「オイオイオイ」
「きゃあ〜〜〜っ!?」
「ふむふむ、これは……」
「死戻さん……??」
パンダハウスの住人、それぞれが困惑と驚愕と共感性羞恥、そしてある意味での感心を声に出す中、月夜美は10秒ほど経ってようやく自分の言葉の間違いに気づいた。
進のところで仕事がしたい。ゆくゆくは社員と社長という壁を越えていい感じの仲になり、そのまま付き合いたい。ビバ、オフィスラブ。という思惑が全て漏れてしまったのだ。
「あっ全然間違えました!! ここで働かせてください!!」
「……ここ?」
「あっ、あ、これも違います!! あなたの居るところで働きたいです!! 働かせてください!!」
月夜美は手をわたわた動かした後に、目をぐるぐるさせながら大声で言う。
「あの!! 落ち着いてください!!」
完全に錯乱状態である。
「あなたが落ち着いてください」
「店長さんはもう落ち着いてるでしょう……」
「こういう所あるよね、月夜美ちゃんって」
「突っ込むくせに後先は考えてないし」
「ここぞという時に失敗しますわね」
志乃が来客への失礼に頭を抱える中、月夜美は深呼吸をする。いや、本人は深呼吸のつもりが、ただの荒い鼻息になっている。
「ふぅっ、ふぅっ」
「鼻息荒いなあ」
「あの、あのっ! アルバイト、探してて!」
「ふふ。焦らなくても大丈夫ですよ」
あくまで笑っている進は、面白い人だと心の底から思っていた。
露出がやたら高い服装をした、ボロネーゼを啜るお姉さん。ティーカップを持ちながら、階段の途中でも上品に紅茶を楽しむお嬢様。
先程消されたシケモクを吸う、白髪で紫の和服を身につけた大学生。唐突に告白してくる、アルバイト希望の目がハートな若者。
それをまとめつつも、やっぱり疲れるには疲れるようで紅茶をお嬢様から一口貰う管理人。
たまには店を出てみるものだ。進は普段の閑古鳥が鳴く店を思い返し、少し恋しくなりつつも、ここはここで悪くないと思いながら笑っていた。
「そんなに吸って吐いてしてたら、受動喫煙しちゃうよ」
「先程も吸っていたので、あまり関係ないのでは……?」
「でもほら、今もモクモクしてるよ」
「フゥー……ッ」
「あっ!? また新しいやつに火つけてる!」
志乃は再びタバコの火を消す。今度は紅茶をかけて。
「だから廊下では吸わない!」
「あ〜、俺の生命の源……」
「生命ってもっと神秘的だと思ってた」
「医学的に何の関わりもないのに肺が黒くなると肺がんになりやすいんですよ、生命の神秘そのものでしょう」
「えっ、あれ関わりないの?」
「正確に言うと、関わりが医学的に証明できていない。だから、ないも同然なんです」
「へえ……」
変な知識に感心しながらメモをとるさくら。彼女は一般市民に興味があるのは確かだが、それ以前に元々の好奇心が強いようだ。
また飲み会のようなガヤガヤした声が玄関と階段の間あたりで繰り広げられ始めた時、玄関のドアが開く。
そこにいたのは、大学の部活動が終わって帰ってきた、1階の4号室の住人だった。
大学の部活動というのは基本的に、サークル活動と違い、所属する人から徴収した活動費の他にも、大学から出る活動費がある。
そのため、部活動とは逆説的に大学から本格的に認められたサークルの進化系であり、それぐらい実績を残している所になる。
なので、今帰ってきた彼が、このプリキュアが舞い戦隊が集いライダーが走る、この日曜日という曜日に大学へと出かけているのも何らブラックなことではない。
「ただいま〜……うわっヤニ臭っ」
「あ、みのりんだ」
「みのりんやめてね」
帰ってきたのは、『
「みのりんさん、お帰りなさい」
「みのりんおかえり〜!」
「みのりん、1本どう?」
「みのりんやめてね!?」
住人はこぞってみのりんと呼んでいるが、彼はその名前を呼んでいいのは自分の彼女だけだと思っているので、呼ばれる度にやめろという反応をする。
「じゃなくて! みのりんさんも注意してくださいよ!」
「管理人さんまで……ううっ、僕には威厳がない……」
