空と君のあいだに   作:苗根杏

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第0章 死戻月夜美と逆行時計
-5.ダイヤモンド


「みつかんなーい!」

 

 2019年の秋、『死戻 月夜美(しにもどり-つくよみ)』は自分の部屋にこだまする自分の声を、我ながらうるさいと思いつつも、求人サイトに表示された情報に叫ばざるを得なかった。

 

 彼女は今年の春に上京してきた20歳。本当は浪人した後に諦めて就職をしたのだが、その就職先が倒産。

 

 まあ働かなくてよくなるならいいか、と気軽にアルバイト先を探す月夜美だったが、単発バイトしか体に馴染まない。そろそろ定着するバイトを探そうとしている。

 

 が、現在こうやって定職はおろか長期バイトも見つけられていない。

 

「なーんか……ピンと来ないんだよなあ……」

 

 世の中夢だらけだなんて嘘だ、と思ってしまうほどに、彼女は打ちのめされていた。

 

 就職となれば候補はいくつも見つかったのに、アルバイトとなると不思議と見つからないもので。

 

 月夜美は、世の中に絶望とまではいかないが、世の中に夢はそんなに無いのだと薄々気づき始めていた。

 

「あーあ! とびきり楽なバイトを持ってきてくれる、白馬の王子様でもいないかなあ〜!」

 

 これは極端に夢を見すぎな例だ。というか、ほぼずん飯尾である。

 

 月夜美の部屋のドアが叩かれたのは、そんな叫びをあげながらも渋々と数十分もいくつもの求人サイトを吟味していた時であった。

 

「はーい、どなたー?」

 

 彼女がドアを開けると、ひとつ隣りの部屋の住人、『天寺(あまてら) さくら』がいた。7号室にいる、有名女子大のグローバル・コミュニケーション学郡に通う大学生である。

 

「月夜美さん」

「あっ、さくらちゃん!」

 

 さくらはケーキの箱と紅茶の缶を、月夜美に見せてニヤリと笑う。彼女は、月夜美の知る範囲では、かなりのお嬢様らしいのだが、どういう訳かこのボロアパートに住んでいる。

 

「コンを詰めすぎるのもよくありません。お茶にいたしましょう」

「やったーっ!」

 

 このアパートの名前は『パンダハウス』。都内のはずれにある、年賀状を書く時に少し恥ずかしい名前の建物である。月夜美の住んでいる場所は6号室、角部屋だ。

 

 広めの玄関には靴箱が100人前くらいあり、1階には管理人室と1〜5号室、2階には6〜10号室がある。1階の廊下からは、縁側を経て、住人たちの洗濯物を干せる大きな庭に出られる。

 

 二階建ての木造建築で、階段の軋む音、隙間風、広さ8畳のワンルーム家賃2万円という、昭和のような雰囲気を見せてくれるアパートだ。

 

 良く言えば田舎暮らしを都会で擬似的に楽しめるし一人暮らしで安く住むには最適なところ、悪く言えばただの時代遅れのオンボロアパートである。

 

 そんな場所にいても、お嬢様的なキラキラとした気品を醸し出すさくらは、部屋に入ってきてドアを開けたまま笑う。

 

「今日は日曜……『2階組』の皆さんもいる事ですし、連れてきましたわっ」

 

 廊下の床の音が聞こえたと思えば、彼女たちよりも身長の高めな2人が入ってくる。

 

「おっはよー! 月夜美ちゃん!」

「ッス……」

香夜(かよ)さん! 空飛夢(あとむ)くん!」

 

 在宅かつフリーランスでデザイン系の仕事をしている、『宮崎 香夜(みやざき-かよ)』。ストレスが溜まった時に料理をするのがルーティンで、イタリアンを得意料理としている。専用器具が部屋に多くある。

 

 もう1人は、演劇をしながら怠惰な大学生、『鶴嶋 空飛夢(つるしま-あとむ)』。過去に大きな事件が原因で、真っ白になった髪を長く伸ばし、片目を隠している。年中和服で下駄の、厨二病をこじらせたような、変な大学生だ。

 

「今日はボロネーゼよ〜!」

「うわあ〜っ、美味しそう!」

 

 家庭的な百均でも買えそうな鍋に、かなり本格的なパスタが入っている光景にも、月夜美はもう慣れていた。

 

