悪魔の現れるTRPG世界に転生してしまった   作:いかのしおから

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第30話「アミー」

「先輩、そろそろ夏休みですし、一緒に海に行きませんか?」

「海ぃ?」

「はい、せっかくなので、すずちゃんも誘って。

 三人で夏休みっぽいことしたいなーって」

「……」

 

 自室で柊と勉強の合間にスイカを食べていた休憩時間。

 柊はそんなことを言った。

 

 瞬間、脳裏に過ったのは数々の懸念。

 柊は悪魔事件を引き寄せる体質を持つ。

 しかも海だ。

 水場は厄介な悪魔や悪霊ばかり。

 水場対策の切り札だったガーゴイルだって、もういない。

 さらに今回はすずまで巻き込むことになる。

 うだる暑さに鈍っていた思考は、一瞬にして研ぎ澄まされる。

……さて、どうしたものか。

 

──ん? なんだそれは。

 柊がバッグから取り出したのは一冊の……ファッション誌?

 

「新しく水着も買おうと思ってて。 

 よければ私の水着、先輩が選んでくださいよ。

 どれが似合うと思います?」

「──え」

 

 開かれたページには、ビキニ、ワンピース、ホルターネックなど、様々な水着写真が掲載されていた。

 これを着た柊と一緒に海に。

 しかも俺が選んだ水着を着て……。

 

「こんなのはどうでしょうかね」

「そ、う、だな」

 

……もしかするとこれはGMから与えられた試練なのかもしれない。

 ならば逃げるのは悪手だ。

 断じて邪な理由などではない。

 これは合理的な判断に基づく自己保身だ。

 

==

 

 もっとも、すずは来なかった。

 

 一応、柊が誘い、水着を買いに行くところまでは漕ぎつけたらしい。

 だが更衣室で柊の水着姿を見た途端、すずは急に「用事を思い出した」と言って海行きを辞退したという。

 その時のすずについて、柊は首を傾げながらこう語った。

 

「すずちゃん、“戦う場所は選ばないと”って呟いていたんです。

 どういう意味なんでしょうか?

……もしかして私のトラブル体質を警戒して……?」

 

……いいや、多分、俺達が二人きりになれるよう気を遣ってくれたんだろう。

 すずちゃんったら、優しい子。

 

 なにはともあれ──

 

 夏。

 白い砂浜に陽射しが照りつけ、青い海が眩しく光を跳ね返している。

 潮風は生ぬるく、空には入道雲がゆったりと浮かんでいた。

 朝の天気予報でも快晴が続くと言っていた。

 海も空も、どこまでも夏休みそのものだった。

 そんな真夏の浜辺で、俺は柊を待っていた。

 

(……かかってこいよ、こっちは覚悟も準備もできてんだ)

 

 もちろん周囲の警戒は怠らない。

 これまで柊と旅行をした際は、必ず悪魔事件に遭遇している。

 おそらく今回もそうした厄介事に巻き込まれるのだろう。

 もしもに備えて仕事道具は全て揃えてバッグに入れてきている。

 準備は万全、どこからでもかかってこい。

 

「……ん?」

 

 そうして周囲を見渡していると、ある光景が気になった。

 それは海に向けて突き出した防波堤。

 そこに折りたたみ椅子を置いて座る一人の老人。 

 丸まった背中からは哀愁が漂っている。

 彼は釣りをするわけでもなく、ただひたすら海を眺め続けていた。

 悪魔や悪霊というわけではなさそうだが……妙に視線を奪われる。

 どこか気になる老人だった。

 

「……ん?」

 

 妙に周囲がざわついていた。

 あちこちから男たちのどよめきが上がる。

 男たちの何人かは女連れのようで、連れの女に二の腕を抓られたり、脛を蹴られたりと制裁を受けていた。

 この光景を見て察した、彼らの視線の先に何があるのかを。

 

 そこには圧倒的な存在感があった──いや違う、柊だ。

 透き通るような白い肌に、浮かべる笑みは太陽のように明るく屈託がない。

 なによりもそのスタイルは今更語るまでもないほどに暴力的で。

 あからさまに下心を出すのは恥ずかしく、ひよって無難なワンピースタイプの水着を選んだというのに。

 気を抜けば視線が頭から下へと滑り落ちそうになる。

 

……まずい。

 まともに目を合わせられない。

 

「──うおっ、エロ!!」

 

……え?

