アメイジング・グレイス 作:にゅーとん
愚者
アリウスのカタコンベに侵入してからも、私はやはり自分が冷静でないことを自覚していた。
時折アリウスの生徒たちから銃撃されるのをそのままにして、ぼんやりと考え事をする。服は破れるけれど、私の身体には傷一つつかない。
私が間違っていたのは、もはやどうしようもない。
結果論だけれど、私という存在がいる以上生じてしまう変化を、私が動くことによって修正しなければならなかったのだ。
これからするべきことは、少しでも原作通りの流れにすることだろうか。
違う。
もう不可能だ。ポイントオブノーリターンは、どこだったのか分からない。ただ、とうの昔に過ぎ去っていることだけは確かだ。
だからもう、私は憂さ晴らしをすることしかできない。
罪を償うとか、報いを受けさせるというよりかは、憂さ晴らしなんだろう。彼女たちにも原因はある。ただ、止められたはずなのに見逃した私が、やはり一番の悪だと思うから。理不尽だけれど、それでも結果としてナギちゃんと先生を殺した実行犯を赦すことはできない。必ず殺す。
それから、私は苦しんで死ぬのだ。
今度こそ生まれ変わらずに無に還ると信じて。今は興奮しているから死ぬのが怖くない。
もっと落ち着いてから、冷静に、狂いそうになるくらいの恐怖を感じながら、耐えがたい痛みの中で死ななければならない。
ナギちゃんとまたお茶会がしたかった。演奏を聴いてもらいたかった。
もしやり直せるのなら、いつに戻ればいいんだろう。
意味のない事だけれど、考えずにはいられない。
どこまでさかのぼっても考えても、私がいる以上は何かしらの変化が生じる気がする。そうなれば、私が存在している時点でもう詰んでいたのではないか。
「今更考えても、何の意味もないか」
■ ■ ■
美しく響くのはバイオリンの旋律。
桐藤ナギサは自然と目を瞑った。
たった今飲み込んだばかりのケーキの味が、強く意識される。それを紅茶で流すと、次はその香りが鼻腔を占領した。
味覚と嗅覚が、視覚を封じたことで鋭敏になっていて、普段より強く感じられる。久しぶりに紅茶を味わって飲めたからだろう。強い幸福感。
紅茶の香りが薄まっていくにつれて、ナギサのその幸せな気持ちを支えるように、また改めてバイオリンの音色が響く。
しばらく彼女の演奏を楽しむ。確か「アメイジング・グレイス」という曲だったと思う。よく彼女がバイオリンで演奏する曲で、ナギサも好きな曲だ。
ついに余韻を残して演奏が終わり、彼女――新石アリアはナギサに笑顔を向けた。
「聴いていただきありがとうございました。ナギちゃん」
「いえ……こちらこそ、素晴らしい演奏を聴かせていただきました」
「ちょっとは元気が出ましたか? 最近ずっと落ち込んでいたけれど……」
アリアは心配そうに言った。その心遣いが嬉しかった。
新石アリアは、トリニティ総合学園二年生。ティーパーティー
灰色の長髪に青い瞳。顔立ちはどこか幼さが残っているのだけれど、上品な雰囲気がある。体付きも女性らしさがありながらも無駄を削ぎ落した、彫刻芸術のような美しさ。それで芸術に集中するときは大人びた表情を浮かべるのだから、ナギサはアリアに見とれてしまうことが何度かあった。
そして、アリアはナギサの幼馴染である。
上手く不安を隠しているつもりだったが、アリアには通じなかったらしい。
「その……元気がなさそうに見えますか?」
「えっと、はい。セイアさんの事があってから、なんだか思いつめた様子だよ」
「……そうですね。いえ、お心遣い感謝いたします。とはいえ、私が何とかしなければ……」
「……」
そこでふと、ナギサはアリアに一つ頼みごとがあったのだと思い出した。
アリアはティーパーティーの補佐として、いつもナギサを支えてくれている。これ以上彼女に何かを頼むのは気が引けるが、他に信用できる相手もいない。
「すみませんアリアさん。一つ、私のお願いを聞いていただけませんか?」
「はい! もちろんだよ。えっと、ナギサ様のお願いなら何でもします! なんてね」