しかし、彼女ができる前から住人たちはみのりん呼びのため、今更変えるのもと全員が思った結果、管理人含めパンダハウスの全員に穣はみのりんと呼ばれている。
「みのりん……さん?」
「あ、海城穣です。大学生です……あなたは?」
「この時計を直しに来た者です」
進が不思議そうに言うと、穣はフルネームを名乗り、自己紹介をする。それを見た月夜美は、穣を指さして思い出したとばかりに立ち上がる。
「あ!! 自己紹介!!」
「声でけー」
月夜美は進に頭を下げて、
「死戻月夜美と申します、フリーターです。末永くよろしくお願いします」
「まだ面接もしてないのにな……えっ? 死戻??」
他の全員は既に聞き慣れているが、彼女の苗字は、全国に8人しかいないトンデモ苗字なのである。響きも不吉なので、聞いた人はみな一様に驚くらしい。
もっとも、後に会うお嬢様その2にはすんなりと受け入れられているが。
「鶴嶋空飛夢、大学生です……」
「宮崎香夜でーっす。フリーランスの在宅勤務です。もぐもぐ」
「天寺さくらと申します。私も大学生です」
全員の名前とパッと見の性格を咀嚼し、進はオブラートに包んだ感想を言う。
「……個性的な方々が揃ってますね」
「それ、性格診断の『芸術系の仕事が向いている』と同じなんじゃあ……」
「あー、そういえば私もよく出ますねそれ」
「私もー!」
「僕もよく出ます」
「……」
「鶴嶋さんは知ってるんですね、本当の意味を」
「優しい子だね! と同じ感じの隠し方ですね」
空飛夢は志乃と進に苦笑いを見せる。
「嘘も方便、か」
「はは……」
ピンと来ないその他を含めた住人たちは、進が修理をすると聞き、2階の月夜美の部屋に集まってティーパーティーをすることに。
そのうちティータイムから飲み会になった2階組の集まりは、日が暮れた頃に解散となり、月夜美はぼーっとした頭で考える。
あの人のもとで働けたら、どんなにいいだろう。先程はついにそんなことを50回ほど繰り返して言った後に、泣き始めてしまった彼女は、天井に手を伸ばす。
飲み会にはいつの間にか穣や志乃も加わっていたが、そこにいた全員が月夜美の働きたい場所ができたことを祝い、祝杯と称して酒を飲みまくっていた。
いや、あれは私の幸せを利用して酒を飲もうとしていただけだったのか? 月夜美はそんなことを考えながら、外の空気を浴びようと縁側に行く。
全員酒にそれなりに強いものだから、あれだけ飲んでもどんちゃん騒ぎとはならずに、少しガヤガヤとするだけで済むのが逆に怖い、と月夜美は思う。
彼女は酒にあまり強くないため、あそこまで盛り上がれず早めに泣き上戸になってしまうのだ。
1階の縁側には、空飛夢と進が腰掛けていた。
「まあまあ、1本」
「これはどうも」
進は、なんでもないように空飛夢の差し出したソフトパッケージから、タバコを1本貰っていた。
「ハイメンですか。いいですね」
「分かります? この良さ」
「俺も昔は吸ってましたから」
火を貰った進が、最初のひと吸いをふかし、その後の煙を深く肺まで行き渡らせて吐く。
秋の夜長、涼し気な風と共に副流煙が廊下に流れ込む。月夜美は、その光景がひたすらに美しく、寝巻きのシャツの裾を掴んだまま見蕩れていた。
その後、思い出したように嫉妬心が湧いた月夜美は、2人の間に無理やり割って入り、座る。
「ふんっ」
「あ、月夜美さん」
「……ん!」
月夜美は空飛夢の方に顔を突き出して、唇を尖らせる。くわえさせろ、の合図だ。
「さっきまでも結構、俺のやつ吸ってたでしょう。ヤニクラしますよ」
「そんなに軟弱じゃないもん」
月夜美にタバコをくわえさせ、火をつけてやりながら、進の横顔に笑いかける。
「ふふ。似合いますね」
「そうですか?」
「なんか慣れてますよね」
「昔は吸ってましたんで」
空飛夢が自然に笑うようになったのは、自分がここに来るよりも前だったらしいと、香夜たちから聞いた月夜美。
前はもっと死んだような目をして老け込んでいたと聞いた時は、今でもだいぶ大学生にしては大人びている、というか老けていると思った月夜美だが、そういう意味ではないらしい。
