空と君のあいだに   作:苗根杏

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5.糸

 

「直ったには直ったが……」

「どうかしたんですか?」

 

 水曜日の朝、俺は弦巻さんに電話をした。

 

 頼まれていた懐中時計の修理が火曜の夜に終わったので、空いている時間に取りに来て欲しい、と。今はテスト期間のため、どうやら夕方には取りに来てくれるらしい。バンド活動も無いんだとか。

 

 さて、その水曜日の昼間、俺は完全に元に戻った懐中時計を前にして、うんうん唸っていた。

 

 そして俺は、なんだか聞くに絶えないおっさんの唸り声がするからとこちらに来た月夜美に、状況を一から十まで説明することにした。

 

「動くんですか?」

「ああ」

 

 俺が上のボタンを押すと、懐中時計の表にある、真珠の埋め込まれた花があしらわれた蓋が開く。そして、中では金色の緻密なディティールの入った文字盤の上を、針が音を立てて動いている。

 

「綺麗ですね〜、相変わらず……」

「そう、直ったんだ」

「じゃあ何が問題なんです?」

 

 月夜美が首を傾げる。俺は『信じて』もらえるかもらえないかはさておき、真実を話すべきだと思い、月夜美の方にへそを向ける。

 

 しかし、どう説明したものか。真っ直ぐ伝えていいものなのだろうか。告白する時にも似た葛藤が、俺の中で巡っている。

 

 落ち着かないようすの俺を、月夜美は不思議そうに見る。

 

「何ですか、言いづらそうにして。別に直ってるなら何でもいいじゃあないですか」

「……そうだな、それもそうだ」

 

 この約10年、運動場の端っこの悪魔のように育てた時計屋のプライドが許さない気もするが、正直に言おう。

 

 俺は深呼吸して、月夜美の目を見てはっきりと言う。

 

「俺は、この時計に対して『何もしていない』」

「……えっ?」

「いや、正確にはオーバーホールはした。部品ひとつひとつの分解、点検、清浄……」

 

 この時計の歯車たちを見た時、俺はパッと見で壊れている箇所を発見できなかった。そしてパーツを順番に取り出してみて、全てが正常であることが分かった。

 

 故障の原因が分からなかった。錆びもなく、ネジのゆるみもなく、部品ではなくカバーや文字盤などの不調かと思ったが、そうでもなさそうだった。

 

 俺はただひっかかりを感じながら、一応ではあるが、パーツそれぞれの清掃をしてからもう一度それらを嵌めてみた。だが、それだけでは時計は動かなかった。

 

 壊れていないのに動かない、不自然な時計。俺は、そんな故障例を本やらネットやらで調べていたが、情報を無駄に頭に入れているうちに、ハッと気づいた。

 

 そうだ。動かない心当たりはあった。俺が父親に貰った腕時計が動かなくなった時も、同じようなケースだったのだ。

 

 そう思った俺は、「声掛けをしたんだ」。

 

「はっ? 声掛け?」

 

 今つけている腕時計が壊れた時、不調がどこにも見つからず、藁にもすがる思いで『動いてくれ、動いてくれ』と語りかけた。

 

「俺も、親父に貰った時計……こいつをずっと部屋に置いていた。そしたら、今回と全く同じことが起きてな。整備して常に身につけるようにしたら、動くようになったんだ」

「マジっスか!?」

 

 弦巻さんの懐中時計にも、同じようなことをした。

 

 ──俺も昔、似たようなことをしたが、それは『大事にしたかった』だけなんだ。ただ、キミが思う『大事にする』とは少し方向が違うだけで。弦巻さんは、キミのことを大事に思っている。それは本当だ。──

 

 そう言うと、時計はいとも容易く音を刻み、時を刻み始めた。

 

「という話だ」

「……ええ〜……ホントですかあ?」

「日本には、万物に神が宿るとされている。こいつは多分……不貞腐れてたんだろうな」

「うっそぉ。時計が?」

「時計が、じゃあない。こいつは時計というくくりの中にいる、1人の『弦巻こころの相棒』だ」

 

 それは確かに、と頷く月夜美。

 

「弦巻さんは、部屋から1回もこいつを出さなかった。それは、こいつを使わなかったという事だ」

「相棒だってんなら、一緒にいたいですよね。いつ、どんな時でも」

「そうだ。自分が弦巻さんに使ってもらえないから、動くことをやめたんだろう」

 

