悪魔の現れるTRPG世界に転生してしまった 作:いかのしおから
土日の昼前、俺と柊は携帯ショップに足を運んだ。
鬼火騒動の一件で壊れてしまった携帯電話を買い替えるためだ。
「__これならデータが復元できますね」
「え!? と、ということは写真や連絡先なんかも戻ってくるんでしょうか……?」
「はい、とはいえ全てを修復するのは難しく、外装は買い替えという形になりますが」
「お、お願いします!」
柊はほっと胸を撫でおろす。
交友関係の広い柊のことだ。
消えた連絡先を取り戻すとなれば、相当の苦労を強いられたことだろう。
その内心は想像に容易かった。
とはいえ俺の携帯に登録されていた連絡先は、親と柊だけなのだが。
「ではデータの復元が終わるまで、こちらの中から外装をお選びください」
「先輩先輩、せっかくなのでお揃いにしましょうよ」
「……お前がいいなら別にいいが」
「ありがとうございます先輩!
では先輩、先輩はどれがいいと思います? 好きな色とかは」
「正直どれでも」
「えー? ちゃんと選んでくださいよー、後で後悔するかもしれませんよ?」
「別にしないが」
「じゃあ、この滅茶苦茶とげとげしてて持ちにくそうなやつにします。
多分私と先輩のポケットが穴だらけになると思いますけど。
もし踏んだら足の裏がズタボロになると思いますけど」
「……はぁ、分かったよ」
受付から手渡された資料を見比べてどれにするか議論を交わす。
それから約三十分ほど。
ようやく納得のいく選択ができた俺達は、契約を終えて代金を支払った後、携帯電話を受け取った。
俺はメタルオレンジ、柊はメタルミント。
色違いではあるが同機種のスライド式だ。
「いやー、たくさん悩んだだけあって、良い物が選べましたね、先輩」
「そうかもな」
「お客様がご満足いただけたようでなによりです。
ちなみにですが、今月末までに契約してくださったお客様に限り、ホーリーフレンズのキーホルダーをプレゼントするキャンペーンを行っています。
こちらの六種の中からお二つお選びください」
「え!? ホーリーフレンズのキーホルダーですか!?」
「……柊、知っているのか?」
「え、ええ、それはもちろん。
というか先輩知らないんですか?
今時珍しいですねぇ、かくいう私はホーリーフレンズの大ファンでして。
しかしやはりと言うべきか、私のお気に入りのラッキーくんはいないみたいですね、残念です。
うーん、どれにしましょう……」
「……代わりに俺の分も選んでおいてくれ、ちょっとお手洗いに行ってくる」
「あ、はーい、いってらっしゃいませ」
ポケットに新しく手に入れた携帯電話を入れ、トイレに向かう。
はぁ、携帯電話を選ぶのにも時間がかかったが、あの様子だとキーホルダーを選ぶのにも同じぐらいの時間がかかりそうだな。
用を足して手を洗い、受付に戻る。
しかし柊はそこにはいなかった。
あれ、どこにいった?
「あの、受付の店員さん、俺のツレがここにいたと思うんですけど、どこに行ったのか知りません?」
「先ほどのお客様なら、どうやら店の外にお知り合いがいたようで、今ほど店を出ていかれましたよ」
「……」
この唐突な展開、既視感がある。
もしかして悪魔事件か?
いいや、杞憂だと思いたい。
流石にこんな街中で白昼堂々、悪魔事件なんて起きない筈だ。
とはいえ様子が気になる、携帯も買い替えたことだし電話するか?
