ジュカがフウリ、ゼルと再会した時、1時間、つまり体感としては1日が経過していた。
治安隊の事務所はデンカード高校から徒歩で30分ほどの所にあり、その前で待ち合わせていた。やはり周囲は薄暗い。いつもは神聖に思えた月明かりも、もう見慣れた弱々しい光としてしか認識出来なかった。他にも光源はあり、今は現実な時間だと昼間だから当たり前なのだが、飲食店やブティックは開いていた。2日も閉めていればかなりの不利益がでるのだから、強行的に開いているように見える所もあった。
石煉瓦で舗装された道路は凸凹が多く、これまた弱々しく光を反射していた。ゼルはジュカの横に立ち、フウリは前方をキョロキョロと忙しなく首を動かしながら歩いている。あまり夜は出歩かせて貰えなかったらしく、夜の街が珍しいようだった。
「で、この長い夜は幻覚なんだって?」
「そーらしいね」
ゼルの問いにフウリがそう答えた。相変わらず首を忙しなくクルクルと回転させている。人通りは疎にあり、時々ぶつかりそうで危なっかしい。ちゃんと前見ろよ、と言うと、へえと返ってきた。
「ジュカの目って、幻覚も見えるの? 脳に効くんだったら、いくら見ても幻覚を本物としてしか認識出来ないんじゃない?」
ゼルがそう訊いてきた。
「いや、今回は大丈夫だね。仮に脳に効いていたとして、空にしか効果は確認できないんだから、脳の空に対する認識にだけ作用すると考えられて、なら他人の脳を見ればわかる。昨日……1時間前? どっちでも通じるか。まあ研究室で使った時はマナは見えなかったね。ん? あれ? あの時、壁やらを貫通して空も見ていたから、空に作用しているなら見えたはずなんだよ。でも見た記憶がない」
「単純に、意識してなかったんじゃないの? 仮に魔法が空に作用していたとして、離れてたから認識出来なかったとかじゃない?」
フウリはようやく顔をこちらに向け、そう言った。
「いや、それはないと思う。空全体に作用しているなら、空全体を覆ってるってことなんだから見えるはずだよ。となると……そうだな、例えば脳に効いていて、この魔法に対する全ての認識を阻害するってことにすれば……これもダメか。なら俺が起きた時に、おかしいと思ったことに説明がつかない」
「ああ、確かに。今のレッカに言った?」
「言ってない。てか、目上の人にはさんをつけなよ」
「へいへい。じゃ、それをあちらさんは知らないわけだ。まだそんな離れてないし、伝えに行く?」
「そうだね、そうしようか」
「でもさ、僕が署を出た時、なんか慌ただしかったんだよね。空のことと今回の事件の関係は分からないけど、個人的ににはないように思えるし、今知らせなくも良いんじゃないの?」
「それこそあるじゃない」
フウリは呆れた顔でそういった。
「はあ。どんなの?」
フウリの眉間に皺が寄る。面倒臭そうにゼルを一瞥した後、ジュカに顔を向けた。
「ジュカ!」
フウリはそう言って前を向き直した。そのまま署の方へ歩いて行く。説明しろということだろう。別にそんな長い説明にも思えないのだが。大方、フウリは自分の分かっていることを、わざわざ説明するのが嫌いなのだろう。
「ゼルは、あの真っ黒な服装の人達は見た?」
「ああ、見たね。確か本部があーだこーだ言ってたような」
「多分、そこがフウリには引っかかったんだろうね。表現は悪いけど、1人死んだくらいでわざわざ本部の人、つまり首都から派遣されるかと言えば、普通そうじゃない。ならただ1人死んだだけじゃないと考えられ、そこで何か大きなことがあるかとなると」
ゼルは首を曲げ、天を仰いだ。ジュカも釣られ、空を見やる。
「そう、この夜だね。ここから、フウリは今回の事件にこの長い夜が関係してると考えた訳だ」