 今回の依頼は、いわゆる『ふて寝時計』。俺が名付けた故障例の名前だが、なかなか分かりやすいだろう。

 

 故障の原因は『長い間使って貰えず、ずっとどこかに置かれるか閉じ込められるかをされていて故障』。故障の主な症状は『針を時計自身が動かそうとしない』。

 

 修理方法は『根気強い声掛け』。メンタルに訴えかける療法だ。

 

 月夜美は首を斜めにしながらも、餅を飲み込むような表情で話を理解しようとしてくれている。最後に俺は「本当だ」と念を押す。

 

 すると、彼女は何度も頷いてからこう言う。

 

「信じない理由はありません。時計にあれだけ詳しい店長が言うんですから、そうなんでしょう」

 

 半ば諦め気味にも見える笑いでも、俺はなんだか救われた気がした。鉄人兵団が襲来してくることを信じてくれた時のドラえもんとのび太は、こういう気持ちだったんだろうか。

 

「声掛け? ってやつ、私もしたいです」

「ああ、是非してみてくれ」

 

 本当に信じているのか聞くと、失礼だと少し怒ったふうに言う月夜美。どうやらきちんと理解してくれたようだ。

 

「時計さん、どうも。月夜美です。大丈夫ッスよ〜。話せばきっと、こころちゃんは色んなところの景色を一緒に見せてくれます」

 

 そう語りかける月夜美の目は、母性を感じるものだった。俺もそれに続いて、懐中時計に話しかける。

 

「そうだ。もうすぐ、お前さんのご主人様がやってくる。そうしたら、とことん可愛がってもらうんだ。ぜんまいを巻くだけでなく、色んな所に……」

 

 そこまで言ったところで、勢いよくドアが開く。

 

「こんにちはーっ!」

「丁度いいところに来た。弦巻さん」

 

 隣に座る月夜美が、少し勢いをつけて俺に寄りかかってくる。そして、俺と目を合わせてにやりと微笑む。

 

 俺はそれを見て頷き、弦巻さんに、懐中時計を見せる。

 

「直りましたよ」

「本当に!?」

 

 蓋を開けて見せると、確かに秒針がカチカチと動く音が、静かな店内に響かんばかりに元気に鳴っている。

 

 弦巻さんは、その懐中時計を手に取ろうとするが、そこで月夜美は「ま! 待ったッ!」と平手を前に突き出す。

 

「どうしたのかしら、月夜美?」

「……渡す前に説明しましょう、店長」

「ああ……そうだな」

 

 俺は月夜美とアイコンタクトを取り、深呼吸をする。そして、静かに、ゆっくりと、弦巻さんの顔を見上げて話しかける。

 

「よく聞いてください。弦巻さんのお父さんは何も、部屋に飾ってもらうために、弦巻さんにこれをあげたわけじゃあない。あなたの生活の助けになるようにと、大事な娘の幸せを願って渡したんです」

 

 弦巻さんは、俺の説明がいまいち分かりづらかったのか、「……飾ってもらうために、じゃなくって……?」と首を傾げながら小さくつぶやく。

 

 嘘偽りなく、しっかり話そう。それが弦巻さんのためでもあり、弦巻さんのお父さんのためでもある。そして、過去に同じ失敗をした俺を少しだけ救ってやるためにもなる……かも、しれない。

 

 店内では、中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』が流れている。まるでドクターのように、俺はクランケに寄り添って説明をする。

 

「そう。弦巻さん、ぜんまいこそ巻いていたものの、この子を持ち歩かなかったでしょう」

 

 彼女はハッとして、視線を懐中時計に移す。

 

「外の景色を見てみたくて、色んな風や物音に触れたくて、そして、弦巻さんのそばに居たくて……この時計は、部屋にいてもずっと動き続けてくれたんだよ」

 

 丸いフォルムを、弦巻さんは人差し指で申し訳なさそうにも、愛しそうにも思える眼差しでなぞる。

 

 俺も懐中時計を見て、彼女の相棒としてのこの時計に思いを馳せつつも話し続ける。彼女にも、時計にも、どちらにも向かって。

 

「自分の秒針の音がかき消されるほどの爆音のステージ。教室の時計とセッションをする学校。あとどれだけ大切な人と過ごせるかを計る甘い時間……それらに、この時計は触れたかった」

