アメイジング・グレイス 作:にゅーとん
一次試験を終えて、案の定の結果だった。
私は満点。ヒフミさんも合格点に達していた。
だが、残りは不合格。特にハナコちゃんが驚きの二点をたたき出して、ヒフミさんはかなり驚いていた。補習授業部での勉強中、アズサさんに教えている光景を見ているのだから当然ではある。あれだけ勉強が出来る雰囲気を出しておいての、この結果は仰天だろう。
私はハナコちゃんが本当に勉強できると知っている。何もしないのも不自然なので、何か言いたげな視線をハナコちゃんに向けておく。
「……うふふ」
私に気が付いたハナコちゃんは、怪しく微笑んで、人差し指を唇の前に立てた。
ハナコちゃんは出来ないふりをするつもりらしいが、ヒフミさんはハナコちゃんの事を調べて気が付くはずだ。それでもいいと思っているのか、そこまではしないだろうと高をくくっているのか。
私ではハナコちゃんの考えは読めない……というか、トリニティで彼女の思考を正確に読める人間はいないだろう。
「あうぅ……」
「ヒフミさん。大丈夫ですか? いえ……大丈夫ですよ! まだ時間はあります。切り替えてきましょう」
「あ、アリアちゃん……いえ! そうですね! ま、まだ二次試験があります!」
ショックのあまりか眩暈に襲われた様子のヒフミさんに声をかけると、何とか持ち直してくれた。
この後は原作通りに合宿スタートとなるのだろう。合宿になると楽器演奏だとかお絵かきだとか、あまりできなくなりそう。
ああ、そうだ。いいこと思いついちゃった。
☆
そういえば、先生にモモトークを送ったことが無かった。
送る内容にしばらく悩むのだが、先生にモデルになって貰おうと思う。
「えっと……先生、ちょっといいですか? お願いしたいことがありまして。お時間が有りましたら、トリニティまでいらしてください……っと」
しばらくして承諾のメッセージが届いたので、具体的な場所を指定する。
先生を待つ間に準備をする。
イーゼルにキャンバス。後は木炭とパンを用意する。木炭の芯を抜いて、しばらく待っていもまだ来ないので、用意していた食パンを一枚食べてしまった。
それから少しして、遠くの方から先生らしき足音が聞こえて来た。一応男の人と会うわけだから、制服を整えて、手鏡で顔や髪を確認する。
「アリア? お願いって何かな?」
と、私の指定した教室にやってきた先生だが、私の用意した画材を見てなんとなく察したらしい。小さく何度か頷いて、口に含むようになるほどねと、独り言。聞こえないように呟いたのだろうけれど、私には聞こえた。
理解したらしい先生に私もしっかりと頷いて、お互いに言うまでもなく目的を共有して。
「じゃあ、早く服を脱いでください」
「……な、なんで!?」
私が言うと、先生は一瞬呆けてから大げさなまでに驚いて見せた。
「? いや、脱いでよ」
「いや、いや……え? なんで?」
「トリニティの女子生徒ばかり描いていたら、どうにもつまらなくなってしまって。ですから先生に脱いでもらって……ポージングを適当にしてもらって、描かせてもらえればと」
「ヌードモデルって事……? いや、それは流石に……」
「……あはははは!! 冗談に決まっているじゃないですか。なに本気にしてるんです? この場にコハルちゃんがいたら相当騒がれてましたよ。着たままでいいので、モデルになってください。クロッキー……えっと、急いで描くので……三十分程度お時間いただければ」
と、あらかじめ用意していた通りのやり取りが出来た。
トリニティの交友関係はどうにもお嬢様お嬢様しているところがあって、こんな風に悪戯しても許してくれる人に、何かしてみたかったのだ。
先生も微妙そうな顔をしながらも、結局私の要望通りにモデルをやってくれた。
考える人に似たポーズを取ってもらい、それを描く。
改めて観察すると、やはり先生は美形だ。背丈もあってスラリとしている。無駄な肉は少なくて、どちらかというと筋肉質。