「……これから特殊な……補習授業部とでも言いましょうか……そこへ入部していただきたいのです。というのも、セイアさんの件もあって、言いにくい事ではありますが、信頼できる人間がアリアさんの他……に……あ、アリアさん!? どうなさいましたか!? あ、泡を吹いて急に倒れて……!? 誰か!! 誰か急いで来てください!!」
☆
私がナギちゃんの言葉にぶっ倒れる、ひと月前へと遡る。
どうやら「ブルーアーカイブ」の世界に転生したと気が付いたのは、案外早い段階だった。ヘイローが浮かんでいるのですぐに分かる。
アニメやゲームの世界に入り込めるなんてオタクとしては最高! 以外の感想が出ないのが普通だろうが、一つだけ問題があった。
私がブルアカ未プレイである事だ。
SNSに流れてくる二次創作なんかで、なんとなくの雰囲気は理解しているのだが、具体的なストーリーはあまり知らない。
二次創作の小説なんかで、「エデン条約編」だけは詳しく知っていたけれど。
本編に関しては、とりあえずその、面白いらしい「エデン条約編」の実況配信を見たくらい。
理解できないところもあったけれど確かに面白いと思った。キャラクターも魅力的だ。それでも私がブルーアーカイブをプレイすることは無かった。
配信を見終えてから数十分もしないうちに、階段で転んで頭を打って死んだからだ。
「確か、補習授業部を全員退学させようとするんだっけ?」
私はナギちゃんとミカちゃん――桐藤ナギサと聖園ミカの、一つ年下の幼馴染になっていた。
原作に混ざれるというのは魅力的に感じられるけれど、どうにも薄氷を踏む様な展開が続いていた印象だったから、私の存在がマイナスに働かないか不安だ。今更どうにもならないから、気にするだけ無駄か。
我ながら褒められた行動とはいいがたいが、なるべく気にしないように自由に振る舞おうと思う。
折角おまけみたいな人生を貰えたのだから、エンジョイしたい。
「あら? アリアちゃんではないですか?」
トリニティ校内を散歩していると突然声を掛けられた。
「わっ、ハナコさん……えっと、お久しぶりですね」
「はい。あの夜にアリアちゃんに激しく乗られて以来ですね」
「……」
同学年の浦和ハナコ。いかにも優等生と言った気持ちのいい笑顔だ。桃色の髪がさらりと流れて、その長い髪をたどり視線を降ろすと彼女の身体が目についた。大きな胸。制服が引き上げられて、腹部がちらちらと見えていた。お腹が冷えるだろうし、丈の長い制服に変えた方がいいと思う。まあ、ハナコさんのことだからわざとだろうけれど。
実況配信を見ている時、私はこの子が少し苦手であった。
下ネタは好きではないから、それを言うこと。何を考えているのかまるで分らず怪しく感じられること。それらが私にそう思わせた。
しかし、彼女の詳細を知って、寧ろ好きなキャラクターへと変わった。
その背景も、頼りになるところも、実は乙女なところも。魅力的だと思える。
ただ、いま改めてハナコさんのことをどう思っているのかと尋ねられれば、申し訳ないが苦手な人だと答える。
というか気まずい。
「その……取り押さえた私に思うところとかないんですか? 私としては、友人を捕縛したことにそこそこ心を痛めてたりするんだけれど」
「まさか。アリアちゃんも気になさらないでください。私も気にせず今夜もお散歩しますので」
「……」
もちろん嫌いではないのだけれど、傍から見ているのと違って、実際にコミュニケーションをとってみると、何と言うか疲れる。
それに、私の言動から、私が転生者であることに気が付くのではないかという不安もある。浦和ハナコには、それくらいの能力があるように思うから。
バレたところで言いふらすような人ではないけれど、秘密は知られていないからこそ秘密たり得るのだ。
ともあれ、そういった理由からハナコさんが少し苦手だ。
「あの……あまり正義実現委員会の皆さんを困らせないように。私は今晩外泊する予定だから」
「まぁ!! それは、■■■■とか■■をしに? ■■■■■■■ですね!?」
「……違います。いわゆる、外遊みたいな。ミレニアムサイエンススクールと光輪大祭について、直接協議したい案件があってね。スケジュールの都合から遅くなりそうだから、今日はあちらにお邪魔させてもらう予定で」
