「〜♪」
月夜美は、単発バイトを終えてパンダハウスに帰っている途中、時計の修理動画を見ていた。
この前見たのは、CDのふた回りくらいも大きな歯車がある、大きめの置き時計の修理だったが、腕時計のパーツは一円玉よりも小さなものばかり。
修理をする人も、昭和の人がイメージするサイボーグみたいなメガネをつけている。こういったルーペで細かいところを見る、言わば直接着用する顕微鏡らしい。
普段こんなに繊細な作業をしているのなら、あそこまで大きな時計を直す時はやっぱりやりやすいのか。
それとも、金属製の重いパーツを持つため、普段使わない筋肉を使う大変な作業になるのか。
今の月夜美には、それは分からないが、今後どんな事があったとしても、彼女はきっと進についていくと腹を決めている。
面接には、去年使ったスーツを引っ張り出して行くつもりだ。そして彼女は、そのスーツが奥底に眠っている自分の部屋に戻る。
そこには、あぐらをかいてアコースティックギターを携えた花澤世翔がいた。
「Happy Birthday to You……」
「えっ!? ゼットンくん!?」
彼は弾き語りで、誕生日の歌を歌う。月夜美は理解が追いつかず、しかし彼の歌の上手さだけが彼女の脳内にある情報を上書きしていく。
鍵を閉めたのにどうやって入ったのか、何故誕生日の歌を選んだのか、そういった情報など、彼の圧倒的な歌唱力の前では無意味だった。
「歌うまぁ……」
歌い終わった時に、月夜美は思わず拍手をする。
「ふふ。どうも、サンタクロースです」
「えっ!? あわてんぼうすぎない!?」
そう突っ込んだ時、月夜美の後ろから数人がなだれ込んでくる。
それはパンダハウスの住人たちであった。それも満面の笑みで、大手ディスカウントストアにあるような飾りをつけ、クラッカーを持った。
世翔も、ポケットにあったクラッカーを持ち出して、にこりと笑いかける。
「ハピバ〜〜〜!!」
「えっ!? ちょっ、なに!?」
立ち尽くす月夜美に、管理人を含めて総勢7人のクラッカーの中身が飛びかかる。何も分かっていないような顔をして呆然とする月夜美を見て全員が、やはりか、と笑う。
「月夜美さん、すっかり忘れていましたわね……自分の誕生日」
「僕らの予想通りだ」
「最近頭の中が『あの人』でいっぱいのようでしたからね」
「あっ、髪についてる……」
月夜美の頭についた紙吹雪を、飛び跳ねながら取る麻美。そして、志乃がマスターキーを月夜美に見せながら謝ってくる。
「すみません、一瞬止めようとはしたんですが、私もなんだか乗り気になっちゃって。というか、誕生日を教えたのは私なんですけどね……」
「企画者は私ですわっ」
志乃のマスターキーで部屋の鍵は開けたのか。そして、これはさくらの仕業か。月夜美は一気に合点がいった。
「あ、これプレゼントです」
そんなスッキリした彼女に、志乃がラッピングされた箱を渡す。
「わっ、わ……マフラー! ええ〜、すごっ!」
月夜美が糊付けされたところを器用に開けると、そこにはシンプルな柄のマフラーが入っていた。そこそこ長めで、きちんと暖まれそうなものが。
端の方をよく見ると、刺繍で『Tsukuyomi♡』と入っている。
「え、もしかして手編み!?」
「ふふ、これからの季節に使えるかと」
「ありがとうございますっ!! 毎日つけます!!」
飛び上がって喜ぶ月夜美は、はたと思い出す。
「そっかあ……私、今日が誕生日か」
最近といえば、腕時計について調べたり、年上の人を落とす方法を模索したり、バイトに受かれる攻略法を勉強したりと、何かと頭の中が忙しかった。
それに、去年と違って祝ってくれる家族は遠い故郷にいるし、彼女はすっかり自分の誕生日を忘れていたのだ。
ふと我に返ると、月夜美は自分の正面で、何か白い表紙の本を差し出す麻美に気づく。
手に取ってみると、雑誌のようなものに比べると薄いことに気づく。
「これは?」
「nmmn同人誌です。死戻さんと、あの時計屋さんの……」
まさか、と思って聞いた彼女は、予想外の答えによろける。中をパラパラと見てみると、もう年齢制限のないこの小説内では説明できないほどの内容である。
ナマモノかつ18禁とは。恐れ入ったとばかりに月夜美は財布を取り出す。
「ごめん、いくらで貰える?」
「無配ですッ」
「一生応援する!! 立派な漫画家さんになってねッ」
