DMC対トゲナシトゲアリ   作:ヘッズ

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第1話 Brand new wave

 川崎市

 

 神奈川県の北東部に位置する街で、昔から工業都市として知られている。治安が悪いというイメージを持つ者もいるが、近年は都市開発が進み、繁華街や歓楽街、競馬場などのエリア以外はそれなりに安全である。

 そんな住みやすくなりながらも危険な匂いが漂う街川崎に一人の男が降り立った。

 チノパンにボーダーのポロシャツと下北沢を意識したファッション、だが明らかに代官山を拠点にしているファッションリーダーかインフルエンサーのファッションを思考停止で真似した感が丸出しで似合っていない。

 体格は一般男性のものだが、どこかナヨナヨしておりゴボウのような印象を持たせる。治安の悪い場所にいけばカツアゲか理不尽な暴力を見舞われそうだ。

 そして髪型は黒髪のマッシュルームカット、だが不思議とそのシルエットは亀頭のように見え、全体のシルエットは人間サイズのペニスのように見えてしまう。

 そのペニスは川崎駅の改札を出るとガラス張りの駅外壁に足を運び、背負っていたアコースティックギターをケースから取り出す。

 

 彼の名前は根岸宗一、自称ミュージシャンである。

 

(川崎は治安が悪くて荒んでいるみたいだからな、ボクの音楽でラブアンドピースを思い出して欲しいな)

 

 根岸は明らかに分不相応な願いを抱きながら曲を歌う。

 

「朝目が覚めるとキミがいてcheese tart 焼いてたさ Sweetbabyキミはそうさ甘い甘い僕の恋人」

 

 曲調はポップスで、歌詞は恋人との日々を描いたラブソング「甘い恋人」ミュージシャン根岸にとっての代表曲である。

 今は午後の昼下がり、外回りのサラリーマンや遊びに来た大学生などそれなりの人が行きかい、根岸の歌が耳に届く。

 それらの人々は一瞬根岸に視線を向けるが、ある者は今すぐにでも立ち去りたいと明らかに足早に通り過ぎ、ある者は嘔吐物を見たかのように顔を顰め、ある者は舌打ちし罵倒し地面に唾を吐く。

 仮にポップスの巨匠が編曲し歌えば、オリコンTOP10に入る程の名曲になりえるが、根岸の甘ったるすぎるボーカルと拙い編曲センス、全体から滲み出る有名ミュージシャンの上辺だけを真似しどこかポップスを見下している感、なによりリズムに合わして左右に体を揺らすという猟奇的ともいえる気持ち悪いパフォーマンスが折り合わさり、ごく一部の特殊な感性の持ち主しか評価せず誰もが不快になる騒音と化していた。

 根岸は行きかう人々の反応の乏しさに僅かに落胆しながらも2曲目を歌う。このような反応は弾き語りではいつも通りであった。

 3曲目に入りこれ以上歌っても意味が無いと思いながらも今日はもう少し粘ってみようと歌う。すると根岸の粘りが功を奏したのかある人物が足を止める。

 その人物は女性で年齢は高校生ぐらい、赤が混ざったおさげの黒髪、青のコートにチェック柄のスカートを履いている。

 

 最初は気まぐれだと思ったが、5秒経ってもその場にとどまり続け根岸も少女の存在に気付く。川崎で初めて曲に興味を示してくれた。

 曲が終わり、少女のために代表曲である甘い恋人を再び歌う。気分は高揚し演奏に熱が入る。通常時以上に体を左右にくねらせる。その様子はメトロームめいており気味悪さに拍車をかける。

 

「さあ、ここから一緒に、甘い甘い甘いコ・イ・ビ・ト」

 

 サビに入り一緒に歌うことを求める。すると少女は突如両小指を立てるという奇妙なハンドサインを見せると足早に去っていく。

 なんなんだ今のハンドサインは?その意味を考えようと思考を巡らせるうちに演奏を止めていた。

 

「はぁ、今日はこれで終わろうかな」

 

 急にやる気がなくなったのを感じ取りこれ以上演奏しても意味が無いとアコースティックギターをケースに仕舞うと僅かに肩を落としながらその場から去っていく。

 