原作のストーリー中で先生の容姿に対して正確な描写が行われたことは無い……はずだ。「エデン条約編」しか知らないから、他であったら分からないけれど。
ただ、性別を特定しないようにしているらしいから、まず間違いなくそういった描写はないだろう。
これまで現実味のない世界を、ほとんど惰性で生きていた私に、先生は少しだけ色を与えてくれた。
これでもしも先生の存在があやふやだったりしたら、いよいよ本当にこの世界は私の夢なのではないかと疑うところだけれど、先生は確かにそこにいる。
「うん……描いていて楽しい」
美形の人間の絵を描くのは楽しい。この世に存在している美を、私なりの視点を持って、この世に縫い留めるような気分だ。デッサンだって創造的な芸術である。
芸術の本質はきっと、エゴイズムだと思うから。私の見えている世界を、他人に共有してあげる。私の方が他人より美しく世界を見ている。そう叫びたいのだ。
綺麗な形をしている唇。眼鏡の奥の瞳。鼻の形が美しく、顎はシャープ。肌も綺麗。パーツの一つ一つが整っていて、それらが集まった先生の顔立ちは、けれど不思議と親近感がわく、優しそうな雰囲気だ。クールな感じだと思うのに、優しそうだとも思う。不思議な魅力があった。
細かく先生の顔立ちを観察して、一つ一つの顔を構成する部品の美しさに目を奪われてドキリとし、ふと視野を広めて先生の顔全体を収めると、安心する。
なんだか、まるで私が先生にゾッコンみたいだ。私は内面で人を見るから、顔は二の次なのに。
イケメンは見ていて楽しいけれど、やっぱり人を好きになるとしたら内面からなのだ。先生は……まあ、内面も……悪くはないように思える。
えっと……ともかく、先生を描くのは楽しい。やっぱりイケメンはいいね。
なんて言いつつ、実際、ナギちゃんやミカちゃんみたいに仲のいい人を描いている時が一番楽しい。本当に描きたいものを描けているから。
今度、コユキちゃんの絵も描きたいな。あまりコユキちゃんが自分の絵を喜ぶようには思えないけれど、もしかしたら大切にしてくれるかもしれない。
細かいところを修正して、ちらりと時計を見ると描き始めて三十分が経過しようとしていた。先生にお願いした時間はそのくらいだったから、まだ描き足したい部分はあったけれど切り上げることにする。
「よし……出来ましたよ。先生。ありがとうございました」
慣れている人ならばまだしも、三十分間も同じ体勢を取り続けるのは疲れる、先生は大きく肩を回しながら椅子から立ち上がって、わくわくとした様子で私の描いた絵を見に来た。そういった動作や表情が、凛々しくもある顔立ちとは乖離していて、魅力的に感じる。
「え? 上手……」
「そりゃあ、絵一枚で一億円稼げる人間ですからね。私は」
「億? それだけあればいったいどれくらい課金できるんだろう」
少し冗談っぽく言っているあたり、私の今の言葉も冗談に思われたみたいだ。まあ、別に誇示することでもないので、私も先生と同じように笑う。
「あ、良かったら先生……これ、貰っていってください」
「いいの?」
「はい。よければ大事にしていただけると嬉しいです。あ、一応サインだけ書いておきますね」
左下にサインを書いてからキャンパスを渡すと、先生は嬉しそうに受け取ってくれた。
これならもう少し時間をかけてもよかったかも。勢いに任せて描いたところもあるし。
少し沈黙が流れて、私は何か話題がなかったか必死に探す。
補習授業部の話以外は思いつかなかった。
「……そういえば、明日からの合宿、先生もいらっしゃるんですよね?」
「うん……みんなの事が心配だからね」
「そもそも、みんなと一緒に先生が居て補習授業部ですからね。よほどの理由がないのに来ないなんて言ったならば、自由を奪ってでも連れていきますよ!」
「あ、ははは……」
補習授業部の全員の絆が深まるのはまだこれからの事だが、そこに私が混ざってもいいのか、少し悩むこともあった。
そもそもミカちゃんやナギちゃんと仲が良く、それにミレニアムの人間ともそこそこ交流があって、今更原作通りも何もない。けれど、結局原作通りに進んではいる。私の影響というものはそこまで大きくないらしい。
