アメイジング・グレイス 作:にゅーとん
今世に現実味を感じていなかったのは、仕方のない事だと思っている。
まず、この世界が私の前世に存在したゲーム「ブルーアーカイブ」の世界であること。夢を見ていると考えた方が自然だ。
それに加えて芸術全般で人間離れした才能が有って、この世界基準でも飛び抜けた身体能力。
どれ一つとっても、これは夢なのではないかと疑うには十分だ。馬鹿な妄想でも、もう少し現実味を持たせるものだろう。
真面目に掃除に取り組むアズサちゃん。楽しそうにホースをこちらに向けて笑うハナコちゃん。跳ねた水に思わず顔を逸らしながらも、こちらに視線を向けるヒフミちゃん。水着だからか、恥ずかしそうにしているコハルちゃん。
水飛沫がこちらに飛んできて、涼しくなる。
これらが嘘であるはずがない。夢幻であることは許されない。
今はまだ、私は堂々と彼女たちに向き合えていない。それでも、いつかきっと、ここが私の大切な居場所になるんだ。
そう思った。
☆
合宿所の掃除を終えて、プールに水を溜めたのだけれども日が暮れたため入れず、今日は休むことになった。
確か、この合宿でヒフミちゃんと先生の、夜の密会みたいなのがあったはずだ。なんだかおもしろくない。
先生の部屋の前で聞き耳を立てる。いいタイミングがあったら乱入するつもりだ。
「その、何と言えば良いのか……」
「トリニティの裏切り者をみつけてほしい、って?」
「!? 先生も、そう言われたってこと、ですよね……」
そういえば、ナギちゃんはなんでヒフミちゃんにトリニティの裏切り者を見つけて欲しいと言ったんだろう。もし見つけたらヒフミちゃんだけは退学せずに済むからとか……?
一応ヒフミちゃんは補習授業部に入れられてもおかしくないことをやったけれど、それに加えて方便としてそれを言ったとか?
あれ……? それなら私に対しても同じ方便を使った可能性も……
試験の成績がほぼ完璧である私を補習授業部に入れる方法は、それこそナギちゃんから頼まれる以外にあり得ない。
私を疑っている可能性も、当然考えられたわけだ。
ヒフミちゃんを疑うくらいなのだから、私のことも当然疑っているのではないか……?
そういえば、補習授業部に入って欲しいと言われて気絶するのは怪しかったかもしれない。もともとそこまで疑っていなくても、あれで疑われてしまった可能性もあるのかな。
そうだとすれば、ナギちゃんは私の事も退学させようと思っているのか。
え。辛い。泣きそう。寝よ。
☆
翌朝、合宿所の教室でヒフミちゃんの用意してくれた模試を解いている間も、昨日のことが気になって仕方がなかった。もしかしたらナギちゃんは私のことを疑っているのかもしれない。
問題を解き終えてから頭を抱える。
もしかしたら、私のことに気が付いていたのかもしれない。ミカちゃんやナギちゃんとの交流は心の底から楽しかったと誓える。ただ、ふとした時に感じる不安を、ナギちゃんは違った形で受け止めていたのかもしれない。
ナギちゃんから疑われているなんて、マジで泣ける。
「頑張りましょう! きっと、頑張ればどうにか、みんなで合格できるはずです……!」
模試の結果。私は満点で、ヒフミちゃんもなんとか合格。ただ、他の三人は不合格だった。
その事実を踏まえて、各々へ的確にアドバイスを出し、最後に励ます。
やはりヒフミちゃんは補習授業部の部長にふさわしい存在だった。
うん、私も少し元気が出た。例えナギちゃんが私の事を疑っていたとしても、私は変わらずナギちゃんの事が好きだ。
私なりに頑張ろうと思う。
先生の力もあるし、補習授業部の皆で原作通り、正々堂々と試験を突破して見せる。
そんな私の決意をよそに、ヒフミちゃんはモモフレンズのグッズを取り出して、成績優秀者にプレゼントすると宣言した。
可愛いと思えるぬいぐるみもあるのだが、ペロロ様は眼が逝っていてあまり可愛いとは思えない。ハナコちゃんもコハルちゃんもあまりいい印象を持っていない様子だったのだが――
「可愛い……!!!」
と、珍しくはしゃいだ様子のアズサちゃん。無表情、というわけでもないのだが、そこまで喜怒哀楽を激しく見せてこなかっただけに、その満面の笑みの破壊力は抜群だった。こういうのなんて言うんだっけ、おまかわ?