──数時間後

 

 根岸は足取り軽く進む。弾き語りの後に寄ったとある喫茶店、その店は愛読している生活系音楽雑誌アモーレアムールで特集されていた。今日川崎に来た主目的は弾き語りではなく、この店に来ることであった。

 そして店は当たりだった。店の雰囲気は根岸の好みのもので、提供されるチーズタルトも絶品だった。チーズタルトを3皿頼み、インスピレーションが刺激されたのか店に居座り新しい曲の作詞を書き続け、気が付けば完全に陽が落ちていた。

 川崎にもこんな店が有ったのか、下北沢で店を開いても通用するなと上から目線の評価をしていた。ウキウキ気分で川崎駅に向かうと駅前は仕事を終えたサラリーマンや今から遊ぼうとしている若者達などで根岸が着た時より人が多かった。

 何となく日中で弾き語りした場所に寄ってみると何人かのストリートミュージシャンが曲を演奏していた。すると1人のストリートミュージシャンに意識が向く。

 女性で年齢は高校生ぐらい、赤が混ざったおさげの黒髪、青のコートにチェック柄のスカートを履いている。確か少しだけ立ち止まって聞いてくれた女の子だと思い出す。

 アコースティックギターでロック調の曲を歌っている。女性シンガーにはポップスを歌って欲しいと独りよがりな感想を抱きながら耳を傾ける。

 ギターのテクニックは正直拙く明らかにインディーレベルにも達していない。だがその欠点を感じさせない程に声が良い。力強く強い意志が込められ人を惹きつける何かがある。根岸は曲の終わりを見計らって少女に近寄り声をかけた。

 

「地元の娘?良い曲だったよ。ボーカルや表現力は良かったけどギターの技術はまだまだかな。でも曲の雰囲気は良いと思うからそれを大切にね。技術は後からついてくるから」

 

 この会話が切っ掛けで仲良くなり慕う少女、いずれはメジャーになり尊敬するミュージシャンは根岸とインタビューで語る。そのインタビューで脚光を浴びて2人で組んだポップスが大ヒット、以前自身の音楽をお遊戯とバカにした東京オシャレ四天王のアサトヒデタカがサインをせがんでくる。

 そんなおめでたい脳内妄想が浮かび上がる。そういえば両小指を突き立てるという謎のサインをしていたが、あれは照れ隠しか何かだろうと都合の良い解釈をしていた。

 一方少女は根岸に対して訝し気な表情を向けるが、徐々に怒りの表情に変わっていく。

 

「なんですか急に」

 

 少女は親の仇のように根岸を睨みつける。一方根岸は顔はカワイイけど態度は随分と攻撃的だなと思っていた。

 

「出だしのところは少しもたついたけど、こんな感じでやったほうがいいよ」

 

 根岸は自分のギターを手に取り出だしのフレーズを弾く。曲自体の難易度はそこまではなく、一回聞けば演奏でき比較的弾きやすいやり方を教えるぐらいの技量は持っていた。

 これで態度を軟化して尊敬してくれるだろう。だが根岸の予想とは裏腹に少女の態度は軟化するどころかさらに怒りを募らせ、体中から赤いとげのような何かを発していた。

 

「私には私のやり方があるんですよ。押し付けないでください。アナタ昼頃に路上で歌ってた人ですね?」

「うん、そうだよ。どうだった?」

「最悪です。何ですか男なのにあんなナヨナヨしたポップス、クネクネして気持ち悪いです。一般受け狙いにしても音が媚び過ぎで聞いていて寒気がします。何も感じない、ただチヤホヤされたいって感じが丸出し。まるでただ注目されたい幼稚園児がお遊戯会で発表したみたいです」

 

 少女語気を荒げながら捲し立て両小指立てる。

 

「な……そこまで言う事ないじゃなか……」

 

 可愛げな少女から発せられる痛烈な罵倒に根岸は言葉を失う。特にお遊戯会というフレーズが強烈に心に刺さる。

 かつて尊敬する東京オシャレ四天王のアサトヒデタカの前で曲を披露した際に『お遊戯的な事なら外でやってくんない?』と評され、そのフレーズは悪い意味で深く心に刻まれていた。

