悪魔の現れるTRPG世界に転生してしまった 作:いかのしおから
中々評価がつかず心配していましたが、催促してみるものですね……。
「ふーん? あの人間嫌いの荒木が、正義のエクソシストねぇ」
「す、すいません先輩……」
時刻はまだ学校に人気のない6時頃の早朝。
場所は俺が普段通っている2年の教室。
一つ机を挟んだ先には、長くウェーブのかかった明るい茶髪に、見るからに性格のキツそうな人相の女が、足を組んでふんぞり返っていた。
その隣には柊が肩を落として縮こまっている。
柊から救援を求める連絡を受け、こんな早朝から学校にやってきたわけだが……よく分からん状況だ。
「あんたが悪魔祓いだっていうなら、さっさとこの悪魔を退治しなさいよ。
それともあんたまでこの脳にいく栄養が全て乳にいった雌牛の誘惑に屈したっていうの?」
「わ、私は悪魔でも雌牛でもありません」
「黙りなさいこの怠惰に塗れた贅肉だらけの養畜場の雌豚が!
ちょっと見目が良いからって調子に乗って! あんたみたいな男に媚びる事しか能のない雌猫に、この私の言葉を否定する権利があると思っているの!」
悪魔なのか、雌牛なのか、雌豚なのか、雌猫なのか。
巧みな語彙で声を荒げるのは俺のクラスメイト、天下原玲奈だ。
とはいえ交流は全くない。
今まで天下原は俺の交友範囲に足を踏み入れてはこなかったというのに、なぜ今になって柊と接触したのやら。
「──天下原(あまがはら)、天下原玲奈(あまがはられいな)」
「なによ荒木」
「そういきり立たれては事情が分からん。
一旦気持ちを落ち着かせて、詳しい話を聞かせてくれ」
俺は柊に助けを求められて早朝から学校に来たものの、話の内容はまだなにも聞かされていない。
だから事情を伺うために天下原が落ち着くよう促したが、それは彼女にとって火に油を注ぐだけだったようで。
「説明も何もないわよ! この淫乱サキュバスが私の彼氏を誘惑するから、あんたに祓ってもらいたいって言ってんの!
毎夜毎夜、彼氏のうちにやってきて……もう我慢の限界だわ!」
サキュバスっていうと、言わずと知れた女淫魔か。
「落ち着けって、どうして柊をサキュバス扱いする?
俺には柊がそんなことするとは思えん」
「だって昨日デートをしていた時、柊を見た彼氏がそう言ってたもの! 夢の中に現れる女の姿そのものだって! サキュバスは男が理想とする女の姿に変身するそうじゃない!? 見なさいよこの馬鹿みたいに膨らんだ下品な胸を! しかも顔まで可愛いなんて男にとって都合が良すぎるでしょ! 現実にいていい存在ではないわ! さっさと変身を解いて卑しいサキュバスであることを明かしなさい!」
「へ、変身なんてしてないって言ってるじゃないですか!?」
「黙りなさい! 男を節操なしに誘惑する万年発情期の雌犬が!」
今度は雌犬かよ。
しかし柊がサキュバスだと誤解されるとはな……確かにこれだけ顔が良くて、スタイルも恵まれているとなると、あまりにも男にとって都合が良すぎて、少々現実味がないところはある。
サキュバス被害を受けているカップルが、柊を見てお前はサキュバスだと魔女狩りを行いたくなる気持ちは分からなくもない気がした。
「でも、この子を捕まえて一日監禁したのだけど、その日の晩も彼氏のところにサキュバスが現れたのよね。
いったいどうしてかしら……」
「……」
今回の悪魔事件、警察呼んだ方が手っ取り早いような気がしてきた。
「先輩、お願いします……! 助けてください……!」
柊は怯えきった表情で、目尻に涙を浮かべなら俺を見上げている。
「はぁ」
俺は前回、柊が悪魔事件に首を突っ込んでも助けないと決めた。
それは北極の氷山や万里の長城にも勝る、堅牢にして断固たる決意だった。
だが……今回柊に落ち度があったわけではない、頭のおかしい奴に巻き込まれたのと、そいつの彼氏にサキュバスがちょっかいをかけたのが原因だ。
俺は自分に課したルールで、友達を見捨てないと決めている。
こんな馬鹿らしい問題に関わるのは正直言って不本意でしかないが……しょうがない。
「天下原、依頼の内容はサキュバスの悪魔祓いでいいんだな?」
「そうよ! この女を法律に引っかからない方法で抹消してちょうだい! 勿論私も全面的に協力するわ!」
