、SPW財団の人が拾ってくれてるかもしれないからいいんだ」
そういう話でないのにスラスラと語ってくる問題児に内心頭を抱えるしかなかった。そもそもオマーンからここシンガポールまで海を挟んで5500km強離れており、そこに荷物を置き忘れるなどありえない。何か勘違いをしていそうなのと、本当にこんなヤツを仲間として同行させるつもりなのかという不安で頭痛がしてくる。
そんな中、店員と話がついたらしい家出少女がヤシの実ジュースを飲みながら尋ねてきた。
「ジョジョ、この人誰?」
「じじいが呼んだポンコツ野郎」
「ポンコツって……、私は機械じゃない。それよりその人誰だい?」
「勝手についてきてるガキだ」
「その子のことは知っているよ。私が言っているのは、そこの花京院みたいな格好をしている人のことだ」
ついてきていたものの、ずっと黙っていた人物に視線を向ける。緑の制服を着用し、赤い髪の毛に前髪を垂らしている男はどう見ても花京院だ。その花京院は目を見張った後、ニヒルな笑みを浮かべながら反論をする。
「……いやだなあ、何を言っているんですか。正真正銘、花京院ですよ。そもそも、何を根拠にそう考えてるんですか?」
「私から見たら全然違うんだけども……、そうだな。匂いが違う。君からは土で生きる生物の匂いがしてくる」
その潜水服を着ながら匂いと言われても全く信用ならない。
今度は違う意味で承太郎と家出少女から何言ってんだコイツという疑いの眼を向けられているのに気がついたのか、若干オロオロしてから咳払いをし追加でこう言った。
「それに君、私の名前を言えないだろう。ほら、私と出会った場所も言ってみてくれないか」
花京院が、あれだけ印象に残る出会いをした者の名前や場所を忘れるほどの人物ではないのは明白だ。それに、浜辺に来てから承太郎はリヴィンの名前を一度も言っていない。
色々と抜けているリヴィンの言うことではあるが、花京院が本物なら言うだけで済む話だ。それで終わるならば越したことはない。
だが、ここにいる花京院はすぐに答えることをしなかった。
「んん〜〜なんでしたっけ? ちょっと忘れてしまいましてねえ」
「あんな馬鹿みてえな状況を忘れる訳ねえ。テメェ誰だ! オラァ!!」
承太郎の振りかぶった拳が花京院の顔面に直撃した途端、当たった部分からパックリと顔が引きちぎれていったではないか。あまりのグロテスクさに少女は悲鳴をあげて飛び退き、承太郎は警戒を強める。対してリヴィンは特にこれといった反応もなく、ただただ「裂けた」という事象を見ているだけのようだった。
「おい、ジジイのところに連絡に行け」
「わ、わかったわジョジョ!」
「あっ、ついでに着替えもお願いって伝えてくれないか」
呑気すぎるリヴィンのお願いも聞いたかどうかはわからないが、承太郎の指示に従って少女がホテルへ大急ぎに駆けていき、敵は裂けた顔のまま喋りだした。
「きっちり調べたのによ、なんで知らねえやつがいるんだあ? どこで出会ったのか教えて下さいよ空条先輩ィ〜〜!!」
裂けた箇所から黄色いスライムのようなものが溶け出し、花京院だった人物の顔を包み込んでいく。全て包み終わったかと思うと、スライムが弾け飛び本来の姿を表出した。
「俺は黄の節制(イエローテンパランス)のラバーソール! そしてこれが俺の本体のハンサム顔だ!」
自慢げに彫りの深い縦長の顔を露わにしたラバーソール。そんな敵をリヴィンが腕を組みながら横に首を傾げている。
「承太郎、ハンサムとはなんだい? この人は本当にハンサムという言葉に当てはまる人なのかい?」
「知らねえ」
元々答える気はなかったが、今後の質問にも答えてやらねえと承太郎は心に決めた。絶対にキリがない。
「空条先輩ィ〜〜そんな悠長してていいのかあ? 君の手に俺のスタンドが喰らいついているぜ」
殴りかかった右手に視線を向けると、確かに同じようなスライムがウジュルウジュルと、こびりついて肉を喰らっている。
「言っておく! それに触ると左手の指にも喰らいつくぜ! 俺のスタンドは肉を喰らって同化し、食えば食うほど大きくなって対象を絶対離さない!」
野郎、と口から言葉が零れる。しかし承太郎本人が殴るとこうなるのであれば、スタンド殴ってみればいいのではないかと考え拳を振るう。だがスタープラチナの腕をイエローテンパランスが包み込み、本体である承太郎の腕にダメージフィードバックとして焼かれたような感覚が襲いかかった。痛みに耐える承太郎の隙をつき、ラバーソールはスライムでつかんだまま、スタープラチナと承太郎を勢いよく投げ飛ばしてしまう。
