悪魔の現れるTRPG世界に転生してしまった 作:いかのしおから
車窓に映る景色は、街から町へ、やがて森、山、田畑へと移り変わっていく。
緩やかな時間の流れを感じさせる、牧歌的な風景だった。
都会より田舎の方が空気が綺麗だとはよく聞くが、確かに地元よりもずっと澄んでいる。
だが、車内に漂う焦燥感によって、その景色を素直に楽しむ気にはなれなかった。
今回の面子は四人。
俺と柊、運転手の戸塚神父。
そして今回の依頼人──柿栗桃八。
年齢は三十代半ばほど。
枯れ枝のように細い手足、こけた頬、ぎょろりと見開かれた目。
一目見た印象を率直に言えば、骸骨だろう。
彼は落ち着きなく周囲へ視線を走らせながら、びくびくと怯えていた。
まるで『冒涜的なTRPG』で某ダイスチェックに失敗した探索者のような取り乱しぶり。
車内の落ち着かない空気は、間違いなく彼の挙動が原因だった。
「ほ、本当にあの悪魔を追い払えるんだよね……?」
「……柿栗さん、何度も言いますが、彼女は悪魔ではなく単なる水先案内人です。
悪魔と魔女の問題については、伝承通りに進めてもらえば問題ありません」
と言っても、今回の主役は俺たちではなく柿栗だ。
解決できるかどうかは柿栗の頑張り次第になるが。
「で、伝承通りに……ええと、どういう伝承だったっけ……!?」
「……」
……はぁ。
この質問をされるのは何度目だろう。
悪魔と邂逅して平静を保てというのは酷かもしれない。
エクソシストでもない一般人に、伝承を完璧に暗記しろというのも無理がある。
だとしても、せめて概要ぐらいは覚えてくれてもいいだろうに。
そろそろうんざりしてきたが、しょうがない、もう一度説明するか。
「細部に違いはあれど、この伝承の大まかな流れは、これまで柿栗さんが経験した出来事と相違はありません」
バッグから一冊の本を取り出す。
付箋を貼ってたページを開き、文章を指でなぞりながら、改めて内容を確認する。
「──戦争を恐れ軍隊から逃げ出した三人の兵士。
彼らは麦畑に身を隠しましたが、軍隊はいつまで経っても出発しません。
周囲を軍隊が巡回しているため、逃げるに逃げ出せず困っていたところ、火のような竜と出会いました。
彼らは竜から提示された、ある契約を結ぶことを条件に、その背中に乗って戦場を逃れます。
安全な場所まで辿り着いた兵士は、そこで初めて竜の正体が悪魔であること、そして契約の内容を知らされます。
その後、竜は金の出るムチを三人の兵士に与えて飛び去りました。
三人の兵士は竜から貰ったムチを使い、贅沢に暮らしていました。
しかし歳月が過ぎ、竜との契約の履行日が迫ります。
契約内容、それは七年後、竜の出題する謎に答えられなければ、三人の兵士は竜のものになるというもの。
兵士たちは困り果てていました。
そんな彼らのもとに老婆が現れます──ここまでは身に覚えがありますよね?」
柿栗はコクコクと頷く。
唇をきつく結び、顔を真っ青に染めながら。
「老婆は助言をします。
助かりたいのなら一人で森に行け。
助言に従い兵士の一人が森に向かうと、そこには悪魔のおばあさんがいました。
……ここで誤解しないでいただきたいのは、”悪魔の竜”と”悪魔のおばあさん”、”水先案内人の老婆”は、それぞれ別の存在だという点です」
今回の悪魔事件は、少なくとも二体の異なる超常存在が関与している。
単純計算で危険度は倍。
とはいえこの物語を題材とした悪魔事件となれば、話は変わってくる。
そんなふうに事件のおさらいをしていた、その時だった──
──車の正面窓に老婆の姿が見えたのは。
「ひいいい!?」
「ぐ、ぐおおっ!?」
うおっ、何が起こった!?
シートベルトが身体に食い込む。
窓の外の景色が急激な速度で流れ、車体が横回転している。
「ぎゃっ!」
「うっ、いたたた……ご、ご無事ですか先輩」
「あ、ああ……」
どうにか停止したらしいが、事態がさっぱり呑み込めない。
なんだよいったい……まさか、魔女から攻撃を受けたのか?
