悪魔の現れるTRPG世界に転生してしまった 作:いかのしおから
柊から呼び出しの連絡が届いた。
詳細は教会で説明すると書かれていたが、案の定悪魔事件に遭遇したのだろう。
悪魔祓いに必要な荷物を抱えて教会に向かった。
「っ! 荒木君!」
「先輩! 来てくださいましたか!」
「おはようございます、戸塚神父、柊……それで、この人は?」
長椅子には三人の人間が座っていた。
一人は柊、もう一人は戸塚神父。
そして二人に挟まれるように、真ん中には見知らぬ中年男性がいる。
全てを諦めてしまったかのように脱力し、まさしく真っ白な灰と言う表現が相応しい姿。
これが今回の邂逅者か……なんとも景気の悪そうなおっさんだ。
「こちら、和菓子職人の蓼原幸洋さんです。
そしてこちらがエクソシストの荒木明先輩です」
「エクソシスト……」
「信じられませんか?」
「いいや、小夜子ちゃんがそう言うならそうなんだろうな、と思って」
「……柊が言うなら?」
「こんな自分のため駆けずり回ってくれたんだ。
せめて最後ぐらいは小夜子ちゃんを信じて終わりにしたい……」
「……柊、この人どうしたんだ。
目を離したら自殺しそうな雰囲気だぞ」
「流石は荒木先輩です」
「は?」
「お察しの通り、蓼原さんは一時間ほど前、投身自殺を試みました。
私が瀬戸際で止め未遂で終わりましたが……」
既に実行済みかよ。
「蓼原さん、いったい何があったんですか」
「……痴漢冤罪に遭遇してしまってね」
「痴漢冤罪……」
その言葉を聞いた瞬間、身の毛がよだった。
当然だが存在自体は知っていた。
テレビのニュースで、そうした報道を耳にする機会はあったから。
とはいえどこか遠い世界の出来事だと思っていた。
自分の身近には起こりえないことだと。
「……どうにか無実を証明できたけど……その時にはもう手の施しようがないほど悪評が広まっていて。
常連客は去り、従業員も退職してしまって、お店は閑古鳥がいつも鳴いている。
……僕にとってお菓子作りは人生の全てだったんだ。
いいや、これは僕だけの物じゃない。
技術も、お店も、先祖から代々受け継いだ大切な財産だった。
にもかかわらず看板に泥を塗り、今では菓子の一つも売れなくなってしまった……。
こうなってしまったらもう死んで詫びるしかないんだよ……」
あまりの悲惨な境遇を前に言葉を失う。
そして湧いてくるのは明日は我が身という恐怖心。
加害者の意図は分からないが、痴漢冤罪をふっかけた。
たったそれだけで、大の男の人生を終わらせてしまったのだから。
「生きることを諦めてはなりません!」
「……神父様」
「『主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。
正しい者の悩みは多い、しかし、主はそのすべてから彼を救い出される』!
今は試練の時、苦しい時間が続きますが、諦めさえしなければ救いの道は開かれます!
必ず名誉を取り戻す機会は訪れますので、それまでどうか……!」
「そうですよ蓼原さん!
蓼原さんは何も悪くありません!
ただ巻き込まれただけの被害者なんですから!
このまま不幸のままでいるなんて、きっと神様も許しません!
いつか幸せを取り戻すチャンスを与えてくれる筈です!
……ということで先輩、どうにかできませんか?」
「……これ、悪魔事件じゃなかったのか」
「はい、全くの無関係です」
あっけらかんと言いやがって。
「ここから先は私と神父様の力ではどうにもできず……。
先輩のお力添えをいただきたく連絡をさせてもらった次第です」
「悪魔や悪霊相手ならともかく、こんな社会的な問題に、俺にできることなんてあるわけねえだろ」
「そうですよね……どんな無茶ぶりも潜り抜けて来た荒木先輩なら、何かいい案を思いつく筈だと思っていたのですが。
すいません、流石に無茶ぶりが過ぎました──」
「──と言いたいところだが、一つこの状況にぴったりの策がある」
「!」
「……聖ニコラウスかい?」
「いいえ、確かに聖ニコラウスは無実の罪を被った者の守護聖人です。
しかしその性質は、どちらかといえばトラブルシューターが主軸。
法廷での弁護という形ならともかく、アフターケアは彼の領分から少し外れています」
ただでさえ忙しい筈の彼だ。
悪魔がらみでもない問題に巻き込むのは難しいだろう。
散々世話になっているからこそ、軽々しく頼りたくないという思いもある。
「なので今回は悪魔を呼びます──ソロモン72柱の悪魔を」
ようやくか、という納得の表情を浮かべる柊。
しかし戸塚神父に関しては、今にも目が零れ落ち顎が外れそうな表情だった。
確かに今までの俺の立ち回りを考えれば、予想外の選択だろう。
「……あ、悪魔を召喚するつもりなのかい?