だが柊は携帯電話を買ったばかりで着信音の設定をしていないだろう。
何か危険な事件に巻き込まれており、もし隠密行動中なら、俺が連絡したことによって居場所がバレてしまう可能性もある。
しょうがない、自分の足で探しに行くか。
「……!」
そうして店の外へ出ようとした時、携帯の着信音が鳴った。
着信履歴に記された件名は、案の定と言うべきか、柊小夜子。
『先輩、お願いがあります!__私の友達を助けてください!』
==
俺は柊に指定された場所へと向かった。
そこはいつだったか、横山を助けるためマスティマと交渉した廃墟だった。
相変わらず埃っぽい、地面は塵が積もっており、俺が到着した時点で既に二人分の足跡ができていた。
その足跡を追い、柊のいる階層へと向かう。
「! 先輩、来てくれましたか」
「ああ、それでその子が、お前の言ってた友達か」
「……」
水を向けた彼女は、膝を抱いて座り込んだまま、何の反応も返さなかった。
外見は黒髪姫カットのロングヘアーに、睫毛が長く顔立ちの整った美人顔。
制服はどこかで見たような……そうだ、地元で一番偏差値の高い高校だ。
彼女の瞼は赤く腫れ涙の跡があり、足元には血塗られた斧が投げ捨てられている。
「……流石に殺しの隠蔽には手を貸せねえぞ」
「い、いいえ、この斧は元々渡された時点で血に塗れていたそうです。
まだ誰も傷つけていません、そうなる前に私が説得して止めましたので……」
「……」
……危険な真似を。
いいや、よくやったと褒めるべきか?
なんにせよ、事情が気になる、反省会は後にしよう。
「俺は荒木明、柊から聞いているかもしれないが、多少悪魔祓いの知識を持っている。
とりあえず、自己紹介からしてもらってもいいか?」
「で、できますか詩織ちゃん……?」
「……わ」
「……」
「分かりました……」
彼女は目尻に溜まった涙を拭い、立ち上がってこちらに向き直る。
こうしてよく見ると本当に美人だな。
柊と系統は違うが、それでもまるで引けを取らない。
まあ、柊と違って胸の方は高校生相応だが。
こんな美人がここまで追いつめられるなんて、いったい何があった。
「……私の名前は藤原詩織です。
小夜子ちゃんとは中学時代は同じ学校に通っていたのですが、高校受験の際、進路が分かれてしまい、今は別の高校に通っています」
「詩織ちゃんはとても勉強が得意なんですよ。
今の高校では生徒会長をやっているほどでして」
「……確かその制服は、近場で一番偏差値の高い進学校だよな。
あんなところで生徒会長をやっているのか」
入学するだけでも大変だろうに、そこの生徒会長なんてやってるのか。
生徒会長になる条件は学力だけが全てではないだろうが、馬鹿では舐められるだろうし、進学校となれば、よりその傾向は強い筈だ。
「元、とつきますがね……」
「元……? 事情を聞かせてもらってもいいか? できるだけ順序立てて」
「分かりました……私には……恋人がいました。
高校に入って、初めてできた恋人で、私に至らぬ点も多かったでしょうが、それでも上手く関係を築けていたとは思います。
ですが、そう思っていたのは私だけでした……浮気です。
彼は浮気をしていました」
浮気か、こんな美人と付き合っていて浮気するような男がいるとはな。
いいや、彼女と付き合ってしまったせいで、妙な自信をつけてしまったのかもしれない。
こんな美人で頭のいい女と付き合えるなら、すなわち俺も引けを取らない魅力を備えた男だと己惚れて。
ならば一度や二度の浮気ぐらい仕方がない、なんて。
「今思えば、私にも落ち度があったのかもしれません……。
生徒会業務の忙しさにかまけ、彼と交流する時間をとれない時も多かったですから」
「だから、殺そうとしたのか」
「いいえ、違います。
彼は浮気をした、その事実は辛くはありましたが、この段階では、そこまでの恨みを抱いてはいませんでしたから__ですが、話はここで終わりませんでした。
彼は学校中に噂を流し始めたのです。
……藤原詩織に浮気された、と」
「……なに?」
浮気をしたのは彼氏側の筈だろう……?
