空と君のあいだに   作:苗根杏

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10.VOYAGER 〜日付のない墓標〜

 

 

「うおおおおおおおッッ」

 

 俺はオーバーホールならぬ、オーバーフローした歯車たちに押されて、遠ざかった距離を、一気にジャンプで縮める。

 

 そして、時計の動力源であろうそれを掴む。着地するのは、金属の海。

 

 冷たい。あまりにも冷たすぎる。凍っているのか。普通の氷とは比にならない、低温やけどモノの冷たさだ。風邪をひいても、これを額に当てたいとは思えないくらい、それくらいの度を超えた温度。

 

 しかし、しょせんは氷だ。頑張れば解かせるはず。そう思い俺は、両手でそれを掴んで力を入れる。

 

 やがて、水滴がポタポタと落ちる。血でも滴ったかと思ったが、手元を見ると透明なものでびしょ濡れだ。なんとか、解かせそうだ。

 

「ぐっ……」

「おじ様!」

「逃げてください、弦巻さん!」

「違うわ! あたしじゃあなくって……!」

 

 表から聞こえてくる声は未だ遠い。じゃあ何なんだと思っていると、弦巻さんに負けないくらい、いや、それよりも大きく、かつ耳馴染みのある声が聞こえてくる。

 

「店長!!」

「ッ……!?」

 

 外を見ると、弦巻さんを抱きしめた月夜美がいた。

 

 横には、息切れした市ヶ谷さん。そうか、ここを去ったのは出勤する彼女を店まで行って呼び出すためか。往復20分、相当走っただろう。しかも寝巻きのままで。

 

 確か昨日の夜の晩飯時には、普段は引きこもってるだの体力は無い方だのと万実さんに言われていたが、俺はそれを少し疑ってしまうな。そのくらいに早いし、ありがたい。

 

 市ヶ谷さんは疲れを見せながら、若干投げやりにこちらに言う。

 

「呼んでおきましたよ。この人もいた方がいいだろうし……その、なんだ!」

 

 そして、俺の方に拳を突き出して、息を切らした赤い顔を少しにやけさせる。

 

「トドメ、刺しちゃってください!」

 

 親戚の形見にその言い方って、俺はいいけどキミはどうなんだ。と言おうとしたが、今はそれどころではない。

 

 なぜなら、ほぼ氷が解けているからだ。握ったところ、錠剤のようなカプセル状の何かで、全く検討もつかない動力源だ。

 

 さて、この前学んだことがあったな。分からないものに対しては、どのカメラで撮ればよかったんだったかな。

 

「……月夜美ィィィィ!!!」

 

 俺は、人生で一番付き合いが長いバディの名前を呼ぶ。

 

 名前を呼ばれた瞬間、彼女は瞬時に目を光らせ、その有り余った体力を使って、朝もはよから大ジャンプ。俺の方に一気に近づいてくる。

 

「はぁーいっ!!」

 

 歯車の海に足を取られることもなく、黒のコンバースは突き進む。さながらペリー。俺に技術力を輸入してくれる。

 

「セットだァ!!」

「ふふ、青美堂の看板娘! 死戻月夜美にお任せあれっ!」

 

 その技術力の結晶を、彼女はジーパンのポケットから取り出す。

 

「なんでもレンズ!! 撮影許可ァッ!!」

「りょーかーい!! なんでもレンズ、撮影ッ!! および検索、ポチッとなっ!!」

 

 実際にそこまでしっかりしたシャッターを切ったわけではないが、本格的なシャッター音がスマートフォンのスピーカーから鳴る。

 

 そして5秒後、彼女はたどたどしくもその詳細を読み上げる。

 

「その『アトモスフィア・カプセル』は、気温差で膨張と収縮を行うパーツです! その膨張と収縮により、気温が1度でも変われば2日分のエネルギーを得る、とんでもないオーバーテクノロジーッ!」

「つまり……」

 

 今、マイナス何度かから人肌温度より少し下くらいに温めたこのカプセルがあれば、きっと動く。

 

「あっためた……ってことは!」

「パーツをはめ込む! 月夜美、道具よこせ!」

「あいあいさーっ!」

 

 歯車に埋もれた道具を取り出そうとする月夜美。正直、蔵の床を埋め尽くすパーツをすべて付けられる自信なんてのはない。

 

 しかし、ここでやらねば香月の名が廃る。今はとにかく、ヤケクソでもガムシャラでもやるしかない。

 

「……あっ!?」

 

 覚悟を決めた俺の後ろで、なんだか不穏な声を上げる月夜美。それに伴い、後ろの市ヶ谷さんと弦巻さんも少し狼狽えたような声を出す。

 

 なんだなんだと振り返ると、月夜美は既に蔵から出ている。何のつもりだと聞こうとする前に、月夜美が叫ぶ。

 

「店長!! こっちに逃げてくださいッ!!」

「えっ!?」

「いいから早く!」

「おじ様! パーツがっ!」

 

 パーツ? 

