心が折れる音、そんな音は存在しないがトゲナシトゲアリの5人には聞こえたような気がした。ファン達の心が次々と折れていくのが分かる。こうなれば会場の空気は完全に掌握した。音楽は人を楽しませ、理不尽に立ち向かう力を与える等人にとって有益なものだと思っている。
だが今している事は逆だ。正確に言えば音とパフォーマンスでDMCのファンを悲しませ心を折った。相手のバンドを叩きのめし、そのファンを絶望させる。DMCとの対バンはこういうものだ。
このような事態になる可能性はあった。寧ろそうするために全力で研究し対策し練習してきた。でなければこちらが潰されてしまい、トゲナシトゲアリとしてDMCに負けていないと証明できない。
それでも良心は少し痛む。そんなファン達の悲しみが癒え立ち向かえるよう力を与えるような演奏と歌を届けよう。
そしてクラウザーは依然変わらず豚に種付けされている。圧倒的な演奏と歌とパフォーマンスで自分達を叩きのめしたクラウザーが対バンの舞台で返り討ちにあい、醜態を晒し続けている。追い込んだ張本人が思うのは違うかもしれないが哀れである。
しかしこれで屈辱を払しょくできた。あとは自分達の演奏と歌に集中するのみ、5人の意識からDMCの存在は消えていた。
(すごいなトゲナシトゲアリ、DMCに勝つ為に必死で練習して、あれだけひどい目にあっても演奏してファン達の心を掴み始めている)
根岸は失意のどん底に落ちていた。メタルモンスターと称されるクラウザーだが絶対無敵では決してない。
かつて根岸として路上ライブしていた最中にクラウザーⅠ世に勝負を挑まれ、パフォーマンスとメタルで負けた。しかしライブではきっちりパフォーマンスとデスメタルで上回りリベンジを果たした。
だが今回は違う。クラウザーとしてライブをして演奏もパフォーマンスも完全に上回られた。完全な敗北である。
(メタルで負けたクラウザーに価値はない。梨本さんも呆れてキーボードの娘のほうに行くよ。M男としてより強い方につくのは当然だ)
豚に種付けされている自分を俯瞰する。普段であれば憎悪を貯めているがそんな気にすらならないほどショックを受け、屈辱を甘んじて受け入れていた。
(彼女達は自分達がやりたい音楽を貫くためにDMCに挑み勝利した。そんな彼女達の音楽を下らない嫉妬で一度滅茶苦茶にした。何て酷い事をしたんだ、最低だボクは)
路上でポップスを弾き語るたびに酷評され罵詈雑言を浴びせられた。評価してくれるのは後輩の佐治と大学で一緒だった相川だけだ。本当はポップスの才能がないのは薄々と分かっていた。仁菜の言葉は正しく乱入したのは完全に逆恨みだ。
(その事実に目を背けてメタルに逃げているって自覚して、弱い自分を脱却するためにフランスに留学した。けど社長が昏睡状態になってDMCが解散しそうになったのを知って戻って今もデスメタルをやっている。これじゃあダメなんだ)
根岸は全身全霊で演奏し歌う5人に視線を送る。5人を中心にキラキラと輝き周辺一帯の明度が上がっている。まるでライトを浴びたダイヤモンドのように綺麗だ。
(トゲナシトゲアリの歌を聞いていると勇気が出てくる。諦めるな、挫けるな、どんな不利や苦境にも中指立てて抗えって。ボクもこのライブでDMCを辞めてポップスを頑張ろう。才能が何だ、才能が無くても絶対にポップスで成功してやる。社長もこの負けで辞めろっていうかもしれないし、和田君も西田君もファンの皆も愛想が尽きて勝手に離れていくはずだ、これで後腐れなくやめられる)
根岸の中にあったどす黒い怨念が薄れ決意や勇気と呼べる暖かなものが満たされていく。これがロックの素晴らしさか。
ふと根岸の背中に何かが落ちる。どうせ梨本の涎かと思ったが何気なく見ると違うことに気付く。これは涙だ、何故泣いている?そして改めてライブ会場を見渡す。トゲアリトゲナシの曲に熱狂している者もいれば、泣き崩れている者もいる。それを見た瞬間消え失せたはずのどす黒い怨念が欠片程芽生える。
(梨本さんは泣いている?見限ったなら泣くはずがない。これは励ましなのか、豚の種付けという屈辱を与える事で復活してくれるのを願っているのか?それにファンの皆も泣いている。あの人もあの人もあの人もどんな時もライブに来てくれた)
彼らの姿を見ると怒りがふつふつと湧いてくる。彼らには散々振り回され日常の平穏は乱されてばかりなのに。
(これもトゲアリトゲナシが対バンしたせいだ、こんな実力が有るならフェスでも出た方が絶対に良かったのに、敢えて困難な道を選ぶのがロックですとか思ってんのか!?そしてあわよくば勝てば箔が付くと思ってのか!?DMCはお前らのトロフィーじゃねえぞ!)