魔女が敵対しているのだとしたら、かなり面倒なことになる。
くそ、計画を立て直さなければ。
いいや、それよりも今は目の前の問題に対処しなければ──
……ってあんたのせいか柿栗。
「ひいいいい! ひいいいい! あの時玄関にいた悪魔だ! 悪魔が出たぁ!」
「く、苦しっ……!」
柿栗が絶叫しながら、隣の戸塚神父にしがみついていた。
玄関にいた悪魔……ってことは水先案内人じゃねえか。
さっき説明したのに、もう忘れちまったのかよ……。
「落ち着いてください柿栗さん。
何度も言いますが、彼女はあなたが契約を結んだ悪魔の竜ではありません」
「え? あ……そ、そうだったね。
悪魔の竜と、その祖母は別の存在だったね。
……でも悪魔の祖母ってことは彼女も悪魔で──ひ、ひいいい!?」
「ぐえええ!?」
「違います! 彼女は単なる水先案内人です!
悪魔の祖母がどこにいるのかを教えてくれる一般人で──」
「ひいいい!! ひいいいいいい!!」
「ごほっ!」
「彼女から悪魔の祖母の居場所を聞き出せば──」
「ひいいいいいい!!! ひいいいいいいい!!!」
「がひゅ!」
ああもう!
いちいち悲鳴を上げて人の話の腰を折るんじゃねえよ!
それに戸塚神父の顔が青くなっちまっている。
このまま放っておくのはまずい。
仕方ない、力づくで──
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
よ、ようやく放してくれましたか柿栗さん……柿栗さん?」
「──」
先ほどまで暴れていた柿栗は、急に大人しくなり戸塚神父を解放した。
情緒不安定すぎるだろ。
……ってこいつ、白目を剥いて泡を吹いて気絶してやがる。
「と、とりあず戸塚神父は柿栗さんを見てあげてください。
俺と柊はあのおばあさんに話を聞きに行きます。
事件解決に必要なフラグを逃すわけにはいかないので」
「わ、分かったよ」
「お、お供します!」
……本来ならこれは柿栗の役目なんだけどなぁ。
なんとなく予感していたが、早くも出鼻を挫かれちまった。
車のドアを開けて外に出る。
ああもう、車体と靴が泥水のせいでどろどろだ。
おそらくは田んぼを横切ったのだろう。
向こう岸のあぜ道から老婆がこちらに駆け寄ってくる姿が見える。
あれが件の水先案内人か……。
「あ、あんた達大丈夫かい!? いったい何があったんだい!?」
「すいません驚かせてしまって。
自分たちは柿栗さんの関係者なのですが、助手席に座っていた彼が取り乱してしまい」
「柿栗さん? ああ、旦那さんの方かい。
確かにあの人は肝の小さい男だからねぇ……」
「知っているんですか?」
「そりゃ当然、柿栗一家とは家族ぐるみでバーベキューをする仲だからね」
ご近所さんかよ……。
しかも家族ぐるみでバーベキューって相当仲いいじゃねえか。
そんな相手を悪魔と勘違いして気絶するって。
「もしかしてなんですけど、柿栗さんに何か伝えたいことがありませんか?
