アメイジング・グレイス 作:にゅーとん
命が尽きる瞬間には、脳が快感を覚えた。
面白いものではない。二度とごめんだと思ったし、もし叶うことならば誰もこんな思いをしてほしくない。
おそらく折れた首の骨。あるいは階段から落ちる過程で打ち付けた頭。燃えるように熱く、痛みがじわじわと広がっていく感じが炎を連想させた。耳の奥から熱い何かが溢れてきて、血が出たのかと確かめようと腕を動かそうとして、全く身体が動かないことに気が付いた。
それでも無理やり体を動かそうとして、激痛のあまり身体がはねた。どこからかは分からないが血が飛び散る。喉からは悲鳴も出ずに、おもちゃの笛が出すみたいな掠れた高い音。
これは死ぬんじゃないか。
その時はずっと長い時間苦しんでいたような気がするけれど、本当は一瞬の出来事なんだと思う。次第に熱が引いて行って、今度は体の中心から冷えて来た。徐々に、脳がしびれ、肉体的な快感と精神的な快感とが複雑に混ざり合いながら、暴力的に私を攫う。
楽しくなるのと同時に、脳が死の恐怖を紛らわそうとしているんだと他人事のように理解して、だからもっと怖くなった。
避けられない恐怖に打ちのめされそうになって、視界が暗く、ぼやけてきた。
親が私を見つけて悲鳴を上げた。私はまだちゃんと意識があったけれど、身体が冷たくなっていたらしい。半狂乱になりながら救急に通報していた。
やってきた救急隊員が、小さくため息をついた。その時は、その意味を理解できなかった。
死の恐怖だけを感じていた。
だから、私がどうやら生まれ変わったらしいと気が付いた時、絶望したのだ。あの悍ましい……なんで、また、死ななければならないのか。
大切な友人。初めてできた好きな人。信頼できる仲間。強力な身体。誰にも負けない才能。そんなもので、この苦しみが打ち消せるものか。
それでも、私は生きるしかないのだと決心して。出来れば、いつかみんな味わうことになるあの苦しみが、なるべく先送りになれば。
☆
「ごめんなさい……もう一度、言ってもらえますか?」
「先生が、銃撃されて重体なんです。ゲヘナの方が先生を搬送してくださって、トリニティ自治区の病院に今――」
「違う! 違うでしょ!? そんなわけがない……! そんな、なんで?」
「あ、アリア様。落ち着いてください! 確かに信じられない気持ちも」
近づいてきた生徒を払いのけて、報告してきた生徒の両肩を掴む。
「い゛っ゛!? あ、アリア様……! 痛――」
「本当なんですか。嘘だったら殺します」
「ぃ……本当です!」
場所を聞いて私はすぐに部屋を飛び出した。ハナコちゃんの呼び止める声が確かに聞こえたが、無視した。
窓から飛び降りて、校門を飛び越えて、可能な限り全力で走る。
あたりには、けがをしたのか蹲っている生徒や、倒れている生徒がいた。
走りながら私は、何度も自分の記憶違いではないかと現実逃避した。先生が何発も銃弾を喰らうのは、私の知っているストーリーと本当に違うか。その状態から助かったのではなかったか。
大きな病院の前に、ゲヘナの車両を見つけた。それを見て、私は病院の場所を聞いていなかったことに気が付く。今までどこを目指して走っていたのか、もう今の私にはわからなかった。
自動ドアは開きぱなしになっていた。
病院に飛び込んでから、どこに先生がいるのかを今更考える。大きな柱に貼られていた院内地図を確認して、緊急外来の方へ向かう。
走っていると、時折こちらを咎める声が響くが、奥からは切羽詰まった声が聞こえた。
「先生! しっかりしてください!」
この声にはあまり覚えがない。ストレッチャーに載せられた先生が、看護ロボットに囲まれて奥から現れる。
それに対して必死に声をかけているのが、氷室セナだ。ゲヘナ学園の生徒。確か、死体が好きだったか。血まみれで、下着姿だった。
「先生……?」
私は看護ロボットたちに混ざるようにして、ストレッチャーで移動させられる先生を見た。
