倉田さんが俺らの部屋に入ってきた時の、月夜美と弦巻さんの反応は、案の定というか、いつもよりずっとうるさかった。
「ええ〜〜!? ましろちゃんがいる〜〜!! なんで!?」
「はい、います。月夜美さん」
「ましろ! 旅館も一緒だったのね!」
「あ、はい。お世話になります……」
「ましろちゃぁ〜ん!! どうよ一杯!!」
月夜美は大きな声で、彼女に月桂冠を差し出す。
「えっ!? いや、その!」
「困らせるな」
さっきまで弦巻さんは飲めないだの何だのと言ってたのはどこのどいつだったかな。
俺は、やはり月夜美はここまで酔っていたかとため息をつき、瓶を手渡す。
「ほれ、サッポロのラガービール」
「おお〜! ちょうどなんか噛みたい気分だったんですよ!」
月夜美はまるでジャック・ハンマーのようにワイルドに、犬歯と奥歯のあたりで食らいつく。そして、手にしっかりと持った瓶を勢いよく上から下に動かし、それなりにいい音を立ててこじ開ける。
クソっ、こいつ、歯で開けられるタイプか。普通に嫌がらせのつもりで、栓抜きが無いと開かないものを買ってきたのだが。
「ああ……またつまらぬ物を開けてしもた……」
「月夜美さん、なんかカッコイイ……!」
「倉田さん、あんな風にならないでくださいよ」
歯が欠けたら怖いのと、倉田さんがあの開け方をやるのが怖いのとで、俺は倉田さんの目を覆う。
「店長も飲みますかあ?」
「俺はいいよ、今から修理だし」
「え!? そうなんですか!?」
酔っ払いは声が大きいな。俺は「向こうの部屋でやるから。騒いでもいいけど手元は狂わせないように」と言い、弦巻さんにも頼まれていたものを渡す。
「弦巻さん、いちごミルクです」
「ありがとう、おじ様っ! 大好きよ!」
「えっ、何ですか急に。酔ってるんですか」
「好きったら好きよ!!」
「ああっ声量が! 声量がいつにも増して!」
「飲んでるんですか……?」
「いや、そんな事はないはずだ」
俺らは逃げるように、襖を挟んでひとつ隣の部屋に移る。もちろん、修理道具の入ったカバンも持って。
襖を閉めて、俺らは同時に一息つく。
「……おそらく場酔いですね、あれは」
「みたいですね……」
俺と倉田さんは、やたらとだだっ広い、食事の時などに使う部屋の真ん中のテーブルを挟んで座る。
「修理の段取りはこうです。まず、裏の蓋を外して、リューズが取り出せるくらいまでパーツを取り外します」
カバンから細かい枠組みのついた透明な小さい箱を取り出し、俺はそれを指さす。
その枠の中には、番号の書いてあるシールがある。1から31まで。
この小さい箱は、百均で買った『薬箱』だ。1日に飲む薬をこの中に入れておいて、アドベントカレンダーのように、1日にひとつ取り出して飲むためのアイデア商品だ。
俺はこれを、時計の蓋側に近い部品から、若い番号順に部品を入れる用に使っている。
「ここに分解した部品を入れていって、リューズを取り出せるところまで潜ります」
「潜る……」
「取り出せるようになったら……あとはアドリブです」
倉田さんは大きな声で驚く。まあ、その周辺に何かあることしか俺も分かっていないものだから、開けてみないことには俺だって分からない。
「じ、じゃあ……まずは、蓋を外すところから、ですよね?」
「はい。裏蓋を開ける時はコレです」
俺は倉田さんに、精密ドライバー数本とパーツオープナーを渡す。
パーツオープナーは本来、プラモデルに使うものだが、先端が鰹節を削れそうなくらいには鋭利、かつそこが金属で出来ているので、きちんと外れてくれる。
倉田さんは、ネジにドライバーたちをあてがい、合うサイズのものを見つけ、それで蓋の四隅についたネジを外す。
オープナーで開けた裏蓋と、ドライバーで外したネジを貰い、俺は箱に入れる。しかし、それらを受け取って指でつまんだ瞬間に、指からすべって落としそうになる。
よく見るとどうやら、ものすごい量の手汗が付着していたようだ。匂いでは分からないが、ヌルヌルとした感じでパーツが滑りやすくなっているのと、パーツ全体が生暖かいのは間違いない。
倉田さんの方を見ると、顔を真っ赤にして俯いていた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……き、きき、緊張しちゃってッ……」
「別に汚いものじゃないですから。パーツにとっては錆になりますから、一度拭きましょうか」
「……すみません……」