あれだけキラキラして見えていたトゲアリトゲナシが醜く見え始め、欠片程のどす黒い怨念が加速度的に増えていく。
(俺は対バンに勝ち続けデスメタルを背負っちまった!簡単に負けるわけにいかねんだよ!)
脳裏でジャックイルダーク、デズムの面々、ヘルヴェタのシャーセ、クラウザーⅠ世、ゴッド、今までの対バンで破った者達が『そうだ、お前がデスメタルの代表なんだ、頑張ってくれと』励ましの言葉を送る。
(うるせえ黙ってろ!そもそもお前らがショボいからデスメタルをやり続けるはめになってんだろうが!)
脳内に浮かび上がる面々に対し即座に罵声を浴びせ、別の対象から恨みを募らせる。
(梨本の野郎泣いて美談にしようとしてるのか!?ただお前がオレに嬲られたいだけだろ!SとMは実はMがSを支配してるとか言われてるが、そんなわけねえだろ!支配者はおれだ!それに女だから唾とか痰とか顔に吐かれて、パンツ脱がされても歌えるから凄いって思ってんのか?こっちなんて散々ボロクソに言われたり卵ぶつけられたりしてんだぞ!そんなの凄くもなんともねえ!反応されただけでマシだろ、真の屈辱は周りに全く反応されねえことだ!)
脳内でフランス留学の記憶が蘇る。どれだけ歌を披露しても周りが全く反応しないという絶望、あれこそがミュージシャンを殺す最悪の行為だ。それを耐えてきた。お前らとは違う。
ファン達の態度、トゲアリトゲナシの演奏や表情や仕草、些細な事象からも恨みや怒りを募らせていく。こうなったクラウザーは止められない。過去現在はてや未来の出来事から身勝手に恨みや怒りを募らせる。その恨みと憎しみは本日最大量となる。
(ロックじゃあ俺をレイプできねえんだよ!)
