空と君のあいだに   作:苗根杏

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2.時代

 

 

「おい、進坊」

「げっ」

 

 俺はピンセットを持った手を止め、出入口の方を見る。そこには、見慣れたロマンスグレーの光る、いかにも職人といった風な男が立っていた。ネイビーの和服が、より一層そんな雰囲気を際立たせている。

 

 というか、時計屋に和服って逆に珍しいよな。俺は10年近くそんなことを考えているが、なんだか聞くのは野暮でもあるし面倒でもあり、怖くもあるので本人に直接問うようなことはしたことがない。

 

 おやっさんは、この『時計の青美堂』の向かいにある時計屋、『もみじ屋』の店主だ。饅頭屋みたいな名前だろ。案の定、月に1回は和菓子を買いに観光客が来るそうだ。時計と眼鏡しか置いてないのに。

 

 俺は時計に視線を戻し、声をかける。

 

「今日は何ですかあ、おやっさん」

「様子見だ」

 

 彼は店内を数分かけて1周する。そして、店の中で気になったところがあれば逐一俺や月夜美に報告する。これがおやっさんの、月に1回行うルーティンだ。

 

「おい、今日はあのフリーターはいないのか」

「月夜美ね。いるよ、襖の奥」

 

 弦巻さんの懐中時計、その蓋の裏を綺麗に拭きつつ、俺は目を離さずに言う。

 

 そのうち、下駄をカランコロンといわせながらおやっさんは奥にある襖を開ける。すると、テレビの音声と月夜美の笑い声が聞こえてくる。

 

 確かさっき、煎餅もあげたから、昼間っから優雅に吉本新喜劇でも見ながらお茶しているんだろうな。

 

「あら、いらっしゃいませ〜」

「……もうここら辺は諦めているから何も言わないぞ」

「お客さんが来ないんだから仕方ないですよねえ」

「仕方ないことはないが……はァ、まあいい」

 

 すっかり呆れたように言うおやっさん。流石に怒らないか、俺は手を止めて声のする方を見るが、月夜美は襖のへりに腰掛けて煎餅を食べつつ話を聞いている。

 

 あいつ、こういう図太さはすごいよな。多分、ドラッグストアやスーパーマーケットの御局様をもものともしない、しっかりとした芯があるんだろうな。

 

 決しておやっさんへの態度は褒められたものではないが、俺もおやっさん同様に諦めているので、特に何も言わない。

 

 というか、俺の腕のせいなのか店の古臭い見た目のせいなのかは分からないが、お客さんもいないし、俺は定期的にお菓子や飯をあげてる立場なので、何も言えないというのが正しい。

 

「フリーター。このショーケース、埃が被っている。ちゃんと掃除しろ」

「はぁ〜い。あと月夜美です」

「そうか」

 

 店そのもののこと以外には興味がないらしい。おやっさんは作業机とは反対方面、つまり店の奥にあるケースを指さして月夜美に「掃除くらいはしっかりするんだ」と言う。

 

 月夜美はあくびをしながら、食べ終わった煎餅の包装紙を捨て、布ハタキを持つ。ほぼ客の来ないこの店で、彼女の仕事といえば、店の中の掃除が大半である。たまに店先をホウキで掃除している時もある。

 

 また、珍しく客が来れば、修理などをしている俺の代わりに接客をし、レジを打ち、そして営業でも何でもない生来のスマイルを振りまく。そういった、まさに看板娘といった風な仕事をしていることもある。

 

 次はおやっさん、どこに目をつけるのかと見ていると、どうやらラジカセの方を見ている。ラジカセからは、中島みゆきの『孤独の肖像』が流れている。

 

「またみゆきか」

「うわ、この人もみゆきって呼んでる。なに? ファンってそう呼ぶの?」

「ファンではない。世代上、知っているだけだ」

 

 店内BGMに口を出してくるのは久しぶりだな。あまりにも中島みゆきに統一しすぎているので、過去に何度か言われたことはあるが。

 

「またまたぁ、好きでしょう? みゆき」

「言ったことないだろう、みゆきが好きとは」

「ああ、山口百恵さん派でしたっけ」

「百恵は本当に好きなやつだ。にしても、変わらなさすぎだろう」

「数年は変えてませんねえ。最初はBUMPとかエルレとかも流していたんですが、なんだかノリノリになっちゃって」

 

