空と君のあいだに   作:苗根杏

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第2章 市ヶ谷有咲と往生時計
6.ルージュの伝言


 12月も半ばを迎え、クリスマスと大晦日、そして元旦に向けて動く東京。今日も青美堂は、1人も客を迎えることなく閉まる。

 

 俺は年末の街の空気が好きだ。街ゆく人々は浮き足立ち、どこか懐かしい匂いがする。

 

 この匂いというのは、何も実際に親が作ってくれた料理だとか、行きつけのラーメン屋だとか、そういう匂いではない。

 

 共感覚的な見方をした場合の話だ。年末、この江戸川区あたり、約30年寄り添ってきた地元の街を歩いていると、ここにいつ行っただとか、初詣はあっちに行ったとか、そういった記憶が掘り起こされる。

 

 休みができて余裕のある脳みそが、普段抑え込んでいる懐かしい記憶の弁を緩めているのを感じるのだ。

 

 懐かしさ、ノスタルジーというのは、最も美しい痛みである。俺は、子供の頃に見たギンガマンやゴーゴーファイブの話題を聞くと、悶えのたうち回りたくなる。カブタックも同様だ。

 

 それは何故かというと、胸の奥に確かに走る痛みがあるからだ。だからつい大きな声で驚いてしまったり、当時の思い出を話して少しでも痛みを共有したがる。

 

 これに関しては、俺が当時メタルヒーローとスーパー戦隊を好きすぎたからかもしれないが。なんならスーパー戦隊は未だに見ている。面白いんだよなあ、今やってるドンブラザーズ。

 

 俺は珍しく、時計の雑誌ではなく『宇宙船』を読みながら、閉店時間までを過ごしていた。月夜美は、多分奥の部屋で寝ている。

 

 昨日はモンハンをしすぎてあまり寝ていなかったようだ。まあ寝ようが何だろうが、客が来たら起こせばいいし。

 

 ここはあいつにとって第2の家だ。ちゃぶ台の上にあるアイロンやら化粧道具やらがその証拠。もはや最低限のことをしてくれているならば、寝ていても構わないと俺は思っている。

 

 いや、世間から見れば歪んだ店なのは知っている。知っているが、これで問題なく営業できているのだから、問題が起こるまではこうしているのが一番だろう。

 

 この青美堂という狭い空間──店としては広い方だが、社会から見たら取るに足らないちっぽけな店だ──のみに適用される倫理に閉じこもっている俺たちは、令和のソニービーン一族なのか。

 

 いや、そんな難しいことは考えるだけ無駄だ。起きたことは起きてから考える。大体のことは、そうやって片付くものだ。少なくとも、俺の人生ではそうだった。

 

 と、雑誌から得た情報が全て右から左へと出ていき、目が滑っているなと感じた時。

 

 ドアが開いた。

 

 電気はついているが、人気のない店内。来訪者は、雑誌を開きっぱなしの俺に構うことなく、キョロキョロと辺りを見回しながら店内に入っていく。

 

「すみませーん、誰か……」

 

 仕方ないな。閉店間際だが、稀なお客様だ。『どんな時計でも』、直してみせよう。そう思い俺は、声をかける。

 

「どうしました」

「うわぁっ!?」

 

 俺は読んでいた雑誌を机に置く。見ると、見覚えのある制服の人がいた。ただし、弦巻さんではない。

 

 同じ金髪だが、弦巻さんが透き通るようなフクジュソウのごとき金髪だとしたら、この方は光を跳ね返すような、いわゆる鉱物の金のような色をしている。少し鈍い金だ。

 

「そんなに薄いですかねえ、存在感」

「い、いや……私の視野が狭かったです、ごめんなさい。アハハ」

 

 苦笑いをする彼女に、和室から話しかける声。

 

「いいえ。店長は圧倒的に存在感が無いです」

 

 ぴしゃっと勢いよく開かれる襖。そこから、エプロンの肩紐がズレたアルバイトが出てくる。彼女は高い床の和室に腰掛け、サンダルを履く。

 

「起きて早々に店長の悪口とはいい度胸だな。アルバイト」

「今更じゃないですか?」

 

 月夜美は、少しボサボサとした髪を櫛で整えつつ、「ふぁあ」と小さく欠伸をする。

 

 俺は作業机の前から、立ち上がって月夜美の隣まで行く。

 

「て、店長……あなたが、こころの言ってた……っていうかあの人、寝てたのか……?」

 

