空と君のあいだに   作:苗根杏

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24.ONENESS

「倉田さん!! 離れてください!!」

 

 見切り発車で走り出した俺の顔面に、彼は裏拳を入れてくる。しかも目に。

 

「邪魔ぁ〜〜〜!」

「ぐぁあッ」

 

 打撃自体が強かったのもあり、俺は痛さと衝撃で大きく後ろに転がる。

 

 元が低姿勢だったのもあって、完全に目をやられた。潰れた訳では無いが、あと数分、いや十数分は開けたくない。

 

「目潰し!? 古典的だけど卑怯……!」

 

 彼も別に目を狙ったわけではないと思うが。いや、やりかねない人物ではある。月夜美は、呆気なく帰ってきてうずくまる俺をかばうように前に出る。

 

「というか店長、バカなんですか!? 修理できるの、あなたしか居ないんですよ!?」

「い、いや……もう右手やられたから終わりかなって……」

 

 月夜美は、曲がってはいけない方向ばかりに曲がっている俺の手を見てハッとする。そう、もう手遅れなのだ。

 

 おやっさんに連絡を入れても、もみじ屋からここまでは結構かかるからな。どうしたものか。

 

 そう考えている間にも、俺をかばっていた月夜美は軽く肩を持って横にどけられ、俺は彼の大きな手に掴まれる。

 

 すると、なんと俺の身体を、頭だけを持って持ち上げたではないか。元から54キロと、俺の体重はオジサンにしてはそこそこに軽いが、そらにしても指の保持力が尋常ではない。

 

 そして、あくまで俺をいたぶることを考えている彼は、顔と顔を近づけて笑う。

 

「脳天かち割りと、神経ぶった切り。どっちがいい?」

 

 そんな絵に描いたようなサイコパスみたいな挙動するなよ。負けフラグだぞ。俺は、左の手がまだあるぞと拳を握り、笑う。

 

 このまま窓にでもぶつけて、ガラスを割って落とすか? どうなっても道連れだ。そう思っていたが、またもや後ろから倉田さんが、彼の手を掴む。

 

「やめてください!! 私の進さんに手を出さないでください!!」

「……んん?」

「倉田さん……俺は大丈夫です」

「離してくださいッ!! 離してッ!!」

「うるさいんだよねぇ」

 

 彼は俺を持ったままの手を、軽く振って倉田さんを突き飛ばす。

 

 幸い、後ろに構えていた神坂さんがいたおかげで、倉田さんは神坂さんに受け止められてよろけるくらいで済んだ。見たところはケガもしていないようだ。

 

「お前に何が出来るんだよ?」

「やめなよ……こんな事じゃあ、日本の文化は衰退するばっかりだよ!」

 

 神坂さんは、きっと彼を睨む。すると、彼は頼んでもいないのに、ペラペラと話し始める。

 

「逆だよ。救うんだ、日本の文化を」

「……はぁ……?」

「ラノベ業界、ひいてはサブカルチャーを率いるのは、僕たちなんだ。お前らみたいな若造が、僕たちくらいの可能性の芽を潰すのが、一番ダメな例なんだよね……」

 

 彼はズボンの後ろのポケットから、バタフライナイフを慣れた手つきで展開する。こいつ、たぶん俺より少しだけ年上で、同年代だな。

 

 昔からずっと練習しているんだろう。バタフライナイフは、俺が小学生の頃に流行ったものだ。中学に入っても、常に持ち歩いている奴がいたっけな。

 

 その持ち歩いているブツでナイフゲーム──指の間をナイフでトントンと刺していくアレだ──をするのも流行って、しまいには校則で禁止されたし、ドラマで社会問題として取り上げられたりもした。

 

 僕という一人称や、中性的な顔立ち、そのポンチョパーカーにサルエルパンツという服装からも、なんだか幼いまま精神年齢が止まっているような印象を俺は受けた。あくまで個人の感想だが。

 

「日本を……世界を変える創作を生み出すために……そのために、君たちを殺さないといけない……」

 

 リストパス、CSGO、テーブルトップ、バーティカルオープン。次々にバタフライナイフの技を俺に見せつけてくる彼は、完全に小物だった。

 

 俺はしかと彼を見て、こちらに飛んでくるナイフを間一髪で避ける。いや、一髪どころではなく、割と襟足が切られた。

 

 壁に食いこんだナイフの下に、少し伸び気味だと思っていた俺の襟足だったものが落ちている。

 

 そして、俺はナイフを左手で取ろうとするが、これはブラフだとでも言うように、その手を狙って蹴りを入れられる。

 

 今度は大きな怪我にはならなかったが、流石に痛い。俺は一度後ろに退くが、すぐに追いつかれそうになる。教室もそこまで広くない、逃げ回るのにも限界がある。

 

 諦めて、肉を切らせて骨を断つか。プロレスのように。

 