 一瞬、自分が口を滑らせたのではないかと疑った。

 だが違う、これは俺の声じゃない。 

 周囲の男達か? 

 いいや、これは男の声ではなく女の声だ。

 そしてとても聞き馴染みがある。

 もしかして……お前か柊?

 

「……おっと、失礼しました」

「お前、今何て言った?」

「そ、そんなことより早く海で遊びましょう!

 のんびりしていると陽が沈むのは一瞬ですよ!」

「おい」

 

 手をつかみ引き留めると、柊は観念したようにこう語る。

 

「あーダメダメ、エッチすぎます。

 先輩のこんな姿を見て、エロい目で見ない方が不誠実じゃないですか。

 絶対周りの女性だって、エロい目で見てるに決まってます」

 

 なわけねえだろ。

 

「ほ、他の女性が先輩の水着姿をエロい目で……!

 ゆ、ゆゆゆゆ、許せませんっ!!!

 先輩は私の後ろに隠れておいてくださいッッッ!!!!!!」

「……ほんと、先輩冥利に尽きるよ」

 

……こんな後輩がいて、本当にな。

 

==

 

 意外なことに、今日一日、悪魔事件に遭遇することはなかった。

 

「そろそろ黄昏時だし、帰り支度を始めるとするか」

「そうしますか……うう、名残惜しいですが仕方がありません」

 

 空は赤く染まり始めていた。

 黄昏時──昼と夜が混じり合う境界。

 日本では逢魔が時とも呼ばれ、魔物や幽霊に出会いやすい時間帯とされている。

 そしてそれは、日本だけの話ではない。

 夜へ沈む境界を忌む伝承は、世界中に残されている。

 

 とはいえ、まだ本格的な逢魔が時には早い。

 今から帰れば、日が沈み切る前には家に着けるだろう。

 

「ん?」

「あれは……」

 

 帰り支度をしていた時だった。

……おい。

 防波堤にいた老人が、倒れている。

 そんな老人の周囲には、何羽ものカラスが集まっていた。

 鳴き声はない。

 ただ黒い影だけが、倒れ伏した老人を取り囲むように並んでいる。

 

「助けに行きましょう!」

「お、おう!」

 

 間髪入れず駆け出した柊の後に続き、老人のいる防波堤に向かう。

 近づくにつれ、あれがただのカラスではないと分かってきた。

 

「先輩、もしかして……?」

「ああ、多分あれは悪霊だ……!」

 

 これは悪霊特有の気配だ。

 とはいえそう高位なものではない。

 インプ以下の低級悪霊、病魔の類だ。

 柊もそれを感じ取ったようで金貨を取り出し空に掲げた。

 

「サタンよ! 立ち去れ!」

 

 ニコラウスの金貨には魔除けの力が宿っている。

 その力を恐れたカラスの悪霊は、一瞬にして彼方へと飛び立った。

 二次被害が気になるが、あの悪霊にできることはたかが知れている。

 今はそれよりも老人の様態を確認するのが先決だ。

 

「ううっ……」

 

 見たところ老人に外傷はない。

 しかし息も絶え絶えで、苦悶の表情を浮かべている。

 

「ね、熱中症でしょうか?

 私の記憶が正しければ、朝からずっとここに座られていましたし」

「それもあるだろうが、あのカラスの悪霊が何かやらかしたのかもしれない。

 カラスは死期の近い動物に集まり死肉を狙う習性がある。

 その習性から生まれた悪霊ならば……」

 

 悪霊の正体は分からないが、その推理には納得がいった。

 おそらくこの爺さんの死期は近い。

 このままだと……長くはない。

 

「し、死にたくない、まだ、死にたく……!」

「誰にも言わないでくださいよ……!」

 

 『ラファエルの羽』を取り出し治療を行う。

 

「……あ」

 

 老人は震える手で自らの身体を確かめる。

 そして、まさしく奇蹟でも見たように、自分の掌を見つめていた。

 

==

 

「どうかね、口に合うと良いのだが」

「ええ、とても美味しい料理です! 先輩もそう思いますよね?」

「ああ、こんな贅沢な海鮮料理を食べたのは初めてかもしれません」

「ははは、満足いただけたようでなによりだ」

 

