空と君のあいだに   作:苗根杏

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14.運命の人

 俺は酔っ払いの説教だと思われないように、ビールを置いて、彼女の目を見て真剣に話す。

 

「例えば、テストの点数を予想するとしましょう。あなたは予想点数を50点として、30点を取りました」

「えっ? あ、30点……はい」

「予想より低くて落ち込みましたね。しかし、0点を予想点数とすると、どんなに低い点数を取っても予想より上、0点でも予想的中になりますよね? こうすれば落ち込み具合は軽くて済む」

 

 少し脳内で咀嚼しているようだ。倉田さんは、牛乳の入った瓶の水面をじっと見つめて、動かない。

 

 自分で言っていてそこまで分かりやすい例えでもないと思ったので、ここまであちら側も真剣に聞いてくれるのは有難い。

 

「私は……ネガティブになることで、色んなことのダメージを減らそうとしている……?」

「そういう事です」

「た、確かに。進さんの……言う通りです」

「倉田さん。俺は何も、倉田さんの生き方までを否定してはいません」

 

 倉田さんは「えっ?」と、こちらを向く。思ってもいないことを言われたようだ。やはり、今のフォローは大事だった。

 

 彼女の性格なら、今の言葉は悪口という意味にも取りかねない。繊細な少女なのだ、この子は。だから自分の失敗にも沢山気づいてしまうし、周りを傷つけたくないがために自分を責めてしまうのだろう。

 

「勿論、そういう考え方もあるのは否定しませんが……そのままでは、少なくともこの時計は直りません」

 

 俺はそれから、今までに会った『不思議な時計』の話をした。弦巻さんの『眠る時計』。万実さんと千果さん、それに市ヶ谷さんの『往生時計』。そして、今思えばアレもそうだったのか、なんて思う、あの時計も……。

 

 それらは全て、不可思議な故障の仕方をしていた。例えば弦巻さんは、大事にしすぎた時計に自我が宿っていた。流星堂の時計は、千果さんの思いが遺されて霊障に似た何かを起こした。

 

 そうして、人の思いや感情によって起こる故障を、どこかの海外の小説で『不可思議故障』などと呼んでいたのを、ネットで検索して見たことがある。

 

 実際、今も自分が巻いている、父の形見である腕時計は、弦巻さんと似た理由で動かなくなったことがある。

 

「そうなんですね、こころさんも……その『不可思議故障』、っていうのになっているんですか? 私の時計って」

「かもしれない。だから、倉田さんの気持ちを少しでもポジティブにすれば直るかなと思ったんです」

「中を開けて、分解みたいなことはしなくてもいいんですか?」

「毎回やってはいるけど、最後の決め手は『人の意思』だから」

 

 人の遺志には人の意思。人の意志にも人の意思。病気でもそうだ、直そうとする意思があればなるようになり、直る。

 

 結局、そういう意思が時計側の自我やら何やらとぶつかって解決する。

 

 なので、『不可思議故障』に関しては、時計屋としての時計に長く触れてきたアドバイスしかできないのだよな、実際。

 

 そういうことを自覚する度に、時計屋なのに俺が最終的に役に立てないのは少しだけもどかしくもある、やるせなくもあると思ってしまう。

 

 俺はパーツを換えたり、洗浄をしたりはできるけども、そういった人の意思にしか解決できない故障に関しては、時計屋としてのできることと言ったら、あまりないというのが現実だ。

 

 いやいや、俺までネガティブになってどうする。俺は熱くなった両頬をぱちんと叩き、倉田さんの方を向く。

 

「大丈夫です。少し変わるだけで、その時計はあなたに応えてくれますよ」

「変わる……って、言っても。難しいですよ、いきなりは」

 

 それを聞いた時、俺はふと「俺も昔は、とんでもないネガティブ野郎でしたよ」と自然に口からこぼしてしまう。

 

「そ……そうなんですか……?」

 

 自分語りになってしまう、と思ったが、俺は実際にネガティブ思考から変わっている。この話がなにかの一助になればと、俺は話を続けることにした。

 

「ええ。中学の頃、俺はいわゆる非行少年だったんです。警察のお世話になった事も何度か……」

 

 自慢じゃあない。あんなことはやらないに越したことはないからな。

 

 あの頃の俺は愚かだった。今でも間違いなくそう思っている。誰もがそう思うだろう。

 

