函館警備隊の皆に見送られて、大湊へ向かう私は、巡航速力を維持しながら、津軽海峡を超えた。
夏の湿った風を感じながら、陸奥湾に入る。下北半島の山を見ながら、鯉島の北を通って、下北半島に回り込むようにして、大湊への航路を取る。脇野沢と呼ばれている廃墟と、国道338号だったものを尻目に、私は海面を訳もなく蹴った。
宿野部川を通り過ぎると、川内川、川内町だったものが見えて来る。
対空レーダーに感あり。識別信号は友軍機。
こちらを視認したらしい艦偵が、バンクを振ってくれた。
「こちらは第25航空隊所属のシグナス35、護衛艦あまぎり、歓迎する。ようこそ、大湊へ」
「こちら護衛艦あまぎり、貴機の無事を祈る。感謝する」
発光信号で彼らにそう言うと、彼らは西向けて飛んでいった。
そんなことをしていたら、芦崎と、大湊航空基地が見えて来る。見張台からの発光信号に答えると、データリンクに、私の取るべき航路が表示された。
大湊湾の航行可能な場所は少ない。その原因に、私はちらりと目をやる。
大湊湾の中に着底する護衛艦。マストに装備された対空レーダーが顔を覗かせていた。何れも劣化が激しい。錆の無い表面を探すのが難しい。
大湊湾はそのような状態だったので、わたしは湾に入るなり速度を落とす。水先案内に出てきたミサイル艇に従って、私は収容ドックへ向かった。
「あまぎり、速度を5ノットまで落とせ。大湊の連中が戸惑っている」
「了解」
いくら加減速が優れていると言っても、やはり不安なものは不安なのだろう。航海長の指示に従い、速度を5ノットまで落とし、私は収容ドックへの進入針路を取った。
「こちらコントロールセンター、回収を開始する。そのまま待機されたし」
「了解」
収容ドックの中に入り、しばらく待っていると、ドックの装甲扉が閉じられ、作業アームが私の方に伸びてきた。
アームの指が私の身体中を掴む。
「固定完了。引き上げる」
海面から持ち上げられ、簡易メンテナンスエリアに入れられる。妖精たちが退艦すると、艤装が取り外されて行き、検疫と洗浄と簡単な点検だけを済ませると、私はようやく解放された。
点検完了のタグを付ける。内装の所々が剥がれた部屋で、私は着替えに袖を通した。
「ようこそ、大湊基地へ」
思わず後ろを振り返ると、そこには少女が立っていた。
「おや、上司への挨拶は無いのかな」
「失礼しました。護衛艦あまぎり、着任しました」
「宜しい。戦後生まれとしては上出来だ」
黒いおかっぱの髪を揺らしながら、少女は私の顔を覗き込んだ。
幽霊の様な人だ。白粉を塗ったような白い肌に、どす黒い瞳。
「メンテナンスルームに近づくのは危険です、花守司令。もう少し待っていただければ」
「点検はちゃんとしたんだろう。問題は何も無い。証明タグも付いている。君はそれでも問題があると?」
「……、いえ」
「宜しい。産まれたばかりにしては上出来だ」
彼女はそう言うと、出口に立って私を手招きした。
「来たばかりだ。少し案内しよう」
花守に連れられて、私は大湊基地の中を歩いた。この基地は汚れのあるものから無いものまで、壁が入り混じっている。
私は立ち止まる。
「どうしたんだ? あまぎり」
墨汁で満たされたあの目が、私を見通す。
「ここは、不衛生です」
「ん?」
隅に雑に纏められた瓦礫。
廊下に舞う埃。
壁に残った血痕。
建物を覆う煤。
「ははぁ、そうか、確かにな。ここは人が住むような所ではない」
花守はニカッと笑う。白い均整な歯がてらてらと光る。
「安心しろ。前もって言っておくが、私は改修済みだ」
花守は制服の袖を捲る。そこには、真新しい「115」の刻印があった。
「それを早く言って下さい。しかし、なるほど、強化人間だったんですか」
「……、もしかして、KM-115、115人目の強化人間ですか。知識としては知っていましたが」
「……、114人目に会ったことは?」
「夕張さんの相方のですか?」