「柊は普通の人間だ、サキュバスは他にいる。
協力するから、柊が悪魔じゃないと分かったら解放してやってくれ」
こうして俺は再び悪魔事件に関わることになった。
==
一先ず俺達はサキュバスが現れたという事件現場、天下原の彼氏の家にやってきた。
天下原の彼氏の家は高級高層マンションで、階層は最上階。
なんとなく天下原が金持ちの親の子だろうとは感じていたが、どうやら彼氏も釣り合いの取れたブルジョアジーのようだった。
「紹介するわ、こちらが私の彼氏の雄吾よ」
「え、ええっと、玲奈ちゃんの彼氏の峯田雄吾です、大学生です」
紹介された彼氏は、すらっと背が高く、髪は茶髪に染めており、着ている服装のセンスの良さから、かなりのモテ男なのだろうと想像できた。
合コンに参加すればきっと異性の入れ食いだろう。
いいや、あの天下原と付き合っておいて、合コンに参加させてもらえるわけないか。
「そしてこっちが私のクラスメイトにして、このドスケベサキュバスを祓ってくれるエクソシストの荒木明よ」
「……玲奈ちゃん、それに関しては誤解だって言ってるだろう?」
「あなたまたそんなこと言って悪魔の肩を持つつもり!?」
不幸中の幸いというべきか、彼氏はまだ話の通じる人間らしい。
「早速だが改めて事情を説明してくれないか?」
「はぁ? 今朝説明したじゃない、聞いてなかったの?」
「今朝の説明だと簡潔過ぎて細かいところが何も分からない。
冒頭から説明してくれ、彼氏さんにも補足してもらえると助かる」
天下原は苛立ちを抑えきれない表情で俺をねめつけた後、一呼吸置いて態度を落ち着かせ、こう語り始めた。
「……分かったわよ。
あれは一週間前だったかしら、私はよく彼の家に遊びに行ったり、泊まりに行ったりしていたのだけど……ある日の晩、妙な足音が聞こえると思って目が覚めたら、なんと雄吾のベッドに柊がいたの」
「柊は悪魔じゃない」
「……女の影が見えたの!
暗くてちゃんとは見えなかったけど、私の彼氏にふざけたことをしようとしているのは一目でわかったわ。
怒りのあまり声を上げて叩きのめそうと駆け寄ると、その女はすぐさま窓の外から逃げ出したの。
そして起きた雄吾に話を伺うと、淫夢を見ていたと言っていたわ」
「それで女の正体がサキュバスだと分かったのか」
「ええ、だけどサキュバスの襲撃はその日だけでは終わらなかったわ。
毎夜毎夜現れて、追い払っても追い払ってもやってきて、まるで台所に現れるゴキブリのような存在だわ……。
私の彼氏を狙うだなんて許せない……荒木、早急にサキュバスを退治しなさい」
「天下原の主張は分かった。
彼氏さん──峯田さんから補足情報はありますか?」
悪魔の情報収集において片方だけの意見に耳を傾けるべきではない。
催眠術や情報操作を行える悪魔は大勢いるし、何より情報源がとち狂った天下原だけなのは信用できない。
邂逅者がもう一人いるなら、そちらからも話を伺っておくべきだろう。
「玲奈ちゃんの説明は殆ど合ってるんだけど……僕としてはサキュバスを退治するのは、一旦考え直してほしいんだ」
「というと」
「僕ら人間が肉や魚、野菜や水を食べて生きているように、サキュバスにとって男の精は生きるために必要な食事なんだろう? 僕は同じ世界に生きる隣人として、無益な殺生はするべきではないと考えている。
僕一人が労力を割いて誰かが救われるなら、それでいいじゃないか」
まるで信心深い仏教徒のようなことを言うが、台所に殺虫剤とハエたたきが置かれているのを既に確認している。
この男、サキュバスに襲われる現状を満更でもなく思ってやがるな。
柊と天下原は峯田に見下げ果てた野郎だと呆れた視線を向けている。
「なるほど、助けは必要ないようだ、帰るか柊」
「あ、はい先輩」
「待ちなさい! 雄吾はともかく私は納得してないわよ!?
それと雄吾! あんまりふざけたことばかりのたまうつもりならただじゃおかないわよ……!」
「ご、ごめんごめん」
柊の手を引いてさっさと帰ろうとしたが、天下原が両手を広げて立ち塞がる。
ちっ、目敏い女だ。
「はぁ……お二人はサキュバスについて色々調べたようですが、こんな説はご存知ですか?