「いつまでやってる豚!」
クラウザーは悪魔のような声で叫び突如立ち上がると資本主義の豚の頭を掴むとギターに押し付けた。豚を使った歯ギターである。
「でたー!クラウザーさんのピッグイズピックだ!」
「そうだ!豚使いならクラウザーさんのほうが上だ!あのキーボードのガキには負けてねえ!」
クラウザーの復活、悪魔は決して死なない。その劇的な光景に歓声があがるがすぐに尻つぼみになる。一度はファック連呼対決で引き分け、セッション対決では負け、パフォーマンスでも上回れた。勝ち目が有るのか。
相変わらずトゲナシトゲアリの曲のクオリティは凄まじい。これがメジャーデビューしていないのが不思議なぐらいだ。
そんな不安は徐々に晴れていく。ギターの演奏の凄まじさがいつも以上に増している。敗北を糧にさらなる成長をしたのだ。
クラウザーは豚を投げ捨てると自らギターを奏で、唯のフレーズの繰り返しの速弾きから曲のイントロに変わりジャギとカミュも加わる。これは「恨みはらさでおくべきか」だ。
『ぎゃああああああ!』
クラウザーのデスボイスシャウトが会場中に響き渡る。そのシャウトにファン達は耳を塞ぎ、トゲアリトゲナシも演奏に集中しなければならないのに意識を向けてしまう。
このデスシャウトはいつもと違う。まるでこの世の悪意が全て集まったようだ。
『貴様の罪は俺が罰する 俺は地獄からの使者 (from hell)』
ファン達は息を吹き返したようにヘッドバンキングして熱狂する。この恨みはらさでおくべきは今まで聞いた中で最も凄い。
「なんて凄まじい演奏と歌だ。気を抜くと魂が持っていかれそうだ」
「そうか、豚の種付けはワザとだ!最低の屈辱を敢えて受けることで恨みを貯めたんだ!」
「流石クラウザーさん!なんて自虐行為だ!」
ファンの鑑は納得する。クラウザーさんは成長なんてそんなキラキラした現象は起こさない。これは恨みだ、恨みを溜め込みより強大になったにすぎない。
『貴様の尻を八つ裂きじゃ 恨みはらさでおくべきか』
ファン達はクラウザーの復活と凄まじいデスメタルを披露してくれ感謝すらしていた。だが悪魔の溜め込んだ恨みはファン達の想像を超えていた。
「うわー!急に倒れたぞ」
「こっちもだ、救急車を呼べ」
あちこちから悲鳴と動揺の声が聞こえてくる。ライブの最中に人が倒れるというのは珍しいがあり得る。だがこんな同時に起こるなんてあり得るのか?ファンの鑑は恐るべき結論に辿り着く。
「クラウザーさんは俺達が勝てないと思ったことに対しても恨みを抱いているぞ!皆心を強く持って真剣にお詫びするんだ!でないと呪い殺されるぞ!」
ファンの鑑は謝罪の言葉を口にしながら懇願する。急病者が多発している理由は唯一つ、怨念による呪殺だ。クラウザーにとってファンの命は所有物、扱い方は本人の自由であり、ムカついたら殺せるのだ。生きるには誠心誠意謝罪するしかない。
ファンの鑑達の目には確かに見えていた。クラウザーから会場を埋め尽くすほどの黒いトゲが放出している姿を。
『貴様の尻をなめまわす お前地獄で殺す』
『左手に憎しみ右手に狂気永遠の極刑くれてやる』
次々と人が倒れスタッフやファン達が倒れた者を会場の外に搬出する。まさに会場は地獄絵図と化していた。
『恨みはらさでおくべきか 恨みはらさでおくべきか 八つ裂きじゃ』
クラウザーはトゲナシトゲアリのメンバーを睨みつけながら歌う。その視線に全員は背筋が凍る。完全に空気を掌握し勝ちが確定した流れを1曲で持っていかれた。
この現象の説明はつく。ファン達が思い込みによって本気で呪われていると信じ罪悪感で体調が悪くなったのだ。だが本当に呪っているのではないかと思わせるほどの殺意と敵意と凄味があった。
DMCの音楽は相手を叩きのめす暴力であり凶器である。だが勘違いしていたようだ。このデスメタルは対戦相手だけではなくファンすらも殺せる兵器、皆は同じことを考えていた。