 

「まあ……君みたいなアマチュアには分からないかな」

「あれでプロ!?あんな周りにウザがられて!?大衆受け狙ってあれってどうしようもないですね!今すぐ音楽止めてください!」

 

 少女は先程以上に赤いとげを発しながら自らのギターを躊躇なく振り下ろす。根岸は尻もちをつきながら辛うじて躱す。ギターは勢い余って地面に叩きつけられバキっという鈍い音が鳴る。

 

「あんなの音楽に対する冒涜だ~!私が二度と音楽出来ないようにしてやる~!」

 

 少女は再びギターを振り下ろし根岸は必死にギターを避けていく。

 

「ひぃ~~、助けて~~」

 

 根岸は情けない悲鳴をあげながら逃げ惑う。なんて少女だ、アドバイスしてあげたらいきなり襲い掛かってくるだなんて、音楽でこの街の住人にラブアンドピースを思い出せるなんて無理だと思い知りながら川崎駅構内に駆け込み、家に帰った。

 

──翌日

 

 

 カラオケ店の演奏スペースで女性5人が演奏している。それぞれが最高の曲にしようとギターとベースを鳴らし、ドラムを叩き、キーボードを弾き、ボーカルが感情と思いを込めて歌う。

 曲が終わるとギター担当の金髪の女性桃香が休憩の指示を出し、メンバー達も従うように気を緩ませ姿勢を崩し水分補給する。

 

 彼女達はガールズロックバンド『トゲナシトゲアリ』である。

 

「仁菜、今日は練習しないのか?」

 

 桃香は水分補給をしながら赤が混ざったおさげの黒髪の少女、ボーカル担当仁菜に問いかける。仁菜はボーカルだが今後はギターも弾けるようになりたいとギターの練習をしており、バンドの練習日にはギターの桃香やキーボードの智からアドバイスを受けていた。

 

「え~っと、ギターは壊れちゃって……」

「壊れたって、ギターの弦でも切れたの?それぐらい自分で貼り直しなさいよ」

「そうじゃなくて、ひび割れまくったというか、原型を留めてないというか……」

「なんだ車に轢かれたとか高い所から落としたのか?」

「いやギターを振り回してたら壊しちゃって」

「はぁ?」

 

 仁菜は申し訳なさそうに答え、その言葉に桃香と智は呆れ、黒髪ロングでドラム担当のすばるは興味津々というぐあいに視線を向け、褐色のベース担当のルパは仁菜さんらしいと柔和な笑みを浮かべる。

 

「せっかく貰ったギターなのに、なんで壊しちゃうかな、そもそもあの男が悪いんだ、あの野郎~!」

 

 仁菜は自己嫌悪から一転怒りをぶつけるように叫ぶ。マイクを持って叫んだためにハウリングし部屋中に響く。その騒音への抗議の意味か桃香とすばるがうるさいと仁菜の頭を軽くはたく。

 

「それで、何が有ったの?」

「昨日、買い物している時に駅前を通ってさ、そしたら誰かが路上ライブしてたんだよね。何か上手そうなギターの音が聞こえてきたから、勉強のために手つきとか見ようとか思って寄ってさ」

「一丁前に上手そうなギターとか言うな。ギター歴数か月の素人だろ」

「いいじゃないですか、私と比べれば大半の人は上手いんですから」

 

 茶化すように話の腰を折る桃香に対して仁菜は抗議しながら話を続ける。

 

「それでその男の曲が、超~~~~~酷くて、聞いているだけで吐き気がする感じです」

「兵器か何か?どんな曲だよ」

「ジャンルはポップスだと思います。音楽って自分が抱えているものや伝えたい想いや感情をぶつけたいとか思って歌うじゃないですか、それが何ひとつ感じられないんですよ」

 

 仁菜は昨日の出来事を思い出したのか体中から赤いとげを発する。音楽とは溜め込んだ感情や伝えたい想いをぶつけると桃香から教わった。バンド活動を通してそれを実感している。

 