 あの後。

 助け出した老人こと、御法川朋睦からお礼も兼ねて「うちで食事をしていかないか?」と誘われたので、そのご厚意に甘えることにした。

 彼は出張料理人を呼び寄せ、高級食材を惜しげもなく使った料理を振る舞ってくれた。

 別に見返りばかり求めて人助けをしているわけではない。

 それでもこうしたお礼を貰えるのは嬉しいものだ。

 

「本邸であれば、もっと力を入れてもてなすことができたのだが」

「え、ここっていつも住んでいる家ではないんですか?」

「ああ、ここは夏の暑さから逃れるために購入した別居でな。

 とはいえ避暑地にするなら、海ではなく森や川辺にしておくべきだったよ。

 改めて感謝する、本当に助けてくれてありがとう、荒木君、柊君」

 

 御法川は深々と頭を下げて感謝の言葉を告げた。

 その後、御法川は料理人や家政婦へ目配せを送る。

 退出の合図だったのだろう、彼らは一礼して部屋を後にした。

 

「荒木君。

 君は、あの力を使った時、誰にも言わないでくれと言っていたね。

 それは賢い考えだ、あのような事ができると知られれば君たちから力を奪おうとする者も現れるだろう。

 おっと、警戒しないでくれ、これは単純な好奇心だ。

 私は命の恩人を強請るような恩知らずではない、必ず秘密にすると約束する。

 そのうえでお願いだ、君達さえよければ、君たちがいったい何者で、どんな人生を送っていたのか、聞かせてはくれないかい?」

 

 そう語る老人の瞳は、少年のように輝いていた。

 好奇心からのものだというのは、あながち嘘ではないのかもしれない。

 

「荒唐無稽な話なので、信じてもらえるかは分かりませんが」

「そこに関しては安心してくれたまえ、医者にはもう長くないと言われていてね。

 老い先短くなると、どうにもスピリチュアルなことに関心を持ち始めてしまうものなのだよ」

 

……いまいち笑っていいのか困る冗談だな。

 

「なにより君たちの力は実際にこの目で見て肌で感じ取った。

 話の途中で余計な茶々を入れるつもりはない」

「そうですか、それでは──」

 

 俺は柊と一緒に説明をした。

 数々の悪魔事件に遭遇したこと。

 教会からエクソシスト代行として認められたこと。

 エクソシストとして生きていく覚悟を決めたこと。

 これまでの大切な思い出を一つ一つ振り返りながら。

 

「……もしや君たちは、聖書などで語られる聖人というものなのだろうか?

 触れたものを癒し、呪った者に天罰を下し、死しても蘇る……」

「いやいや、そんなまさか」

「しかし私は見たぞ、柊君の言葉によって悪霊が逃げ去るのを。

 そして荒木君の奇蹟によって私の苦しみが和らぐのを」

「あれは道具による効果ですよ。

 本物の奇跡者と出会ったことがありますが、彼女たちの奇蹟はあんなものじゃありませんでした。

 自分のような一般人とは比べ物になりません。

 あなたを助けるために使った道具も、色々と制約がありましたし」

「……であるなら、どうして君たちは悪魔や悪霊に挑める?

 聖人のように死ねば蘇ることはないのだろう? 

 それとも神話に語れるような、死後の冥福を信じているからか?」

「それも理由の一端ではありますけど……」

 

 この世界は「エクソシストTRPG」。

 

 冥府の存在は、まだ自分の目では確かめていない。

 それでも悪魔も天使もいる世界だ。

 死後の世界だって、きっとあるのだろう。

 少なくとも俺は、一度死んで、それでもここにいる。

 

「柊が以前、こんなことを言ってたんですよ。

「死んでいないだけ」と「生きている」は別物だって」

「……」

「遅いか早いかの違いはありますが、人間はいずれ死にます。

 死ぬのを怖がって自分を嫌い続けるぐらいなら、刹那的でも自分を愛したい。

 たとえ明日死ぬとしても、納得を抱えて終わりたい。

 そう思って、俺たち二人はエクソシストを続けています。

 まあ、どんな困難も乗り越えて、生き汚く天命を全うするつもりですけどね」

「……傲慢だ」

「否定はしませんよ」

「だが、だからこそ痛快だ、くくく……!」

 

 お金が欲しかったり、承認欲求を満たしたかったり、我欲がないとは言わない。

 だけど軸の部分に嘘はない。

 俺は死んでも、死ぬまで正義の味方でありたい。

 天命を全うするその日まで、柊小夜子が尊敬できる先輩であり続けたいのだ。

 

