空と君のあいだに   作:苗根杏

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18.GROWING UP

 

「……ダメだ。さっぱり分からない」

「え〜〜?」

 

 俺は全てのパーツを取り外した目覚まし時計を前にして、頭を抱えていた。

 

「また『不可思議故障』じゃあないんですかぁ?」

「そんなに何回も起こってたまるかッ」

 

 呑気にバター味のアイスをかじる月夜美が、俺を覗き込んでそう言う。

 

 歯が敏感な俺は、ガリガリ君をガリガリいくことができないので、そういう食べ方が羨ましかったりする。するが、それは今どうでもいい。

 

 贅沢にもあまおうが練り込まれたバターアイスを食べているが、それもどうでもいい。

 

 問題は、依頼を受けてから2日、全く故障の原因が分からないという事だ。

 

 経年劣化、パーツの割れや欠け、錆びによる動作不良、そのどれでもない。至って正常なのに、ベルだけが鳴らない。

 

 今回したこの時計の分解、実は2回目である。1回目、完全に各パーツの掃除を終えて戻したはいいものの、アラームをかけた時間に時計のベルは鳴らなかった。

 

 なのでわざわざ、俺は部品たちのダブルチェックをしているのだ。今回ばかりは、さすがに『通常故障』だろうと思って。

 

「そうですかねぇ〜。私はいつも通りだと思いますけど」

「ほらッ! 『不可思議故障』がいつもの事みたいに言うッ。このままでは青美堂は占いの館になってしまうぞ」

「あ、それはそれで楽しそう」

 

 キミ、俺と一緒にいられるならどんな店でもいいんだろうな。

 

 使い込まれていたので、ほんの少しだけ錆びたパーツはあったが、それは故障に至るほどではない。パーツは全て、形と挙動で言えば正常だ。

 

 歯車関係ではなく針の問題かとも思ったが、こちらも正常。なんだか最近、こういう故障ばかりだなと思う。

 

 いや、弱気になってはいけない。今回こそは普通の故障だ。『不可思議故障』に頼った思考ではいけない。

 

「俺は時計屋だ、なにも霊媒師や妖術使いなんかじゃあ……」

「でも、直してきたじゃあないですか。今までもずっと」

「……ありゃ、偶然だ。それに、あれは……」

 

 月夜美は「あれは……何です?」と聞く。

 

「本人が直したいから直せた。直したい気持ちが、意思が、意志を、遺志を天にやる。時計を直す時も、このご時世にあまりない時計屋に来て、わざわざ高い金を払って、時計を直す……」

 

 俺が机に伏して、頭を片手で抱えながら、もう片手でろくろを回していると、月夜美が背中から抱きついてくる。

 

「それじゃあ、なんで紗夜さんのは直せないって言うんですかー?」

 

 なんだかいじけたような、唇を尖らせたような、そんな声が耳元で響く。

 

「だって信じないだろ? 多分。あの人」

「話さないと分かんないじゃないですか」

「まあ、これは直せない理由の1割にも満たない……長々と話しておいて何だがな。おそらく直せない理由の9割は、俺の実力不足だ」

「そんな事ないですって。だって、まだ紗夜さんから何も聞いてないんでしょう?」

 

 確かに、『不可思議故障』に関しては、氷川さんの事情を聞かない限りは分からないが。ひときわ大きい歯車を手に取り、ガラス張りの壁越しに、光に晒す。

 

「今回こそはと思うんだけどなあ」

「店長〜。『通常故障』の可能性を捨てちゃいけないのは分かります。時計屋のプライドがあるのも……でも、『不可思議故障』の可能性も捨てちゃいけませんよ」

 

 うぐ、確かにッ。俺は短く唸る。ぐうの音も出ない正論である。うぐの音は出たが。

 

 加えて、彼女は「あと、なんか直してる時の店長カッコイイし」と小さな声で言う。お前、巫女さんやりたいなら、ここじゃあなくって神社に行けよ。

 