「なるほど」
ゼルは感慨深そうにそう呟いた。
「確かに、知らせた方が良さそうだ」
その後、フウリの背中に追いついた頃、ちょうど署の前だった。署は立方体に窓や扉をくっつけた様な外観であり、鼠色の肌は室内から光に邪魔され一層暗くなっていた。
飾りも何もない、板をくっ付けたような扉を引いて中に入ると、少し前に出た時と同じ様に人が慌ただしく動き回り、怒号が飛び交っていた。皆一様に眉間に縦皺を寄せながら働いている。
「あのう」
ジュカは近くにいた、人の良さそうな顔をしている丸っこい人に話しかける。シャツは白色であることから、元々この署に居たことがわかった。
「何?」
男はニッコリと微笑むと、こちらを向いた。見覚えがある顔だ。取り調べの際に会ったか何かだろうか。
「兄ちゃん、話があるんだよ。僕は説明下手だから、ジュカから聞いて」
ゼルがそう言った。思わず首を後ろへやると、確かに似た顔がそこに合った。というより、瓜二つだ。この男とゼルの違いは目の下のクマの有無くらいだろう。
「おおゼル、久しぶりだな。それでジュカ君、話があるんだって?」
「なんだいマックス君、君には弟が居たのか。聞いてないんだが」
ジュカが口を開く前に男がそう言って横入りしてきた。マックスは忌々しそうに目線をやっている。それに釣られ、ジュカも男の方を見た。人形のような、人間離れした美青年がそこに立っていた。堀の深い顔にきりりとした眉、生まれるならこういう顔に生まれたいものだ。
「言う必要があるんですか? 俺はゼルの取り調べには参加してないですし、問題ないでしょう?」
「ないけど、普通そういう事は言うだろう。なあフウリ?」
「うるせえよクソ
「おお怖い、何もそこまで言わないで良いだろう。ああ怖い」
レッカはそう言いながら自らの肩を抱いた。しかし、顔は怖がっていると言うより明らかに楽しんでいる。フウリは目尻を吊り上げると、何か言おうと口を開き、何も言わずに閉じた。藪蛇だと判断したのだろう。
「あれ、レッカさんフウリさんの兄なんですか? 思いっきりフウリさんに取り調べしてませんでした?」
「別に、都合の悪いこともないし良いだろう?」
「はあ」
マックスはそう声をだすと、面倒だと言うように頭を掻いた。それはアナタが判断することではないとでも言いたげだ。しかし、立場的にはレッカの方が上らしく、キツくはいえないらしい。彼も弟の存在を告げていなかったのも大きいだろう「やっても良いですけど、ちゃんと教えてくださいね」とだけ言った。そして、ジュカに向き直る。
「それで、話って?」
ジュカは先程の会話を説明した。来るまでに話の流れは組み立てていたので、なかなか要領を得ていただろう。特に、この長い夜を起こしているはずのマナが見つからないという事に関しては二人とも強い関心を示した。その後、レッカはお返しにと、彼らの考えた、今回の事件の動機や方法について語った。どうやって殺したのかについてと、この夜と関係しているのではという所は核心をついていそうだとも思った。
レッカが全て言い終えると、マックスは眉を寄せて考え込んだ。その表情は困惑や怒りというより恐怖が近い。どことなく視線が覚束なく、レッカの方をチラチラと見ていた。そのレッカはニコニコと微笑を崩さずに少し考えた後、何かに納得したように数度首を縦に振り、口を開いた。
「なるほどね。大体話はわかったよ。問題はあの連中だね」
レッカは目線だけで真っ黒な格好をした軍団を示した。やはり、あの連中は一枚噛んでいるのだろう。それとも、機密事項を隠そうだとか、そういうことだろうか。
「アイツらに知られずに、デンカード高校にいた、転移の使える5人に会いたいなぁ」