「そうですか……気を付けてください…………なんて、不要な心配でしたね?」
「……そうだね」
転生するにあたって、何か神様にお願いしたような心当たりはないのだが、私はいくつかチート級の能力を身に着けていた。
ツルギさんにも劣らないと言われる戦闘能力。それも、実際は私が相当手加減していてそういわれるのだから、私がキヴォトスで一番強いだろう。
それに加えて、芸術の才能全般。絵も音楽も、演劇も陶芸も。およそ芸術に括れるものは全て、誰よりも優れた能力を発揮する。ワイルドハント芸術学院の生徒と同等以上の価値で絵が売れるし、助かってはいるが。デッサンの正確さや色彩感覚という理由のある評価ではなくて、なんとなく心に沁みるといった評価だ。音楽もそう。演劇も陶芸も。優れた才能は事実としてあるのだけれど、それ以上に不思議な力が働いていると思う。
「普通に怖いよね」
そんな都合のいい現実、あり得ていいのだろうか。
強い力は、死の瞬間の恐怖からだろう。
芸術の才能は、私の憧れからだろう。
代償もなしに、こんな夢みたいなことが。
☆
ハナコさんと別れて、私はすぐにミレニアムサイエンススクールへと向かう。
これまでに何度かミレニアムを訪ねて、そこそこの信頼は得ていると思うのだが、それでもやはり緊張する。とはいえゲヘナほどではないね。
トリニティの制服を着ているからか、いくらかの視線を向けられるけれど、悪意は感じない。ただなんとなく気になって見ているだけのもので、純粋な好奇心によるものだ。ミレニアムのそういった雰囲気は好きだ。
「すみません。トリニティの新石アリアです」
「はい、こんばんは。今日はよろしくお願いしますね」
セミナーを訪ねると、生塩ノアさんが出迎えてくれた。白い制服と髪、肌。制服の裏地やネクタイの青が僅かに見えている感じが、純潔な印象を与える。すらりとしたスタイルに、どろりと嫉妬を感じて俯きたくなる。
それをぐっと引き上げて、薄紫色の瞳を見上げた。
背後にはもう一人、コユキちゃんの姿が見える。ハナコさんよりも濃い桃色の髪をツインテールにしていて可愛らしい。ネクタイがだらりと締まっていないけれど、いつ見てもあんな感じなので、ファッションとしてやっているのかもしれない。
ノアさんも細いけれど、コユキちゃんは小柄なのも相まって心配になるくらいの細さ。
普段ならさらにもう一人のセミナーの姿が見えるはずなのだが、見当たらない。
「あれ? ユウカさんは?」
「ユウカちゃんは今、とある部活の部室へ行ってまして。もうじき戻ってくると思います」
相変わらずというべきか、ミレニアムの生徒会長はいない。いつものことだけれど、ここまで会えないとなると、徹底的に避けられているような気もする。最初にミレニアムを訪れた時こそは彼女が応対してくれたのだが、それ以降は専ら彼女以外の三人に出迎えられている。
「アリア先輩! 聞いてください! また私に、誰にもできるような雑用ばかり――!」
と、こうしてコユキちゃんが私に愚痴を言うのも、最早お約束となりつつあった。
コユキちゃんは、確か反省部屋に入れられているキャラクターだったような気がする。そういう二次創作を見たし。
もしかしたら私がいることによる変化かもしれない。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。ユウカちゃんが来るまではくつろいでいてくださいね」
「はーい。じゃあ、コユキちゃんのお話聞かせてもらおうかな」
私としてもコユキちゃんと話せる時間が出来るのは嬉しい。ノアさんもそれを分かっているので、形式的な謝罪だった。
コユキちゃんの話しは面白いのだ。聞いていいのかダメなのか、ギリギリな話題も多いけれど。
うっかりミレニアムの機密に触れそうになった時は、ノアさんが止めてくれる。
というか、もし聞いてしまったら私はどうなるんだろう。殺されることは無いと思うけれど、こちらも同レベルの機密を話して手打ちというのが妥当かな。技術が売りのミレニアムに比べて、こちらの秘密はどろどろしている。
コユキちゃんは、ちょっと倫理観が逝っていること以外はいい子だと思う。明るくて元気で純粋そうで子供っぽいけれど、賢い所もある。倫理観逝っているけれど。