これまでずっと満点の私は、アズサちゃんのやる気を引き出す意味も込めて、ヒフミちゃんが持ってきたぬいぐるみの中で一番可愛いと思った――もちろんペロロ様ではない――キャラクターを貰い抱きしめる。いや、何歳《いくつ》になっても可愛いぬいぐるみを抱きしめると癒されるのだ。ふかふかしていて、とてもいい香りがした。しっかりと手入れされている。
「本当にこれ、貰ってもいいんですか? ヒフミちゃんの大切なものじゃないの?」
「大丈夫です! 私はいっぱいグッズを持っていますから! みんなで頑張れる方が大切だと思うので……!」
私を羨ましそうに見ていたアズサちゃんは、また他のぬいぐるみたちをキラキラとした表情で見つめて。そんなアズサちゃんを見てヒフミちゃんも楽しそうだ。ハナコちゃんは少し、コハルちゃんはだいぶ引き気味ではあったけれど。
ぬいぐるみもそうなのだが、こんな風に楽しそうに過ごしているみんなを見ていると、これもまた癒される。
友達が嬉しそうで幸せというのに加えて、どこか子供を慈しむような不思議な感慨。
考えてみれば、前世で十七年、今世でも十六年生きて、精神年齢的には子供がいても可笑しくない年齢なんだよね……あれ? なんか憂鬱になってきた。
「いや、私は今十六歳……高校二年生だから……私は若い……イケイケナウなヤング」
ぬいぐるみを抱きしめて嬉しそうにし、補習授業部の皆を見て微笑んで、かと思えば突然怯えて震えだした私を、先生は気にしてくれている様子だったが、気が付かないふりをした。
その後夜遅くまで勉強は続き、コハルちゃんのえっちな本が騒動を呼んだりしたけれど、それはまた別の話だ。
☆
今の私はティーパーティー所属ではなく、補習授業部の部員となっているので、外交的な役職も失っている……はずなのだが。
ナギちゃんの鶴の一声というべきか、ミレニアムの会議には私が出席することになった。そういった内容の指示がモモトークで送られてきたのだ。
昨日決意を新たにしたばかりで拍子抜けだが、やはりナギちゃんに私を退学させるつもりはないらしい。
ミレニアムと必要な会議はあと一度くらい。
今までずっと私が会議に参加していて、最後になって寄越す人員を変えるというのはトリニティが舐められかねないという政治的判断、なんて言ってはいたが、もしも光輪大祭開催時に私が退学処分になっていれば、舐められるなんてものじゃ済まないだろう。
それなら私に問題があると素直に認めて、最後の会議には別の人を宛がう方が結果としてダメージは少ない。
ここで変わらず私を登用するという事は、ナギちゃんに私を退学にするつもりはないのだと判断していいだろう。
「アリアさん……? どうかしたの?」
会議中でありながら、まったく別の事を考えてしまっていた。心配した様子でこちらを見るユウカさんに申し訳なく思う。
それでも話は聞き取れていた。ある程度すり合わせなければならない事案は話し終え、もう後はミレニアムが晄輪大祭開催まで持っていけるという内容だ。
「……あっ、いえ。すみません、えっと、残りはミレニアムにお任せしていいんですよね?」
「ええ。そもそもミレニアムが今回の晄輪大祭の開催校だし。連邦生徒会長の失踪やら、心配はあるけれど、アリアさんもここまで付き合ってくれたんだもの……必ず開催させるわ」
「ええ、楽しみにしてます。総合優勝の後に、ティーパーティーの皆で祝勝会をする予定だからね」
「……い、意外と好戦的ね……」
おっと、ついトリニティが出ちゃった。
あまりこのままこの話題を続けても、良い空気にはならなさそうだ。だからと言って素直に謝っても、それはそれで煽っているみたいだし。
少し考えて、以前から機会があったら提案してみようと思っていたことを話すことにした。