 そして俺は立ち止まるが、気づけば彼は壁に刺さっていたナイフを持って、こちらに振りかざしていた。いつの間に回収したんだ。

 

 くそっ、と頭突きで突撃しようかとしたその時、彼のナイフを持って高く掲げられた腕の手首は、何者かに掴まれる。

 

 彼がこちらに覆い被さっているので、後ろにいるその人はよく見えないが、そこから発された声に、俺は度肝を抜かれた。

 

「おじ様たちに、何をする気だったのかしら」

 

 足のすくむ倉田さんに、彼の下から引きづり出され、その声の主の全貌が見えた。

 

 その人は、彼を背負い投げの要領で地面に叩きつける。そして、手に握られたナイフを取り上げる。

 

 頭の左上に王冠をつけた、サーカス団やマーチング隊のような衣装。赤と紺が映え、白いファーのついた紅のマントがなびく。

 

 しかし、俺の知っている彼女の顔では無い。彼をねじ伏せたその人の顔は、眉間にしわが寄っており、歯を食いしばって彼を睨んでいたのだ。

 

「誰? ねえ、どいてくれないかな……」

 

 彼女は、掴んだ腕の肘あたりを、本来曲がる方向とは逆に曲げようと力を入れる。さすがに彼も痛みを覚えたか、顔をしかめる。

 

 ナイフを近くのゴミ箱に捨てた、ライブ衣装の弦巻こころさんは、今までに見たことがない『怒』の感情をあらわにしていた。

 

 喜怒哀楽の、怒の部分。

 

「答えなさいッ!!!」

 

 教室、廊下、はてはグラウンドにまで響きわたらんが如く、彼女の声は腹から出されていて、間近で聞いていると思わず泣いてしまいそうなほどに圧があった。

 

 普段は隠しているだけなのか、はたまた今回たまたま出てしまったのか、お父上に似たカリスマと圧を感じる。

 

「こんな気持ちになったのは初めてよ!! さあ、答えなさいッ!! この人たちに、おじ様に……何をするつもりだったのかッ!!」

「ッ……るせぇー……陽キャがよッ!!」

「あたしには分かるわ!!」

 

 弦巻さんは、彼が繰り出してきたパンチを、持ち前の動体視力と身体能力で瞬時に避ける。

 

 とはいえ相手も手練、すかさず反対の拳を繰り出してくる。しかし彼女は、手刀を前に向けてその手を、窓を拭くような動きで逸らし、勢い余った彼の頭に頭突きを一発。

 

「回し受けッ!?」

 

 愚地独歩のような見事な回し受けに驚く俺をよそに、彼女は叫ぶ。

 

「おじ様の……おじ様の!!」

 

 彼は弦巻さんの言葉を待たず、すかさず低めの蹴りを入れてくる。回し蹴りというやつだろうか。

 

 自分の腰あたりに蹴りを入れられた弦巻さんは、左の腰を正面に出す、つまり右を向くことで瞬間的に蹴りの衝撃を軽減し、腰の後ろで彼の足を掴む。

 

 そして、彼の胸元を突き飛ばすように腕をのばし、片足しか地面についていない彼は、弦巻さんによって転ばされてしまう。

 

 その後、拳を腰あたりに、素早くきっちりと持ってきて、内八字立ちをする。

 

 弦巻さんは、またビリビリと、空気を裂かんばかりに大きく揺らして叫ぶ。

 

「おじ様の!!! 笑顔が崩れる!!! 音がしたのよッ!!!」

「弦巻さん……」

「修理は任せたわッ!! おじ様!!」

 

 彼女の名前を思わず口からこぼした俺の方に、弦巻さんはハッとして向く。

 

 そして、きっとした目元が目立つ真剣な顔を崩し、いつものような笑顔を見せてサムズアップをする。

 

「笑顔にするんでしょう、人を!!」

 

 そう言って三戦立ちをする弦巻さんの横に、倉田さんが駆け寄る。

 

 一見へっぴり腰に見えるが、まるでウルトラマンのようにプロレス直前にも見える倉田さんの構えと、内股になってバランスを重視し、相手をしっかりと睨むことが出来る弦巻さんの三戦立ち。心強いな。

 

「こころさん! 一緒に食い止めましょうッ!」

「頼りにしてるわよ、ましろ!!」

 

 彼女たちは、犯人に向かって不敵に笑う。彼も「……どこまでやれるもんかね」と、また笑っている。

 

 俺は、やれやれ、楽しんでやるもんじゃあないんだけどな、と思いながら、右目をおさえ、左手にドライバーを持つ。

 

 俺の震える手を、持って止めたのは月夜美だった。

 

「店長」

「……なんだ」

 

 俺は少し、作業を止められたこと半分、こんな身体でやらなきゃあいけないこと半分でイラついて彼女の方を向く。

 

 すると、彼女は先程までの今にも泣きそうな顔ではなく、凛々しく、いつものように笑った顔だった。

 

「命令、してください」

「……は?」

 

