空と君のあいだに   作:苗根杏

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19.SUMMER OF LOVE

 氷川さんは、直った瞬間に「後で取りに来ます。用事の合間に寄ったので」と、目覚まし時計の指す時刻を見て、慌てた様子で出ていった。

 

 しかし、その口角は確かに上がっており、青美堂のモットーこそ達成されていた。されたのだが、俺は項垂れながら直った時計を見ていた。

 

 何度アラームをかけ直しても、鳴る。俺が直したわけじゃあないのに。

 

「はァ」

「店長、直ったんだからもっとニコニコしてくださいよ」

「……ンだよぉ〜〜」

「あと、今に始まったことじゃあないでしょう。『不可思議故障』は」

 

 俺がダレると、途端にしっかりし出すな、こいつは。1個閉めたら1個開く、いいタンスのように。ありがたい事だが、普段からしっかりしてくれればいいものを。

 

 俺を信頼してテキトーにやっているのならば、それはそれで満更でもないが。

 

 茶でも飲んでリフレッシュしよう。そうだ、俺にはまだ倉田さんの持ってきた時計がある。

 

 アレも全部『不可思議故障』だったら面白いな、と自嘲的に笑いながら、湯呑みを出す。それとほぼ同時に、店のドアが開く。

 

「すみません!!」

「わぁっ!?」

 

 湯呑みを手からつるっと落としそうになり、4〜5回手の上でバウンドさせてからキャッチする。

 

 振り向くと、そこには氷川さんがいた。汗をびっしょりかいて、顔は軽く紅くなり、息が切れている。

 

「……氷川さん。先程出ていかれたばかりじゃあないですか」

 

 忘れ物でもしたのかと言おうとするが、俺はある事に気づく。

 

 先程、氷川さんがこの店を出てから経った時間といえば、1分かそこらだ。なのに、『服が違う』。

 

 今の服は、言ってしまえば先程よりも地味、よく言えば若干フォーマルでかしこまった格好。

 

 俺が見たはずの氷川さんの服装は、もっとフリルなんかがついていて、綺麗系と言うよりもカワイイ系だった。

 

 汗の染み方も、いくら夏とはいえ1分にしては、不自然な程に長期時間にわたって着用しているように見えるぞ。

 

 氷川さんは俺の言葉に、息を激しく切らしながらも反応する。

 

「ッ……その言い方……ここに、『私が』来ましたね」

「ええ。先程も、今も……えっ?」

 

 月夜美は訝しんだように、人差し指を一休さんスタイルでこめかみに当てる。

 

 多分、俺と月夜美は同じことを思い浮かべている。夏の暑さのせいではない汗をかきながら、俺たちは肩を組みながら笑い合う。

 

「いやいやまさか」

「ねえ、そんなねえ」

「まさかまさかとは思いますがねえ」

「そんなことある訳ないじゃないですかあ」

「そうそう、ルパンじゃあるめえし」

 

 氷川さんが咳払いをする。そして、背筋を伸ばしきれないまま、ドアの枠に寄りかかりつつ、ハッキリと俺たちに告げる。

 

「それは私の『双子の妹』です。私は今、ちょうどここに来たばかりです」

「…………」

「オイオイオイオイ」

 

 ミステリで言えば反則技だぞ、それ。ノックスの十戒に反するんじゃあないのか。

 

 月夜美は完全に絶句している。硬直し、口だけがパクパクと動いている。

 

 俺だって言葉が浮かばないさ。なぜなら、その妹さんって氷川さんが呼ぶ人に、氷川さんの時計を直されたんだからな。

 

 本人の意思ではないのに、本人の時計が直るなんて。彼女の直そうとする意思ではないもので、直るなんて。

 

 いや、こういった故障ケース自体、症例の少ないものだ。何が起こったっておかしくなんかない。ただ、俺のプライドが更に傷ついただけで。

 

 まず、今回も『不可思議故障』だという事実で、俺の時計屋としての腕がまたしても振るえなかったということ。

 