 Xや黒夢、BUCK-TICKあたりも流してはみたのだが、ヘッドルーペが振り落とされそうなくらいに頭を振ってしまうので、最終的にみゆきに落ち着いたのだ。

 

 父がよくかけていたという理由も、なくはないが。

 

「オルゴールのフリーBGMでいいだろう、店の音楽など」

「おじさんの癖にフリーBGMは知ってるんだ」

「掃除!」

「はいっ!」

 

 仮にも世間的には怖い・話しかけづらい・気難しそうと評されそうな雰囲気のおやっさんに、あろうことか『おじさんの癖に』と言い放つ月夜美。神経が太すぎる。諏訪大社のしめ縄かと思った。

 

 そういえば、確かに『もみじ屋』のBGMはオルゴールアレンジされた流行りのJ-POPあたりが流れていた気がする。

 

 3年前に壁から何からリフォームして、少しだけモダンになった店内と相まって、落ち着いた雰囲気になっていたのを覚えている。

 

 おやっさんはため息をつき、月夜美の座っていた襖のへりに腰掛ける。

 

「……せいぜい、潰れんようにな」

「親父が草葉の陰で泣かないように、ですか」

「分かっているならいい」

「耳にタコが出来ましたよ、おかげさんで。あ、そこにある煎餅は食べていいですよー」

「ちょ、それ私のなんですけど!?」

「いらん。もう少しで出ていく」

 

 彼は入店してから、表情ひとつ変えずにいる。

 

 月夜美は、作業机の前に座っている俺の横に椅子を持ってきて、隣に座って俺に囁く。

 

「てか前から思ってましたけど、何なんですかあの人。エリアマネージャー?」

「チェーン店じゃないよ、うちは」

 

 確かに彼女からすれば、うちの店の方針にケチをつけてくる、よく分からないおじいさんかもしれない。しかし、世間的に見れば間違ったことは言っていない。

 

 なので、「あの人の言葉は、素直に聞き入れた方がいい」と俺は囁き返す。

 

「……そんなに目立たないと思うんだけどな〜、ホコリ」

 

 布ハタキの柄で背中を掻く月夜美。俺も基本的にこの机の周りからあまり動かないので、あそこら辺の汚れには気づかなかった。

 

 彼女に任せきりにするのではなく、たまには店の中をぐるっと歩いてみるのも大事だな。

 

 月夜美は椅子を置いて、掃除に戻る。それを見ながら頬杖をついていると、なんと、店のドアが開く。1日に来客が2人とは、ここ四半期で初めてだ。

 

「お邪魔するわよー!」

 

 初めてとは言ったが、1人は月1で来るおやっさん、もう1人は一昨日来たばかりの弦巻さんだ。何なんだよ。

 

 改めて自分の店の閑古鳥加減を自覚したよ。

 

「邪魔するなら帰ってやー」

「あら、帰った方がいいかしら」

「ああいや別に、本当に帰るとかじゃなくて……一緒に見る? 新喜劇」

「劇? 劇は好きよ! 薫っていう友達が出ているのをよく見るわ! あとは、大土……麻琴?っていう演者さんも……」

 

 弦巻さんは話しているうちに、昨日はいなかった人に目が行く。彼女は、おやっさんとは初めて会うのだ。

 

「客か。珍しいな」

「こんにちは、おじい様!」

「おっ、俺よりワンランク上だ」

 

 おやっさんは、組んでいた足を戻し、彼女の目を見て言う。

 

「進坊は精密機器を修理していることが多い。あまり大きな声を出すと、手元が狂うかもしれんぞ」

「そうなのね! 分かったわ!」

「……こいつは本当に客か? お前の友達ではなく?」

「すいません、修理待ちなんです」

 

 俺がビジネススマイル(苦笑い)を見せると、おやっさんは呆れたように煎餅を開ける。奥で「わっ、私のなのにぃ……いらないって言ってたのにぃ〜……」と月夜美が嘆く声が聞こえる。

 

 言っておくが、元はと言えばソレも、キミが今ひそかに舐めているキャラメルも、俺のだからな。

 

「見に来る必要が無いなら、来ない方がいい」

「んー、まあそうですよね」

 

 俺は改めて、懐中時計『A kiss deeper than silence』を見つめる。パッと見ではあるが、大きく壊れているような所はない。

 

 ここから全てのパーツを外して点検するのには、どんなに集中しても数日はかかる。毎日来られても進捗は変わらないし、来たところで、という話ではある。

 