「私がこの噂に気づいた頃には、既に訂正が手遅れなほど噂が広がっていました。
今まで築き上げてきた信用は失われ、生徒会長の立場も追われ、学校では針の筵。
……どうして、どうしてこんなことに。
私が何かしたのでしょうか、それほどの恨みを抱かれることをしてしまったのでしょうか。
こうなる前に言って欲しかった、どうして彼は黙っていたのか。
そんな時……悪魔様から契約を持ちかけられたのです」
進学校の生徒会長を務め、彼氏もでき、順風満帆な人生からの急転落。
恨みを抱くだけの正当な理由はある、そして悪魔の伸ばした手を掴んでしまう気持ちも。
彼女が凶行に及びかけた動機に、俺は十分納得できた。
「そして本日、悪魔様に背を押され復讐を決行すべく彼に会いに行こうとして……小夜子ちゃんに止められました。
正直な話、止めてもらえて安心している自分がいます。
確かに憎しみはありましたが、それでも人を殺すというのは、私には……。
小夜子ちゃん、改めて感謝するわ、私を止めてくれてありがとう」
「そんなの、友達として当然ですよ……でも、余計なことをと怒られるんじゃないかと思ってました」
「私が小夜子ちゃんを邪魔者扱いするわけないじゃない……。
荒木さんもお手数おかけしてしまい申し訳ありません。
こうして気持ちを吐き出せたことで、少し心が落ち着きました。
復讐をするかどうかは、もう少し考えてからにしたいと思います。
話を聞くに本日は二人で買い物のご予定だったようで。
これ以上お邪魔するのは気が引けますので、私はこの辺りで__」
「待て……悪魔との契約の対価に、何を支払った」
「せ、先輩……?」
一概にそうとは限らないが、基本的に悪魔は契約の対価を求める。
ただ働きなんて俺達人間の都合ばかり優先した行動はしてくれないだろう。
「い、いいえ、そんなものは……」
「嘘をつくな、悪魔がタダ働きなんてするわけがない、正直に答えろ」
「……私の魂を」
「!?」
……対価を魂か、悪魔となればありふれた契約内容だ。
だが、その対価は非常に重い。
それはおそらく、この女が思っている以上に。
なにせ、この世界は明確に死後の世界が存在する。
そして死後の人生は、今世よりも長いものになるだろう。
彼女の魂は、その魂が滅びるまで、未来永劫悪魔に囚われることになる。
「な、なんで……」
「……言ったじゃない、自殺しようと思っていたって。
彼を殺せるなら自分が死んでも構わないと、そう思ってしまったのよ……」
「……詩織ちゃん」
「……う、ううう……でも後悔している……!
死にたくない……私はまだ生きていたい……!
人なんて、殺したくない……!」
藤原は両手で目を覆い、さめざめと涙を流し始めた。
……たった一度、彼女はたった一度の感情的な選択によって、人殺しの罪を犯し魂を失う契約を結んでしまった。
柊は涙を流す藤原に寄り添い、その背中を撫でて慰める。
とはいえかける言葉はない。
全てを失った彼女に、かける言葉など存在しないからだ。
だが、俺に対しては違う筈だ。
「……先輩、お願いします、詩織ちゃんを助けてください」
「……」
どうする……契約をしてしまった時点で、魂を取り返すのは難しい。
おおよそどんな悪魔が契約を持ちかけたのかは予想できるが、あいにく情報が足りない。
何しろあいつの出てくるシナリオを、俺は遊んだことがないからだ。
戦うにしろ交渉するにしろ、もっと下調べが必要だろう。
「……分かった、やれるだけやってみよう。
一先ず大学付属の図書館で情報を集めたい。
それと元カレの近辺調査を__」
「__それは困りますね」
「!?」
そう言ったのは藤原詩織。
だが纏う雰囲気はまるで違う。
この感じ、覚えがある。
「初めまして、彼女の身体をお借りさせていただきました。
私が彼女と契約を行った悪魔です」
……ちくしょう、先手を打たれた。
==
藤原詩織の肉体が、悪魔に乗っ取られてしまった。
今すぐ逃げるべきだと、本能が警鐘を鳴らしている。
こいつが伝承通りの存在なら俺達にはまず勝てない。
だが柊は悪魔の近くにおり、藤原詩織は柊の友達だ、二人を置いて逃げるわけにはいかねえ。
やるしかない、交渉だ。
「……お初にお目にかかります。
荒木明と申します、そしてこちらは柊小夜子。
私共は今回の一連の騒動について、全容を把握できてはおりません。
ですので、幾つかお聞きしたいと思います、よろしいでしょうか?」
「ええ、かまいません」
「ありがとうございます。
では初めに、あなた様は、アリオーシュ様ですよね?」
「どうしてそう思ったのか聞いても?」
「まず一点は、藤原詩織の復讐に手を貸したこと。
アリオーシュ様は自分を雇った者の個人的復讐にのみ手を貸す、復讐の悪魔だとされています。
このことから復讐の悪魔アリオーシュ様が、候補の一つに上がりました」
「続けて」
「次に、足元に転がった血濡れの斧。
伝承によるとアリオーシュ様は、黒い翼を持つ天使らしい姿に、左手には松明、そして右手には血濡れの斧が握られているといいます。
あの斧は、アリオーシュ様から藤原詩織に貸したものですね?