 そして、今まではせめてそういう形であっても、本人の心のケアに立ち会うことでなんとか時計屋という体裁を保っていたが、今回はそれすらなく、アッサリと直ってしまったということ。

 

 これらで、俺の心は今、勝手にボロボロになっている。

 

 俺は作業机に戻り、置いてあったパステルカラーの目覚まし時計を手渡す。

 

「時計はここにあります。今度受け取るだのなんだのって言って、妹さんは行きましたよ」

「な、直ったんですか?」

「はい。妹さんのおかげで」

 

 俺はにっこりと営業スマイルを見せ、領収書をサラサラと書く。そして、それを氷川さんに渡し、さっき待合スペースで注いだお茶を飲む。

 

 氷川さんは、領収書を見て、目が飛び出しそうなくらいに驚く。

 

「え!? 安くないですか!?」

「ちょっとしたメンテナンス費用です……」

「いつもみたく1万円くらいにすればいいのに」

「……まあ、俺、今回は何もしてないんで……」

 

 今回『も』、と言うべきだったか。俺は机に手をついてため息をつく。

 

「死戻さん、香月さんは何故こんなに不貞腐れているのですか」

「日菜さんが直しちゃったからですよ」

 

 不貞腐れというか、単に自分が情けないだけだ。父から継いだ大事な時計屋で、俺以外が時計を直してばかりで。

 

 そりゃあ、本人たちがいいならいいさ。でも、俺は今回、気づいてしまったんだ。俺って、もしかしていらなかったんじゃあないか、って。

 

 そのうちレジスターが開く音がして、それに続いて月夜美の声が聞こえる。

 

「……はい、500円ちょうどいただきましたっ! 今回は青美堂のご利用、まことにありがとうございます! またのご利用を……」

 

 そこまで言いかけたところで、氷川さんはドアを勢いよく開け、店を出ていってしまう。

 

「日菜ッ!!」

 

 と、叫びながら。

 

 俺は待合スペースの椅子に座り、あっという間に遠くなる背中を見守る。

 

 月夜美は律儀に見えなくなるまで手を振り、その後こちらに歩いてきて、自分の湯呑みにお茶を再び注ぐ。

 

 そして、和室の畳のへりに座って、俺の背中を撫でる。

 

「あの人、割とワイルドに生きてますよね」

「……苦労人なんだろうな」

「っていうか、ホントに見分けつきませんでしたね。一卵性なのかな」

 

 俺は猫背で茶をすすり、そういえば全く同じ顔だったな、と思い返す。

 

「今まで来てた氷川さんって、本当に氷川さんだったのかな」

「あっ、怖! なんか怖い!」

「最初に来た氷川さんも……」

「やだあ! ちょ、変なこと言わないでくださいよ!」

 

 背中を撫でていたはずの手は、今や俺の背中をバシバシと叩いている。そんなに痛くないけど。

 

 揺れるお茶の水面を見ながら、机に肘をついて俺は思案する。妹さんは普通、一人暮らしの姉の容態を知っているのか? 

 

 大学が一緒なら有り得るが。いやしかし、妹ならそういう近況が共有されていてもおかしくないか? いやいや、にしてもこの時計屋を見つけたのは何故だ? それも共有されていたんだろうか? 

 

 妹さんが怖くなってきた。全てストーカー行為で見つけた事実だったとしたらどうしよう。だって、わざわざ姉の格好を真似して店に来るんだぞ。

 

 とにかく、氷川さん、氷川紗夜さんに向けられた思いは本物だろうな。

 

「お姉さんを元気にしたい、そんな大きな思いが、氷川さん……氷川紗夜さんの時計を直したんじゃあないかな。しかも、割とすぐに」

 

 本当にすぐ直った。思ったよりアッサリと。

 

 それも、姉を好きだという気持ちが、包み隠さず心の中にダダ漏れているからだったんじゃあないかな。

 

 まあ、ここまでの『〜だったのかな』『〜かもしれない』は、あくまで俺個人の感想と推理に過ぎないものだが。

 