「ちょっと! そんな言い方……てゆーか、あんた達、揃いも揃っていち財閥のお嬢様に……」

 

 立ち上がり、こちらにつかつかと歩いてくる月夜美。彼女にしては珍しくマトモな理由で怒っているようだ。

 

「月夜美、あたしは気にしてないわ」

「あら! 名前覚えてくれてる! ……えっ、ホントに気にしてないんですか?」

「あたしが少しお金を多く持っていることは、別に気にしなくて大丈夫よ。外国にある貴族制度みたいなものだって無いんだから」

 

 至って常識的なことを言う弦巻さん。

 

「それに、パパとママの名前を鼻にかけるようなことはしない。そう2人と約束しているの」

 

 世の中には頭のネジがぶっ飛んだ富豪が大勢いる中、この人は家族もひっくるめて常識人寄りなのかもしれない。声はデカいが。

 

 弦巻さんは俺の方に来て、隣に座る。さっき月夜美が持ってくるだけ持ってきた椅子に座ったのだ。そして彼女は、俺の肩に両の手をのせる。

 

「おじ様は、あたしが居ない方がいいの?」

 

 俺には、いま弦巻さんが思っていることが手に取るように分かった。

 

 椅子から立ち上がり、俺は腰に手を当ててドヤ顔で言う。

 

「そんなことは言っていない。あと、こいつくらいのガキに俺の仕事は邪魔できない」

「だそうよ。おじい様」

 

 弦巻さんは俺の腹あたりに抱きつく。この人も俺を男として見ていないようだ。クソッタレ。男らしさがないのが、この歳になるまで彼女ができない理由のひとつか。

 

 邪魔でも何でも、この人はれっきとしたお客さんだ。無闇に出ていけなんて言えない。ここは弦巻さんに乗っかるのが得策だろうと俺は思った。

 

 それに、この店を継いでもうそろそろ10年。おやっさんに何も言われなくとも、自分で判断くらいできる。

 

 おやっさんは俺らを見て、数秒固まってからため息をつく。

 

「客にガキとは何だ」

 

 いつも通りの威圧的な表情で、おやっさんは俺の脳天にゲンコツを入れる。

 

「あでっ!? ご、ごめんなさい!」

 

 月夜美が来る前、1人でこの店を営んでいた時に、自分の店を営業するということは何たるかを教えて貰っていた時も、よくこうやって殴られていたっけな。

 

 彼も職人気質な昭和の男だ。こういう指導が染み付いてしまったんだろう。不器用な人よ。

 

「別にいいのよ、ジッサイ子供だもの。ただ、ちょっと不器用なのよね? おじ様はっ」

「そ、そうそう。不器用でごめんなさいね弦巻さん、はは……」

「確かに店長は不器用です。手先だけですよ、器用なのなんて」

 

 俺も不器用だったらしい。まあ、自分でも今の誤魔化しはちょっと無いなと思い始めていたところだ。

 

 けっ、とおやっさんは口にして、出入口に向かう。

 

「不器用に時計屋が務まるか」

 

 お互い不器用なくせに。

 

「……それ、あなたが言います?」

「言うようになったな、進坊」

「おかげさまで」

 

 今度は営業スマイルではなく、心からのスカッとサワヤカの笑いを向ける。すると、おやっさんは目を見開き、あろうことか笑いだした。

 

「フフ……」

 

 思っていたリアクションと違うな。参った! これからは家庭訪問紛いの視察は半年に1回にしてやろう! みたいなことを言うのか、それともめちゃくちゃに怒るのかと思っていたが。

 

 白くなった顎髭をこすり、そのままおやっさんは出ていった。

 

「言いましたねえーっ、店長」

「たまにはやるのさ、俺だって」

 

 月夜美は素直に、店内を改めて掃除している。今は床をホウキで掃いているところだ。だが、口では未だにぐちぐちと不満を垂れている。

 

「もーっ、ていうか結局なんなんですか! あの老いぼれは!」

「だから……別に間違ったことは言っていないだろう」

「店長も店長ですよ! あんな失礼な人に、どうして今までずーっと下手に出てたんですか!」

「老いぼれって言うのも大概失礼だろう」

 

 確かに最近、還暦に入るみたいな話は聞いたけど。でも、あの歳で未だに時計や眼鏡の修理を店では第一線で請けていると言うし、ボケてもいない。

 