サキュバス両性具有説」
「……き、聞いたことないな」
「知っての通りサキュバスは男にとって理想の姿で夢の中に現れ、精気を奪う悪魔ですが、これをする理由には食事以外にもあるのではないかと考えられました。
その発想の元となったのがインキュバス、男版のサキュバスです」
「インキュバス……?」
知らないか、まあサキュバスと比べて知名度が低いからな。
「インキュバスについて簡単に説明すると、サキュバスが女の姿で男の夢に現れ精を奪う悪魔であるように、インキュバスは男の姿で女の夢に現れ子供を宿らせる悪魔です。
一説によるとこの二種の悪魔は同一存在であり、サキュバスには自ら子供を作る能力がないので、人間の男の精を奪った後、インキュバスに変身し、その奪った精を人間の女性に注ぎこみ子供を作るのだとか」
「……?」
「……つまりは奪った精液で托卵を行う生態があり、峯田さんの子供がどこかで生まれている可能性もあるわけで。
また天下原さんが被害にあえば、峯田さんではない別の男の子供を宿すことになるかもしれません。
更に一説によると生まれてくる子供は異形の化け物だとも」
「……!」
峯田はようやく危機感を抱いたらしい。
天下原は冷や汗をかきながらもツンとした澄まし顔で目を瞑り虚勢を張っているが、峯田は分かりやすく顔を青ざめさせている。
自分が美味しい思いをするのは受け入れるが、流石に自分の彼女に他の男の子供が宿るのは許容できなかったようだ。
それに俺はドラマや小説の知識でぐらいでしか知らないが、金持ちの息子となれば後継者問題には気を使っているだろうし、サキュバスが原因でお家騒動に繋がるのは避けたいだろう。
サキュバスの脅威度は3(有害)──暴力性は低いが、放っておけば人間関係に深刻な亀裂をもたらしかねないので、有害と認定された。
「雄吾に向かったサキュバスの襲撃は私が全て防いでいるし、今のところ私の方にも被害はないわ」
「う、うん、確かその筈……あ、荒木くんだったね?
やっぱりサキュバスへの対処、お願いしてもいいかな……?」
「……では一つ解決策を提示させていただきます。
サキュバスやインキュバスは、遭遇者が強い心を保ち誘惑を撥ね退ければ訪れなくなるとされています。
なので今後サキュバスが峯田さんのもとに訪れても決して誘惑には屈さないよう毅然とした態度を取ってください」
「わ、分かったよ」
本当に分かってるのか?
……今はひとまず彼を信じて任せるしかないか。
「とりあえず、柊のご両親も心配してる筈なので、今日はこいつを連れて帰ります」
「ちょ、ちょっと、悪魔を祓ってくれるって言ってたのに、それだけなの?」
「これが一番穏便な対処法なんだ。
戦えば抵抗してくるだろうし、俺も怪我はしたくないからな。
それに俺達にだって学校や勉強、友達付き合いなんかの生活がある。
お前らにだけ構っているわけにはいかねえんだ」
「……柊はともかく荒木に友達なんていないじゃない」
「俺にだって心配してくれる家族ぐらいはいる」
そして、柊という友達も。
そもそもの話、俺の目的は友人である柊の奪還だ。
俺の友達である柊を誘拐した天下原のために、これ以上親身になってやる気にはなれない。
少なくとも今はとてもそんな気分にはなれなかった。
一瞬インキュバスの被害が柊に向かう可能性についても考えたが、『ニコラウスの金貨』を持っている柊に、態々インキュバスが近づこうとも思わんだろう。
脅威ではあるが、悪魔としての格自体は低い筈だし。
俺の家に来るようならむしろ美味しい──げふんげふん、直々に祓ってやる、護身は完璧、態々俺達から出向いてサキュバスを祓う必要はない。
「……」
「どうにもならなきゃ別の解決策を提示する。
とりあえず今は彼氏を信じてやれ」
「……分かったわよ」
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天下原は、日に日に憔悴していた。
サキュバスは来る日も来る日も峯田の寝床にやってきたという。