 こころ。依頼人(?)は、俺の知っている名前を口にした。俺の知っている人と同じ制服の人が、だ。

 

「弦巻さんとは知り合いですか?」

「はいっ、彼女にここを紹介してもらいました。時計を直すならここだ、って……あ、お金ならきちんとありますよ、大丈夫です」

 

 弦巻さん、宣伝ありがとう。俺は、今頃もどこかで人々を笑顔にしているであろう彼女のことを思い浮かべる。

 

 この前の時計修理十本ノックもなんだかんだ楽しかったし、俺はあの人に感謝してもしきれないな。

 

 俺は改めて、エプロンをスカートのようにつまんでカーテシーをする。

 

「ようこそ、青美堂へ。香月進、この店の店長です」

「店長……よ、よろしくお願いします」

「おっほん! 私はアルバイト、死戻月夜美でーす! よろしくお願いしますっ!」

「声デカっ……えっ、何ですか? 死戻? 月夜美?」

 

 月夜美の苗字と名前、どちらにも引っかかって困惑している様子の彼女は、腕を組んで頭に大きなはてなマークを浮かべているように見える。

 

「キレイな名前でしょ〜う? 名は体を表す、ってね」

「いやいやいや、え? 何……えっ??」

「死ぬに戻る、月夜が美しいと書いて死戻月夜美です!」

 

 漢字を伝えたところで余計に困惑するだろう。『あっ、私の思ってた通りの漢字だ! いや、だとしたら余計におかしくないか!?』となるだろう。

 

 俺はキラキラネームの否定はしない。しかし、そっと月夜美の肩に手をぽんと乗せて俺は正直な気持ちを言う。

 

「キミねえ……弦巻さんが運良く引っかからずに受け入れてくれただけで、割と珍しいぞ。キミの名前」

「そうですよね。名前が月夜美って、けっこう目立ちますよね。美しくて」

「決して貶してはいないが、少なくともそこまで褒めてはいない。あと下の名前だけじゃなく、上の名前もだ」

「えっ!?」

「なんでビックリしてるんだ……しかも本人が……」

「上の名前の方が珍しいのに」

 

 俺と依頼人さんは、顔を見合わせて苦笑いする。

 

「「ねえ〜」」

「なに意気投合してるんですか! アルバイトを差し置いてっ!」

「アルバイト関係あるか?」

「……ないかも!」

「座ってなさい」

「はい!!」

 

 月夜美は素直に待合スペースに座る。何故かドヤ顔で。なんでだろう。本当に。昆布が海の中で出汁が出ないのと同じくらい分からない。なんでなんだろう。

 

「それでは、依頼の時計を見ましょう」

「い、いえ……その……」

 

 俺が時計を見せてもらおうとすると、彼女はもじもじとしながら、出すのを渋る。

 

「どうか、なさいましたか」

「写真なら、あるんです」

 

 何っ。しっかりした子かと思いきや、写真での鑑定をご希望か。いや、家にうっかり忘れた場合もある。こんな店だから、修理予約だってできるし、明日持ってきたっていい。

 

 俺は「いったん写真だけでも見たいです」と待合スペースに案内する。

 

 依頼人さんは一旦座るも、口をつぐんでスマホから写真を見せる。

 

「……とりあえず、見てください」

 

 月夜美と俺は同時に、依頼人さんのスマホを覗き込む。

 

 すると、そこには床に置くタイプの振り子時計が写っていた。洋風の、鳩が出てくるところの無い時計。

 

 全体的な色は茶色、だろうか。写真自体が若干暗いところで撮られているので分からない。ディティールはハッキリとしているが、後の情報といえば、その『大きさ』くらいか。

 

 年季が入っていると思われる振り子時計。しかし、その時計の手前には、500mlのスポーツドリンクのペットボトルであろうものが置かれていた。

 

 そこから逆算するに、どうやらその時計のサイズは──

 

「はあ!?」

「でっかーいっ!?」

 

 およそ、190cm。ジョナサン・ジョースターの身長と同じくらいだ。逆説的にジョセフや承太郎の身長とも近くなるな。

 

「す、すみませんっ!! ……その、家に置いてある時計なんですけど……」

「……これは、流石に持って来れないっスよね〜……」

「ああ、置時計なんてレベルじゃあない。御屋敷のバカでかい玄関の正面にあるみたいなサイズ感だ」

 

 申し訳なく頭を下げる依頼人さん。これはさすがに軽トラでギリ持ってこれるくらいの大きさと重さだと思われる。謝る必要などない。

 