確かに悪魔を召喚し力を借りるエクソシストもいるとは聞くけど……」
「エクソシストとして身を立てるには、ある程度リスクを飲み込む必要はあると考えておりまして……。
この前の教会から三本ほど悪魔召喚書を報酬としていただいたでしょう?
もしかすると悪魔を頼らなければ対処できない問題にこれから遭遇するかもしれない気がして」
「あー……」
「ぶっつけ本番で悪魔召喚を試みる前に、一度練習を挟んでおきたく」
悪魔の召喚が危険なのは分かっている。
だが人の命がかかっているこの状況なら、駄目もとで試してみる価値はある筈だ。
バッグから『ゴエティア』を取り出し、ページを捲る。
「──ナベリウス。
19の軍団を指揮する序列24番の勇猛なる地獄の侯爵。
あらゆる人文科学、自然科学を授け、特に修辞学に長けている。
また、失われた威厳や名誉を回復する力を持つ。
冤罪で名誉を奪われた蓼原さんを助けるにはぴったりの権能です」
「確かにぴったりですが……相手はソロモン72柱の大悪魔ですよね?
願いを叶えてもらうとなれば、対価はかなりのものになるのでは?
蓼原さんが支払えるのでしょうか」
「対価についても考えがある。
このナベリウスはケルベロスを由来としている説がある。
ケルベロスとはギリシャ神話に登場する三つの頭を持った冥界の番犬だ。
ギリシャ圏には、このケルベロスを由来とした諺がある。
それは『ケルベロスに与えるソップ』というもの。
意味としては『厄介者を懐柔するために与える賄賂』といった感じだ。
ケルベロスは甘いものに目がなく、特に蜂蜜と小麦粉を練って焼いたソップというパン菓子が大好物で、それを食べている間なら冥界を通っても見過ごしてくれるという。
そして蓼原さんは和菓子職人。
和洋に違いはあれど、こちらもまたおあつらえ向きの条件だろう。
ナベリウスを満足させるパン菓子を用意できれば、願いを叶える十分な対価として受け取ってもらえるかもしれない」
今の段階だと憶測の要素が多く含まれているが、好物となるものを態々調べて用意して、無礼者と切って捨てられることはないだろう。
それにケルベロスはオルペウスの奏でる美しい堅琴の音色によって眠りにつくという伝承も語られている。
もちろん俺は堅琴など弾けないが、現代にはCDという便利な道具が存在する。
それ以外にも対処法は幾つか思いついている。
どれか一つ失敗したとしても、他の一つぐらいは当たってくれる筈だ。
「……無理だよ。
僕にそんな凄そうな存在を満足させるお菓子が作れるとは思えない。
いいや、それどころか、普通のお客さんにだって喜んでもらうことも……。
きっとそのナベリウスという悪魔には無駄足を踏ませてしまう」
「蓼原さん……」
そうか……蓼原は社会的な名誉だけではなく、職人としての自信まで奪われてしまったのか。
「蓼原さんの和菓子屋さんは、冤罪を受ける前は大人気のお店だったんですよね?
なら絶対にナベリウスさんも喜ぶお菓子を作れる筈です!
培った技術は、そう簡単には失われません!
周りの声ではなく、自分の腕を信じてください!