応急措置として、セナさんが自分の服を使ったらしい。セナさんは血まみれになった服を、先生の腹部に強く押さえつけていた。元の色が恐らく青色だったことを、血のついていない僅かな箇所から知れた。
先生の太ももに巻かれている布は、シャツだろう。これも真っ赤になっていて、その鮮やかさから白いシャツだったのだろうと、のんきに考えてしまう。
「あ、り……あ」
血の気が引いた。先生には意識があった。医学知識のない私には、それがいいことなのか分からない。ただ、恐ろしいことのように感じられた。
湿った音。それが先生のどこから発せられた音なのか分からなくて、怖くて震えが止まらなくなった。涙が溢れてくる。
「先生……先生……ああ、ごめんなさい……私の。私のせいなんです。私は、今日、こうなることを知っていて。でも、何もしない方が……何もしない方がいいんだって本当に考えてしまって……何もしないのが正しいと、本気で……なんで…………怖くて動けなかったのは本当だけど、でも、本当に、何もしない方がみんなの為だと思ったのは、本当で……あ、駄目だわかんない! なんで……あぁ違う……ごめんなさい……」
一度話し出すと、さらに涙が溢れて来た。上手く息が吸えなくて、本当に話せているのかも分からない。鼻の奥がつんと痛んで、頭が滅茶苦茶だ。
「アリア。大丈夫……だから、私の、大切な……これを、あずか……」
気が付かなかったが、先生は折り紙を手に持っていた。血に塗れて、羽がしんなりと折れ下がっている鶴。管が何本も繋がれた先生の腕が、折れそうなほど細く見えた。
力を振り絞るようにして腕を上げて、私に鶴を持たせた。そのせいで、先生の身体からは血が溢れる。
「先生……!」
慌てていても冷静に叫んでいたセナさんが、今度こそ悲鳴を上げた。呼びかけるためのものではなくて、心から零れ落ちた悲鳴。セナさんの心から、大切なものが失われたのだと思った。
☆
私は何も考えず、血まみれの折り鶴を眺めていた。紙というのは丈夫なもので、このまま乾かせば血の跡は残っても、ちゃんと保存できるだろう。
先生の葬儀の時に、棺桶に入れるべきかもしれない。
私は漠然と先生の死を受け入れていた。それが私の責任であることも理解できていたのに、平然と。
「新石アリアさん」
「セナさん。先生は?」
先生と一緒に手術室へと入っていったセナさんだったけれど、すぐに戻ってきた。バスタオルを身体に巻いて、手には誰かから貰ったらしい服を持っている。
セナさんは私が座っているベンチの横の、もう一つのベンチに腰掛けた。
「服、着なくていいの? 人来るかもしれないですよ?」
「そう、ですね……」
「……」
「……私のミスです。出血の多さで気が付くべきでした。押さえていない側腹部にも銃傷があり……」
「……せんせいは、死んだの?」
「臓器の損傷も激しく、助かる見込みはないと」
小さく噴き出す声がした。
私はセナさんが笑ったのだと思ったのだけれど、こちらを咎めるように睨んでいた。どうやら笑ったのは私の方らしい。
急にむしゃくしゃして、辺り一面破壊してやろうかと思って、今度は急に悲しくなった。
感情がぐちゃぐちゃになって、制御できない。
深呼吸して、また無に戻る。怒りが消えて、喜びが消えて、訳もなくこみ上げてきていた楽しさも消えて。
砕けた月を見ているみたいな気持ちになった。
「私が悪かったんです。セナさんのせいじゃないよ。さっきも……聞いていただろうけれど、私は調印式が襲撃されることを言っていたんだ。こんなことになるとは……言い訳だけれど、こんなことになるとは思っていなかったから」
☆
私はトリニティの校舎へと戻ってきた。
病院にいても何もできない。ストーリーから展開が変わったというのなら、私はナギちゃんを助ける必要がある。
いくら私の身体能力が高くても、人を探すには人手が必要だから。
トリニティの混乱は落ち着いていた。それが不思議だった。
ゲヘナと開戦する方向で纏まった結果らしい。気味の悪い熱気が粘性を持って、結束を強固にしていた。
ハナコちゃんが失敗したのか?