例えば悪魔について、とか」
「どうしてそれを……あんたらいったい何者だい?」
「我々は柿栗さんから事件の解決を頼まれたエクソシストです。
現在柿栗さんは気絶して対応できる状態になくてですね……。
もしヒントがあるなら教えていただけませんか?」
「……分かったよ。
それじゃあ旦那さんが起きたらこう伝えておくれ。
もし救って欲しいなら、一人で森に行くんだよ。
そこで小さな家のように見える崩れた岩に着くから、その家に入りなさい。
そうしたら助けてもらえるよ」
==
時を遡ること一日前。
場所は教会の応接室。
机を挟んだ向かい側には、今回の依頼人、柿栗桃八が椅子に座っていた。
その表情には色濃い疲労が深々と刻まれている。
「──ぼ、僕が最初に悪魔と遭遇したのは、7年前のことなんだ」
七年前……つまり悪魔と遭遇したのは今回が初めてではないと。
「僕はある中小企業の長男として生まれてね。
いわゆる社長令息ってやつだったけど、父親が取引に失敗してしまって……多額の借金を抱えてしまい、借金取りから身売りを迫られたんだ。
それで僕は船に乗せられて、日本から遠く離れた外国の紛争地帯に売り飛ばされてしまって」
「……こんな時代の日本で?」
「ははは、驚きだろう……?」
ちょっと想像がつかない。
まるでドラマや漫画の中の出来事のようだ。
「ですが現在日本にいるということは無事に逃げ帰れたんですよね?」
「ああ、自分でも予想外の方法でね……」
「予想外の方法」
「ど、どことも知らない国の戦場で死にたくないと、僕は軍隊の出発前に逃げ出して、近くの林に身を潜めていたんだ。
だけど軍隊はいつまで経っても出発しない。
このまま軍隊に見つかって、戦場に連れ戻されるのではないかと絶望していた。
その時だった──僕の前に降り立ったんだ……ど、ドラゴンが」
「……ドラゴン」
竜か……とんでもない単語が飛び出してきたな……。
竜は「エクソシストTRPG」において、その大半が脅威度5(天災)として扱われる規格外の存在だ。
ガルグイユは覚醒前だったからこそどうにかなったが、完全な竜種と正面衝突すれば、まず勝ち目はないだろう。
ヴィイやデュラハンと対峙してからそれほど月日は経っていない。
早々そんな難易度の高いシナリオをぶつけられるとは思いたくないが。
「ど、ドラゴンは僕にこう問いかけた。
どうしてこんなところに隠れているのかと。
ぼ、僕は恐れ慄きながらも正直に答えた。
このままでは戦争に駆り出されてしまう、死にたくないと。
するとドラゴンは一つの条件を提示した。
それを呑むなら助けてやると。
後がなかった僕はドラゴンの出した条件を受け入れるしかなかった。
するとドラゴンは僕を背中に乗せて、そのまま飛び立って……。
おかげで僕は無事に戦場から逃げ延びることができたんだ」
この展開……もしかして。
「その後、僕はドラゴンと一緒に戦場から遠く離れた日本の海岸に降り立った。
助かったんだ、そう思って安心していた。
だけどね、そこで彼は自らの正体を明かしたんだ、自分は悪魔だと。
そ、そして彼から特別な道具を貰ったんだ……叩けば金が飛び出す、そんな鞭を」
「……ある種の打ち出の小づちのようなものですか。
それはどこに?」
「こ、ここに……よ、よければ金を出してみようか?」
「……いいえ、やめておきましょう」
悪魔の渡してきた道具なら、どんな落とし穴があるか分からない。
知らぬ間に対価を支払わされた、なんて事態も十分あり得る。
「ぼ、僕はこれを元手に家族含む従業員全員の借金を返した後、会社を立て直した。
その後は結婚して家庭を持ったり、事業を拡大したり。
ある程度仕事が軌道に乗った後は社長席を副社長に譲り、田舎に土地を買って若隠居に移らせてもらった。
これでようやく、ずっと求めていた平穏な生活を手に入れることができた。
そう思っていた……だ、だけど──」
悪魔を頼ったのだ。
そうは問屋は下ろさない。
「──ど、ドラゴンに助け出されて、そろそろ7年経とうとした頃。
僕の住む村で、奇妙な怪談が囁かれ始めたんだ。
い、曰く……あ、悪魔のおばあさんが森に住み着いたと。
悪魔──それを聞いて僕は思い出したんだ。
あのドラゴンが自らを悪魔だと名乗っていたことを……!
そして、あの日交わした契約も……!
『7年後、お前はわしのものになる』『しかし先ず謎を出そう』『その謎を解けたなら、お前はわしの力の支配から逃れられよう』。
忘れていたんだ、あの日からもう7年が迫っていることを……!
僕には分かった、噂に聞く悪魔のおばあさんこそ、あのドラゴンが姿を変えたものなんだって!
契約を取り立てるために、この村へやってきたんだって!
そう思い至った、その時だった!
イ、インターホンが鳴ったんだ!