「はひっ、は、はい! ありがとうございまひゅ!」
握手した手をぶんぶんと上下に振ると、ひと足早い即売会の醍醐味、読者の生の反応を浴びて夢心地になる麻美。
そこから、次々に住人たちがプレゼントを渡してくる。
「私からはコレよ! たくさんパスタ作ってね!」
「あっ、麺から作れるやつ!? ありがとうございます!」
香夜が持ってきたのは、パスタの製麺機。
パッケージを見ると業務用と書いてあり、持ってみるとずっしり重い。大きい上に金属で出来ているのだ、無理もない。
横のハンドルを回すと、ひらべったくした生地を麺の形にして出してくれるものらしい。シュレッダーのような仕組みだ。
月夜美は、麺から自作してみるのもたまにはいいかもと思い、システムキッチンの収納にそれを仕舞う。
「僕はこれですね」
「可愛い〜!!」
穣は、自分で一から丁寧にラッピングをしたブランケットをあげた。
彼自身は、ブランケット自体はどこでも買えるようなものだったため、ラッピングに力を入れたという。
とはいえ、冬の女子にとってブランケットというのは欠かせない。現代のJKも、教室にわざわざ持ち込んでいるくらいだ。侮ってはいけない一品である。
「これから寒くなりますので、冷えないようにと」
「よっ! さすが彼女持ち!」
「みのりんカッコイイ〜!」
「みのりんやめてね」
モテ男ポイントが順調に貯まる穣の横で、さくらは高級感のある黒く平たいパッケージを渡す。
「はい、月夜美さん。私からはコレですわ」
開けてみると、そこには誰もが知るチョコレートのブランドのロゴが印刷されたチョコが、所狭しと並んでいた。
「おっ! チョコ!」
「ふふ、秋の新作ですわ」
恐らく値段は万単位だろうが、さくらはなんでもないような顔で渡してくるので、月夜美も思わず叫びそうなほど嬉しいのを少し抑え目なリアクションで出力してしまう。
「おめでたい日には、チョコが一番ですわ!」
「あ、マックイーンのコラだ」
「パクパクですわ……」
聞き覚えのあるフレーズに、空飛夢と麻美のオタク組が反応する。
そして、次は俺の番か、とハッとした空飛夢は、着物の懐から裸のままのプレゼントを渡す。
「俺はこれね」
「うっっわ……大っきい。なんか厚みもあるし」
「どう? こんなの初めて?」
「なんか、セクハラされてる気がする」
真顔で淡々と変態まがいの事を言った空飛夢は、フッと笑って、とんでもない大きさの灰皿を渡す。
それを受け取った月夜美は、これまた重量がまあまああることに驚く。
着物にこのまま仕舞っていたくらいだから、実は軽い素材で出来ているそれだったりするんじゃあないかと思っていたが、これがなかなかの重さ。
「俺のとお揃いですから。たくさん吸って、一緒にCOPDになりましょう」
「こんなにいい笑顔で、なんつー事を……」
「人が誕生日だというのに」
COPDとは、慢性閉塞性肺疾患という病気の名前である。主にタバコの吸いすぎでなると言われている、咳や痰やが増えて息切れしやすくなる不治の病である。
縁起の悪いことをニコニコと言う空飛夢の横で、これまたニッコニコの世翔が、さくらのチョコより少し分厚いくらいの箱を渡してくる。
「……どうぞ」
「ありがと! ん? 何これ、重……」
ラッピングを開けてみると、そこには世界中で有名な動画サイト及び動画アプリのロゴが大きく入っている。
珍しいグッズを渡すものだ、と思い月夜美が蓋を開けると、そこには『ZET-TON CH』と彫られた金色の金属板があった。
「僕が取った金の盾。あげる」
「あっ、ちょっと私が手にするものじゃないかもなあ!?」
前々から、配信者なり何なりといった部屋から出ない活動で稼いでいるのではないかと言われていたが、やはり動画系の仕事をしているようだ。
月夜美は今まで確信できなかった彼の職業について少しハッキリした爽快感と、こんなものを渡されたという緊張感で心の中の副交感神経が狂う。
周りもドン引き混じりの驚愕を隠せず、思わず一歩引いた一から金の盾を眺める。
「ええ……」
「あはは。ゼットンくん、こういう所あるよね」
「ほ、ホンモノは初めて見ました」
「こんなの初めて……」
「自分で言ったな、こいつ」
手渡した金の盾を見て、世翔は惜しそうに俯く。
「本当は僕も手放したくないんだけど……これくらいしかなかったから……ぐすん」