「どうして……どうしてそんな風になっちゃったんですか」

「幼稚園の頃からの幼なじみがいたんですが、そいつがとんでもなく優秀な奴で。隣にいるうち、自分に対する劣等感だけが高まって……自分のことを誰も見てくれないと思って、存在をアピールするためだけに派手な行動をしてました」

「夜の校舎で窓ガラスを……?」

「尾崎、よく知ってますね。流石にそこまではしませんでしたよ、親父のバイクを盗んで走ったくらいで」

「別の曲の歌詞は実行してる!?」

 

 15の夜も知ってたか。

 

「そんなことを繰り返していたら、ある日、近所のおばさんに呼ばれたんです。聞くところによると、俺の幼なじみ一家とは家族ぐるみの仲良しで、昔からよく会っているおばさんで……」

「おばさん、ですか」

「はい。俺はその人にビンタされました」

「ええっ」

 

 おばさんの名前は、市ヶ谷万実。今はそのおばさんは、もうおばあさんになっていて、ついこの前に俺のところへ、彼女のお孫さんが修理依頼に来たばかりだ。

 

「おばさん曰く、『あんたを一番近くで見てくれていて、あんたを一番好きな子が悲しんでいる。それでもまだ、不良ごっこを続けるのかい』と」

「好き、だったんですか。その幼なじみさんは」

「なんだかんだ、ずっと自慢の幼なじみだと思ってくれていたらしくて。俺の自由な生き方を羨ましがった、とも言っていました」

 

 俺はそこで初めて、その幼なじみの心からの気持ちを聞けた気がして、なんだか嬉しかった。

 

 しかし、俺は絶対に彼よりも下だと思っていたものだから、それを否定されて俺は軽く混乱状態に陥っていたのを覚えている。

 

「俺はそんなに大した人間じゃない。でも、その幼なじみも同じように、君より僕の方が下だと言ってきて。最終的に、互いによく分からないまま殴り合いになりました」

「謙遜がケンカに……」

「今思えば、バカバカしいとは思いますよ。避けて通ることはできないと思いますが。そして俺は、ケンカで彼に負けたんです。普段から乱暴してたクセにね」

 

 そのケンカに負けた者が相手の言うことを絶対に聞くというような約束は無かったのだが、俺はそのケンカに負けてから、まともに学校に行くようになった。

 

 非行もやめて、今こうして時計屋をやれるようになったのも、俺の事を思ってくれて、俺の事を見てくれる人がいたからだ。

 

「その人たちのおかげ、なんですね。進さんがここにいるのも」

「そうなんです……だから倉田さん、よく聞いてください」

 

 いつの間にか思い出に浸っていた脳を無理やり覚まし、俺は倉田さんに言う。

 

「俺はどんなに悪行を尽くしても、嫌ってくれない人が1人は居ました。なら、頑張っている倉田さんを嫌いにならない人はどれくらい居るでしょう」

 

 弦巻さんから、観光中に倉田さんの活躍は沢山聞いた。ガールズバンドを始めてから、月ノ森を背負って活動していて、今では倉田さんたちのバンドも、大ガールズバンド時代と呼ばれている現在の東京で順調に頭角をあらわしているらしい。

 

「……バンドの仲間、とかは……私の事、そんなに嫌いじゃないかと」

「こんな時計を貰うまで頑張って、こんな立派な制服を着ることができるまで頑張ったあなたを、誰が責められよう。誰が罵れよう」

 

 倉田さんの頬が赤くなっている。これは落とせるぞ。ナンパじゃあないが、その調子で時計を時計回りに戻すんだ。

 

 そんな立派な時計が反時計回りなんて、笑えないぞ。

 

「あなたを好きな人のためにも、あなたはあなた自身を下げてはいけません。それは、倉田さんという1人の人間を好きな人への、冒涜になるからです」

 

 ハッとして、胸の辺りをおさえる倉田さん。今の言葉は少し厳しかったが、実際そうだと俺は万実さんに言われたしな。

 

 ロビーの見渡せる広々とした場所で、俺は倉田さん以外の何も目にすることなく、ただ見つめてこう言う。

 

「俺が、あなたを好きな人の1人になります」

「……ふぇっ!?」

「大好きですよ。倉田さん」

「ぁあ……あぁぁ……」

 

 顔の紅さが一気に最高潮、つまり最紅潮になる倉田さん。

 

