アメイジング・グレイス 作:にゅーとん
夜も更け、コユキちゃんとまた明日の朝に少しだけ遊ぶ約束をして、セミナーのオフィスへ顔を出すことにした。
電灯のつけられていない部屋に、大きな窓の向こうから月明かりが差して、それほど暗くはない。一つだけモニターがついて、その光の向こうに人影があった。
大人びた顔立ちと、抜群にスタイルが良い女性――本当はまだ少女と言える年齢だけれど。すぐに誰だかわかった。
「あら? リオ会長。お久しぶりです。トリニティの新石アリアです」
「……お久しぶりね。会議に出席できなくてごめんなさい。議事録は確認済みよ……あなたが今晩ミレニアムに泊まるという事も」
避けられているのかと思っていたのだが、私に接するリオ会長の態度は自然だった。無理をしている感じではない。
忙しそうな人ではあるから、本当に予定が合わなかったのか。
「何かセミナーに用だったかしら?」
「あ、いえ。少し目が冴えてしまって……ユウカさんが徹夜しがちだという話を聞いていたので、良かったら休憩がてらお喋り出来たらなと」
「そう。ごめんなさい、ユウカは帰らせたわ。私も少し調べごとがあるだけ……」
「い、いえ! ユウカさんが無理をしないようにと思ったので、その方が良かったです」
ところで、リオ会長の調べごととは何だろうか。私はお勉強はできる方だけれどあまり頭が良くないし、手伝えるはずもないか。そもそも、突然私が手伝おうとしても有難迷惑だね。
ユウカさんもいないみたいだし、リオ会長も忙しそうだし、諦めて早く寝よう。
「では……こんな時間にお邪魔してしまい申し訳ありませんでした。会えて嬉しかったです、リオ会長。またお時間が有る時に」
「ええ。おやすみなさい」
ほんの少しだけ表情を綻ばせたリオ会長だったが、すぐに真剣な表情に戻ってモニターを睨みつけた。
☆
目を覚まして、普段と違うことに違和感を感じ、それからミレニアムに泊まったことを思い出す。時刻は五時三十分。何時に寝ようとも、普段起きているこの時間に目が覚めるのが私の特技だ。
「コユキちゃん……はまだ寝てそうだしなぁ」
あまり早くから押しかけても迷惑だろうし、モモトークを送って、窓から外を眺めた。
キヴォトスの街並みは近未来といった感じだが、ミレニアムはさらに発展している。トリニティ自治区だって発達しているのだけれど、やはり古風な街並みの方が印象深い。
トリニティは綺麗で精緻な彫刻の施された柱が並び、植え付けられた庭園からは花の香りがする。石造りの古めかしい建築物と、そこに息づく伝統。生まれ変わってすぐの頃は、そんな街並みを海外に来たような気持で見ていたけれど、今となっては自分の故郷だ。
組み上げられた石の隙間から細い雑草が生え、そこから泥が零れるように壁を汚している建物にも。有名なデザイナーが設計したというへんてこな彫刻の飾られた、文字通り予算を湯水の様に浪費する噴水にも。ふとした時に見上げて、鮮やかなステンドグラスに思わず息を飲む、大聖堂にも。私は愛着がある。
なんだかんだ言って、私はトリニティのことが大好きだ。
トリニティが好きだけれど、ミレニアムの景色も美しい。
トリニティとの違いを上げればキリがないが、私には窓ガラスが一番大きな違いに思えた。トリニティの窓ガラスは間隔があけられている。窓周りに装飾があるし、間の壁にもデザインが彫られている。
ミレニアムの建物は、ほとんどガラスでできているのではないかと思ってしまう程だ。
そういった違いを探していくのも面白い。
どこの学校にもあって、機能自体はおおよそ共通の図書館なんかが良い比較対象になるかもしれない。研究テーマとしても良いかも。
ネットで調べながら窓から眺めると、ミレニアムの図書館を見つけることが出来た。
外観はやっぱりミレニアムらしい。今度、許してもらえたら中も見せてもらいたいな。
ぼんやりと窓外を眺めていると、通知音が鳴る。
「……あれ? コユキちゃんからモモトーク?」
コユキちゃんは意外と早くから起きているらしい。
すぐにコユキちゃんと合流して、一時間だけ遊んだ。途中でユウカさんやノアさんもやって来て、会議の時に感じるビジネスライクな雰囲気の抜けた、ただの女子高生の友人として交流できたように思う。
☆
トリニティへ戻ると、偶然歩いているミカちゃんを見つけた。ふわふわと癖の付いた桃色の髪が揺れて、彼女の持つ大きな羽もそれに合わせて上下している。どこかへ出かける様子だった。
こんな時間からどこへ行くのだろうかと気になりつつも――
「ミカちゃん!」
声をかけてから抱き着く。
聖園ミカは、こういった直接的でわかりやすい愛情表現を好む。
ミカちゃんとナギちゃんと、それぞれ好むコミュニケーションの仕方があって、私はそれを巧みに使い分けている。
なんてね。
ナギちゃんとは幼馴染とは言え一つ年下の私に対して少しだけ距離を保っているけれど、ミカちゃんは甘えれば甘えるだけ可愛がってくれる。それが嬉しいだけだった。