─音楽で人を
ライブ開始前に五体満足で帰れる不安をしたが甘かった。生きて帰られない可能性すら出てきた。死ぬ確率は限りなく低く倒れた人も命に別状はないはずだ。しかしライブ会場で僅かでも死ぬかもしれないと思うこと事態が異常なのだ。
これがデスメタルの頂点、こんなメタルモンスター相手に勝ったと思い込み憐みの念すら抱いていたのか。あまりのヌルさに思わず笑いそうだ。ファンが可哀そうだとかそんな予期な事を考えている余裕はない。全力で抗わなければ負ける。いや殺される。
『恨みはらさでおくべきか 恨みはらさでおくべきか』
仁菜は全身に悪寒が走りながら歌い続ける。最初に聞いた時に込められた感情がほんの些細なものだと実感する。これがクラウザーの本気の歌、過去の自分であればこの場から即逃げ出し、他の4人も演奏を止めていただろう。しかし今は違う。
たとえ破れようとも足掻いて暴れて爪痕を残してやる。その気持ちを全員で共有し確固たる強さに練り上げた。
そして奇妙な事にある種の尊敬の念を抱いていた。方向性は真似たくないが歌に込められる想いの大きさは凄いし、それが出来ればいいなと思っている。
恨みはらさでおくべきかが終わり。会場はこの日一番の熱狂に包まれる。ファン達の忠誠や信仰と呼べるような感情はこの1曲で一層強固になる。もはやトゲナシトゲアリに靡く者は誰も居ない。今はライブ開始時以上にトゲナシトゲアリにとってアウェーだった。
「初めてだ、これほどまでの屈辱、魔王直々になぶり殺してくれる。まずはそこのギターからだ『負け豚』」
クラウザーのギターイントロが始まる。膨大な恨みと怒りを蓄えたことにより演奏はより凄まじくなっていた。
『試される地からやってきた名の無き弱き処女、右手に夢を左手に憧れを抱き一歩踏み出す。踏み出した先は地獄』
「これは聞いたことねえ、新曲、いや即興だ!」
ファンの鑑が思わず叫ぶ。全く聞いたことがないイントロと歌詞のデスメタルだった。新曲であればジャギとカミュも演奏に参加するはずだ、だがしていないという事は今現在進行形で作られている曲である。
しかしファンの予想は若干異なっていた。ジャギとカミュならクラウザーの即興曲でもある程度合わせられる。だが目が1人で演奏させろと訴えていた。
『地獄の悪魔が容赦なく弱き処女を蝕む。理不尽が臓腑を抉り心を抉る。残されたのは喰い尽くされ犯されつくした弱者の体』
『亡者が彷徨い辿り着く、そこは魔王が住まう館、そこはかつての地獄が楽園と思えるほどの真の地獄、悪魔が犯し蹂躙し死体を晒す』
仁菜は思わず桃香を見つめる。この歌は桃香について歌っている。ダイヤモンドダストのメンバーと上京しメジャーデビューして、ガールズロックバンドとして活躍するのを夢見てきた。
だがバンドはロックではなくアイドル路線に切り替わり脱退した。桃香はダイヤモンドダストの作詞作曲であり、ロックではなくなったということは桃香の音楽が認められなかった証拠である。その経緯をデスメタル的な歌詞で歌っている。
一方クラウザーもトゲナシトゲアリを気に懸けているうちに桃香の来歴を知り、初期の曲から衣装や曲の変化、そしてファン達のSNSでの呟きを見て今の経緯を大まかに推測していた。
「仁菜場所交代、皆手を出すな」
桃香は仁菜と場所を後退しマイクの前に立ち。他のメンバーに告げる。
『弱き処女は不自由な奴隷、夢と憧れは地獄の瘴気で穢れ、鍛えた刃は錆びれていく』
桃香もクラウザーと同じようにメロディを奏で歌い4人は即時に理解する。これは即興曲だ、クラウザーの歌に合わせて歌詞を作り歌っている。
ルパと智は桃香を助けようと演奏に参加しようとが桃香と視線が合う、その視線は『1人で演奏させてくれ、絶対に手を出すな』と雄弁に語っていた。