「君たちは賢い。

 自分の初心を見失わず、その上で自分の納得できる終わり方にまで考えが及んでおる。

 まだ学生の、その年で……私とは大違いだ」

「……御法川さん、あなたは」

「ああ、私はまだ自分の納得できる終わり方を見つけられていないのだ。

……荒木君、柊君、どうか私の話を聞いてほしい」

 

 そう言って御法川は語り始めた。

 自分の過去を、これまで歩んできた人生を。

 

「自分で言うのもなんだが、私には商売の才能があってな。

 その才能を振るうことに強い喜びを感じていた。

 努力の結果、一代にして大きな財産を築けたのだが……最後に待っていたのは孤独だった」

「……ご家族は?」

 

 この家には使用人が何人かいるが、家族に関しては影すら見当たらない。

 孫どころか、子も妻も、誰一人。

 これほどの財産を築き上げた男がだ。

 

「……昔はいた。

 とはいえ仕事にかまけて蔑ろにしていてね……。

 家族全員から嫌われていたよ。

 家には滅多に帰らず、子供の授業参観に行ったことは一度もない。

 先立った妻が最後に私へ残した言葉は……恨み言だけだったよ」

「……」

「娘夫婦も事故で死んだ。

 それでも私は仕事を優先した。

 葬儀にすら行かなかった。

 そんな家庭に嫌気が差したのか、唯一残っていた家族の孫娘まで家を飛び出してしまった。

 それでも私には仕事があると自分に言い聞かせて、孤独から目を背けていたのだが……若い頃の無理がたたり引退を余儀なくされてしまい。

 これが人生の終着点を見つけようともせず、走り続けることばかり考えて、自分の過ちに気づかないまま生き続けた男の末路だ」

「……俺達を家に招いたのは」

「礼をしたかったという気持ちに偽りはないが……正直に言おう。

 常々私は、もし超常の力を操る存在と出会えたら、若返らせてもらうか、寿命を増やしてもらいたかった。

 私はまだ満足していない、もっと人生を謳歌したかった」

 

 それは、当たり前の考えだろう。

 人が死を恐れるのは当然のこと。

 それは悪魔に立ち向かうと覚悟を決めた俺達もまた変わらない。

 

「だが……君たちの話を聞いて考えが変わった。

 自分の死に方を選びたい。

 この寿命が尽きる間に、人生の集大成となる何かを残したい。

 生きた証を、この世に刻みたい。

 私の送ってきた人生には、いったいどういう意味があったのか?

 それを知りたいと思った。

 だが……私にはもう何もない。

 仕事ができる身体ではないし、

 妻も、娘も、娘婿も、全て先立たれてしまった。

 孫娘にも……いいや。

 そうだ……園子はまだ生きている筈だ……私は園子に会いたい……!

 あの子に謝り、私の持つ全財産を託したい……!

 荒木君、柊君、君たちの超常の力や存在と接してきた知見と技術を頼らせてほしい。

 私に用意できるものなら何でも差し出そう。

 どうか私の孫娘を探し出してくれないか?」

 

==

 

 あの後、依頼を承諾した俺達は、御法川の別荘に泊まることにした。

 御法川の余命は短い。

 それはカラスの悪霊の存在や、医者の診断結果から、その事実が示唆されている。

 悠長に構えてはいられない。

 なので御法川の家に泊めさせてもらい、俺達は急ぎ孫娘の行方を追った。

 

 それから数日後。

 

 俺達は一つの解決策を導き出した。

 だがその方法には、大きすぎる危険があった。

 一度御法川から意見を聞くために、彼に報告することにした。

 

「ゴホっ、ゴホっ……それでは経過を聞かせてもらおうか」

「はい、俺達はまずある悪魔を頼りました。

 名前はアイニ、占いを得意とし、隠された物事に関する質問に対して真摯に答えてくれる悪魔です。

 彼女を頼れば、行方をくらませた園子さんの居場所を特定できると考えました。

 幸いにして交流があったため協力も得やすいと」

 

 アイニは俺の高校時代、遭遇した悪魔の一柱だ。

 高位の悪魔ではあるが、俺達は彼女の夢を叶える手伝いをした過去がある。

 アイニ自身も当時のことに恩義を感じてくれていたようで、快く協力してくれた。

 