こちらが愛情を持って接すれば、それ以上のものを返してくれる。
難しい事は何も考えてなくて、単にこういう距離感でミカちゃんと接したいだけ。
「ただいま! ミカちゃん!」
「もー……突然抱き着かれるとびっくりするでしょ?」
と不満を言いながらも、ミカちゃんは私の髪を撫ぜた。
「ミカちゃん、どこかへ出かけるの?」
「あー……うん……えっと、たまには散歩しようかなーって」
ミカちゃんは今嘘を言った。幼馴染なのだ。それくらいは分る。
ミカちゃんはトリニティの裏切り者で、アリウスと繋がっている。今も、恐らくはそういった動きをするため……あるいはした後なのだろう。
とはいえ、ミカちゃんの計画もセイアさんが死んでしまったと誤解して――誤解というか、騙されてというか――狂ってしまうのだが。今も普段通りに見えて、いろいろと限界だと思う。不思議なことに、そういうのは隠すのが上手い。私でも、普段通りだと思ってしまえるのだ。
ミカちゃんが今、どれほど苦しんでいるのか……正確には分らない。
それでも、もう少しの辛抱のはずだ。
ネット上では先生の話題で盛り上がっているし、もうすでに原作は始まっていると考えていい。
エデン条約まではもうしばらく時間が有るけれどね。
☆
それからひと月ほど、のんびりとバイオリンを弾いたり、ピアノを弾いてみたり。
今日もナギちゃんに演奏を聴いてもらっていたのだが、そこで補習授業部に入れと言われた。
気絶した。
だって、それはナギちゃんに私が裏切り者であると疑われていたことになるから。
気が付けば医務室に運ばれていて、すぐ横にナギちゃんが座っていた。
どれだけ眠ってしまったのだろうか。窓の外を見ると、空が茜色に染まっている。差し込む夕陽に照らされて、ナギちゃんの髪が綺麗に輝いていた。
「な、ギちゃん?」
「アリアさん? 良かった……目が覚めましたか?」
「う、うん……えっと……私に補習授業部に入って欲しいんだっけ?」
「いえ、今日はその話は――」
「大丈夫です。えっと、その補習授業部? 名前からして……あまり私が入る感じじゃないと思うんだけれど」
私の質問に、少しだけ悩むそぶりを見せたナギちゃんだったが、補習授業部についての説明を始めた。
セイアさんのヘイローを壊した、トリニティの裏切り者がいるという話。容疑者を絞って、補習授業部を作ったという。
「つまり、アリアさんには、補習授業部の皆さんとの交流を通じて、トリニティの裏切り者を見つけ出して欲しいのです。アリアさんの他に信頼出来て、このようなお願いのできる方はいません」
「…………えっと、そう……なら、ちょっと考えさせてほしいです」
マジで死んだかと思った。
ナギちゃんに疑われていたとかだったら、正直生きていけない、
いや、実際考えてみれば阿慈谷ヒフミの例もあるし、どれだけ好かれていたとしても疑われない理由にはならないのか。
「まあ、そういうことなら原作楽しむか……?」
入ろうと思っても補習授業部には入れないと思っていたし、可能な限り原作に介入しないようにしようとすら考えていたけれど。
原作を崩さない程度になら、私も交じっていいだろうか。
☆
「では、ここに揃っているのが補習授業部のメンバーという事ですか?」
ハナコさんの言葉。
その裏で、白洲アズサのガスマスクの呼吸音が先ほどからずっと響いている。
「は、はい……えっと、これで何とかみんな集まりましたね。補習授業部」
阿慈谷ヒフミの言う通り、補習授業部全員集合だ。いよいよ、始まった。
「それにしても、まさかアリアちゃんがいるとは……」
本当に意外だと言った表情で、ハナコちゃんが言った。
「少し失敗しましてね。試験の日程を間違えちゃって」
結局私は補習授業部に入ることにした。
入ることでみんなを不幸にする不安もあったけれど、自分の欲を優先した。原作に混ざってみたい。
なんだかんだ言って原作通りになるだろうし、杞憂に終わると思うから。
だって、私がいてもこうして補習授業部は生まれたわけだし、メンバーも変わってない。
補習授業部に入るにあたって、私の成績を調べられれば補習授業部にいることを怪しまれるので、成績以外の要因で入部させられたことにしている。素行の悪さが原因だと言ったところで、ハナコさんは普段の私を知っているからバレる。そこで、テストの結果をこっそり破棄して、そもそも受けそびれたという設定にしたのだ。
「あっ……あはは……」
阿慈谷ヒフミが、同族を見るような視線を私に向けた。
ハナコさんとは以前から面識はあるけれど、他の生徒たちとはほとんど接点がない。
ヒフミさんは、ナギちゃんの友人同士としてなんとなく面識がある程度。正義実現委員会のコハルさんとは、顔をお互い見たことがある程度だ。アズサさんとは完全に初めまして。
そして。
「……どうかしたの?」