 

 それを聞いて、隣にいる月夜美も、俺に腕を絡ませながら語りかける。

 

「大事にするってのは、何も壊さないようにするだけじゃないッスからね。もし壊れても、何回も直して使う。それが、本当に大事にする、『寄り添う』ってことですね」

「ああ。俺ら時計屋は、そのためにいるんだ」

 

 弦巻さんが見てくれないから、この時計は拗ねていたんだ。今回の故障は、ふて寝のようなものだ。

 

 そう俺らが伝えると、弦巻さんは目を瞑り、胸に手を当てる。そうして数分、店内には沈黙が流れる。

 

 やがて、弦巻さんは目をぱっちりと開き、相棒が自分を思っていてくれた嬉しさと、結果的にその相棒を放っておいてしまった罪悪感の両方を、共に噛み締めるように言う。

 

「あなた、時計さんの声が聞こえるのね」

「ま、長年やってれば、パッと見の様子で機嫌くらいは……なんとなくだが、分かるんだ」

 

 こういう症状に直面するのは、今回でたった二度目なのだが。ほぼほぼ偶然にして直った時計だが。しかし俺は今後、こういう事があった時には同じようなアドバイスというか、修理方法を堂々と試せると思う。

 

 時計屋としては、自分の実力で直した感じがしないので、少し物足りないが。

 

 ふと、俺の腕がより一層強く抱きしめられているのを感じる。月夜美の方を見ると、彼女はなんだか物憂げな顔をしている。きゅっと俺の腕に抱きつく彼女は、懐中時計に目を合わせたままで囁く。

 

「私にも、分かる時が来るのかな」

「……さあな。ま、逆にキミは自分のものにキチンと構ってやってるから、そう思うんだろう」

「うん……そう言って貰えると、なんだか悪いことじゃあない気がしてきました」

 

 弦巻さんは、少し深呼吸をして落ち着いた後に、「貰っても?」と聞く。俺は「勿論です」と答える。

 

 慎重に彼女は相棒を手に取り、少しの力を込めて握りしめる。そして、包み込んだ両手に額をつけて、こう言う。

 

「ごめんなさいっ!! 時計さん!! 今度からは学校でも、ライブでも!! あなたを肌身離さず持って、必ず使うわっ!!」

 

 声が響いた後、反動でシンッと静まり返る店内。そして、謝罪と約束を言い終わった彼女の手は、未だ額につけられており、震えていた。

 

 表情は俯いているので見えないが、恐らく彼女は真剣にその懐中時計に話しかけている。それは確かに感じた。

 

「…………」

「……店長」

「なんだ?」

「いや、なんか……めっちゃ手ぇ震えてません!?」

 

 月夜美は思わず立ち上がり、おろおろとする。

 

「いや、雰囲気壊すなよ」

「ちがっ、そうじゃあなくって! 尋常じゃあないですってこれ! 手の震えじゃないですよ!」

「だから……」

「い、いえッ!」

 

 俺がなんだなんだと月夜美を座らせようとすると、弦巻さんは手どころか腕ごとを震わせながら、こちらに向かって首を横に振る。

 

「……弦巻さん?」

「月夜美の……言う通りで……っ!」

 

 月夜美が弦巻さんの手を開けさせると、懐中時計は、カタカタと震え出していた。それも、かなり激しく。音を立てて、歯車たちが回っているのだ。

 

 俺は椅子を倒して勢いよく立ち上がり、前代未聞の故障にパニック気味に脳を回転させる。こんなのは見たことがないぞッ。

 

「なっ!?」

「わ、わっ……!」

「……時計さん……?」

 

 弦巻さんが、震える手で懐中時計の蓋を開けると、すごい勢いで秒針が回転している。

 

 まるで、今まで動けなかった分を取り戻そうとしているように。弦巻さんの言葉に救われて、喜んでいるように。

 

 しばらく弦巻さんの手の中で、懐中時計は狂喜乱舞の大回転をした後に、何事も無かったかのように現在時刻の2時33分に合わさり、1秒1秒ごとに動くようになった。

 

 故障、ではない? 