「しかしながらアイニの捜索は失敗しました。

 彼女曰く、妨害されたそうです。

 魔術的な干渉によって。

 そこで彼女はこう判断しました。

 娘さんの失踪には魔術師か悪魔が関わっていると」

「なんだと……?」

「おそらく力はアイニと同格、あるいはそれ以上。

……思い当たる節はありませんか?」

「いいや、私には……数馬、お前は何か知っているか?」

「……園子様は、ある日を境に誰もいない場所へ話しかける様子が増えていました。

 寂しさを紛らわせるためのものだと思い、見過ごしていましたが……」

「なぜ知らせなかった──いいや、お前に当たるのは筋違いだろう。

 あの時の私は、本当に家庭を顧みていなかったのだから……」

「旦那様……」

「……園子さんが消えた日に、何か失われてしまったものはありますか?」

「……覚えているか数馬?」

「いくつかの衣服と金銭、宝石箱と、菜園室で栽培していた希少薬草です。

 具体的な情報は本邸に戻り記録書を開かねば確認できませんが……」

「生活費を工面するために持ち出したのではないのか……?」

「その可能性もあります。

 アイニは伝承で、嘘を吐くことで知られている悪魔なので。

 ただ俺達の所感からすると、これは真実だと思われます」

 

 衣服と金までは分かるが、宝石を換金するとなれば出自を疑われる。 

 薬草に関しても態々家出の際に持っていくようなものではない。

 

「おそらく御法川園子さんは悪魔の力を頼り、家から逃げ出しました。

 そして、悪魔の正体もおおよそ見当がついています。

 人を国から国へ渡らせる権能を持つ悪魔。

 しかも、アイニと同格かそれ以上の大悪魔。

 自分の調べた限り、この条件に当てはまるのはこの悪魔のみ。

 ソロモン72柱、序列18、地獄の公爵バティン。

 彼は薬草や宝石に詳しいとも語られています。

 失われたという宝石箱や希少薬草。

 園子さんは、それらを対価としてバティンに差し出したのかもしれません」

「つまり、園子を見つけることは難しい、ということなのか……?」

「アイニはバティンと同じくソロモン72柱に数えられる高位悪魔です。

 彼女の捜索が失敗したとあっては、並大抵の手段では見つけ出すことはできないでしょう」

「園子を攫った悪魔に話を伺うことは」

「既に試しましたが召喚には応じてもらえませんでした。

 原則、悪魔は契約を重んじます。

 召喚に成功したとしても、もし園子さんが自分の居場所を口外しないよう契約に含んでいたのであれば、バティンは決して口を割らないでしょう」

「……そうか」

「ですが……一つだけ手段があります……とはいえ……」

「……?」

「……いいえ、説明しましょう。

 解決策、それは同じくソロモン72柱の悪魔アミーです」

 

 それは教会から譲り受けた悪魔召喚書の一冊に記された名前だった。

 

「アミー、ソロモン72柱の悪魔であり、序列は58。

 ハデスの王国に住まう偉大なる総督であり、36の悪霊の軍団を統べています。

 最初は燃え盛る炎の姿で現れ、やがて長槍と生首を持った魅力的な男の姿へ変わる。

 あるいは召喚者の望む、美しい人間の姿へ。

 権能は占星術をはじめとした学問に優れた知恵を授けること。

 優秀な使い魔を与えること。

 そして──悪霊や悪魔によって隠された財宝の在処を明らかにすること」

「財宝……?」

「人間に対しても有効だと考えました。

 園子さんが悪魔によって囲われているなら、見つけ出せる可能性があります」

 

 探しものを得意とするソロモン72柱の悪魔は数いれど、悪魔や悪霊によって隠された財宝の在処を明らかにするというのは、アミー固有の権能だ。

 アミーの召喚魔導書が手元にあったことは幸運と言わざるをえない。

 とはいえおそらくこの幸運も、GMによって仕組まれたものなのだろうが……。

 

「……ですが、アミーは非常に危険な悪魔です」

「……危険?」

「人のすすり泣く声を好み、誹謗中傷を撒き散らし、

 そして──契約の代償には魂を求める」

「……魂」

 

 アミーの説明を聞いた御法川は震えた。

 覚悟を固めていたはずの顔が、目に見えて揺らぐ。

 

「……どうして、教えてくれた?