蓼原さんが今まで歩んできた研鑽の軌跡を!!」
「……」
蓼原は首を縦には振らない。
気まずそうに眼をそらすだけだった。
……根は深そうだな。
「ナベリウス召喚の準備は俺一人で行う、柊は蓼原さんを頼んだ」
「かしこまりました……!」
==
それから俺はナベリウス召喚のために必要な道具を集めた。
といっても必要な道具の殆どは所有しており、足りないものも既に教会や工房に発注済み。
現代では中々手に入れるのが難しい物が多いため、そうした物を使わずに済む現代式の儀式もあったが、初期投資はしっかり行うべきだと考え、全て購入に踏み切った。
あと俺が用意すべき道具は、対応する悪魔の印章(シジル)ぐらい。
シジルに関しては適当な鉄工所に頼めば作ってもらえるだろうが、自作も可能だという。
おそらく蓼原が立ち直るにはまだまだ時間が必要になる筈。
そう考え、勉強も兼ねて敢えてナベリウスのシジルの制作に取り組んだ。
「こんな感じか……?」
ナベリウスの地位は侯爵。
侯爵のシジルを作るには銀を使うべきとされている。
『ゴエティア』や『ナベリウスの召喚書』を参考に、銀板にシジルを画いていく。
うん……悪くない、むしろかっこいいかもしれない。
本当に悪魔を呼び出せそうな雰囲気がある。
今日のところは一個作って終わりにする予定だったが、他の儀式参加者のためにもう一個作っておくか。
「ん? 柊か……もしもし」
『お疲れ様です先輩、準備の方はどんな感じですか?』
「ああ順調だ、後はシジルっていう対応する悪魔の印章を人数分作るぐらいだな。
そっちはどんな感じだ? 説得に手間取っていると聞いているが」
『お店に何度も通い続けて、ようやく首を縦に振ってくださいました。
とはいえ、まだナベリウスさんのお菓子を作る勇気は沸かないそうです。
自分の作ったものに自信がなく、どうにも否定される気がして恐ろしいと』
「……そっちはまだまだ時間がかかりそうだな」
痴漢冤罪が晴れるまで、相当周りから色々と言われてきたのだろう。
なんなら冤罪が晴れても悪く言われていたのかもしれない。
その情景を想像して憐れみと共に胸が痛んだ。
『ただ』
「?」
『私になら構わないと、蓼原さんが一番得意にしているという苺大福を作ってもらいまして』
「へー、美味しかったのか?」
『ええとても……あんなに美味しい苺大福は生まれて初めて食べました!
中に入っていたあんこの舌触りが滑らかで、甘さも絶妙で!
一人で食べるのが申し訳なく思えるほどでしたよ!
今度先輩にも食べさせてあげたいです!』
「そうか、そいつはよかったな」
『──といった感想を蓼原さんに伝えますと。
涙を流して喜んでくださいました。
どうやら自分の作ったお菓子で人が喜んでもらえるということが、予想以上に嬉しかったようで。
……この反応からして、今は自信を失っているようですが、まだ菓子職人としての誇りは捨てきれてはいないように思えます。
それどころか、とても熱い郷愁を胸の奥に抱えているように思えました』
「……」
蓼原の心が動いたのは、彼自身が職人として歩んできた過去あればこそだろう。
だがそれと同じぐらい……柊の存在が大きいと思えた。
善良で人懐っこく、大抵の相手ならすぐに仲良くなる社交性。
その上、人の特技や美点を真っすぐ褒めることができる。
なにより美少女。
塞ぎこんだ男に勇気を与える存在としてはこの上ない。
それは俺も痛いほどに分かる。
だからこそ心配な点もあるが。
まあ、相手はいい年をした大人だ、心配する必要はないだろう。
きっと柊なら、自信を失った蓼原を立ち直らせてくれる筈だ。
「ナベリウスへの貢物には、できるだけ品質の良いものを用意したい。
それに名誉が回復しても、蓼原が菓子を作れないままじゃあ片手落ちだ。
時間はどれだけかかってもいい。
蓼原が自信を取り戻せるよう、どうにか励ましてやってくれ」
『任せてください!』
==
あれから一週間が経った。
時間はかかったが、儀式に参加する人数分のシジルが完成した。
儀式場に関しては、いつもの廃ビルを利用すると戸塚神父に教えると、態々出向いて清掃してくれたため、場所に関しても問題ない。
これで最低限やるべき準備は終わった。
とはいえ、何も見ずに呪文を詠唱できる自信はまだなかった。
別にカンペを読みながらでも構わないそうだが、まだ柊から蓼原の進捗報告は来ていない。
せっかくなので余った時間を使い、呪文詠唱の練習を行うことに。
今練習しているのは悪魔召喚の前に執り行うと良いとされる幾つかの祈祷。
『五芒星小儀式』、『六芒星小儀式』。
そして『生まれざるものの召喚』だ。
「『──アテー、マルクト、ヴェ・ゲブラー、ヴェ・ゲドゥラー(汝ら、王国、そして力、そして栄光)
ル・オラーム、アーメン、ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー(永遠の神よ、偉大なるYHVHよ)