クラウザーと桃香はバンド内での役割は似ている。作詞作曲ギター担当、現在ボーカルはしていないが、ダイヤモンドダストではギターボーカルだった。
そのクラウザーが名指しで桃香を指名し即興曲を歌い始めた。その意味は同じ役割を持つ者同士即興曲で勝負しろということだ。
無茶だ、ルパと智は脳内で真っ先にその言葉が浮かび上がる。かつてはベニショウガという二人組で曲を作っていたから分かる。曲を作るのは多大な時間と試行錯誤が必要だ。
クラウザーはごく簡単に即興曲を作っているが普通は無理だ、それなのにあれ程のクオリティを保っているのはメタルモンスターとしか言いようがない。同じ曲を作る者としてそこだけは素直に称賛できる。
それに対面しているのはクラウザーだ、卓越したギターとボーカルで作られる即興曲、それに対抗するには同程度のクオリティが必要だ。
今のクラウザーのギターは先程より明らかにレベルが上がっている。このギターに対抗できるのは日本でもトップレベルのギタリストだけだ。そのギターと張り合いながら詞とメロディを作り歌う。日本中を探してもそんな芸当ができるミュージシャンはいないかもしれない。それほどまでに超高等技術だ。
ミュージシャンとしての桃香は評価しているが明らかに荷が勝ちすぎている。この勝負に挑むべきではなく、すでに作った曲で挑むべきだ。
『弱さ故に強いられた不自由、そこで手に入れたかつての私、けして無意味ではない。サビた刃は研がれる』
桃香は脳をフル稼働させロックの即興曲を歌う。遊びで即興曲を作ったことはあるが、本番ではない。速弾きや何曲も演奏して体力が消費している。その状態で曲を作るのは想像以上にキツイ。それを意図も容易く実行しているクラウザーに改めて驚愕を覚える
今のクラウザーは正真正銘のメタルモンスターだ、少しでも後退すれば潰される。絶対に後退してはならない。それは自分で負けを認めるということを意味しあの時と同じだ。
クラウザーとの即興曲対決、普通に考えれば勝ち目はない、メンバー達も勝負を避けるのには納得するだろう。
だが桃香はバンドのリーダーだ、リーダーが相手のリーダーから逃げれば無意識に士気は落ちる。
『意志、調和、感性、鷹揚、期待、責任、合わさり悪魔を切り裂き金剛石を砕く。もう迷わない』
ダイヤモンドダストを抜け地元に帰ろうとした時に仁菜に会った。そして世間には通用しないと諦めていた自分の音に自信を与えてくれた。
仁菜が立ち向かう意志をくれた。すばるがバンド内に調和を与えてくれた。智が作曲者としての感性が刺激を与えてくれた。ルパの鷹揚とした姿がバンドに安定感を与えてくれた。
もう自分の音楽を疑わない、最後まで信じ抜く。今まで築き上げた音と4人によって与えられ加わったトゲナシトゲアリでこの対バンに勝つ。そしてダイヤモンドダストにも勝つ。この即興曲は桃香の決意の歌だった。
そして2人の即興曲は終わる。桃香の曲は決してクラウザーに負けてなかった。それはファン達やクラウザーの反応と雰囲気で物語っていた。
「桃香さん」
仁菜は疲労で膝をつく桃香に駆け寄り自分のペットボトルを与え、桃香は勢いよく水を飲み干す。
音楽は初心者だが、桃香の演奏の凄まじさが分かる。これが尊敬するミュージシャン河原木桃香だ!そう誇らしげに叫びたいのを必死に抑え涙が出るのを堪える。一方クラウザーは桃香とは対照的に多少疲れた様子を見せているが平然としていた。
状況は俄然不利だとトゲナシトゲアリのメンバーは理解する。今のままでは体力の消費が激しく桃香は演奏ができない。当然だ、ライブで通用する即興曲を作るとはそれだけの労力を要するのだ。
トゲアリトゲナシの曲はギターがいないと成立しない、もしDMCが今すぐ演奏を始めればそれも見守り続けることになり、そうなれば流れは完全に傾き負けは確定する。