噂の先生をじっと眺めていると、私の視線に気が付かれて尋ねられる。
「あっ、いいえ。すみません不躾に。ナギちゃんから……ティーパーティーの桐藤ナギサから先生についてお伺いしていたものですから……」
真偽は定かでないがセクハラの証言があるから気を付けてください、と言われたことは黙っておく。
ブルーアーカイブというゲームにおいて先生は、性別をぼかされているらしい。実況配信で見た限りでは男性だと思っていたのだけれど、死ぬ直前に性別をぼかしているのだという話をネットで見たから間違いない。確かにSNSでは女性の先生も男性の先生も、二次創作で見た。
当然と言えば当然なのだが、私のすぐ目の前に先生は確かにいる。男性だった。私は女性の平均くらいの身長だけれど、先生はずっと背が高い。近くで会話するときには見上げなければならなかった。
癖の付いた黒髪は、目にかかるほどに伸びているけれど、眼鏡をしているから気にならないのだろう。
整った、温和な顔立ちは親しみやすかった。目の下の酷い隈が、人によっては怖く見えるかもしれない。それでも普通の人だと思った。
簡単な自己紹介を済ませて、ついに補習授業部の活動が始まった。
補習授業部は三度目の試験までに、全員が合格しなければならない。
まだみんな聞かされていないけれど、それでなければ全員退学させられてしまうのだ。
私は勉強が得意だ。前世においてはそれほどでもなかったから、これもチートの一つか、そもそも脳が違うという単純な理由かもしれない。とにかく、勉強は不思議なくらいに出来た。
だから、補習授業部の活動としては専ら教え役だ。
コハルさんは自信満々な割には勉強が苦手。でも頑張らない子ではないので、教えていて楽しい。素直に質問してくれないから、こちらが少し気を配らないといけないのだけれど。
ハナコさんも私と同じように教え役といった感じ。
取り決めたわけではないのだけれど、私がコハルさんに教えることが多くて、ハナコさんはアズサさんに勉強を教えている。
「いい感じみたいだね」
先生がヒフミさんに話しかけた。
私はまだ先生とそれほど話せていないので、混ざりに行く事にした。
「答えにくかったらすみません。ヒフミさんはなんで補習授業部に? 成績が悪いような印象はないけれど」
「あ、あはは……実は」
と、ヒフミさんが私と同じように――と言っても私は嘘なのだけれど――試験を受けそびれてしまったことを話した。それに、どこか苦笑を浮かべる先生に、そういえば先生とヒフミさんは以前から面識があったのだと思い出す。
「先生とヒフミさん、面識があるみたいですけれど……?」
アビドス編? そのストーリーを見ていないから、ヒフミさんに関しては分らないことがある。エデン条約調印式での騒動で、ヒフミさんの部下? らしき人が集まってきたシーンは、エデン条約編だけを実況配信で見た私には理解できなかった。
「……えっと……」
「あ、えっと……あはは」
二人とも誤魔化すの下手じゃない? すごく微妙な空気になって、まるで私がとんでもない地雷を踏んだみたいだ。
「……」
「……」
「……」
誰も話題を変えようとしないので、一瞬沈黙が流れる。というかここまで露骨な反応をされると、何かとんでもない秘密を感じてしまう。たしか、ブラックマーケットに通うとか、そういう秘密があるんだっけ。
二人が誤魔化すのを待っていてもいいのだが、私がさっさと雰囲気を変えることにした。
「あ、あー……そういう感じ? え、えと、いえ。応援してます……! 禁断の恋……」
大慌てで弁明する二人を、生暖かい目で見守って揶揄う。
その後、コハルさんとハナコさんが参加してきて、いよいよ収拾がつかなくなった。
☆
その日は解散になったので、飲食店でのんびりと過ごす。普段ならナギちゃんと会ったり、コユキちゃんとモモトークしたりするのだが。ナギちゃんと頻繁に接触していると補習授業部にいる裏切り者から怪しまれる、という理由からナギちゃんとの交流はできない。コユキちゃんは、一週間ほど反省部屋に入れられているらしくモモトークできない。
コーヒーを注文して、少しずつ飲む。
ナギちゃんの話しぶりからして、原作よりかは、補習授業部への扱いは甘いだろう。
もちろん私ごと全員退学にしようとしているとかなら話は別だが、それはないと……思いたい。
全員合格出来ればそれでいいわけで、その基準もそれほど高くないだろう。後は私から、裏切り者はいなかったと答えればいい。
名シーンの一つである、ナギちゃんが脳破壊されるシーンを直接見ることはできなくなりそうだが、まあ、多くは望まない。
なんとなく原作の雰囲気を楽しみつつ、あとは適当に楽しく過ごせればそれでいいのだ。
たまたま拾った命、あるいは延長戦。怖い考えだけれど、実はこれが今際の際の夢で、突然目覚めるかもしれない。
そんな今世、ちょっとでも楽しい方がいいのだから。