 ティーパーティーのような場所に、こういう料理を持ってくるのも。月夜美は美味しい食べ物に目がなく、美味しければ食べ合わせはそこまで気にしない派である。

 

「窓開けますね」

「あっ、早速ヤニ吸おうとしてる」

「雰囲気ないですね〜……」

 

 もちろん、空飛夢がすぐにタバコを吸おうとするのにも。

 

 この2階組で唯一男性の鶴嶋空飛夢は、月夜美にとっては一番自分の生活に近い男性ではあるが、変な人すぎてギリギリ異性としては見られないようだ。

 

 彼が発する言葉のほとんどは常識人だが、和風ファンタジーから出てきたような見た目を常にしているのと、タバコをあまりにも吸いすぎていることから、空飛夢はこのパンダハウスでも中々の変人として扱われている。

 

「ヤニというのは、確か煙草のことでしたよね」

 

 さくらが副流煙を恐れず近づくと、大きめな窓の枠に腰掛けた空飛夢は、タバコを吸いつつ答える。

 

「……タバコにはタールという成分が含まれていて、歯を茶色くする油分の多く含まれたものなんです。それを指して、『(やに)』と呼ぶんです」

 

 ヤニカスは自ずと、タバコについての豆知識を調べる習性のある生き物のため、こういう知識ばかりが溜まっていく。もちろん空飛夢もその例外ではない。

 

 ヤニカスという生物にとってヤニ、つまりタバコは趣味。趣味について調べて、趣味のための道具──ライターや灰皿など──に凝るのも自然の摂理である。

 

 実際、空飛夢の灰皿は社長室にありそうなくらいには大きいガラス製のもので、ライターは限定生産の、物語シリーズの忍野忍が彫られた痛ZIPPOである。

 

「あ〜、松脂とかよく言うよね、野球で」

「ああ、そういう事でしたのね! 勉強になります!」

「さくらちゃん、あんまりこういう勉強はしなくていいのよ」

 

 さくらは少しだけ浮世離れというか、一般常識をあまり知らないところがあり、たまにどうやって大学に受かれたのか分からないくらいに天然な行動を起こす。

 

 タバコに関してもあまり詳しくなく、今ちょうど空飛夢のタバコを吸ってみて噎せたところである。

 

「けほっけほっ」

「あー、やっぱり噎せた。大丈夫?」

「ハイライトメンソールですからね。タール10mgは初心者には少しキツいかもです」

「なんでそれ吸わせたのさ」

「別に俺もオススメのを見繕ってやりたい気持ちはありますけど、あいにく今はこれしか持ち合わせてないんで」

「そんなゾロと初めて戦ったミホークみたいな……」

 

 月夜美はケーキを食べつつ、求人サイトをスクロールする。どれもこれも、なんだか惹かれない。ライフスタイルなら、一人暮らしだし合わせられるのにな、と月夜美はため息をつく。

 

「んん……」

「まだバイト見つからないの?」

 

 香夜と空飛夢が同時に、月夜美のスマートフォンを覗き込む。そこには、東京都内ではなく、神奈川県内の求人情報が載っていた。

 

「でもでも、頑張って探してるんですよ〜? 北は鶴屋町、南は元町まで、神奈川県ぜんぶ」

「横浜駅とみなとみらい周辺しか探してないな、さては」

「せめて港北と港南を挙げなよ……」

 

 さくらは「私も探してみようかしら」と、バイトに興味津々な様子。月夜美の部屋にある、コンビニに置いてあるような求人雑誌をペラペラとめくる。

 

「東京では探さないのね?」

「ん〜、ひと通り探したんですけど……なんかピンとこなくて」

 

 月夜美は床にごろんと寝転がり、自分の将来を案じる。

 

 別に親の仕送りだけで暮らしていけないことはない。趣味も少なく、美味しい食べ物さえ食べられればいいというスタンスの月夜美は、あまりお金を使わないのだ。

 

「ね〜、私にもタバコ吸わせて〜?」

「はい。どうぞ」

「え!? 月夜美ちゃんも吸うの!?」

 

 月夜美は空飛夢の吸いかけのタバコに口をつける。親のタバコを何度か吸ったことのある月夜美は、なんだか清涼感のあるそれに驚く。

 