 老いぼれと言うには、まだ早いだろうな。「それに」と俺は付け加える。

 

「まあ少し、弱みを握られていてね……」

「ぐぎぎぎ。許せないです、私」

「いいじゃない! なんだかぶっきらぼうだけど、悪い人ではなさそうよ?」

「ええー? そうですかねえ」

 

 弦巻さんの言う通りだ。再三言うようだが、おやっさんは間違ったことは言っていないし、別に俺らの店を潰そうとしている訳でもない。

 

 ただ、少しあっちの店の方が新しそうな見た目に改装されて、うちの客入りがさらに減ったが。

 

「もーっ、せっかく休憩してたのに、中断させられましたよお……」

 

 月夜美はとことんおやっさんが気に食わないようで、その場に杖のようにホウキを突き立てて座り込む。ヤンキー座りで、パツっとしたジーパンの生地が張る。

 

 あまりジロジロと見ていると、また『店長みたいなおじさんには分からないでしょうけど、これ今の時代だとセクハラですよっ』などと言われてしまうので、外の方を向きながら俺は言う。

 

「お前、出勤してからずっと休憩してないか?」

 

 ガラス戸からは、リニューアルされて少し経つもみじ屋が見えた。

 

「あ、バレました?」

「そういえば、月夜美は何をしている人なの?」

「和田アキ子みたいな質問だ」

「私はですねー、日夜この店の警備員をしていますっ」

「ニートと言ってることが変わらないな」

「どぅあ〜れがニートですってえ!?」

 

 矢澤にこみたいな怒り方をする月夜美。俺の隣に座り、俺と月夜美に挟まれる形になっているこころは、「ニートって何かしら」と笑顔を崩さずにキョトンとしている。

 

「働かない人のことですよ」

「あら、あたしも働いてないわよ?」

「こころちゃんは学生だから、学生が職業なんだよ」

「そうなのね! 確かに、学生は学ぶことが仕事って聞いたことがあるわ!」

 

 俺は「そういえば」と切り出す。

 

「弦巻さん、学生だけど修理費は払えそうですか?」

「それは安心よ。お小遣いがあるもの」

「いや、高校生のお小遣いなんて……いくらこころちゃんの家がお金持ちだからって、ねえ?」

「一応教えてもらいたいですね。な、月夜美」

 

 思わず弦巻さん相手に敬語が解けている月夜美と、顔を見合せて「ねー……」とハモる。

 

 そういえば、弦巻さんが絡みやすいのは確かだが、一応お客さんだぞ。敬語を使わんか。

 

 ともかく、相場を知らない学生が、思ったより高い修理費を見て目玉が飛び出すなんてのは、俺も店をやってきた中で何度も見てきた。弦巻さんを舐めてるってわけじゃあないが、念の為に確認しておきたいのだ。

 

 あと、もちろん弦巻さんの金銭感覚に合わせて料金を吊り上げようなんてことも考えていないぞ。おやっさんの名にかけて。

 

「そうね、昨日ちょうどお小遣いを貰ったの」

 

 そう言いながら、弦巻さんは財布を取り出す。意外にも、いかにもヴィトンやコーチっぽい感じでは無い、シンプルな黒の革財布だった。いや、意外とこういう物ほど高いんだ。俺は大人の男だから知ってるぞ。

 

 俺と月夜美は、弦巻さんを挟む形で座っているので、真ん中に座る弦巻さんの手元を覗き込む。

 

「いざ開いてみて、5000円が1枚だけだったら面白いですね」

「キミは今日だけで何回失礼なことを言うんだ」

 

 本人の目の前でそんなことを言うな。確かにちょっと面白いけど。

 

「このくらいね」

 

 と、弦巻さんは財布を開く。そこには、紙幣が大体2〜30枚入っていた。

 

「ッ……!?」

「な……ッ」

「これでも、ちょっとバーコード決済のアプリにチャージしたり、銀行に預けたりしたのよ。分厚くてたたみづらいし、こんなに持ってたら危ないってこの前、美咲に言われたもの。でも、現金じゃなくっちゃあお会計できない所もあって……」

「わ、分かった分かった。もういい」

 

 俺はフゥと息をついて、想像以上に貰っていた小遣いに軽く恐怖を覚えた心臓を落ち着けるために胸をさする。

 

 ところが、そんな俺の肩を小刻みに月夜美が叩く。

 