 

 俺は足元を見ると、ひとつ、ふたつ、やがて無数の歯車がカタカタと震え出す。

 

 それらはやがて、こちらに飛んでくる。磁石に引き寄せられるように、俺に引き寄せられるように。

 

 いや、正確には、俺の頭の位置、もう少し正確に言えば、文字盤を開けたパーツ収納位置に飛んでくる。

 

 顔面に歯車が直撃すれば、大怪我は避けられない。しかも、俺ごとこの時計に組み込まれかねない。

 

 これは杞憂でもなんでもなく、この頭のおかしい構造をした時計なら有り得てしまうというだけで、もしかしたらもっと酷いことになるかもしれない。

 

 俺は鼻っ柱にぶつかろうとする大きな歯車をすんでのところで仰け反って避け、腕を裂かんとするオートマをさらに仰け反ってかわす。

 

 今度は一転して背中を丸め、馬群を縫うフィエールマンのように、歯車たちの隙間を見つけてそこを進む。

 

 くそっ、こんな遠くに置くんじゃあないよ。命懸けで何秒も走ってるのに、かわしながらだと1mほどしか進まない。

 

 ふと出口に近づいて油断した時、頬をテンプー式が掠める。皮膚が軽く裂けて、血が遅れて頬を伝う。

 

 俺は出口までおよそ40cmという所で、一気にパーツたちの散らばる床を蹴って、大ジャンプをする。

 

 何個かの部品が身体をかするが、今はそんなの気にならない。頬の傷もアドレナリンで痛くなんかない。かまいたちに斬られた気分だ。

 

 着地した場所は、月夜美の真正面だった。命の危機はこれで免れたか。

 

 先程のテンプー式に付着した血で、クレイジー・Dの『自動追尾弾』の要領で復元されて、俺があの時計に引っ張られていく可能性もなくはないが。

 

 予想外の事態が続き、それに一々神経の反射だけで抗っている状況に不安は止まないが、そんな俺を月夜美はひしと抱きしめる。しかも律儀にアウターで包んでくれる。

 

 俺を守ろうとしてくれているのならば、今はこんなにありがたい存在はいない。

 

 そして、左右からも俺の背中に手が添えられる。市ヶ谷さんと弦巻さんだろう。

 

 やっと頬の傷が痛み出してきた時、轟音が蔵を揺らした。長く響き、空気をぐわんぐわんと、必要以上なまでに揺らす──

 

「鐘の音!?」

「直っ……た……!?」

 

 俺は月夜美の肩を持って振り返る。

 

 時計は、完全に治っていた。歯車たちも綺麗すぎるほどに収まっており、俺は膝から崩れ落ちてまで安堵のため息をつく。

 

 どれだけ、そのままでいただろうか。月夜美に寄り添われ、膝をついたままで。

 

 その間もずっと、時計の鐘は鳴り続けている。

 

「……なんか、長くない?」

「1分ごとに鳴るんじゃあないかしら?」

「そんな時計があってたまるか」

「こんな時計は嫌だ、どんなの? の回答だったらちょっと面白いですね」

 

 呑気だな。

 

 こいつは間違いなく『異変』だぞ。

 

 第1の異変、パーツを取り外しても取り外しても動力源にたどり着かない構造。

 

 第2の異変、パーツの増殖、溢流、及び吸収。

 

 第3の異変、凍った動力源『アトモスフィア・カプセル』。

 

 そして、第4の異変。

 

 鳴り止まない鐘。

 

「ダメだ、止まらないッ!」

「元気にしすぎちまったか……?」

「はあ!? そんなのアリかよ!」

 

 ふて寝していた弦巻さんの時計が、途端に可愛らしく思えてくるぜ。とんだじゃじゃ馬時計だ。

 

「元気なのはいい事だけど、お転婆ね……!」

「それ、こころが言うか!?」

「はは、確かに!」

 

 この前、時計屋として、それと、いち人間として学んだことがある。

 

「あなたは笑ってる場合じゃないですって!!」

「クク……っははは! 市ヶ谷さん!」

 

 俺はそれを市ヶ谷さんに告げる。

 

「人間の想像しうるものなんてのは、大体は起こっちまうものなんですよ!!」

「!! ……だったら、何だって言うんだよ……」

 

 この時計の故障だって、きっと『人の思い』が関係しているんだろう。

 