恐る恐るドアスコープを覗くと……そ、そこには怪しげな老婆が立っていた!!
ぼ、僕は恐ろしくてたまらなくなって……。
……ろ、老婆が立ち去った隙を見て、家族を連れてこの町まで逃げ出したんだ……」
「……その後、柊に拾われたと」
「……先輩、これ、もしかして」
ああ、それしかないだろう。
「正体が分かりました。
これはグリム童話に収録されている物語の一つ。
『悪魔と悪魔のおばあさん』を基にした悪魔事件です」
==
「戸塚神父、柿栗さんの様態は……?」
「……まだ気絶しているよ。
何度声をかけても目が覚めなくてね……呼吸は正常だから命に別状はないとは思うけど……」
「そうですか……。
水先案内人の役目を担った彼女は『旦那さんが起きたらこう伝えてほしい』『一人で森に行くんだよ』と仰っていました。
『悪魔と悪魔のおばあさん』には幾つかの類似物語が存在します。
そのうちの一つである『金の毛が3本生えた鬼』においても、当事者が一人で会いに行く展開でした。
もしかすれば『当事者が』『一人で会いに行く』こと自体が、儀式成立の条件なのかもしれません。
とはいえ竜との契約期限は迫っています。
このまま無為に時間を浪費するわけにはいきません。
俺が森に向かうので、二人は柿栗さんの介護を──」
「嫌です」
柊? なんで……?
「またそう言って先輩は一人だけで身を張って、私を除け者にして……」
「話を聞いていたのか柊?
『当事者が』『一人で会いに行く』のが攻略の条件なのかもしれないんだぞ?
『当事者』という部分はどうにもならないとしても、せめて『一人で会いに行く』条件は満たしておきたい」
「ならば先輩ではなく私が行っても構いませんよね?」
「あー……いいやでも、悪魔に対する知識差が」
「相手の正体は既に分かっていますし、これからやるべきことも把握できています。
既に知識差が理由になる段階は過ぎていると思いますが」
「うーん……」
柊の主張を否定する道理はない。
だがいまいち感情が追いつかない。
こいつを一人で危険な場所に送り出すのはどうにも気が進まなかった。
悪魔事件に関わらせている時点で元も子はないが、今回ばかりは相手は竜。
できるだけ遠ざけておきたいところだが……。
「分かりました……じゃんけんで決めましょう!」
じゃんけん……?
「私が負けたら大人しく引き下がります!
ですが私が勝ったら私に行かせてください!」
「じゃんけんって……そんな適当な決め方で」
「先輩が身を張っている間、私は何度安全圏へ追いやられたのでしょう……。
対等な仲間だと言ってくれた先輩の言葉は、私の聞き間違いだったのでしょうか……」
「あー……分かった、分かったよ、じゃんけんでいいんだな?
負けても文句言うなよ」
「はい! それでは行きますよ先輩! じゃんけん!」
「ぽん」「ぽん!」
手を出す前から直感的に分かった。
この勝負、柊が俺に勝つことは不可能だと。
結果は御覧の通り、柊がチョキ、俺がグー。
ふぅ……これで柊を遠ざけられる──そう安堵した瞬間。
──は? な、なんだこれ?
ほんの一瞬、目にもとまらぬ速度で、俺と柊の手元に空間の捻じれが生じた。
それによって生じたのは──勝敗の逆転。
柊がグー、俺がチョキ……ど、どうして俺がじゃんけんに負けていやがる……?
「お前まさか──『金貨』を!?」
「……」
……お、お前、正気か……?