「しかもダイダスみたいに商業路線に走ってるわけでもない。今のダイダスは嫌ですけど、こう……それすらないんですよ!」

 

 ダイヤモンドダスト、かつて桃香が所属し仁菜の人生を変えたバンドである。桃香は音楽性の違いで脱退し、今は新しいボーカルが加わりアイドルのような衣装を身に纏い、大衆向けの曲を歌っている。

 憧れのダイヤモンドダストが商業主義の大衆向けに変わったのは腸煮えくりかえっているが、それでもより売れる為に路線変更したというのはほんの欠片ほど理解できる。

 だがあの男の歌にはそれすらない。唯チヤホヤされたくて自分が気持ちよくなりたいってだけという最も嫌悪する歌だった。

 

「そして夜は桃香さんが作ってくれた曲を路上で歌ってたんですよ。そしたらあの男がやってきて『そしたら『地元の娘?良い曲だったよ。ボーカルや表現力は良かったけどギターの技術はまだまだかな。でも曲の雰囲気は良いと思うからそれを大切にね。技術は後からついてくるから』ってえっらそうに!あんな奴に桃香さんのメロディーの良さや私の歌詞を分かってたまるか~!』

 

 仁菜は怒りを発散するように叫ぶ。路上での曲は音楽アプリで作った音を桃香が仁菜の技術でも弾けるように編曲し、作詞は仁菜が担当した。

 作詞は皆にアドバイスを受けながら自分の感情や想いを詰め込んだ。その曲をあの男に死んでも評価されたくなかった。

 

「別に合ってるでしょ。技術はまだまだなんだし、寧ろ褒められただけよかったじゃない」

「だな、これで仁菜のテクが良いとか言ってたら今すぐミュージシャン辞めたほうがいい」

「桃香さんと智ちゃんはあの男を褒めるの!?」

 

 仁菜は思わぬ言葉に2人にくってかかる。あの最低のミュージシャンを擁護するだけで敵に思えてしまう。それほどまでに根岸を嫌っていた。

 そんな仁菜をルパとすばる引き剥がし宥め落ち着かせ、仁菜も鼻息荒くしながらも深呼吸して平静を保とうとする。

 

「ちなみにどんな歌だったの?ニーナやってよ」

 

 すばるが問いかける。話題を変えるという意味もあるが純粋に仁菜がそれほどまでに嫌悪する歌に純粋に興味があった。それに残りのメンバーもどれだけヒドイのかと同様に興味を抱いていた。

 仁菜としてはやりたくはないが自身の怒りを共有してもらいたいという想いから桃香のギターを借りて歌う。

 

「甘い甘い甘いコ・イ・ビ・ト」

 

 脳内にこびりついてしまったメロディーを弾き、見た印象の倍ほどに体をくねらせ歌う。

 

「ハハハ!なにそのクネクネ!気持ち悪~い!」

「キモ、歌い方がクソ」

「キモいです。甘ったるい感じが反吐が出ます」

「キモ、メロディーがダサすぎ」

 

 すばるは腹を抱えて笑い、桃香が歌い方、智がメロディーを端的に酷評する。ルパは柔和な表所を見せているが言葉はメンバーの中で最も辛辣だった。

 

「でしょ~、智ちゃんなら分かってくれると思ったよ」

「抱き着くな。キモい」

「ニーナ、もう一回やって、動画撮るから」

「二度とやるか!」

 

 仁菜はすばるに小指を突き立てる。このハンドサインは仁菜にとって中指を立てるファックサインと同じ意味である。真似して怒りが募ったが男の気持ち悪さや歌のどうしようもなさが伝わったのは嬉しかった。

 

「しかし、仁菜のテクで一回聞いただけで真似できるって、実は好きなのか?引くわ~、とうとう音楽性の違いが出ちゃったか、脱退しろ」

「そんなわけないでしょ桃香さん!」

 

 仁菜は桃香に小指を突き立てる。いくら桃香でもあの男の音楽好きだなんて侮辱がすぎる。次そんな事を言われたら憧れで恩人と云えど命のやり取りになるだろう。

 

「ふざけるのは大概にして練習再開するぞ、2カ月後にはフェスだ、あっという間だぞ」

 