 前回の例も今回も、推測に過ぎないが、父の愛と弦巻さんの過剰な庇護によって自我を生み出した時計と、妹に見せられず心残りがあるまま亡くなってしまった千果さんの凍った心を体現した時計。

 

 あれらをこう仮定するならば、どちらも『人の思い』を内包していると言える。

 

「薄々勘づいてるんでしょう! 千果さんの思いが、まだこの時計に残っていると!!」

「なッ……」

 

 正直、今の考察は外れているかもしれない。途中式は間違っているかもしれないんだ。しかし、これによって何かが変わるかもしれないと考えたら、やらないよりもマシだ。

 

 別に俺が身体を張るわけではないというのが、少し腑に落ちない方もいるだろうが。

 

 俺の言葉を受けて、市ヶ谷さんは大声で叫ぶ。

 

「……ばあちゃんが!! 悪かった!! 私の謝罪じゃあ気が済まないと思うがッ……許してくれ……!」

 

 そうやって頭を下げた瞬間、市ヶ谷さんは吹っ飛ばされる。風だか空気の揺れだか分からないが、とにかく吹っ飛んでしまったのだ。

 

 しまった、これはやらない方がマシだったパターンだった。

 

「有咲ちゃん!?」

「有咲っ!!」

 

 市ヶ谷さんは、空中で一回転してから、幸運にも上手いこと地面に着地する。しかし、そこからもじりじりと何かに押されて、最終的には向かいの家のブロック塀に背中がぶつかる。

 

 ぎり、ぎりり、と歯を食いしばる市ヶ谷さん。やがて磔のように、もしくは序盤のゾロのように、塀に押し付けられる。

 

「ぐ……っ、千果さんまで自分勝手かよ……!!」

 

 何故俺らは押されていないのか分からないが、とにかく市ヶ谷さんが危ない。

 

 俺は彼女の前に立てば庇えるかもしれないと思い立ち上がるが、そこで横から、大きな声が聞こえてくる。

 

「千果!!」

 

 俺が昔、よく叱られていた時のような大声。万実さんであった。

 

「ッ!? ば、ばあちゃん!?」

「おばあちゃん、危ないです! 離れててくださいッ!」

 

 月夜美は万実さんに近寄るも、それより前に万実さんも何者かに押され、じりじりと後ろに寄ってしまう。

 

「ぐっ……」

「音に、押されてるというの……!?」

 

 女子高校生の市ヶ谷さんがあんなに塀に押し付けられてる時点で、ご老体にあの攻撃をフルで食らったら骨の何本かはお釈迦になることは確定したようなものだ。

 

 何度も言いたかないが、ご老体をいたわりたい俺は、下がれと叫ぼうとする。しかし、それより先に市ヶ谷さんの方が、磔になったままで吠えるように言う。

 

「謝るんだ!! ばあちゃん!!」

「!?」

「いいから!! ……これが多分!! 最後に話せる機会だ!!」

 

 最後に、話せる機会。

 

 血縁者だから何か感じるものがあるのだろうか、まだあの中に千果さんそのものがいるように市ヶ谷さんは言う。

 

 そして、それを聞いた万実さんは静かに頷き、ゆっくり、ゆっくりと1歩1歩を踏みしめて時計に近づく。千果さんも、妹相手に手心があるようだ。市ヶ谷さんほど強く押してはいない。

 

「今まで……ごめんなさいッ……仲直りしようともせず……ずっと……ッッ」

 

 苦しそうにしながらも、服をなびかせながら万実さんは進んでいく。少しづつ、しかし確実に。

 

「だから止まって、姉さん……私を許して……!!」

 

 一層力が強まる気配。こちらまで吹き飛ばされそうだ。

 

 おそらく、鐘の音の『空気を揺らす』という性質を用いて、周りの空気を自在に操っているのだろう。

 

 しかし強情だ。本当に仲直りする気がないなら、周囲を真空にでもすればいいものを。

 

 心の中では仲直りをしたいと強く思っているが、今更できない。それが今の千果さんの正直な心境だろう。

 

 もどかしい。

 

「おい!! 千果さん!! どうやら万実さんは何も気にしてないらしいぞ!!」

「!?」

 

 俺は思わず、そう叫んでいた。

 

 すると、その大きなのっぽの置き時計は、あろうことか先程の逆、こちらににじり寄ってくるではないか。それはどういう原理なんだ。

 

「おばあ様……あと、ひと押しみたいね……!」

「ばあちゃんッ!!」

「おばあちゃーん!!」

「……万実さんッ……!!」

 

 それぞれが、世界で一番頼れるおばあちゃんの背中を見つめる中、万実さんは叫ぶ。

 

「ごめんなさいッッ!!! 千果姉さんッッ!!!」

 