「どんな方法に頼ったにせよ勝ちは勝ち。
それでは行ってまいります。
先輩と戸塚神父は柿栗さんの介護をお願いしますね」
「待て待て待て待て! 俺が悪かった! 一緒に行こう!」
慌てて柊の後を追い、森へと足を踏み入れる。
「……すいません、ずるをしてしまって」
「気にするな、事前にルールへ組み込んでいなかった俺が悪い。
それより目的地が見えてきたぞ」
「……あそこですか、聞いていた通り家のような形をしていますね」
鬱蒼と生い茂る森を進むと、巨大な岩が姿を現した。
それは伝承や水先案内人が語った通り、まるで家のようだった。
ここまで符合している以上、やはり『悪魔と悪魔のおばあさん』を基にした悪魔事件と見て間違いないだろう。
……ここに悪魔が住んでいるのか。
「様子を伺ってくる」
「……先輩」
「……すまん、一緒に行くぞ。
物音を立てないように気をつけろ」
緊張で喉が渇く。
ここには目的の魔女が住んでいる。
しかし住んでいるのは魔女だけではない、竜の住処でもある。
もし竜がいたら全力で逃げよう。
足音を殺し姿を隠しながら、中の様子を伺う。
……あれが噂の魔女か。
ローブを着こんだ鉤鼻のいかにもな姿の老婆だ。
彼女は鼻歌を歌いながら、お玉で鍋をかき回している。
周囲を見渡すが、竜の姿は見当たらない。
柊と視線を交わし、お互いに頷く。
……よし行くか。
「すいません」
「……誰だいあんた達は?」
「初めまして、荒木明と申します」
「柊小夜子です、こんにちは」
「……それだけかい? 私は隠し事が嫌いでね」
「……いずれ悪魔祓いを生業にしようと考えていまして」
「やっぱりそうかい! どうりで聖油臭いと思ったよ!」
聖油って……別に洗礼は受けちゃいないんだが。
老婆は露骨に顔を顰め、嫌悪感を示した。
これは下手に言い訳を重ねても、印象を悪化させるだけだろう。
……第一印象はマイナスからスタートか。
中々骨が折れそうだ……。
「用件はなんだい? 私を祓うつもりかい?
一応言っておくけど、私を傷つけようものなら孫が暴れるからね。
あの子が本気で暴れたら手が付けられないよ。
こんな田舎の村なんて一瞬で滅びてしまう。
これは脅しじゃないからね」
「そんなことはしませんよ。
実を言うとあなたのお孫さんと契約を結んだ方がいまして。
このままでは魂を奪われかねないので、助けていただきたく参りました。
本来なら張本人が会いに行くのがしきたりなのかもしれませんが……」
「ああ……なるほど、そういう星の巡り合わせか。
顔を見れなかったのは残念だけど、本来の流れなら私の気に入る人間だったんだろう。
仕方ないねぇ、分かった、助けてやる……ただし対価は頂戴するがね」
──来たか。
俺の知る限りだと、どの類似物語でも魔女が対価を求めたことは一度もない。
『悪魔と悪魔のおばあさん』や『金の毛が3本生えた鬼』においても、彼女は無償で物語の主人公を助けるべく知恵を絞ってくれた。
人里離れた地に住み、人間に優しい魔女。
ドイツに伝わる、そうした言い伝えの魔女こそが彼女だった。
にもかかわらず、彼女は対価を要求した。
やはり俺達は、この悪魔事件の本来の主役ではないからだろう。
やはり本来の主役の柿栗が起きるまで待って一人で向かわせるべきだったか?
今更後悔したところで仕方がないが……こいつはいったい俺達に何を求める……?
「交渉材料として幾つかの換金品を用意していまして、必要であれば現金でも」
「換金品もお金も要らないよ、むしろここに丁度いいものがあるじゃないか。
私が欲しいのはそれさね」
老婆は指をさした。
柊の胸、つまりは心臓に向けて──こいつ……!
柊の魂を狙って──
「おばあちゃん、ヨウカンでいいんですか?」
そう言って柊は、胸ポケットからヨウカンを取り出した。
「そうそう! それさね!
名前が出てこなかったけど、それだよヨウカン!
