窓から、小さな入射角で光が入り込んできていた。そろそろ正午にもなろうかという頃、ジュカ・ラックスはぼうっと黒板を眺めて居た。その前では、ルークと名乗った教師が忙しなく動き回り、確認すべき書類やらを配り、筆記事項を示してはアンケート用紙やらをまた配りと、八面六臂の活躍ぶりである。教師なのだから当たり前の行為なのだが、余りにキビキビ、ハキハキと行動するものだからそう見えたのだ。物を教えるとは大変なことらしく、二十代後半と言っていたが、少しやつれていた。しかし、目には大きな光を宿しており、どうやらこの仕事に大変な心意気で望んでいるようである。ジュカは勝手にそう想像し、勝手に好感を持った。
ジュカの席は窓際の一番後ろだった。大層な人気を誇る席であり、ジュカとしても同じことだったが、この入学してすぐの時では避けたかった。隣接する席は右隣と前の2席だけであり、単純に人と接する機会が減ると考えたからである。とはいえ、学校生活を通して幾人かは友達ができるだろうとも考えていた。
「はい、これで配る書類は全部です。書類は全部三日後までに提出をお願いします」
ルークはそう言い終わると、くるりと首だけ回して時計を見た。授業の終わりまであと20分ほど余していた。
「じゃあ、余った時間で自己紹介でもしましょうか。フルネームと、何か一言、なんでもいいんでおねがいします。とりあえず僕から。ルーク・トリネードです。今年で教師としては5年目となります。よろしくお願いします」
そういうとルーク先生は首と腰を少し曲げるようにして頭を下げた。まばらに拍手が起こった。ジュカも控えめだが拍手をする。「おいおい、もっと大袈裟にやってくれ」と先生は笑いまじりに言い、またまばらに笑いが起こった。そして、注文通り大袈裟な拍手が起こった。
自己紹介は筒がなく進んだ。ジュカの列の一番前から後ろへ、後ろまで行き切ると右に一列ずれて一番前からという順番で進み、ジュカも当たり障りないことを述べ、席に着いた。もっとも、クラスメイト達は全員右目を、正確にはその上に着けられた革製の黒い眼帯を凝視していた。慣れたことなので別段どうということはなかった。そして、自己紹介は穏やかに進み、穏やかに終わった。
初日なので、授業はない。校門の近くで中学時代の友人達と待ち合わせ、一緒に帰った。心地よい春風に街路樹がなびき、校門の向かい側のパン屋の匂いが鼻腔をくすぐった。なかなか悪どい商売をしている。ほどなくして友人達は来、思い出話に花を咲かせながら帰った。帰ったと言っても、全員寮に入ることにしたので、まだ学校の敷地内ではあったのだが。
部屋に戻ると、とりあえずベットに飛び込んだ。その上で転がり、部屋を見渡す。勉強机に本棚、同じような服の並んだハンガーラック、それらを包括する暖色の混じった白の壁。展開的な学生の部屋という様相だ。
ベットから勉強机に手だけを伸ばし、本を取ると、仰向けに寝転んだまま読んだ。推理小説ものだ。不可思議な事件をその辺のおっさんが解き明かすというものだった。事件自体は凡庸なものだったが、その辺のおっさんのキャラがよく、楽しく読めた。
本を投げるように勉強机に返すと、立ち上がり、窓から外を見る。上級生と思しき人影が、遠くの運動場で蠢いていた。実習授業だろうか。そう考えていると、コンコンとドアがノックされた。
「はーい」