アドナイ、エヘイエー、アグラ(我が主は存在する、あなたの齎したこの世界に)
我が前にラファエル、我が後ろにガブリエル、我が右手にミカエル、我が左手にウリエル。
我が前方には五芒星が燃え上がり、我が後方には六つの光線を放射する星が輝く』……」
杖を持って五芒星を描き指定された方位を向きながら呪文を唱えていく。
今練習しているのは 『五芒星小儀式』。
これは儀式場を浄化し、神聖な場としての意味を与えるためのもの。
コツは神名を呼ぶ時、地の底より唸るように声を低く震わせることだ。
「『I.N.R.I.(ナザレのイエス、ユダヤの王よ)
ヨド・ヌン・レーシュ・ヨド。
ヴァルゴ、イシス、万能なる母。
スコーピオ、アポフィス、破壊者。
ソル、オシリス、殺され、そして甦る者。
イシス、アポフィス、オシリス、IAO。
殺されしオシリスのサイン。
イシスの嘆きのサイン。
アポフィスとティフォンのサイン。
甦るオシリスのサイン。
L.V.X.、ルクス、十字の光。
ARARITA(それは一から始まった)。
IHVH ELOHIM(YHVHよ、一なる神よ)。
IHVH ELOHIM(YHVHよ、一なる神よ)。
ARARITA IHVH ELOHIM(それは一から始まった、YHVHよ、一なる神よ)。
ARARITA IHVH ELOHIM(それは一から始まった、YHVHよ、一なる神よ)……』」
続いて『六芒星小儀式』。
こちらもまた『五芒星小儀式』と意図に変わりはない。
単語が多く手順が複雑なため覚えるのに苦労しそうだと考えていたが、リズムが良く繰り返しの部分が多いため意外と早く覚えられた。
これらの儀式を行う際、杖ならば『召喚』、鋼鉄の剣を使えば『追儺』、すなわちエクソシズムとしての効果を発揮するという。
幾つかの聖句を組み合わせて作った浄化寄りの『火の聖句』と比べて、これらの呪文はどちらかというと防御や追放に向いた雰囲気だった。
「『──汝、生まれざる者よ、私は汝に祈りを捧げる。
汝、地と天を創りし者よ。
汝、夜と昼を創りし者よ。
汝、闇と光を創りし者よ。
汝はオソロノフリス、誰も見たことのない者よ。
汝はヤバス。
汝はヤポス。
汝は他悪しきものと不正なるものを分かちたもうた。
汝は女と男を創りたもうた。
汝は種と果実を産み出したもうた。
汝は人間を互いに愛し合い、また憎み合うよう創りたもうた──』」
最後は『生まれざるものの召喚』。
またの名を『蛇の心臓を持つものの召喚』とも言う。
これは魔法円を強固にする効果があるため確実に行うべきだが、かなり長い。
今詠唱した部分の9倍以上の呪文が続いている。
まだ完璧には覚えきれておらず、他にも覚えなければならない呪文は沢山あるため、実践の際はカンペが必要かもしれない。
「──俺の方はこんな感じだ、柊、そっちの進捗は?」
『今まで蓼原さんはリハビリのために和菓子を作っていましたが、本日遂にソップを作られました。
素朴ながらとても美味しく、これならナベリウスさんも満足してくれるでしょう』
「そうか、これで準備は整ったな」
『それがその、どうにも蓼原さんはソップの出来に満足していないようで。
もう少し練習の期間を貰いたいと仰っていました。
眠っていた職人魂が目覚めたようです。
自分であればもっと美味しく作れる筈だと』
「いい傾向だな。
とりあえず蓼原さんには『こちらが急かす理由はない、そちらの準備が終わるまで待つ』と伝えておいてくれ」
==
……遅い。
遅すぎる。
いつまで経っても蓼原達の準備が終わらない。
ナベリウスを召喚すると決めて一ヶ月も経っている。
こっちの準備は既に万端。
カンペなしでも全ての呪文を唱えられるようになったというのに。
確かに時間はどれだけかかってもいいとは伝えた。
にしても長すぎるだろう。
ソップなんて小麦粉と蜂蜜を練って焼くだけの簡単なパン菓子だ。
ここまで習熟に時間がかかるとは思えない。
いいや、もしかすれば俺には計り知れない奥行がソップにはあるのかもしれないが……。
とにかくこのまま待ち続ける気分ではなかったので、様子を見に行くことにした。
場所は地元で一番人通りが多い商店通りの隣の通り。
一等地というほどではないが、かなり地価の高い激戦区だ。
古びていながらも清廉としており、かつての繁盛が想像できる格式高い店構え。
暖簾をくぐり店の中に入る。
「……なにやってんだお前ら」
「あ、先輩」
隅の畳スペースには柊と蓼原が座っており、机にはまんじゅう、ようかん、練り切り、ういろう、番重焼きなどの和菓子に加え、ケーキ、クッキー、アイスクリームなどの洋菓子まで並べられていた。
それを嬉しそうに食べる柊を眺めて、蓼原は満足げな笑みを浮かべている。
どれもこれもソップとは関係のない代物だ。
いいや、よく見ればどれもこれもソップっぽい雰囲気が含まれている。
もしかしてこれはソップを使った創作菓子なのか?