 君達からすれば、殺人の片棒を担ぐようなものだろう……?」

「伝えるべきか悩みました、柊にも何度も止められました」

「ならばどうして」

「……俺なら、知っておきたい」

「……」

「自分の人生の結末くらい、自分で選びたいんです」

 

 俺にはこれが正しいことなのか、間違っていることなのかは、分からない。

 ならばせめて、自分の気持ちに正直に。

 自分が御法川の立場ならどうしたいのか、そう考えて。

 

「……私は、園子と仲直りをしたかった。

 そして共に余生を暮らし、看取ってもらう未来を夢見ていた。

 だが、悪魔を頼ってしまえば……」

「……難しいと言わざるを得ません。

 契約を結べば、あなたの魂はアミーのものになってしまう。

 向かう先がハデスの王国か地獄かは分かりません。

 ですが少なくとも安らかな場所ではないでしょう」

「……」

 

 御法川は目を伏せた。

 それからしばらくの沈黙が続いた後、こう語った。

 

「……私は、私の本心が分からない」

「……」

「本当に終わりを受け入れたいのか。

 それとも、ただ死ぬのが怖いだけなのか。

……自分の本心を確かめたい、一度アミーに会わせてくれ」

「……文献によっては、対価の魂は召喚者当人のものでなくても構わないと記されています。

 こちらもできる限り手を尽くします。

 準備を整えたうえで、アミーの召喚に挑みましょう」

 

==

 

「『──さらば来たれ、アミーよ、今すぐに。 

 またいかなる地の果てよりでも構わぬ、ここに姿を現し、我が求めるすべてに理性的に答えよ。 

 平和的に目に見える姿で──』」

 

 夜間の御法川邸。

 この部屋にいるのはヒソップに着替えた俺と柊と御法川の三人だけ。

 背後にはアミーの交渉材料として用意した貢物が積み上げられている。

 

「『──親しみをもって、明瞭かつ理解可能な言葉で、曖昧さなく我に語りかけよ』」

「──呼びかけに応じ参上した、私がアミーだ」

「……!」

 

……来たか、アミー。

 どこからともなく声が聞こえた。

 しばらくすると、暗闇の中に火が灯る。

 炎はゆっくりと人の形を取っていく。

 

 現れたのは、二十代後半ほどの男。

 洒落たストライプスーツを着こなし、口元には余裕の笑みを浮かべている。

 

 アミーは炎を纏い現れた後、手に長槍と生首を持った魅力的な男の姿。

 もしくは召喚者の求めに応じて魅力的な人間の姿に変わるとされている。

 アミーの手には長槍と生首は存在しない。

 おそらくは後者に当たる。

 どこか、面影を感じる顔立ちだが──

 

「……まさか、アミーの姿は」

「ああ……」

 

 奥歯がこすれる音が聞こえた。

 御法川は俯き、握りしめた拳は白く染まり震えている。

 

「……あの頃の、私だ」

 

 悔しそうに呟く御法川。

……失敗だ。

 御法川はまだ、自分の人生を諦めきれていなかった。

 

「くくく……なるほどなるほど、おおよそ事情は理解した。

 前置きは省いて話を進めよう。

 私が望むもの、それは──老人、お前の魂だ。

 虫や家畜ではない、従者や奴隷でもない。

 この館の主たるお前自身の魂を私は望む」

「……っ!」

 

 悪魔め……人の心を抉ることに躊躇がない。

 

「どうした? 私を招くと決めた時点で、理解はしていた筈だろう?」

「そ、それは……」

「言ってみろ、お前の望みを、お前の願いを。

 お前の魂を対価に、私が願いを叶えてやると言っているのだ」

「お、……お許しください」

「何を許せというのだ? 私はまだお前から何の願いも聞いていない。

 お前の魂が望む願いとつり合いが取れるのか心配しているのなら安心しろ。

 多少の融通なら利かせてやる、何しろ今の私は機嫌がいいからな」

「う、ぐぅ……」

「フハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 老人のすすり泣きと、悪魔の哄笑が部屋に満ちる。

 人の不幸を舐め回すような、粘ついた笑い声だった。

 

……俺はどこか、この老人を、自分の未来と重ね合わせて見ていた。

 エクソシストとして歩み続けた終着駅。

 そこで俺は自分の信念の旗を立てられるかと。

 

 しかし、老人は悪魔に説き伏せられ、笑いものにされている。

 生きた証を残せないまま人生を終えようとしている。

 