この二点からあなた様がアリオーシュ様だと判断しました」
「正解です。
あなたの予想通り、私こそがアリオーシュです」
アリオーシュ。
それは『失楽園』においてはルシファーに付き従った堕天使であり、『地獄の辞典』においては自分を雇った者の個人的復讐にのみ手を貸すと語られる悪魔だ。
「エクソシストTRPG」における脅威度は確か2(交渉可能)だった筈。
悪魔としての格は高いが、話し合いが通じる相手だ。
ただ一つ問題があるとすれば、俺はこいつの登場するシナリオをプレイした経験がない。
復讐に手を貸すことと、外見や武器の情報、俺はそれぐらいしか知らない。
性格や芯の部分が分かっておらず、どんな風に交渉すればいいかは分かっていないのだ。
……もう少し探りを入れる必要があるな。
「契約内容は、藤原詩織の復讐に手を貸すこと、対価に魂を譲渡すること、であっていますか?」
「おおよそは」
「……どのような手段で復讐に手を貸すおつもりだったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「見ての通りですよ。
私が彼女の身体を乗っ取って、斧を用いて復讐を行う予定でした。
斧は現世のものではなく霊界のもの、つまりは姿を現すのも隠すのも自由であり、証拠隠滅には都合が良かったのです」
証拠隠滅か。
少なくともアリオーシュは、藤原の社会的立場を守る気概はあると。
「続けて次の質問をさせていただきます。
アリオーシュ様は、藤原詩織の元彼氏のことを、ご存じですか」
「ええ、存じていますよ。
あの男が、詩織を裏切るに至った真の動機もね……」
真の動機?
……何やら複雑な事情がありそうだな。
「知っての通り、詩織は優秀です。
賢く、運動も得意で、その容姿も端麗。
今でこそ殺意に囚われていますが、それまでの彼女の人格は、とても優れてました。
彼女を前にして自分の方が優れていると宣える者など、早々いないでしょう。
だから嫉妬したのですよ、あの男は」
「……嫉妬、自分の恋人に嫉妬したんですか?」
「ええ、そうです、彼は自分の恋人に嫉妬したのです。
まったく醜く愚かな動機ですよ。
男は詩織への嫉妬心から当て擦りに浮気をして、浮気が知られた後は彼女を貶めるために悪評を流しました。
罪を重ねたのは男の方だというのに、詩織を貶め今もなおのうのうと平和を謳歌しています。
このような悪人は正義の名の下に必ずや裁かねばなりません。
ご安心ください、あなたたちが黙ってくれさえいれば、彼女の罪が明るみになるような事態にはなりませんから」
納得いった、元カレの裏切りの理由が、嫉妬だということには。
だが、アリオーシュの復讐までは納得していない。
なにしろ藤原は殺しを望んでいない。
ならば彼女を、柊の友達を人殺しにさせるわけにはいかない。
「アリオーシュ様、それほど彼女に気を遣ってくださっているということは、この契約は藤原詩織のためのものなのですね」
「ええ、その通りです、私は彼女のために復讐を成し遂げなければなりません」
「……俺はこれが彼女のためになるとは思えません」
「……なに?」
「藤原詩織は殺人を望んでいないからです。
一時的に激情に支配されていた時もありますが、今は違います」
「それはあなたたちの前だからでしょう。
この場を離れれば彼女はきっと、あの男を殺したいと願う筈です」
「だとしても、信じるべきは俺たちが勝手に想像した藤原さんの内心ではなく、言葉です」
「……」
「俺は復讐そのものは否定はしません。
復讐は何も生まない、復讐は復讐を生むだけだ、と言う人もいますが、復讐を果たすことで過去の蟠りを清算し、前を向くきっかけになるかもしれませんから」
おそらくだが、俺もそのタイプだ。
「しかし、彼女はどうなのでしょうか。
今まで清廉潔白に生きていた彼女が、正しく生きて矜持と誇りを積み上げてきた彼女が、人を殺めるなどという罪を犯して、果たして今後自らを愛することができるのでしょうか。
生涯癒えない傷を心に負うかもしれません」
「心に傷を負うというのなら、既に詩織は心に傷を負っています。
あの男に傷つけられた心の傷はどうするのですか?」
「諦めましょう」
「諦めろなんて」