峯田はサキュバスの誘惑を振り切ることができず、襲撃が来る都度天下原は対応を迫られているのだとか。
となれば夜を通して警戒を迫られることになり、彼女が寝不足になるのは当然だった。
「荒木……無理だわ。
私の彼氏にサキュバスの誘惑を撥ね退けるなんて、初めから無理だったのよ……」
「……しゃあないか。
天下原、今晩からお前の彼氏の家に泊めさせてもらうよう言っておいてくれ」
峯田に期待するのは無理だと断定した俺は、作戦を切り替えた。
この話をすると自分も加わりたいと言ってくれた柊や、天下原、その彼氏など参加できるメンツを総動員して、峯田の家に泊まり込み、夜間にやってきたサキュバスをとっ捕まえて叩きのめす方針に固める。
しかし──
「先輩そっち!」
「うおっ!? 天下原捕まえろ!」
「ああもうっ! あの悪魔また逃げやがったわ!」
峯田に付き纏うサキュバスは妙に小賢しくすばしっこかった。
聖句の火で炙ってやろうとしたが、サキュバスには蝙蝠に化ける能力があり、俺が聖句を唱えようとすると、窓や通気口などから飛び立って逃げられてしまう。
出入りする道を塞いでも意味はなかった、サキュバスは鍵開けや通り抜けの魔術を修めているようで、俺達の妨害を悠々と通り過ぎ峯田の寝室まで辿り着いてしまう。
ならば以前ラインカーと塩で作った結界を応用した罠を仕掛けようとしたが、用意した日は悉く侵入を避けるという警戒心の高さ。
サキュバスもこれだけ妨害を受けているのだから、いい加減諦めればいいものを執念深く峯田を付け狙っており、正直、お手上げの状態だった。
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今のやり方では解決困難だと判断した俺達は、改めてサキュバスの対策会議を行うことになった。
場所は一等地の高層マンション、峯田の部屋のリビングだ。
「いやーあはは……本当ごめんねぇ」
「あははじゃないでしょうが……。
荒木ぃ……あんたエクソシストなんでしょう……どうにかしなさいよ」
「……悪いが、俺の実力だと、あいつを力ずくで祓うのは難しいかもしれない」
「どうしてよ……」
「見てたから知ってるだろう、捕まえられないからだよ。
色々試したが、あいつが家を出入りする能力は、俺達の対応力を超えている」
直接対決になれば追い払える相手ではある。
しかし今回の悪魔事件における勝利条件は、峯田にサキュバスが近づかないようにすることだ。
魔術や知恵を絞って巧妙に立ち回る奴を捕まえて打ちのめすのは、俺の実力では無理だった。
「それに……結界を維持するのにかかる材料費もしんどくなってきた」
「……材料費と言っても紙やインク、塩やハーブぐらいでしょう。
それぐらいなら、私達が払ってあげるから」
「それに加えて、睡眠時間の確保も」
「……」
この事件に首を突っ込み続けていれば、俺達は確実に身体を壊すだろうし、だからといって学校を休んで寝るわけにもいかない。
そんなことをすれば普段の勉強や人間関係などにも響いてくるだろう。
「……天下原が柊から俺についてどう聞いたのかは知らないが、エクソシストといってもプロじゃない、多少知識があるだけのアマチュアだ。
碌に専門的な装備は持っていないし、悪魔祓いの経験だって多くはない。
これ以上続けるのなら、他のエクソシストを探してくれ」
「探したわよ……でも、どいつもこいつも詐欺師未満のクズばかりで、あんたみたいな本物はどこにもいなかったのよ……!」
確かに、「エクソシストTRPG」世界において、エクソシストを騙る者は多い。
この世界には悪魔がおり、悪魔の被害を受けた邂逅者が大勢いる。
しかし、悪魔に関する正確な知識は共有されていないせいか、彼らの不幸につけこむ詐欺師に溢れていた。
本物のエクソシストを見つけるのは困難を極める。
たとえ本物を見つけられたとしても、足元を見て膨大な報酬を要求されることもありえるだろう。
「諦めてたまるもんですか……雄吾は私の彼氏よ……絶対に悪魔なんかには渡さない!