ジュカはそう言いながらドアを開けた。人の良さそうな、少し丸みを帯びた顔をした男が立っていた。かなりの恵体である。少し小柄なジュカと比べると、顔一つ分は大きかった。ゼルと名乗ったその男は、その体つきには似つかない人懐っこい笑みを浮かべながら、隣の部屋に住むこと、迷惑をかけるかもしれないがこれから宜しくと述べた。
「ところで、それ」
ゼルはそう言いながら、ジュカの眼帯を見た。
「ああ、そうだよ。封印さ」
そういうと、ゼルは目を輝かせ、頭のように手を前で組んだ。
「わあ、そうなんだ。なんというか、そういうの憧れちゃうなぁ」
「そんな良いもんでもないよ。コレのせいで、万年マナの少ない底辺学生さ」
「あ、ごめん。なんというか、そういうことじゃないんだよ」
ゼルはそう言いうと、顔を歪めくねくねと体を動かし、謝ってきた。この大男に似つかぬ繊細さに少し笑ってしまう。
別に気にしてないよ。と言うと心底嬉しそうに口角を持ち上げ、これから宜しくと手を差し出した。こちらも笑みを作ると、宜しくと握り返した。そんな時、午後6時を告げるチャイムが鳴った。学校のとは違い、短く、甲高い音が鳴り響いた。
「夕食の時間だね、一緒にどう?」
「いいね、一緒に行こう」
知り合って数分であったが、ジュカはすでにこの大柄な男子に対し、高い好感度があった。
食堂では、ゼルと向かい合って夕食を食べた。故郷のことや中学時代の生活様式で話は弾んだ。どうやらゼルは田舎の出身らしく、都会の生活に強い憧れがあったらしい。転送屋ですぐに行けるじゃないかというと、行くのと住むのでは全然違うと口を尖らせた。生まれてこの方都会暮らしのジュカには分からない感覚だった。
食事の後は一緒に部屋に戻った。風呂は階ごとに時間が分けられており、ジュカは3階に部屋があったので、一時間後、つまり七時半とのことだった。部屋の前まで戻ると、ゼルと入浴時間の5分前に行こうと決め、部屋に入った。入寮以来ずっと閉めっぱなしだったので、部屋が少し埃臭い気がし、窓を開けた。本棚で読む本を探したが、持ってきた本はあらかた読み終わっていた。しょうがないので、さっき読んだその辺のおっさんが主人公の小説を読み返した。入浴時間の10分ほど前に止め、トイレにでも行こうと席を立つと、なんだか妙な気がした。辺りを見渡す。特段かわったことはないように見える。しかし、やはり違和感があった。
結局、違和感の正体は分からず、ジュカはゼルと一緒に風呂に向かい、帰ってきてすぐに寝た。8時くらいだった。知らない所を歩くというのはなかなか疲れるのだ。まどろんでいる時には、違和感のことなど、これっぽっちも気にしていなかった。
目が覚めた。気持ちよく目が覚めた。ジュカは元来寝起きが悪く、起きて暫くは細目で動くのだが、パッチリと両目を見開き、起きた。緩慢な動きでベットから降りると、ゆるりとカーテンを開いた。暗かった。
おかしい。寝惚けているのか。そう思った。
今度は素早く時計を掴み取ると、時間を確認する。変わっていない。否、
そう考えたところで、別の可能性に思いついた。単純に早く起きてしまった可能性である。寝起きが良いというのも、ただ中途半端に寝ずに、さっさと起きてしまったからかもしれない。そうだ、そうに違いない。
安心すると少し喉が渇いた。水でも飲もうと水道は歩き出した時、姿見に写った自分の姿が見えた。髪は見事に天を突き上げていた。ジュカは混乱する。20分程度でこんな寝癖がつくだろうか。あり得ない。ならやはり時間の進みが遅くなっている? しかし、それは何故、何の為に?