「あの、儀式を行うのはもう少し待っていただくことはできませんか?
蓼原さん、ソップを使った創作菓子の開発を始めたんです」
「作っているうちに楽しくなってね。
といってもどれも既存のお菓子と組み合わせただけで、完全なオリジナルとは言えないけど。
もう少し色々作ってみれば、いいアイデアが思いつきそうなんだけどなぁ」
「……ソップ単体はもう満足のいくものが作れたんですか?」
「それはもちろん、分野は違えど菓子職人だからね。
勝手が違い戸惑いはしたけれど、人前に出せる程度にはソップを作れるようになったさ」
「それは謙遜ですよ!
日に日に味は磨きがかかり、見た目もどんどん洗練されていって!
まさに完璧で最高とも言えるソップのレシピが完成しました!
流石は老舗名店の店主さんだと大いに感心する他ありません!」
「ふふふ、ふははははは……!」
柊によいしょされ、ご機嫌な高笑いをする蓼原。
しかしその瞳には仄暗い光を湛えていた。
「……小夜子ちゃんはね、僕にとって唯一の光なんだ。
痴漢冤罪により世間から汚物のように扱われる、地獄のような毎日に差した、たった一つの光。
一度は命を絶とうともした。
そんな時に、小夜子ちゃんは身を挺して僕を助けてくれた。
更には僕が再び職人としての矜持を取り戻せるように支えて、励ましてくれて。
僕なんかが作ったお菓子を、嫌がりもせず食べて美味しいと言ってくれて。
こんなに年若く、可愛くて愛嬌のある女の子がだよ?
これはようやく取り戻せた僕の青春なんだ。
学生時代は修行三昧で、大人になってからも仕事ばかりの生活だった。
そんな僕に訪れた、最初で最後の春の時代。
分かっているさ、歳の差があることも、小夜子ちゃんが他に想い人がいることも。
それでも、いつかは消える泡の夢だとしても、引き伸ばしたいと思うのはそんなに間違っていることなのかい?」
まずい、懸念が当たった。
薬も過ぎれば毒となる。
人生に絶望した孤独な男にとって柊という存在は激薬過ぎた。
「え、ええと……私としましても、こんなに美味しいお菓子が無料で食べられる状況は中々ないので、引き延ばせるなら……なんちゃって。
あ、一応先輩の分も取り置きできるものは取り置きしてますよ」
「……君には、僕の気持ちは分からないだろうがね……!