「レッカさん、それは無理ですよ。ジュカ君の事はあっちも知ってるでしょう」
「知らないよ。僕は神の目とかは報告書に書いてない。
「なんで!? なんてぇ!?」
マックスが素っ頓狂な声を上げた。治安隊に対して詳しくないジュカでさえ狼狽えるほどに非常識な行動なのだから、本職のマックスにとっては相当だろう。
マックスの大声に近くの職員達が目線を向けた。マックスは少しして気づき、恥ずかしそうに顔を赤らめ、照れ隠しに顎を撫でた。
「す、すみません。取り乱しました。でもこんなのアリなんですか? 思いっきり犯罪じゃないですか──っていうか、別の人が報告に来てたじゃないですか。ってことは、その情報はバレてるってことですよ?」
「ま、そうなんだけどね。今回はジュカ君がいるから特別さ。ジュカ君の目に証拠能力がないのだから、最初からそれありきではなく、別の方向からアプローチして、最終的に犯人にたどり着いた、とした方が後々楽かなって」
「そりゃそうかもしれないっすけど。あ、だから帰したんですか。いつもなら、候補の5人が集まるまで居て貰いますもんね」
「そうだね。でも、真っ黒野郎どもが邪魔だなあ」
レッカはそう言った。とにかく、今の状況で俺は黒服達に認識されていないという事だろう。しかし、俺の眼帯やらで気がつきそうなものだが。先天的な障害でも魔法で直せるのだから、眼帯は、ほとんどファッションか封印かの二択なのだ。
ジュカの疑問を敏感に感じ取ったらしく、レッカが微笑を崩さずこう言った。
「認識阻害だよ、認識阻害」
「はあ、幻覚ってことですか?」
ジュカがそう言うとレッカの口角が上がり、反対にマックスの口角が下がった。マックスにとって、これからの話は気が遠くなるほどに繰り返し聞いたのだろう。
「ちょっと違うね。幻を見せるんじゃなくて、認識して欲しくないモノがあり、それが人に探されていない時にのみ、対象を認識されなくするんだよ。スッゴく端的に言えば劣化版だね。例えば、財布の中にある3ゴールド硬貨を探してる人がいるとして、幻覚魔法なら財布の中を空に見せるだけなんだけど、僕の場合は無理なんだよ。あくまでも無意識に見ている景色のうちからモノを隠す、これだけの魔法だよ。これが意外と使いやすい。習得も幻覚魔法に比べて簡単だし、学生なら覚えても損はないと思うよ。現に
「なるほど、俺の眼帯を認識出来なくすれば、影の薄いガキくらいにしか思われないってことですか?」
「そうだよ。見ろマックス、君より全然歳下なのにこんなにも飲み込みが早い」
「どうせ、俺は飲み込みの悪い馬鹿ですよ」
「そこまでは言ってない」
「はいはい、それでどうします? 本部の連中に報告しますか? あれ、そういやジュカ君のこと、あの真っ黒な連中には話したんですか?」
レッカが大きくかぶりを振る。
「とんでもない、とんでもないよそれは。どう考えてもあの連中は何かを隠蔽したくてしたくて堪らなくてきたんだ。今僕達のアドバンテージはこの情報とジュカ君だ。この二つをわざわざ献上するなんて嫌だね。あとマックス君、一度にそんなに疑問を投げかけるな。一度ずつにしてくれよ。ええとなんだっけ? ああ、この署の連中にも話してないよ」
勝手にアドバンテージ扱いされているが、気分は悪くないので特には何も言わずにレッカの続きを待った。
「今、この状況を考えると、本部連中が知っていて、僕たちの知らないことは効率のいい魔法の理論だとかについての推論くらいだろう。そんでもって、アイツらは犯人の目星がついていない。いや、転移魔法を使える5人の中にいるだろうってのは誰でも予測がつくんだけどね。でもそこからはなかなか絞り込めないんじゃないかな。そこをジュカ君に見てもらって突き止める」
そこまで黙っていたフウリがそこで口を開いた。