「なにを見ている豚!制裁は終わってねえぞ!」
突如クラウザーが豚の尻を叩きパンという音が会場に響く、2人の即興曲を聞いた興奮の騒めきが止む。それほどまでに澄んだ音だった。
「でたー!クラウザーさんのスパンキング風林火豚だ!豚への恨みはあの程度で済むはずがねえ!」
パンパンパンと澄んだ音とオゥオゥオゥとブタの汚い喘ぎ声が会場に響く。その2つの音が上手く合わさり一種の音楽となり、ファン達は思わず耳を傾ける。
「豚!どちらが本当の主人か改めて確かめてこい!」
クラウザーはスパンキング風林火豚を終えると豚の尻を蹴り智の方に行くように指示を出す。
「クラウザーさんはどちらが優れた豚使いか決めるつもりだ!」
「こんどはお前がクラウザーさんにNTRられる番だ!」
ファン達はクラウザーのリベンジを期待して盛り上がるが智は困惑していた。主人になったつもりはない。あの時は激昂してあんなことをしたが今は冷静になり、気持ち悪いし触りたくもないし見たくもないし声も聞きたくない。
だが桃香はまだ回復していない、このままでは演奏ができない。それにこのよく分からない勝負から逃げればトゲアリトゲナシが負けたと解釈される。
そうなれば対バンの勝負が決まってしまう。負けるにしても勝負を回避して負けるよりまだマシだ、それに勝負すれば桃香が回復する時間を稼げる。
智は覚悟を決めてブチ切れた時の感情を思い出す。
「なに靡いてるの豚!あんなので喜んで!本当に変態ね」
智は足で踏みつけ罵倒の言葉を浴びせながらキーボードを弾く。喘ぎ声と罵倒をボーカルにしてキーボードでメロディを奏でる。これもある意味即興曲だった。
智は脳をフル回転させながら罵倒の言葉を選び最適なメロディを奏でる。あの時は無我夢中だったが今は思考しながらやっている。
即興で音を作るのがこれほどまでに難しいものなのか、改めてクラウザー、そしてクラウザーと五分に渡り合った桃香を賞賛しながら音を作る。
「あのガキも負けてねえ!あれはマグレじゃなかったのか!」
即興の曲が終わるとファン達が驚きの声をあげる。とりあえずファンから見たら互角に見えたようだ。桃香に視線を送ると桃香はまだ膝をつき仁菜が心配そうに見つめている。
また即興曲を作るか、無理だ、あれが限界だ。これ以上時間を稼げない、智の中で焦りが芽生える。
「でたー!ジャギ様の炎だ!」
するとジャギが炎を吐く、二回三回とステージの中央に移動し、ファンに当らないギリギリに距離を調整しながら火を吐く。
「キャー!ジャギ様焼き殺して!」
「客に当るギリギリだ!なんて焦らしプレイだ!」
「炎の扱いが巧みすぎる!」
そのパフォーマンスにファン達の意識はクラウザーと智からジャギに移る。
(これでいいのか根岸?)
ジャギは不安そうに見つめる。クラウザーは豚へのスパンキング風林火豚が終わるとジャギに何かやれとパフォーマンスを要求した。
ギターが潰れた今即座に演奏すれば勝てるのに何故しない?そんな疑問を抱きながらクラウザーの指示に従う。なにかやれと言われたらこれしかいない、とりあえず火を吐いておけば盛り上がり何かやったことになる。
いつも通り火を吐いていると突如ルパが前に飛び出し視界に入る。俺に放火させる気か?慌てるが今止めたらこちらが燃料を飲み込み病気になる。当たらないように祈りながら火を吐く。結果ルパに火は当たらなかった。
「何か香ばしい匂いがするぞ?」
ファンの鑑の言葉にファン達は鼻を嗅ぎ匂いの発生源を探す。発生源はルパの手元だった。
「あれは焼きスルメだ!」
「何て奴だ!ジャギ様の炎を調理器具代わりにしやがった!」
「そして足元のカバンから何かを取り出したぞ?」
「あれは日本酒だ!ライブ中だってのに1人で晩酌し始めやがった!くつろぎすぎだろ!」
ルパは座り込むと一升瓶の日本酒を飲みながら焼スルメをかじる。対バン用に色々と仕込んでいて、するめと日本酒はその1つだった。