 

 俺らは、そこに呆然と立ち尽くすしかなかった。最初に沈黙を破ったのは、俺の無意識に口をついて出た言葉だった。

 

「応えて、くれた……のか? 弦巻さんの、言葉に……」

 

 それに触発されるかのように、弦巻さんが飛び跳ねて喜ぶ。

 

「すごい! すごいわ、おじ様っ! この子、あたしの声に反応したわ!!」

 

 月夜美はぐっと堪えるような表情で、そんな弦巻さんに抱きついて喜ぶ。

 

「こころちゃん! これヤバいですねっ! 本当にこころちゃんの為を思って動いてて……っ!」

 

 しかし、その目からは僅かに涙が零れていた。

 

「ふふっ、月夜美! 泣いてるのに笑ってるわ!」

「だってぇ〜〜!! 嬉しいんですもんっ、私だって〜〜!!」

「あたしも、おんなじ気持ちよっ!! 時計さんは、あたしをずっと見てくれていたんだわ!!」

 

 俺だって、彼女たちと同じ気持ちだ。泣きそうになるほど健気な時計だ。

 

 しかし、それと同時に俺は、こんな不思議な故障が立て続けに起こっている事に関して、時計屋として色々と考えざるをえなかった。

 

 こんな例は他にないはず。いや、俺の勉強不足か? それとも『Walters Sam』の仕様か? いやいや、まさか。

 

 そんな風に小難しいことを考えている俺の手は、突然、弦巻さんに引っ張られる。作業机側にいた俺は、出入口前のスペースに連れてこられる。

 

 そして俺は、喜ぶ彼女たちに抱きしめられる。

 

「ありがとう、おじ様。あなたはあたしにとって、世界一の時計屋さんよ!」

「店長は凄いですっ! こころちゃんも凄いですっ!」

「ふふ、月夜美もありがとう!」

 

 そこで俺はハッとする。

 

 時計屋の本分。それは、お客様に笑顔になってもらうことだ、と。

 

 今の故障は、時計屋として直すものではなく、依頼人と時計のタイマンで直すものだ。ここに時計屋が直接介入するのは少し違う。

 

 そして、こんなヘンテコな故障例についてどれだけ考えたところで、なにも思いつかないと思う。ここからは、霊やら何やらの専門家の領域だ。

 

 俺は、まあいいか、と笑う。

 

「どーも。ははっ」

 

 俺は今後、どんな不思議な依頼が舞い込んでこようと、決して忘れない。今回の依頼は、彼女の健気な精神が原因であり、それがあってこその解決だったということを。

 

 そして、時計についてどれだけ学んでも、直せない故障は、この世にある。ただし、それらの依頼が来ても、俺は決して諦めずに向き合う。お客様の笑顔のために。

 

 

 ────

 

 

 それから3日後。

 

「おじ様ーっ!」

「……いらっしゃい」

 

 またまた、彼女は勢いよくドアを開ける。壊れはしないと思うが、もうちょいとばかし静かに閉まるように工事でもした方がいいかな。

 

 向かいの『もみじ屋』のドアは、確かそんなふうになっていたハズだ。

 

「弦巻さんの時計は、ついこないだ直したはずでは?」

 

 見ると、彼女の手にはエコバッグ。なるほど、差し入れか。

 

 別に元から誰も来ない店だ、通いつめて話しても構わない。

 

 2年前に死んだ、父の知り合いだったという服屋のおばあちゃんだって、暇さえあればうちに顔を出して『あの子のせがれだから』と差し入れのお菓子とお茶をくれたものだ。

 

 弦巻さんは、俺の問いにドヤ顔で答える。

 

「学校で、おじ様の話をしたのよ。その人にかかれば、どんな時計も直せるし、どんな人も素直になっちゃうって」

 

 後半は人によるだろ、と突っ込もうとしたが、この際ヤボなので黙っておく。

 

 そして彼女は、エコバッグから次々と何かを取り出す。見ると、それらは目覚まし時計や腕時計。いわゆるプチプチと呼ばれる緩衝材に包まれている。

 

 俺が「触っても?」と言うと、弦巻さんは頷く。緩衝材からひとつ、腕時計を取り出すと、分かりやすく大きな傷が。

 

 数万するSEIKOの腕時計だ。その風防に大きくヒビが入っているのだ。しかも、傷は側のケースにもある。

 

 慌てて全ての時計を緩衝材から取り出すと、全て壊れている様子だった。

 