 この老人は俺ではない。

 分かってる、そのぐらいは。

 だけど、それでも……他人事にできなかった。

 

「ああ……満足だ、お前の道化ぶりは十分に私の退屈を紛らわせてくれた。

 覚悟もなく呼び出した無礼はこれで許してやる。

 ここで私は暇とさせてもらおう──」

「──これで、いいんですか……?」

「……?」

 

 そのアミーの視線が、柊へ向いた。

 

「本当に、これでいいんですか……?」

 

 それは……柊の口から思わず零れた言葉だったのだろう。

 御法川に負けてほしくない。

 こんな悪魔に、人生そのものを嗤われたまま終わってほしくない。

 あなたの決意は、こんな悪魔に決して貶されるようなものではない筈だと。 

 柊は今日までこの儀式に反対し続けていたというのに。

 これは老人を死地に追いやることだと同義だというのに。

 止められなかったのだ。

 堰き止めていたものが溢れ出してしまったのだ。

 だからこそ、その言葉はどこまでも剝き出しの感情がこもっており──

 

「……違うッ!」

 

──御法川の胸に、真摯に響いてしまった。

 

「何が違うというのだ。

 この姿を見ろ、これこそがお前の生への執着。

 死に怖気づいたお前の心を証明する姿だ」

「確かに、私は死を恐れている……!」

「であるならば」

「しかし! ここにあなたを招くと決めた思いもまた、本物なのだ!!」

 

 老人は叫ぶ。

 喉が枯れんばかりに。

 残り僅かな命に火を灯すように。

 燃え残った人生の全てを、薪としてくべるように。

 

「私はまだ生き永らえて、あの日のように挑戦を続けたいという浅ましい願いを捨てきれずにいる! 

 自分が臆病で傲慢でどうしようもない人間であると認めざるをえない……!

 だがそれでも、私はここにいる……!

 自分の犯した罪と向き合うために!

 この魂を差し出しても、己の願いを叶えるために!」

「……」

 

……これは。

 アミーが再び火に包まれた。

 しばらくして姿を現したのは、老い衰え、若き日の活力を失った、瘦せ細った無力な老人。

 しかしその背後には、先ほどまではいなかった四人の幻が現れていた。

 綺麗な洋服を着た利発そうな13歳ほどの少女。

 その両隣に佇み少女と手を繋ぐ30代ほどの夫婦。

 御法川とアミーの対話を静かに見守る70代ほどの女性。

 これはいったい……。

 

「園子……! 静香、司……! 小春……!」

 

 御法川はアミーの後ろにいる4人を見つめ、ぽろぽろと涙を流していた。

 その態度を見て分かった。

 御法川朋睦の願いが変わったのだ。

 

「アミー様、どうかお願いします……!

 私の宝がどこにあるのかお教えください……!」

「対価はお前の魂だ」

「理解してのことです……!」

「……全ては見つからん。

 代償が足りないからではない。

 お前の宝の大半は、もうこの世に存在しないからだ」

「それでも、かまいません……!」

 

 アミーは眉にしわを寄せながら舌打ちをする。

 そして忌々し気に溜息を吐いた。

 飲まざるをえない苦渋を、飲み込むように。

 

「……契約の詳細を詰めるぞ。

 書記は貴様だ、ペンを取れエクソシスト」

 

 それから一時間後。

 全てを託し終えた御法川は、静かに息を引き取った。

 

==

 

 浜辺に立ち、ぼんやりと海を眺める。

 

 この景色は今日で見納めだ。

 せめて焼き付けておこう。

 ここで過ごした時間を、忘れないように。

 

「先輩、ここにいましたか」

「柊か……悪い、探させたか?」

「大した手間ではありません。

……お孫さん、見つかってよかったですね」

「ああ」

 

 アミーの権能により、御法川の孫の居場所は突き止められた。

 どうやらアメリカにいたらしく、バイトをして日銭を稼ぎプロのミュージシャンを目指していたという。

 

「先輩の警戒していた、バティンさんという悪魔にも横やりを入れられずに済みましたし。

 とはいえお孫さんは、御法川さんの財産を引き継ぐことに、中々首を縦に振ってくださらないようですが」 

「孫の説得は俺達の仕事じゃない、あの爺さんの雇った弁護士の領分だ。

 不幸中の幸い、あの爺さんは家庭人としては落第でも、仕事人としては一流だったようで、部下たちには随分な慕われようだった。

 孫に財産が譲渡されるまで中抜きで消えるなんてことにはならないだろう」

 