ジャギの炎で焼スルメを作ればデスメタル的なパフォーマンスになるかもと用意し、元々酒好きでつまみにして日本酒を飲みたいなとついでに用意していた。
「ラッパ飲みしてやがる。なんて飲み方だ、急性アル中になるぞ!」
ルパはチビチビ飲んではパフォーマンスにならない豪快にラッパ飲みをする。智の即興曲が終わった時に智と同様の焦りを抱いていた。
何とかして時間を稼がなければと思案しているとジャギが火を吐き始め、咄嗟に今のパフォーマンスを思いついた。
しかしこの量を飲み干せばアルコールが回り演奏が出来なくなる。ルパは立ち上がるとバッグの中にあるライターを手に取り火をつけ、そこに溜め込んでいた日本酒を吐き出した。
「ベースも火を吐いた!」
「あのジャグリングといい、こいつもジャギ様と同じ炎使いだったのか!?」
対バンに向けて炎を吐く練習はしておいたが、こんなところで役に立ったか、何事にも備えておくべきだと実感する。
一方ジャギに動揺が走る。己の得意技をパクられた。これでは存在意義を無くなってしまう。
「良い心がけだ人間、これは悪魔への貢ぎ物だな!」
ジャギは咄嗟にルパのバッグを漁り中からスルメを奪い取ると、炎を吐いて焼スルメにして食し、同じように日本酒を奪い取り飲みながらそれを燃料に火を吐く。
「ジャギ様は日本酒とスルメが好きだったのか!?今度の貢ぎ物はこれだ!」
「そこらへんの酒屋とコンビニで奪ってきます!」
それからジャギとルパのパフォーマンス兼酒盛りが始まる。とりあえず客が盛り上がっていると胸をなでおろし、ルパは不安を表情に出さないようにしながら酒を飲む。
そろそろスルメと酒が無くなる。こうなるとパフォーマンスを続けられず、桃香も回復していない。
(うわ、皆してこっち見てる)
すばるは若干顔を引き攣らせながら桃香以外の視線を受け止める。言いたい事は分かっている。桃香が回復するまでパフォーマンスして時間稼ぎしてくれという事だ。
智とルパがパフォーマンスをしたので出番が回ってきそうなのは何となく予想できた。ただパフォーマンスするだけではダメだ、DMCに負けてないと思わせるパフォーマンスでなければならない。
すばるは皆の意識を向かせるようにドラムを叩く。その意図につられるようにジャギとルパに向けられていた意識が移る。
「カミュ!あんたが下手だって証明してやる。もう一度あの技をかけてみろ!」
「あのドラム、カミュさんに絶対性感を要求しやがった!」
「カミュさんの悪魔としての尊厳を完全にへし折るつもりだ!」
「本当はやってもらいただけなんじゃねえのか!?」
すばるはデスメタル的なパフォーマンスは披露できない、唯一あるとすればカミュの技に耐える事だ。よく分からないが耐えたことにファン達は驚き盛り上がっていた。
カミュはすばるの挑発に応じる様に立ち上がり背後に回る。すばるは快感に屈しないように奥歯を噛みしめる。その瞬間前回より大きな快感が体中に駆け巡った。
「見ろ!カミュさんがスティックを両手に持っているぞ!」
「それに突くスピードも2倍、いや3倍ぐらい速え!」
「スティックを両手で持つ事で2倍、押す力が2倍、さらにスピードが3倍、絶対性感の快感は前回の12倍だ!」
すばるの耳にはファンの解説は届いていない。あまりの快感に声が漏れそうなのを必死に堪える。前回とはまるで違う。これは全神経を集中させなければ耐えられない。
そして耐えるのに神経を集中させれば他がおざなりになり、ドラムのリズムは乱れていく。
「ドラムのリズムが乱れてる!この勝負貰った!」
「あとは絶頂してメスになるのは時間の問題だ」
ファンの指摘通りドラムのリズムが徐々に乱れが大きくなる。これでは負けたと認められてしまう。桃香が即興曲でクラウザーと張り合い、智とルパのパフォーマンスで時間を稼ぎながら守ってきたこの流れを手放すわけにはいかない。