色んな女性から慕われてバラ色の青春を謳歌している君には……!」
誰の話だよ。
とはいえ一番突っ込むべきところはそこじゃない。
「あんた妻子持ちだろうが!!!」
後日、ナベリウス召喚の儀式が行われることが決定された。
==
遂にナベリウスの召喚儀式が行われる。
日時は偶数日の午後3時。
魔導書によると悪魔を召喚するには偶数日でなくてはならず、侯爵の場合午前3時から9時でなければ呼び出しには応じないとのこと。
今までこっくりさんや見立てなどを利用して霊的存在を呼び出してきたが、魔導書に記された本格的な悪魔召喚術を行うのは初めてなので、少し緊張している。
「『汝がヒソップをもって我を清め給えば、主よ、我は清められん。
汝が我を洗い給えば、我は雪よりも白くならん』」
最初に行うのは『浴場での礼拝』。
こちらに関しては教会の水場を貸してもらった。
祈りを捧げながら清水を使い身を清めていく。
一連の儀式の参加者は俺と柊と蓼原の三人。
戸塚神父は今回の儀式への参加を辞退している。
「『──この聖なる衣の神秘によって、我はいと高き者の力によって救いの武具を身に纏う、アンコル・アマコル・アミデス・テオディニアス・アニトル、我が望みし目的が、御力によって成し遂げられんがために。
主アドナイよ、汝にこそ誉れと栄光はとこしえに属するものなり、アーメン!』」
続いて行ったのは『衣服着用の礼拝』。
リネンのローブを着用した後、俺達は廃ビルに向かった。
「『──汝、生まれざる者よ、私は汝に祈りを捧げる。
汝、地と天を創りし者よ。
汝、夜と昼を創りし者よ。
汝、闇と光を創りし者よ。
汝はオソロノフリス、誰も見たことのない者よ──』」
儀式に必要な道具を適切な方位に配置した後は、三人で『魔法円』の中に入り、『五芒星小儀式』、『六芒星小儀式』『生まれざるものの召喚』を執り行う。
魔導書には大きさの指定があったため拡張できず、ぎゅうぎゅう詰めで儀式動作には苦労したが、どうにか儀式を完遂できた。
そして遂に悪魔召喚の儀式。
高炉に香料を注いで火を灯し、煙を部屋中に充満させる。
「『我は汝ナベリウスを呼び出し、かつ呪文をもってこれを招く。
そして至高なる威光により授かりし力を持って我は強く命ず。
ベララネンシス、バルダギエンシス、バウマキア、アポロギア、セデスによって、最も強力な王子たち、霊たち、リカキダイたち、そしてタルタロスの──』」
「『──さらば来たれナベリウスよ、今すぐに。
またいかなる地の果てよりでも構わぬ、ここに姿を現し、我が求める全てに理知的に答えよ我が命令を成し遂げ、平和的に、目に見える形で──』」
「『──汝は生ける真なる神ヘリオレンの御名によって召喚されし者ならば、最後まで我の利益に従い、親しみをもって、明瞭かつ理解可能な言葉で、曖昧さなく我に語り掛けよ』」
「──今時珍しいほど気合の入った悪魔召喚術だな」
「っ!」
それはしわがれた声だった。
部屋中に充満していた煙は一か所に集まり、やがて黒い鶴の体に三つの犬の頭を持つ悪魔へと姿を変える。
間違いないナベリウスだ。
『ナベリウスの召喚書』や『ゴエティア』に書かれていた通りの姿だった。
そして、その行動もまた然り。
召喚されたナベリウスは魔導書に記されていた通り、魔法円の周りをぐるぐると飛び回っている。
成功させるつもりでやったが、まさか本当に呼び出せるとは……。
いいや、動揺している暇はない、今すぐ次の工程に移らなければ。
「『汝が従順であることを拒むなら、その混乱を見よ!
我が汝の眼前に持参したソロモンの護符を見よ!
召喚をする術者の姿を見るがよい。
この者こそ神によって武装され、恐れを知らず、力強く汝を呼び出し、姿を現すように召喚する者、その名をオクティニモスと呼ばれる汝の主なり。
故に我が問いに理性的に答え、主の御名において、汝の主人に従う用意をせよ。
パタルあるいはヴァタトよ、アブラクに急ぎ来たれ!
アベオルよ、アベレルに向かって昇れ!』」
「参った参った、降参だ」
「え……? え、ええと、次は──」
「分かっておる、三角陣の中に入ればよいのだろう?
無駄な抵抗はせぬ、さっさと望みを言うがよい」
「ず、随分と物わかりの良い悪魔さんですね……」
「長いこと悪魔をやってきたからな。
経験上、こやつのような輩にはつけ入る隙がないことは分かっている。
それに報酬も用意しているとなれば、無理に抗う理由もない」
他にも幾つか行うべき工程があったのだが……どうする?
ナベリウスの言葉を無視して完遂するか?