 月夜美は、俯く俺の顔を覗き込み、目を合わせて言う。

 

「そんなに大きな思いが?」

「少し大きすぎるくらいだ。ただ、寝不足で倒れるくらいだぞ? 血を分けた兄弟や姉妹が。キミなら氷川さんの妹さんの立場になった時、どう思うんだい」

「んん……一人っ子なりに考えてはみましたが、心配しますね。親や親戚でも心配するんですから、そりゃしますよ」

「だろ? だから、ある意味では、直そうとする意思は妹さんの方が強かったのかもな……」

 

 だからああもアッサリと直ったのかもしれない。俺の手を借りずに。

 

「俺に実力と寄り添う力と……あと少しの背景情報があれば、声掛けだけで直せたんだ」

「こころちゃんの時みたいに?」

「ああ」

 

 月夜美は隣に座り、寄り添えるのもすごいと思うけどな、とこぼす。

 

 くそっ、今日はやけにネガティブになってしまう。修理も溜まっているのに、どうしたものかと頭を抱えていると、本日2度目の激しいドアの音が鳴る。

 

 この店も新しくはないのだから、少しは遠慮してくれよ。と、ドアの方を見ると、氷川さんと、それに抱えられた髪の短い氷川さんがいた。

 

 あっちが妹さんだろうな。俺はそう思い、何しに来たんだろうなと呑気に茶をすする。

 

「店長、立ってくださいよ」

「なんでだ」

「お客様ですよ」

「っ……はあ、はあ……」

 

 先程よりも激しく息切れしている氷川さんに抱えられ、妹さんは頭を掻きつつ笑う。

 

「いやあ、なんかゴメンなさ〜い。あはは」

「何笑ってるの! ちゃんと謝りなさいッ!」

 

 いや、別に謝る必要は無いのだが。そう言う前に、妹さんは氷川さんの腕からするりと、ドジョウやウナギやサンタナのように抜ける。

 

 それだと頭から着地するぞ、と思ったが、妹さんは床に手をつき、「よっ!」と逆立ちをする。デカグリーン顔負けの綺麗な逆立ちだ。

 

 そこから、肘を使って勢いをつけ、軽く跳ねたと思うと、身体を縦に半回転させて足で着地。その勢いでロンダートまでして、こちらに一気に近づいてくる。

 

 妹さんは、あくまで悪気はなかったとばかりに笑い、頭を下げる。

 

「なんか、あたしが触った時に直っちゃった? みたいで……あはは、ごめんなさい。ホント」

「いやいやいや、それより気になるとこありますけど……」

 

 月夜美に完全同意だ。今回の件に関しては、俺の実力不足が悪い。

 

 氷川さんはイライラしたように、妹さんに近づきつつ、人差し指でグイグイとおでこを触って詰める。

 

「触ったって、あなたね……相手はプロなのよ? その作業を邪魔するなんてッ」

「いやいや、ホントちょっとだけだよ? 触ったのは」

「だから! それが良くないと言っているのよ!」

「えっ!? ホントにちょっと触っただけなの!」

 

 なるほど、『触る』という言葉に、少し認識の違いが二人の間であるようだな。

 

 俺は氷川さんと妹さんの肩に、ぽんと手を片方ずつ置いて、落ち着くように言う。

 

「違うんです。あの、氷川さん」

「「はい?」」

「あ、姉の方です」

「ああっ、そっち?」

「何でしょう、香月さん」

「触って直ったというのは、本当なんです」

 

 そこから俺は、今までに俺が遭った複数の『不可思議故障』のケース、今回直った時の状況、それらを詳しく説明した。

 

 手遅れかもしれないが、できるだけ顧客情報の流出にならないように、故障のケースの説明は、最低限のことしか話していないが。

 

 氷川さんは意外にもすんなり納得してくれた。弦巻さんから、不思議な時計の話は度々聞いていたようだ。

 