「ふんっ」

「これ、どうしたんですか」

 

 相変わらずのドヤ顔の弦巻さんに向かって、俺は震える手でそれらを指さして言う。

 

「学校の人達から、壊れた時計を貰ってきたのよっ!」

「……事実的な仕事の斡旋かよ」

 

 俺は今、愕然ともしながら、げっそりともしている。顎をこすり、さてどれから手をつけようか、と伸びをしたところで、裏口のドアが開く。

 

「おはようございまーす!」

「はい、よろしくー……」

「はーいっ、よろしくお願いし……うわっ!? 何ですかその時計の山!」

 

 月夜美は入ってくるなり、俺の机に広がる大小様々な時計たちを見て、キュウリを見た猫くらい跳ねて驚く。

 

 そんなに依頼が来るのが珍しいか。失礼だぞ。と言いかけたが、別に珍しい。珍しいな。何も言えない。

 

「こころさんが仕事の依頼を受けてきたらしい」

「おおっ? なになに、ウチで働くの?」

「そんな訳あるか。勝手に受けたんだよ」

 

 俺がこめかみを押さえながらそう言うと、弦巻さんは少ししょげた顔をする。手と足を少しもじもじさせながら。

 

「迷惑だったかしら。月夜美が、仕事がないって言ってたから」

「キミィィ〜〜〜〜」

「じっ、事実でしょう!?」

 

 俺は月夜美の方を向いて、首を極端に後ろにやって、いーっと歯を見せる。開き直ったように月夜美は手を広げてみる。

 

 にしても、なんでも話すなよ。少し呆れつつも、事実であることは否定できないので、時計たちに向き直る。

 

「にしても、こんなに沢山……どんなに急いでも3ヶ月はかかるぞ」

「四半期ッ!?」

 

 とは言いつつも、俺は今、心臓が少しばかし高鳴っているのが分かる。こいつらがどんな故障をしているのか。本当の作業時間はどのくらいになるのか。

 

 包み紙に隠された誕生日プレゼントを開ける時のようなドキドキが、俺を襲っている。

 

「ああ……こんなに沢山を一気に受けるのは初めてだ。腕が鳴るな」

 

 ヘッドルーペを頭に着ける。指を軽く鳴らし、「弦巻さん、一番最初に依頼を受けた時計はどれだ?」と聞く。

 

「その赤い目覚まし時計よっ!」

「うわ、職人の目してる。さっきのだるそうな顔はどこへやら」

「なんだかイキイキしてるわね! 素敵な笑顔よ、おじ様!」

「フヘヘ、そうですかい?」

 

 変な笑いが出る俺に、月夜美は呆れながらも笑う。もちろん、弦巻さんもいつもの素敵な笑顔だ。

 

 そして、唐突に弦巻さんは分厚い封筒を机に出す。

 

「えっ」

「な、何ですか? これ……」

「前金よ」

 

 月夜美は、座る俺の後ろにとてとて歩いてきて、俺と一緒に封筒を覗く。

 

 そこには、ちょうど『OMEGA』の『スピードマスター ムーンウォッチ』シリーズのまあまあ良いモデルや、『BVLGARI』の『オクト』シリーズを買ってもお釣りが来るくらいの金額が入っている。

 

 要するに、日本の最高級紙幣が数十枚入っている。

 

「「ッ〜〜〜!!?」」

「依頼料は、あたしが出すわ。直ったものはあたしが届ける。この前の時計さんを直してくれた時に、渡し忘れたチップの分もまとめて、このくらいでどうかしら?」

 

 過呼吸気味になった月夜美と顔を見合わせ、俺たちは柄にもなくはしゃぎ出す。いや、月夜美は別にいつもはしゃいでいるが、いつにも増してはしゃいでいる。

 

「……私、冬のボーナス貰えるんじゃあないかな」

「ああ、松任谷由実や工藤静香のCDも買える」

「マジ!? 店内BGM変わる!? あーし、サンボマスターがいい!」

「時計屋でサンボマスター……?」

「ニルヴァーナとかグリーンデイの方がいいですかね」

「あ〜……洋楽は逆にアリだ」

「わーいっ!」

 

 もみじ屋で流れているような、オルゴール調の落ち着いたアレンジのJ-POPを買うのもいいな。と、そこで弦巻さんは笑いながらカバンをごそごそとする。

 