「他者から受けた傷と、自分で自分に与えた傷は違います。
他者にどれだけ傷つけられても、誇りまでは奪えない。
しかし自らの意思によって壊した誇りを取り戻すのは時間がかかる。
彼女がこれまで必死に築き上げていた誇りを壊さないでください」
「……」
藤原詩織は柊小夜子の友達だ。
俺は時折、柊と友達でいることに引け目のようなものを感じてしまう。
容姿端麗で、社交的で、正義感も強く、友達が多い。
悪魔知識なんて妙ちくりんな一発芸しかない俺とは大違いだ。
だが、藤原は俺と違って、柊と友達として釣り合うだけの魅力をもっているのだろう。
柊の友達が、人を殺して幸せになれるような性格だとは、到底思えなかった。
「……あなたの主張に一理あると認めましょう。
……ですが既に契約は結ばれました。
詩織の信念に傷をつけるのは大変心苦しいですが、契約は契約、今になって破るわけにはいきません。
でなければ私は、悪魔としての信用を損なうことになる」
アリオーシュにも悪魔としての立場がある。
こうして交渉の席に立ってもらっているのだ。
ある程度は顔を立てるべきだが……どうする。
……そうだ、契約というのなら__
「ならば契約の詳細を詰めましょう。
一度魂を対価に支払うと決めた時点で、それを覆すことは困難なのは理解しています。
しかし、契約の履行に至るまでの経緯であれば、妥協点を探れる筈です。
例えば、回収された魂の扱いや、魂の回収時期、そして復讐のやり方など」
「……」
反論はない。
やはり細かな部分の契約は詰められてはいないようだ。
これならまだやりようがある。
魂を取り返すことはできずとも、せめて人殺しを避けるぐらいは__
「……それでは私が納得できないんですよ」
「ぐっ!?」
「っ!?」
議論には勝利した。
だが俺が本当に目指すべき場所はそこではなかったのだろう。
アリオーシュは両腕を伸ばし、俺達の首を絞めながら持ち上げた。
交渉は決裂した。
==
俺はすぐさまバッグから、聖水鉄砲を取り出そうとした。
しかし__
「させません」
「っ」
アリオーシュは百戦錬磨の復讐者だ。
俺如きの抵抗など歯牙にもかけなかった。
睨みつける動作、たったそれだけで、俺の聖水鉄砲を弾き飛ばしてしまう。
「そうです、その通りです。
この契約は詩織のためのものではなく、私のための契約でした。
私はあの男が許せない、憎くて憎くて仕方がない。
己の矮小なプライドを満たすだけのために、何の落ち度もない詩織を貶めるような、あの男の不義理さが。
詩織を自殺にまで追い込みかけた、あの無神経さが。
憎い憎い憎い憎い、憎くて憎くて仕方がない……!
だから決めたのです、必ずやあの男を殺すのだと」
首を絞める力がどんどん増していく。
くそっ、力が強すぎる、振りほどけない……!
「エクソシストよ。
あなたは私と詩織の間に交わされた契約について、一つ勘違いしているところがあります。
あなたは詩織が復讐の手伝いを求めた対価として、私が魂を要求したと考えているようですが、私にとっての本命は__復讐の方でした」
「……!」
……ああ。
なんで復讐の悪魔なんてやってるのか、その疑問は常に思考の隅を掠めていた。
現代日本の価値観として復讐殺人は悪事だが、復讐を推奨されていた時代や地域もある。
例として挙げれば戦国日本の武家だろう。
親の仇討ちをできなければ、家督を継ぐことができなかった時代もあったとされる。
また、目には目を歯には歯をで有名なハンムラビ法典も、体制側に組み込まれた復讐思想の法律だった。
すなわち復讐には正義の側面がある。
にもかかわらず、何故アリオーシュは天使ではなく悪魔とされているのか。
こんなことは少し考えてみれば当然だった。
やりたいんだ復讐を、許せないんだ裏切り者が。
正義ではなく、悪と扱われたとしても、
たとえ契約者を不幸にすることになったとしても、
神の意向に逆らうことになったとしても、
自分自身の納得を追求したい。
アリオーシュは己の欲望を追い求める悪魔だった。
「憎いのですよ。
彼女は苦しみの中で藻掻いているというのに、あの男は今も尚のうのうと平和を謳歌している。
へらへらと笑いながら、自分の犯した行為の罪深さに向き合いもせず__私はそれが許せない……!