「それで、ユウカ先輩の体重が百キロになったのを――」
「ふうん? あっ、あ……で、でも、でもほら! ユウカさんの体重がそんなにあるわけ! スラっとしているし!」
「いいえ! 昨日も夜中に、頭を使っている分カロリーは消費しているから大丈夫なはず……なんて言いながらアイスを食べていました! もうそれくらいブクブクになっていてもおかしくは――――――!」
「コユキ?」
途中からコユキちゃんの後ろに、いつの間にかセミナーオフィスに戻ってきていたユウカさんが立っていて。
☆
「光輪大祭前回優勝校として、トリニティの代表者による選手宣誓と、順番枠でアビドス……選手宣誓はティーパーティーのホストがするの?」
「申し訳ありません……その辺りがまだ未定でして。一応候補はいるんだけれどね」
と、正直会議の内容自体は別に対面でやる必要のないものだ。
前回はそこそこ重要な内容もあったけれど。
今回私がこうしてミレニアムに来たのは、コユキちゃんと遊ぶ約束をしていたから。
夜遅くになるから泊めて貰うというのも建前。
コユキちゃんと私が遊べるように、こうしてオンラインでも出来る会議を許してくれるのも、泊まってもいいと言ってくれるのも、いい意味でセミナーは緩い。
☆
「にはは! 今日はついてますね! アリア先輩にこんなに大差をつけれるなんて!」
「勝った気でいるんですか? 梨鉄はここから平気で逆転できるよ!」
「に……は……はぁ!?」
「あらら、壊れちゃった」
と、友情崩壊ゲームを楽しく遊べるくらいにはコユキちゃんとも仲良くなれた。
こういったとても楽しい時に、ふと不安になったりする。変な考えがいろいろ浮かんできて、少しぼうっとしてしまった。
「アリア先輩?」
不思議そうに、小首をかしげつつ尋ねられた。
「……あっ、ごめんね。ちょっと考え事してた。何か言った?」
「ですからね……その……四つ葉のクローバーを探したいなって」
「もう一度? あの時はユウカさんも手伝ってくれたんだけれどね…………あっ、ごめん! 先に言うと、もちろんいいよ。一緒に探そう」
一番最初にミレニアムを訪れた後、少し校内を見学させてもらっていたのだが、その時に偶然四つ葉のクローバーを探しているセミナーの二人を見かけた。
そのあと私も混ざって探したのだけれど、ついに見つからず。私は白い制服を泥だらけにしてトリニティに帰って、ティーパーティのみんなが大騒ぎになったりした。ミカちゃんが誤解してキレ散らかし、怖かった。キレても笑顔なんだよね、あの子。
「じゃあ、一個だけ私のお願いを聞いてもらえるかな?」
「なんですか? アリア先輩のお願いなら喜んで!」
「ちゃんとユウカさんとノアさんのいう事を聞くよーに!」
「……えぇ~!? だって――!」
「コユキちゃんが簡単な仕事ばかりたくさんやらされてるっていう不満はわかるよ…………まあ、あれコユキちゃん以外に無理だと思うけど……こほん。だけど、んーっとね、芸術とかだってそうなんだけど、簡単でつまらない物でも熟していくと得るものはあるよ。真理は基礎の先にあるわけだし」
「でもつまらないですよ…………」
「じゃあ、ご褒美をあげます! これでもお金はいっぱいあるし、何か欲しい物を買ってあげてもいいし!」
「う~ん……それなら、まあ……」
「あまりセミナーのみんなに迷惑かけちゃだめだよ。意地悪な先輩じゃない、それは分ってるでしょ?」
「……それはそうですけど」
「ごめんね。別に説教するつもりじゃないんだ。セミナーの後継者として、たぶん期待されてるよ! 適当に言ってるとかじゃないからね」
と言いつつ、適当である。コユキちゃんが優秀なのは確かだろうけれど、セミナーの会長やらがコユキちゃんについてどう考えているのかなんてわからないのだから。
「まぁ……アリア先輩がそこまで言うのなら!」
なんて、なぜだか懐かれてしまっているのだから、申し訳がない。
「うん。じゃあ、梨鉄の続きやる?」
「い、いえ……もうちょっと別のがいいです……にはは……」
梨鉄面白いのに、なぜだか少ししょぼくれた様子でコユキちゃんは言った。