怒っているわけではない。緊張なんて、誰もがすることだ。それに、俺がやらせていることだし、それで倉田さんが謝ることはない。
俺はパーツをクロスで拭きながら、引き続き倉田さんには分解を続けてもらう。ハンカチで手をしっかり拭いた倉田さんは、パーツオープナーの端を使ってボタン電池を取り出す。
電池には、『
そして電池ボックスを、ドライバーを使って取り出すと、そこには自動巻き受けとローターが止まった状態で大きく前に出ており、その下に無数の歯車たちが並んでいる。
普通なら、ここでオシドリを押し込んでリューズという部品は呆気なく外れるものだが、リューズの芯、いわゆる巻き真がポッキリと折れている可能性もある。
そんな風な故障なんて、そうそうないケースだが、時間もあることだから、慎重にやることにしよう。
そんな故障をするか! という意見は、先程までのこの時計の挙動を見てから言って欲しい。一旦動いたんだぞ、こいつ。しかもそれぞれの針がデタラメに。
倉田さんは俺の指示通りに、まずはローターという、斧の刃の部分のような部品を取り外す。
ネジをしっかりと最後まで外し、ネジ本体の磁石で引っこ抜くこともなく、爪の先でつまんで取り外す。横着をしない、素晴らしい姿勢だ。
だが、その爪は、そしてその指は、着信でも来ているんじゃあないかってくらいに震えていた。やがて爪は部品を逃がしてしまい、畳にローターが2バウンドする。
「あっ……」
こういう時、おじさんとしては『部品の活きがいいな』と言いたくなる。
だが、間違いなく倉田さんの指の方が、動きとしては陸に上がってもなお死から逃げる魚くらいの震えだったので、活きがいいのは倉田さんという事になる。
「大丈夫、このくらいの高さじゃあ部品は折れませんし欠けません」
「そ、そうなんですね。ごめんなさい、やっぱり……私には……」
いいや、ハードルなんてそんなに高くない。肝心なところはできているし、高二の頃の俺よりも筋がいいまである。悔しいほどだ。
今ではルーペがないと短時間で視界がぼやけてしまう、三十路の俺には、彼女のバンドをやるバイタリティであったりとか、吸収の早さであったりとか、そういうものが眩しく感じるよ。
テンプを取り外そうと、肩がガチガチになっている倉田さんに、俺は優しく話しかける。
「いいですか。大事なのは克服することではなく、立ち向かうことです。緊張や恐怖を感じなくなる必要はありません。ただ、それに立ち向かう勇気さえあれば、大抵のことはうまくいきます」
無駄に歳を食った俺が、若い彼女にできることなど、経験に沿ったことを淡々と話すくらいしかない。
「立ち向かう、勇気」
倉田さんは、口に出して反芻する。ドライバーを一度置き、手汗でびっしょりの手を拭きながら。
「倉田さんは、何が怖いんですか。何を恐れて、そうなったんですか」
「何を……それは『全て』です」
「『全て』?」
「……これから起こる不平等や不幸に耐えられるか、分からないんです」
例えば、割を食って悪ノリしてた仲間の中から自分だけ先生に叱られたり。
例えば、ルンルンで買ったソフトクリームに鳥の糞が落ちてきたり。
例えば、帰り道に轢かれたタヌキやら何やらの野生動物を見てしまったり。
そういった不平等や不幸が降りかかる時に、彼女はどう乗り越えたらいいのかが分からないのだろう。
俺は少しだけ、頭を悩ませる。どうしていたかな、俺が子供の頃には。小さな絶望くらいならば感情を麻痺させて切り捨てるようになってしまったからな。それこそ──
「そういう時は、『歌みたいだ』と思えばいいんですよ」
「歌……みたい……?」
「面接をする前に、『ショートコント、面接』と言って緊張をほぐす手法は知ってますか」
「ああ、なんとなくですけど」
俺は立ち上がり、机を半周して倉田さんの隣に座る。少し驚いているように見えるが、この程度のことはもはや話を止めるには至らない。
「辛いことがあった時に、『これはあの人の歌のようだ』と思うことで、『でも歌だしなあ。歌になるくらいだったらまだいいや』と思えるんですよ」
俺は、中島みゆきの名言を引用しつつ、倉田さんに話しかける。
「倉田さんの時計が壊れてしまったことは、まるで中島みゆきさんの『わかれうた』のように悲しく歌えるし……俺たちと会えたことは、スピッツさんの『チェリー』のように明るく歌えると思いませんか?」
そう微笑みかけると、倉田さんは分解途中の時計をじっと見つめて、ぽつりぽつりとつぶやく。
「私、いま……頭の中で、流れてる曲があるんです」
「お。どんな曲ですか?」