この憎しみから解放されるなら、どんな罪を犯してもいいと思えるほどに……!
たとえ彼女に望まれなくても、私が復讐を成し遂げる。
私が成す、私があの男を殺すのです。
それを妨げるというのなら、誰であっても殺してやる……!」
呼吸ができない、酸素が脳に回らない、思考が段々と薄れていく。
それでも必死に頭を回転させて解決策を模索するが、案が出ない。
アリオーシュからいろいろと聞き出せたが、それでもまだ情報不足だ。
ここで何か案を思いついたところで、首を絞められたこの状況では交渉すらできないだろう。
どうする、俺だけならともかく、このままでは柊まで死にかねない。
せめて、柊だけでも__
……柊?
「それはなんですか」
「……かはっ」
柊はアリオーシュの拘束から解放された後、膝をついて何度か咳こんだ。
そんな彼女の両手には携帯電話が握られている。
新しく買った、メタルミントの携帯電話だ。
画面に表示されていたのは、連絡先……?
少しして彼女は立ち上がり、携帯電話の画面をアリオーシュにつきつけた。
「……こ、これは全て、私の知り合いの連絡先です。
わ、私の交流関係を利用すれば、詩織ちゃんの名誉を取り戻せる筈です」
「……」
画面にはずらりと連絡先が並べられており、どれだけ下にスクロールしても底が見えない。
彼女の主張に一考の余地があると考えたのか、アリオーシュは俺を開放して、携帯電話へと注視する。
「詩織ちゃんを不幸なまま放っておくことは絶対にしません、必ず助けます。
で、ですので、どうか、復讐はお考え直しください」
「……復讐は成します、でなければ私が納得できませんから」
「__殺して終わりで満足できるなんて、アリオーシュ様はお優しい方ですね」
「……なに?」
食いついた。
あとはこの糸を切らさないよう、アリオーシュを引っ張り上げるだけだ。
柊が作ったこの好機、必ずやものにしてみせる。
交渉再開だ。
「藤原詩織の彼氏は嫉妬していた。
彼女の能力に、容姿に、人望に__恵まれた人生に。
彼女の幸福を追求して、その姿を男に突き付けることが、なによりの復讐になると、俺は思います」
「それの何が復讐になるというのですか」
「この手の男にはこのやり方が一番効くからです。
危険を冒してまで名誉を貶めたというのに、自らの才覚や人望によって名誉を取り戻す彼女の姿を見せつけられるのは、実力に見合わない高いプライドを持つ男からすれば、目を背けずにはいられない光景でしょう」
「……」
アリオーシュは顎に手を添えて、思索する。
「そしてこれは、件の男の社会的立場を貶めることにも繋がります。
彼女の名誉を取り戻すということは、すなわち男の名誉を貶めるということ。
世間は真実が知れ渡れば、世論は藤原の味方になり、男を糾弾するでしょう。
となれば藤原が心に受けた同種の責め苦を、男はそっくりそのまま味わうことになる」
「……」
「肉体的な痛みと精神的な痛み、どちらを辛いと思うのかは人によって異なるでしょうが、藤原の幸福を追求するという点に関しては、明白です」
どうだ、これならお前も妥協はできる筈だ。
純然たる悪ではないのなら、復讐という正義を掲げるお前なら。
「ですが、もしその男が逆上して詩織に襲い掛かってきたとすればどうするのです?
聞く限りではあなた達と詩織は別の学校に通っているのでしょう。
すぐに助けに行くことはできませんよ?」
「その時はあなたが守ればいい。
見たいんでしょう? 件の男の心が砕け、崩れ落ちる瞬間を」
「……」
「アリオーシュ様。
あなたに契約を持ちかけます。
もし俺達があなたの復讐心を満足させることができたなら、その時は殺人の計画を取りやめ、藤原詩織の魂を本人に返してください」
さあ、どうする……?
「……全てに納得できたわけではありませんが、一先ず傍観させていただきましょう」
よし……!