「じゃあ返すよ!! 大事に持ってな、ほら!!」
「ありがとうございます……あ、代わりのプレゼント……」
急遽用意したプレゼントが意味を無くし、あわあわとする世翔に、月夜美も慌てながら提案をする。
「あの……ほら、歌って! なんか歌ってよ! さっきみたいにさ!」
それだ、とばかりに世翔は傍に置いていたギターのチューニングを始める。
すると、先程までの、天然が混じったボーッとしたような幼い男子といった印象が、年相応の大人びた顔つきから、これを食い扶持にしているんだなという説得力を持った風な印象を周囲に与える。
「ギターも弾けるのね……さっき聞こえてきた時、音源かと思ったわよ」
「全く隣から聞こえてこないんだけど、このアパート防音しっかりしてるんだね」
「元からしっかりしていますし、ゼットンさんに関しては吸音材とかを貼ってると聞きました。楽器を持ち込むには私に相談が必要なので」
「なんか、配信者っぽいですわ!」
「うん。しかもカッコイイし……」
「あれっ、香夜さんって確か空飛夢さんの方が……」
「麻美ちゃん!? ストップ! あのね、それは!」
邪魔しないようにと、一同が囁き声で話していると、世翔が咳払いをする。どうやら準備が出来たようだ。
先程まで月夜美の周りを囲んでいた住人たちが、部屋の奥の月夜美のものである椅子に座る世翔の方を向いてリサイタルのような配置になる。
軽くCコードを鳴らすと、世翔はピックを持ち直して言う。
「月夜美ちゃんのために歌います。聴いてください、中島みゆきさんで『空と君のあいだに』」
優しいギターの音色から入り、アルペジオなんかも活かしてイントロを弾く彼の腕前は、既にそんじょそこらの人とは違うというのが、素人目の月夜美たちにも分かった。
過去にギターを触ったことのある香夜と志乃は、彼のレベルの演奏ができるまでに、どれだけの時間を要するのか容易に想像できたが、果てしなさすぎて積極的には想像したくはなかった。初心者レベルで辞めた2人だ、無理もない。
そのうち高難易度の、一本の弦だけを弾くダウンピッキングを経てAメロに入ると、彼の声変わりをしていてもなお高く、そして優しげな声がメロディーを紡ぐ。
月夜美はこの歌をフルで聴いたことがなかったが、思ったよりも悲しい曲だということを感じ取った。
例えるなら、いつの時代も流行るような少し重めの恋愛ソングというよりかは、それを超越した『愛』を、誰かに一方的に向けているような。
それを初めて聴いた曲で感じ取れるのも、全て歌詞から起こした自分のイメージを直接聴き手の頭に入れられる、世翔のずば抜けた歌唱力のおかげに他ならない。
穣、空飛夢、麻美と、演劇を経験したことのある住人は分かっていた。歌唱力は表現力、すなわち演技力である。
彼が学生演劇界にいたなら、ミュージカルで周りをボコボコにしていただろう。それを想像した麻美は、腕に鳥肌が立つ。
敵じゃあなくてよかった。穣と空飛夢も、冷や汗と共に圧倒される。
サビになった瞬間、声量と共にギターを弾く手の勢いも強くなり、あからさまに盛り上がるというところを教えてくれるのも、歌詞のイメージをできるだけ伝えたいというのも、彼の優しさがあってこそだろう。
月夜美は演奏終了まで、ドキドキと高鳴る胸をおさえながら聴いていた。人とは、ここまで誰かのためを思って歌えるものなのか。
そして、演奏が終わると同時に、全員が立ち上がって拍手をする。ド世代の志乃は、特に選曲が刺さったようで涙を流している。そうでない住人の若者たちにも刺さっているのだ、無理もない。
「わ〜〜!!」
「よいしょー!!」
「すっごい上手いねえ、ゼットンくん!」
「えへへ」
照れる世翔は、それもそこそこに、少しだけ沈んでしまった顔の月夜美を見る。
「私……大丈夫、かな」
歌詞を深く受け止めてしまったが故に、彼女は進を思い出し、胸の前で手を合わせて祈るように俯く。
そんな彼女の背中を、志乃は黙って撫でる。そして、月夜美に最初に話しかけたのは、世翔だった。
「僕、前から歌は好きだったんだけど……こんなに上手く歌えなかったんだ」
「……え?」
「昔にすっごい大きい事故に巻き込まれて、その手術をしたら何故か上手く歌えるようになったんだよね。思ったイメージが、どーん! って出るようになってさ」
「えっ、何それは」
「不思議なエピソードだ」
「なんで突然それを……?」