倉田さんは、ドライバーで分解を続けつつ、曲を口ずさむ。なんとなく聞き覚えのあるような無いような、頭に馴染むような、そんな曲だった。
サビであろう部分まで歌い終わると、倉田さんは曲名を教えてくれる。
「スピッツさんの、『i-O(修理のうた)』です」
なるほど、スピッツのメロディーだったか。ド世代の俺はなんとなく納得するが、「聞いた事のない曲だ」と素直に言う。
「出たばかりの曲なんです」
そういう事か。最近のスピッツは、ご長寿アニメ映画の主題歌を有線で聴いたくらいなんだよな。
「私、あの曲がすごく好きで……悲しい世界にいながらも、出会えた喜びと一緒にいる温かさを感じ合う、そんな曲なんです」
テンプを外すと、リューズの全貌があらわになる。ケースの傍に刺さっているリューズは、歯車たちと噛み合う先端の部分が少し欠けていた。それによって、その先端と直接噛み合う歯車も少しだけ傷んでいる。
俺はカバンから、見合った歯車を探して取り出す。
巻き真の茎が壊れているのではなくて良かった。これならば、先端の部分についている部品だけを外して、俺の持っている換えのパーツと付け替えればいい。
単に俺が今、このリューズと同じサイズの換えパーツを持っているかどうか怪しいというのもあるが、この『B-E』のリューズ、その外側の先端には、モノホンのスワロフスキーがあしらわれている。
これを一般的なリューズと取り替えるのは、あまりにも全体的な統一感のある美しさに影響が出てしまう。ワンポイントでついているスワロフスキーがいい味を出しているというのに。
そんな事を考えていると、ふと少し熱いものが手に触れる。体温よりも熱いだけだ。熱したフライパンのようなものではない。
柔らかく、そして温かい。
正座して膝に置いていた手に、倉田さんの少しだけ体温の高くなった手が重ねられていたのだ。
「進さん」
「は、はい」
「次は、どうするんですか?」
頬に吐息が当たる。困り眉ながらも、何か確かなものを腹に抱えたような声で、彼女は俺に囁く。
何を考えている。
とうとう、耳に唇がつく5秒前──MK5というやつだ──まで来たところで、襖が勢いよく開けられた。月夜美と弦巻さんが一斉に入ってくる。
「なぁ〜〜にやってるんですかぁ!!」
「なッ!?」
「店長ォ〜〜!! あちしがいながら倉田さんとぉ!!」
俺は咄嗟に倉田さんに、巻き真の先につける換えのパーツを渡す。
「ちょっとだる絡みされるので、それくっつけてください! ナットとボルトの要領で付けられます! あと、そこの鈍い金色の歯車! それを俺があげた歯車と交換してください!」
「は、はいっ」
「店長ぉ……んふふ、やっと私のところに来てくれましたね?」
月夜美は俺に膝枕をして、頭をぽんぽんと撫でる。
俺は赤子でも幼児でもないのだが、と思ったが、スレンダー気味な彼女の唯一肉のつきやすい部分である太ももを枕にするのは、思ったよりも悪くない感触であった。
彼女は「店長はいつも頑張ってて偉いんですよ、なんたってどんな時計も必ず直すんですから!」と、またいつものように自分のことでもないことでドヤ顔をしている。
誰に話しかけているのかは分からないが、心底誇らしそうにしているのは、仰向けになって下から見上げていても分かる。
というか、こいつの体温はさっきの倉田さんよりも高いな。酔いすぎだ。ちゃんとチェイサーは入れているんだろうな。
そんな飲み方ができるのもあと一年くらいだぞ。アラサーになったら一気に身体の全てのパーツのグレードがワンランクもダウンするんだからな。
焼酎を飲んでご機嫌な月夜美。そして弦巻さんは、常にご機嫌なその調子で倉田さんの隣に座っていた。目をきらきらと輝かせ、倉田さんの修理を見ている。
「ましろが直すのね! すごいわ!」
「そ、そんなあ……進さんの言う通りにしただけですよ」
「いや、言った通りに動けるのは実際すごいです」
少し遠くから見ている分でも、リューズ修理のミスはない。大したものだ。
「これは3代目店長かな……」
「あら! 時計屋さんのましろも素敵ね!」
「ええ!? 継ぐんですか!?」
倉田さんは心底真に受けたような、いや、実際に真に受けているのだろう、きちんと驚いてくれた顔でこちらを見る。
冗談ですよ。もちろん。青美堂を継いでもらうためには、おやっさんのパワフルパワハラ武者修行をこなさないといけないから、多分向いていない。
いっぽう月夜美は、そんな俺たちの話し声など耳に入っていないようで、俺の頬をむにゅむにゅと揉んでいる。