 そして、俺は見逃さなかった。彼女の腕にある『B-E』の秒針が、1秒分だけ進んだことを。もちろん逆回り、反時計回りではなく、時計回り、順回りに。

 

 倉田さんは、目を逸らしてしまい、あわあわしながらも、時計に手を添えて呼吸を整えている。そして、一瞬その呼吸が止まり、ばっとこちらを向く。

 

「思い出しましたっ! ……これ、『文化貢献賞』って言って……」

 

 一瞬大きな声が出てしまったことに気づき、また彼女はぽつぽつと話し出す。

 

「校外活動に積極的に取り組んで、文化に貢献して……この賞、1位も2位もなくて。私だけに、私たち『Morfonica』だけに渡されて……」

「すごいじゃあないですか。自分たちだけの賞って」

「この時計、バンドのみんなが『ましろちゃんが持ってた方がいい』って渡してくれて……みんな頑張ってたんですけど、私に……」

 

 素敵じゃあないか。そんな出来事を、長いこと染み付いていた内罰性でかき消してしまうなんて勿体ない。

 

 思い出せてよかった。俺は心からそう思う。

 

「これ、学校だけじゃなくて、みんなから渡された時計でもあるんです。でも……それが! 壊れて……っ!」

「辛かったんですね。思い出と努力の結晶が壊れて」

「自己嫌悪に陥っていました……壊してしまったことと、それを隠す自分とに……!」

 

 倉田さんはついに、赤い頬に涙を伝わせる。学校から、バンドメンバーから認められて渡された時計。それが壊れて、冷静でいられないのは至って普通だ。

 

 涙する倉田さんは、何かを慈しむようにも、自分に罰を与えようとしているようにも見える眼差しで、動かない時計を見る。

 

「……直したいと強く願ってください。その願いが、時計を直します」

 

 俺がそう言うと、倉田さんは時計に手を添えて、きゅっと力を入れる。目を瞑り、涙を手と腕にこぼしながらも、しゃっくり混じりに時計へと話しかける。

 

「お願い……っ、直って……ッ!! あなたを、もう私は無視したりなんかしないし……私は、頑張った私を無視しない……!!」

「大丈夫です、倉田さん。その前に進もうとする思考で、あなたも、時計も、きっと進めます」

「っ……進さん……!」

 

 彼女の背中を撫でながら、俺はそう言う。そして俺も、倉田さんの右手越しに、時計に手を添える。

 

 何分もそうしていると、やがて倉田さんは目を開く。

 

「わっ!? な、何!」

 

 震える倉田さんの手。いや、正確には、震えているのは左手首。手をどけて見てみると、針が不規則に回っている。短針が反時計回り、長針は時計回りに。

 

 そして秒針は、確実に、大地を踏み締めて一歩一歩と歩いていくように、1秒ごとに時を刻んでいた。

 

「……これは……!」

 

 弦巻さんの懐中時計のように、頑張って戻ろうとしているのか。

 

 あの懐中時計は、今まで動かなかった分を取り返すかのように物凄いスピードで時計回りに回っていた。

 

 それに対して、この月ノ森印の『B-E』は、自分がどうやって針を回していたか、どうやって歯車を回していたか、どうやって電池から力を供給していたか、思い出すかのように動いている。

 

 それはどんどん激しくなり、1秒に何回も短針と長針は回転するようになった。

 

 しばらく、そうして俺らは時計の準備運動を見ていた。ゆっくりでいい、そうやってかつての動きを取り戻すんだ、と。

 

 しかし。

 

「あれっ」

 

 現在時刻、22時1分を境目に、ピタッと止まってしまった。

 

「また……止まっちゃった……?」

 

 倉田さんは、初めて俺らの前で時計が止まってしまった時のように、時計の右についているリューズを引っ張り出し、回してみる。

 

 が、針は対応して動くことはなかった。

 

「やられたッ」

「え……な、何がですか……?」

「リューズが壊れているのは……元からだったかッ……」

 

 やられた。こいつは、今までの『不可思議故障』と『通常故障』、そのどちらも持っていたのか。

 

「はは……っぐ、ひっく……」

「泣かないの!」

 

 倉田さんは涙を流しながらも、もう笑うしかないといった風に、乾いたような濡れたような笑いが喉から勝手に出ているようだ。

 

 俺は先程のように背中を撫でながら、深呼吸を促す。

 

「はい、吸って!」

「すぅ……っぐ……」

「吐いて!」

「うぇええっ」

「だから!!」

 