一番伝えたい人である月夜美どころか、周りの人にもイマイチ自分の言いたいことが伝わっていないようで、参ったなと世翔は頭を搔く。
そして、少し気恥しそうに、直接的に月夜美に語りかける。
「……まあ、小さなきっかけで、コンプレックスだの悩みだのというのは、案外解決するってこと。僕が言いたいのは、そういうことなんだ」
ハッとして月夜美は顔を上げる。そこには、笑いながら彼女を見つめる世翔。
周りを見れば、それぞれ表情は少しずつ違えど、ひとつ歳をとった月夜美の、これからの行く末の幸福を祈り、それを祝う者たちばかりだ。
「きっと大丈夫だよ。きっと上手くいく」
その言葉をきっかけに、月夜美の頬を涙がひとつ、流れ星のようにこぼれていく。
彼女は目元をごしごしと擦り、内八字立ちで押忍と気合いを入れ、拳を突き上げる。
「っ……よし!! 今日は飲むぞーっ!! 景気づけだー!!」
そこから、少し他の部屋よりも広い管理人室で、8人で飲み会を行った。少し広いとはいえ、割と狭かったが。
さくらは到底似合わない酒である大五郎をがぶ飲みし、香夜は思い思いのイタリア料理を作り、空飛夢は調子に乗ってタバコを2箱吸った。
穣は酔っ払いの面倒を甲斐甲斐しく見てやり、麻美は大人数の構図を勉強するためにスケッチしながら飲み、世翔は酔ったままでも上手すぎる弾き語りをし、志乃はここまで騒がしいのは久しぶりだと笑う。
月夜美は酒に弱いにも関わらず、一番酒を飲んだ。そしていつの間にか夜になり、日が暮れそうなあたりで、金曜日だからといって全員が睡眠欲のままに眠りについた。
一番先に、月夜美が目覚めた。少し痛む頭を抱えて、トイレに入る。
すると、個室の中で、来る時には気づかなかった物音が玄関からすることに気づいた。
まさかと思ってトイレから出ると、時計の前に人影があった。月明かりだけが頼りの薄暗い廊下、その奥からでも、彼女にはあれが誰かが分かった。
「んぅ、てんちょさん」
自分でも驚くほどの腑抜けた声で、進に話しかける月夜美。進は声をかけられ、びっくりすることもなく普通に受け答えをする。
「死戻さん、起こしてしまいましたか?」
「いえ……トイレに来ただけです」
「そうですか……皆さん、今日は寝るの早いですね」
閉店後に修理に来る進は、いつもは差し入れの料理が来たり、応援の弾き語りをしに来たり、タバコ休憩を促すヤニカスが来たり、自分を恍惚と見つめる人が来たりするのに、と不思議がる。
最後のは今も来ているか、と進は月夜美の方を見ると、彼女はトイレの奥、管理人室を指した。
「みんなで飲んでたんですよ」
「おお、楽しそうですね……でも、今からは混ざれないか」
少し寂しそうに、皆が眠る部屋を見つめてそう言う進は、時計の最後の1パーツを手にする。
修理が終わりそうだと知り、月夜美は志乃を起こしに行こうとする。
「おやすみなさい……お疲れ様です……」
「死戻さん、ちょっと」
そう言って、進は月夜美の肩に手を置いて引き止める。
「うちで働くからには、『特殊ケース』も見てもらわないと。まあ、俺もこれを見るのは2回目なんですがね」
何を言っているのかさっぱりだ、と月夜美は振り返る。すると、それと同時に、置き時計の鐘が3回鳴る。
そして、時計の針が逆に回転する。秒針と長針が同時に1秒ごとに1目盛り動き、それに合わせて短針もゆっくりと反時計回りに回転する。
「えっ!? なっ、え!? 何これ!?」
「あ、多分大丈夫ですよ。死戻さんには特に影響は無いと思います」
「いやいやいや怖いって!! 多分とか思いますとかって断定してないのが怖い!!」
思わず敬語が外れた月夜美は、その事象の非現実的さにえも言われぬ恐怖感を覚え、思わず進に抱きつく。
進はといえば、それに怯むこともなく、手を置いたままの月夜美の肩を抱き寄せる。
「非常に珍しい、『特殊ケース』ですがね」
「呪われません!? 大丈夫ですか!?」
「ええ」
彼女に笑いかけた進は、一転、真剣な眼差しで時計を見つめる。
月夜美は思わずそんな顔にキュンとするが、すぐに恐怖心で胸がいっぱいになる。
「呪われるなら、俺か……」
「……店長さん、か……?」
「この時計の持ち主でしょう」
そう言って、進は時計屋『青美堂』の店主たる所以そのものの目つきで、管理人室の方を睨んだ。
いや、正確には、そこからこちらに歩み寄ってくる人影を。