「別に吸いますよ、付き合い程度ですけど……うわっ、なんかスースーする! あと重っ!」

 

 彼女がたまに吸うのは、メビウスのスーパーライト。タールで言えば、空飛夢の吸っているハイライトのメンソールよりも4mg少ない。

 

「はぁ、これ丸ごとくれる? 50円で」

「そのくらいあげますよ」

「ラッキー。ふふ」

「すごいですわ、あんなのを……」

「月夜美ちゃんくらいのペースならいいけど、鶴嶋くんくらいのペースで吸い始めたら人間終わりだよ。さくらちゃん」

「宮さん、そういうのあんまり本人の前で言わない方がいいですよ」

 

 すぐさま新しい1本に火をつける空飛夢。さくらは、窓に腰掛けてタバコを吸う空飛夢に、なんだか中学生のようなカッコイイ方面の憧れを抱いていた。

 

「空飛夢さん……こ、今度、タバコ屋に連れて行ってくれませんこと?」

「あんまりやらない方がいいですけど、まあ本人の望みとあらば」

「あーあ。知らないよ〜?」

 

 3人がわちゃわちゃと騒ぐ中、月夜美はお手洗いに行くために部屋を出た。

 

 パンダハウスのトイレは男子用、女子用こそ分かれてはいるものの、1階にしかないため、月夜美は軋む階段をぱたぱたと降りていく。

 

 月夜美が階段を降りてすぐにあるトイレに向かうと、残り1mくらいのところで先客がバタバタと出ていった。

 

 高校の頃の物であろう赤いジャージ、その下は下着もつけずにタンクトップ。プリンになった髪と、黒縁のメガネ。

 

 あの、男性の入居者もいるのにあまり会わないからと油断しきった服装は、このパンダハウスのレアキャラでもある、2号室の住人。『大土 麻美(おおつち-まみ)』だと察する月夜美。

 

 麻美はすぐに部屋に閉じこもり、おそらく今冬の同人誌即売会のための原稿を作っているところだろう。

 

 前に他の住人から月夜美が聞いたところによると、漫画雑誌の賞にも応募しているらしいという、なかなかの夢追い人だ。

 

 月夜美は、夢のために頑張れる人を無条件で尊敬するので、バイトを探しながら自堕落に食っちゃ寝を繰り返している自分とは違うと改めて思う。

 

 そして自分も用を足し、月夜美は部屋に戻ろうとする。

 

「万実さんのお知り合い、でしたか」

「はい。『パンダハウス』管理人、『範田 志乃(はんだ-しの)』です」

 

 すると、聞き慣れた管理人の声と、もう1人、知らない男性の声が玄関の方からする。

 

「こちらですか。依頼の時計は」

「はい。ここの住人さんも使うので、動かないと何かと不便で」

「ああ……そいつは大変ですね」

「動くようにするだけでいいんです。お願いします」

「ええ。任せてください」

 

 どうやら、このパンダハウスの玄関に置いてある、大きな古い置き時計の話をしているらしい。

 

 男の人が依頼と言っていたから、おそらく修理の依頼をされて来た人だろう。そういえば、1ヶ月くらい前から動かなくなって、管理人さんが壊れたと言っていた。と、月夜美は推測した。

 

「そうですね……自分もこのタイプはそこまで直したことがないのですが、5日ほどで直せるかと」

「……何日でも、お願いします」

「そんなに大切なんですね」

「ええ、これは……このアパートを経営するにあたって、旦那が買ってくれたものなんです」

 

 そういった会話の内容が、全く頭に入ってこないほどに、月夜美はその修理に来たらしき男性を凝視していた。

 

 空飛夢くらいに高い身長、目測180cm。20歳と言われてもおかしくない若い見た目から出てくる少し渋めのハスキーボイス。少しくせっ毛の飛び出た髪。

 

 正面に着けた紺色のエプロンがまた丁度いい可愛げを醸し出している。

 

 ふと、階段の手すりに隠れて2人を覗いていた月夜美は、その男性と目が合う。

 

 すると、その男性は月夜美に向かって自然に笑いかけるではないか。月夜美は、自分の心臓が跳ねたのが分かった。

 

「……かっこいい」

 