 桃香は手を叩きながら喋り、他の4人も休憩モードから気持ちを切り替える。トゲナシトゲアリはインディーでもないアマチュアだ。だが曲は評価されフェスに呼ばれた。

 このフェスで評価されればレコード会社と契約してインディーどころか、メジャーデビューも夢ではない。それほどまでに重要なイベントだった。

 

「そして明日は路上ライブだ、フェスも重要だが、こういうのも重要だからな」

 

 トゲナシトゲアリも何回かのライブでSNSのフォローワーも増えてきている。そういった固定ファンを満足させ、また新規のファンを獲得するために路上ライブを重要視していた。固定のファンを大量に抱えていればレコード会社と契約しても安易な路線変更されないという思惑もあった。

 

 仁菜は気を引き締める。自分な好きな音楽と最高のメンバーと一緒にプロになって、ダイヤモンドダストに勝つのだ。あんな最低なミュージシャンを気にしている暇などない。

 その後の練習は集中してのぞみ、実のあるものになった。

 

──翌日

 

「よし、今日も頑張るぞ」

 

 根岸は昨日弾き語りをした場所に再び陣取り歌い始める。川崎に来たのは仕事の為だった。仕事前に雑誌で特集された喫茶店に英気を養っていると一度の失敗で挫けてはダメだと活力が漲り、仕事前でありながら路上ライブをしていた。

 昨日と同じように誰もが興味を示さず敵意や罵倒の言葉を投げる。違うとすれば持っているギターだった。昨日はアコースティックギターだったが、今はメタル系統のミュージシャンが持っているようなギターだった。

 根岸は演奏しながら昨日との違いに気付く。何人かの人間がここら辺一帯に留まっている。まるで待ち人を待っているようだ。

 暫くすると何かを待っていた人たちが根岸から十数メートル離れた場所に集まっていく。そちらに視線を向けると女性ギターやドラムやキーボードを持っている5人が見えた。ストリートミュージシャンだ、全員女性で年齢は10代後半から20代前半ぐらいだろう。

 集まった人がミュージシャンの名前を呼ぶ。川崎では名が知られているバンドのようで、その中に赤が混ざったおさげの黒髪女性、昨日ギターを持って追い回した少女が居た。

 

「うわ……」

 

 路上ライブの準備をしていた仁菜は嫌悪感を一切隠していない声を出す。その声にすばるが何が有ったと訊くと心底嫌そうに顎で少し離れた場所で演奏しているストリートミュージシャンを顎で指す。

 

「あれが昨日話した最低なミュージシャン」

「なるほど、話に聞いた以上ね。想像の数十倍キモい」

「ミュージシャンとして下の下だ」

「仁菜さんが言っていた意味が分かりました」

「同感、ギターはまずまずだけどそれ以外は仁菜の言っていた通りでヒドい」

 

 他の4人は根岸に視線を向け歌に耳を傾ける。確かに言う通りだ。人を不快にさせるだけのパフォーマンスに薄っぺらい音、ミュージシャンとしてもっと嫌悪するタイプの1つだ。

 

「どうしよう、あんなのが隣に居ると思うだけでイライラする」

「同感と言いたいところだが、これは良い練習だ。ライブは快適な場所で演奏できるとは限らない。ヤジが飛んでくるかもしれないしムカつく客が居るかもしれない。それでもフェスでは最高の演奏をしなきゃならない」

 

 桃香の言葉に一同頷く。確かに常にストレスなしで演奏できるとは限らない。本番に備えてこういったアクシデントに備える必要がある。あの最低なミュージシャンにもこういった利用方法があるのか。

 

「どうも皆さんこんばんは、知らない人は初めまして、トゲナシトゲアリです」

 

 セッティングが整うと仁菜が事前に告知して集まったファンと行きかう人に声をかける。その言葉にファン達はメンバーの名前を呼んで声援を送る。

 

「ファンの人達は知っているかもしれませんが2ヶ月後にフェスに出ますので来てください。そして知らない人たちは少しだけ足を止めて耳を傾けてください。私達の曲はメンバーそれぞれの想いが詰まったロックです。そこらへんのミュージシャンの薄っぺらい曲とは違います。聞いてください。『雑踏、僕らの街』」