「話は変わるのですが……そ、その……もしよかったら、ちょっと図々しいかもですけど……晄輪大祭が終わったら、私とセミナーの皆さんで打ち上げみたいなの……してみたいなって」
私が言うと、ユウカさんとノアさんは顔を見合わせて。ノアさんは何かをメモし始めた。
「もちろん。その時は会長も必ず参加させるから!」
「コユキちゃんが今日みたいに反省部屋に入れられていても、特別に参加させましょう」
「……そういえばコユキちゃんなにしたんです? せっかくだし今日も遊ぼうかと思ってたんだけど」
今回の会議の参加者は、私とユウカさんとノアさんの三人だ。リオ会長は例によって例のごとく不参加なのだが、いつも私になついてくれていたコユキちゃんはいなかった。会議が始まる前に、コユキちゃんが反省部屋に入れられているという事は聞かされたのだが、何故そうなってしまったのかまでは聞いていない。私としてもコユキちゃんに会うのを楽しみにしていただけに、寂しい。できれば少しくらい会わせて欲しいものなのだが。
「…………話せないわ」
「お話しできませんね……流石にちょっと……」
なんかどうも無理っぽい。
ま、まあ、コユキちゃんが危なっかしい事は知っていたし。
本当は、今日は少しだけでも一緒に四葉のクローバーを探そうと思っていたのだけれど。また今度があるか。
☆
ミレニアムでの会議を終えて補習授業部の合宿所へと戻る。本当はナギちゃんと直接会っておきたいとも思ったのだが、忙しくしているみたいで会えなかった。
とはいえおそらくナギちゃんに、私を退学させるつもりはないと分かった事だけは良かったかな。
「…………まあ、そもそも誰も退学になんてならないけどね」
補習授業部の合宿所が見えてきたあたりで、見慣れた制服を着た人が見えた。ミカちゃんだ。
「ミカちゃん! 会いに来てくれたの?」
駆け寄ると、ミカちゃんは少しだけバツの悪そうな表情を見せた。
「えー……っとね……うん。大丈夫かなって」
歯切れの悪い言い方に少し違和感を感じて、すぐに気が付く。今のミカちゃんの視点では、セイアさんを殺してしまった上に、私まで退学に追い込む状況を作ってしまっているのだ。
確かに、私が今のミカちゃんの立場だったら、私とは喋りにくいだろう。
そういえば、ミカちゃんが先生と話すシーンもあったはずだ。そこでどんな内容の会話がなされたのか、最早私はほとんど覚えていないのだけれど。
私がいない間に先生に会いに来て、帰り際に運悪く出会ってしまったといった感じか。別に私に会いに来てくれたわけじゃないのだと気が付いて、少し落ち込む。けれど――
「ミカちゃん」
有無を言わせずに抱き着くと、ミカちゃんは少しだけ抵抗した。私に離すつもりがないのだとわかると、すぐに力を抜いて身を委ねてくれた。
しばらくそうしていると、不思議とミカちゃんの心の内が分かるような気がする。
私は、
私は持っている知識にミカちゃんの心情を当てはめているだけかもしれない。それで、わかった気になっているのかもしれない。
それでも絶対に、今感じているこの体温は、嘘じゃないのだ。
「大丈夫ですからね」
「……え?」
距離を取ると、ミカちゃんは戸惑った様子で私を見る。その瞳の中に、僅かな動揺と、恐れが見えた。
「どういう意味かな?」
不器用ながらも感情を隠しつつ尋ねるミカちゃんに、私は唇の前に指を立てて。
「内緒! 最近のミカちゃんの真似だよ!」
意地悪だとは思う。もしかしたらより一層ミカちゃんを追い詰めるかもしれない。
私がミカちゃんの秘密を知っているかのような匂わせをして、彼女がどんな行動に出るか分からない。
考えなしの、馬鹿みたいな行動だった。
でも、やりたかった。私は今、生きているのだから。