 先程までと同じくらいに、空気が揺れる。そして、その声に耳がキーンと鳴る。

 

 それが止んだかと思えば、辺りはシンと静かになっていた。いつの間にか市ヶ谷さんも、道路にへたりこんでいる。

 

 沈黙を破ったのは、こちらに飛んできたスズメと、月夜美のつぶやきだった。

 

「止まった……」

 

 俺は立ち上がり、頬の血を手の甲で拭う。

 

「火事場のバカ声量で押し返したか。やるな、万実さん」

 

 弦巻さんと月夜美は、すっかり疲労困憊といった感じの市ヶ谷さんに肩を貸している。

 

「歩み寄りが大事、ってわけね」

「だな、しっかし、それを死んでまでやろうだなんて、ホントは仲良かったんじゃあねーのか?」

 

 弦巻さんは、今回の万実さんと千果さん周りの事情をよく知らないので、クエスチョンマークを浮かべているが、しかしまあ大丈夫だろう。解決はしたみたいだし。

 

 万実さんは、息切れより先に、すすり泣きが先に来たようだ。背中が震えている。

 

 そりゃあ、喧嘩別れした姉が、素直になれないながらも、魂の器を時計へと乗り換えてまでこういう機会を設けたのだから。

 

 俺は万実さんを追い越して、時計に手を当てる。目立った損傷はなし。むしろ心做しか綺麗になっている気もする。振り子及び針の正常な動作。蔵の散らかりは元に戻っている。

 

 器用な人だ、千果さん。時計の状態を見ていると、後ろから「進ちゃん」と声をかけられる。振り返ると、万実さんは赤くなった目でこちらを見上げていた。

 

「ありがとう、進ちゃん。おかげで姉さんも浮かばれた」

「いえいえ、修理の要は万実さんでしたので。俺の方こそ、ありがとうございますですよ」

 

 こちらに歩いてくる月夜美と弦巻さん、それと市ヶ谷さん。

 

 市ヶ谷さんは、ヘトヘトになった身体で万実さんに寄り添い、大きい振り子時計を見上げる。

 

「浮かばれた……確かに、そうですね。あれは明確に、千果さんの意思であり遺志、思い残すことであり重い遺すものです」

「……ずっと、ここにいたのね。姉さん」

 

 月夜美はその場に正座して、手を合わせてから言う。

 

「見守ってたんでしょう。この時計から、ずっと」

 

 市ヶ谷さんは、感慨深そうに時計を見つめる。

 

「だろうなあ」

「……姉さん……」

「千果さん……」

 

 俺が納得すると、市ヶ谷さんはまだ少し震えている足で立ち上がり、時計の文字盤のあたりに向かって言う。

 

「天国で見ててくださいっ。私も、色々と頑張ります」

「……そうだねぇ。きっと、姉さんのいる所は天国だよ。あんなに頑張ってたんだもの」

 

 さて、ここからはお邪魔かな。俺は月夜美と弦巻さんの服を引っ張り、出るように促す。

 

 なに、修理金は既に貰っている。昔からお世話になっているので、特別特価で1万ポッキリ。ここまでしといて1万円ってんだから、この世のどんなサービスよりも安いだろうさ。トドメを刺したのは万実さんだったけど。

 

 俺は欠伸をしながら、蔵の外を見る。外は既にだいぶ明るくなっており、鳥たちが行き交い、小学生が元気に登校している。

 

 帰ったらすぐに開店だな。少し仮眠するから、開店してからしばらくは店の番は月夜美に任せるが。

 

 そんなことを考えて、流星堂の蔵を出た瞬間、後ろから、控えめに鐘が鳴る。

 

 ゴーン、ゴーン……と、2回。

 

「え……」

「あら?」

 

 思わず振り返ると、万実さんと市ヶ谷さんもこちらを見ている。時刻は7時49分。どう考えても、鐘が鳴るはずはない、中途半端な時間だ。

 

「い……今のは……?」

「……さあ? そこは時計屋の領分じゃあないんでね……ただの故障だったらまた言ってください。アフターサービスで無料修理します」

 

 市ヶ谷さんの震えた声に、俺はそう返した。

 

 多分、今のは千果さんの俺に対するメッセージだと思うから。

 

「不思議な置き時計。私たちが初めて会った頃と同じですね」

「ああ……あの時も、こうやって出張で修理してたっけな」

「なになにっ? その話、聞きたいわ!」

「ええ〜? 店長と私だけの、ヒ・ミ・ツ……だしぃ?」

「これは4年前、月夜美の住むアパートに……」

「ええっ、いや!! ちょいちょいちょい!? なに勝手に話してるんですか!?」




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