 背中撫でてるから、本当に吐いてる人みたいになるんだよ。さっきよりもリアリティが出てしまうんだよ。

 

 泣かないでいいのに。俺はむしろ、こういう修理が本番というか、本領発揮の場なのだから。

 

「お似合いですよね、私には……故障だらけ、できない事だらけで……」

「時計に自分を重ねない! あーもう、好き! 倉田さん、好きですよ! その、泣き顔でも可愛いところとか!」

 

 少し雑にはなってしまうが、こっちを向いて泣きじゃくる倉田さんの肩に手を置き、「落ち着いてください、倉田さんッ」と声をかける。

 

 俺が直す、と言いかけた時、倉田さんは涙でぐしょぐしょの顔を俺の胸に押し付け、そのまま上半身ごと密着してくる。

 

 月夜美や弦巻さんがハグしてきた時とはまた全く違う感触がある。柔らかさがダントツなのだろうか、硬い部分がない。

 

 太っている訳では断じてないのだろうが、弦巻さんはそこそこ鍛えているのか筋肉が当たることも多かったし。

 

 月夜美はスレンダーで、それが顕著に目立つ上半身の方が俺の背中に当たった時は、あばら骨が本数までよく分かったっけな。

 

 いや、そんな事はどうでもいい。問題はいつの間にか俺の館内着の前がはだけていて、倉田さんの涙やら何やらでぺしょっとした、未だ熱を持つ顔面が俺の胸に直接押し当てられていることだ。

 

「うぅ……」

「なっ、だ、だ……」

「……抱きついてもいいですよね。好きな人には……」

「えっ!? ああ、その、俺が一方的に好きなだけであって、倉田さんは……」

 

 語弊があったかと訂正しようとするも、倉田さんは少しむすっとしたような顔で、上目遣いで俺と目を合わせる。

 

「私のことを好きな人が、私は好きです。だから、大好きって言ってくれた進さんが、私は大好きです」

 

 なんだか今の状況でそういう事を言われると、まるで俺に惚れたように聞こえるが、多分この子は心が綺麗な子だから、きっと恋愛的な意味ではないのだろう。

 

 俺、おじさんだし。あと数日後に30歳だし。

 

 ともかく、この人は俺の事を信用してくれている。俺が修理しなければ。

 

 そこで俺はハッと気づく。今の精神性で直しても、また彼女をポジティブにするステップが修理の中に組み込まれてくるのではないかと。

 

 俺に抱きついて助けを求めるように、うるうるとした瞳でこちらを見つめる彼女は、完全に自分を変える第一歩で出鼻をくじかれたといった感じだ。

 

 修理している間に、弦巻さんと一緒に遊んでもらうか? 彼女は太陽の化身のような人だ。一緒にいるだけで笑顔になれる。

 

 いや、しかしあの人は倉田さんには眩しすぎる。性格的相性を分かりきっているわけではないが、少なくとも今は逆効果だろう。

 

 月夜美は多分、今頃アホほど酒を飲んで酔っ払っているから、もとより戦力外だ。胸を揉みかねない。胸などを。胸や太ももなどを揉みかねない。あいつ、若い女の子とのスキンシップが好きだからな。

 

 こめかみに右手の人差し指を当てて、かつ左手で倉田さんの背中をぽんぽんと適度に撫でてやりながら考える。

 

 彼女にも部屋の門限はあるだろう。消灯時間だって。かつ、このままの気持ちで帰ってもらって、改めて青美堂に後日修理に来てくださいなんてのは、あまりに酷だ。

 

 旅行中の時計なんて、好調であればあるほどいいしな。

 

 俺はずっと頭の隅にあったプランを、押し入れから引っ張り出すようにゆっくりと言葉にする。

 

「分かりました」

「何がですか……?」

「今日のうちに直しましょう」

 

 倉田さんの顔がぱあっと輝く。俺は少しの罪悪感が芽生えた。ごめんなさい、あなたの思っているような修理じゃあないんです。

 

「消灯時間はいつですか」

「え? 22時……だったっけ」

「……1時間で終わらせれば翌日に影響も出ませんね。頑張りましょう、倉田さん」

「終わらせる……? 頑張る??」

「消灯後、俺の部屋に来てください」

 

 目を見開いてキラキラとしていた倉田さんの顔が、再度、オーバーヒートに至った。

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