 これは本人に言ったら多分泣くので、口には出さないが。だが、俺は遊びで『不可思議故障』を直してきたわけじゃあないのも確かだ。

 

「とにかく、今までのパターンからして、本人に会わないと分からないですね。それに関しては。万が一『不可思議故障』だったとするなら、本人に何かしらの悩みや思いがあるはずです」

 

 あの人、そういう事はバカ正直に話してくれそうもないけどな。

 

 だが、先程から月夜美の言うことは正しい。いや、正しすぎるくらいだ。適当に言っているような口ぶりで、的確な発言をしている。

 

 俺は今、いわゆる『マークシート形式の試験で同じ番号の選択肢ばかり解答で選んでおり、焦っている状態』なのかもしれない。

 

 その、なんというか、『え!? 4連続で2番なことあるか!?』という気分。

 

「今回はえらく真面目に口を出すじゃあないか」

「……そりゃ、私も時計屋ですし? アルバイトですけど」

 

 彼女が自分のことで自慢げにしているのは、久しぶりに見た。実は繊細な彼女のことだ、ホントは自己肯定感が低いみたいなことがあってもおかしくはないが。

 

「まあ、助かるよ。ありがとう」

「えへへ」

 

 月夜美は、煽てたつもりもないのにお茶を入れに行く。そういう時は『えへへ、褒めても何も出ないですよ〜?』と言いながら汲みに行くのがテンプレだろうに。

 

 俺は歯車を置き、長いこと頭を抱えていたせいか、すっかり丸まった背中を伸ばす。この歳になると、こういう小さなところで気をつけないと将来に響くんだ。

 

 進学校の高校で、よく2年生の3学期を、3年生の0学期と言うだろう。俺は今、老後に向けての準備期間に既に入っているんだ。60歳0ヶ月。いや、それはただの60歳になりたての人だ。

 

 背中と腕をぐぐっと伸ばしていると、店のドアが開く。誰かと思ったら、氷川さんだった。

 

「おはようございます」

「お、おはようございますー」

 

 今日はやけに自信満々そうに、堂々と入ってくるな。俺はそう思いながら、立ってお辞儀をする。

 

「ずいぶん元気になりましたね」

「かなり休ませましたから」

「目元も元気そうになっていて、何よりです」

「ええ、この前はメイクで誤魔化していましたが」

 

 作業机を挟んで、氷川さんは穏やかな笑顔で話す。血色のいい肌色が、夏の昼間の日差しに照らされて、とても綺麗だ。

 

 髪をサラッと横に流す仕草も様になる。まるで、自分をどう見せるか、他人をどう魅せるかを熟知している芸能人のようである。

 

 いや、そういえばガールズバンドの人だから、一応ビジュアルには気を使っているのかな。そんなことを思いながら、俺は軽く冗談を吐く。

 

「大丈夫ですか? 今回も実は……みたいなことは」

「……っ?」

 

 氷川さんは、化粧用であろうコンパクトを取り出して、自分の顔を見てみる。女の人ってホントにそういうの持ってんだな。

 

 いいな、俺も持ってみようかな。まつげが目に入った時とか、ちょっと前髪直したい時とか便利そう。職業柄、あんまり出かけないけど。

 

 あと、コンパクトを持ったらセーラームーンごっこしちゃいそう。

 

 などとぼーっと考えていると、いつの間にか氷川さんの顔がかなり近くにあった。俺は「えっ!?」と声を出して驚く。

 

「た、確かめてみますか?」

「はいっ!?」

 

 何が。何を。誰が。誰を。そんなことを聞く前に、彼女はゆっくりと遠ざかる。いや、後ろに倒れる。

 

 彼女の背中には、頬をふくらませた月夜美。

 

「むうっ」

「なっ!?」

「紗夜さん、店長とイチャイチャしてる……」

 

 してねえよ。

 

 月夜美は、手をわきわきとしながら、氷川さんに敷かれつつも身体の隅々を触る。

 