 高橋名人の真似か? と彼女の方を向くと、彼女は青ざめながら俺の肩を叩いており、店の出入口をもう片方の手で指さしている。

 

 何があったんだ、ゾンビ映画やクトゥルフみたいなリアクションしやがって。

 

 俺は困惑しながら出入口の方を見る。すると、出入口方面のガラス張りの壁一面に、サングラスにスーツの女性がズラっと並んでいる。

 

 外から困惑と恐怖の色を帯びたどよめきも軽く聞こえてくるぐらいの、一般的な商店街にはあまりにも大きすぎる違和感。

 

 こりゃあ、ゾンビ映画やクトゥルフってよりも、8番出口ライクのゲームみたいな驚かせ方だな。

 

 俺は止まりそうになった心臓を今度は必死に動かそうとドッグブレスをする。そして、弦巻さんに外の方を指さして問う。

 

「あ……あの人たち、誰か知らない?」

 

 弦巻さんは、何でもないように答える。

 

「ああ、黒服さんよ! あたしの傍にいる人たちで、外でも家でも一緒なの!」

 

 そうだよな。そうだと思ったよ。

 

 そうか。普段はどこかに隠れながら弦巻さんを見ていたボディーガードが、弦巻さんが財布を見せたことにより警戒を示し、見える位置に来たのか。

 

 別に盗ろうだなんて思わないよ、報復の方が怖いし。まず人の金を盗めるほどの図太さが俺には無い。

 

 黒服さんとやら、マークするならこの隣にいるフリーターですよ。神経と太ももの図太さランキングなら江戸川区ナンバーワンだ。

 

「今更だけど、俺ってもしかしてヤバいお客さんを相手にしてる?」

「だから言ったじゃないですか! 日本でも有数の大金持ちだって! なんなら前話確認します!?」

 

 あんまりそういう発言を無闇にすると、客が離れるぞ。

 

 本当に、とんでもないお客さんだ。小金持ちのロレックスくらいなら直したことはあるが、次元が違う。ここ数年で一番の、緊張するお客様である。

 

 改めて、冷静に、慎重に接客せねば。客に優劣をつけるつもりはないが、こうでもしないと青美堂が潰されそうで怖いんだ。そう思い、弦巻さんの方を見ると、目を閉じていた。

 

「いい曲ね」

「……お?」

 

 なるほど、店内BGMに聞き入っていたのか。それにしても、さすがだ。

 

 お金持ちは触れる文化の数が違うとは言うが、こんな子供に中島みゆきさんの良さはあまり伝わらないんだ。最近の子供は特に。

 

「そうかそうか〜、弦巻さんッ! みゆきの良さが分かりますかぁ!」

「露骨に機嫌が良くなった……」

「ええ! この曲はなんて言うの?」

「アザミ嬢のララバイ、この人のデビュー曲だ」

 

 彼女は左右に揺れながら、みゆきの曲を楽しんでいるようだ。

 

 古い曲だが、今となってはみゆきの音楽がかかっている店もそこまで多くはないだろう。ここに来たからこそ、こういうみゆきとの出会いがある。

 

 好きで流している面もあるが、今風に言えば、俺はみゆきを『布教』するために流しているのかもしれないな。

 

「いや、普通にサウシーとか流してくださいよ」

「何だそれ」

「はあ、おじさんさあ」

「おじ様、知らないの?」

「おいッ。俺はまだ29だぞ」

 

 なんだかんだ、こういう話ばかりをして、気づけばこの日は2時間が経っていったのだった。日曜日らしい、ダラダラとした過ごし方だった。

 

 別に普段の日曜日営業でも、月夜美と2人で駄弁ったりはしていたのだが、ここまで気を抜いたのは、なんだか久しぶりだと感じた。

 

 弦巻さんは、こういう『人の懐に入るチカラ』というものが強いんだろう。思わずご飯でもあげたくなるような、そんな可愛がりたいと思わせる魅力がある。

 

 俺ってロリコンなのかな。いや、決してそういう目では見ていないが。

 

「……店長」

「なんだよ」

「逆玉の輿でも狙ってるんですか?」

「違う!」

「いやあ、長いこと一緒に働くものですねえ」

「言っとくが、全然外れてるからな」

「? 何が外れてるのかしら」

「こころちゃん、このおじさんはロリコンなんだよ」

「ろり……それは何かしら?」

「余計な言葉を教えるな! 埋められるぞ! どこかに! こう、山などに!」

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