例え荒木が力を貸してくれなくても、私一人でも追い払ってやるわ……!」
そんなにこの彼氏が大事か。
付き合っている彼女がいながらサキュバスの誘惑に誘われるような男が。
「俺と柊は一旦家に帰って寝る。
止めるなよ、柊が悪魔ではないのは、ここ数日で分かった筈だ。
お前が邪魔をする権利はない」
「……分かってるわよ」
「一応他に何か対策がないか調べてみるつもりだ。
使える知識が見つかったら伝えるから、そっちはそっちでがんばってくれ」
「……」
天下原の瞼の下には濃いクマができている。
最初は俺の身内に手を出したということで恨みしかなかったが、こうも頑張りが報われないと流石に可哀そうに思えてきた。
とはいえ破滅するまで付き合ってやる理由はない、俺にとって大切なのは、自分と家族、そして友人だけなのだから。
「……」
だが……最近学校で天下原と会話をする機会が多いせいで教師から探りを入れられている、天下原は大丈夫なのかと。 ここでこいつを見捨てれば、教師からの心証を損ない、内申書に傷がつくかもしれない。
それに対策を調べてやると言ってしまった。
例え他人でも嘘はつきたくない、もう少しだけ気にかけてやるか。
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学校終わりの夕方。
俺と柊は、近所で最も多くの蔵書を誇る、大学付属の図書館にやってきていた。
目的はサキュバスの対処法が他にないか探すためだ。
「──『キリスト教の教義では婚前交渉が認められておらず、悪魔の存在が信じられていた当時では、女性が婚前に子供を設けた場合、インキュバスを不義密通の言い訳として役立てていた』──うわぁ、色んな意味で怖い内容ですけど、この本に書かれた内容も、悪魔祓いには使えそうにないですね」
知名度もあってか、サキュバスやインキュバスが記された文献は多かった。
情報が皆無な悪魔と比べれば、情報が多いのはありがたいことである。
しかしその分必要な情報にアクセスするのに時間がかかる、別々の本を読んで同じ情報が重複することも多く調査には難航していた。
「せっかく天下原から解放されたんだから、こんな面倒事ほっぽりだして普段の生活に戻ればよかっただろうに」
「敬愛すべき先輩に働かせておきながら、後輩の私が休むわけにはいきませんよ。
それに天下原先輩とは友達になりましたから。
困っている友達は見捨てられません」
「あいつと友達ねぇ……峯田の家で仲良く話してたのは見ていたが、いったいどんな話をしていたんだ?」
「……恋愛相談です」
恋愛相談。
ただ単に天下原の愚痴を聞いていただけかもしれない。
だが、もしかすれば柊から天下原に何か相談を持ちかけた可能性もある。
だとすれば、柊には気になる異性がいるということ。
「どんな内容なのか聞いてもいいか?」
「駄目です」
「なんで」
「なんでもです、先輩にだけは教えません」
「……」
柊は顔を赤らめそっぽを向く。
なんだそりゃ、天下原には話せて俺には話せないってどういうことだよ。
……もしかして柊が気になっているのは俺? ──なんてのは冗談が過ぎるか。
きっと柊のことだから、学校の男子から告白やラブレターを受け、どう返答するべきか悩んで相談したのだろう。
男女の違いだとは分かっていても、数日関わっただけの天下原には話せて、俺には話してくれないというのは少し悔しいところだ。
しかし、柊にもいつか、彼氏ができるんだろうか。
そうなればこうして関わることも少なく──いいや、柊のことだから、きっと悪魔事件と関わって助けを求めてくるのだろう。
なら寂しく思う必要はない。
……いいや。別に、柊が離れたところで寂しくないけどな。
「やっぱり、『ニコラウスの金貨』をお二人に譲った方がいいんでしょうか」
「やめておけ。
『金貨』はお前が貰ったものだ。
悪魔の被害を受けていると言っても、所詮は痴話騒動。
こんなくだらない騒動で譲り渡す必要なんてない」
「でも……」
「お前のことだから今後も確実に悪魔事件に関わる。
本当にマズイ事件と遭遇する時に備えて、その金貨はお守りとして常備しておくべきだ」
「……分かりました、先輩の言う通りにしておきます」
柊の悪魔と遭遇する頻度は明らかに異常だ。
まだ12月のクランプス騒動から新年度になってすらいないのに、これで4回目ときた。
今回のサキュバス事件を無事やり過ごせたとして、俺には次がないとは到底思えない、だから『ニコラウスの金貨』はいざという時の命綱として抱えておくべきだと思っている。
「教会に匿ってもらうというのは……いいえ、駄目ですね、この方法だと終わりがありません。
教会側にもお二人にも生活がありますし」