「とはいえ、あまり手緩いやり方であれば手を出させていただきますが」
「それなら安心してください__俺も怒っているんですよ。
後輩の友達が、こんな舐めた目にあわされている状況に。
……といっても世論の操作は柊の人望頼りになるでしょうが」
「……いいえ、大切なのは感情です、感情が伴わなければ何も成し遂げることはできないでしょう。
荒木明、私はあなたの放つ憎しみの感情を信用します。
彼女のことは任せましたよ」
アリオーシュの気配が消え、意識を失い倒れかける藤原を抱えて支える。
「……柊、助かった」
「いいえ……こちらこそご苦労をおかけしました」
==
__あれから色々あった。
俺達はまず初めに、藤原の名誉を回復するために地道な情報操作を行った。
と言ってもその活動のほとんどは柊頼りだ。
柊の人脈は広く、また人望も高く、彼女の言うことならばと、瞬く間に藤原が冤罪を受けたという真実は広まり、その噂は藤原の通う学校にも伝わっていった。
その流れを逃さず掴んだ藤原は、自らを支持する者達の力を借りて名誉を挽回し、生徒会長へ復帰。
反対に件の男の名誉は失墜し、彼女とも別れ学校内で孤立してしまう。
全てを失いやけくそになった男は学校内で藤原を攻撃したが、アリオーシュに阻まれ警察のお縄に。
そして男は少年院に入りかけたが、藤原の恩情により転校と観察処分。
今回の悪魔事件に関わるおおまかな問題はおおよそ解決できただろう。
「この結末にアリオーシュは納得してくれたのか?」
「ええ、それどころか大満足だそうですよ。
あいつの悔しがる顔は見ものだった、特に自らが裏切った詩織ちゃんに哀れまれ減刑を望まれた瞬間は特に、先輩の言葉を信じて正解だったと__そう仰っていたそうです」
「……やっぱりあいつは悪魔だな」
人一人を救われたことについて語るでもなく、悪人を懲らしめたことを喜ぶとは、堕天したのも納得だ。
「すまなかった」
「はい?」
「……勝手に話を進めて、手を汚させちまって。
お前にとっては思うところの多いやり方だったろう」
「ああ……いいえ、それでも私は行動してよかったと思います。
なにもしなければ、詩織ちゃんは地獄に落ちていたでしょうから」
「……」
そう、俺は柊に手を汚させた。
藤原の名誉を取り戻すということは、元カレの名誉を陥れるということ。
人一人の人生を壊すことに加担させてしまったのだ。
たとえ相手が悪人であったとしても、優しい柊には辛い行為だったろう。
叶うならば手を汚すのは俺一人にしたかったが……俺に柊の代わりを務められる力はなかった。
「改めて申し訳ありませんでした、大変な苦労をかけてしてしまい。
そしてお礼申し上げます、私の友達を助けてくださりありがとうございました」
「お礼はいらない……今回俺はあんまり役に立てなかったしな。
お前が機転を利かせなければ今頃お陀仏だったし、お前の人脈がなければあの交渉ルートは思いつきすらしなかった」
「そんなことはありません。
あんなに恐ろしい悪魔と冷静に交渉するなんては私にはできませんし。
なにより先輩が今までくれた言葉はいつも私に道を示してくれますから。
あの時私が動けたのも、先輩の背中を見て育ったおかげです」
「……そうかよ」
「そしてこのおっぱいも先輩のお陰でこんなに大きく育ったわけですね」
「そこは関係ないだろ」
普通この年頃の女子ならこの手の話題は避けたがるだろうに、自分の胸を一笑い取れる大道芸の道具か何かかと勘違いしていないかこいつ……。
「一応言っておくが、藤原の魂を取り返せたのは相手が良かっただけだ。
他の悪魔であれば、一度結んだ契約を変更することは、まず不可能。
次も成功するなんて思わず、ヤバそうな案件だと思ったら、さっさと邂逅者を見捨てて逃げ出せよ」
「気をつけます。
いつも先輩を頼っている手前、あまり信用はないでしょうが、私も先輩を死なせたくはありませんからね」
「自分の身を案じろと言っているんだよ」
こいつはまったく。
少しは成長したようだが、相変わらず根っこの部分は変わっていない。
今回のように柊を危険に陥らせずに済むよう、もっと知識をつけるべき……いいや。
TRPGの醍醐味といえば、プレイヤー同士のテーブルトークによる協力プレイだ。
そろそろ柊に対する認識を改めるべきなのかもしれない。
追記 誤字報告いつも本当に助かってます……!