「いやいや、本部の奴らが怪しいだのなんだの言ってても、報告すべきなんじゃないの? 今回の事件は、まだ推測の域を出ないわけだけど、私達の知らない技術が使われているかもしれないって話じゃない。なら本部に任せてもいいんじゃないの?」
「フウリはジュカ君が殺されてもいいってのかい?」
「殺ッ……」
フウリの大きな目が更に大きく見開かれた。その黒々とした目の引力に吸い込まれそうになる。
「だってそうだろう? 今のところは推測だが、ハル先生はそのなんらかの技術を知った後に殺されたんだろう? なら今回の事件の真相を知ったジュカ君にもその手が及んでもおかしくはない」
レッカはこともなげにそう言った。フウリの方を見てニヤニヤと笑っている。どうも、シスコンの気があるらしい。それも、質が悪い方のヤツだ。
「あのう」
そこでゼルは恐る恐る手を挙げた。
「その理論は成り立たないんじゃないですか? だって、レッカさんの考察に依れば、ハル先生を殺した理由がその技術、それで、ロック先生はそのハル先生が殺された理由について、心当たりがあるが言えないって考えなんでしょう? それでジュカが殺されるって言うんなら、ロック先生も殺されなければおかしいです。全てが終わった後に二人とも殺すって可能性もそりゃありますけど、そんなリスクを負わなくても記憶消去だって本部の人達なら出来るでしょう。それに、今回の事件がジュカの目で解決したとして、それは今回の報告書には載らない。つまり、バレたときに言い逃れできないってことで、そうなった場合は本当にジュカは、いや僕達全員殺されるかもしれないんですよ。それなら今報告すべきではないんですか?」
そういってゼルはレッカを見た。その当人は、俯いており、表情が見えない。
「面倒臭いなぁ」
レッカはそう言って、本当に面倒臭そうに、顔を上げ、眉尻を上げながらゼルを一瞥した。ゼルの肩が跳ねる。彼はこの兄妹が苦手らしい。いや、兄弟揃って苦手なのだろう。
「だってそんなの」
レッカはそこで言葉を止め、クルリと目線だけで一人一人を見た。少し空気を吸って溜め、口を開いた。
「そんなの、つまんないじゃないか」
マックスはあんぐりと口を開け、目を剥き、今の言葉が呑み込めないようだった。そのすぐ横で、ゼルが同じような表情で、同じように呆けた顔をしていた。レッカは言ってやったぞなんて素振りは見せず、先ほどと同じように薄く笑みを浮かべている。後ろではフウリが不快そうに目を細め、額に大きな皺を寄せながら睨みつけていた。当のジュカは、ただ無表情だった。すましているとかすぐに理解できたとかではなく、単純になんかこんなの最近あったなぁ、なんて点で検討違いなことを考えていたからである。少ししてこの発言の異常さに気がつくと、怒りを通り越し、呆れを通り越し、怒りに戻ってきてさらに通り越して結局呆れた。
「だってそうだろう。今回の事件みたいに面白いことなんてそうそうな──」
パチンという小気味良い音と共に、レッカの身体がよろけた。頬が少し赤くなっている。フウリが叩いたのだという事に気がつくまで少しかかった。
「おいクソ
「いや、そういう意味だよ」
フウリがレッカの胸倉をつかんだ。そのまま壁に叩きつける。ゼルもマックスもポカンとした顔のまま見ていた。ジュカは止めるべきが迷っていた。
レッカはやはり張り付いた微笑を崩さない。フウリは反対に、眉を怒らせ、目尻をこれでもかというほどに上げ、その陶器のような肌に多くの皺を作っていた。
「やっぱりなんも成長してねぇよお前、あん時からなんも成長してねぇ!」