この国に来てからはすっかりこれが好物でねぇ」
「お前……そんなものを持ってきてたのか」
「な、長丁場を覚悟して家から持ってきました。
ヨウカンは軽量でありながら栄養価が高く、携帯食として優れているとお聞きしまして……。
も、もちろん先輩の分も用意していましたよ!」
「……ありがとう、だけど俺の分は婆さんにくれてやってくれ」
ビビらせやがって……。
しかしヨウカン一つで助けてくれるとは気前がいい婆さんだ。
悪魔の祖母である以上、その属性は悪魔寄りなのかもしれない。
しかし、その性質からして危険度は0(無害及び有益)と見ていいだろう。
……どうにかして仲間に加えたいところだが。
「これで契約成立だね。
一応言っておくけど力を貸すのは今回だけだよ。
エクソシストに何度もうちへ来られちゃ迷惑だからね」
む……釘を刺されたか。
「それじゃあ孫から謎の答えを聞き出してやろう。
安心しな、あいつは私の質問にはなんでも答えるからねぇ。
お前たちはそこの岩の裏に隠れていなさい」
「分かりました──え」
──突如、地面を巨大な黒い影が覆った。
最初は雲かと思った。
だけど違った。
上空を見上げると、俺の心臓は凍りついた。
威風堂々と空を駆けるのは、蝙蝠の翼、全身を覆う赤い鱗、頭部に生えた二本の角、蛇の尾に、そして鰐の顎を持つ西洋竜。
今まで数々の悪魔に遭遇し、中には難易度5(天災)に相当する大悪魔もいた。
しかし、ここまで純然たる殺意を宿した姿をした存在は、初めて見た。
まさしく暴力の化身、サタンとすら結び付けられる、この世界最強の一角。
一目見た瞬間、魂が悟る。
俺は、こいつに勝てない。
象が蟻を踏み潰すように、容易く殺される。
「せ、先輩、こちらにっ」
「っ」
そ、そうだ。
別に正面から戦う必要はない。
冷静になれ。
老婆と柊に言われた通り、一先ず岩の裏に隠れよう。
「おかえり坊や、調子はどうだった?」
「全然だよ、今日も魂が一つも奪えなくて。
だけどもうすぐ契約の履行期限だ。
あいつの魂が手に入る。
今から楽しみでならないよ」
「そううまくいくのかねぇ。
あんたの謎に答えられたら逃れられるんだろう?
ちゃんと謎は考えているのかい? 私が採点してやるから教えてみな」
「荒木明とかいう男が直近で買ったエロ本のタイトルについて」
「ぶっ!?」
は!?!?!?!?
何言ってんだこのドラゴン!?!?!?
「ん? 今何か岩の裏から声が……」
「それは私のオナラだよ。
レディに恥をかかせるんじゃないよまったく」
「あ、ごめん婆ちゃん」
「それで謎の答えは何なんだい?」
「確か、『たわわフェスティバル』だったかな」
「ぶっ!?!?」
「ん? また何か」
「それも私のオナラだよ。
しかし『たわわフェスティバル』か。
おそらくジャンルは定番の巨乳もの、面白みがないねぇ。
とはいえフェスティバルということは多人数ものか。
購入者の意外な欲深さが伺える、中々に滋味深いタイトルだ」
「でしょ?」
「それで、その荒木明とやらは誰なんだい?」
「知らない。
謎が思いつかなくて悩んでいたら、急にアイデアが空から降ってきて」
てめえかクソGM……!
お前いつか絶対思い知らせてやるから覚悟していろよ……!
「! 荒木くん! 柊さん!
よかった、無事のようで……荒木くんは随分とお疲れのようだけど……?」
「……聞かないでください」
「いつにも増して摩訶不思議なことが起きまして……ふふふ『たわわフェスティバル』」
「何笑ってんだお前」
「す、すいません……!
それはともかく柿栗さんの様態はどうなりました?」
「それが丁度先ほど目を覚ましたんだ!
二人が柿栗さんの代わりに森の中へと向かったと伝えたらね!
このまま任せっぱなしではいけないとやる気を出してくれたんだ!
まだ車の中で休んでいるけど、体力は十分回復している!