そのまま地面に叩きつけられるか否やという間際、リヴィンが予備動作もなく動いた。すぐさま承太郎の背後に回ったかと思うと、その体で承太郎を受け止め、二本の脚で地面に線を作りながら勢いを殺していく。潜水服越しとはいえ、リヴィンの全身で受け止められて分かったリヴィンの体格はそこまでガタイの良いものではない。それでも受け切った不思議に、ますますリヴィンが一体何者なのか分からなくなる。
「てめー、何を……」
「大丈夫かい承太郎。……ああ、本当はあと3時間28分待っていて欲しかったんだけど、そうもいかないのは当然か」
距離が近くなったからこそ分かる声色は、慈愛のこもったものから、底冷えするようなものへとガラリと変わっていった。
「人間は息ができないと死ぬのが普通だ。人間は呼吸しないと生きれないのが普通だ。何が言いたいかというと、」
まるで壊れやすく繊細なガラス細工かのように承太郎を扱いながら立たせ、触れていた部分をゆっくりと離していくリヴィン。敵をしっかりと見定め、
「ラバーソールくん。私と潜水、しよう」
1秒にも満たない瞬間、それは起こった。当たると痛いほどの風が吹いたかと思うと、ラバーソールは視界から消え、代わりに海の方からけたたましい水に落ちた音が響いた。──リヴィンによって突き飛ばされたのだ。
リヴィンも大きく地を脚を蹴り飛ばし、水中に落とされたラバーソールに追い撃ちをしようと向かっていく。
「やあ」
慌てて海上に顔を出したラバーソールの真上には影がかかり、その目には右腕を大きく振りかぶったリヴィンが映った。本能的にスタンドで瞬時にガードをしたものの、凄まじく勢いのあるパンチによってもたらされる圧力が、再びラバーソールを海中へと押し込めていく。
慌てて浮き上がろうともがいても、上からかかってくる負荷によって簡単には上がれない。喰らってやろうにも相手は潜水服で肉喰いできない。ならば、ならば。
イエローテンパランス自体に金属を曲げることができる力はある。仕返しにその首を締め切ってやればいい。バタバタともがきに使っていた手でリヴィンを掴みにかかると、腕を伝わせてスライムを首元へと移動させて締め殺しにかかった。
ラバーソールの誤算は、相手が苦しくなって抑える力が弱まるはずだと思っていたことだ。だが現実はどうだろう。潜水服から推測できる範囲以上に首を狭めても、もはや『首が潰れるまで締め切っても』決して力を緩めることがない。
──俺を倒すために命張りすぎ、だぜ……。
ラバーソールが意識を失う前に思ったのは、それだけだった。
リヴィンは気絶したラバーソールを海中から浜辺へと放り投げ、完全にひしゃげてしまった首の部分を内側から壊れないように気をつけながら無理やり広げていく。大体元の位置に戻ったのを確認してから、ラバーソールを処理すべく陸へ戻っていった。
浜辺へ戻ると、承太郎が佇んでおりラバーソールを見下ろしている。顔を横に向かせてから心肺蘇生法をスタンドで実行していたらしい。ラバーソールは意識は失っているものの、リヴィンが承太郎の元に辿り着くまでには口から水を吐き出していた。
「承太郎がやってくれていたのか、すまない」
「もっと穏便にやるんだな、情報吐かせる前に死ぬぞ」
「君の穏便な方法ってなんだい?」
「ボコして吐かす」
「うーん」
流石のリヴィンでも違うと分かる。しかし終わったことではあるので、リヴィンから特に反論することはなかった。
「ともあれ、今回はジョセフにスタンドで情報を読み取ってもらえばいい。本人の意志がある状態だと嘘をつくかもしれないし」
「なら起きた時に備えとかなきゃなんねえな」
承太郎はスタープラチナの手のひらをラバーソールの首根っこにかけておく。見たところスライムはあくまでラバーソール本人と融合しているわけではなく、ただくっついているだけのように見えた。元から本体を捉えておけば問題ないはずだ。仮に問題があったとしてもボコればいい。
「ああ、承太郎。そいつは私が持っていくよ。ジョセフに合流しに行った方が早いだろう?」
「……テメェその格好のままホテルまで歩けると思ってんのか」
「……ああ、そうだった」
生きるって難しいんだね。頭を抱えながら呆然としたリヴィンの呟きに、承太郎は戦闘力はあるのだと少しだけ見直した気持ちが萎んでいくのを感じた。