「常喫は?」
「最初はハイメンでしたが、後にレギュラーのハイライトにしましたね」
「あー、良い。すっごい良いッスね」
腕を組んで笑顔で頷く空飛夢を見て、月夜美は感慨深くなる。その場に立ち会っていなかったはずなのに、何故か。
実際、空飛夢が笑顔になるまでは、色んな事があったのだ。現在付き合っている彼女に一度振られ、そこからガタガタと崩れ始めたという。
「パーラメントも吸いましたね」
「匂い重視なんですか?」
「ですね。最初に吸ったのがキャスターホワイトなので」
月夜美はタバコを吸いながら、進さんに何気なく寄りかかる。
「時計屋の店長さんなんですよね?」
「はい。俺が店長ですよ」
「失礼かもしれませんが、おいくつで……?」
「この前26になりました」
「26!!」
空飛夢はむせそうになりながら驚く。月夜美はピンと来なかったが、どうやらその歳で店長という立場になるのは余程異例なことらしい。
進は月を見上げ、フィルターのギリギリまで燃えた吸殻を持ちながら話す。
「何故時計屋を?」
「まあ、元々興味があったんですよ」
「あったって、その若さでああも直せるもんなんですか」
「はは、師匠にしごかれましたから」
酒盛りの最中に時計の修理を見に行った酔っ払い一行。そこでは、先程あまり修理した経験が無いと言っていた置き時計を、素早い手つきで解体する進がいた。
周りで少しくらい声を出しても、一切集中力を切らすことなく、見事な手さばきでパーツを外しては置き、外しては置き……。
それからその場で20分かそこら、皆は進の修理に夢中になっていた。
時計屋というイマイチ想像のしづらい職業だからこそだったのかもしれないが、あの技術は素人の彼らからしてみても『本物』だと察せたのだろう。
そんな所を見ていたからこそ、空飛夢は尚更彼の若さに驚いたのだ。
月夜美は、あの修理を見ていたからこそ、自分でも進の隣に立てるか不安だった。
それでも彼女は、少しでも酒の勢いが残っているうちに、まだ火照る頬を夜風にさらして、進に少しだけ遠慮がちに言う。
「……店長さん」
「何ですか?」
「私、時計のことは何も知らないけど……時計屋で働けますか」
進は、空飛夢の携帯灰皿に吸殻を捨て、指を口の下に当てながら考える。
「掃除とかレジ打ちなら任せたいですね。俺、ビジネススマイルが苦手なので」
自分にも仕事がある。そう思った月夜美は、ぱあっと顔を明るくして、立ち上がる。
かと思えば、はっとして正座をし、まっすぐ伸ばした指を身体の中心に合わせ、礼儀正しい正座での礼をする。静岡方面にある旅館のリゾートバイトで習った作法だ。
「やります。是非、やらせてください」
進は「大袈裟ですね」と笑い、自分の後ろ、廊下越しに見える大きな置き時計を指して言う。
「あの時計が直ったら、面接をしましょう。とりあえずはアルバイトってことで」
「アルバイト! 全然大丈夫です! いま探してました!」
「店は江戸川区の方ですが、大丈夫ですか?」
「はいっ、喜んで!!」
忠犬のようにシッポを振りながら喜ぶ月夜美に笑いかけ、立ち上がる進。
「そろそろ、帰りますね」
「はいっ!! 頑張ってください!! あと修理中、困ったことがあったら呼んでください、お茶でもおにぎりでもなんでも作りますから!!」
「ふふっ、ありがとうございます」
進の姿が見えなくなるまで、月夜美と空飛夢は手を振る。
彼が去った後に、月夜美は緊張の糸が切れたように縁側に寝転がる。
「良かったですねえ」
「えへへ」
月夜美は、きっと合格してみせると早速、求人サイトにあるバイト面接のいろはを眺める。
きちんとした面接は、半年前に倒産した、就職するはずだった企業を受けた時以来だ。
そうしてスマートフォンを眺めていると、涼しい夜の空気の中に、声が響く。
「〜♪」
歌声だ。
月夜美は起き上がって辺りを見渡すと、洗濯物をカゴに入れて持ってきた、1階5号室の住人を見つける。
「見て。ゼットンさんだよ」
「おお、ホントだ」
「また自分の世界に入ってますね」