 

 根岸は歌いながらトゲナシトゲアリの歌に耳を傾ける。まさかあの少女に再び出会うとは、気が付けば歌いながら少女に意識を向けていた。

 昨日の仁菜の歌声には見どころがあったがあれはベストではない。ギターから解放され歌うのに集中しているので一層に良くなっている。それ以外のギター、ベース、ドラム、キーボードもレベルが高い。インディーでも高水準レベルだ。

 クオリティの高さに相応しくファンは盛り上がり、行きかう人たちも脚を止め耳を傾ける。

 

(結構いい音だしてる。川崎のバンドもレベル高いな。でもボクは下北沢を背負っているんだ。負けてたまるか)

 

 根岸は勝手に下北沢代表面しながら歌う。対抗心からいつも以上にクネクネしている。だが根岸のやる気は虚しく、誰一人根岸に意識を向けずトゲナシトゲアリに意識を向ける。一帯は完全にトゲナシトゲアリが支配していた。

 だが2人だけ根岸の歌に意識を向けていた者達がいた。

 

「てめえ、誰の許可を得て歌ってんだ!」

 

 突如金髪の女性と革ジャンの厳つい男が根岸の手を掴んで演奏をとめる。思わぬ苦情に演奏の手を止める。

 

「え?許可がいるんですか?」

「当たり前だろうが!」

「でも誰だって路上で演奏していいはず」

「川崎じゃ違げえんだよ!ここら一帯で歌っていいのは私達が認めたミュージシャンだけだ。そんなのも知らねえかよ、他所者だな、活動場所はどこだよ」

「下北沢です」

「下北!?下北じゃあこんなクソみたいなミュージシャンがやってるのかよ!レベル低すぎだろ!」

 

 2人は根岸に嘲笑を向ける。根岸は反論しようとするが誰もが自らの演奏に意識を向けない現状に口を噤む。

 

「さっさと失せな下北沢のゴボウ!歌うんだったら下北沢のゴボウに聞かせときな」

「もし川崎で歌ってたら二度歌えないようにするからな!」

 

 男は蹴りをかますと根岸は逃げ去るようにその場から立ち去る。その情けない様子を見て2人は溜飲を下げる。

 地元でクソみたいな曲を歌われるのが単純に許せなかった。そしてトゲナシトゲアリ、正確には桃香の演奏を邪魔されるのが許せなかった。

 桃香とは決して仲が良いわけではない。だがミュージシャンとしてある程度は認めており、新しいバンドを組んで演奏しているところには思うところがあり、邪魔がない状態で演奏してもらいたかった。

 

(うう、酷いよ。いくら趣味に合わないからって無理やり止めさせるだなんて、やっぱり川崎に住む人は野蛮で下品な音楽しか興味なくてボクの音楽が分からないんだ)

 

 根岸は心中で捨て台詞を吐きながら川崎を駆けていく。胸中には悔しさや情けなさで満ちていた。

 

(それに下北沢のゴボウ共に聞かせとけ?皆はいずれ僕を評価してくれるハイセンスの持ち主なんだ。おめえらスラム街の人間がバカにしてるんじゃねえ!)

 

 情けなさや悔しさは追い出した男女に対する怒りに川崎への罵倒に変わる。

 

(それにあんな女の軟弱な音に夢中になりやがって、あんな音でミュージシャン気取りか、あんな安物で俺を否定しやがって!メタルのメの字も分からねえアバズレ共め!)

 

 次に男女から仁菜に対する怒りに変わる。自分の音楽性を全否定しギターすら碌に弾けないアバズレ、一丁前にバンドを組んでチヤホヤされている。その怒りに嫉妬が加わる。

 

(オレがミュージシャン気取りのアバズレ共と川崎のスラム街のブタ共に本当のメタルを思い知らせてやる!)

 

 そこからトゲナシトゲアリと川崎に住む人々への怒りが加速度的に膨らんでいく。そして怒りが頂点に達した時に公衆トイレの個室に駆け込んだ。

 

 

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