サキュバスは格の低い悪魔のため、教会への出入りは難しいだろうが、それは問題の引き延ばしにはなっても、根本的な解決策にはならない。
教会側にも都合があるだろうし、天下原と峯田にも生活があるのだから。
サキュバスを浄化するか、追い払う。
これができなければ天下原と峯田の平和は取り戻せないだろう。
「あ──先輩、この本を見てください。
牛乳の入った小皿を枕元に置いておくと、それを男性の、あ、あれと勘違いしてサキュバスが持っていき、被害者は無事で済むと書かれています。
これって、サキュバス対策に使えませんか……?」
「牛乳か、そういえばそんな方法もあったな」
思い出した、前世でやってたセッションでも、サキュバス対策として登場していた。
とはいえそれを試して得られた成果は微妙なものだったが。
「知っていたんですか?」
「ああ、といっても効果が薄く、今回相手しているサキュバスが妙に賢いもんだから、無意識に選択肢から外していた」
「あー……やっぱり駄目ですか」
「いいや、今は何一つ解決策が見つかっていない状況だ、試してみる価値はある筈だ。
柊から天下原に連絡しておいてくれ」
そうして柊から天下原に牛乳を使ったサキュバス対策を伝えられた。
すると天下原はこう言った。
『──効果が薄いというのなら、試行回数を増やせばいいだけよ』
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(ふふ……そろそろあいつらも徹夜疲れで動きが麻痺している筈、この攻防も今日でおしまいよ)
夜間、そいつは窓の鍵を外側から魔術で開け、忍び込んだ。
一見すれば若く美しい女性の姿ではあるが、鳥のような爪や蛇の尾を覗かせている。
彼女が人ならざる異形の存在であることは、少し見れば分かる外見だった。
(うん? なにかしら……まさかこれ、私への供物!?
遂に観念したみたいね)
窓際に置かれていたのは、牛乳の入った牛乳瓶。
彼女はそれを男性の精だと勘違いしたようで、いそいそと懐にしまい込んだ。
(ま、供物を貰ったとはいえ、メインディッシュを見逃すつもりはないのだけど──え)
サキュバスはぎょっと目を丸めた。
彼女は驚いていたのだ、目の前の光景に。
確かにベッドにはターゲットにしていた男が眠っている。
幸いなことに普段は妨害している女もベッドにはいない。
しかしベッド以外の場所には足の踏み場もないほどバケツが並べられており、その中には真っ白な液体で充満している。
(どういうことよ、これ……)
他の部屋を見ても白い液体だらけ、昨日まで魚を飼っていた筈の水槽や、水場のシンク、洗面台から浴槽の中、食器棚に飾られた食器類すべてに至るまで、すべてが白で満たされている。
これらの牛乳は、天下原が牛乳を使ったサキュバス対策法を取り入れるために、複数のデパートやスーパーから集められるだけ買い集めて作り上げた産物だった。
とはいえそんな事情を知る由もないサキュバスは困惑を極めた。
いいや、事情を知っていても困惑したに違いないだろう。
だって俺も困惑してるし。
「……出たわね、サキュバス……!」
「ひっ」
リビングの机の下から這い出てきたのは、幽鬼のような女。
目の下にはえんぴつでゴリゴリと何本も線を引いたようなクマができており、表情は引き攣った笑みと狂気で彩られている。
こいつか、こいつが自分を退治するためにこのような常識外れの準備を行ったのは。
ようやく状況を理解したサキュバスは天下原の狂気を恐れ足を竦ませる。
「そんなに欲しければ幾らでもくれてやるわ!!!!」
「うわあああ!?」
天下原は牛乳の入った金属タライを担ぎ、般若のような形相で追いかけ回す。
そのあまりの恐ろしさにサキュバスは自らの魔術や蝙蝠への変身能力も忘れて家の中を逃げ回る。
どっちが悪魔なのか分からなくなりそうな光景だった。
「うおりゃ!!」
「ぐへっ!?」
天下原の投げた金属タライは見事な放物線を描いてサキュバスに直撃。
フローリングには牛乳がぶちまけられ、サキュバスは目を回して気絶する。
「今よ荒木! このサキュバスを祓いなさい!」
「お、おう、行くぞ柊、峯田さん」
「はい先輩!」
「わ、わかった!」
ここまでお膳立てされてなお悪魔祓いができなければ、エクソシストTRPGプレイヤー失格だ。
俺と柊と峯田は、事前の計画通りに結界の上までサキュバスを引っ張って捕獲し、聖句を唱えてサキュバスを焼き尽くす。
「私の勝ちだわ!!!」
サキュバスは煙となって消えていった。
こうしてサキュバスと天下原の長きにわたる戦いは、天下原の愛と狂気と執念による勝利で締めくくられた。
お読みいただきありがとうございました!
もしよろしければコメント高評価お願いします!
=追記=
誤字報告ありがとうございます!