「ふふっ。月夜美からCDのことも聞いていたわ」

「キミさあ……」

「これくらいは良いでしょう!?」

 

 本当になんでも話すんだな、キミは。コンビニに勤務してたら、絶対にコラボ情報をリークするだろう。

 

「だからこれも持ってきたわよ!」

「……これは……!」

 

 弦巻さんはそう言って、カバンから何やら四角い盤を取り出す。

 

 その表面の写真に、いや、ジャケットに、俺らは見覚えがあった。月夜美はそれを見た途端に、大きな声で驚く。

 

「2024年6月19日に発売した『ハロー、ハッピーワールド!』のミニアルバム、『どうしたってカーニバル!』のBlu-ray付生産限定盤ッスよ〜〜ッ!?」

「ほっ、本当だ! このミニアルバムのために書き下ろされたサンバ調の楽曲『サンバロハッピ〜!』のほか、ガルパでも配信中のハロハピ楽曲が詰まっている一盤!」

 

 収録楽曲は夏を盛り上げてくれそうな曲ばかり。どんなに蒸し暑い夏でも、これがあればハロハピと一緒に笑顔で乗り越えられること間違いなし。

 

「しかも付属のBlu-rayには、2023年の9月にKT Zepp Yokohamaで行われたスペシャルイベントの映像が余すことなく収録されてるんですよ、店長!」

「これで税込8,800円は間違いなくお買い得だ! 青美堂の修理費よりも安いかもしれないぞ! 通常盤なら税込2,420円!! 初回生産分の封入特典には、トークイベントの最速先行申込券付き!!」

「全国のCDショップほか、ブシロードオンラインストアなどの通販でも大ッ好評販売中!! 買うところによって特典が変わりますし、推しメンバーのグッズが必ず手に入るチャンスです!!」

「詳しくは公式サイトをチェックだ!!」

「こうしき……?」

 

 笑顔のまま、何が何だか分からないといったふうにこてんと首を傾げる弦巻さん。

 

 そんなことは意にも介さず、俺と月夜美は店の出入口に向けて大声で決まり文句を言う。

 

「「ぜひ!! お買い求めをッ!!」」

「……2人とも、どこに喋ってるのかしら?」

「え? ああ、その……商店街やら通行人やらというのもあるが……なんというか、大きな存在だ」

「長いものにはどんどん巻かれたいッスよね〜」

「よく分からないけど、すっごく笑顔ね! 喜んでくれたみたいで何よりだわ!」

 

 弦巻さんは、無邪気に喜んでくれている。実際、俺らも新しいCDが貰えるのは素直に嬉しい。店内の雰囲気も、弦巻さんの歌声で明るくなるだろうし、公式に貢献することもできる。

 

「こういう小さなアプローチが、人脈の糸を作るんだ」

「縦の糸は公式ですね」

「そうそう、縦も横も斜めも、全て糸。出会いが布を作るんだよ」

「糸……?」

「ええ。糸です」

 

 そう言って俺は、小指を弦巻さんの方に立てる。弦巻さんはそれに交差するように、上に向かって立てた小指を重ねる。

 

「色んな方向からの糸が結ばれて重なると、布になるでしょう? それを人脈に例えているんです」

 

 俺がそう言って小指を結ぶと、彼女も笑って結び返す。月夜美は「斜めの糸は私〜♪」と歌いながら、それらをまとめて包むように指を絡める。

 

 3つの糸が合わされば、ひとつの布は誰をも温める。

 

「とっても素敵ね」

「ああ、とても」

「すっごく!」

 

 店内BGMは、ちょうど中島みゆきの『一期一会』から『糸』に変わる。弦巻さんと月夜美は、これなら聞いたことがあるとはしゃぐ。

 

 もちろん俺も知っている。

 

 そうして、自然と指を結んで運命の糸が交差した3人の歌声が、店内に響き渡る。

 

 縦の糸は誰だろう。横の糸は誰だろう。

 

 誰もが誰もの大事な糸になりうる。

 

 これは、改めて俺自身も糸であることを意識した、そんな数日間の話だ。

 

 そして、ここからは、世に溢れる不思議な時計たちの話。時計屋『青美堂』店主である香月進の、奇妙な修理譚である。




ミニアルバム、どうぞお買い求めください。

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