まるでナイトサファリにでもいるかのように、2人は彼の世界を邪魔せぬように眺める。
美しい歌声を静かに、かつ鮮やかに響かせる彼は、5号室に住む『
2号室の麻美と同じく、見かける回数はそこまで多くはなく、見るのはこうして家事をするために出てくるくらいのもの。夏も終わったと言うのに、白く輝く月と同じ色の肌をしているのがその証拠。
月夜美は一度だけ、大量の野菜や肉を買ってきて帰ってきた彼を見たことがある。話しかけると、思ったより普通に話してくれたのを覚えている。何歳だったかは忘れたが、自分と同じくらいの歳という雰囲気で、むしろ話しやすいまであった。
しかし、今のように周りの人間を認識すらせずに歌っている時は、彼が自分の世界に入っている時だ。
この時は話しかけてはいけない、などという決まりはない。むしろ、話しかけても無駄である。どんなに呼びかけても応答しない。
「ホントに歌うまいですね」
「ねー……何してるんだろ、あの人」
「あれだけ上手いなら、歌い手とか?」
「ああ、確かに。外に出なくてもできるもんね」
呑気に話していると、洗濯カゴを背負いながらスケッチブックに何かを描いている、二宮金次郎のような器用な事をしている麻美が来た。
おそらく洗濯物を取りに来たのだろう。ニヤニヤしながら筆を走らせる麻美はそのまま、歌っている世翔にぶつかった。結構な勢いで。
「あっ!? ……ああっ!! ごごごごめんなさい!!」
「……はい?」
とんでもない勢いで後ずさる麻美。初速から最高速、いわゆるゴキブリダッシュである。
「ああ、大丈夫ですよ」
「ひぃ〜……」
「そちらこそ、大丈夫でしたか?」
「あっ私はもう全然!!」
世翔はぶつかった時のことすらもそこまで覚えていないようで、優しく麻美に語りかけるも、彼女は謝りながらも洗濯物を勢いよく取り込み、走って去ってしまう。
空飛夢は新しいタバコに火をつけ、再び始まった世翔のミュージカルを聴きながら言う。
「麻美さん、前に役者やってたって言ってたけど、その時もあんな感じだったのかな」
「え"、役者!?」
「高校での学生演劇の話だけど。今は高校生の弟が高校演劇界にいるらしい」
「へえ……」
空飛夢のように、皆も何かしら暗い過去を抱えているらしい。月夜美は自分のそういう過去を思い出そうとしたが、大体が最近あった大したことのないものだった。
どうにもならないことは、どうにでもなっていいこと。生来猪突猛進ガールの月夜美は、月を見上げて、そんな大したことのないものは忘れてしまったとばかりに自分のタバコを出して火をつける。
「あ、自分の持ってるんだ」
「そういえば持ってたな〜って」
「あなたねえ、さっきの飲み会含めて俺のハイメンを10本は吸ってますよ」
「ごみんごみん」
月夜美が笑いながら謝ると、空飛夢は「まあ良いですけど」と煙を吐く。
「あなた結構吸いますよね。部屋は匂いませんけど」
「えへへ、めっちゃ消臭してるから」
誇らしげに言う彼女は、おそらくこれから来るであろう『悲しい過去になる未来』を考えていた。
今、自分に一番身近なもので言うと、もし進のもとで働けなかったら。そして、進に振られたら。こういう事を、彼女は真剣に考えていた。
今まで好きになった人なんて、何人もいた。実際、付き合った人もいた。
しかし別れてからどれだけ経っても治らない傷というものは無いし、前の男に引っ張られるのはバカバカしいと月夜美は考えていた。が、それが進相手だとしたらどうだろう。
彼女は進と付き合い、上手くいかず別れた時のことを考えた時、自然と頬を涙が伝った。
隣でぎょっとする空飛夢に、着物の袖で涙を拭かれながら、彼女は月に顔を向けて泣いていた。
泣きじゃくることもなく、声を上げることもなく、ただ少し鼻をすすり、静かに泣いていた。
「何なんですか貴方は。さっき枯れるほど泣いたじゃあないですか」
「……店長さんと、結婚する」
「ああ……はい、そうですね。できるといいですね」
「するの!」
「あ、そうなんですね。もう確定なんですね」