原作通りに話が進むのならば、補習授業部の全員は退学を免れ、その後の問題も解決される。
みんな傷を負いつつも、解決するのだ。それが一番いい筈だ。
一応、「エデン条約編」の間は原作の展開が大きく変わらないように意識して行動した方がいいかもしれない。
以前は私が楽しければいいと、それこそエゴイストな考えを持っていたけれど。
先生もいて、今際の私が見ている幻覚なのではないかという不安は少し減った。先生の顔、初めて見るし。そもそも、それ以外でも所謂モブとされるような、ストーリーに登場しなかった生徒の友人もいて、そこまで本気で考えてはいなかったけれど。
不思議なもので、先生という大人の登場で、そういった不安や期待は完全に吹き飛んで行った。
一番は、そう、補習授業部との皆と接して、単純に、こうしてみんなで笑いあっていて欲しいと思ったのだ。
皆が幸せに、楽しく過ごせていければいいなと。
☆
先生と別れてからすぐに、補習授業部の皆で遊びませんかと誘われて、私は待ち合わせ場所に向かった。すでに私以外の皆がそろっていたので、時間より早く来たとは言え少し申し訳ない。
「合宿前に、親睦を深められたらと思いまして……!」
とのことだが、みんな結構乗り気。コハルさんは少しまだ、といった感じ。緊張している? 別に私たちが嫌いとか苦手とかいうわけではないと思うのだけれど。
まあ、せっかくみんなで仲良く成ろうということなのだから、まずは私自身皆と仲良く成ることを考えよう。特にコハルさんには勉強を教えたりはしたけれど、こうやって遊んだりとかは初めてだし。アズサさんには勉強を教えることも少なくて、これを機にもっとお話しできたらいいなと思う。
そんなわけで、食事に行ったり、少しトリニティ自治区から外れた位置にあるゲームセンターに行ったり、いろいろと遊んだのだが、そこそこ仲良く成れた気がする。男の子みたいに友情を確かめ合うことは無いから、私の思い込みかもしれないけれど。それでもお互いの人となりというものは知れたかも。
コハルちゃんがえっちな子だと言う表面的な理解はあったけれど、勉強を教えていた時にも思ったが素直でいい子だ。ストーリーではミカちゃんを助けてくれたし。
トラブルが起きたのは、じゃあ明日からの合宿に備えようと、解散の雰囲気になった時だ。
「おや……?」
とハナコちゃんが見た方向では、不良の生徒たちが暴れていた。トリニティ自治区とはいえ、こんな郊外に来るとそういうこともあるみたいだ。なんでヒフミちゃんはここのゲームセンターにしたんだろう。
と、ぼんやりとそちらを見ていると、不良の乱射している銃口がこちらを向いた。決して狙ったわけではなくて、不良同士の喧嘩の過程。つまりは流れ弾だ。
それがヒフミちゃんの方へ飛んできて――――
私は寸前で掴んだ。何も考えずに、不良の方向へ向けて投擲する。銃弾は、火薬で打ち出されるよりもよほど高速で飛翔し、不良生徒の持つ銃を貫通して彼女自身を吹き飛ばした。
冷や汗を垂らしながら、不良生徒たちはこちらを見て、一目散に逃げだす。
それからやってしまったと気が付いた。
私は
ヒフミちゃんにあと少しで銃弾が当たっていたかと思うと、あの瞬間私は不良を殺してもいいとすら思っていたし、事実全く加減せずに私が投げた銃弾は、当たり所によっては彼女のヘイローを砕いたかもしれない。いくら感情的になっていたとはいえ、やっていい事ではなった。
流石におびえられたかもしれないと思うが、
「た、助かりました……!」
とヒフミちゃんからは感謝され、アズサさんからは褒められて、コハルちゃんは不思議と私の行動を当然のものと受け止めていた。
唯一、ハナコちゃんは私が危うくとんでもないことをしていたことに気が付いてたらしい。こちらをしばらくじっと見つめて、けれどため息をついて、微笑んだ。
聞こえないように、唇の形だけでごめんと謝っておく。
ちなみに私の投擲を喰らった不良生徒は、救護騎士団に連れていかれていった。