だが相手は明らかに友好的、それにこちらは願いを聞いてもらう立場だ。
加えて三角陣の中に入れた時点でナベリウスは抵抗できない。
「望みはこちらの彼、蓼原さんが失った名誉の回復です」
「ふむ」
「対価としてこちらに様々な献上品を用意させていただきました。
いかがでしょうか?」
「……そこに並べられた菓子が気になるな。
少し味見させてもらっても?」
「蓼原さん」
「う、うん……ど、どうぞ」
三角陣の中で翼を折りたたんで佇むのナベリウスに、蓼原は幾つかのお菓子が入った皿を差し出す。
やはりと言うべきか、ナベリウスが最初に目を付けたのはソップだった。
しかも三つの頭、全てがソップを口に運んでいる。
どうだ? 気に入ってくれるといいが。
「──これを作ったのは誰だ」
「わ、私です」
「くくく……いいだろう、契約を結ぼう」
「!」
「蓼原と言ったな、実に見事な腕前だ。
貴様の望みに答え、汚名返上に協力すると約束しよう。
ただし条件がある。
我が貴様との契約のために現世に残っている間、毎日これを作ること。
そして依頼を終えて帰る際に、土産に幾つか同じものを用意すること。
この条件を守ると誓うなら、必ずや貴様の名誉を取り戻してやろう」
「あ、ありがとうございます……! よろしくお願いします!」
==
ナベリウス召喚を行い数日後。
柊が取りおいてくれていたという蓼原の作った菓子を摘まみながら、自宅の自室で報告会を行う。
「蓼原とナベリウスはあれからどうなった?」
「お店の評判は回復し、売り上げは以前の状態まで持ち直せたそうですよ。
実家に帰っていた奥さんやお子さん、かつての従業員や常連客も連れ戻せて、蓼原さんの望みはほぼ叶ったと言ってもいいでしょう。
流石は72柱に数えられし大悪魔にして、勇敢なる伯爵のナベリウスさんですね」
たった数日でこの効き目か。
平和的な権能だったためプラスにしか働かなかったが、これがアスタロトのような権能であれば酷い事態になっていただろう。
「となるとナベリウスはもう帰ったのか」
「それがその、ナベリウスさんは蓼原さんに契約の延長を求めたそうで」
「……居座って悪事でも働くつもりか?」
「いいえ、悪事を働く様子はないようです。
それどころかナベリウスさんは自分用の着ぐるみを作らせ、それを着て店のマスコットとして宣伝を行い始めたそうですよ。
特にソップやそれに関する創作菓子に関しては、異様な熱の入れようで。
一部は恒常商品としてお店に置かれることが決定されました。
『どうして和菓子屋に洋菓子が置かれているのか』と疑問に思うお客さんも多いようですが、中々に評判は良いようです」
……相変わらずソロモン72柱の大悪魔たちは、持っている力や権威のわりに、庶民的な趣味や嗜好をしている奴ばかりだな。
「お客さんの呼び込みぐらいなら私もできると思い、手伝わせてほしいと申し出たのですが……ナベリウスさんに止められて。
『君がこれ以上関わると家庭が崩壊する』と。
私、そんなあざとい態度で蓼原さんと接していたつもりはないんですけどね……」
自明の理である。
蓼原がこれ以上柊と関わっていれば、痴漢冤罪とは違う方向から人生を滅茶苦茶にされていただろう。
ナベリウスの判断は正解だと言わざるを得ない。
「はぁ」
「?」
なんというか、今回はとことん柊に振り回された気がする。
蓼原を惚れさせ、土産に菓子まで貰い、まさに独り勝ち状態。
分かっている、原因は蓼原で、柊の言動の多くは善意からのものであることは。
だが納得できるかは別問題。
道理に感情が追い付かず、いまいち釈然としない。
柊には悪いが、嫌味の一つぐらいは言わせてもらおう。
「なあ柊、食いすぎて太ったんじゃないのか」
「ご安心ください、私って何を食べても胸しか太らないんですよ」
「……」
無敵かこいつ。
・引用
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる」
「正しい者の悩みは多い、しかし、主はそのすべてから彼を救い出される」
──『詩篇』34篇18〜19節
悪魔召喚儀式
──『ソロモン王の小さな鍵』 中村心護様による日本語翻訳より
・注意
悪魔召喚は、正しい手順と十分な準備を行わなければ危険とされています。
現実での実践を推奨する意図はありませんが、それでも実践したい場合は、魔導書に記された正しい知識を参照してください。