もう大丈夫だ! あとは彼に任せて問題ない!」
「……」
何だその急な覚醒。
柿栗に任せるってことは、謎の答えを教えるってことだよな。
どうせなら事件が終わるまで眠っていてくれよ……。
==
三日後。
柿栗が竜と契約を結んだ日から数えて、丁度七年。
俺達は早朝から山に訪れていた。
柿栗は山のくぼみの中心に立ち、俺達は周囲の木の陰に身を潜め様子を伺う。
前後左右は山に遮られ一般人の視線は届かない。
しかし空を飛ぶ竜ならば、柿栗の姿をはっきりと視認できるだろう。
しばらくして、山のくぼみに竜が降りてきた。
……何度見ても心胆寒からしめる恐ろしい姿だ。
「──」
「──」
『悪魔と悪魔のおばあさん』において、契約から丁度7年。
竜は契約の履行を求めて兵士たちの前に現れる。
竜は兵士達を支配すべく謎を提示したが、悪魔の祖母を頼り謎の答えを盗み聞きしていた兵士は仲間内で情報を共有しており、彼らは完璧な回答によって切り抜けた。
竜は大きな叫び声を上げて飛び去り、以降三人は取っておいたムチから好きなだけお金を打ち出して、幸せに暮らしたのだとか。
──つまり邂逅者である柿栗が、童話の兵士と同じように立ち回れば、竜の脅威を退けるだけでなく、金の出る鞭も保持し続けられる。
距離があるため両者の会話の内容は聞き取れない。
しかし柿栗と竜が何度か言葉を交わした後、竜は大きな咆哮を上げて飛び立とうとした。
どうやら柿栗は無事に自由の身になれたらしい。
「──!」
「……?」
──あいつ何やってんだよ!?
竜が飛び立とうとした瞬間、柿栗が掴みかかって引き留めたのだ。
せっかく穏便に終わりかけていたのに、どう落とし前をつけるつもりだお前……!
「──! ──!」
「……」
柿栗は竜を呼び止めた後、懐から金の出る鞭を取り出した。
必死に何かを訴えながら、何度も何度も頭を下げ、鞭を竜に差し出す。
すると竜は呆れたように溜息を吐き、やがて鞭を受け取った。
その後、その場でふて寝でもするかのように地へ伏し、眠りにつく。
まさか……。
柿栗は竜を刺激しないよう細心の注意を払いながら、ゆっくりとこちらへ戻ってきた。
「お、終わった……! ど、どうにか見逃してもらえた……!」
「お疲れ様です。
……しかし、飛び立とうとした竜を自分から引き留めていませんでしたか?
せっかく助かりかけたのにあんな危ういことをして……。
勝手はしないと最初に約束していたではありませんか。
相手は契約によって人間を支配しようとする危険な悪魔なんですよ?
いったい何を話していたんですか?」
「ご、ごめんね……。
だけど、彼の去ろうとした時に──僕はまだ、恩を返していなかったのを思い出したんだ」
……恩。
「確かに僕はあの竜から、おそろしい契約を結ばされてしまった。
契約を結んだのは命の危機に迫られたからだし、その内容を教えられたのも契約を結んだ後だった。
決して本意ではなかったし、彼が誠実だったとは言えない。
だけど七年前、あの地獄から救い出されて、彼から譲られたムチによって借金も返済でき、その後七年間幸せに生きられたのも確かなんだ。
その恩を返せないまま、悔しそうに去る彼を見送るのは、どうにも気が引けて……。
だから彼にこの山を譲り、ここで世話をさせてほしいと願ったんだ。
幸いにしてお金に余裕はある。
妻子は生活に困りはしないだろうし、この山周辺は僕の私有地だから、大きな騒動にもなりにくいと思って……。
……だ、駄目だったかな?」
臆病者の癖に……変な所で勇敢な男だ。
「良いか悪いかで言えば、当然悪いです」
「うっ」
「ここは村から離れているとはいえ、近くで家族と暮らしているんでしょう?
そんな場所に竜を住まわせては、家族に危険が及ぶかもしれませんよ」
「た、確かにそうだよね……」
「……とはいえ、賭けに敗れて逆上した竜が暴れ出す可能性もありましたし、それを宥められたと思えば。
今後竜が何か仕出かしたとしても、悪魔の祖母を頼れば打開策はあるかもしれませんし。
とりあえず、結果良ければ全て良し、ということにしておきましょう。
それに個人的な意見としても……嫌いじゃないっすよ、あなたのそういう義理堅さ」
「はい! 私もとっても立派だと思います!」
「……相手が悪魔である以上、手放しで賛同することは難しい。
ですが柿栗さん、あなたが恐怖よりも恩義を選んだその心は……神の教えにも通じる、尊いものだと思いますよ」
「あ、あはは……あ、ありがとう」