敵を取れと、皆が皆、吠えていた。
なんとなく人目につかない場所を通って、冷静に話を聞いてくれそうな人を探していると、数人のシスターフッドの生徒と共にハナコちゃんが誰かを探しているようで、きょろきょろとあたりを見渡しているのを見つけた。ハナコちゃんはすぐこちらに気が付いて、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「は、ハナコちゃん……あの、先生が……」
「アリアちゃん……! 今は、こちらへ隠れて!」
先生のことを話そうとしたのだが、袖を引かれて近くの教室へと誘導される。
「落ち着いて聞いてください。アリアちゃん……ヘイローの壊れたナギサさんが発見されて――――」
私は、気が付いていた。敵を取れと叫ぶ生徒の多くが、フィリウス分派だったから。
ただ、覚悟していたとはいえ実際に言われると違う。
頭がすうっと急速に冷えていった。本当の狂気は冷たいらしい。冷静になったのではない。正気じゃないことだけは確かだ。そのまま感情に任せて動く。抑えられない。
もうすでに間違いだと分かった後だけれど、私は今でも私の判断がそこまで間違っていたようには思えない。後から行動しなかったことを悔やんでいるだけで、私は私なりに考えて最善と思った行動をした。
だから、思うに、私という存在が端から駄目だったのだ。
今からできることはそう多くない。私は報いを受けなければならない。なるべく苦しんで、あの恐ろしく冷たい恐怖を味わいながら死ななければ。
でも、その前にやらなければならないのは、報いを受けさせることだ。
止めようとするハナコちゃんを振り払う。
遠くで爆発が起きて、空が火炎に燃えて赤く染まっていた。近くでも混乱によるものか火災が発生していて、火の粉が散っている。トリニティの古くかび臭いホコリに火が付いた。
生徒たちは現れた私を見て歓声を上げた。
「アリア様! ナギサ様の敵を! 憎きゲヘナに!」
「……これはもう、誰も止められないな」
もしも止められるのなら、私も躊躇しただろう。ナギちゃんの死は決定的だった。これはハナコちゃんでも止められないだろう。
可能性があるとすればシャーレか、他学校の介入か。どちらも可能性は低いか。
先生は瀕死の重体で、他学校は止める必要がない。ゲヘナとの開戦が避けられないのなら、利用する。
現状唯一開戦を止められるのは、私が大暴れして、暴力で無理やり戦争を行えなくする方法だ。ただ、私はそこまでして止める気がない。
ナギちゃんが重用していた生徒を群衆の中に見つけ、こちらへ来るようにアイコンタクトを送る。私に詰め寄る生徒に混じって、上手く近づいて来てくれた。
「ゲヘナの風紀委員会に、調印式襲撃は万魔殿の差し金だと情報を流して。もしかしたら落ちた飛行船を探れば証拠があるかもしれない……そっちにも人を回して。対立を煽ったら、トリニティが風紀委員会を操っているようにゲヘナの生徒へと見せつける……出来る?」
なるべく小声で言ったが、周りの人には聞こえてしまう。当然、私を庇おうとしてくれていたハナコちゃんの耳にも届く。
「アリアちゃん!? な、なにを――!?」
「戦争だよ。ナギちゃんと先生を殺したアリウスと、それに協力した万魔殿に」
「せんせい……? 待ってください、待って」
「アリウススクワッドとマコトは、私が殺――」
「本当だったんだね」
ばっと人垣が割れて道が出来た。本能的な危機、そんな冗談みたいなものを感じ取ったらしいことが、対面にいる私にはよく理解できた。
不気味なくらいに冷静にほほ笑んでいる。ミカちゃんは、私をじっと見つめていた。
「ミカちゃん……」
ミカちゃんを見ていると、急に冷静になった。そして、信じられないくらい悲しくなる。もう世界に、私とミカちゃんしか残されていないような気がした。また涙が溢れて止まらくなる。今すぐミカちゃんに抱き着いて、声を上げて、すべての感情を削り取るように泣きたい。
「私は……もう行くね」
ミカちゃんは結局、何の感情も見せなかった。きっと、ミカちゃんはアリウスの生徒たちを殺すんだろうと、ぼんやりと思った。
☆
私はハナコちゃんとシスターフッドに囲まれ、無理やり群衆から引き離された。
「すみません」
「いえ、最早開戦が避けられなかったのは事実です……統率が取れただけ、トリニティの被害が少なくなったので、良かったかもしれません」
いっそのこと、すべてが私のせいだったらいいなと思った。全ての不幸と苦しみが、私の存在が故に引き起こされているのなら、どんなに楽だろう。
でも、それは逃げなので、思考を打ち切った。
行き場のない感情は、徐々に、分かりやすい敵に向かう。
トリニティの生徒たちがゲヘナと戦いたがっているのは、ゲヘナが憎いからだけじゃない。ナギちゃんの無念を晴らしたいからだけじゃない。
不安だから、溢れる感情を受け止められなくなったら、無理やり誰かに投げつけるしかないんだ。
私も、そうだ。冷静にそう思考しつつも、最早抑えられない。
アリウスは殺す。
行く理由も、作れる。ミカちゃんが心配だ。ナギちゃんに続いて、ミカちゃんを失うわけにもいかない。
隙を見て、床を蹴って壁を蹴って、人垣を飛び越える。
ミカちゃんを追いかけよう。その先に、殺してもいい奴らがいるから。