「そいつだ」
しばらく黙って、私は花守に告げた。
「後で片付けましょう」
「え、面倒くさいだろ」
「今度は貴女の精神が問題のように思えてきました」
「お前、着任したばかりなのに上司に対して失礼じゃないか」
「私は上司思いの部下だと思うのですが」
「私は函館からは『良い娘が来る』と聞いていたんだけどな……」
しばらく花守と言い合った後に、私は彼女に質問した。
「司令、もう1人はどこに?」
「てるづきは工廠に居る。私が案内しよう」
花守の案内に従って、私は基地の中を歩く。しばらく歩いて、「歯車と釘」のロゴが描かれた扉の前に着いた。
花守が扉を開くと、機械油の臭いがついた空気がこちらに流れてくる。
「明石、調整は済んだか?」
花守が声をかけると、何に使うのかよく分からない機器の中心に居た桃色の髪の少女が、こちらに顔を向けた。
「いいや、まだ時間がかかる」
「明日までには終わるか?」
「終わらないね。本部から貰ったものしかないから、実戦に耐えうるようにするにはデータが足りない」
そう告げる少女の顔は、私から見て不機嫌そうだった。
「こちらは時間が惜しい。最低でも1週間以内には終わらせてくれ」
「安心しな、花守。2日で終わるよ」
「深海棲艦はどこから来るか分かり難い。なるべく早く終わらせてくれ」
「ハイハイ、それで、その娘があまぎりかい?」
明石という少女は、適当に花守をあしらいながら、私の方に視線を向けた。
「あぁ、そうだ。あまぎり、明石だ。挨拶しろ」
花守から言われて、私は明石に名乗った。
「さっきぶりですね、明石さん。こちらでも宜しくお願いします」
「その言い方は適当ではないよ、あまぎりちゃん。私はまだ函館の奴とは同期が完了していない」
「……、それは失礼しました」
「ま、よくあるから別にいいよ」
私の間違いを、明石自身は特に気にしていないようだった。
「あまぎりちゃんは相変わらず従順な娘だねぇ。もう少し跳ねっ返りになっても良いのに」
「何か言いました?」
「いや、何も」
「明石、私の部下に変なことを吹き込むな」
「これは失敬」
花守が明石に食ってかかり、明石はまたそれを適当にいなした。
私は、部屋の中央部に固定されたそれを見る。
白い肌と髪。
彼女は機械の上に仰向けに寝かせられていたが、全身に侵襲式の調整機器と黒い拘束具が装着され、明石が花守と話しながらも、部屋中のアームが彼女を中心に蠢いていた。
「明石さん、その娘が」
「ん、ああ、そうだよ。これが、てるづきちゃんだ。琵琶湖から届いたばかりでね、優しくしてやってくれ」
「部隊への着任は私より早かったのでは」
函館に居た頃には、1か月前にはてるづきは大湊に着いていたという話を聞いていた。
「琵琶湖の連中、ほとんど未完成のまま送ってきてね」
「最新鋭なのに、本部が手を抜くことなどあるのですか」
私は続けて言う。
「とてもそうとは思えないのですが」
「ハードの方は問題無い。寧ろ見事だね」
明石はそう言って眠るてるづきに目を向ける。てるづきは動かない。
「情緒不安定。作戦遂行上、無視できない程に感情的。自壊傾向あり。人格に問題しかない」
口を開いたのは明石ではなく、花守だった。
「それほど酷いのですか」
「私も宥めるのが大変だった。最近は落ち着いてきているから、ようやく訓練もできるようになった」
来た頃は設備に傷を付けて、目も当てられなかった、と花守は続けて言った。
「ハードの方も、てるづきちゃんの動きが未熟でね、傷みが酷い」
明石は頭を抱えていた。
「あれは貴女の付けたものかと思っていました」
「たちの悪いジョークだな」
花守は私を軽く睨んだ。
「私もこっぴどくやられたね。いやー、同じ艦娘として惚れ惚れするほどにハイパワーだったよ」
明石はそう言って、袖を捲った。腕には血の滲んだ包帯が巻かれ、高速修復材の点滴がしてあった。
「随分と大変だったようですね」