 敷かれていながらもあそこまで元気そうだなんて、よっぽど氷川さんは軽いんだな。俺に乗っかられると、割と重そうな表情するのに。

 

「ちょっ、離してください! 何をっ……」

「ここかな? くすぐったいのは!」

「ひんっ!?」

 

 首元を月夜美の爪の先で、何かを揉むような動きで触られて、高い声をあげる氷川さん。首が弱点か。

 

 氷川さんは手を使い、丁寧にも素早く立ち上がり、臨戦態勢を取る。そのファイティングポーズは、まるでウルトラマン。

 

 対して、両手を掲げて上下させる月夜美は、さながらゼットン。時計壊すなよ。

 

「こ、こちらにも考えが……あります」

「おっ、反撃ぃ?」

 

 氷川さんは、後退しながら、和室に入っていく。それをバカ正直に月夜美は追いかけ、襖が閉められる。

 

 そこから月夜美の、悲鳴混じりの笑い声が聞こえるまでは、割と早かった。

 

「あひゃひゃひゃっ!!」

「人が第一にくすぐるところは、自分のくすぐられて反応する場所である確率が高いんです! 参りましたか!」

「にひゃひひひっ、ひひゃひゃっ!! こ、降参! 降参〜!!」

 

 力なく襖が開けられ、髪やら何やらがボロボロになった月夜美と、清々しそうな氷川さんが出てくる。ゼットンが負けたか。本編とは別ルートに分岐したな。

 

 俺は苦笑いしつつ、彼女たちを椅子に座りながら見る。

 

「何をやっとるんだ、キミたちは」

「……おほん」

 

 少しはっちゃけた氷川さんが、咳払いをしてこちらに来る。どうやら、机に乗った時計のパーツに気づいたのだろう。

 

「これが……」

「分解しても、意外と少ないでしょう。パーツ」

「……ここまでシンプルだとは」

「厚みは電池ボックスが取ってますからね。そこら辺の腕時計と変わりませんよ」

 

 興味津々に見つめる氷川さん。

 

 その視線には、本当に直るのかという心配の思いと、単なる未知の分野への好奇心、その両方が見て取れる。

 

 俺は精密ドライバーを手に取り、彼女に話しかける。

 

「今から組み立てるんですが、見てみますか?」

「はい。是非」

 

 俺はヘッドルーペを装着し、いつも通りの作業をする。まずは外枠に文字盤をはめ込み、そこに針を取り付ける。

 

 順番は文字盤に近い方から、長針、短針、秒針。

 

「そういえば紗夜さん、今日は忙しくないんですか?」

 

 そう聞く月夜美は、よろよろと先程急須に仕込んだお茶を注いでいる。ルーペのおかげで彼女の手元までくっきりと見える。

 

「はい。休みを貰いました」

「へえ……」

「講義も短かったので、せっかくなら時計を見に来ようかと」

「へえ。意外とそういう事、するんですね」

 

 俺は下を向きながら言う。彼女は「あっ、いや、その」と軽く狼狽えるので、俺は小さく笑いながら言う。

 

「いや、前にもそういう人がいたんです。その人は毎日来ていましてね。台風のような人でしたよ」

 

 俺は、あの日のことを頭に思い浮かべながら、パーツを取り付けていく。

 

 今からもう半年以上前、秋のことだったな。俺が人生で3度目に、『不可思議故障』に出会ったのは。

 

 今でも度々遊びに来る彼女も、最初はここの依頼人だった。綺麗な金色の髪と、眩しい笑顔の彼女は。俺は懐かしさのあまり、少しニヤけてしまう。

 

「誰なんですか?」

「さあ。顧客の情報は漏らすわけには……」

「弦巻こころ、という名前ではないですか?」

 

 俺は思わず、手に持ったクロノグラフホイールを落としてしまう。

 

 なぜ知っているのかと聞く前に、素直に氷川さんは話し始める。

 

「ここに来たというのは、本人から聞いたので。なので、ここに頼めば間違いないと思って」

「……さ、さいですか」

 