突如、レッカから微笑が消えた。真っ白な肌に通った鼻梁。形のいい眉毛に、そのすぐ下にあるすらっと切れ長の目。それに付随する女性のような長いまつげ。女と言っても信じられるほどの、作り物のような面構えだ。そこから、朱が消えた。人形のように感情を伺わせず、ただただ無機質に目だけを光らせていた。真っ白な肌はさらに白く、月のように、雪のようにただただ白かった。フウリは一瞬怯えたようにレッカから目線を逸らした。怒りの表情は一瞬にして消え、血を滾らせた真っ赤な顔がいつの間にか青白くなっていた。その隙を見逃さず、レッカは胸倉を掴んでいた手をほどくと、無機質な表情のまま、乱れた服装を直した。
「じゃあ、こうしようか。無理矢理そうしてもらおう」
またレッカに微笑が戻った。フウリに怒りの表情が戻る。ゼルとジュカは呆けたままだった。急に自分の命に関わることが起こったとして、それを認識し、行動できる人なんてほんの一握りだろう。マックスは治安隊で仕事している分、反応が早かった。しかし、彼は上司とその妹、どちらにつくか一瞬迷った後、妹につく方に決めたらしい。フウリとレッカの間に割って入った。
「レッカさん、流石にそれはマズイでしょう。あなたの快不快で他人の重大なものを勝手に決める、しかも、それが命に関わるモノなんですよ?」
「そうだね。だから俺は無理矢理って言ったんだよ」
「マックスさん、こんな奴に構う必要なんかないですよ。さっさと殺しちまえばいいんです」
フウリはそう言うと、レッカに手をかざした。
「アンタの認識阻害は、対象を認識したいとさえ思っていれば無効なんだろ? じゃあコレは当たるな」
レッカは貼り付けたような微笑のまま口角を上げ、歪にさせながら大きく、声を出して笑った。
「はははは。馬鹿だなぁ、本ッッ当に馬ッ鹿だなぁ。無理矢理従わせるなんて言ったからには、そうできるだけの実力があるってわけだろう?」
フウリは手をかざしたまま、ジッとレッカを見ていた。そしていつの間にか驚きに、最終的に憤怒の表情に変わった。
「なんで効いてないんだよ!」
「それ
その時、マックスが手を伸ばし、レッカの胸倉を掴もうとした。しかし空を切っただけだった。いや、レッカの体を切った。マックスの右腕が通り抜けている。マックスはその細い目をこれでもかと見開いていた。
「……幻覚ですか」
「ご名答」
「はぁ? 認識阻害ってさっき言ってたじゃないの」
「さっき使ってたのはね。認識阻害覚えた後に幻覚の方も覚えたの。それだけだよ」
フウリがこちらを見た無言で近寄り、一枚の紙を渡した。
「なるほど! ジュカ君に見てもらおうってわけだね? でも、結界が破れちゃマズイんだろう?」
レッカは、いや幻覚のレッカはそう言うとジュカの方を見た。フウリは忌々しそうにそれを見ている。
「フウリ、使いたくないんだが、いいか?」
「いや、無理しなくていい。ダメなんだろ?」
「使えない事はないよ。レッカさんが今考えている計画には俺が不可欠だ。なら俺に危害を加える方法はとれない」
「なら──」
「でも、それでも多分勝てない。俺の目の使用限界時間までにレッカさんは倒せない。なぜなら、俺の目の詳細を知っていて、その上での行動だ。それに、俺とゼルは大した魔法を使えない。フウリとマックスさんの二人で勝たなければならないんだけど、話しぶりから察するにその二人の魔法もレッカさんは知ってる。それに対して、使用頻度が高そうな幻覚魔法すら俺達の誰も知らなかった。諦めるべきだ」
「でも……あんた、それでもいいの?」
「しょうがないだろ、全て終わった後に事が露見しない事を祈るしかないね」
フウリは苦々しそうに唇を噛み、俯いた。そして、「わかった」とか細い声で呟いた。彼女にとっての兄とは畏怖と共に尊敬の対象だったのだろう。刺々しく振舞ってはいたが、あの一言まで目には憧れの色が見えた。