 顎をこすり、こいつはどうしたものかな、と考えながら写真を眺める。

 

 すると、チラチラと目に映るものがあった。東北地方は福島県、会津地方の民芸玩具、『赤べこ』だ。しかも、中型犬くらいの大きさの。

 

「端に映っているこちらは、一体……?」

「ああ、それですか? えっと……ウチ、骨董品とか、中古のものを色々売ってて。それを売ってるスペースに置いてあるんです、この時計。売り物じゃあないんですけど、しまう場所がここしかなくって」

 

 他にも写真には、木彫りの熊だの、無駄に大きな水筒だの、古着だのと、色んなものが映り込んでいる。

 

 時計が細長いから、そのシルエット全てを収めようとすると、自然と他が写ってしまう画になってしまうのかもしれない。

 

 して、俺はそれらの品が置いてありそうな所に、心当たりがあった。木張りの床、白い壁、中古の品々。

 

 俺は恐る恐るではあるが、依頼人さんに聞いてみる。

 

「あなたの家、というのは……?」

「はい。『流星堂』、あの蔵がある店が家です」

 

 その店の名前を聞いた時、俺は思わず、勢いよく椅子から立ち上がってしまう。

 

「キミ!! 『万実(まみ)さん』のお孫さんかい!?」

「ああっ近い! ……は、はい、そうです。市ヶ谷と言います」

 

 市ヶ谷。なるほど、そういう事か。俺はつかつかと歩き、カバンに道具たちを詰める。

 

 『流星堂』。本来、この写真に写っている蔵ではなく、少し離れたモダンな民家のようなところに本店を構える質屋だ。俺の記憶が確かなら、ここは店に出ていない品たちの保管場所のはず。

 

 正直、あの万実さんのお孫さんと言われて、見た目からはピンとは来ていない。しかし、否定材料などそれくらいしか無い。

 

 俺を誘き寄せる罠なんじゃあないかと思うくらいに、美味しい話が舞い込んできたな。

 

「すぐに直しに行きます。幸い、今は依頼はひとつもない」

 

 そう言うと、市ヶ谷さんは、ぱあっと明るくなる。

 

「本当ですか!」

 

 しかし、ガラスのドア越しに、外に貼られた営業時間表の方を見る彼女。

 

「あ、でも閉店時間……」

「いいですよ。今日『も』暇で暇で、死にそうだったんです」

 

 本当は、元気にお菓子を食べながら吉本新喜劇見たり、ゆっくりと雑誌を読んだりして、暇を満喫してたんだけどな。

 

 俺が準備をしている後ろから、何やら足音が聞こえてくる。振り返ると月夜美が、ランニング中に信号が赤になったみたいに、その場で足踏みをしている。

 

 そわそわとしている原因は分かる。アルバイトとして、普段はこの店内でダラダラしているだけだが、出張修理というのは給料が出つつ店の外に出られる刺激的な機会だということ。

 

 まるで普段学校に閉じ込められている小学生が、鎌倉か京都かで大暴れしたがっている時のように。

 

「……月夜美、来るか?」

「是非是非ー! じゃあ表の看板、クローズにしちゃいますねー!」

「頼んだ」

 

 元気な返事をして月夜美は、ダッシュでドアの外側にある看板をひっくり返して『OPEN』から『CLOSE』にする。

 

 そして俺の元に戻ってくるまで、およそ5秒。ボールを持ってきた犬みたいだ。その168cmという体躯も相まって、大型犬に見える。

 

 頭を撫でてやると、にひひっと歯を見せて笑う。マジの犬じゃねえか。

 

「にしても店長、乗り気ですね〜。何か用があるんですか?」

「キミの方が乗り気に見えるがね」

「店長だって、なんかそわそわしてますよ」

 

 まあ、それは認めよう。確かに俺は、『流星堂』に行きたくて堪らない。

 

「でも確かに、閉店後に来てくれるなんて……何か、ウチに用とかあったんですか?」

 

 用といえば用ではある。しかし、今の今まで記憶の片隅も片隅に置いていた用なので、なんだか宿題を出し忘れた時のような焦燥感で慌ててしまっている自分がいる。

 

 あの人には、恩がある。俺も一時期助けてもらったし──

 

「万実さんには、親父が世話になったんだ」

「え……?」

 

 俺は2人よりも率先して、ドアを開ける。徒歩15分程で着く『流星堂』に向かうために。万実さんに会うために。

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