 そんな声を漏らした月夜美の後ろから、続いてコトバ同士が紡がれる。

 

「若いよね。店長って言ってたけど」

「嘘ついてんじゃね? 志乃さんのこと狙って」

「もうっ、空飛夢さんはひねくれた考えをしますね」

 

 月夜美は勢いよく振り返って、さくらと香夜と空飛夢を見る。

 

「えっ、なんでここに?」

「なかなか帰ってこないから、ちょっと気になって」

「そんなに長い時間、帰ってませんでした……?」

「10分以上。タバコが2本消えたので」

「あの殿方が気になるんですのね、月夜美さん」

 

 香夜はニヤニヤとしながら、さくらは鼻息荒く興奮して、あの人はどうなんだと聞く。

 

 そう聞かれても、月夜美は数分前に見たばかりで、彼については何も知らない。あわあわとしていると、彼女たちに向かって、管理人である範田志乃が声をかける。

 

「……あの、鶴嶋さん」

「はい?」

「やば、見つかった」

 

 覗いていたこと自体に関しては何ともお咎めがないようで、志乃はため息をつきながら空飛夢を見ている。

 

「いや、バレますよ。廊下でそんなに煙モクモクしてたら」

「うわあ、やっちゃった」

「棒読み……」

「空飛夢〜〜!!」

「すまないすまない」

 

 へらへらと笑う空飛夢に、志乃は眉をひそめて言う。

 

「あ、その……問題は覗いてたことよりも、廊下でタバコを吸うことなんですけど……」

「そうでしたっけ」

 

 口酸っぱく言っていることに関して、すっとぼける空飛夢に対して、志乃は階段をばんばんと叩きながら叫ぶ。

 

「何回も言ってますよね!? 窓を開けて部屋で吸ってくださいって! もう昭和じゃあないんですよ!?」

「俺だって昭和に生きてるわけじゃあないですよ」

「じゃあなんで昭和の倫理観なんですか!! こと喫煙に関してのみ!!」

 

 他の決まり事はきちんと守っているのに、何故かどこでもタバコを吸う空飛夢に、志乃は中々に辟易としている様子。

 

 さくらはまあまあと仲裁し、香夜はそれを見て笑いながら紙皿によそったボロネーゼを食べている。

 

 ここに越してきて半年、最早見慣れすぎたパンダハウスの日常に、月夜美は笑ってしまう。

 

 その様子を見ていた、修理に来た男性が、階段方面に歩み寄ってきて言う。

 

「賑やかですね」

「あっ、あの……」

 

 志乃は慌てて落ち着こうと、そして空飛夢のタバコをあらかじめ普段から持っている携帯灰皿に入れようとするが、男性は「いいんですよ」と言いながらにっこりと笑う。

 

 その男性は、エプロンの『青美堂』というロゴを指さして言う。

 

「住人の方々ですね。初めまして、ここの時計を修理しに来ました。腕に懐中・振り子に掛け。どんな時計もお任せあれの、時計の青美堂、その店主……『香月 進(こうづき-しん)』です」

 

 進と名乗る男性の目を、ジッと月夜美は見つめる。どうかしましたか、と進が問いかけても、月夜美はそのまま動かない。

 

「一目惚れってやつか」

「あらあら……」

「月夜美ちゃん、そういう方向の思い切りもいいのね」

「……パスタ、こぼさないでくださいね」

「志乃ちゃん、これはボロネーゼって言うのよ」

「あ、そ……」

 

 月夜美はごくりと唾を飲み込み、先程の求人サイトたちを思い出す。この人に近づくには、この人の元で働いた方がいいのかも、と考えた月夜美は、立ち上がって彼の手を取る。

 

 そして、一世一代の大告白とばかりに彼女は進に告げる。

 

「あっ、あの……私……」

「どうしました?」

「私と……つ、付き合ってください!!」

「えっ?」

 

 それはただの大告白だ。段階を飛ばしすぎた月夜美に、住人と管理人は、一斉に心の中で彼女に突っ込んだ。




評価用リンク→ https://syosetu.org/?mode=rating_input&nid=347653

感想用リンク→ https://syosetu.org/?mode=review&nid=347653

鶴嶋空飛夢と宮崎香夜の物語→ https://syosetu.org/novel/328466/
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