 なるほど、彼女の話で聞いたのか。

 

 微笑む彼女に向かって、俺は参ったといった風に両手を上げる。

 

「氷川さん、絶好調だと割とそういう感じなんですね」

「ふふ。普段とそこまで変わりませんよ」

 

 そうは言うが、この前とはまるで別人だぞ。俺は「そうですかね」と言いながら、時計の組み立てに戻る。

 

 頭上で、月夜美が氷川さんにお茶を渡している音と、やりとりの声が聞こえる。

 

 そうして数分、俺が取り付けるパーツは、あと残すところ10個ないくらいになった。

 

「あっ、もう……すごいです。早いんですね」

 

 パーツ数自体は少ないからな。それに、と俺はその言葉に付け足すように言う。

 

「向かいの時計屋の方が早いですよ」

 

 おやっさんは『TEIO』の時計なら1万回ほど直しているはずなので、勝手が少し違う目覚まし時計であっても俺よりは圧倒的に早く直せるだろう。

 

 俺はまだ今年で10年目。寿司屋で言えば、ようやく握らせてもらえるくらいの年数しか時計に触れていない。修行らしい修行も1年くらいしかしていないし。

 

 そんな俺の修理でも、確かに直せる時計はあった。現に今まで、『不可思議故障』以外は俺の実力で直してきた。

 

 俺の直せない時計は、今までなかったんだ。

 

 だから、今回こそは。今回ばかりは。そんな思いで、俺は電池をはめ込む。

 

 俺は道具たちを机に置き、一息つく。なんだか人に見られながら組み立てるのは久しぶりなもので、少し緊張したが、そんなもの如きで、俺の作業を邪魔することはできない。

 

 氷川さんと月夜美は拍手をしながら、動き出した時計を見ている。いや、氷川さんはともかく、月夜美、キミに関しては普段から見ているだろう。

 

 確かに最近は修理もそこまで多くなかったし、修理を見るのは実際久しぶりかもしれないけれども。

 

 そう、針は動くのだ。ただ、これでベルが鳴るかは分からない。そう言おうとする前に、氷川さんはこちらに向かって手を差し伸べる。

 

「触ってみても?」

「ああ……どうぞ。あなたの時計ですので」

 

 俺は氷川さんの手に、目覚まし時計を乗せる。

 

 彼女はそれを大事そうに両手で包み込み、おでこに当てる。遺骨くらい丁寧に扱うじゃあないか。

 

 まあ、今の彼女には、それくらい大事なものなのだろう。俺は微笑ましくそれを見ていると、急にけたたましい音が鳴る。

 

「ッ!?」

「えっ……」

 

 氷川さん自身も驚いて、危うく時計を手から落としそうになるが、慌ててキャッチ。

 

 その手に取った目覚まし時計は、ベルが動いていた。現在時刻は14時11分。アラームの設定などしていない時間だ。

 

 文字盤の方を見てみると、時計の針たちもまた、ベルのように、左に右にと小刻みで小気味よく震えていた。

 

「ちょ! ちょいちょいちょい! 早くないですか!? あと2話あるのに!」

「オイオイオイオイ……!」

 

 くそっ、今回もかよ。しかも思ったより大きい音だ。俺は思わず耳を手のひらで塞いでしまう。月夜美も同様に、人差し指を耳に突っ込んでいる。

 

「な……直っ……た……」

「……ええ〜ッ……」

 

 月夜美も思わず、唖然として、口が開きっぱなしになっている。

 

 いや、直ったに越したことはない。

 

 ないんだが、俺はなんだか釈然としない気分だった。

 

 アッサリ直ったのもそうだが、今回もか、と。今回も『不可思議故障』かと、そう思い、俺は再び頭を抱える。

 

 しかも今回は、氷川さんのことを全く知らないまま直ったものだから、更に理解が追いつかない。諦めたように仰け反って、俺は自分の眉間に指を当てる。

 

「……ダメだ。さっぱり分からない」

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