「まー、あまぎりちゃんが来たからには楽になると思うけど」
「……、善処します」
「いや、してもらうからな」
「それは命令ですか?」
花守は少し口角を吊り上げた。
「上官命令は絶対だ」
「ウン、ソウデスヨネ」
本当にため息をつきたかった。
「とりあえず、起こして貰えますか? 私は顔合わせをするつもりだったので」
「あ、そういうことね。私の所に来るの、少し早いな、とは思ってたんだけど」
明石がそう言うと、アームの動きが変化する。
「慎重にな、明石。鎮静剤の準備はしておけ」
「言われなくてもやってるよ」
よし、起動。という軽い言葉と共に、明石は無数の入力装置の内の1つを押した。
「情緒不安定と聞きましたが、初対面の私が会っても本当に大丈夫なのでしょうか」
「どの道、顔は合わせなければならない。早いほうが良い」
てるづきを固定していた黒い拘束具が外れる。しばらくすると、てるづきの瞼が持ち上がる。
瞳は、赤色だった。
明石がてるづきに処置をしながら、私はそれを眺めていた。
「現時刻は?」
「2038年8月12日12時35分」
「場所は?」
「AMT大湊基地支部」
「あなたは?」
「護衛艦てるづき」
てるづきは明石の顔を見ていた。
「明石さん、処置は終わったの?」
「いや、終わってないけど、てるづきちゃんに会いに来た娘が居てね」
明石さんが私の方を指し示す。
てるづきはゆっくりとこちらを見た。無数のチューブが揺れる。
「……、あまぎり?」
「うん、あまぎりだよ」
私が笑いかけると、彼女も笑った。
「へぇ、あまぎりそんな見た目なんだ」
「まぁね。艦娘になるなら、こういう姿だからね」
艦娘は、人間に似ている。特に、少女と呼ばれる人間の形態に類似している。
「えへへ、そっかぁ、あまぎり生きてたんだ」
てるづきがほおっと息をつく。
「私が来ることは聞いていなかったの?」
「いやぁ、聞いていたんだけど、イマイチ実感がわかなくてねぇ」
「そっか。てるづきは、元気にしてた?」
私がそう訊くと、てるづきは答える。
「てるづきは元気だよ。目もよく見えるし」
そう言って笑うてるづきは、私が初めて見るものだったが、不思議と気持ち悪くなかった。
「…………」
「てるづき?」
てるづきが固まる。
明石と花守の顔が険しくなる。
「うあ、あっ」
耳を埋め尽くす爆音。
てるづきと計測機器の1つが悲鳴をあげたのは、ほぼ同時だった。しかし、どちらが先かは私には分からなかった。
「明石! 鎮静剤! シャットアウトしろ!」
「分かってるしやってるよ! マジで守備範囲が広すぎるんだって!」
即座にてるづきに黒い拘束具がはめられ、アームが震える。部屋中が機械音で埋め尽くされ、てるづきは急速に抑え込まれていく。
「あまぎりっ、あまぎりっ、いぎっ」
「てるづき!」
てるづきの目から液体が溢れ出す。拘束具が震える。てるづきは雄叫びをあげた。
「大人しくしてくれっ」
明石はそう言って、10本の指で入力装置を叩いていく。
悲鳴と警報音で埋め尽くされる部屋、私と花守に抑え込まれるてるづき。そのような状態がしばらく続いて、ようやく落ち着いたてるづきは、再び眠りについた。
部屋中のあちこちに液体が付着し、いくつかの機器は破損していた。
床は液体で満たされ、私も誰も彼もが液体塗れだった。
「いつもこうなんですか?」
私はそう訊くと、花守は答えた。
「いや、最初くらいだ。どうやら、お前はてるづきの守備範囲に入っているようだ」
「……、何でですか?」
「知るか。本人に聞くしかないだろう」
作業をしていた明石が、こちらを向く。
「一応、何時も通り点滴は常備させるよ」
「だが、あまぎりと会った時はどうする?」
「そこは何とかするよ」
明石は私に告げた。
「あまぎりちゃん、一回部屋から出て貰える。ここから話すことは、あまぎりちゃんが知っちゃいけない軍事機密も入る」
「……、了解しました」
私は、その言葉に従うほかなかった。