グアンハオの修行はなにも武術だけではない。
書類整理や報告書の提出など、最低限の事務仕事もあるため読み書き計算のほか、潜入捜査に必要なコミュニケーション能力、演技力、人心掌握術も教えられる。
あと男女ごとにその……いわゆる
正直、嫌悪感がないわけではない。
あわよくば子供を生めない身体を装えば回避できるかと淡い期待もしていたが、とうとう初潮を迎えたことがバレた。
『誰か気になる異性はいるか?』
教官から真顔で聞かれた質問に、もし眼鏡の彼女であれば「セクハラです」と切り返せたのだろうかと軽く現実逃避をしつつ、特にいませんと答えておいた。
これはつまり、遠回しにハニートラップの訓練を受けろという意味なのだろう。
途中から脱走するつもりとはいえ、こういった世界で生きて行く以上は貞操うんぬんに関してはもう割りきるしかない。まあ女スパイの重要な役割だし、私も今さらそのくらいのことに拒否するつもりはないが、ハジメテくらいはまともな男にしておきたい。
そうなると相手は……
「ねえジャブラ」
「んー?」
ニュースクーの朝刊を捲りながらココアを啜るジャブラ。視線を手元に向けながら軽く唸る彼に、私は一緒にご飯食べないか的なノリで聞いてみた。
「私とセックスしてくれない?」
案の定盛大に吹き出したココアによってテーブルクロスが汚れるが、読んでいた新聞は私が寸でのところで回収したので無事だ。
「は!? なっ、なにを!?」
「いきなりでごめん」
目に見えて動揺しまくる友人に一言謝罪しつつ、私は簡潔に答えた。
「いわゆる………水揚げ? 的なのを頼みたいんだけど」
先生達の話をこっそり集めてわかったことなのだが、ジャブラも最近めでたく精通し今は女性を抱く手解きを受けているらしい。だからもう未通の女子を抱くくらいなら大丈夫かと声をかけてみたわけである。
「なんで……俺?」
それでもジャブラとしてはわざわざ自分に頼んできた理由に納得できない様子で、警戒心剥き出しな動物の如く私からジリジリと距離をとりつつ視線を外さない。ここは無難に濁すよりも正直に答えたほうがいいと判断し私は理由を述べる。
「だって知らないオッサンとかやっぱり嫌だし、気心知れたジャブラだったらいいかなって思って」
するとジャブラの顔は羞恥からみるみる真っ赤になりだし、目が泳ぎはじめる。
………やっぱ無理かな、これ。
それもそうだろう、確か彼には好きな子がいる。
ギャサリンという、女の私から見ても気立てがよくて異性にモテるいい子が。
よく男はみんなスケベなんて聞くけれど、男性だって相手は選ぶ。ましてやジャブラはまだ中学生ぐらいだし、好きじゃない女とは気乗りしないだろうな。
「………わかった、無理言ってごめん」
「!?」
私が潔く引いたことに、今度はなぜかジャブラが慌てはじめる。
「ちょ、どうするんだよ!?」
「いや、違う人に頼もうかと」
もとよりダメもとで聞いてみただけなので、断られてもしょうがないと諦められる。
でもジャブラ以外にそこまで嫌悪感なくできそうな相手というと………あとは、ゲルニカ先生あたりが妥当かな?
今はどのあたりにいるんだっけと彼のスケジュールを思いだしつつ、その場を去ろうとした瞬間に私は急に腕を捕まれた。
「?」
振り向くとそこには真っ赤な顔の、しかし真っ直ぐに力強く私を見つめるジャブラが引き留めていたのだ。
「一年…」
「?」
かぼそい声で呟かれた言葉は今一聞き取りづらく、私は戸惑う気持ちのまま首を傾げてしまう。
「一年……いや、半年でいい」
今度はハッキリと聞こえたが、一瞬だけ俯いてぐっと声を詰まらせる。だが数秒ののちに決意するかのように今度は腹から声を出した。
「俺と付き合え!」
「………え?」
告げられた言葉に一瞬だけ私の頭が真っ白になる。
つき、あう?
この状況での意味はなんとなくわかるが………いや待て待て私、自惚れるな。
これで違ってたら恥ずかしいし、一応ここは確認しておかないと。
「それは……なんかの用事を手伝え的な?」
「交際する意味のほうに決まってんだ狼牙!!」
やっぱりそっちのほうの意味だった!
え、嘘でしょジャブラ。
マジで言ってる?
たかだか女スパイの水揚げだよ?
とっくに童貞は卒業しているだろうけど、好きでもない女子と肉体関係を持つだけでも気まずくなりそうなのに、そういう関係になるのは精神的疲労感が溜まるものじゃないの?
「別にそんな責任持たなくても……」
「俺の精神の問題だから!」
終いには後生だからと私の手を両手で握りしめ、必死に祈るポーズをしつつ懇願しだす幼なじみに私は目を瞬かせる。
………ジャブラって意外と律儀なやつだったんだな、初めて知った。ならばここは素直に引き受けるのがスジというものだろうか。
「じゃあ、お願いしていい?」
ジャブラの両手をそっと包むように手をかざし小首を傾げて聞けば、彼は一度驚いたように目を見開いたが、真っ赤な顔のままブンブンと首を縦に振ったのだった。
「………それで交際したのか」
演習場の外れで煙草を吹かすゲルニカは、傍らの切り株に座り込むジャブラを見下ろしていた。
後輩から相談があるからと、ポツリポツリと話しはじめた内容を聞けば、どうやらこいつは初恋の幼なじみ相手にずいぶんセコいことをしていたらしい。
水揚げを口実に交際を迫るとか、やっていることだけ見れば最低男のやり方だ。ブルーノ達が聞いたら卑劣だなんだって冷たい眼差しを向けてたし、ルッチなんぞに知られたら殺されても文句が言えないだろうに。
不幸中の幸いというべきか、彼らはまだこの手の授業を受ける年齢ではないが。
「いや………だって…」
ジャブラは目を泳がせて気まずそうにボソボソ呟く。
ただでさえルッチの台頭に焦っていくなか、当人からこれ以上ない据え膳を設けられたのだ。何より彼女のハジメテになれる、これを逃したら一生後悔する気がしたという。
……確かに食いつかないほうが難しい気がするなと、ため息とともにタバコの煙を吐き出す。
「で、肝心の水揚げは?」
何気なく聞けば、ジャブラはボンと顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
(………これはまだやってないな)
思いの外ウブな後輩にやれやれと肩を竦める。
「もう童貞じゃないんだから腹括れよ」
「それとこれとは話が別だ!」
「このヘタレめ、そんなんでCP9になれると思うなよ」
ギャンギャン噛みついてくジャブラの頭を鷲掴みにして行動を制限し、彼の腕が自分に届かないようにしておく。
それにしても……彼が今現在思いを寄せている当の幼なじみの娘だが、どうにも変なところで天然が入っているようにゲルニカには思える。
ジャブラのことはせいぜい年の近い弟としかみていないからか、自分に対して邪念を抱いているなど想像すらしていないかもしれない。
(………まあ、俺にとっては関係のない話だ)
そう、関係ない。
少なくともゲルニカにとっては彼らは、数多くいる後輩の一人に過ぎない。
ただまあ、ひとまずこの馴れ初めとすら呼べないこの少年の秘密は、せめてもの情けとして墓まで持っていってやろうと心に決めるのだった。
多分さらに1ヶ月はかかるんじゃないかな……