「ん♡あ♡や♡い♡」
「ついに喘ぎ声を出した!」
「もう終わりだ、あとはイキ狂うだけだー」
決壊した防波堤のようにすばるの口から艶めかしい声が漏れる。この勝負はカミュの勝ちであるとトゲアリトゲナシのメンバーすらそう思っていた。
「ヘイ♡ヘイ♡は~♡は~♡ふ~♡」
「待て!?何か喘ぎ声が妙にリズミカルだぞ!?」
「何かひとつの曲みたいだ」
「このドラム、自分の喘ぎ声をボーカルにして曲にしてやがる!」
「なんてビッチなんだ!普通にエロイぞ!」
「FANZAで発売してたら買っちまいそうだー!」
すばるはこのまま耐えても我慢の限界がくるのは理解していた。ならば適度に抜くしかない、その時智が豚を使ってキーボードの演奏したのを思い出す。智は豚をボーカルにした。ならばこの状況は快感のあまりに漏れる声をボーカルにすればいい。
ぶつけ本番だが試みは成功した。確かに凄まじい快感だが我慢せず抜き出すことで何とか耐えられる。そのままドラムを叩き続け区切りの良いところでとめる。
「これはどっちが勝ったんだ!?」
「カミュさんだろ!喘ぎまくってたじゃねえか!」
「でもあのドラム喘ぎ声を曲にしたぞ、ある意味カミュさんすらコントロールしてたとも言えるんじゃねえのか!?」
この勝負はどちらが勝ったのかファンは揉め始める。DMCのファンしか居ない状況で勝敗がハッキリしないのであれば充分だ、本来の目的は勝つ事でなく時間稼ぎだ。
すると桃香がすばるの方を向きアイコンタクトを送る。すばるも乙女を穢しやがってこんにゃろーというメッセージを込めてウインクをした。
「これはクラウザーさんの判断ミスだ」
「どういう事だ?」
「DMCのメンバーのパフォーマンスで勝負を決めるというのはありかもしれないが、結果的には対抗され、結果的にギターが復活しちまった」
ファンの鑑の言葉に皆は桃香に視線をむける。先程まで膝をついて疲労困憊だったのに今は立ち上がりギターを手に取って演奏できる状態になっている。結果論で言えばパフォーマンスをせず演奏していれば流れは一気にDMCに傾いていた。
「へっ、何も分かってねえな」
「どういう事だ仁村?」
すると仁村と呼ばれる茶髪の筋骨隆々の男が反論する。
「かつてアントニオ猪木が提唱した風車の理論、相手の力を30しか出させずに勝つのではなく、100を出させて倒す。それが完璧で観客も喜ぶ勝利なんだよ」
「そうか、クラウザーさんはギターが回復するのをあえて待ちつつ、あいつらにパフォーマンスをやらす機会をあげて、力を引き出したのか!」
「ストロングスタイルは死んだとか言われているがそうじゃねえ、ストロングスタイルの継承者はクラウザーさんだ!」
「ストロングスタイル、イズ、バリバリ、スティルアライブだぜ!」
ファンからゴートゥーイノキのコールがあがるなか、回復した桃香は挑発するようにクラウザーに話しかける。
「回復するまで待つなんて随分優しいんだな。悪魔でも慈悲の心があるのか」
「勘違いするな、あのまま演奏すれば勝ちは確定したが、あの時回復した状態だったら負けなかったかもしれないと間違った希望を持ち、それを言い訳に負けていないと慰め続ける。それすらも持たせはしない」
「やっぱり悪魔だよお前は」
桃香は鼻を鳴らす。この男は徹底的に潰そうとしている。その言葉は桃香だけではなくトゲナシトゲアリ全員に向けたものだった。
進化したメタルモンスターが本気で潰しにかかる。ライブ前なら委縮し心が折れていただろう。
だが対バンを通して恥や外聞を捨て全てをさらけ出し挑み成長した。誰1人委縮せず、絶対に勝つという決断的な意志を宿していた。
「地獄はこれからだ。『あの娘をレイプ』」
「対バンはこれからだ!『極私的極彩色アンサー』