 拍子抜けした俺の手から、ドライバーを手に取る月夜美。

 

 そして、近くにあった別のドライバーも手に取り、身体の前でそれらを持った手をクロスさせ、彼女はドヤ顔で言う。

 

「私が直します」

 

 本気か、と言おうとしたが、俺はふと気づいた。彼女の手が、少しも震えていない。

 

 月夜美は、完全に覚悟が決まっているのだろう。また、それを隠せるくらいには、落ち着いたのだろう。

 

 すまない。こんな状況になるとは思っていなかったものの、俺は彼女に向かって頭を下げる。

 

 そして、折れた指で動く歯車を指さし、俺は彼女の肩を抱いて言う。

 

「ここの歯車を、俺がよしと言ってから20回動いたら外せ」

「分かりました!」

「……よし」

「うおおおっ!!」

 

 月夜美がバカ正直に大きな声を出すと、案の定、こちらにすごい勢いの足音が近づいてくる。

 

 振り返ると、それに間に合ったのか、弦巻さんが俺の顔に尻を乗せて、それでバランスを取りつつ、平手で拳を受け止めていた。

 

「おじ様には、もう触れさせない」

 

 ズボンスタイルの衣装に食い込む尻が、俺の顔を圧迫する。そして、そこから弦巻さんはバネのように俺を使ってしっかりと立ち上がる。

 

 さっき殴られたから、あんまり感触は感じなかったのが不幸中の幸いだろうか。

 

 俺は時計の方に向き直り、そろそろ解除できそうな頃合であることを確認して次の指示を出す。

 

「右側のパーツを8のドライバーで外せ! その後、きっかり52クリック後に右上の受けを外すんだ! あらかじめ6のドライバーで緩めておけ!」

「店長、後で私もお尻で圧迫しますからね!」

「よそ見すんなバカ!!」

 

 俺が圧迫されている間によそ見をしつつも、いつものようなふざけたことを言いながらも、彼女は自信満々でネジを外していく。

 

「ねじらって、ねじらって〜!」

「お前、手際いいな……」

「ふっふっふ、伊達に長く店長見てませんよぉ〜!」

 

 倉田さんと一緒に修理した時を思い出し、俺は無事な左手の方で、彼女の背中を撫でる。

 

「その笑顔だ、月夜美」

「! ……はいっ! 店長! なんでもかんでも、この万能アルバイト! 死戻月夜美に任せてくださいよっ!!」

 

 月夜美はちらっとこちらを見て、歯を見せて笑う。青美堂の看板娘が、営業スマイルも含めて完全復活だ。

 

 そうしている間にも、俺の後ろでは人の身体と身体のぶつかる音が高い頻度で聞こえる。

 

 振り向くと、積極的に足をかけようと、ドッジボールで避けるときのようなムーブで素早く動く倉田さんと、正面から技を受けきって押しのける弦巻さん。

 

 しびれを切らした犯人は、その長い髪を揺らして、隙を狙って足を掴んだ倉田さんを振り払う。

 

「しつこい!!」

「っ!?」

 

 そして、弦巻さんの顔に、菩薩の拳──人差し指と小指だけを緩めに握る拳のこと──を繰り出す。

 

 体力が消耗されている弦巻さんは、ふとした隙にそれが顔に直撃しそうになる。

 

 俺は、慌てて残りの歯車の配置を覚え、弦巻さんの前に飛び出す。月夜美が直す以上は、喉さえ無事であれば指示ができるため、俺の身体は極論どうなったっていい。

 

 そして、比較的近くにいてくれた弦巻さんの前に、身体を大の字にして立ちはだかる。

 

 鼻っ柱で受けた菩薩の拳は、かなり効くが、アドレナリンのせいで、地面に鼻血が滴ったところでようやく、マトモなダメージを受けていたことを自覚した。

 

「おじ様……」

 

 俺は彼の人中、喉仏、鳩尾に、拳で正中線三連突を食らわせる。後ろによろけたところを、すかさず金的。

 

 この流れは、俺がケンカばかりしていた頃によくやっていた技の組み合わせだ。

 

 時計のパーツの配置は完全に覚えた。あとは、指示を出しながら、俺自ら彼を足止めする。

 

 中学生ぶりに拳を振るう羽目になるとは思わなかったな。あの頃のように、ケンカで済めばいいが。

 

 俺は心の中で、幼馴染と万実さんに謝る。こんな事態とはいえ、また人を傷つけてしまうことを。

 

「……来い」

「ヘナチョコが……お前ごときに!! 何が出来る!!」

 

 怒鳴る彼に、俺は歪んだ右手で、手招きのジェスチャーをして挑発をする。

 

「さあ。少なくとも、あなたくらいになら勝てるかもしれませんよ」

「うぁぁぁあああああああッ」

 

 先程までボコボコにやられていた恐怖心を心の奥にしまい、俺は十数年ぶりに、不慣れなファイティングポーズをとった。

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