 家庭人としては失格でも、仕事人としては尊敬される。

 そんな社会人は多いと聞く。

 御法川は典型的なそれだったのだろう。

 

「柊は……いや、なんでもない」

 

 これは俺の感傷だ。

 柊と分かち合うべきではない。

 

「御法川さんの背中を押してしまったこと、についてですよね?」

「……」

 

……勘の良い女だ。

 

「契約の最後。

 アミーさんは御法川さんに随分と苦手意識を示していました。

 どれだけ脅しても、御法川さんは笑って受け流していたので。

 もしかしたらハデスの王国でも、案外愉快に過ごせているのかもしれません」

「だけど、それは」

「……ええ、分かっています。

 これは罪悪感を紛らわせるための言い訳にすぎないことぐらい。

 私達が何も言わなければ、御法川さんがアミーさんに魂を奪われることはなかったでしょう。

 もしかすれば、残り僅かな余生を幸福に過ごせたかもしれません。

 お孫さんこそ見つけられましたが、考えれば考えるほどもしもが浮かんで苦悩は募ります」

「……ああ、俺は未だに分からない。

 自分が正しい選択をしたのか、間違った選択をしたのか」

 

 もっと他に、正しい選択があったのではないか。

 もしくはもっと俺に、手段を講じられる手札があれば。

 

「だけど私たちは人間なんですよ。

 奇蹟者でも、天使でも、神様でもない、ただの人間。

 正解だけを選び続けることはできませんし、全てを救うことはできないんです」

「……それは」

「だから選ぶしかないんです。

 自分の信じる正しさを、せめて逃げずに、後悔しないように。

 自らの過ちと向き合うために魂を差し出した……

……御法川さんのように」

「……」

 

 俺は、死にたくない。

 悪魔に魂を取られたくもない。

 だけどそれ以上に、誰かを助けたい。

 柊に胸を張れる先輩でありたい。

 正義の味方でありたい。

 その思いを貫き続ける限り、常に死の危険はつき纏うのだろう。

 ならばせめて人生の終わりくらいは、あの老人のように。

 

 悔いのない人生を送りたい──

 

「先輩」「柊」

 

──声が重なった。

 

「ど、どうぞ」

「いいや、お前からで」

「先輩の話から聞かせてください。

……た、大した内容ではないので」

「そうか……それじゃあ俺から話させてもらおう」

 

 一度深呼吸をして気持ちを整える。

 目を瞑り、頭の中で言葉を組み立てる。

 

「俺達は危険を承知でエクソシストの道を選んだ。

 そのうえで最後まで生き残るとも誓った。

 だが道半ばで倒れてしまう可能性は否めない。

 悪魔との邂逅は常に死と隣り合わせだからだ。

 だからそうなる前に、後悔を残さないよう、自分の気持ちに正直でいたいと思った。

……柊、お前に伝えたいことがある」

「っ! な、なんでしょうか……?」

 

 これは一世一代の大勝負だ。

 柊が俺に対して、どんな感情を向けているのか、おおよそ見当がついている。

 だがそれでも、この世に絶対はない。

 もしかすれば断られてしまうかもしれない。

 嫌な想定が頭の中を駆け巡る。

 

「俺と……」

 

 だがそれでも、練り上げる。

 言葉を、感情を、誠実に。

 自分の中にある全てを注いで。

 あの老人のように。

 魂に火を灯すように。

 全身全霊で、勇気を振り絞る。

 

「俺と……!」 

 

 さあ言え。

 お前は柊とどうありたいのか。

 自分の想いを言葉にしろ──

 

「──な、名前で呼び合わないか……?」

「え」

 

 

第三章 勇気の行方 完




 第三章、これにて完結です。

 推敲を重ねた結果、自分でも納得のいく物語になりました。
(クオリティ維持のため、予定していた一話を削って閑話に差し替えることにはなりましたが)

 ここまで書き切れたのは、間違いなく皆様の応援のお陰です。
 感想や応援、本当に励みになっていました。
 ありがとうございます。

 ひとまず書き溜めは尽きてしまいましたが、執筆活動そのものはこれからも続けていくつもりです。
 もしよろしければ、また次のシナリオで。
 あるいは新作で、お会いできれば嬉しく思います。

 ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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