「店長も飲んでくらさいよぉ〜ん! れへへへ」
「頭上からヨダレを垂らすな。あと視界がおかしくなるから、まだ飲まない」
「んんん〜……しゅき〜♡」
「ハートマークをつけるな!」
あんまり唸りながら好きとか言うな。呪われてるみたいに感じる。最近そういう漫画読んだばっかりなんだよ、流行りの呪いがどうとかいう漫画。
弦巻さんは、あわあわとする倉田さん、ヨダレを必死に避ける俺、酩酊手前の月夜美のいる部屋を眺めて、しっかりとそれを噛み締めてから倉田さんに話しかける。
「ましろっ」
「は、はい」
そして、お決まりの笑顔でこう言うのだ。
「楽しいわね!」
倉田さんは、少しだけフリーズしてしまうが、その後ぷっと吹き出して笑う。
「はいっ。なんだか、思い出に残る修学旅行になりそうです」
騒がしかった部屋が、少しだけ静かになる。そして、倉田さんの笑顔をしっかりと確認した後に、また少しばかり騒がしくなる。
「笑った……!?」
「にこってしたあ!」
「ええ! その笑顔よ、ましろ!」
「うへへ、ほっぺのびちゃいまひゅう」
弦巻さんは、やっと動いた表情筋が愛おしくなったのか、倉田さんの両頬を掴んで上に下にと、スクイーズのように伸ばす。
月夜美も、俺を膝枕していることを忘れて倉田さんの所に早足で駆けていく。そして、俺の後頭部は畳に叩きつけられる。
まあまあ痛いが、フローリングよりもマシだ。柔道で使われるだけあるな。さすが日本の宝、畳。
もちろん、俺だって嬉しい。あそこまで自然な笑顔は、狙って引き出せるようなものではない。先程は変な形で笑顔にさせてしまったが、本来はああいう顔が見たかったのだ。
俺は、地面に大の字になり、天井を見つめて独りごつように、倉田さんに向かって、そして弦巻さんと月夜美に向かっても話しかける。
「時計屋『青美堂』は、お客さんに笑顔で帰ってもらうのが、その……社訓というか、ポリシーですんで」
そして、倉田さんの方に首だけを向ける。
「倉田さんが笑顔になってくれて、よかった」
そう言うと、倉田さんは頬を赤らめ、首を少しだけ傾げてから微笑む。
なんで俺に向かって笑いかける時だけは、そういう顔になるんだろう。
いっぽう月夜美と弦巻さんは、なんだかニヤニヤとしている。
「なんだその顔」
「いやあ、その……本音が聞けたって感じがしますねえ」
「素直ね! いいことだわ!」
俺は割と普段から本音で話しているぞ。ただ、こういう当たり前のことはわざわざ口にしないだけだ。いや、この2人の前では、案外隠しているのかもしれないが。
そのうち、月夜美が「あれ!? もう電池はめて蓋閉めるだけじゃなァい!?」とデカい声を出す。
まさかそんな、そんなまさか。そこまで早く修理されちゃあ、時計屋形無しですよ、と立ち上がって時計を見てみると、本当に電池ボックスまではめ込まれている。
そうか。外した順序自体は覚えているから、リューズをはめた後に部品たちを元に戻せたのか。いい記憶力だ。
俺は倉田さんの後ろで、膝立ちで言う。
「締めの作業です」
電池を入れれば、恐らく再び時計は動き出す。
「はい。閉めましょう、『ふたりで』」
ふたり? 俺は気になった部分を復唱する。倉田さんは、当たり前のように微笑みかける。
「これは、私と進さんの2人で成し遂げた修理です。だから、進さんも一緒に……」
俺は数秒押し黙ったあとで、静かに頷き、倉田さんの背中に身体を密着させる。すると倉田さんは、俺の右手首を左手でつかみ、はめる所の上に軽く乗せたボタン電池に指先を誘導する。
より身体が密着し合い、俺の体温まで高まっていく。ふふ、ふふっ。と、倉田さんは、お淑やかにも小悪魔的にも思える声で笑っている。
振り向いた倉田さんは、今日で一番幸せそうな顔をしていました。
「……進さん。聞こえますか」
「ええ、確かに」
俺だけにギリギリ聞こえるような声で、そう言ったかと思えば、今度はハッキリと俺に話しかける。
「好きです」
「えっ」
両隣から「あらまあ〜〜っ!!」という声がすると同時に、俺たちはボタン電池を押し込む。
というか、倉田さんの手によって、俺の指が動き、それに合わせて倉田さんも指に力を入れた。
瞬間、確かに、秒針が時を刻む音がした。
彼女の心を動かす、どんな音楽よりもアツいビートが。
そろそろポピパの20thシングルも出ますね。おすすめです。
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