 妹さんの方は、興味津々といったふうに聞いていた。世界中に存在するポルターガイストや付喪神的な霊障・オカルト現象の例えを交えて、俺の話を噛み砕いていた。

 

 多分、こういうことに興味があるのか、もともと博識なのだろう。

 

 一通り話し終わった時に、妹さんは大きく拍手して、思わず立ち上がる。

 

「何それ何それーっ!! すっごいね、店長さん!!」

「すごいですよねえ。まあ、俺が直したわけではないんですけど」

「いつまで言ってるんですか……」

「だって、だってさあ。俺のおかげじゃないじゃん」

 

 その言葉に、氷川さんまでもが「いいえ、香月さんのおかげでもあります」と言う。

 

「私を寝かせてくれたのも、この時計を診てくれたのも、香月さんでしょう。どうしてそんなに卑屈になる必要があるんですか?」

 

 まあ、うっすら思ってはいたよ。また『不可思議故障』なんじゃあないかってさ。でも、それを確定づけたのは妹さんであって。直したのも妹さんであって。

 

 俺としては、氷川さん自身のケアは、あまりできていなかったという印象だったのだ。

 

「そうだよっ! すごいじゃん!」

「あなたが直したんですって」

「いや、今回はマグレかもしれないよ? でもさ、今まではどんな時計でも修理してきたわけじゃん? ただ修理するだけですごいのに、『そういう時』にまで向き合って!」

 

 妹さんの言う『そういう時』は、俺が今まで愚直にも向き合ってきた『不可思議故障』と、人の意思そのものだろう。

 

「こんな現象を前にして、それでも自分の力で一度は直そうとしたんでしょ?」

「そりゃあ……時計屋ですんで……」

「しかも依頼者に寄り添ってくれて、店長さんが鍵になって直したことが大半なんでしょ? それがすごいの!」

 

 まあ、確かに今回が特殊なパターンだっただけで、なんだかんだ今まで修理はきちんとやってきたつもりだ。

 

 だが、そういう時、俺は大体『この人の気持ちに、意思に時計が答えてくれた』と思うのだ。

 

 だからこそ、今回のような失敗体験ひとつで自信がいともたやすく崩れたのだろうか。いや、今までも『通常故障』は直してきたつもりだ。これはまた違うのか。

 

「わざわざ姉の格好をして、時計を見に来るあなたの方がよっぽどスゴいですよ」

「ええ〜? そうかなあ、えへへ。まあ、ここに来たのは、お姉ちゃんに悪い虫がつかないかの視察って感じだったんだけどね〜」

「日菜……あなたねえ……」

 

 氷川さんは呆れたように妹さんを見つける。一方、それを見た月夜美は微笑ましそうに、2人に話しかける。

 

「仲、いいんですね」

 

 そう聞かれた双子の姉妹は、真顔になって互いに顔を見合わせる。そして再び、こちらを見て、妹さんは満面の笑みで、氷川さんは少し恥ずかしそうに笑って言う。

 

「うんっ!! 大好きだよ!!」

「それはまあ、嫌いではないけれど……そうね、まあ、好きという事にはなるわね」

 

 その笑顔を見て、俺はなんだか自分の中で吹っ切れた音がした。

 

 自分の活躍がどうとか、そんなものは些細な問題だ。俺の気分がたまたま落ちていたから、ドツボにハマっていただけだ。

 

 青美堂のモットーは、『お客様に笑顔で帰ってもらうこと』。父とおやっさんから、口酸っぱく言われていたことだ。

 

 こんなに素敵な笑顔のお客さんを前にして、店長がふくれっ面でどうする。

 

 あんなのは、一時の気の迷いだ。そう思い、俺はお茶菓子を和室のちゃぶ台から取る。

 

「じゃあ、お二人の仲良しエピソードでも聞きましょうかね」

「ああ、お構いなく」

「当たり前のように私のお菓子を……」

「元は俺のあげた菓子だ」

「抹茶あるー?」

「ありますよ、今出しますね」

「ほらほら、紗夜さんは何飲みます〜?」

「……り、緑茶で……」

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