「レッカさん、それでいいんですか?」
マックスはそう言った。眉間に皺を寄せ、瞳を潤ませていた。苦手ではあるものの、今までレッカのことを尊敬していたのだろう。裏切られたが、まだ信じられない。そんな心境だろうか。
「決まりだね」
ジュカは、ぼうっとしていた。先刻まではどうも状況にしっくりきておらず、状況がうまく呑み込めていないためだと思っていた。しかし、なにか、なにかが違う気がする──
「それじゃ、僕が例の五人に会えるよう手配するよ。マックス! 見張っててくれ」
マックスは先程までの意思の弱そうな顔つきから打って変わり、その丸っこい顔を精一杯角ばらせていた。その細い目をさらに細くし、吊り上がらせている。
「いいや、もうレッカさんには付いていきません。だから、その要求も受けません。俺はこの子達に付かせてもらいますよ」
レッカはゆるゆると、緩慢な動きで髪を撫でた。
「──そっか、じゃあいいよ。僕が連れて来よう」
そういうと、ぎいと音を立てて扉を開け、出ていった。すかさず扉に触ると、見たままに物体はあった。つまり、これは幻覚ではない。なら次に問題なのは、レッカは扉を開けるだけで、そのまま中に残った場合。
「フウリ、結界お願いできる?」
フウリは一瞬面食らったように瞼を瞬かせ、すぐに口角を上げた。
「おうよ」
「じゃあ合図でお願い」
そう言うと、クルリと黒服の方へ向き直ると、ポケットから小銭を取り出し、放った。鈍い褐色の硬貨は、子気味良く音を立てながら転がった。男がそれを見つけ、拾い上げた。
「おうい、小銭落とした奴いないか? とりあえずここ置いとくぞ」
「よし、フウリ、お願い」
レッカの認識阻害はまだ続いている。結界を展開してもなんら問題ないだろう。フウリは小さく顎を引くと、札を右手に持った。ゼルはさっさと遠くへ歩いていった。マックスはそれをじっと見ていたが、ゼルに袖を引かれ、少し離れた。
「じゃ、展開するよ」
ふわりと身体を通り抜け、薄い磨りガラスのような膜に覆われる。右目の方へ手を伸ばし、下にずらした。さっと周りを一周見渡す。矢張り治安を守るための施設であるためか、いくつもの罠が張り巡らされていた。しかし、レッカの姿は見当たらない。念のため、もう二週ほど見渡すと、眼帯を着け直した。矢張り、レッカも罠を仕掛けていた。
「ありがとう、もういいよ」
磨りガラスにみるみるうちにヒビが入り、音もなくパラパラと割れた。
「ここにレッカさんはいないね。マックスさん、レッカさんがその五人を連れて帰るまでにどれくらいかかりますか?」
「え、ああ。そうだなあ、大体十分──あ、勿論だけど、現実の時間でだよ──それぐらいじゃないかな」
「なるほど、ありがとうございます」
様子を見ると、各々が各々の考えを巡らせている。おそらく全員この状況をどうやって打破するか、もしくは今回の事件をどうやって穏便に済ますかについて考えているのだろう。
矢張り頭は回っている。呆っとしているのではない、何かがちがう。おそらく、俺は──
「その、少し俺の話を聞いてもらっていいですか?」
皆が視線だけを寄こした。
「どんな?」
フウリが短く訊いた。
──レッカの事を強く言えなかったのも──
「その──」
そこで溜めた。弁舌に対する効果を期待したのではない。後ろめたかったのだ。
「──レッカさんの脅迫、今回の事件、上手くいけば両方一挙に解決できるかもしれない」
「ほ、本当に?」
ゼルが目を輝かせ、そう言った」
──やはり俺は──
「本当だよ。運の要素が多分に絡んでくるけどね」
「この際、あり得るならなんでもいいよ」
マックスがそう答えた。フウリは未だに考え込んでいるようだ。
──楽しんでいる。