1人で抱え込んでもよく分からない。ゼルにでも相談しようと考えた時、窓の方から声がした。顔を外に出し、様子を伺うと、どうやら同じく不審に思った生徒たちが集まっているようだった。寮の先生も何事かと空を見上げている。
またコンコンとノックされた。
「ジュカ君、起きてる?」
「ああ」
そう応え、ドアを開けると眉を寄せ、不安感からか口を真一文字にキッと結んだゼルが立っていた。
「とりあえず、降りてみよう」
ジュカはそう言うと、下へ駆け降りた。
結局、何も分からなかった。学校側はこの緊急事態に、どうすればいいのかよくわからないらしく、取り敢えずは待機。もし続くようなら、
ゼルと向かいあい、どういうことか考察しながら食べていると、ジュカの横に女子が座った。ジュカの通うこの魔法高校では、基本的に軍やそれに関係する仕事にまつわる仕事を教えるため、女子に比べて男子の方が遥かに多い。通常は男子寮女子寮とわけられ食堂も別なのだが、緊急事態で料理する人の数が確保できない為、食事はキャパの大きい男子寮で男女両方取ることとなったのである。
「ねえ」
女が話しかけてきた。見れば、かなり大きい。切れ長の目に、すらりと伸びた鼻梁。眉が目によっており、細長く、しっかりとした輪郭は、中性的な雰囲気を纏っていた。
女と目が合う。ジュカには見覚えがあった。そうだ、右隣に座っていた女子だ。確か名前は、
「ああ、フウリさん。こんばんは」
そう挨拶すると、フウリにゼルを紹介した。ゼルは女子に免疫がないらしく、目を合うと頬を赤らめ、目を逸らした。しかし、ゼルの気持ちも分かる。それ程にフウリの眼光は鋭く、底を見透かされた気がするのだ。
「その、アンタの目。
ジュカはかぶりを振った。
「無理ですね。結界札がないと、僕の右目はマトモに使えない。だから封印なんかしてるんです。結界札なんて高価なもの、その辺の一学生である俺には買えないですしね」
訝しむような目を向けられたので、続けた。神の目を発動出来ない詳細な理由が聞きたいらしい。
「通常、全ての物質、生命はマナを持っています。この自身が持っているマナに性質を付与したもの。それが魔法です。しかし、この説明は省略されています。マナに性質を与え、それに一定以上の指向性を持たせた物。それが魔法なのです。ここまでは良いですね?」
フウリとゼルは頷いた。それを確認すると、水で少し喉を湿らせた。
「また、人が帯びることのできるマナは、人それぞれ差異はあれど、決まっています。また、生物はマナを生産することができる。ここで問題なのは、マナが貯まりきっている時に、マナが生産された場合です。この場合、マナは願望を帯びた、指向性のないものとなり、発散される。ここが問題なんです。僕の神の目は、この封印を解けば勝手に発動してしまう。発動すれば僕から全てのマナを勝手に吸い取ってしまう。魔法は通常そこにあるマナよりも量が多い場合に発動します。洗脳魔法なんかが弱いといわれるのもその為ですね。人間は本能的に頭にマナを集まるそうですから。ええと、脱線しましたね。とにかくこの場合問題なのは、神の目を発動した時、僕の右目以外のマナが0となることなんです。もし『アイツ死なねぇかなぁ』なんて考えている奴がいる場でこの眼帯を外しでもしたら即死します。生まれた時は、結界の貼られた手術室内だったから大丈夫だったそうですが。ともかく、発動しても、何も伝えられず死ぬのがオチです」
そう一気に言い終えると、残った水を飲み干した。ゼルはそうだったのかと納得した様子で顎を撫でていた。フウリはしきりに何か考えている様子でジュカの飲み干したコップ──焦点は合っていなかったが──を見つめていた。
「まあ、今回の件は特殊ですし、僕の目が有効かもしれないとは思います。コレ食べたら一旦先生にでも相談してみます」
「ねえ」
フウリはそう言うと、目をコップから上げ、ジュカの目を見つめた。思わずドキリとし、スと目線をゼルの方へやる。
「つまり、結界を張れさえすればアナタ、ジュカ君でいい? ジュカ君の目は使えるのよね?」
「は?」
予想外の言葉に、思わず惚けた声が出た。慌てて思考を回す。
「ええ、ええそうです。とにかく結界さえ、その中に変な気を起こす人が居ない場合だけですが、結界さえあれば使えます」
フウリはパチンと指を鳴らし、晴れやかな顔ですっくと立ち上がった。
「私は医者の娘なの。結界札なら、少ないけれど用意できるわ。何枚必要?」
「は? だから、いや、そういうことはとりあえず先生か、治安を維持する某かに」
そこで声は遮られた。
「ダメよ、そんなの。
「はあ?」
一層惚けた声が出た。つまんないとか言ったか? 今?
その理知的な顔付きとは裏腹に、かなりひょうきんな所があるようである。
「私はね、待ってたのよ。こういう意味わかんないのを!」
目を輝かせ天を仰ぐその姿は一見すると天女かと見間違うほどに美しいが、言ってることはメチャクチャで、ハチャメチャである。なんだか頭が痛くなった。思わず顔を顰める。ゼルは敏感にそれを見つけ、心配そうに眉間に皺を寄せていた。目が合ったので、頷いて見せた。
思えば、ここから俺の長い夜は始まったのだ。
楽しく読んでいただけたのなら幸いです。